ポルガ12歳と20年間

 過去の日記を読み返そうと思い、さかのぼっていったら、本当に最初のウェブ上の日記というものは、どうにもこうにも残っていないようだった。これからまだ精細に日記を読み返していくつもりなので、その中で不意に新事実が明らかになってくる可能性もあるが、どうも最初は「everydiary」というサービスで、「purope★papiroの日記」というタイトルで書いていたようだ。20歳の頃である。20歳。20歳って、そこまで遠くない、大人の、今の自分と地続きのもののように思っていたが、実はぜんぜんそんなことない。だって20歳当時から、もうぼちぼち20年が経つのだ。安室奈美恵のように、20歳で子どもを産んでいれば、その子どもがもう20歳なのだ。そのくらい、20歳と40歳は離れている。クレヨンしんちゃんの「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」において、大人たちがみんな洗脳されて子ども返りしてしまうシーンで、不良の高校生グループである埼玉紅さそり隊の少女たちまでがそちら側に入っていて、でもそれは5歳児から見れば自然なことなのだろうと思ったりしたが、年齢って斯様に相対的なものだと思う。40歳からすれば、高校生はもちろん、20歳だってぜんぜん子どもだ。子どもだと思いつつ、ではいったい自分は20歳の頃からどこが成長し、どこが大人になったのだろう、とも思う。この人は急になにを言い出したのか、と思われるかもしれない。ポルガが本日、12歳になったのである。ひと回りで、春から中学生で、自分たちは今年40歳になる、などの種々の要素が、なんとなく節目めいた思いを誘発させるのかもしれない。当日がちょうど日曜日という恵まれた暦だったので、スムーズにお祝いすることができた。
 午前中に買い物に出て、昨日までの買い物で準備しきれなかったものを買い揃えた。その際、コンビニにも寄って、ポルガのリクエストの誕生日プレゼント、マリオカートのコース追加パスを買った。元からたくさんのコースがあるのに、さらに新しいコースを追加するのである。現代っ子の情報への貪欲さはとどまるところを知らない。思えば自分がいちばん、あのスーパーファミコンのマリオカートをやっていた時期が、ちょうどいまのポルガくらいの頃だった。
 昼にラーメンを食べ、子どもたちが追加パスで追加されたコースを嬉々としてプレイするのを尻目に、ひとりプールへと繰り出した。平日の退勤後に行かないこともないのだが、正月以来、陽の光を感じながら泳ぐ気持ちよさに目覚めてしまい、休みの日中に行きたがる傾向がある。今日も実によかった。
 帰宅後は本腰を入れて、誕生日祝いの準備をする。すなわち、ケーキ作りとたこ焼きの下ごしらえである。ケーキは、どんなものがいいか事前に本人に訊ねたところ、「こんなの」と図で示され、色とりどりの星が散りばめられたケーキをリクエストされたため、受けて立とうじゃないかと、食用色素とゼラチンを用意し、カラフルなゼリーを作製した。薄いパットに広げて固めたそれを、クッキーの星型で抜き(だいぶ難しかった)、それをケーキの上に載せ、残った部分はフォークでぐじゃぐじゃに剥がし、ケーキの周りに散りばめた。かくしてだいぶ再現度の高い、目下「銀河鉄道の夜」にハマっているポルガの希望に沿うケーキが出来上がった。
 夕方、大相撲1月場所の千秋楽がまだやっているような時間からたこ焼きを焼きはじめ、時間をかけてゆっくりと食べる。おいしかった。時間をかけて食べたら、殊のほか食べ過ぎて、一同お腹がいっぱいになってしまい、すぐケーキに取り掛かるのは無理だということになって、腹ごなしついでに、今度は4人でマリオカートをやった。20歳の僕と今の僕は、19も年が離れているけれど、ポルガとは8しか違わない。当時の自分は、こんなようなものだったのか、と思うと、信じられない思いがする。20歳からの日々には、さまざまなことがあった。プラスも、マイナスも、いろいろ待ち受けていた。日記に書いたこともあれば、書かなかったこともたくさんあるが、本人なので、読んでいく中で自然と思い出される部分も多くあるだろう。それをこれから時間をかけて本格的に読み返していくつもりだが、しかしあの20歳の、青年という言葉もまだ似合わないような自分の約20年後が、長女の12歳のお祝いの日に、家族4人でマリオカートができているのだから、この20年分の文章を読み返す作業には、安心感がある。
 しばしのゲームののち、ケーキを食べた。スポンジは、7号のものが欲しかったのだけど、あれはクリスマスの頃にしかなかなか店には並ばないもののようで(なのでピイガのときには手に入った)、さらには6号もなく、仕方なく5号と4号を買って、スリムな2段のケーキにした。スリムと言いつつ、2段なのでどうしたってかなりのボリュームである。それぞれ8分の1を切り分け、僕はなんとか食べたが、ファルマンは残していた(子どもたちはペロリ)。
 かくしてポルガが12歳。もともと変な子だったのが、近ごろは思春期も相俟って、いよいよ混沌として来ている。自己肯定感が、弱いとか強いとか、もはやそういう次元ではなく、超然としたレベルに達していて、他人としてこの子どもを眺めたら、一体どう育てたらこういう考え方の子になるんだろう、と疑問を抱くだろうと思う。どう育てるもなにもない。自己肯定感が超然レベルの子どもは、親の育て方の方針などには左右されないのだ。左右されるような性分なら、ここまで超然とはしない。古代生物と古代文明が好きで、「らんま1/2」が好きで、藤子・F・不二雄が好きで、好きな言葉は「パラレルワールド」。春からは中学生。周りに合わせてうまくやるタイプではないので、他力本願にならざるを得ないが、いい気性の子が周囲にいてくれればいいな、と思う。