高橋一生分

 とても時間のかかった机周りの整理が終わり、部屋全体の模様替えの効果も含めて、環境がとてもよくなった。なんてったって、ものがどこにあるのか、自分で把握できているのがいい。これまではそれができていなかった。ダイソーのプラスチックケースに物を詰め、そのケースが壁に土嚢のように積まれていた。なにか必要なものを探し出して、使い、あったケースに戻せばいいものを、手近なケースに適当に入れるものだから、はじめはあったはずのケースごとのテーマは霧散し、やがて混沌とした世界が形成された。混沌は創造を生むかと思いきや、意外とそんなことはなく、むしろ停滞をもたらした。これはとても示唆的な出来事であると思った。真の創造は、整然とした規律のもとでのみ生まれる、とはいわないが、整然とした規律のもとでは、ものの配置が分かりやすくて作業がしやすい、というのは真理である。
 整理をしていて、僕がなにか新しいことをはじめようと思ったとき、すぐにノートやメモ帳を買ってくるのを、ファルマンが「紙なんか一生分ある」とすかさず窘めてくるのを、これまで、なんでそういう意地悪をいうかなあ、と流していたのだけど、ノート類をひとところにまとめた結果、なるほど一生分ある、と納得した。ただし、使っていないノートの余白は一生分あるけれど、それでもやっぱり、新しいことを始めようと思ったら、新品のノートを買ってしまうのだよな。そう考えると、あれはなにかを書くためのノートを買っているのではなく、気合を入れるための儀式のようなものなのかもしれない。
 またそれに関連することかもしれないが、ホッチキスの芯、ダブルクリップ、ゼムクリップ、ガチャ玉と、紙をまとめる系の道具も、異様なまでにあった。異様なまでにあるくせに、ここで挙げたもののうち、この半年間で使ったものといえば、ゼムクリップをなにかの折にふたつくらい使ったかもしれない、というくらいのもので、紙が一生分だとしたら、紙をまとめる系の道具は、ざっと七生分くらいありそうだと思った。しかし今生においてこんなにもペーパーレスが進んだのだから、生まれ変わりが宇宙の時系列に沿うのだとすれば、このあとの転生後の生涯では、ますます紙をまとめる機会は減りそうで、そう考えて大量のホッチキスの芯やゼムクリップを眺めていると、思わず火の鳥に思いを馳せてしまう。これはもはやそういうスケールの話だ。茜丸がもう永遠に人に生まれ変わることはないように、僕だってどうだか分からない。来世に消費を期待しても仕方ないので、ならばいっそのこと、この大量のホッチキスの芯、ダブルクリップ、ゼムクリップ、ガチャ玉で、立体的な火の鳥を造形してみてはどうかと思った。せっかく机周りの整理をして、作業しやすくなって、そんなことをするのかよ。