夜リフト体験

 土曜日、わが家にしてはとても珍しく、夜に出掛ける。三瓶山リフトにおいて、オリオン座流星群を観測するため、夜間の特別操業があるとのことで、それはいい思い出になりそうだということで、出向くことにしたのだった。
 家を出たのが18時過ぎ。もうこの時点でだいぶ薄暗かったし、走り始めてすぐに猛スピードで日は完全に沈んだ。さらには、家から三瓶山方面に向かうとなると、その道程はほぼほぼ山中と言ってもよく、なんだかとてつもない暗さだった。他の車もほとんどなく、人類はわが家だけを残して滅亡したのではないかと思った瞬間が多々あった。
 出発前にホームページで中止にはなっていないことを確認していたが、雲が多く、時おり小雨が降るという、天体観測にはとても悪条件だったせいか、本当にリフト乗り場の直前まで催し物がなされている気配が一切なかったため、なんだかハラハラした。夜の山に、リフトのレーンに取り付けられているのだろう点々とした灯りを目にし、そして駐車場にそれなりにわが家以外の人類の車が停まっているのを見て、ようやく安心した。
 おそらく流星群の観測は無理だろうと既に諦めていたが、もとより僕自身としては、そちらよりも夜のリフトという体験のほうに比重を置いていたので、あまり支障なかった。チケットを購い、乗車する。もちろん待ち時間とかそういう次元の世界線ではない。
 リフトはふたり乗りで、話し合いののち、僕とポルガ、ファルマンとピイガという組み合わせで乗ることにした。リフトに乗ったのは、僕は鳥取砂丘以来だ。ファルマンと子どもたちは、実はちょうど1年くらい前、まさにこのリフトに、義両親とともに乗ったらしい。「けっこう怖いよ。あなた無理なんじゃない?」と、ファルマンから高所恐怖症の性質を揶揄され、貶められたのだけど、乗ってみたら別にぜんぜん大丈夫そうだった。リフトは、たしかに高度をどんどん上げていくけれど、なにぶん山の傾斜に寄り添っているので、地面は常に2メートルほど下にあり、これなら落下したところで死ぬわけではないからへっちゃらだな、と思った。それを隣に座るポルガに伝えたら、「じゃあ後ろを見てみなよ」と言うので背後に目をやったら、駐車場の灯りは思っていたよりも低い場所にあり、少しだけゾワッとしたけれど、それでも取り乱すほどではなかった。しかしながらリフトの終盤、最高地点付近になると急に傾斜が激しくなって、このときだけは地面との間隔がだいぶ空いたため、許容範囲を超えた。この傾斜の激しさはリフトのワイヤーの限度を超えているので、ある瞬間にぶちっと切れてしまうに違いない、と思った。そのため頂点まで到達し、降りたときには、左に避けてすぐ、しばらくうずくまった。なんだかんだでやっぱ怖えよ、と思った。うずくまる僕の姿を見て、ひとつ後ろのリフトでやってきたファルマンは驚いていた。
 それから、地面を踏みしめる喜びを感じながら、リフトの乗降場からさらに山頂を目指す。山頂にある展望台みたいなエリアまでは階段が整備され、足元にも道しるべとなる灯りが灯されているのだった。展望台エリアに辿り着くと、なにしろ暗いので全貌は掴めなかったけれど、たぶん20人くらいの人がいて、流星群を観るために待機しているようだった。しかし雲はだいぶ厚く、流星群に限らず、ロケーション的には満天の星空が見えて然るべきだというのに、それさえほとんど見えない。なにより月さえ隠れてしまっていては、流星群など夢のまた夢のように思われた。これはもう登る前から覚悟していたので、そのさまを目の当たりにするやいなや、寒さもあり、早々に下山することにした。
 ふたたびリフト乗降場へと戻り、今度は下りのリフトに乗る。これが、これがもう、思い出しただけでも体が強張るほどにおそろしかった。地面が常に寄り添った登りに対し、下りのそれは地面から遠く離れ、視界は絶望的な中空であり、体感的には完全に浮遊であった。あとからファルマンに訊ねたところ、これでも暗くてよく見えない分、日中よりは怖くないのだそうで、じゃあ僕は冗談じゃなく、日中にこれに乗っていたら気絶していたかもしれないと思った。数メートルの間隔があるファルマンたちのリフトまで、僕の奇声は届いたらしい。体に変な力が入り、腰が痛くなった。どうしても、どうしても巨根過ぎるせいで、こうなってしまう。こんなことなら巨根でなければよかったとは決して思わないが、それでもこのときばかりは神の意図が恨めしくもなる。先週の日御碕は経験則から回避したため、高所の恐怖を味わったのは久々で、ちょっと喉元を過ぎかけていた感があったけれど、やっぱり飛行機なんて絶対にあり得ないな、と再認識した。そんなリフト体験だった。
 リフトの恐怖はひどかったが、夜の人類滅亡ドライブも含めて、家族の懐かしい思い出のひとつになったんじゃないかと思う。行けてよかった。ちなみに晩ごはんは、帰ったらすぐに食べられるよう、事前におでんを拵えていて、これがとてもよかった。寒くて暗くて高くて怖かったリフトも、帰ったらおでんを温めて食べ、まずビールを飲んで、そして次に熱燗を飲むのだと思い、なんとか耐えられた。無事に帰宅し、実現したそれは、果たして至福であった。愉しい夜だった。

日御碕へ

 すっかりいい季節になり、各地でいろいろなイベントが行なわれていた。かなり目移りしたが、結果として、なぜか特になんの催しもやっていない日御碕へと足を運ぶことにした。
 途中の出雲大社では、駐車場に入る車による渋滞に巻き込まれ、道の選択を失敗したと思った。出雲大社の駐車場に入るための渋滞に、出雲大社に行かないのに巻き込まれるバカらしさ。なんとかそこを通り抜け、稲佐の浜を右に曲がると、右手になにやら行列が見える。なんだろうと思っていたらファルマンが、「あれは去年ピイガがカニを当てたやつだ!」と気付く。僕は参加しなかったので場所が分かっていなかったのだが、なぜか引き寄せられるように日御碕に行くことにした今日、ちょうど開催中のその横を通り過ぎたのだった。なんか運命的なものを感じずにいられない。こうなると今年もくじを引いたら当たったのではないかという気もするが、行列はその時点でだいぶすごいことになっていたので、並ぶ気にはならなかった。
 日御碕に行くのは、検索したところ日記には書いていなかったが、2020年の8月以来である(2021年の日記に、「去年の夏に日御碕灯台に行った」という記述があることから判明した。なぜ当時に書いていなかったかと言えば、コロナ禍で、県外に出たことはあまり大っぴらに言えない社会情勢であったことに加え、6月から無職になって、世間の夏休みが終わったら本格的に就職活動を始めなければならないという、なんとも嫌な精神状態での出雲帰省だったという、二重の理由があると思われる)。つまり3年ぶり。そう滅多に行く場所ではないので、行くたびに、たどり着くまでの道のりの大変さに驚く。それでも倉敷時代も含めて地方暮しももうわりと長いのでだいぶ耐性がついているが、僕はここに、大学生の頃にも来ている。もちろんそれが初めての日御碕であったが、ファルマンの帰省について数日実家に泊まることにした際、「日御碕に行くといいよ」と両親が車を貸してくれ、ファルマンとふたりで行ったのだ。横浜在住の、普段そこまで運転しない大学生に、両親はなぜあんなに気軽に車を貸し、そしてこの道のりのスポットを薦めたのだろうか。今となっては謎だ。僕が親の立場だったら、絶対にそんなことはさせない気がする。
 久しぶりの日御碕は、別になにも変わっていなかったが(星野リゾートのホテルは去年開業したらしいが)、3年前の来訪が、精神状態があれだったし、真夏でたぶん怠かったしで、あまり印象に残っていないこともあり、新鮮で愉しめた。灯台には登ることができるのだが、3年前、料金を支払って登りながらも、外の展望テラスには恐怖心から出られないという出来事があったので、今回は挑戦さえしなかった。ファルマンと子どもたちだけで登り、僕は地上からその写真を撮った。
 

 撮りながら、この天高くまっすぐ聳え立つ感じは、男性器のメタファーとして、LINEのアカウント画像にすると縁起がいいのではないか、セクハラではなく、セクハラと感じたのだとしたらそれはそう感じたあなたの頭が腐っているからじゃないですかと言える絶妙のラインではないか、展望テラスによる膨らみがちょうどカリ首っぽくてありがたいなあ、などと思ったので、家族関係なく何枚か撮った。とんびも写り込んだ。
 そのあとは崖のようになっている海岸線をぐるりと歩き、駐車場へと戻った。日本海らしい、打ちつける波のさまが絶景だった。日御碕、3年にいちどくらい来るとなかなか愉しめる。その程度の思い入れしかないが、アカウント画像にするやもしれない。誰が日御碕灯台やねん。スカイツリーやっちゅうねん。

10月の3連休

 3連休であった。中日以外はまあまあ天候に恵まれ、なにより気候がとてもいいので、普通に考えれば公園などに繰り出していたに違いなかったが、上の子は中学生になっていて、そして試験前期間なのだった。切ない。ごく普通に、「遊ぼうぜ」と家に誘いに行ったら、「ごめん、塾なんだ」と断られた少年のごとく切ない。そっか、もう俺たち、これまでとはちょっと変わっちゃったんだな……。もっとも当のポルガが、塾に行っているわけではないし、「勉強しなきゃいけないから」とこちらの誘いを拒否するわけでは決してない、というのが、父親として、どう捉えていいのか微妙なところだ。「ポケモン観るー」とか「ぷよぷよするー」などと無邪気にのたまう様子に、安心するような、不安なような。
 それでもどこにも行かなかったかと言えば実はそんなことはなくて、初日の土曜日は松江に繰り出し、この日と翌日の2日間、くにびきメッセで行なわれた「みらいキッズラボ」というイベントに参加した。子ども向けの企業博みたいなもので、2年前に出雲ドームで行なわれた同じようなイベントにも行ったが、それをふた回りくらい大きくしたような感じだった。ふた回りくらい大きいという印象がどのあたりに起因するのかと言えば、10時開始のところ9時50分くらいに会場に到着したら、オープニングセレモニーが執り行なわれていて、そこには松江市長と島根県知事がいたという、そのあたりだ。支持者でもなんでもないが、県知事って、見るとちょっと「おっ」となると思う。セレモニーが終わるとゲートが開放され、並んでいた人たちが順番に、ブースが立ち並ぶエリアへと進んだ。この際、セレモニーの立ち位置のまま、テープカットに参加していた知事や地元劇団の子どもたちに拍手されながら入場することとなり、知事の目の前を通過しながら、どんな顔をしていいのかさっぱり分からなかった。こんな事態は想定していなかった。10時開始で、駐車場が満杯だったり、ブースがどこも行列だったりしたら嫌だし、午後から松江ではスサノオマジックのシーズン開幕戦があるというので、どこまで影響があるのか分からないが、巻き込まれたら嫌だから早めに切り上げたいね、というくらいの気持ちで、9時50分に到着したのに、絶対的な人数の少なさゆえか、「オープン前から意気込んで並んだ猛者」のようになってしまった。しかしそのおかげもあって、3つ4つ、待ち時間なく体験ブースを回ることができた。時間が経つにつれてさすがに人も増えてきて、ブースに行っても「30分待ちです」なんて返事が来るようになってきたので、まあこのあたりが潮時だろうと、上客のように(1円も使っていないが)スッと会場を出た。まあまあ愉しめた。
 そのあとはスーパーに寄って、昼ごはんの買い出しをし、帰りがけの公園でそれを食べるつもりだった。しかしその目的で立ち寄った公園、「古墳の丘 古曽志公園」に近寄ると、なんだか様子がおかしくて、「フェス会場 こちら」などという看板が立っている。慌てて検索すると、ちょうどこの3連休で、この公園を会場に音楽フェスが行なわれているらしかった。古墳が再現されていて、そして宍道湖が見下ろせるという公園に魅力を感じ、ぜひそこでお昼ごはんを食べようと目論んでいた一家を襲った悲劇。たまたま行こうとしていた公園でフェスて。仕方なく別の場所を探すことにした。ちなみにタイムテーブルを見ると、初日の正午あたりのこの時刻、出演者の中でたぶん一番の目玉であろう、PUFFYがやっているところだったよう。PUFFY! へえ!
 それで次にどこへ行こうと思ったかと言えば、先ほど目にした知事にも関係する場所だが、宍道湖のほとりにある道の駅、秋鹿なぎさ公園で、これも同じく2年前、カヌーをしに行った場所であり、ここと知事がどういう関わりかと言えば、ここはあの、ちょっと全国ニュースにもなった、段ボール授乳室が設置され、批判が湧いたが、それに対して知事がちょっと格好いいことを言って株を上げた、あの道の駅であり、別に来るつもりはなかったのだが、来たからにはせっかくなのでひとつ実物を見てみようじゃないかとも思った。しかしあのニュースが話題になったからなのか関係ないのか分からないが、駐車場が満杯で、先ほどの公園に続き、こちらにもフラれてしまった。仕方なく昼ごはんは車の中で食べた。
 次の日は僕自身はとてもインドアだった。ファルマンと子どもたちは、いつもの科学教室や、ポルガが図書館で勉強をするというのでその送迎をしたりして、わりと家にいなかった。それで僕はどうしていたかと言えば、借りてきた大河ドラマのDVDを観ながら、裁縫をしていた。つまりいい休日の過し方をした。作っていたのは、珍しく下着でも水着でもなく、久しぶりのキャスケットで、自分用のものがほぼ完成する。なかなかいい出来だが、作りながらひしひしと感じていたこととして、なんだかとても派手になってしまった。あまりに特徴的なので、これはさすがにちょっと「nw」にアップしづらい。まるでタイムボカンの主人公のコスプレのようだな、ということを思い、画像検索したところ、しかし歴代シリーズであまりそれっぽいものを被っているキャラクターはいなかった。それでもタイムボカン味が拭えないので、言うなればこれはタイムボカンの主人公の概念のコスプレだな、などと思った。
 夜はラグビーワールドカップの、予選リーグ最終戦、アルゼンチン戦を観るぞ、と思い、実際に観始めるが、野球にしろサッカーにしろバスケにしろ、結局のところ僕はスポーツに関する素養が欠けているのだろう、観戦中ってなにをすればいいの? という状態になり、十数分で観るのをやめてしまった。なにをすればいいもなにも、ただ観戦をすればいいのだろうが、それができないのだった。結果は敗北で、そうか、と思った。
 明けて今日、3連休最終日は、なんてったって出雲駅伝が開催されたのだった。ファルマンの両親は沿道での応援に繰り出したそうで、テレビ中継にも入り込んだらしい。わが家はもちろんそれはせず、交通規制のエリアや時間帯を避けるように、買い物などをこなした。3時のおやつには、わざわざケーキ屋で購ったロールケーキを食べた。この3連休、家に長くいたので、なんだかやけにコーヒーを飲んだのだけど、コーヒーの受け菓子としてハイカカオチョコレートをせっせと食べながら、じわじわとフラストレーションが溜まっていたようで、「きちんと甘いものが食べてえ……」という思いが募り、最終日の今日にとうとう大物を買って食べることにしたのだった。ストイックになり切れないな。
 夕方になり、ちょっと泳ぎに行こうかと悩むが、迷った挙句、ひとりランニングなんぞしてみた。駅伝に影響されたわけではない。このところ水泳をしながら、いまいち満たされないというか、効果を感じられない部分があり、逆に走ったほうがいいんじゃね? と考えたのだった。やった結果どうだったかと言えば、慣れないためにペース配分を間違ったということもあるが、思うようにいかず、やっぱり泳ぐほうがいいかなあ、と思った。
 とまあそんな感じの、充実していたような、茫洋としていたような、あまりよく分からない3連休だった。もっと活用したかったという思いもあるが、まあこんなもんだろうとも思う。穏やかではあったと思う。