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14年

 ポルガの誕生日を祝う。
 ピイガの1月4日というのは、なにも、ただでさえわちゃわちゃしている正月の、こんなタイミングじゃなくてもいいだろ、という気持ちにさせられるのだけど、ポルガのこの1月22日というのもまた、大寒だし、日が短いし、このあたりの時期は土曜日の休みが少ないしということで、どうもスカッと祝いづらいのだった。そんなの出産の、ひいてはお前の行為に拠るものなのだからしょうがないだろ、と言われればそれまでではあるのだけど。
 お祝いの日の晩ごはんのメニューや、ケーキの趣向について、事前にポルガに希望を訊ねたところ、「回転ずしがいい。持ち帰りじゃなく、お店で食べたい」という答えが返ってきたので、作らなくていいし案外いい手かもしれないと思い、受諾した。さらには「じゃあケーキも回転ずしのデザートのやつでいいんじゃないか。食べたいだけ食べていいから」と提案したところ、ポルガもそれを魅力に感じたようだったので、とても簡潔に丸く収まったのだった。
 というわけで土曜日の夜、くら寿司に行った。ポルガがリクエストするだけあって、お店で食べるのはとても久しぶりで、鮨がレーンを回っているさまを、本当に久々に目にした気がした。店内は混んでいたが、予約をしていたのでわりとスムーズに席につけた。鮨は安定のおいしさだった。ビッくらポンはいちども当たらなかったが、やっぱり外食は外食で愉しいものだな、と思った。鮨のあと、子どもたちはケーキを食べていた。ポルガはふたつ頼み、嬉しそうだった。ちなみにくら寿司は、まさに誕生日のお祝いを対象にした、ホールケーキが装飾とともにレーンを流れてくるサービスを少し前から始めているようだが、残念ながら島根県の店舗にはまだ未上陸なのだった。ポルガは「来年もこれでいい」と言っていたので、来年には利用できればいいと思う(けっこう恥ずかしそうだけど)。
 お祝いはこれで無事に完了のはずだったのだが、個人的になんとなく物足りなさを覚えたので、翌日、日曜日の昼食を、しれっとホットケーキにした。チョコペンも用意し、ポルガのものにだけメッセージも書いた。「ポルガ おめでとう 14」と書くつもりだったが、「『ポルガ 天才』にして」というリクエストを受けたので、そう書いた。ホイップクリーム、はちみつ、アイス、さらにはさつまいもを甘く煮たものや、あんこにきなこなども乗せて、背徳的な味を愉しんだ。
 さらには晩ごはんは、なんだかんだでたこ焼きにした。ポルガの誕生日祝いの日の夕餉はたこ焼きというルーティンに、実は本人なんかよりも僕のほうがよほど拘泥しているのかもしれない。わりと久しぶりだったたこ焼きは、やはりおいしかった。焼きながら、食べながら、マリオパーティーをした。とても愉しかった。
 回転ずしだの、マリオパーティーだの、実につましく、まっとうな、一般家庭の生活の営みだなあとわれながら思う。最近、2008年の、まだ子どもがいない新婚時代の日記を読んでいるのだが、当時はふたりで1日にジブリ映画を3本観たりとかしていて、びっくりする。ベタなことを言うが、第一子が14歳ということは、われわれが親というものになって14年が経ったということである。14年。ずいぶんなもんだ。なるほど年を取るわけだ。あのパピロウが、めちゃくちゃベタなことを言うもんだ。これも加齢によるものか。

2024年夏の自家用車横浜帰省 3日目

 実家の布団は硬い。重くて硬い。寝るのが和室なので、昔ながらの考えではマットの類は必要ないということになるが、いまどきの高機能マットレス(決して高価というわけではなく)に慣れた身からすると、地べたに薄布1枚敷いたくらいの状態で寝ているような気持ちだ。移動の疲れが取れないどころか、朝には寝返りも困難なほど体がバキバキになるので、なんとかしたいという思いはずっとあるのだが、1年半ぶりに3日だけ泊まる立場で、マットレスを買えとも買うとも言えない。母も物が増えるのは嫌がるだろう。というわけで耐えるほかないのだった。
 日程3日目の予定は、午後からの藤子・F・不二雄ミュージアム行きとなっていて、午前中はのんびりと過す。今日も姉の子どもたちがやってきて、4人でわちゃわちゃとやっていた。わが子が、どちらの実家においても、いとこと愉しそうに触れ合うさまを見るたびに、不思議な気持ちになる。友達とも、きょうだいとも違う、いとこというのはとても独特の距離感の存在なのだな、と思う。自身のいとこ経験値が皆無なので、娘らを見て学習している。ちなみにだが、この前の晩に眺めたアルバムで、僕が幼稚園児くらいの頃の写真で、知らない家族とディズニーランドに行っているものがあり、誰かと母に訊ねたら、それがいとこ一家であった。父の、姉だか弟だかの一家ということだ。一家には同年代の男児もいた。だから、実はいちおう経験はあったのだ。完全に忘れているけれど。
 昼ごはんに、たこ焼きを焼いた。最近またレベルが上がったたこ焼きを、実家の面々に振る舞ってやろうと思ったのである。こちらでいつも買っている粉が、横浜のスーパーでは手に入らなかったけど、まあまあおいしくできた。
 そのあと、Fミュージアムへと向かう。母が送迎してくれるというので甘えた。公共交通機関で行こうとするとかなりの回り道なのだが、実は実家から車で30分かからない。この距離感を思うたびに、ああ僕は、ドラえもんがたまらなく好きだった小学校低学年あたりの頃、藤子・F・不二雄とこんな近い位置関係で暮していたのか、と思うのだった。Fミュージアムに来たのはこれで3回目。前回は、2020年の年明けだった。今回もだったが、当時から中国人の客が多くて、そのあとすぐに新型コロナが流行したので、少しどぎまぎしたものだった。今年は藤子・F・不二雄生誕90周年ということでさまざまなキャンペーンが組まれ、プライムビデオでもいろんなアニメが公開され、わが家のFの機運もまた高まっており、横浜に行く以上はそりゃあ行くだろう、とこれも半ばオートメーションのように定めた目的地であった。しかし意欲的に赴いたはずが、やはり3度目ともなると常設の展示にはもう感動できないし、なによりポルガのコンディションがあまりよくなかった。長距離移動後すぐのいとことの激しい絡みに加え、今朝は母に合わせて早朝に起き、長い散歩などしたものだから、あっという間にキャパオーバーとなり、せっかくのFミュージアムで青い顔をしていた。当然機嫌も悪くなり、その機嫌の悪さに対して我々も不愉快になってくるので(もう少し自分の余力をわきまえろよ、という文句もある)、実に険悪な雰囲気の一家になった。そんな状況で入店したカフェでは、注文した品がいつまでも出てこない、あとから来た客のフードメニューが次々に運ばれてくるのに、ココアとかしか頼んでいないわれわれの注文品がいつまでも来ない、という悲劇に見舞われる。注文から30分が経過したところで、さすがにこれはもう退店しようと思い、店員にキャンセルを申し出たら、「今できたのでお持ちします」と言われ、運ばれてきたココアとカフェラテは、すっかりぬるくなっていた。これはどうやらわが家の今生のFミュージアムは終わったようだな、と思った。また最後に位置するミュージアムショップで売られている商品の高いこと。どうやらこのミュージアムはもう、中国の富裕層しか相手にしないことにしたらしい。そっちがその気なら、こっちももう行かないまでだと思った。
 帰宅後は、母と祖母と、わりと普通の晩ごはんを食べた。一時よりは復調したものの、ポルガがあの調子だったので、カフェで待っている間に姉に連絡し、今晩は子どもをこっちへ寄越してくれるなと頼んだのだ。というわけでこの晩は早めに寝仕舞いし、回復に努めることにした。

ポルガ13歳

 ポルガの誕生日祝いを無事に執り行なった。13歳である。中学生という生き物は、13歳~15歳を指す印象があるので、これでやっと名実ともに中学生になったな、という感じがある。 
 誕生日祝いの日の晩ごはんは、定番のたこ焼き。いつもより1.5倍多く作り、実家にもお裾分けした。少し前に、生地の中に細かく刻んだちくわを混ぜるとおいしくなるというライフハックをネットで目にしたので、今回それを初めてやってみた。いつもよりおいしくなったような、いつもどおりのおいしさのような(そもそものレベルが高すぎるのかもしれない)。具のひとつで、カットしたちくわの穴にとろけるチーズを入れたもの、というのがあるのだが、今回は生地にちくわを使用したため、ちくわの代わりに海老にしてみた。海老は海老でおいしかったが、海老の味が強すぎるためか、チーズがあまり感じられなかった。
 ケーキは、本人のリクエストを受け、ピラミッドをモチーフに作った。もとい、造った。買ってきたスポンジを、はじめは同じ大きさのたくさんの直方体を作り、それを積み上げるという、本物のピラミッドと同じ製法で考えていたのだが、あまりにも面倒そうだったので、スポンジを、大きさを段階的に変えた正方形に何枚も切り出し、それを順々に積み上げていくことにした。だからケーキの構造としては、結果的にミルフィーユみたいな感じになった。だいたいの形ができたところで、表面をクリームでコーティングする。本物のピラミッドも、たしか最初はそうやってなめらかな仕上がりだったんじゃなかったか。それがやがて剥がれ落ちて、現在のほぼ石が剥き出し状態になったんだったと思う。ちなみにこのクリームには黄色の着色料を混ぜ、エジプトの砂や土をイメージした黄土色に仕立てた。着色料なんて久しぶりに買ったな、と思い、前回がいつだったかと探ったら、なんのことはない、1年前のポルガの誕生日祝いのケーキで、カラフルなゼリーを作るために使ったのだった。毎年やけに奔放にリクエストをしてくるものだ。ピイガはいつも正統派のショートケーキを求めるので、こういうところに性格の違いが明確に現れるな、と思う。かくしてピラミッド型ケーキが無事に完成した。本物のピラミッドに較べ、かなり急勾配になったけれど、まあまあ要望には応えられたんじゃないだろうか。
 親からの誕生日プレゼントは、手塚治虫の「ブッダ」の愛蔵版全巻。ピラミッドで、ケーキで、ブッダ。もうわけが分からない。ポルガらしい混沌だとしみじみと思う。
 混沌としているのは、もともとの人間性に加え、目下思春期花盛りなので、なおさらなのだろう。日々、苦々しかったり、痛々しかったり、眩しかったり、なんだか目まぐるしい。いかようにも今後の筋道が変化する、人生の中でかなり重要な時期なんだなー、ということを客観的に見て思う。でも当事者は決してそれに気づかない。中学生って、起きてから寝るまで、ずっとがむしゃらだ。こんな思索のない、がむしゃらな生き物、他にいないだろうと思う。それともうちの子が特になのだろうか。個性的なのはいいことだが、もう少し親の言うことに素直に耳を傾けるようになってほしい。無理だろうな。

ポルガ12歳と20年間

 過去の日記を読み返そうと思い、さかのぼっていったら、本当に最初のウェブ上の日記というものは、どうにもこうにも残っていないようだった。これからまだ精細に日記を読み返していくつもりなので、その中で不意に新事実が明らかになってくる可能性もあるが、どうも最初は「everydiary」というサービスで、「purope★papiroの日記」というタイトルで書いていたようだ。20歳の頃である。20歳。20歳って、そこまで遠くない、大人の、今の自分と地続きのもののように思っていたが、実はぜんぜんそんなことない。だって20歳当時から、もうぼちぼち20年が経つのだ。安室奈美恵のように、20歳で子どもを産んでいれば、その子どもがもう20歳なのだ。そのくらい、20歳と40歳は離れている。クレヨンしんちゃんの「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」において、大人たちがみんな洗脳されて子ども返りしてしまうシーンで、不良の高校生グループである埼玉紅さそり隊の少女たちまでがそちら側に入っていて、でもそれは5歳児から見れば自然なことなのだろうと思ったりしたが、年齢って斯様に相対的なものだと思う。40歳からすれば、高校生はもちろん、20歳だってぜんぜん子どもだ。子どもだと思いつつ、ではいったい自分は20歳の頃からどこが成長し、どこが大人になったのだろう、とも思う。この人は急になにを言い出したのか、と思われるかもしれない。ポルガが本日、12歳になったのである。ひと回りで、春から中学生で、自分たちは今年40歳になる、などの種々の要素が、なんとなく節目めいた思いを誘発させるのかもしれない。当日がちょうど日曜日という恵まれた暦だったので、スムーズにお祝いすることができた。
 午前中に買い物に出て、昨日までの買い物で準備しきれなかったものを買い揃えた。その際、コンビニにも寄って、ポルガのリクエストの誕生日プレゼント、マリオカートのコース追加パスを買った。元からたくさんのコースがあるのに、さらに新しいコースを追加するのである。現代っ子の情報への貪欲さはとどまるところを知らない。思えば自分がいちばん、あのスーパーファミコンのマリオカートをやっていた時期が、ちょうどいまのポルガくらいの頃だった。
 昼にラーメンを食べ、子どもたちが追加パスで追加されたコースを嬉々としてプレイするのを尻目に、ひとりプールへと繰り出した。平日の退勤後に行かないこともないのだが、正月以来、陽の光を感じながら泳ぐ気持ちよさに目覚めてしまい、休みの日中に行きたがる傾向がある。今日も実によかった。
 帰宅後は本腰を入れて、誕生日祝いの準備をする。すなわち、ケーキ作りとたこ焼きの下ごしらえである。ケーキは、どんなものがいいか事前に本人に訊ねたところ、「こんなの」と図で示され、色とりどりの星が散りばめられたケーキをリクエストされたため、受けて立とうじゃないかと、食用色素とゼラチンを用意し、カラフルなゼリーを作製した。薄いパットに広げて固めたそれを、クッキーの星型で抜き(だいぶ難しかった)、それをケーキの上に載せ、残った部分はフォークでぐじゃぐじゃに剥がし、ケーキの周りに散りばめた。かくしてだいぶ再現度の高い、目下「銀河鉄道の夜」にハマっているポルガの希望に沿うケーキが出来上がった。
 夕方、大相撲1月場所の千秋楽がまだやっているような時間からたこ焼きを焼きはじめ、時間をかけてゆっくりと食べる。おいしかった。時間をかけて食べたら、殊のほか食べ過ぎて、一同お腹がいっぱいになってしまい、すぐケーキに取り掛かるのは無理だということになって、腹ごなしついでに、今度は4人でマリオカートをやった。20歳の僕と今の僕は、19も年が離れているけれど、ポルガとは8しか違わない。当時の自分は、こんなようなものだったのか、と思うと、信じられない思いがする。20歳からの日々には、さまざまなことがあった。プラスも、マイナスも、いろいろ待ち受けていた。日記に書いたこともあれば、書かなかったこともたくさんあるが、本人なので、読んでいく中で自然と思い出される部分も多くあるだろう。それをこれから時間をかけて本格的に読み返していくつもりだが、しかしあの20歳の、青年という言葉もまだ似合わないような自分の約20年後が、長女の12歳のお祝いの日に、家族4人でマリオカートができているのだから、この20年分の文章を読み返す作業には、安心感がある。
 しばしのゲームののち、ケーキを食べた。スポンジは、7号のものが欲しかったのだけど、あれはクリスマスの頃にしかなかなか店には並ばないもののようで(なのでピイガのときには手に入った)、さらには6号もなく、仕方なく5号と4号を買って、スリムな2段のケーキにした。スリムと言いつつ、2段なのでどうしたってかなりのボリュームである。それぞれ8分の1を切り分け、僕はなんとか食べたが、ファルマンは残していた(子どもたちはペロリ)。
 かくしてポルガが12歳。もともと変な子だったのが、近ごろは思春期も相俟って、いよいよ混沌として来ている。自己肯定感が、弱いとか強いとか、もはやそういう次元ではなく、超然としたレベルに達していて、他人としてこの子どもを眺めたら、一体どう育てたらこういう考え方の子になるんだろう、と疑問を抱くだろうと思う。どう育てるもなにもない。自己肯定感が超然レベルの子どもは、親の育て方の方針などには左右されないのだ。左右されるような性分なら、ここまで超然とはしない。古代生物と古代文明が好きで、「らんま1/2」が好きで、藤子・F・不二雄が好きで、好きな言葉は「パラレルワールド」。春からは中学生。周りに合わせてうまくやるタイプではないので、他力本願にならざるを得ないが、いい気性の子が周囲にいてくれればいいな、と思う。

この1週間ほど

 「cozy ripple名言・流行語大賞」と「パピロウヌーボ」を無事に投稿することができた。去年は心身の調子が整わず中止にしてしまったので、今年はそれができた、ということがなにより嬉しい。実際、なかなかの労力である。趣味でブログをやっておいて労力もなにもないだろという話だが、この10日間くらいはそれにかかりきりだったのだ。そこから解放された歓びもまた、全身を優しく包み込んでいる。なによりどちらもとてもおもしろいものに仕上がったという達成感もある。
 この1週間ほどのことをざっと記録しておく。
 先週の日曜日は午後から義両親が子どもを連れ出してくれるというので、ここぞとばかりに、ファルマンと僕は夫婦水入らずでしっぽり、なんてことを本当に実行していたらこんなふうにエピソードを開陳することはしない。現実は、ファルマンは(言うまでもなく)家で過し、僕は意気揚々と、おろち湯ったり館へと繰り出したのだった。この10日ほどは上記のふたつの企画にかかりきりで大変だった、とホザいた舌の根も乾かぬうちに、こんな白状をするというパターン。しかし雲南市にあるおろち湯ったり館は、12月に入ると2階の露天が閉鎖されてしまうので、この11月の最終日曜日は、それを享受する最後のチャンスだったのだ。しかもこの日は月にいちどの薬草湯(今月はどくだみ)ということで、いよいよ久しぶりに行くっきゃなかった。いつぶりの来訪かと言えば、なんと今年初で、去年の大みそか以来である。島根への再移住を決めた際、あのおろち湯ったり館に、車で30分弱で行ける場所で暮すんだな、足繫く通おう、と心に誓ったのに、現実はこの体たらくである。なんだかおろち湯ったり館にも、当時の自分にも、不義理な気がする。それで11ヶ月ぶりの湯ったり館はどうだったかと言えば、これが、本っっ当によかった。やっぱりおろち湯ったり館は夢のような場所だな、という思いを新たにした。プールがあり、サウナがあり、開放的な露天があるのだ。行くたびに高確率で、これ以上に僕の欲求を充足させる施設は他にないな、ということを思う。もう露天は閉鎖されてしまったし、なにより本格的な冬になれば、雲南市のほうへは、道のコンディション的になるべくなら車を走らせたくないので、またしばらく間が空くが、来春以降は今年よりも努めてアグレッシブに訪れようと思った。
 この日の晩は、19時からというゴールデンタイムに、ワールドカップ予選リーグ第2戦のコスタリカ戦が行なわれるということで、当然それを観ながらの晩ごはんということになり、ならばダラダラ食べられるメニューにしようと、たこ焼きにした。これはとてもいい趣向で、日曜日の19時というとても恵まれたタイミングでの試合の、勝てば十中八九決勝トーナメントに出場できるという状況で、しかもドイツに勝ったんだからコスタリカには勝てるんだろうと国民の大多数が信じてやまない、この幸福な夕餉において、たこ焼きは最適なメニューだったと思う。たこ焼きは美味しかった。試合は阿鼻叫喚だった(主にファルマンが)。対戦相手的にも、日程的にも、いちばんいいお膳立てがなされた、この試合がこんなことになるかよ、という感じだった。そのあと寝る前に見た「鎌倉殿」では実朝と公暁も死んで、いろいろ暗く、なんだかとてもダウナーな晩となった。
 第3戦、スペイン戦は、平日の朝4時から開始で、しかも相手はスペインということで、あまり身が入らなかったが、それでもなぜか自然と5時半前あたりに目が覚め、スマホで速報を見たら2対1で日本がリードしていたので、慌ててリビングに行ってテレビを点けた。そして試合終了を見届けた。開催前、コスタリカにはなんとしてでも勝って勝ち点3をゲットし、残りの2試合のどちらかを引き分けにできたらもしかしたら、なんて予想がなされていたのが、結果的には正反対のような結果となり、奇想天外だと思った。アラームが鳴るまで15分ほどあったので布団に戻ると、ファルマンがうごめいていたので「日本がスペインに勝ったよ」と教えたら、しばらくの沈黙ののち、「うぇーっ!」と叫んだ。ちなみにこのとき起き抜けにおかしな動きをしたらしいファルマンは、腰を悪くして、今も背中に湿布を貼っている。サッカーにそこまで興味がないくせに、挙動だけは熱狂的なサポーターなのだよな。
 あとこの期間の日々で特筆すべきこととしては、ちょうど12月に入ったあたりから気温がガクンと下がり、わが家も石油ストーブが稼働しはじめ、いよいよ本格的な冬に入った感がある。そしてまだ体や体制が整っていないせいもあるのだろうが、寒さがとても身に沁みている。筋トレは、厚着でするものではないので、なかなか取り掛かる気力が湧かない。筋トレ自体は、やっていてそう体が温まるものでもないし。冬はどうしても委縮することだ。せいぜい挫けずに明るい気持ちを持って日々を過そうと思う。

フリードの1年点検とたこ焼き

 フリードの1年点検を行なう。もう1年が経ったのだ(正確に言うとまだ11ヶ月くらいなのだが、ちょうどオイル交換のタイミングになったので早々にやってもらった)。フリードは最初こそ軽自動車からの変化で違和感があったが、今ではすっかり気に入っている。車体カラーの黒も、納期的にそれしかちょうどいいのがなかったから渋々の黒だったが、今はもう「黒のもんだな」という気持ちになっている。なにしろ滞在時間が長い(すなわち通勤時間が長い)ので、居心地はどんどんよくなるに決まっているのだった。
 フリードがやってきて1年になんなんとするということは、ファルマンが免許を取得してからも1年が経つということだ。ということは初心者マークを外してもいいということになるが、どうやらファルマンにその気はまるでないようだ。たったいま検索をしたら、初心者マークは1年以内に着けないで運転すると違反だが、1年以上経って着けていても別に違反ではないらしい。じゃあ着けていればいいと思う。客観的に、ファルマンの運転の様を見ていて、心の底からそう思う。ファルマンは子どもを病院に連れていった際、診療の前に付き添いの親も含めての体温検査を求められたが、運転の緊張によるヒートアップのためにとんでもない高温をはじき出してしまい、院内に不穏な空気を漂わせたことがあるため、次からは病院に行くときは額にひえピタを貼っていくことにしている、というエピソードがあり、それを先日の横浜で披露したらとてもウケた。まだそんな塩梅なので、初心者マークは決して外せない。
 午前中にホンダに車を持っていき、代車で帰り、夕方に作業完了の連絡を受けるまでは、家でのんびりと過した。子どもたちは昨日、2回目の新型コロナワクチンの接種を行ない、5歳から11歳までが受ける子ども用のそれなので、ポルガにとっては負担は小さいようだが、ピイガにはけっこう来るらしく(今年も学校では1年生に間違えられたようだし)、しかも昨日から微妙に風邪気味ということもあり(病院でそのことは伝えたが、医師曰く「ぜんぜん関係ないから大丈夫」とのことだった)、今日は不調そうだった。昼はうどんにした。裁縫は、母の日の宿題を終えたので、久々に自分のビキニショーツに掛かることができ、癒された。ショーツ縫ってると、やけに癒される。健全な趣味だな。
 車を回収したあとは、晩ごはん。晩ごはんは、たこ焼きの予定を前から立てていて、ピイガもそれなりに回復していたので、実行した。ただし食卓を一緒に囲むのは僕は止すことにして、しかしたこ焼きを焼く役目は僕なので、どうしたかと言えば、IHクッキングヒーターからたこ焼きの鉄板、材料一式を部屋に持ち込み、工業用ミシンの横のスペースでせっせとたこ焼きを焼いて、焼き上がったらリビングに届ける、という方式にした。なんだかおもしろかった。工業用ミシンのテーブルでパソコンを使う人間はたぶんそれなりに存在するが、たこ焼きを焼いた人類はさすがに僕が初ではなかろうかと思った。たこ焼きはおいしかった。ちなみに今回、ウインナーやうずら、もちたらこ、チーズちくわなど、いつもの具たちにがんばってもらい、とうとうタコを使わなかった。以前から、具の中でタコがいちばん、値段が高いのに人気が低いということが判明していて、それでもたこ焼きという名称を用いる義理からたこは必須としていたのだけど、今回はいよいよ、別にいらないや、となったのだった。まさかたこ社長も、自分の興した会社を追われる羽目になるとは思っていなかったろう。手巻きずしも、刺身はほんの少しでよくて、たらこマヨとか、アボカドとか、納豆とか、卵焼きとか、そんなもののほうが、むしろおいしかったりする。舌がどんどん安くなっているのだろうか。
 そんな休日だった。なんだかあっという間だった。

ポルガ9歳

 当日の22日が水曜日だったので、土曜日にポルガの誕生日の祝いをした。9歳である。しかし8歳が9歳になるのって、どうしたって感慨がない。ひと桁最後の年、というならそれはそうなのだが、それは来年迎える10歳の、10という数字の衝撃に引っ張られているだけの感慨だろう。それにしてもポルガの誕生日は、同時に「東日本大震災から今年で何年になるのか」に思いを馳せさせることだ。
 誕生日が平日なので土曜日にお祝い、といいながら、珍しくポルガには半ドンの授業があった。いまどきの小学校は、道徳やら英語やらプログラミングやら、かつてはなかったカリキュラムが増えたわりに、休日の数は増え、こなさなければならない授業数は汲々らしく、始業式や終業式の日に通常の授業をしたり、こうしてにわかに土曜日が登校になったりするのだった。でもそのおかげで、ファルマンは午前中に仕事をし、僕はピイガとともにお祝いの準備をすることができた。ケーキや晩ごはんの材料を買い、そしてケーキを作ったりした。
 昼過ぎになってポルガが帰ってきたので、すぐに車で出掛ける。昼ごはんは本人のリクエストにより回転ずしなのだった。例のごとく僕は、ほとんど店では食べず、折詰めにして夜に日本酒とともに頂く、ということをしたかったのだけど、今日はこのあといくつかお店に寄ったりする用事があったため、泣く泣く諦め、店で食べた。すしを食べて日本酒が飲めない状況って、どうにもやるせない気持ちになる。
 帰宅後はおやつを食べ、晩ごはんの準備。誕生日のお祝いの日の晩ごはんは、毎年恒例のたこ焼きである。すしも、たこ焼きも、ポルガは本当に食べものとして味が好きというより、細かいものがたくさんあっておもしろいので好きなだけなんじゃないか、と思う。別にいいんだけど。焼くのに時間が掛かるので、早い時間から始めて、食べる。おいしい。ホームたこ焼きは、準備から焼くまで終始面倒だけど、なんだかんだで愉しくておいしい。ただしその愉しさとおいしさが、面倒さに勝つか、といわれるとそこまでではない。子どもが喜ばないなら決してしないメニューだろう。まあ誕生日様のリクエストならば仕方ない。
 たこ焼きのあとはケーキ。今年のケーキは、これも本人のリクエストにより、のび太ケーキ。
 

 何度もいうようにポルガは目下、「ドラえもん」にぞっこんなのだが、それでドラえもんが好きなのかと思いきや、好きなキャラクターは実はのび太なのだという。のび太ってそんな、ドラえもん派のび太派に分かれるような、そういうキャラではないだろう、素直にドラえもんが好きであれよ、と思うのだが、本人の中でそこは譲れないようで、学校の仲のいい友達からも、のび太デザインのマグカップを送られていた。友達に対しても、ドラえもんよりのび太が好きなのだという主張をしているようだ。そんなことあまり知らなった僕は、ドラえもんケーキならば、頭の部分に切ったいちごをバーッとあしらって、赤いのはドラえもんじゃなくてミニドラだけど、そんなふうに仕立てればいいな、と考えていたのだが、急遽のび太に方向転換し、このような仕上がりとなった。いちごはカットせずにまるごとスポンジの間に挟んだ。そのため厚みのあるケーキになった。髪の毛の部分はココアパウダー。ココアパウダーはだいぶ余ったのだが、どうせ20日後くらいに使うんじゃねえの、と思った。まあまあうまくできたと思う。本人の指は、左手はパーになっていて、両手で9を表しているものである。見て喜んでいたのでよかった。味もなかなかよかった。まるごとのいちごが中に入ってるのっていいもんだな、と思った。
 誕生日プレゼントは顕微鏡。いろいろ観察すればいいと思う。
 そんな9歳の祝いであった。8歳からの1年で、だいぶ成長したような、相変わらず甘ったれで幼児じみたところがあるような、微妙な感じ。ほぼ4年生ともなると、同級生の女子の中には、もういっぱしの女子な感じの子も出てきているようだが、ポルガには一向にその気配がない。決して父親の希望的観測ではない。相変わらず昼休みにはひとりで校庭を走っているようだし。

自分のための週末

 土曜日の午前はピイガの幼稚園の土曜参観だった。先月のポルガのそれは、男子がうるさくてストレスが溜まったし、なにより小学生時代はまだまだ続くので、別に観に行かなくてもよかったなあという気がしたが、ピイガの幼稚園の風景というのは、たぶん僕はこれ以降、来年3月の卒園式まで目にする機会がないので、まあ行く意義はあったんじゃないかと思う。とは言えダレた。朝に一緒に登園し、昼前に一緒に降園する、すなわち午前中いっぱいの時間の中で、予定されているイベントの数はきわめて少なく、特に後半の1時間半と来たら「いい天気なので園庭で遊ぶ」という、あまりにも自由度の高い時間の過させ方で、とても持て余した。もはや最後は持ってきた文庫本を読んだりしてやり過した。それくらいやることがなかった。参観はできてよかったけど、40分くらいでよかったな。
 帰宅後はササッと昼ごはんを済ませ、一家で出掛ける。目的地は久しぶりのプール。僕はぜんぜん久しぶりではないのだが、3人にとっては普通に夏の終わり以来のプールである。そもそもプールが好きではななくて、夏の間は子どもを泳がすために仕方なく、という感じで応じていたファルマンを、オフシーズンのプールに連れ出すのは、説得するのにわりと骨が折れたが、行ったら行ったでそれなりに愉しんでいたようだった(でもまた次回も説得するのは大変だろうな)。ポルガは連れていくと、そのたびに徐々に泳ぎが上達する感じがあり、今回も懸念の息継ぎをなんとかこなして、25メートルプールの半分を少し越えるくらいまでは泳げていた。ここらへんの部分を刺激してやると、ファルマンの反応も色好くなるのではないかと目論んでいる。ピイガはビート板を持ってひたすらパシャパシャと愉しそうに泳いでいた。普段からピイガは声がでかいのだが、プールだと一層それが強調され、他の人の声は、水に吸収されてむしろ聞こえづらいのに、ピイガの声だけは高い天井に響き渡るのだった。もっとも幼稚園ではおとなしいタイプなのだが。
 プールを終えたあとは、まだ4時台だったが、そういう気分だったので回転すし屋に入り、おやつとも、夕飯とも言えない、ちょっと不思議なすしをつまんだ。もっとも僕はいつもの、店ではほとんど食べずにせっせと折詰めにすしを詰めていく作業に勤しんだ。ちなみに近ごろ流行語大賞のためにこの1年の日記を読み返しているのだが、春あたりの僕はずいぶん気張って禁酒をしていた。現在は、その禁酒よりも前の時代ほど、勤勉に毎日飲むわけではないが、まあまあ、ほどほど、それなりに、飲んでいる。そのくらいの感じで落ち着いている。これくらいなら悪くないんだろうと思う。
 帰宅したらまだ6時くらい。このままだと寝る前にお腹が空くよなあと思ったので、肉のつけ汁を作ってうどんを茹で、7時すぎに食べた。そのあと、深夜になって折詰めのすしで晩酌を堪能したわけで、この日は朝、昼、夕方、晩ごはん、晩酌で、なんとなく1日5食のような形になった。その、お腹具合が常に2分目から7分目あたりにある感じ、とても心地よいなあと思った。
 明けて今日は、昨日の午前は丸々、父親としての務めに費やしたわけだし、という大義名分もあり、前から気になっていたスーパー銭湯に午前中、ひとりで繰り出す。そしてサウナを堪能した。サウナ内のテレビでは、今日の午前にちょうど開催されていた岡山マラソンの中継番組が流れていた。マラソン中継では、1万人を超えるランナー、それを支える大勢のボランティア、そして沿道から声援を送る人々、などと、大会に関わる人たちのきらめき、みたいなことを盛んにアナウンスしていて、僕はそれを、マラソンコースから車で20分ほどしか離れていないスーパー銭湯のサウナで眺めているのだなあ、と思った。走らないし、ボランティアしないし、応援もしない。ただ自分の快楽のためだけのサウナ。昼近くになると中継番組は終わり、ニュースになって、午後に東京で行なわれる天皇即位パレードの直前情報が伝えられた。こちらでも沿道に人々が集まり、とても盛り上がっている様子だった。それを見ながら、やはり僕は全裸で汗をかいて快楽を貪ったのだった。結局2時間ほども滞在して、堪能した。それだけ堪能しておいて言うのもなんだが、そんなにいい施設ではなかった。というかどうしても、夏に行ったおろち湯ったり館のことが思い出されてしまう。おろち湯ったり館が近所にあればいいのに。
 帰宅後、午後は家でのんびりと過す。子どもたちはふたりで遊び、手が掛からなかった。僕は筋トレをしたり、晩ごはんのたこ焼きの下拵えをしたりした。パレードの様子も少し観た。即位関連の行事の日の天候、5月も、先月も、ことごとく悪かったが、今回はやっときちんと晴れたようで、よろしかったんじゃないかと思った。というわけで晩ごはんはたこ焼き。ポルガがよくせがんでくるので、たまにはやってやるか、という感じでやった。今回、たこ、ウィンナー、チーちく、うずらの卵、といういつもの具材に加えて、前に白玉を作ったときに残って持て余しているこしあんがあったので、それとバナナを和えて、スイーツ系たこ焼きというものを作ってみた。それにはソースやマヨネーズはかけなかったが、こんぶだしの生地に、刻んだキャベツや青ネギ、揚げ玉などは通常通り入れたわけで、結果どのような味わいになったかと言えば、さすがこしあん、といった感じで、すべての要素を押しのけ、同輩であるバナナのことさえも殺し、ぬくもったこしあんの入った粉もんがごく普通に美味しかった。
 そんな穏やかな、したいことをした土日でした。

ポルガ8歳の祝い

 22日が誕生日のポルガの祝いを、日曜日の今日に行なった。
 誕生日プレゼントをまだ買っていなかったので、今日のうちに調達しなければならない。前々からリクエストを訊ねていたが、「なんかおもちゃ」というぼんやりとした答えしか返ってこず、これは要するにあれだな、本人なんにも浮かんでないな、と判断して、こちらで選定することにした。というわけで品物は自転車に決まる。これまで使用していたファースト自転車がさすがにそろそろ小さくなり、と言うか先ごろ三輪車を卒業したピイガに、いまのポルガの自転車をお下がりしてやる必要性が出てきたので、そこから弾かれたポルガに新しい自転車を与えなければならなくなっていたのだった。自転車はどうせ買わなければならないものなのだが、それが誕生日プレゼントという名目と結びつくのならば、買う親としては願ったり叶ったりな話であることは言うまでもない。
 そんなわけで今日は、午前中に近所の店へ、夜のパーティーのための食材を買いに行ったあと、ちゃっちゃと昼ごはんを済ませ、そののちに僕とポルガだけで車に乗り、後部座席を倒して、自転車に乗っては帰れない距離にある自転車屋へ繰り出した。実は買うあてのものは先週に行って目星をつけていた。そのため、入店してこんなスピードで自転車を購入する客がいるものか、という速度で「これください」と話を進めた。買ったのは22型の、紺色ボディーのシンプルなもの。ライトが真ん中にあるタイプで、シュッとしていてかっこいい。俺が子どもの頃にはこんな垢抜けたデザインのものはなかった、と思った。今でも、そんな風に垢抜けていない、ピンクやエメラルドグリーンの、少女趣味のけばけばしいタイプのものも売っているのだが、幸いポルガはそんなものには見向きもしないのだった。3色の中から選べるカゴも、白や明るい茶色ではなく、「黒」と即答していた。紺色に黒いカゴ。飽きが来ず、とてもいいんじゃないかと思う。軽自動車へは、さすがに立てては乗らなかったので、横倒しに乗せて帰った。
 帰ってから、さっそく自転車の試運転をすることにし、それならばということで、近所のホームセンターへ、これまでのポルガの自転車を持っていき、ピイガのために再びそれへ補助輪を取り付けてもらう、ということをする。だから今日は、誕生日プレゼントとしてポルガが自転車を手に入れると同時に、お下がりではあるけれど、ピイガも自分の自転車をゲットした日になった。ポルガは、これまでよりも大きな自転車に、はじめのうちはこぎにくそうにしていたが、やがてすぐに慣れていた。ピイガも補助輪付きなので、当然こげる。ふたりともが自転車に乗れるのはいいが、しかしこの状態は大人ひとりではとても世話をしきれないな、とも思った。特にピイガは三輪車時代から、乗り物を操作するとなると暴走する癖があるため、気が抜けない。
 帰宅後は急いでケーキ作りに取り掛かる。今年のポルガの誕生日ケーキは、これまでのドーム型のヒット君頭部ケーキから趣向を変え、ヒット君の全身像を平面で作ることにした。買ってきた6号のスポンジを、いいようにカットしてヒット君の形を作り、あとは通常のケーキと同じで、苺を挟んだりクリームを塗りつけたりする。そしてチョコペンで顔を描いて完成。予期していたよりもだいぶ、きちんとヒット君の形のケーキに仕上げることができた。
 夕飯のメニューはたこ焼き。これはポルガの熱心なリクエストによるもので、家で作るたこ焼きは面倒くささが強いのだが、たこ焼きが大好きな娘の誕生日くらいは、と一念発起して決行した。してみたら思っていた以上に美味しく、愉しめた。ちょっと一時期やけにホームたこ焼きを頻繁にしていた時期というのがあり、そのせいで食傷気味になっていたのだが、間を空けてみたらぜんぜん悪くないものだった。これからは4ヶ月にいちどくらいはやってもいい気がした。
 そんなわけでポルガも8歳(正確には2日後)。まだ8歳。ハリーポッターの映画が、作りものだと理解していない、そんな8歳という愛しい生き物である。この1年も健やかに成長しますように。