10月末日

 本日は出雲ドームで開催された、産業未来博というイベントに家族で繰り出した。出雲市周辺の企業や団体が、主に子ども向けの体験ブースなんかを出店するという、なんかそういう催し。催しのエンターテインメント性としては、あまり期待せずに行って、やっぱり期待せずに行ってよかった、という程度の内容だったが、なにはともあれ実は出雲ドーム内に入ったのが、ファルマン以外は初めてのことだったので、それが嬉しかった。木造建築物としては世界最大級(wikipedia)とのことで、天井の感じとかは一見の価値があった。ブースの展示を見ずに天井ばかり見ているなんて、ずいぶん失礼な話だな。
 それでも子どもたちにそれなりに体験をさせて、1時間弱でひと通り見て回ったあとは、ドームのすぐ前にある「生鮮食品おだ」で食料品の買い物。ここはラ・ムーの系列なのかなんなのかよく分からないが、実は共通の商品が置いてあるので、こっち方面に来たときは寄ることにしている。ファルマンから、「あなたってお出掛けとその現地にあるスーパーを絶対に抱き合わすよね」といわれた。たしかに、たまにどっちが真の目的地か判らなくなるときがある。
 そのあとは家に帰る前に、投票所に寄って衆議院選挙の投票を行なった。投票しないのはさすがにもったいないと、貧乏根性から投票に行くわけだが、確固たる信念などは本当にないので、いつも困る。今回は特にあぐね、投票所で用紙を前にして、そこで直感に任せて書いた。投票後にファルマンと答え合わせをしたら、小選挙区も比例代表も、事前に一切話などしなかったのに、まったく一緒の選択をしていたので、夫婦間の理念、というほど立派なものでもない、ものの感じ方に、齟齬は少ないようだな、ということの確認になった。選挙はそんなことの確認をする場ではない。
 帰宅して皿うどんの昼ごはんを済ませたあとは、午後がぽかりと空いたので、カステラを作る。カステラは数ヶ月前から作るようになり、今回で3度目。子どもたちとわーわーいいながら作る。簡単だし、たんぱく質だし、日持ちするし、小腹にちょうどいいので、なかなかにコストパフォーマンスの高い焼き菓子であると思う。これまで1度目は成功し、2度目は焼き加減が微妙で失敗だった。今日の出来は、今日はまだ食べていないので分からない。
 夕方に近所のスーパーに僕だけ買い物に行く。僕くらいのスーパー中毒者になると、休日絶対に一軒のスーパーで買い物を済まさないのだ。こちらではカマスが安かった。なんと立派な、鮮度がいかにもよさそうな、島根県産のものが、8尾で250円。信じられない値段。夕飯のメインは別のものに決まっていたが、思わず買う。買ってはらわたを取っておけば、4尾は明日の夕飯、もう4尾は冷凍していつかの夕飯になる。非常に嬉しい。カマスって実はお店で見ると高確率で買うくらい、好きだ。味が好き。それにしたって破格だ。魚や野菜が安いのは、田舎に暮す大いなるメリットだなと思う。
 晩ごはんは手羽先の竜田揚げと、スパゲッティサラダとポトフ。なぜかクリスマスみたいなメニューになった。竜田揚げはいつもの、片栗粉が白く固まるくらいたっぷり塗した、ゴリゴリ仕上げ。衣がおいしい。
 夜になって開票速報の番組を眺める。NHKの開票速報で、いちばんはじめに当確が告げられたのが島根2区だった。さすがだな。

高橋一生分

 とても時間のかかった机周りの整理が終わり、部屋全体の模様替えの効果も含めて、環境がとてもよくなった。なんてったって、ものがどこにあるのか、自分で把握できているのがいい。これまではそれができていなかった。ダイソーのプラスチックケースに物を詰め、そのケースが壁に土嚢のように積まれていた。なにか必要なものを探し出して、使い、あったケースに戻せばいいものを、手近なケースに適当に入れるものだから、はじめはあったはずのケースごとのテーマは霧散し、やがて混沌とした世界が形成された。混沌は創造を生むかと思いきや、意外とそんなことはなく、むしろ停滞をもたらした。これはとても示唆的な出来事であると思った。真の創造は、整然とした規律のもとでのみ生まれる、とはいわないが、整然とした規律のもとでは、ものの配置が分かりやすくて作業がしやすい、というのは真理である。
 整理をしていて、僕がなにか新しいことをはじめようと思ったとき、すぐにノートやメモ帳を買ってくるのを、ファルマンが「紙なんか一生分ある」とすかさず窘めてくるのを、これまで、なんでそういう意地悪をいうかなあ、と流していたのだけど、ノート類をひとところにまとめた結果、なるほど一生分ある、と納得した。ただし、使っていないノートの余白は一生分あるけれど、それでもやっぱり、新しいことを始めようと思ったら、新品のノートを買ってしまうのだよな。そう考えると、あれはなにかを書くためのノートを買っているのではなく、気合を入れるための儀式のようなものなのかもしれない。
 またそれに関連することかもしれないが、ホッチキスの芯、ダブルクリップ、ゼムクリップ、ガチャ玉と、紙をまとめる系の道具も、異様なまでにあった。異様なまでにあるくせに、ここで挙げたもののうち、この半年間で使ったものといえば、ゼムクリップをなにかの折にふたつくらい使ったかもしれない、というくらいのもので、紙が一生分だとしたら、紙をまとめる系の道具は、ざっと七生分くらいありそうだと思った。しかし今生においてこんなにもペーパーレスが進んだのだから、生まれ変わりが宇宙の時系列に沿うのだとすれば、このあとの転生後の生涯では、ますます紙をまとめる機会は減りそうで、そう考えて大量のホッチキスの芯やゼムクリップを眺めていると、思わず火の鳥に思いを馳せてしまう。これはもはやそういうスケールの話だ。茜丸がもう永遠に人に生まれ変わることはないように、僕だってどうだか分からない。来世に消費を期待しても仕方ないので、ならばいっそのこと、この大量のホッチキスの芯、ダブルクリップ、ゼムクリップ、ガチャ玉で、立体的な火の鳥を造形してみてはどうかと思った。せっかく机周りの整理をして、作業しやすくなって、そんなことをするのかよ。

V6MD

 ファルマンの実家にレコードプレーヤーがやってきた。当時買ったレコードは捨てずにとってあったのだけど、プレーヤーはとっくになくなっていたのが、昨今にわかに世間でレコードブームが起り、プレーヤーも手に入りやすくなったことで、両親のレコード熱がふたたび高まったらしい。たぶん、いまの60代70代あたりの人たちの家庭で、とても多く発生している現象であろうと思う。
 この一連の流れを、僕はあまり快く思っていなかった。快く思わなくないであれよ、と思うが、なんというか、レコードの、レコードにしかない味、みたいなことを声高にいう感じが鼻について、なんとも嫌なのだった。単館系映画とか、絶版本とか、カルト芸人とか、そういうのと同じ。そういうものの存在そのものを否定するわけではないが、それらの周りには必ず、「それの価値が判る自分」を、度合の強弱はあれど主張する輩が存在する。だから嫌いだ。
 そのため義母から、「レコードプレーヤーがあるんよ。いいでしょう」といわれた際、「僕、レコードには一切興味がないんです」と、はっきり答えてしまった。冷静に考えると、そんなこというなよ、と思うが、あいまいな態度を取った結果、聴かされて、その味わいについて感想を述べさせられる展開になったらたまったもんじゃないと思ったので、ぴしゃりと遮断する意図があった。しかしながら義母も負けじと、「それなら余計に聴かさないとね!」といってレコードをかけ始めたので、これは決して、心ない義理の息子が、老いた義父母をいじめた話などではない。ちなみにこの話の顛末としては、どれがいいかと並べられたレコードを、どれがいいもなにもねえよ、と眺めていたら、その中にNSPのベスト盤を発見したので、すげえ、とちょっとテンションが上がって、それをかけてもらい、しっかり聴いた。ただしこれはあくまでNSPが聴きたかったのであって、レコードという媒体にどうこうという思いはない。レコードでなければ聴きたい曲の頭出しとか便利なのになー、と思いながら聴いた。
 レコードに対していい印象を抱いていないのは、上記の理由もあるが、それに加えて、やはり自分がMD世代だからというのもあると思う。親世代のレコードに対して、我々世代のMDは、なるほど象徴的なショボさだな、としみじみと思う。MDには、親たちがレコードに対して抱くような郷愁や感慨は一切ない。しかしその「なさ」が、いかにも我々世代っぽくて、その「なさ」に郷愁や感慨を抱こうと思えば抱ける、という、複雑な様相を呈している。
 話は唐突に変わるが、V6がそろそろ解散ということで、テレビでいろいろやっている。そのためV6に思いを馳せることが多くなり、それで思ったのだが、V6というのはMD世代のシンボル的なグループなのではないかと思った。この文脈では、まるでV6のことをショボいといっているようだが、そういうわけではない。そういうわけではないが、SMAPやTOKIOや嵐に較べて、V6というのは低空安全飛行的な、突っ張らない、地味な、しかし安心感があり、もちろん華やかさもありつつ、身近でもあり、ちょうど今日スペシャルをやっている「学校へいこう」は我々の中高時代のど真ん中の思い出で、そして我々の中高時代というのは、それすなわちMD時代なので、なんかもう本当に、V6ってMDだ。V6はMDの象徴であり、残影だったのではないかと思う。そのV6が、とうとう解散する。これまでSMAPやTOKIOの解散、そして嵐の活動休止に対して、僕は特になんの感想も抱かなかった。それが、まさかV6で初めてこんなもの哀しい気持ちになるだなんて。

とてもよい週末だった

 土曜日の午前、出雲大社に行く。前回が2月16日なので、なんだかんだで8ヶ月ぶりということになる。久しぶりに行ってみたら、わが家から出雲大社は、思っていたよりもだいぶ近かった。近いのだからもっと頻繁に行けばいいとも思うが、気づけばやっぱり、次に行くのは8ヶ月後くらいなんだよな。ああ、でもさすがに1月か2月中に新年のお詣りに行くか。
 ちなみに今回の参拝は、なんとなくぼちぼち顔を出しておくかというふわっとした理由ではなくて、ピイガの7歳のお詣りという明確な目的があった。もっとも7歳のお詣りといっても、きちんと代金を払って祈祷してもらうというようなことはせず、一応ピイガにはそれなりによそ行きの、普段は着ないワンピースを着せたが、それ以外はなんら特別なことはしない、いつも通りの参拝なのだった。
 天気のよい神在月の土曜日とあって、出雲大社は賑わっていた。なにぶん出雲は観光地なので、県外から人が来て活気があるのはいいことだ。1年半にも及ぶ年季が明けて、日本人全体がシャバに戻ってきたような解放感があるなあと思う。賽銭箱の前に行列ができていて、それはすごく久しぶりに目にする情景だった。方々の神様にお詣りをし、前回と同じく財布の中の小銭は駆逐された。でもしょうがない。なにしろいまは日本中の八百万の神様がここに集結しているのだから、その全てに作用があるのだとしたら、コスパとしては申し分ない。たかだか合計で700円くらいの賽銭でそんな考え方をするような奴には、たぶん神様はいいようにしてくれないだろうけれど。
 今回もおみくじを引いた。前回、「人に交はるには、和譲・恭敬・忠恕を旨とすべし。仮にも驕慢の態をなすべからず」という、身につまされるありがたい言葉をいただき、この8ヶ月それが実行できたかといえばそんなことはなく、それだから相変わらず人とうまく交はれずにおる。今回の訓は、「誠心を尽くして神に祈りを深めて依頼し、自己の過信の力に依頼するなかれ」ということで、残念ながら前回ほど刺さるフレーズではなかった。ちなみに文面のバリエーションがどれくらいあるのか知らないが、ともに引いたポルガもまったく同じ文面で、親子で過信を窘められた格好となった。
 参拝のあとは、ファルマンの両親が7歳のお祝いってわけでもないけど、という感じで昼を奢ってくれるというので、実家に赴き、出前のそばをいただく。10月下旬の、晴れた、しかし山陰の屋外は、暖かいような寒いような実に微妙な感じで、参拝客の格好も、Tシャツ姿の猛者もいればダウンを着込んでいる人もいて、というように本当にまちまちで、それなりの服を着ていたわれわれ一家も、やはりなんとなく体が冷えていたような感があったので、温かい麺がおいしかった。
 そのあとは買い物の用事があり、親が子どもたちを見ていてくれるというので、置いてファルマンと出た。主な目的は100均で、いま僕は机周りの整理に燃えており、そのためのケースなどを大量購入した。買い物を終え、買って帰ったハロウィン仕様のミスタードーナツをみんなで食べて、実家をあとにする。
 そうして帰宅し、それでこの日はおしまい、ではない。なんとこのあと、家族でおろち湯ったり館に行く、ということをした。なにぶん明日も休みだと思うと、土曜日はどこまでも目一杯に愉しんでやろうという執念が湧き、常にプールに行きたがっている子どもたちとともに、なんとかファルマンを説得し、実現にこぎつけたのだった。偏愛するおろち湯ったり館だが、実は家族を連れていくのは初めてである。父親がやけに話をする「おろち湯ったり館」なるものに、ようやく本当に行くことができた、という感慨が子どもたちにあったのかどうかは知らない。土曜日の夜ということで、むちゃくちゃ混んでいるだろうか、プールなんか大賑わいだろうか、と不安だったが、蓋を開けてみたら貸し切りだった。島根のいつものやつ。泳がないファルマンは寒いので、ひとり温泉のほうに行ってもらい、子どもたちとしばし泳いで遊ぶ。そして所定の時刻にファルマンに迎えに来てもらい、子どもたちは女湯へ、僕は男湯へと分かれた。温泉のほうもそこまで混んでいなかった。家族と一緒なので、今回はサウナをする時間はない。純粋に温泉だけを堪能する。サウナで体を温めていない状態での2階の露天風呂は、さすがに少し寒かった。雪のよく降る雲南市にあるここは、冬季になると2階は閉鎖される。たぶんもうすぐだ。1階の屋内浴場で体をしっかり温め、出た。出る時間は打ち合わせていなかったため、すごく待たせたり、すごく待ったりが不安だったが、ちょうどよかったようだった。
 帰宅後は、白菜とベーコンの鍋にサッポロ一番塩ラーメンを入れて、手製の鍋ラーメンというか、とにかく体の温まる、おいしくてしょうがないものを作り、おいしくてしょうがなかった。なかなかハードなスケジュールをこなした日の、明日も休みの、味の濃い鍋での、日本酒。疲れもあり、もう朦朧となるくらいの酩酊とまどろみ。やっぱり鍋は幸福感が強いな。冬はしこたまやろう、と思った。
 食後は、なんとなく11時頃までは起きていたけれど、やはり疲労と酔いでなにをするということもなく、少しだけ机周りの整理をしたほかは、ほぼ何もせずに寝た。
 8時間ほどたっぷり寝て、布団は気持ちよく、体はすっかり健やかで、いい朝を迎えた。
 午前中は机周りの整理、昼に焼きそばを作って食べたあとは、食料品の買い物に出て、午後はまたひたすら机周りの整理をした。なぜそんなにも机周りの整理をしているのかといえば、先日ファルマンと僕の部屋の模様替えをして、物の配置が大きく変わったからで、これを機に、溢れ返ってぜんぜん管理できなくなっていた資材を、使わないものは捨て、使うものは使いやすいようにしようと、本腰を入れて作業をしたのだった。合計で8時間くらい費やしたんじゃないだろうか。今日の夕方でようやく一応の完結を迎えた。時間をかけただけあって、非常に快適になったと思う。これで作業効率もアップすることだろう。いい気持ちで新しい週を迎えられそうで嬉しい。
 晩ごはんは揚げワンタンの甘酢がけ。初めて作ったが、とてもおいしくできた。餃子もシュウマイもワンタンも、どうも僕はやけにそこらへんの料理に適性がある気がしてならない。僕の作るそれらは、お店でも食べたことがないくらいおいしい。
 そんな週末だった。とてもよい週末だった。

タブレットに戻ったよ

 スマホにとことん嫌気が差していて、一刻も早くタブレットに戻りたい、という嘆きを9月の終わりに書いた
 そしてこのたび、購入資金が調達できたため、めでたく新しいタブレットを手に入れ、かくしていちどの過ちとしてのスマホを経て、再び僕はタブレットの人となったのだった。
 なにぶんスマホの小ささに対する怨嗟が募ってのこの行為であるからして、タブレットはタブレットでも、すごく大きいやつにしてやろう、そうでなければ意味がない、という発想から、なんと10インチのものを選んでしまった。スマホになる前のタブレットが、たぶん8インチ弱くらいのものだったので、それより大きいなんて素敵だなあ、画面が見やすいなあと単純に思った。そして注文して2日後に届いたものを見て、ちょっと度が過ぎたな、と思った。画面の見やすさと扱いやすさは反比例する。見やすさのほうにあまりに振れ過ぎた。10インチってどんな大きさかといえば、ほぼB5である。大学ノート。8インチのときはまだ携帯電話のほうの自治体に在籍していたのが、10インチになって、いよいよパソコンのほうに移住した感じがある。「反動って恐いね」とファルマンはいった。
 スマホの小ささのなにが嫌だったかって、あんな小さい画面をせせこましく見ている様、というのはもちろんとして、なによりキーボードの打ち間違いが多すぎて、それで大いにストレスが溜ったのだけど、10インチならその悩みからは完全解放だね、と思いきや、画面があまりにも大きすぎて、縦に持った時でさえ、キーを押す親指が画面中央まで伸ばしづらく、なにより空中で手の力だけで持ち抱えてキーを打つ操作をするには機械そのものが重くて、これはこれでスマホとはまた違った形でキーボードは打ちづらいのだった。「過ぎたるは及ばざるがごとしだね」とファルマンはいった。本当にファルマンだろうか。俺の妻の皮をかぶった孔子様ではなかろうか。
 まあそんな新しいタブレットなのだけど、それでも声を大にしていいたいのは、スマホよりかはよほどいい、ということである。僕は本当にスマホがダメだった。スマホユーザーとして過したこの半年間で、精神が腐敗した。これからゆっくり回復していきたい。そして次にタブレットを買うときは、7~8インチのものにしようと思います。

8年越しレジャー!

 恨みを晴らすかのようなレジャー猛攻、今週は、広島県は庄原市にある、国営備北丘陵公園へと遊びに行った。広島県ということは、俗にいうところの「県をまたぐ移動」である。「県をまたぐ移動」という言葉の、人聞きの悪さったらない。しかしまあ、去年は帰省なども含め、それは行なっても決してブログにこうして書き記すことはできなかったけれど、今は一応こうして、この程度のことは書いても大丈夫な空気感になったな、と思う。いやあまったく、空気感ですよ。新型コロナウイルスというのは、いろんな意味で本当にどこまでも空気次第なものだな、としみじみと思う。
 先週に引き続いて並々ならぬ情熱により、僕は昨晩から調味料に浸け込んでおいた鶏肉を起きてすぐ揚げ、おにぎりを作り、卵をゆでて、お弁当をこしらえた。そして洗濯物を干し終わるなり、庄原に向けて出発した。
 道のりはほとんど高速道路なので、楽々である。6月に買ったフリードには、買う前はぜんぜん考慮していなかった機能として、ACCとLKASというのがあって、前者は設定したスピードの範囲内で前の車との車間距離なんかも維持しつつ車が勝手にスピードを加減してくれる機能、後者は車線を車が認識してそこからはみ出さないように車が勝手にハンドルを操作してくれる機能で、「自動運転」という言葉は、いろいろな制約があって堂々とはいえないらしいが、まあ要するに自動運転にほかならず、これがもう、本当にすごく楽なのだ。もちろんそれなりに注意を払いつつハンドルは握っておかなければならないのだけど、それでもちゃんと運転するのとは大違いの楽さ。なんだ、この機能がついている車の奴らは、こんなに楽して高速道路を走っていたのかよ、とそっち側になって逆にムカついたほどである。別にディスりたいわけでもないが、「ワゴン車ってほどでもないけど念のため3列シートのファミリーカー」というジャンルで、フリードと双璧をなして誰もが選択を迫られる某メーカーの某クルマには、同様の機能が付いていないらしいので、純粋に乗り心地だけで決めたけど、本当にフリードにしてよかったと最近になって改めて思った。もう今後の買い替えで、この類の機能がついていない車は絶対に選ばない。もっともこれからは軽とかにもどんどんこの機能が搭載されていくんだろう。「ちゃんと自分で運転しなければならない車」は、今後オートマ車に対してのマニュアル車みたいな存在になっていくのだと思う。珍しく車の話なんかしてしまった。ACCとLKASがあまりにも快適なので、自慢というより、喧伝したい気持ちなのだ。燃費とか馬力とかじゃない、車を選ぶ基準はとにもかくにも、自動運転機能がついてるかどうかだよ、自動運転機能しか勝たんよ、という思いである。
 公園には11時半ごろに到着した。実はこの公園に遊びに来るのは2度目で、1度目はピイガが生まれる前、ファルマンの両親とともに5人で行っていた。いつだろうかと検索をかけたところ、2013年の本当にちょうど同じくらいの時期、10月5日のことだった。そうか、8年も前になるのか。当時の日記では、なぜか公園の名前を濁していて、そのせいで「備北丘陵公園」と検索しても記事が現れず、面倒を被った。なぜ濁したのか、居住地を探られたくないというネットリテラシー的なことだろうかと思ったが、前後の記事を見ると島根県内の公園の名前はバンバン出しているのでそんな意図はなさそうだ。情勢的には、冒頭にも書いた通り、「県をまたぐ移動」となる(当時は予想もしていなかった情況である)8年後の今のほうが、緊急事態宣言は解除されたとはいえ、どちらかといえばよほど他県の公園に行ったことを濁すべきで、なんともちぐはぐな感じである。でもしばらく考えて、きっとこういうことだな、と思った。すなわち、両親主導らしいこの日の公園行きを、僕はあまり好意的に受け止めていなかったんだろう。だから投げやりで、公園名さえも本当にあまりきちんと把握しようとしなかったんだろう。なんとも狭量で厄介な奴だな、8年前の僕という奴は。8年前の。まあたしかにこの日はずいぶんな雨で、寒く、公園行きは普通に考えて中止すべきで、でも決行して、決行した結果、にっちもさっちもいかない感じに終わって、さんざんだったけども。
 それに対して今日は降水確率0%の晴天で、陽射しが出ると暑くて参るほどで、しかし木陰に入ると風は涼しく、素晴らしいレジャー日和だった。8年前の雪辱を果たしたな、と思った。もっとも8年前、たとえ晴れていたとしても、2歳のポルガにこの公園は早すぎたのではないかと、8年後の今日、10歳のポルガと7歳のピイガを連れてきて、遊具やアスレチックで躍動する姿を見て、思った。もっとも8年前であれば、親ももう少し一緒に挑戦したりしてやれたであろうアスレチックは、エリア内を一緒に歩いてやって見守るくらいが精一杯で、そんなことを言えばそもそも、実は今回の備北丘陵公園行きにおいて、8年前のことが頭にあったのと、車が6人乗りになったこともあり、やんわり両親にも誘いをかけたのだが、8年前レンタカーを借りてまで公園行きを主導した両親は、「暑くてへばりそうだから」という理由で誘いを断ってきたので、8年経って子どもはちゃんと成長し、両親や祖父母はちゃんと老いたものだな、ということも感じた。時代は回る。長年ブログを書いていると、視点がだんだん長大になってくるものだ。
 ひととおりの遊具をこなし、弁当を食べ、どんぐりを大量に拾い、コスモスを眺め、広大な公園をたっぷりと堪能した。レジャー欲が大いに満たされた1日だった。
 公園を出たあとは、綿密な下調べにより存在を知っていた、公園近くにある「ラ・ムー」と「ザ・ビッグ」に寄る。どちらも、岡山にはあって島根(ファルマンの免許取得の際に行ったが「ラ・ムー」は松江にはある)にはない、ディスカウントスーパーである。僕にとっては公園と同じくらい、これらの店での買い物は、今日の遠出のメイン目的といってもよかった。目一杯買うつもりで買い物かごやエコバッグを車に乗せていたが、いざ行ってみたら、まあこんなもんかな、という程度にしか買わなかった。安いものもあったし、そうでもないものもあった。岡山時代の買い物の記憶で、「向こうの店はあんなに安かった」「向こうならあの値段なのに」ということを現在の島根で思ってしまいがちなのだが、実はこの1、2年で物価そのものが上がっているので、あの当時の値段のスーパーなんて、もうこの世には存在しないのだ。それなのに、岡山のスーパーは安かった、島根はやっぱり物流が中国山地で滞る分だけ物の値段が高いのだ、などと憎々しく思ってしまって、そんなの精神的に不健全だな、と反省した。買いたいものはある程度買えたので、それなりに満足いった。
 帰宅後のビールがおいしかった。やっぱり日中に陽を浴びたあとのビールは格別だな。アスレチックや遊具をしたわけではないが、アスレチックや遊具をする子どもに寄り添い、園内を巡ったのだ。これほどの運動があるかよ。

年季明けレジャー!

 全国の緊急事態宣言が9月末日をもって解除された、10月最初の週末、気候も全国的によかったようで、各地で人々が外へと繰り出したという。それはそうだと思う。わが家も繰り出した。わが家に関しては、緊急事態宣言の解除は、島根県民ということもあってそこまで直接的には関係なくて、いわば僕の個人的な緊急事態宣言が9月末日をもって解除されたがゆえの、待望の外出と相成った。このあたりの詳細については、とても不定期に更新している「百年前日記」で、いつか書くことになる。最新記事の時間軸はまだ2020年の8月なので、だいぶん先のことになるに違いないけれど。
 それは別にいい。本日のレジャーの話を書く。ところでポルガはなぜか最近、「るるぶ」や「まっぷる」などのガイドブックに大ハマりしていて、図書館でそんな本ばかり大量に借りて、よく眺めている。「山陰」や「中国四国」など、リアリティーのある土地以外にも、「エジプト」や「ニューヨーク」なども借りているので、単純に知的好奇心なのかな、と思う。それでその「山陰」の中で紹介されていた道の駅で、秋鹿なぎさ公園という場所があり、宍道湖のほとりに立地し、そこではカヌーやボートやヨットなどが体験できるのだという。ボートは既にしたことがあるし、ヨットはさすがに難しいだろう。狙いはカヌーだ。体験したい。させたい。しかも体験時期は4月から10月の、それも晴れた日のみだというので、うかうかしていられない、もう行くっきゃないとなり、前夜に急遽決定した。
 その道の駅そのものは、存在を知っていた。夏にファルマンを免許センターに連れて行った際、その前を通った。ただの道の駅だと思っていたが、あそこで実はそんなことができるのか、とガイドブックで初めて知った次第である。
 しかし冒頭にも書いた通り、緊急事態宣言が解除されて最初の週末、そして好天である。誰もが考えることは同じ、おそらくひどく混み合っていることだろう。すごく順番を待つことになるだろうか。いや、とはいえ島根県であれば、そこまでひどいことにはならないのではないか。運転中、そんな懸念が頭の中を駆け巡っていた。到着して、「ボート乗り場」という表示にしたがって建物の裏手、宍道湖側へと進むと、そこには受付があり、係の人がいて、他に人影はなく、係の人に「カヌーに乗りたいんですけど」と申し入れたら、記名と検温を指示され、それからすぐにオールの繰り方の講習へと進んだ。待ち時間0。さすがの一言である。島根県のこと、見くびっていた。ここはあえて「買いかぶる」ではなく、見くびるといおう。島根の人口密度の低さを見くびっていた。都会で、週末で、カヌー体験大人200円子ども100円という阿呆みたいな価格設定をしてみろ、とんでもないことになる。
 数分の講習ののち、そのまま浅瀬に泊められたカヌーへと案内され、乗り込み、後ろから係の人が押してくれて湖面へと進み出て、ジェットコースターのようなスピードで、気づけば湖上の人となっていた。この一連の流れが、あまりにも早かった。とんでもなく贅沢な望みだが、20分くらい待ちたかったよ! と少し思った。「宍道湖でカヌーを漕いでいる人」になるまでが、こんなスピード感でなされることってあるかよ。
 カヌーは、ひとり乗りから3人乗りまであり、当初ファルマンは乗らずに陸から写真を撮るつもりだったのだが、3人乗りは真ん中に乗る人は漕がずに乗るだけになる、といったらピイガがそれは嫌だと拒み、じゃあパパとピイガでふたり乗りに乗るからポルガはひとりで漕ぎな、といったらポルガがそれは嫌だと拒んだので、仕方なくファルマンもポルガとペアで乗ることになった。そんな編制の2艘で、プロぺ家は初めてのカヌー体験を行なった。
 はじめは心の準備が整っていなかったこともあり、わあわあとやみくもにオールを掻いてやみくもに進んだが、次第に「自分はいま宍道湖でカヌーを漕いでいる」という状況に対して心が追いついてきて、自覚を持って舟を進ませることができるようになった。また相方がよかった。ピイガは、普段ははちゃめちゃな破壊神だが、きちんと指導をされると、わりと忠実にいわれたことを守ろうとするところがあるので、「右に進むために左だけ掻こう」と僕が呼びかけると、そのとおりに、先ほど係員に指導されたとおりにオールを繰って、スムーズにカヌーは動いた。それに較べてファルマンたちの舟は悲惨だった。人の話を徹底的に聞かないことで知られるポルガは、やはり先ほどの指導をつゆほども聞いていなかったようで、オールの持ち方から漕ぎ方まで、どこまでも自由にやって、ファルマンの呼びかけにも応じず、ぜんぜん息も合わさず、なのでカヌーは文字どおり迷走していた。聞かない聞かないとは思っていたが、すごいな、こいつってここまで本当に人の話を聞かないんだな、と感心する思いだった。
 そんなカヌー体験だった。川ではないので、ブイで仕切られた範囲内を、時間内ウロウロするだけである。それでもオールの重たさもあり、かなり体力を使った。これで激流であってみろ、と思った。なるほど羽根田卓也の上半身の筋肉に納得がいった。
 そのあとは来た道を戻って、次の目的地、愛宕山公園へと移動した。ここも初来訪のスポット。それなりに広い公園で弁当を喰うというのが目的で、通り道にある公園を検索したところここがヒットしたのだが、望外の要素として、ちょっとした動物ふれあいコーナーがあり、持ち込みの餌を与えてもいいということだったので、家からスティック状にしたニンジンやサツマイモを持ってきていた。我ながら、コースを練り、朝から弁当を作り、動物の餌まで準備するあたり、熱量が高いな、と思う(なぜ僕がこの週末の外出にここまでの熱情を持っていたのかは、いつの日か書かれる「百年前日記」に詳しい)。
 だだっぴろく、さらには頼みの「園内マップ」みたいな看板がすっかり色褪せて消えてしまっている園内を、カートゥーンアニメみたいな木の看板だけを手掛かりに進む。田舎の大きい公園あるあるとして、なんてったって愛宕「山」公園と名前にもあるとおり、道は基本的に坂道である。だいぶ土で埋まっているけれどこれはいちおう階段になっているので、道として制定されているものだよ、な?みたいな道(なき道)を進んだ先に、なるほど動物の小屋の群が現れた。飼育されている動物は、ウサギ、ニワトリ、ハクチョウ、そしてヤギ、ロバ、カンガルー、シカというラインナップ。クセがすごい。ヤギ以下の動物には餌を与えていいようだったので、金網越しに持ってきた餌をやった。やり始めたら、予想していた以上に動物たちは餌に貪欲で、こういう場所の動物たちってわりと飽食で、ああまた人間が餌持ってきたよ、そこ置いといてよ、みたいな淡白な反応しかしてくれないことがままあるが、ここの動物たちはそんなことなかったので、あげがいがあった。とはいえ絶対的な客の少なさも窺え、果してこれはいいことなのか悪いことなのかと戸惑った。ヤギやシカでこういう体験ができる場所は多いが、カンガルーは珍しいな、と思った。もっともシカとロバとカンガルーとシカ、どれもまあ、大きめの哺乳類ということで、そこまで差があるものでもないな、と金網越しに餌を与えるという行為をとおして感じたりもした。おおらかな、大雑把な感想があったもんだ。
 動物たちに餌をやったあとは、手を丹念に洗って、場所を移動し、それなりにいい場所を見つけ、自分たちの食事をした。おにぎりと、ゆで卵と、公園の前のローソンで買ったLチキ。おいしい。陽射しが強く、アップダウンがつらく、なかなかハードモードだったが、日陰で受ける風はやはり10月の涼しさで、気持ちがよかった。
 そんな週末レジャーだった。これから冬が深まるまで、なるべく多く遊びに出掛けられたらいいな、と思っている。もはや情念のような気持ちで、そう考えている。