父の日とフリードとトートバッグの再出品

 父の日だが労働だった。出勤前、今日が父の日であるということは意識していなかった。前日に意識していたら、夕飯の席などで、娘たちに「明日は何の日だったっけなー」みたいな発破を、かけずにはおれない性格なので、かけていただろう。しかし出勤してからそのことを意識し始めたため、もしかしたら今日が父の日であるということは、わが家において完全にスルーされるのではないか、という危惧を抱いた。おそるおそる帰宅したら、リビングの壁にこんなものが貼り付けられていた。


 ピイガの手によるものだという。嬉しい。嬉しいが、似顔絵、と思う。最初これが僕の似顔絵だとはどうしても思えず、もしやこの家には、僕の不在時に現れる別のパパが存在するのではないかとさえ思った。だって、僕はこれまでの人生で、顔を四角く表現されたことはいちどもないのだ。どこまでも丸顔なのだ。輪郭はもちろんのこと、これでは髪だって角刈りじゃないか。どちらかといえばマッシュ的な髪型を、僕は人生の大半でしている。それだのになぜだ。なぜこんなに現実を歪曲して、上も下も四角く表したのか。本当に不可解だ。あまりにも衝撃的だったので、わざわざこうして写真に撮ってブログに残すことにした。
 この壁の装飾のほか、手作りのみかんゼリーが用意されていた。みかんジュースと、果肉と、ゼラチンで構成された、みかんゼリーであった。そんな父の日。
 日中に、オリジナル生地作成の会社から、再び発注したヒットくん柄の生地が届いていたので、夜はそれの裁断作業をした。最初に作った3点があっという間になくなってしまったので、再販するのである。反応がいいと作りがいがあるなあと思った。
 翌日の今日は、休日で、そしてフリードの納車日なのだった。受け取りは昼前だったのだが、ファルマンとふたりで車を引き取りに行くにあたり、その帰りは、僕がフリードに乗って帰るわけで、ファルマンはひとりでMRワゴンを運転しなければならず、なにぶん保険の開始日を本日からにしていたため、これまでファルマンはMRワゴンを一度も運転したことがなく、それはあまりにも危ないだろうということで、引き取りの時間まで運転の練習目的のドライブをすることにした。僕は、誰かの運転するMRワゴンの助手席に乗ったのが初めてだったので、なんだか新鮮な気持ちだった。ファルマンの運転は、保険の運転者登録が無制限の義母の車で既に体験はしていたのだが、相変わらず実に初々しい、こわばった、肩の凝りそうな運転で、緊張感がみなぎっていた。その運転でガソリンスタンドや手芸屋に行き、なんとかある程度慣らす。
 そのままディーラーに赴き、納車はつつがなく終了した。最後に、そのとき店にいた社員の方々と向き合い、自己紹介のような、今後ともよろしく的な、セレモニーなのかなんなのか分からない、素人の内気な日本人しかいないのにこういう場を持とうとするとこういうことになる、みたいな不思議な時間もあったが、無事に済んでよかった。無事といえば、こうして当日にブログを書いていることからも察せられるように、ディーラーから自宅まで、ファルマンの初めてのひとり運転も、問題なく完遂されたのだった。よかったよかった。
 帰宅後は新車の世話をいそいそと、ということはなく、トートバッグ作りに邁進する。やがて子どもたちが帰ってきたので、家族で新車でお出掛けということをする。出雲大社という案もあったが、必要なものがあったのでショッピングセンターに行くことにした。途中でガソリンスタンドにも寄り、ガソリンを入れる。これまで3000円ほどだったのが、満タンにするのに5000円ほども掛かった。これが普通車か。道中でファルマンにブルートゥースの設定などをしてもらい、スマホの中の音楽が車で掛かるようになった。ハイテクだな。ただし掛かった曲は相変わらず「木綿のハンカチーフ」とかなのだけど。ショッピングセンターでは、子どもたちの買い物のほか、車用のゴミ箱なんかを買った。
 その帰りに、実家にも立ち寄る。ファルマンの免許の取得や、新車の購入に関して、かなりの世話になったので、新車であいさつをしにいかないわけにはいかない。なにぶん6人乗りの3列シートなので、義両親も乗せて、6人で近所をひと回りする。3列シートで、中はだいぶ悠々としているのに、外観はそこまで大掛かりじゃなく、やっぱり「ちょうどいい」なあと思う。どうしてもこのフレーズが口からついて出る。義父からは洗車についていろいろ言われた。まあMRワゴンよりは、新車ということもあるし、僕としても大事に扱いたい気持ちがやぶさかではないのだが、とは言え義父の求めている熱情とはだいぶ温度差がありそうだな、と思う。それなりの頻度での洗車機利用で、なんとか煙に巻きたいと思う。手洗いもなあ、やったら気持ちいい気もするのだけど、どうしてもイメージがなあ。「休みの日に洗車をする」という、その行為がなあ、と思う。
 帰宅後は夕飯をちゃちゃっと食べて、そしてトートバッグを完成させる。4つ作り、そのうちのひとつは自宅用。販売ページの写真にあまり満足いっていないのと、やはりインスタグラムへの色気があり、外出の際ファルマンにバッグを持ってもらって、映えるポイントで写真を撮ろうという魂胆があり、そのためひとつは売らないことにした。というわけで再出品の数は、わずか3点となっている。少ない! 需要に対して、あまりにも供給が少ない! なめてんのか! こんなの、またあっという間に売り切れるに決まってるじゃないか! 買いたい人は、本当に急ぐしかないじゃないか! もう、しょうがないなあ! 急いでください!

ファルマンの免許取得と、その送迎のために過した松江の半日

 ファルマンの自動車教習所は、先日無事に修了したのだった。通い始めたのが4月の下旬なので、1ヶ月半ほどで卒業したこととなる。その事実だけ取れば「順調」という言葉を使いたくもなるが、果たしてそうだろうか。期間が短かったのは、平日に3時間も4時間も、怒涛の勢いで講習を受けたからだし、実地でいちども再講習がなかったのは、どうも本人からの報告を伝え聞くに、「他の地域で免許が取れなかった人は島根に行け」という、まことしやかな逸話が指し示す、島根(スサノオ)マジックがあったのではないかと思う。実際、卒業試験でウインカーを逆に出すという、先生この人とうとう右と左の区別が身につきませんでしたよ、こんな人を外の世界に放り出してしまっていいんですか、と問い詰めたくなる事例があったようだが、それでも合格だったのだ。もっとも交通ルールなんてものは、右に曲がるときに左のウインカーを出すというのは論外だとしても、流動的な部分が多くあり、そういうのは現実世界の道路で学んでいくしかないので、まあそんなもんか、とも思う。
 それで、僕の仕事が休みだった今日、ファルマンを県の免許センターまで送るということをした。第1次島根移住の際には免許の更新がなかったので、島根県のその施設に行くのは初めてで、神奈川でも岡山でもそうであったように、やはりそれは辺鄙な場所にあった。日本で唯一県庁所在地に原発のある島根県なのだから、免許センターくらいもっと便利な場所にあってもいいのではないかとも思ったが、よく考えてみたら、宍道湖の北側のほとりの真ん中らへんというのは、松江市の人にとっても出雲市の人にとっても、同じくらい不便で便利な、とても配慮された場所なのかもしれなかった。
 学科試験から、それに合格したら受ける講習、そして免許証の交付まで、朝から15時ごろまでの一日コースということで、子どもたちが学校に向けて出発するのを見送ったあと、すぐにわれわれも出掛ける。朝ごはんは途中のコンビニで買い、車内で食べた。夫婦でのこんなお出掛けなんて、すさまじく久しぶりか、あるいは初めてのような気がする。免許センターに自分の車で行けないのは、極度のペーパードライバーというパターンはあるにせよ、理屈的には免許取得のときだけだし、なによりこれよりファルマンは免許を持つのだから、こんなふうな送迎なんて今後はしなくなるのだな、ということを思った。
 8時半から9時半までに着けばいい免許センターへ、9時にファルマンを降ろしたあとは、迎えの15時まで自由時間で、この間をどう過すか、ここ数日は思いを巡らせていた。いちど家に帰るという選択肢もないことはなかったが、家から免許センターまでは小一時間かかるので、2往復するのには抵抗感があったし、なにより住所的にはここはもう松江市で、市街地までも20分弱という位置なので、それじゃあまあ松江で過すだろう、という結論に至っていた。
 はじめに浮かんだのはやはりサウナで、免許センターからの近さで検索したところ、「鹿島 多久の湯」というのが見つかり、それはまさに原子力発電所のほう、免許センターから北、すなわち日本海側に車で15分ほど進んだところにあって、なかなか評判もよさそうだし、なにより妻の免許取得のために6時間ほど待機時間があるような状況でなければ、なかなか行くことはないだろう位置のため、これは千載一遇のチャンスだと思った。それで、いやあいいスポットがあったもんだと安心していたのだが、おとといの晩になり、しかし9時にファルマンを降ろしたあと、15分後にそこへ行ってもまだ開いていないんじゃないか、10時とか、10時半からなんじゃないか、と不安になって改めてホームページを確認したら、開館時間どころの話ではなく木曜日は休館という表記を見つけ、行く前に気づいたのはなによりだったが、一気に6時間の過し方計画が暗礁に乗り上げてしまった。仕方ないので、平田のほうに戻って「ゆらり」(宍道湖の左上らへん)か、あるいは斐川のほうへ回って「四季荘」(宍道湖の左下らへん)か、とも思ったが、どうも来た道を戻るのもなあ、と気が進まないでいたところへ、今回の送迎をどこか申し訳なく思っているらしいファルマンから、玉造温泉はどうかという提案を受ける。見ると「ゆ~ゆ」という気の抜けた名称の施設に、サウナがあるようだ。位置は宍道湖の右下らへん。玉造温泉という名前はよく耳にするし、じゃあまあせっかくの機会だからそこへ行っときますか、という結論に至った。免許センターからは車で20分あまり。
 とはいえ、「ゆ~ゆ」の開館は10時からだし、サウナで5時間過せるはずもないので、まずは9時から開いている施設として、松江の中心部を少し通り過ぎて、松江イオンショッピングセンターへと立ち寄る。近くて遠い松江の街は、たぶんピイガの七五三の、写真撮影の時以来だ。いつかと確認したら、2017年11月のこと。時の流れってちょっと早すぎないか。イオン松江にはなんの用件があったかといえば、手芸の資材を買いたかった。噂では「手芸の丸十」が、かつてあったショッピングセンターからこちらに移ったとのことだったのだけど、店内の地図を見ても見つからなかったし、そもそも専門店は10時にならないと開かないだろうと思いあきらめ、イオンの運営するパンドラハウスで購入した。本当にパンドラハウスもあるのに「手芸の丸十」が移転したのだろうか。ちなみに前回、かつて松江にあったショッピングセンター内の「手芸の丸十」に行ったのは、確認したところ2013年8月のことだった。読むと、胎の中のピイガのためにダブルガーゼなどを買っている。そしてこのときのダブルガーゼの余り布が、2020年に布マスクとして活用される……。松江は斯様に滅多に来ないので、わざわざ来た日のことが、定点のように刻まれるものだな。そう考えると、ファルマンの免許のために僕が5時間あまり松江でひとりで過した今日のことも、いつか「松江のあの日」として思い出されるのかもしれない。そんな感慨もあり、まだ途中だが、僕は今日のことをこうして精細に書き記そうとしているのかもしれない。
 買い物を終えて、そこから「ゆ~ゆ」に向かえば、開館の10時にはちょうどいいくらいの時間にはなったが、とはいえ10時からサウナに入り、どんなにがんばったって正午までいられるとも思えず、そのあとの時間をどうするという問題は解決していない。そこで、うすうす目論んでいたことだが、ひとりカラオケをすることにした。先日すでにひとりカラオケバージンは喪失していたため、なじみのない街でも気軽にそんなことができるようになった。それでスマートフォンで近くの店を検索したところ、さすがは県庁所在地の市街地、本当にすぐ近くにあった。受付を済ませて案内された部屋は、これもまたさすがは県庁所在地の市街地というべきなのか、かなり狭かった。ひとりなのでなんの問題もなかったが、久しぶりにこういう狭い部屋を見た。あと片側の壁が思いっきり道路に面した窓になっていて、これがすりガラスでもなんでもないので、入室してすぐに「わあっ」と慌ててロールカーテンを降ろしたのだけど、そのあと、それも自意識過剰だな、と思い直し、再び上げて、外光を浴びながら唄うことにした。2階だったので、外の道路を行き交う車や人は、現実的な大きさで目に入ったが、あっちはこちらのことなんか見ていないし、当人の僕は少し意識せずにはいられないけど、それを抱えながら唄うのもまた愉しいかもしれないと思った。これが、どこかのなにかのように、マジックミラーだったらもっとおもしろいのになー、などとも思った。唄ったのは前のひとりカラオケと同じ1時間半。夏が近づいているからか、桜田淳子や伊藤咲子など、阿久悠のアイドルソングなどを多く唄った。意図したわけではなかったが、そこらへんの歌のカラオケビデオには、やけに水着の女の子が登場し、幸福な気持ちになった。それを眺めていて、「あれ? たしかカラオケビデオに、グラビアとかが表示されるエロ機能ってあったんじゃなかったっけ?」ということを思い出し、家族と来ていたら絶対に使えないその機能は、ひとりカラオケの今こそ使うべきじゃないかと考え、リモコンの項目をあちこち探してみたが、そのような表示を見つけることはできず、あきらめた。いま調べてみたところ、そのような機能があるのはJOY SOUNDで、今日僕が使ったDAMにはないようである。今度のひとりカラオケはぜひJOY SOUNDにしようと思った。最後にカーペンターズの「Top of the world」で締めた。
 カラオケを終えて、時刻は11時半過ぎ。いよいよいい時間になってきたので、宍道湖の右横のところをぐるりと回り、玉造温泉を目指す。しかしサウナに入る前に昼ごはんを済ませておくべきだよなー、どうしようかなー、と思いを馳せていたところへ、ちょうど「はま寿司」の表示を見かけたので、渡りに船とばかりに入店する。そしてパッパッパと5皿ほど食べ、すぐに退店した。湯に浸かりに行く前に軽くつまむ。なんと江戸っ子な寿司屋の使い方だろうか。粋か。それにしたってひとりというものの身軽なこと。
 そして満を持しての玉造温泉。先日の「四季荘」と一緒で、「ゆ~ゆ」はそのうちの施設のひとつで、一帯が温泉街になっていて、ホテルや旅館がいくつも立ち並んでいた。予想外だったのは、「ゆ~ゆ」の浴場がビルの5階にあったことだ。世の中、実際に行ってみないと分からないこと、知れないことが多いな、としみじみ思う。実体験は軽々と想像を超える。あるいは、想像は現実よりもあまりに脆弱なのかもしれない。それで入浴の感想はどうだったかといえば、そもそも今日ここへ来たのは「鹿島 多久の湯」の代替だし、水風呂がないという情報も前もって知っていたが、それにしたって少し残念だった。もっとも施設そのものの魅力の乏しさもさることながら、今日はあまりにも暑すぎたのだ。水風呂がないのは、僕は水風呂よりも外気浴に価値を置くタイプなので別に構わないのだが、ビルの5階というのも悪いほうに作用したか、あまりの熱射にとてもリラックスどころではなく、サウナを出て、冷たくしたシャワーを浴びて、外に出るのだが、外もまたサウナのごとく、じりじりと汗が噴き出るようなありさまで、浴場内にいる間、ただひたすらに暑さにうだっていた。陽射しも暑く、湯も熱く、座ったり寝そべったりできる地面も熱い。考えてみたら、入っていたのがちょうど0時台だったこともあり、日陰もぜんぜんなかった。だからもう、ただ暑かった。普段の労働で、外での作業や、熱の近くの作業のとき、つらいなあ、体力が奪われるなあ、などと感じるのに、なぜ俺はいま休日に金を払ってそれをしているのか、というサウナに対する根源的な疑問まで生じた。要するに、もうサウナはオフシーズンに入ったのだと思う。外気浴で、少しひんやりした風が、陰嚢とかを撫ぜるのがサウナの醍醐味だろう。日が落ちたあとならば話は違うのかもしれないが、近ごろの僕はもっぱら平日の昼間サウナ―なので、暑い間は行くべきじゃないようだ。そのことを思い知った「ゆ~ゆ」だった。
 サウナを終えたあとは免許センターへ、かと思いきや、実はあともう1ヶ所、目的地があった。この目的地があるからこそ、「四季荘」とかに行くわけにはいかなかったのだともいえる。それは宍道湖の右のあたりにある、ディオというスーパーである。大黒天物産という会社が運営するディオは、岡山発のディスカウントスーパーで、ディオ、ラ・ムー、チャチャ、名称はなんでもいいのだが、とにかく倉敷時代にはたびたび利用していた。中には安すぎておそろしい商品もあるのだが、ディオにしかない魅力的な商品というのもわりとあり、ところが近所には系列店がないため、倉敷から持ってきたそういうものが、この半年ほどで枯渇しはじめ、もの哀しく感じていた。そんなディオが、松江にはあるのだ。松江までは進出しているのだ。じゃあこっちにも来いよ、と願わずにはおれないが、とりあえず今はまだないので、今回こうして松江に来る機会を得て、必ず立ち寄ろうと決めていた。ともすれば今回の松江の主目的でさえあったかもしれない。というわけで存分に買い物をした。目的のものは、あるものもあったし、なかったものもあった。まあまあの収獲といえた。店内のPOPみたいなものは全店共通のようで、倉敷時代に目にしていたものそのままで、そういう意味で感慨深かった。
 ファルマンからは途中で試験合格の連絡が入っていた。不合格ならば午前で帰宅なので、この時間に迎えに行くということはもちろんそういうことだ。落ちたらふたたび休みの日に送迎しなければならないので、一発で受かってもらわなければならなかった。もっとも日々のファルマンの学習風景を見ていたら、まさか落ちるはずもないだろうと思っていた。この人は結局まじめで敬虔なのだよな、ということを改めて思った。従順というとニュアンスが異なる。宗教ではないけれど、目の前のことにきちんとまじめに取り組む人のことを、僕は敬虔といいたくなる。そして僕にはそれが欠けている。
 2時45分に迎えにいくという段取りになっていて、僕がセンターに着いたのは2時43分だった。双方待つことなく、玄関で出てきたファルマンを拾うことができた。すばらしい時間配分。思えば手芸用品を買い、ひとりカラオケをして、寿司を喰って、サウナへ行って、お気に入りのスーパーで買い物をして、とても見事に立ち回った半日だった。「見て見て」といって見せてきたファルマンの免許証は、証明写真が、「電波少年」の収録かよ、というくらいに、背景の青色と、着ていた青いブラウスの色が同化していて、顔だけ浮かんでいるようでおもしろかった。

半月ぶり

 友達があまりにもいなさすぎる。レベチであたおかな度合で友達がいない。本来ならば友達がいないという話は、「僕らは瞳を輝かせ、沢山の話をした」に書くべきなのだけど、もう僕の世界には友達がいないということが通底してしまっているため、これはもはや「友達がいない」というテーマの話ではないのだ。日常の話なのだ。
 通底と書いたが、通底だと、うっすらと全体的にそれがはびこっているかのようなニュアンスに感じられる。2センチくらい、ジャバジャバと水が浸っているな、というくらい。しかし僕の友達がいなさは、もはやぜんぜんそんなレベルではないのだ。天井に顔を向けなければ口が水面から出ないような、そういうレベルで、「友達がいない水」はこの客室に充満している。もはや船自体の転覆も時間の問題だし、さらにいえば僕は室内の配管に手錠で括り付けられて身動きが取れない状態だ。遠くから僕の名を呼ぶローズの声が聞こえてこないかと耳を澄ますが、澄ませば澄ますほど、蛙の鳴き声しか聞こえない。蛙は本当にずっと鳴いている。先日娘らと近所の散歩をしていたら、田んぼには無数のおたまじゃくしが泳いでいた。田んぼに水が張られ、地中から目覚め、鳴き、出逢い、交尾し、産卵し、受精し、無事に生まれたか。営んでいるな、と思う。なんとまっとうに営んでいるのか、蛙。
 やけに日記を書かずにいた。なんと半月くらい書かずにいた。あー、書かずにおれてしまうな、と思った。日記を書かなくなったらいよいよおしまいだろうという気持ちと、日記なんか書いたってしょうがないだろうという気持ちが、僕という競技場の中で単行本67巻にしてようやく因縁の対決を迎え、見事なまでの相打ちを遂げた結果としてフィールド上にはなにも残らず、そこには無だけが在った。そして半月の沈黙が生まれた。
 それで半月の間はなにをしていたのかといえば、やけに友達と遊んでいた。友達からの誘いというのは、やけに時期が集中するもので、それぞれの友達たちはぜんぜん違う集団なので、共謀しているはずはないのに、そうとしか思えないほど重なるのだった。もっともこれは人間行動学的には説明がつくのだろう。気候とか、情勢とかで、友達と遊びたくなる衝動に駆られるタイミングというのは、集団が違おうがなんだろうが、共通するのだと思う。いわばそれは精神的な意味で、田んぼに水が張られるようなもので、それをきっかけに我々は目を覚まし、活動したくなる。しかし僕は配管に手錠で括り付けられているため、水が張られても地上に這い出ることができず、水底に沈んで溺れ死ぬしかない。だから友達とは遊べない。遊んでいたといったのは嘘だ。嘘をついて本当に申し訳ないと思っている。なにしろそもそも僕には友達がいないのだ。レベチで、あたおかな度合で、友達がいない。