3連休

 連休はがっつりと休んだ。
 初日は少し気張って、片道1時間以上かかる先にある大型公園に繰り出そうと目論むが、準備中にポルガの精神が爆発して、靴下を穿くだの穿かないだのという、死ぬほどどうでもいいことで出発が遅れ、車内でもずっとブスッとしていて、そんなんならじゃあもう今日は中止にするよ、いま謝ったら許してあげるよ、というやりとりを10回以上繰り返すも、とうとう最後まで謝らなかったので、家から20分くらいのところで本当に引き返すことになった。午前中はそんなことで潰れてしまい、心底うんざりした。
 家に帰ってから、とばっちりで公園を逃したピイガを連れて、近所の公園にふたりで行く。先週の公園には、雲梯はあったが鉄棒はなく、こちらには雲梯はないけれど鉄棒があるので、この日は思う存分に鉄棒をするところを見た。それにしても鉄棒に嵌まっているという話を聞いて、鉄棒に嵌まるってどういうことやねん、と感じていたけれど、それは僕が鉄棒でできることがあまりにも少なく、鉄棒という器具になんの発展性も見出せなかったからなのだと、ピイガの遊ぶさまを見ていて分かった。鉄棒って、遊べる子はこんなに愉しそうに遊べるものなのか、と感心した。鉄棒は低・中・高と並んでいて、中の時点でピイガの身長よりもだいぶ高いのだが、ピイガは片手を高く持ち上げてジャンプをし、指先でなんとか棒を掴むと、そこからグイと自分の体全体を持ち上げ、足を引っ掛け、背よりも高い鉄棒でグルグルと回転するのだった。マジですごいと思った。なるほどあれならば鉄棒は愉しい遊具になるだろうな。
 帰宅してから午後は、パピロウヌーボのことをやったり、夕飯の下拵えをしたり、まだ消化しきれていない「西郷どん」を観たり、だらだらと過した。夕飯は、煮豚を作ったのでラーメンと、チルドの餃子。「まんぷく」を観ている影響で、ラーメン欲求が高まって困る。なんだかNHKのドラマばかり観ているな。
 夜はたっぷり夜更かしし、零時過ぎにパピロウヌーボを無事にアップする。やー、今年も無事に終わった。これはハロウィンとか秋祭りとかと同じ、パピロウというブログ農家の収穫祭みたいなものだな、と思う。だから無事に執り行なえることがとてもめでたい。
 2時台に寝て、9時台に起きる。ファルマンは「私はこれが理想の生活のリズムだ」と言う。たしかになあ、という気もするが、しかしそれは普段、零時前に寝て6時台に起きる暮しをしているから、そこからの逸脱としての価値が出て充足感があるんであって、普段からずっと2時ー9時で暮していたら、それはそれで規則になって、喜びは伴わなくなり、予定のない日は4時ー11時を有難がるようになるのではないかとも思う。
 なんてことを言いつつ、実はこの日の午前、僕には予定があるのだった。とは言え「午前」というざっくりした予定なので、目覚ましはセットしなかった。予定とはインフルエンザの予防接種である。去年の悪夢を経て、今年のわが家は全員がきちんと予防接種を受けることにしていて、まだなのは僕だけなのだった。というわけで予約していた近所のクリニックへ。予約と言っても、この日に受けに行くのでワクチンを確保しといてくれ、という感じの予約なので、けっこう順番を待たされた。土曜日に予防接種を受ける必要のある勤め人以外にも、普通に風邪が流行っているようだった。タブレットは持ってきていたが、本は持っておらず、タブレットでの時間潰しというものに慣れていないので、見たいインターネットのページも思い浮かばず、退屈した。そうしてずいぶん待って、いざ呼ばれたら一瞬の出来事だった。典型的な病院あるある話である。
 その帰りにスーパーで天ぷらを買い、昼ごはんは天ざる。休日は普段の鬱憤を晴らすために、献立が偏執的なまでに麺類中心になる。おいしかった。
 午後から車でちょっと出掛け、図書館に行ったり、瀬戸内海をバックに年賀状用の写真を撮ったりする。まあまあいいものが撮れたので、この日の写真で決まりそうだ。晩ごはんは、子どもたちには肉野菜炒め、大人には豚キムチを作る。ずっと切望し続けているキムチ鍋には、いつまでも到達できないのだけど、豚キムチは、こうして自分で料理をするときに、手間だけど子どもたちと分けて作ることでなんとか実現することができた。おいしい。豚バラとキムチはひたすらおいしい。ビールがぐいぐい進んだ。
 翌日の今日は、子どもたちが縫いものをしたいというので、エプロンを作ることにする。子どもたちの体に合わせて型紙を作り、裁断をして、袖もなければ前身頃と背身頃の縫い合わせもないエプロンというのは、それでほとんど行程がおしまい、という感じはあるのだけど、ポケットを縫い付ける工程を子どもたちにも手伝わせた。ポルガはもうひとりでそれなりにやるのだけど、ピイガはもちろんできるはずもなく、しかし私もやりたいという意欲だけはあるので、仕方なく一緒に椅子に座り、フットスイッチを踏むことだけをやらせた。なので僕は、4歳児の踏むフットスイッチに合わせて布を動かし縫うという、とても緊張感のあるシチュエーションで作業をすることとなった。それでもなんとか無事に完成する。これも近日中、「nw」にアップしようと思う。
 貴景勝の優勝を見たあと、炒飯と中華スープの夕食。煮豚たっぷりの炒飯がとてもおいしかった。炒飯は溜まっていた冷凍ごはんで作ったため、この3日間を僕は、いちど3合の米を炊いたきりで乗り切った。そのくらい麺ばかりを食べた。
 晩ごはんのあとはトランプをしたりして、平和に過ごした。初日の午前にあんなことがあって、どうなることかと危ぶんだが、尻上がりにいい具合になった3連休だった。いい具合に癒された。

晩秋公園

 のんびりと図書館と公園に繰り出す。11月の過ごしやすい気候だった。
 図書館では小説を何冊か借りる。この半月ほど、自分の1年間の日記を読み返す必要があったこともあり、本を本当にまるで読まずにいたら、さすがに暮しが味気なく物足りない気がしてきたので、読書欲が高まった。それで吟味して借りた。心が充足するような読書ができればいいと思う。
 公園では遊具でひとしきり遊ばせる。ポルガは相変わらずアスレチック系の遊具に目がないのだが、ピイガは近ごろになって、鉄棒と雲梯に嵌まっている。セレクトが質実剛健でかっこいい。今日の公園で初めてピイガが雲梯をするところを見たが、それはもうスイスイと、端から端までを腕の力だけで伝って進んでいたので、びっくりした。子どもは体が軽い、とは言うものの、僕なんかは子どもの頃だってあんなものはいちどもできたことがない。両手でぶら下がるだけで精一杯で、一瞬片手になって次の棒へ進んでいくなどという行為は、自分とは完全に別世界の話だと思っていた。それなのに娘はできる。ポルガはこれまで雲梯なんて見向きもしなかったが、ピイガがあまりにも愉しそうにやるので触発されたか挑戦してみた結果、こちらもわりとできていた。信じられない。ここは完全にファルマンの遺伝子だ。研究所のゴリラと生殖した果以があった。
 そのあとはがらんどうのような広場にレジャーシートを広げ、昼ごはんを食べた。持ってきたのは炊飯器に残っていたごはんで作ったおにぎり4つきりで、これだけだともちろん足りなくて、家に帰ったあとに半端な軽食を取る必要が出てくるなあと思っていたところへ、園の端の木立の向こう側にコンビニの看板を見つけ、色めき立つ。そしてサンドイッチやフライドチキンを買い足し、ちゃんと昼ごはんにすることできた。たまに食べるコンビニのジャンキーなフライドチキンはおいしい。外で食べるからなおさらおいしい。
 腹ごしらえを済ませたあとは、写真撮影タイム。僕はやっぱりLINEの画像を自分がバトンを華麗に回している姿にしたいという欲望があり、ファルマンに撮影してもらう。そして子どもたちに関しては、もうそろそろ来年の年賀状のそれを撮らなければならない時期になってきたため(11月中盤あたりから、運営ブログの企画、クリスマス、正月、そして子どもらの誕生日と、こなさなければならない事項がいろいろ出てくる)、それを目論んで写真をたくさん撮った。結果として、前者はなかなかいい写真が撮れて、それはもう背景画像に設定した。後者は、まあこれでも悪くはないかなー、というものはあったのだが、もう少し粘ってみようということで、その画像で早速年賀状のデザイン作成を始める、ということにはならなかった。ちなみに夏の終わりあたりに作ったポンチョを着せていたので、今日撮影した後ろ姿の写真で、そのうち「nw」に記事を書こうとは思う。
 帰宅後は撮った写真をパソコンに取り込んでみんなで眺めて笑ったりして、ゆるゆると過す。そう言えば今日は午後に酒を飲んだり昼寝をしたりしなかったな。
 晩ごはんは鍋ラーメン。どうもここ2回くらいの鍋ラーメンはあっさりしていてコクがないという不満があったので、コクを出すにはどうすればいいかと考え、ちくわをたくさん入れてみる。その結果かどうかは分からないが、満足いく出来になり、感動しながら食べた。家族であたたかいものを囲んで食べるのは嬉しい。

大改造

 疲労困憊である。断行したのである。わが家の大々的な模様替え、もとい改造をである。もはや模様替えなどというゆるやかな表現ではふさわしくないほどの大事業、聖域なき改革だった。これによりこの住まいでのわが家の暮らしは、第2部へと転換したと言っていい。
 なんてったって2段ベッドである。これを導入するにあたり、これまでひとつの部屋に3つ並べていたベッドが、ひとつでよくなった。そうしてベッドがふたつなくなった部屋に、僕とファルマンの机を持ってきた。ここはこれから僕とファルマンの部屋になるのだ。かくして僕とファルマンの机(すなわちパソコン)は、普通に横に並ぶことになった。向かい合わせ、背中合わせ、角突き合わせ、これまでいろいろなフォーメーションを取ってきたが、横並びはというのは実は初めてである。互いの画面が簡単に視界に入るのが、なんとなくまだ慣れない。これじゃあ自由奔放に本能の赴くままのページは開けないじゃないか、と思う。いっそパーテーションで仕切ろうかとさえちょっと思う。しかし部屋の状態そのものはとても快適だ。なにしろこの部屋には子どものものが一切ない。折り紙作品がセロテープであちこちに貼られたり、レゴが落ちていたり、そんなことがまるでないのだ。それだけのことで部屋というのはとても快適になる。もちろんまだ完全に整ったとは言い難く、これからさらにどんどん心地よくしていこうと思う。そうだ、自分の家というのは、そして部屋というのは、居心地がよくて心が安らぐものだったのだな。この数年、そのことをちょっと忘れていた。
 僕とファルマンの机が立ち去り、これまで家族4人の机が結集していた、通称「机部屋」が、今後は子どもたちの部屋ということになる。それで親の机があった場所に2段ベッドを配置、ということなら話は簡単だったのだけど、エアコンの位置の事情などからそうはいかず(上段で寝るポルガに風があまりにも至近距離で当たってしまう)、そのため一念発起して、その反対側の壁をほぼ塞ぐようにして聳える2台の本棚を、動かすことにする。これが本当にもう、重労働だった。もちろんそのままでは動くはずもなく、ぎちぎちに詰まった本を、いちど全て取り出す。空っぽになってようやくなんとか動かせる重さになり、想定の位置に移したあとは、また取り出した本を入れ直さなければならない。この作業でくたくたになった。
 ここまでが終わって、土曜日の、夕方だった。もちろん翌日の日曜日もあるのだが、もうベッドを解体してしまっているので、子どもたちの寝床は作らなければならず、「こ、このヘロヘロの体で、これから2段ベッドを組み立てるだと……?」となった。最奥にいるボスと戦うためにダンジョンを突き進んだら、ボスのもとにたどり着いたときにはもはやボロボロ、みたいな状態。それでもやるっきゃないのでがんばった。とは言え、物が大きいし箱の数も多いので怖気づいたが、それでも説明書通りに作ればいいのだから、話せばわかる相手だった。それより本棚の移動のほうがよほど大変だった。
 かくして2段ベッドが完成する。おおー、となった。ファルマン家にはあったらしいが、僕の家にはなかったので、2段ベッドというものに馴染みがない。家に2段ベッドがあるというのはこういう感じか、と思った。2段でなくしたあとも長く使えるようにと、奮発してけっこういいものを選んだので、見栄えがいい。子どもたちももちろん大喜びだった(組立作業中も、何度注意しても乱入してきた)。
 当夜は、子どもたちは無事に寝られるだろうか、初日に躓くと尾を引きそうだな、と危ぶんだが、子どもたちにも模様替えの手伝いでそれなりに疲労があったのか、無事に寝た。朝方に目を覚ましたピイガが少し泣いただけで済んだ。
 日曜日は、本棚を移動したりベッドを作ったりという大々的な作業ではない、しかし諸々の必要な作業をひたすらやった。これは達成感がないし、地味にすごく疲れる。ファルマンは引っ越し狂なのでこういう作業は得意であり、バリバリとやってくれたが、僕はだいぶ引け腰で、子どもを連れてスーパーに行ったり、料理をしたり、ブックオフに本を売りに行ったりして、それなりにサボった。適材適所ですね。
 そんなこんなで、とても疲れた週末だったが、無事に大事業が成った。よかったよかった。

週末

 ようやく新しいパソコンが整う。ああパソコンいい。Windowsの世代が変わったので、それでどうしたって違和感というのはあるけれど、それでもやっぱりパソコンはいい。タブレットでもインターネットはできるし、文章作成もできるのだけど、どうにも没入できない感じがあった。パソコンが扉だとすれば、タブレットは窓のようなイメージ。窓からでも中は覗き見ることができるし、言葉をかけることもできるし、ちょっとした物なら受け渡しすることもできる。でもそれって正式じゃない。ちゃんと玄関から入ってないから、お互いに雑な感じの応対になる。急いでいるときなど、むしろそっちのほうがいい場合も当然ある。ただ情報を得るためなら、それでいいのだ。でもきちんとなにかをしたいのなら、タブレットやスマホではなかなかできない。どうにか発信しようとあがいたところで、それは140文字程度に収束されるだろうと思う。
 先週の土曜日は午後から公園に遊びに行った。気候がすばらしい。いま貪欲に公園に繰り出さなくてどうする、という気候である。思う存分に子どもを遊ばせた。この「思う存分」は、あくまでこちら側の思う存分であり、子ども(特にポルガ)は常に「そろそろ帰るよ」と声をかけると渋るのだった。あちら側の思う存分とは、力尽きて倒れるまでなのだろうと思う。
 夕飯は天ぷらとうどん。ザルではなくツユのうどんで、海老やら舞茸やら人参と玉ねぎのかき揚げやらは、そこに突っ込んでもいいし、塩をかけて食べてもいい、という感じで食べた。おいしかった。ツユと言えば、母が先日、焼いたクッキーやパンを送ると予告してきたので、「それならば一緒ににんべんのつゆの素を送ってくれ」と頼み、西日本ではなかなか手に入らないそれを送ってもらったのだった。それで1リットルボトルのそれを、晩酌でザルそばをするときなど、チビチビと使っている。懐かしい味でおいしい、ような気がする(いざ味わってみたら、そこまで敏感な舌の持ち主でもなかった)。でもこれは貴重なので、家族でこうしてうどんを食べるときなんかには使わない。こっちのスーパーで売っている普通のめんつゆを使う。めんつゆは開封してから長くもつものでもないので、たぶん僕はこれを、ケチるあまり最後ダメにするのだろうな、という予感がしている。
 そのあと21時頃になって、三女がやってくる。三女は翌日に岡山で行なわれる友達の結婚式に参加するため、姉一家の家に前泊しにきたのだった。姉一家すげえ便利だな、とも思うが、三女ならば姉一家が岡山にいなくても、いくらでも他の友達クーポンを持っているのだろうという気もする。それにしたって、まるでサークル活動かのように、結婚式に頻繁に参加することだと思う。あの一団のそれというのは、俳句結社の句会のような感覚なのかもしれない。
 三女にもうどんと天ぷらを出して、日本シリーズの最終戦を眺める。結局ソフトバンクが勝利。第1戦と第2戦で、これは去年までの「パ・リーグに勝てる気がまるでしない感じ」がないぞ、いけるかもしれないぞ、と思ったのだが、やっぱり勝てなかった。セ・リーグで圧倒的に強かった広島が歯が立たないのだから、来年以降もセ・リーグが勝てるイメージが湧かない。
 翌日は三女を式場近くの美容院に送ったあと、わが家はカラオケへと繰り出した。今回はいつもと違う店に行ったら、部屋の狭さにびっくりした。もっともいつも行く店の部屋が異様に広いのである。子どもは踊り、僕もバトンを回せる。それくらい広いのだ。あれが普通のように思ってしまっていたため、今回久しぶりに「通常のカラオケの部屋」を体験して、ちょっとショックを受けてしまった。そこはかとない関係性の男女グループで行けば、あの閉塞感がプラスに作用するのかもしれないが、ファミリーにとっては手狭なだけだった。やっぱり今後はいつもの店に行こう。
 唄ったのは、以下の通り。
 「テルーの唄」(手嶌葵)は、1曲目としてはよろしくなかったし、それに前回の歌唱でもう旨味はぜんぶ味わい尽くしたのだな、と思った。メンツが違えばまた成立するのだろうが、「カラオケで「テルーの唄」を歌うおもしろさ」はもう発生せず、場をぼんやりとさせてしまっただけだった。
 2曲目は「ALIVE」(SPEED)。我ながら、俺はSPEEDを唄うのかよ、と思う。もちろん世代的にはドンピシャなのだが、唄おうとするかよ、三十代半ばになって逆に、ということを思う。途中のセリフ部分「愛は生きてる ずっとこの思いは胸に息づいてる ALIVE」を、「愛は生きてる 女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある ALIVE」とする、というのを、カーオーディオで曲を聴きながらずっと目論んでいて、実際に妻と娘とのカラオケにおいて実行した。
 3曲目は「硝子坂」(高田みづえ)。4曲目は「COLORS」(宇多田ヒカル)。5曲目は「ボーイフレンド」(aiko)。
 我ながら選曲がよく分からない。どうなりたいのか。そのあとは唄ったことのある歌や、会ったことのない三女の友達に捧げる「てんとう虫のサンバ」なんかを唄った。まさか三女の友達(新婦)も、こんな風に知らない年長者に結婚を祝われているとは夢にも思うまい。
 午後は家でのんびり。ミネストローネを作るべく野菜を刻みながら、溜まった「西郷どん」を少し観たりした。そのあと昼寝もして、起きてからミネストローネや炊き込みご飯んの夕飯。
 まあそんな感じの週末だった。なんとも散漫な日記になった。ブランクが空いて、まだブログにチューニングがちゃんと合ってない感じがある。ちょっとずつ調整したい。なにしろもう11月に入っている。11月に入ったということは、恒例行事の準備をし始めなければならない。