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2025年夏の自家用車横浜帰省 5日目


 前にも書いたが、実家の布団は硬い。どういう作用によるものか、年々硬くなっているような気がする。3日目ともなると、今晩もあの布団で寝るのかと思うだけで憂鬱になる。それくらい硬い。しかし1年で3日しか寝ない身分でマットレスを所望することもできず、耐え忍ぶしかないとあきらめていた。だが今回、これはさすがに体への負担が大きすぎるとなって、次に帰省する際は、車に自前のマットレスを積んでこようと決心した。子どもたちはさすがなもので平気らしいので、僕とファルマンのふたり分でいい。たぶんキャンプ用品とかで、コンパクトに収納できるいい感じのものが世の中にはあるはずだと検索したら、安い値段でいくらでも出てきた。安くていい。そこまでのクオリティなど求めない。現状の、畳に硬い布団だけのつらさに較べたら、どんなものでもあるだけマシだろうと思う。次は忘れず、必ず。
 この日は実家を立つ日で、しかし例のごとくホテルまで移動するだけなので、急がない。午前中はのんびり過し、早めの昼ごはんをお腹に入れて出発という算段だった。この午前に、僕はプールに行くことにした。横浜でプールに行くチャンスがあるかもしれないと思い、用品は車に載せてきていたのだ。子どもの頃によく行った北部(都筑)プール、中学生の頃よく行った中川(山崎公園)プール、そして横浜国際プールと、行きたいプールはいくつかあったが、実は高校時代から住むいまの実家からいちばん近いプールは、住所は川崎市となるヨネッティー王禅寺というプールであると母に教えられ、じゃあそこに行ってみるか、ということで行った。もちろんひとりである。この世でいちばん狭い駐車場なんじゃないかと思うくらい狭い駐車スペースにヒヤヒヤしながら車を停め、たどり着いたプールは、採光はまあまあ良かったが、水深が浅く、うーん、という感じだった。あとシャワー室や更衣室がだいぶ粗雑な印象で、なんだか遠い島根のホームプールのことが恋しくなった。
 プールの帰りに給油を済ませ、出発する。結局、昨日おとといとがっつり外出したので、なんだかあっという間の帰省だった。本日の目的地はどこかと言うと、これがなんとキャッスルイン豊川なのである。さすがにはじめからそうするつもりではなかったのだが、実は今年もポルガの部活に振り回され、1ヶ月ほど前に帰省の日程が1日後ろ倒しになったことで、帰りに泊まるはずだった三重県のホテルはキャンセルし、行きも帰りもキャッスルイン豊川ということになったのだった。好きすぎるだろ、キャッスルイン豊川。
 この日は途中まで新東名を走ったのだが、御殿場を過ぎたあたりで、たぶんあれは富士山の中腹なのだろう、という姿を目にした。上半分は雲が掛かっていたが、いちおうは見えた。あと2025年に新東名を走る以上、どうしたって参らないわけにはいかないスポット、浜松サービスエリアにももちろん立ち寄った。もっとも本来は上り方面でなければならないのだが、そこはしょうがない。広末涼子は奈良県での撮影のあと、ここで同乗男性と運転を交代し、そして掛川PA付近で事故を起したのだ。そしてこの浜松サービスエリアでは、通行人に「広末でーす」と大声で名乗るなどの奇行が目撃されていたという。この一件が報じられて以来、今年も帰省をするなら絶対に浜松サービスエリアに行かなければいけない、行ったら俺も「広末でーす」と叫ぼう、もしかしたら当地には「広末でーす」を記念した撮影スポットができているかもしれない、などと考えていた。残念ながらそんなものはなかったが(上りにはあるのかもしれない)、ああ自分はいまあの現場にいるのだと感激し、聖地巡礼をするファンの心理が初めて解った気がした。ちなみにだが、広末涼子はあの日、車の運転で140キロを出していたと言われるけれど、このあたりの道は制限速度が120キロだったりするので、140キロというのもそこまで素っ頓狂な数字ではない、ということをここに記しておく。これで世間の広末涼子に対する印象が少しでも改善されればそれ以上の望みはない。
 テレビっ子としての欲求も無事に満たし、4日ぶり3度目のキャッスルイン豊川へ。数日前に泊まったホテルにまた泊まるという経験は初めてで、なんだか不思議な感覚だった。この日も思う存分、漫画やサウナを堪能する。前回の月曜日(11日)がけっこう混雑していたので、金曜日なんてもっと混んでいるだろうと思いきや、この日はそれほどでもなかった。前回のサウナでは、テレビで「ラーゲリより愛を込めて」をやっていて微妙な気持ちになったが、この日の金曜ロードショーでは「火垂るの墓」をやっていたはずで、避けていたわけではなく、ちょうどその時間帯にはサウナに入らなかったのだが、さすがにチャンネルがそこに回されてはなかったろうな、などと思った。
 3日実家の布団で寝たあとのキャッスルイン豊川のベッドは、まるでベッドのようだと思った。雲のよう、などと大袈裟なことを言うつもりはない。ベッドがベッドだった。それでいいのだ。実家の布団は、なんかもう布団としての要件を満たしていないように思う。実家の布団への恨み節がしつこい。でも本当に実家の印象がそれだけになるくらいのインパクトだったんだもの。

2025年夏の自家用車横浜帰省 4日目


 横浜での予定は昨日がすべてで、この日はなんの用件も入れていなかった。さてどうしたものか、また子どもたちを連れて、VS PARKのような、人が多くて疲れるだけのような場所に行くはめになるのか、とビクビクしていたら、ポルガが「いとこでカラオケに行きたい」と言い出したので、それはいい、4人でカラオケに行ってくれるなんて、それほど楽なことはない、と諸手を挙げて大賛成した。
 しかし成長した子どもたちが勝手に遊んでくれるのはありがたいが、付き添いがお役御免となった大人は、じゃあどうしよう、となった。せっかく横浜まで来ておいて、家でぐだぐだ過すというのもさすがにもったいない。ファルマンと話し合った結果、ふたりで身軽だということもあり、じゃあ渋谷とか池袋とか行っちゃう? ということになった。去年は東京には足を踏み入れなかったので、島根・鳥取・岡山・兵庫・京都・大阪・滋賀・三重・愛知・静岡・神奈川の、その先への進出である。
 まず田園都市線で渋谷へ。山手線に乗り換える前に、わざわざ外に出て、スクランブル交差点のあたりの様子を眺めた。渋谷駅周辺はここ数年ですごく変わったと言われるが、このあたりはそうでもないという印象を受けた。ハチ公前には外国人がわんさかいて、もうこのエリアは観光地以外の何物でもないのだな、と思った。かくいう我々も、スクランブル交差点でまったく無意味に行って帰ってをしたし、スマホで映像配信しているっぽい人もいた。ともすればあそこを歩いている人の7割くらいは、どこかに行くために歩いているのではなく、歩くために歩いているのかもしれない。
 山手線に乗ったのもずいぶん久しぶりだ。渋谷から池袋は7駅、というのは覚えていたが、間にある駅の記憶はまばらだった。原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場、目白が正解で、さすがは錚々たるラインナップである。山陰本線との情報量の違いたるや。
 かくして池袋に到着する。田園都市線だったのでもちろん渋谷には子どもの頃からの馴染みがあるのだが、大学以降は池袋のほうが縁が深くなった。なにしろ数年間、駅構内で働いてさえいたのだ。ちなみに勤めていた書店は、そもそも会社がなくなったこともあり、いまはチュチュアンナになっていた。そうか、俺が二次元ドリーム文庫とか売っていた場所が、いまはチュチュアンナなのか、因果は巡るのだな、と感慨深い気持ちになった。そのあとも駅構内を散策するが、当時はまさにシマで、ホープセンターの、知る人ぞ知るさらに地下の喫茶店まで把握していたというのに、いまはもはや普通に道に迷う。駅の造りそのものは変わっていないというのに、15年ほどの歳月が、僕と池袋駅をこんなにも引き離してしまったのだった。西武デパートも閉鎖されているし、なんだか切ない気持ちになった。
 ひとしきり駅を堪能したあと、地上に出て、とりあえずサンシャイン方面を目指して歩き出す。道がいちいち懐かしかった。街や人の様子は、まあそこまで15年前と変わっていないような気がした。サンシャインの入り口が巨大なニトリになっていて驚いた。そうか、ハンズがニトリになったか。検索したところ、2021年の出来事らしい。そうか。サンシャインシティにも入館し、動く歩道が相変わらずでなんだか嬉しかった。そして当時からそうだったが、サンシャインシティってなんとなく行くけど、別に買うものはなにもないのだった。右の通路で奥まで行って、それから反対側の通路で戻った。途中のイベント会場では、イケメンがたくさん出る感じの、たぶん女性向けのゲームのイベントをやっていて、しかしあまりにも知らない世界だった。ファルマンはそのさまを眺め、「私は昔、ここで波田陽区がトークイベントをしているところをたまたま通りかかった」と言っていた。古すぎる。ただサンシャインまで行って帰っただけで、なにをしたというわけでもないのだが、とにかく久しぶりでエモかった。
 駅に戻って、お昼ごはんを食べることにする。なににするかは出発前から決めていた。立ち食いそばだ。田舎にはない立ち食いそばが、何年も前からずっと食べたかったのだ。子どももいない今が、千載一遇のチャンスである。当時毎日のように食べていた「のとや」は、自分がまだ東京にいた頃に閉店してしまったので、構内で見かけた適当な店に入る。テーブル席のない、本当の立ち食いそば屋だった。冷たい麺とカレーのセットを注文し、食べる。びっくりするくらいおいしかった。出雲そばに対して、初めて食べたときからずっと悶々とした気持ちを抱いているけれど、やっぱり僕は断然こっちのそばが好きなんだな、と確信した。いいないいな、立ち食いそば、いいなあ、と久々に都会に羨ましさを覚えた。人が多くて薄利多売が成立するからやっていけるんだろうな。島根では絶対に無理だろうな。
 冷たいそばを食べて元気が出たので、どうしようか迷っていた池袋のさらに先、西武池袋線エリアへも足を延ばすことにした。各駅停車に乗り、江古田駅で降りる。何年ぶりだろう。駅舎が新しくなってから来たことがあっただろうか。様子がだいぶ違っていて驚いた。喫茶店「トキ」はなくなっていたし、「お志ど里」もなくなっていた。「洋庖丁」もなかったし、ラーメン「大番」もなかった(それなのに跡地で猛烈に大番のにおいがしたのだけどあれは一体なんだったのだろう)。その一方で、竹島書店やライブハウス「BUDDY」、そして「江古田コンパ」が健在だったのは驚いた。意外な所がなくなり、意外な所が残った感じ。いちおう悪質なタックルで有名な大学の、夢見がち学部キャンパスにも足を踏み入れるが、中まで入ろうとすると受付で面倒なことになりそうだったのですぐに引き返した。まあ入ったところで、卒業してから完成した新校舎に思い入れなどなにもないのである。
 それで帰ってもよかったのだが、なんとなく隣の駅である桜台まで歩いてみようかということになり、炎天下だったが実行する。「松屋」の創業店を眺めて、千川通りではなく、中の道を歩く。桜台にあったファルマンのアパートから大学に行くとき、よく使った道のはずだったが、わりとただの住宅街なのでこみ上げてくるものは別になかった。桜台駅周辺も、変わったようなあまり変わってないような、という感じだった。
 これでさすがに帰ろうかとも思ったが、練馬まで行けば有楽町線で帰りやすくなるなあと考え、さらにひと駅行くことにする。なにしろ近い。いま検索したところ、わずか800mほどだという。ピイガの通う小学校までの距離よりも短いのだ。かつて「せと」という個人経営のコンビニだったセブンイレブンが懐かしかった。ここを曲がって北に進むと、新婚時代に住んでいた早宮のエリアになるが、さすがに遠いので行かない。すぐに着いた練馬は、わりと相変わらずのように感じた。
 やれやれ、しっかり思い出の地を堪能したものだと満足し、電車の切符を買おうかとしていたまさにそのとき、ファルマンのもとに連絡が来る。先ほど池袋で、江古田方面にも行ってしまうかという話になったとき、もしも会えたらということで連絡を入れた、当時ほぼ唯一付き合いのあった「いつもの一家」の母、大学時代のファルマンの友達からであった。あまりにも急で少しバタバタしているが(これは本当に申し訳なかった)、せっかくだから会いたいと言ってくれて、向こうの住まいからアクセスしやすい中村橋で落ち合うこととなった。練馬から中村橋は、ひと駅だがさすがに電車を使った(桜台よりは離れている)。待ち合わせ時間まで少し間があったので、大学卒業後すぐに住んだアパートの前まで行ってみる。僕は7、8年前、そのときも今から会ういつもの一家とこのあたりで会ったときにひとりで行ったけれど、ファルマンは引っ越し後、初めての再訪である。ナメクジが這うようなスピードでしか進まない「おもひでぶぉろろぉぉん」でも、さすがにもうこのアパートからは引っ越し、早宮に移っている。自分のブログなんだからそういうものだとしても、それにしたって僕はあまりにも自分の話ばかりしているような気がする。
 しばらくして、懐かしい顔が自転車でやってきた。その自転車の後部座席には男児がいた。5歳となる末っ子である。もともとポルガの2個上の長女、ポルガとピイガの間の次女がいたのだが、そこから少し間が空いて男児ができていたのである。ちょうど秋篠宮家スタイル。存在はもちろん知っていたのだが、これが初邂逅となった。駅前のマクドナルドで、しばし話す。同級生は相変わらずの感じだった。娘たちの画像など見せてもらい、おお、と思う。今回、娘たちにも声を掛けたが、「向こうの子たちがいないんなら行ってもしょうがない」と、もっともな理由で断られたそうで、次は娘たちも含めてきちんと予定を組んで会おうよ、という話になった。そんなのも愉しそうだ。そのときは車で行ける場所がいい。
 渋谷とか池袋をフラッとするだけの予定が、かなりの大行脚となった。暑さもあり、だいぶヘトヘトになって帰宅する。子どもたちだけでのカラオケは、いとこにアレルギー性鼻炎が発症したこともあり、フリータイム最低3時間保証のところ、2時間半ほどで切り上げたらしい。つまりまあ、いまいちな感じだったんだろうな。いとこはふたりとも、あまりカラオケをするようなタイプではない。
 晩ごはんは定番の手巻きずし。食べ終わったあと、みんなで集合写真を撮る。いつもなんだかんだで撮るが、現像して年ごとに並べるようなマメな人間はひとりもおらず、過去の画像がどうなっているのかは知る由もない。それでいい。切り取ろうが、切り取るまいが、時代は進む。かつての勤務先はチュチュアンナになり、波田陽区はすっかり見なくなり、トキはなくなり、子どもは育ち、新しい子は生まれる。おもひでぶぉろろぉぉん。

2025年夏の自家用車横浜帰省 3日目


 1年にいちどくらい帰省すべきだよなあという気持ちはありつつ、しかし距離が距離なので、必ずしも毎年じゃなくてもいいんじゃないか、という思いも同時にある。それで言うと今年は、去年帰ったし、なによりポルガが受験生で、かつ部活も忙しいので、パスという手もあった。だが「実家への帰省」に関してはそうだったのだが、それ以外の理由により、今年わが家は横浜に行かないわけにはいかなかったのだった。
 それがこの日の予定であり、われわれ4人は午前中から母にあざみ野まで送ってもらい、市営地下鉄でみなとみらいへと繰り出したのだった。2年連続のみなとみらい。もちろんVS PARKにリベンジに行ったわけではない。こちらである。


 2年前「ツタンカーメンの青春」というタイトルで、所沢で開催されていた展覧会が、画像の中のポスターにあるように、ほぼ今年1年、みなとみらいで開催されているのだった。所沢と横浜。なぜか縁のある土地でばかり開催されるこの展覧会、待っていれば次は関西あたりに来そうだなという気もしつつ、帰省との抱き合わせで行ける以上、このチャンスに行くっきゃないっしょ、ということで行った。2年前の所沢の頃から、ポルガを連れていってやりたいとファルマンは言っていたので、ようやく念願が叶ったのだった。
 ポスターの前に立っているのはもちろんポルガで、自前の「TUTANKHAMUN」Tシャツに、ネットで買った古代エジプト絵画リュックを背負い、そして肩に掛けているヒエログリフ柄のトートバッグはこのミュージアムショップで買ったものである。ガチ勢である。ちなみに顔は、ツタンカーメンのクリアファイル(それもミュージアムショップで買っていた)をお面のように着けているのではなく、僕がパソコンの画面上で貼り付けた。
 展示の内容は、ツタンカーメン関連の調度品や墓などのレプリカがメインで、レプリカである分、ガラスケースの中に収められているということもなく、さすがに触ったりはできないのだが、おそらく原寸大なのだろうし、なかなか見応えのあるものだった。開催期間が長いからか、人もそこまで多くなく、ポルガはハイテンションで館内を巡っていた。連れてくることができて本当によかったと思った。ちなみにだが、ミュージアムショップを物色していたところ、なんとなく知っている感じの顔があり、誰だろうと思ったら、「馬鹿よ貴方は」というお笑いコンビの、平井“ファラオ”光だった。ショップ内にテーブルが用意されていて、いちど目が合って会釈をしたあとはあまりジロジロ見なかったが、たしか10分1000円とかでお話ができる、という商売だったと思う。そうか、平井“ファラオ”光だから、ツタンカーメンミュージアムで仕事をもらったのか、と納得したが、いまWikipediaを見たら、そもそもその芸名にしたのは古代エジプトが好きだったからだそうで、こんな形の好きを商売にする方法がこの世にはあったのだな、と感心する思いだ。ちなみに1984年生まれの神奈川県出身だそうで、ちょっと親近感が湧いた。ポルガの古代エジプト好きが続けば、いつかまた邂逅することがあるかもしれない。そのときは1000円くらい出そうと思う。
 そんな感じでツタンカーメンミュージアムを堪能し、しかしそれで終わりではない。徒歩でわずか10分ほど移動し、次は横浜美術館へ。ここでいま行なわれているのが、こちらである。


 これはミュージアムショップで買った、「パ」のフラッグ。本来はもちろん「ピ」(売り切れ)。言わずもがな、ピタゴラスイッチの「ピ」である。そう、ピタゴラスイッチの生みの親、佐藤雅彦の展覧会なのである。ふだん見ている記事の傾向からか、数ヶ月前にスマホがヌルっと「こんなイベントありまっせ」と教えてきて、なにしろピイガを中心に、毎朝「ピタゴラスイッチ」と「0655」を愉しく観ているので、へえ横浜か、ちょうど夏にやってんなら行けたりすんのかね、などと話していたら、ツタンカーメンミュージアムとは徒歩10分ということが判明し、これまた行くっきゃない、ということで2本立てで巡ることとなったのだった。なんともすばらしい横浜の活用っぷり。もはや実家への帰省ではなく、ただの宿舎なのではないか。
 そしてこちらの展覧会はどうだったかと言うと、もちろん、まあ、おもしろかった。なんとなく快活じゃない感じの言い方になったのは、展覧会に来ておいてこんなことを言うのもなんだが、佐藤雅彦というのは、雑多でベタな日常の中に、ポイント的に出てくると「おおっ」となるけど、完全にそれだけだとさすがにしゃらくせえ、という気持ちが若干湧いたのと、やはりピイガは同担拒否が発動して始終ご機嫌斜めだったのだが、僕もその親なので、他の客やスタッフに対して、ウザったさのようなものを抱いてしまったのだった。要するに僕もピイガも、イベントなんかには参加せず、家でディスプレイを眺めていればそれが最上なんだと、そのことに気付けた展覧会であった。でも行けてよかった。
 去年に続いて2年連続のみなとみらいは、都会あるあるで、なんだかんだでよく歩いた。いっそ車で行くという案もあったのだが、駐車で困ることは目に見えていたので止したのだった。ちなみにわが家はこの市営地下鉄が1年ぶりの公共の乗り物で、みなとみらいに行くときにしか公共の乗り物に乗らないという、なかなか純度の高い状態になっている。

2025年夏の自家用車横浜帰省 2日目


 旅程2日目は、ただ豊川から横浜に移動するだけ、かと思いきや実はそうではない。そうではないのだが、かと言ってそこまで急ぐ必要もないため、本当に10時のチェックアウトギリギリくらいまで、のんびりと居座った。朝サウナも少しやり、すっきりした。
 車に乗り込んで移動を始めたら、すぐに静岡県である。そして静岡となると、どうしたって富士山への期待が高まるのだが、この日も曇天は続いていて、望みは持てそうもなかった。ちなみにルートは新東名ではなくあえての東名で、それはなぜかと言えば、清水ICで降りるからなのであった。そしてその目的は、エスパルスドリームプラザという複合商業施設内にある、ちびまる子ちゃんランドである。ピイガのさくらももこへの傾倒は未だ続いており、GWの米子の展覧会に続き、とうとう本場の清水にある正統なるミュージアムへも参ったという次第である。清水がほぼ通り道であったため、このようなことが可能となった。これぞ自家用車移動の醍醐味というものだろう。
 豊川にはもうだいぶ愛着が湧いているが、清水という街は今回が完全に初めてで、去年の津のような新鮮さがあった。エスパルスドリームプラザは、埋め立て地なのだろう、海のすぐそばにあった。清水エスパルスというサッカーチームは昔から知っているが、そうか、その本拠地にはこういう地域活動があるのだな、などと感慨深い気持ちになったりした。いろんな土地に行くのって、もしかしたらとても愉しいのかもしれない。
 施設は要するにショッピングモールで、その3階に目的のちびまる子ちゃんランドはあった。グッズショップの奥に有料のミュージアムがあって、まずそこに入った。しかし入る前から若干の嫌な予感はあったのだが、これは入らなくてよかった。せっかくはるばる清水に来た以上、入らない選択肢はなかったのだが、結果論として、入らなくてよかった。4人で4000円以上した。これはだいぶもったいなかった。その分グッズを買えばよかった。グッズショップはさすがの品揃えで、ピイガは、ちびまる子ちゃんのアニメも観るけれど、趣味としてはだいぶコジコジに寄っているので、名称の通りちびまる子ちゃんばっかりだったらちょっと困るなあと思っていたら、もはやちびまる子ちゃんよりもコジコジのほうがスペースが広いんじゃないかというくらいに置いてあった。どうもコジコジは今後、ムーミン的なことになっていくようだぞ、という気配というか熱意のようなものが垣間見えた気がした。ただしピイガはここで大喜びでコジコジグッズを選んだかと言えばそんなことはなく、今回の旅行ではっきりしたのだが、ピイガはいわゆる同担拒否のスタンスの人であるらしく、大賑わいのちびまる子ちゃんランドでイライラを募らせ、どんどん不機嫌になっていったのだった。わかるよ、その気持ち、わかるけど、しかしお前のために清水に立ち寄ったっていうのに、とも大いに思った。結局頭に血を上らせながら、何点か忸怩たる感じで買っていた。どないやねん。
 そのあと併設されている簡易遊園地みたいな所で、子どもだけジェットコースターと観覧車に乗った。ちなみにこの前日、三重県の長島スパーランドの横を通って、とんでもないジェットコースターを目にしていた。長島スパーランド、それこそ通り道なので、プールも含めて気にはなるのだが、間違いなくとんでもない混雑だろうと思うと、なかなか実際に行くハードルは高い。そもそも両親とも絶叫系に乗れないので、なおさら意欲が湧かない。まあ簡易なものでもやらせてやれてよかった。
 そんな感じで清水を後にし、いよいよ横浜へと向かう。ここまで渋滞はほぼなかったと言ってよかったが、いつものパターンで、綾瀬のあたりで捕まった。いつも神奈川県だけが足を引っ張る。そして青葉ICで降りたあとは、やはり街のギュウギュウ加減と、そして坂道加減に閉口した。坂道が多いということを、住んでいるときはそこまで意識していなかったが、本当に多い。出雲平野で育つ娘たちは、目まぐるしく上ったり下ったりする道に、車酔いしていた。なんてか弱く愛しい生きものだろう。
 そしてようやく実家へとたどり着いた。実家には母と祖母と、いとこたちが既にいた。やがて姉とその夫、そして叔父も現れた。去年も同じことを書いたが、全員が全員、それぞれらしい発言をしていて、不変だった。もしかしたら僕は、実家に不変を実感しに行っているのかもしれないと思った。

2025年夏の自家用車横浜帰省 1日目


 今年も決行した自家用車での横浜帰省から、無事に戻ってきた。今年は2回目だし、去年と違って南海トラフ地震注意が出ているわけでもなかったので、そのぶん余裕があったと思う。さらに言えば、伊勢神宮に行くはずが急に午後からの出発を余儀なくされて計画を見直す、などということもなかった。こうして考えると去年はなかなかハードモードだったのだな。
 出発は去年と同じ8月11日。そして同じく5泊6日の旅程なので、日付的には去年と丸々同じだということになる。初日はひたすら泊まるホテルに向かうだけなので、出発時間はいつでもよかったのだが、なにぶん泊まるホテルと言ったらあの、1年前わが家を骨抜きにし、2024年のパピロウヌーボの会場にまでなったキャッスルイン豊川なのであるからして、過す時間をなるべく長くするため、朝の8時半に家を出たのだった。
 今年のお盆シーズンの前半は大気が不安定で、この日も山陰から近畿、東海に至るまで、ずっと曇り時々雨という感じで、ピーカンよりはいいのかなあと思いつつ、雨が激しくなる場面も間々あって、そのときは大変だった。しかし渋滞らしい渋滞はなく、計画通りに15時半くらいには豊川の街にたどり着くことができた。ホテルに入る前に、酒など、こまごましたものを買うため、スーパーに立ち寄る。行ったのはサンヨネという地元密着型のスーパーで、豊橋ナンバーしか停まっていない駐車場に車を停めて、ぜんぜん馴染みのない土地の地元民に混じって買い物をしたら、なんだか人生の厚みが増したような、じんわりとした多幸感があった。
 1年ぶりのキャッスルイン豊川は、相変わらずの心地よさで、これから明日の10時まで、ここで気のすむまでのんべんだらりと過せるのだと思うと、これこそが帰省の主目的なのではないか、とさえ思った。ちなみに同施設には映画館も併設されているのだが、ここでポルガが急に、「ああ、ちょうどいいや、ここで『鬼滅の刃』観るわ。観に行く暇がないと思ってたからよかった」と言い出し、早めに晩ごはんを済ませて、ポルガだけ夜の回を観賞するという流れになった。旅先で映画を観るなんて、ずいぶん上級旅行者みたいなことをする奴だな、と思った。晩ごはんは去年と同じく、施設内のレストランで食べた。去年は南海トラフを警戒して自重したホテルでのアルコールを、今年は気兼ねなく取ることにしたので、ウェルカムドリンクのサービスで生ビールを頼んだ。キャッスルイン豊川で、生ビール飲みはじめたら、そんなのもういよいよ最強じゃん、と思った。
 いい気分になって、映画を観に行くポルガと別れたあとは、もちろんコロナの湯へと向かう。宿泊者以外も利用できる温浴サウナ施設であり、去年も書いたが、ホテル宿泊者はその一般客が入浴料とかを払うゾーンの内側にエレベータで直行できるというシステムが、優越感をかき立て、満足感をいや高めるのだった。施設内はわりと混んでいた。ちょうど帰省で若者が帰ってきているということなのかもしれないが、平均年齢が低く、島根のサウナとの違いを感じた。もしかしてだけど、島根ってやっぱり超高齢化なのか。あとここのサウナで、僕は初めてアウフグースというものを体験した。狙っていたわけではないが、入っていたらちょうど始まったのだ。しかもそのとき、このサウナの目玉であるらしい「玉座」という席にいたので、なんだかとても気分がよかった。ちなみにこのときサウナ室内のテレビでやっていたのは、映画「ラーゲリより愛を込めて」で、そこはちょっと複雑な気持ちにさせられた。サウナを堪能したあとは、岩盤浴コーナーで漫画を読み、部屋に戻ってまた少しビールを飲んだりして、思う存分キャッスルイン豊川を堪能したのだった。

GW2025の記録

  GWの4日間を、まあまあ満足のいく出来で終えようとしている。その記録をしてゆく。
 初日、5月3日は、このGWで唯一と言っていい、予定していた計画として、米子へと繰り出す。米子市美術館で開催中の、さくらももこ展が目当てである。わが家では現在、主にピイガが、「ちびまる子ちゃん」から入り、「コジコジ」にドハマりして、さくらももこワールドにどっぷりと浸っているのだった。また米子というのが、普段よりちょっとだけ大掛かりなGWの外出先として、非常に適当な位置関係であり、実に都合がよかった。しかも、次女一家の長女(ピイガと1学年違い)も同じく「ちびまる子ちゃん」が好きなので、それではこの日に、兵庫からまたこちらに帰省してくる次女一家と、あちらとしては通り道である米子で落ち合って一緒に観賞しようという、見事な計画を春休みの際に立てていたのだった。
 というわけで、昼まで部活だったポルガを学校で拾い、昼過ぎから米子に向けて出発する。ちなみに計画を話したところ三女も行くということになり、同乗していた。さくらももこはすごい。女子は35年前くらいからずっとさくらももこが好きだな。車内音楽は、この日専用のプレイリストを作り、子どもやファルマンがめいめい好きな曲を入れる中、僕だけは律儀に、アニメ「ちびまる子ちゃん」の歴代主題歌などを入れていたのだが、残念ながら行きではほとんど掛からなかった。ちなみに「ちびまる子ちゃん」だけでは、ひとりの持ち数である10曲に達しなかったため、「ドラゴンボール」の主題歌も入れた。これはなぜかと言えば、同じく米子にある天満屋というデパートで、ちょうどドラゴンボールのポップアップストアが開催されていたからだ。僕が熱烈な「ドラゴンボール」ファンであれば、女どもがさくらももこ展に行っている間、俺は「ドラゴンボール」のほうへ、という、まるで30年前の男子と女子のような図式になっておもしろかったろう。もちろん天満屋へは行かなかったし、さらに言えば「ドラゴンボール」の曲も行きではほとんど掛からなかった。僕の入れた曲は、行きでは「MajiでKoiする5秒前」しか掛からなかったんじゃなかったか。
 目的地には13時半くらいに着いた。次女一家は兵庫からなので、正確な時刻での待ち合わせなどはもちろん不可能で、先に着いたほうが美術館の中で鑑賞しながら待ってればいいよね、という感じだったのだが、運の悪いことにこの日の高速道路は事故が重なり、通行止めになる区間などもあって、この時点で次女一家はまだ岡山県という有様だった。これはだいぶ待つことになりそうだねえ、などと話しながら、家族と三女を美術館前で降ろした。降ろして、僕はひとりで次の目的地へと向かった。もちろんドラゴンボールショップではない。どこかと言えば、僕の日記をきちんと読んでいる人はすぐピンと来ると思う。
 そう、ラピスパだ。3月の鳥取遠征の際、少しだけ色気を出したけど、疲労から行くのを断念した、サウナ温浴施設。「ラピスパは長い人生、いつか行く機会がある気がする」と3月の際に書いたが、意外と早くその機会は巡ってきた。もっとも同市内と言っても、米子市美術館からラピスパは片道で20分ほど掛かるので、往復で40分かー、という気持ちも多少あったが、今度こそ行かないとまた後悔が尾を引きそうだな、と思い決行した。
 というわけで、ようやくのラピスパ初来訪となった。ちょうど、どちらかと言えばこっちがいいなあと思っていたガーデン風呂が男風呂の周期だったのもよかった。GWということで大混雑だったら嫌だなあと思っていたが、さすがは山陰、ほどほどの混み具合で、なんら問題なかった。名物のバレルサウナは、熱の感じがどうこうというより、室内がかなり暗くて、そのことに驚いた。言われてみればサウナってあんまり明るい意味ないよな、と思った。外気浴は、やや冷たい風が気持ちよかった。コールマンのインフィニティチェアが、とてもいい座り心地で感動した。ちなみにラピスパにはプールもあり、もちろん水着も持参していたので入ったのだけど、直線ではなく、円の中を歩いてジェットを体に当てたりする、健康増進目的みたいなプールで、さらにはファミリーもそれなりにいたので、プールとしての喜びはまるで得られず、早々に退散した。幸い、この2日前からプールには困っていないので、ガツガツしていないのだった。
 満足いくまでサウナを堪能し、それまでもちょくちょく連絡がないか確認はしていたのだが、ぼちぼちそちらへ戻ろうと思うよとファルマンに連絡したところ、向こうも美術館観賞を終わろうとしているが、次女一家は未だ来ていないということだった。そのあと4人を再び美術館前で拾ったあと、待機ついでに天満屋のドラゴンボールショップならぬ、高島屋で開催中の「うまいもの博」なんかを覗いたりもしたのだけど(島根にはもはや存在しない「百貨店」というものの雰囲気を本当に久しぶりに味わった)、この日の高速道路は本当に厄日だったようで、次女一家のさくらももこ展行きは断念され、米子での合流は成らぬまま、それぞれ実家を目指すこととなった。なんだかんだで、実家にはほぼ同じくらいのタイミングでたどり着いた。次女一家は、米子に13時台に着けるよう午前中に出発しての、夕方のゴールである。おつかれさま、としか言いようがない。さくらももこ展のグッズショップで買ったおみやげだけ渡し、この日はほぼ挨拶だけして、われわれは自宅に帰った。
 翌日は、GW中の唯一のイベントが終わったので、いとこと遊びたがる子どもたちを実家にうっちゃって、これからの3日間は家でのんびり、やりたいと思っていたことをひたすらやろうと目論んでいたのだが、サービス精神なのか責任感なのか、我ながらよく分からない心の運びなのだが、気がついたら午前中に買い出しに出て、昼には実家のホットプレートでパンケーキを焼いていた。ほのかにしか甘みのついていない粉を使用し、パニーニのような感じで、キャベツとソーセージを乗せて包んで食う感じにしたものをまず全員分作って昼ごはんとし、残った粉を長方形のプレートのように焼いて、熱を取ったところで、チョコペンで、つい先日3歳になった次女の次女への祝いの言葉を記し、さらにはホイップクリームやカラフルなチョコスプレーでデコレーションしたものを作った。冷静に考えると、なんで義理の伯父が急にそんなことをするんだろうという話だが、もはや性分としか言いようがないのだった。ちなみに僕とファルマンはそのケーキ的なものは食べず、昼ごはんを済ませたあとは早々に帰った。帰ったあとは、とても静かな自宅で、裁縫をして過した。母の日に、また手作りのものを送ろうとしていて、その作業である。まあまあ進む。夕方に娘たちを迎えに行った。
 翌日こそはのんびりしようとも思ったのだが、空がとても晴れ渡っていて、このまま子どもたちをただ実家に連れていったら、昨日の午後のように、ひたすら室内でグダグダワアワアと過すのだなと思うと、せっかくのGWの、それも子どもの日だというのに、あまりにも不憫であろうと、またひとりで勝手に気を揉んで、海に行くことを企画してしまう。なんかひとり、やけにジタバタしているような気がする。誘ったら誘ったで実家の面々も応じ、義父の車と2台に分かれて、キララの海岸へと向かった。GWの海は、泳ぐにはさすがにまだ温度が低いけれど(海開きももちろんまだ先だ)、足を浸すのには十分なあたたかさで、僕は(実は持っている)バミューダパンツ型の水着をハーフパンツとして穿いてここまで来ていたので、わりとぐんぐん海の中を突き進み、腰くらいまで入水し、海の感じを堪能した。海は波があってやっぱり愉しいな。子どもたちも着替えを持ってきていたので、ハーフパンツが水浸しになるまで海に入っていた。そして他の大人たちは砂浜からわれわれのことを眺めていた。どうも昨日、いやおとといから、GWを思う存分に堪能しようと、ひとりで躍起になっている。生き急いでいるのだろうか。海での遊びを終え、昼ごはんは義父母の奢りでマック。海で遊んでマックだなんて、なかなかいいこどもの日になったじゃないか、と満足した。
 そのあとはまた子どもだけ実家に残し、夕方まで自宅で過すパターン。この日は、これもGWにやりたいと思っていた、部屋の模様替えをした。模様替え、一時期は趣味なのかな、というくらい頻繁に行なっていたが、今回はだいぶ間が空いた。やったのは僕とファルマンの部屋の、タンスと工業用ミシンの入れ替えがメイン。これまで、パソコンが置いてあるテーブルの、すぐ背面にタンスがあり、僕のイスのせいでタンスが開けづらいというストレスがあったのだが、ならばタンスと工業用ミシンの場所を入れ替えれば、タンスは開けやすくなるし、僕は前を向けばパソコン、後ろを向けばミシンという、逆にどうしてこれまでその形にしていなかったのか、というくらいいい形になるのではないかと、少し前から構想していて、今回GWに一念発起してその作業を行なったのだった。ついでに生地の整理などもして、結果的にとてもいい形を作れた。本当にやってよかった。これまでパソコン用のイスとミシン用のイスという、僕のためにふたつのイスが部屋にあったのだが、これがひとつでよくなった。ファルマンのお下がりで使っていた、図体のやたらでかいオフィスチェアは、粗大ごみで棄てることにした。というわけでいま座っているのは折りたたみの簡素なイスなのだが、簡素は簡素で別にいいのだけど、これを360度回転するスツールにしたら、本当にくるっと身を翻すだけでパソコンとミシンが行き来できるようになって最高だな、などと考えている。やって達成感はあったが、午前中の海遊びもあり、いかんせん疲れた一日だった。
 翌日、最終日の今日は、次女一家は兵庫へと帰還するわけだが、これを見送ろうと考えると、予定していた時刻がどんどんずれ込んで、結局半日以上を棒に振るという事態になるので(春休みの際それをやってしまったのだった)、午前中はショッピングセンターに行ったり図書館に行ったりという用件をこなし、その帰り、昼前くらいに実家に顔を出し、見送れるなら見送るし、まだ出発しないようなら昼ごはんの前に退散しようという作戦を立てた。大きなダイソーにも行って、昨日の模様替えで必要性が出てきたケースなど、多数調達する。以前500円だったはずのケースが700円になっていて、どうしても必要だったので4つ買ったが、だいぶテンションが下がった。朝に聞いた出発予定時刻は11時とのことで、しかし次女一家のことだから11時に出発ということはあるまいと見込み、われわれの実家への到着が11時ちょうどになったのだが、そのとき次女たちはどんな状況だったかと言えば、なんかまだショッピングモールに買い物に行っている最中とのことで、じゃあ逆になんでいっつも実現できるはずのない出発予定時刻を伝えるんだよ、と軽く憤りを覚えた。子どもたちは家で留守番をしていたので、子どもたちはいとこらと最後の交流ができ、正午になっても帰ってこなかったので、当初の予定通りわれわれはそこで自宅に帰った。あとから聞いた話によると、それから数十分後に帰ってきた次女たちは、そのあと実家の面々と近所のファミレスに昼ごはんを食べに行き、それから出発したという。なんで! なんでショッピングモールで! 車の中で食べられるような! 適当なものを! 買って帰らないのか! 返す返すも、意地でも見送るために待とうだなどと考えなくてよかった。次に来るのは夏休み。まあまあ間が空くな、と思ったが、それってもう2ヶ月半後くらいのことなのだな。
 午後からは、GW最終日を、こうして日記など書いたりしつつ、それなりにのんびりと過した。母の日の手作り品は、まあまあ進んではいるけれど、もう今週の日曜日である母の日に、配達日数も含めて間に合うか、と言われれば難しそうだ。まあ当日にこだわりはないので別にいい。夕方、「買い物に行ってくるわ」と家族に伝え、こそっとプールへと繰り出す。昨日やおとといは混んだのかもしれないが、最終日の夕方ともなれば穏やかなものであった。明日からは日常。GWが終わると、しばらく真っ当な暦となる。泳いでストレスを解消しながら、なるべく心地よく暮していこうと思う。

11月の岡山へ

 岡山に行ったのだった。3連休の最終日、11月4日のことである。
 前回はたしかGWだったよな、とぼんやり思っていたが、いま日記で確認したら、4月初頭であった。ということは7ヶ月ぶり。11月に入り、今年って経過がやけに早くないか、と思うことがたびたびあるのだけど、この7ヶ月にもだいぶ驚く。
 行った目的はもちろん、ポルガがいつもの友達と遊ぶためであり、他の3人はその送迎ついでに岡山で半日を過すという、前回と同じパターンである。ちなみに先月に亡くなったファルマンの母方の祖父のことも、もちろん頭には思い浮かび、告別式にはファルマンしか参加できなかったので、どこかのタイミングで墓参りに行かなければならないとは思っているのだが、今回はまだ四十九日前ということもあり、そちらの用件は見送った。
 島根から岡山への所要時間は、2時間半から3時間といったところで、その往復をしつつ、中学生がとりあえず満足する程度の時間、遊ばせてやらねばならないので、出発時刻はどうしたって早くなる。7時半になる前に車に乗り込み、車内で朝ごはんを食べながら移動する。山間部の霧がすごかった。
 友達とはいちおう11時の待ち合わせにしてもらっていたが、滞りなくたどり着けたので、連絡して30分早めてもらった。最寄り駅に戻ってくる電車の時刻は事前に定めてあるので、合流が早ければその分だけ遊ぶ時間が稼げるのだった。
 というわけでポルガを降ろし、ここから5時間ほどを、なんかかんかして過さねばならない。これについて、7ヶ月前はわりとあぐねて、かつての職場の方面へ車を走らせるなどという錯綜をしたが、2度目ともなると慣れたもので、というより達観し、今も密接にコミュニケーションを取っている友達のいるポルガ以外、残りの3人は、引っ越しの時点で7歳だったピイガはしょうがないとして、7年あまりも暮した岡山に、実はもはやなんの感慨もないのだ、会いたい人もいなければ行きたい場所も特にないのだ、薄情な人間なのだ、という厳然たる事実を正直に認め、ジタバタせず、7年暮した経験などない人とまったく同じ時間の潰し方、すなわちショッピングモールに行く、という選択をした。全国津々浦々、どこにもあって、そして決して裏切らない、天下無敵のイオンモールである。イオンモールの包容力は、どんな人間も取りこぼさないのである。
 もちろんイオンに行ったからには、パンドラハウスに行って、ニット生地を見るのは欠かせない。暮していたときにはまるで享受しなかった恵み。島根の手芸店では、ニット生地はほとんど売ってない。ただし今回は時期が悪かったか、収穫はそこまでではなかった。冬用の生地が売り場の面積を多く取っていて、ショーツに使えそうな薄手のニットは肩身が狭そうだった。まあしょうがないな。次に行くときは、暖かくなっている頃だろうから、次回に期待だ。
 やがて昼時になったが、前回フードコートで失敗したのでなんとなく忌避感があり、時間もまだまだあったので、今度はアリオに移動することにした。車で15分ほど。それにしても岡山の人は本当にウィンカーを出さない。ジョークじゃなく出さない。もちろん全員が出さないわけではないけど、「出さない人が多い」って、とんでもない土地柄だと思う。
 このタイミングでアリオに行ったのは、昼ごはんを竹清にしようという魂胆があったからだ。香川県のうどん屋。当時はけっこう利用していた。でも久しぶりに行ってみたら、当時と変わりはないのだけど、行列だし、座席の確保が大変だし、うどんはセルフで湯がかなければならないし、つゆも自分で注がなければならないしで、わりと大変じゃないか、と思った。なんで幼児ふたりを連れて、たびたび来ていたんだろう。今はもう、上の子は友達と遊ぶようになり、下の子も小5で、楽になったものだと思った。ちょうど隣の席に、夫婦と幼女ふたりという、当時のわが家のような一家が来て、お母さんは娘たちの世話をし、お父さんがうどんの世話をしていて、どちらもなかなか大変そうで、こんなんだったなあ、と思った。ちなみにファルマンは今回、「初めてうどんを湯がいた」と言っていて、本当に当時いちども、うどんのほうの作業はやらせることがなかったらしい。湯切りが不十分だったらしいファルマンの丼のつゆはなんか濁っていて、「味が薄い」と言っていた。やらせると途端にそうなるのかよ、と思った。
 久しぶりのうどんを堪能したあとは、アリオやアウトレットをウロウロし、ソフトクリームなんか食べたりして過した。まあ本当に、ショッピングモールで休日をこなす、という感じに過した半日であった。
 ぼちぼちいい時間になったので、ふたたびかつての最寄り駅へと戻り、ポルガを待ち受ける。無事に予定通りの電車で戻ってきた。予定通りの電車とは、すなわち16時半到着の電車である。ここから島根に帰るのだ。なかなかじゃないか。3連休の、初日か、中日だったらいいだろう。しかしいろいろ都合もあって、最終日なのだ。翌日は労働なのだ。帰り道は西に向かって走るから、夕暮れが長く続いた。
 帰宅は20時前で、時刻としてはそう深いわけではないけれど、いかんせん疲れた。労働は半覚醒でやり過ごしたし、それなのにその晩から取り掛かった日記の文章は、ご覧のとおりに大いに崩れた。2日経って、ようやく回復したように思う。この日に限らず、盛りだくさんの3連休だったのだ。無事に済んでよかった。

らしいぜ松江

 子どもが、試験であったり、部活であったり、学校以外の活動であったりで、なかなか都合が合わないのだが(ちなみに両親は、仕事がない限りは一切の対外活動がない)、3連休初日の土曜日は珍しくなんの予定もなかったので、気候もいい折、ここでレジャーをせねばならないという使命感に駆られ、実行した。
 大きな公園に行って遊び、お弁当を外で食べる、というのが至上命題であったわけだけど、その一方で、松江にある県立図書館に行きたいという個人的な希望もあり、この両立にとても腐心した。というのも、松江方面にはそういう、小学校高学年と中学生を満足させるような、アスレチックやアクティビティのある大規模な公園というものが、まるでないのだ。松江って本当に、身内なのか外部者なのか我ながら判断がつかない立場からいうのだけど、なんか絶妙にうまいこといっていない街で、大都会でもなければ田舎でもなく、どちらのメリットも見事に取りこぼしている感があって、今回の目的地選びでもしみじみとそれを痛感した。いっそのこと隣接する安来市や鳥取県は境港市、さらには米子市まで足を延ばして、ファルマンも子どものみぎりに遊んだという、大型アスレチックのある大山まで行くのはどうかとさえ考えたのだが、さすがにそれは1日の行程としてはハード過ぎるだろうと考え、やめた。結果として、遊具的なことはすっぱり諦め、松江市街にある、とりあえず野原はありそうな公園に目星をつけた。ちなみに地図を眺めているときに目についた島根大学が、もしかしてと思い検索したところ、学園祭はこの3連休の後半2日だったので非常に惜しかった。去年の広島大学のようなことにはならなかった。ちなみにわが家は、なんだかんだでこれまで岡山大学、広島大学と学園祭に行っているのだった。別に強い情熱があるわけではぜんぜんないのだが。
 というわけで、とにかく松江に向けて出発である。出発前、おにぎりを拵える。ずいぶん久しぶりだ。一家でのお出掛けの前におにぎりを仕立てるという、その行為が好きである。そしてそういうことに固執するから、子どもが育ってその機会が失われつつあることに寂しさを感じ、厄介なのだと我ながら思う。
 行程は、まず県立図書館。ドライブも兼ねて、高速道路は使わず地道で行く。昨晩に新しいプレイリストを作ってみんなで曲を入れたのだが、シャッフル再生した曲は前半、なぜか僕とファルマンのものばかりが立て続けに流れ、しかもその選曲は嫌がらせのように盛り上がらないものだったので(僕は最近お気に入りに追加した曲を中心に入れたのだが、客観視して初めて、近ごろの自分がダウナーな感じの女性シンガーの曲ばかりを聴いているということに気付いた)、残念だった。専用のプレイリストを作って家族でドライブという行為に、移動がやけに愉しかった夏の帰省の幻影を見てしまっているのかもしれないと思った。宍道湖は陽射しに照らされてきれいだった。
 島根県立図書館に来たのは、実は初めてではない。初めて来たのは第一次島根移住の際で、確認したら2012年9月のことであった。実に12年前。辰年のときだけ来る一家。12年前なので、行く前はぜんぜん当時の情景が思い出せなかったが、行ってみたら、そう言えばこんな感じだったかな、という感じがあった。前回ここに来たのは、ファルマンの仕事の資料がここにしかなかったからだったが、今回の来訪の目的は主に僕で、仕事ではなく趣味の、いわゆる性的だったりする本が、検索すると県内でここにしかない、というのが数点出てきたので、行くっきゃないとなったのだった。そして、いちど行って利用者カードさえ作れば、あとは地元の市立図書館で受け取りや返却ができる仕組みがあるに違いないという狙いもあった。入館し、まず申し込みをする。用紙に記入をしてカウンターに持っていくと、「おふたりは既にカードを作られていますね」と言われたので驚いた。当時は実家の住所だし、なにしろもう12年間利用がなかったのだから、てっきり失効になっているものと思っていた。これで失効にならないのだとしたら、死去した人間のデータも残り続けるわけで、いつか県立図書館の利用登録者数は日本の人口を超えるのではなかろうか(1日に5人くらいは増えているだろう)。おかげで僕とファルマンのカードだけは、ラミネートなしの仮発行のものとなり、「家で以前のものを探してください」と言われてしまった。そんな出来事もありつつ、しかし県立図書館の蔵書はやはりなかなか充実していて、あらかじめメモしてきたものに加え、その本のある書棚に行けば、その近辺にも見逃せないものがあったりして、とてもいい収穫だった。わざわざ行った果以があった。ちなみに今回の本から早速、返却は市立図書館でできる仕組みでの貸し出し処理をしてもらったので、今後こちらまで足を運ぶ機会はそうそうないだろうとは思う。
 図書館のあとは、昼ごはんを食べるために公園へと向かう。悩んだ末に選んだのは、松江の中心地から少し東側にある、楽山公園という所。遊具がないというのは織り込み済みだったが、緑豊かな遊歩道があります、といった感じで紹介されていたので、それならばいい景観で弁当を食べるようなスポットもあるだろうと思ったのだった。ところが、である。駐車場に車を停め、こちらがたぶん公園エリアということだよなあ、というほうへ足を進めてみると、あまり整備されていない感じの、饐えた臭いのする池と、ひたすら生い茂るうす暗い林ばかりで、とても食事ができるような感じではなかった。もちろん子ども連れなど誰もいない。奥に野球場があり、少し覗いたら草野球をやっていたが、それも完全に選手ばかりで、周辺で選手の家族がピクニック気分で和気あいあい、ということも一切なく、なんだか非常にエンタメ性のない、必要最低限の、こう言っては何だが、非常に松江らしい要素の横溢した公園であった。仕方なく駐車場のほうへ戻り、仕方ないから車で食べようかねえ、などと話していたが、駐車場の脇あたりは、それでもいちおう野原のようになっていて、座るための場所などもあったので、そこで食べることにした。車を降りて、公園に繰り出す前には、目に入らなかった場所。でも実はそこがこの公園のピークであったという。ロケーションとしてはそんな感じだったが、それでも外でごはんを食べるという目的は果たせた。この予定に合わせて昨日の晩のメニューとした唐揚げの残りも含め、おいしく食べた。たとえこんなおかしな場所でも、外で食べるごはんはおいしい。
 そのあとは松江イオン。生地はさすがに買わなかった。ゲームセンターに行って、ポルガは音ゲーをし、ファルマンとピイガはクレーンで遊んでいた。珍しくふたりとも景品をゲットすることができ、特にファルマンはドーパミンをドバドバ出している感じでおそろしかった。おやつのミスドを買って帰る。ミスドはおらが町にだってあるけれど。
 帰りは高速道路。4時前には家にたどり着くことができた。久々に一家の予定の合った休日の外出として、十全であったような、もうちょっと高みを目指せたような、この微妙な感じこそ、まさに松江といった感じだな、という1日であった。

2024年夏の自家用車横浜帰省 6日目最終日

 いよいよ夏の帰省も最終日である。目が覚めたとき、とうとう地震から逃げ切ったな、と思った。実際、先週の木曜日から1週間ということで始まった注意期間は、この前夜に終了していたのだった。ああよかった。
 今日は豊川から島根まで、ひたすら長い移動。でもそうは言ってもそれだけなので、10時まで桃源郷をじっくり味わうことにする。朝風呂にももちろん行った。ただしサウナはせず。サウナはどうしてもしたあとで怠くなってしまうので、運転に差支えがあるだろうと判断してやめた。風呂に浸かってのストレッチが気持ちよかった。
 ゲームセンターに行ったり、漫画を読んだり、チェックアウトまでしっかり堪能し、後ろ髪を引かれながらホテルをあとにした。すぐにでもまた行きたいくらい快適な空間だった。実はこれで宿泊代は往路の津のホテルより安いのだ。たまんねえな、常宿にしようかな、と思った。
 ホテル近くの地元スーパーに寄り道し、食料やおやつを買い込んで、いざ最後の移動へと突入した。走り始めは、近付く台風7号の影響であろう、不穏な雲や強風があったが、なにしろ西へ西へ、台風とはどんどん離れてゆくわけで、三重に入ったあたりですっかり平常に戻った。どうせなら行きとは別のサービスエリアに行こうということで、滋賀の土山サービスエリアや、岡山の勝央サービスエリアなどに寄った。島根の実家へのおみやげとして、昨日沼津で富士山モチーフのチョコを買っていて、今日は追加として琵琶湖モチーフの焼き菓子なんかを買った。富士山と琵琶湖のみやげが同時にあるってなんかすごいな、でもわが家は今回まさにそういうことをしたんだよな、と思った(横浜の実家へは、蒜山・宝塚・浜松で買ったみやげを渡した)。
 中国道に入ってからは、明らかに車の数は少なくなり、この日は一切の渋滞にまみえず、18時前には無事にわが家へとたどり着くことができた。これなら大丈夫。次回からは行きも帰りも豊川だな、と思った。ちなみにもしものときのためにファルマンにフリードの運転を練習させていたわけだが、結局はいちども代わらなかった。代わってもらった場合、助手席で余計に疲れることになるのは目に見えていたからだ。まあ得てして、運転手というのは、酔わないし、逆に疲れなかったりするものだ。
 そんな今夏の横浜帰省だった。初めて自分の運転する車で、ここまで本州を横断したので、とても愉しい経験だった。これまであまり馴染みのなかった滋賀・三重・愛知・静岡あたりの県が、とても身近に思えるようになった。途中でも書いたが、京都だってそう遠くないことを知ったし、京都のジャンクションでは福井などの北陸方面に向かう案内もあった。そっちだって行こうと思えば行けるのだ。というわけで今回の横浜行きの感想としては、「高速道路がおもしろかった」ということになる。次回もおそらくこのやり方で行くことになるだろう。成功してよかった。

2024年夏の自家用車横浜帰省 5日目

 昨日はヘトヘトになったが、この日は今回の旅程のスケジュール的に最も楽な日で、というのも、往路の「島根→津:津→横浜」というのが、比率として「5.5:4.5」だとすれば、この日の宿泊場所は愛知県の豊川市であり、「横浜→豊川:豊川→島根」は、「3.5:6.5」という感じだからだ。今日はただ、横浜から愛知の、それもやや西側まで行けばいいだけの日。
 だから出発も悠々で、なにしろ公共交通機関ではないので自由なのだが、15時からのチェックインよりも早く着いてもしょうがないので、まあ11時半くらいに出ようかね、という感じだった。テレビでは台風7号のことが盛んに報じられていて、関東に最接近する明日は新幹線が計画運休する、などと言っていた。世が世なら、である。わが家の場合、この日のうちに愛知県に移動するので、ギリギリで台風の影響は受けずに済みそうだった。それにしたって、南海トラフ地震注意に始まり、台風まで発生して、帰省というのはこんなにもアドベンチャーなものであったろうか、と思った帰省だった。
 祖母と母、いとこふたりに見送られながら、出発する。出発してわりとすぐ、やっぱり綾瀬のあたりで渋滞に捕まる。行きも帰りもということは、常態として渋滞しやすいスポットなのだろう。これがなければ小一時間くらい、所要時間が短くなるのにな。そこを抜けたあとは快調だった。途中、駿河湾沼津サービスエリアで休憩。ちなみにだが、行きも帰りも富士山は見えなかった。天候的に見えなかったのか、新東名を走ったところで決して見えるものではないのかは判らない。
 豊川へは15時半くらいに着いた。愛知県に、通過するだけでなく足を踏み入れたのはこれが初めてだと思う。豊川はバイパス沿いにあらゆるチェーン店が並ぶ、典型的な地方都市という感じだったが、やはり三大都市の近くで人口規模が大きいのか、チェーン店の層の厚みを感じた。ありとあらゆる店が揃っていた。その一方でごみごみしている感じもなく、田んぼなんかも普通にあったりして、ずいぶん暮しやすそうな場所だな、と思った。
 往路の津は伊勢神宮という事情があったからだが、復路のここにはどういう目的があったかと言えば、土地そのものには関係がない。近隣の観光スポットを検索したところ豊川稲荷があったけれど、行くつもりはなかった。じゃあなにかと言えば、それはひとえに宿泊施設だ。その名もコロナワールドという、温浴施設にゲームセンター、映画館、ファミレス、ボーリング場、そして(わが家には関係ないけど)パチスロが1ヶ所に集まった施設に、キャッスルイン豊川というビジネスホテルも併設されていて、宿泊客は風呂もサウナも入り放題ということで、そんなのもう桃源郷じゃん、と思って、あんまり横浜と島根の中間地ではないなとは思いつつ、ここっきゃないと思って予約を入れたのだった。そんなわけで、施設そのものをレジャーとして堪能するため、ほぼチェックイン時刻めがけてやってきたというわけである。
 期待がだいぶ大きかったので、実際どうなるか不安だったのだが、行きのホテルの名前は出さないのに対し、こちらは明確に書いているということが示すように、ものすごくよかった。本当に桃源郷だった。部屋はトリプルルームで広く、エレベータで降りればそこはゲームセンターで、ひとしきり遊んだらサウナ。宿泊客は専用のエレベータで、一般客がお金を払う入り口の奥から入ることができる、というシステムがよかった。なんかもう、どうしてこんなに甘やかしてくれるの、われわれ一家は庇護対象なの、というくらい心地がよかった。さらには岩盤浴コーナーでは漫画が読み放題と来て、子どもたちも大喜びの様子だった。10時のチェックアウトまで目一杯いよう、この夜が40時間くらいあればいいのに、と思った。晩ごはんは施設内のレストランで食べる。ウェルカムドリンク一杯無料のチケットがもらえ、選択肢の中には生ビールもあり、心が千々に乱れたけれど、ホテルでは酒を飲まないという当初の誓いを守り、なんとか耐えた。生ビールの選択肢があるのにウーロン茶! もはや聖人の所業ではなかろうか。ちなみにこの食事の際、大社高校の2試合目がもう終盤で、やはりスマホでスコア速報を更新しながら確認していたのだが、タイブレークの末に勝利ということで、さらに多幸感のある夜となった。寝てしまうのが惜しかったけれど、翌日の運転は長いので、そうも言っていられず、寝た。

2024年夏の自家用車横浜帰省 4日目

 そう言えば、気になる人は気になっているであろう、『実家においてオートメーションで祖母が行なう衣類の洗濯に、この2年あまりですっかり、手作りのビキニショーツしか穿かないタイプの人になったパピロウは、どう立ち向かったか問題』なのだが、前回の帰省から1年半経って、祖母は95歳となり、実はうすうすそんな予感はしていたが、祖母はさすがに日々の洗濯係からは引退した模様で、そして母というのはあまり洗濯を積極的にするタイプの人ではないので(よく洗濯機を回したあと干すのを忘れて丸一日経ったりしていた)、帰省中の洗濯はセルフと言うか、なんなら祖母と母の分も一緒に回してわれわれが干す、みたいな形になったのだった。そしてそれはほぼ理想的な形と言っていいもので、滞在中は勝手に回し、勝手に干し、勝手に取り込んで、勝手に畳んだのだった。とは言え初日からそのスタイルが確立されていたわけではないので、そこではショーツは洗濯に出さず、かと言って荷物の中に入れていた、実際には穿いていないのに洗濯に出すカムフラージュ用のボクサーパンツもまた、出さない、すなわち下着はなにも洗濯に出さないという選択をしていたのだけど、滞在3日目となるこの日、初めてショーツを洗濯に出し、横浜の空の下に干したのだった。いったい僕はなにについて、こんなに言葉を弄して語っているのだろうかと、我ながら思う。
 さすがに洗濯を引退した祖母だが、しかし傍から見れば変わりなく元気そうで、長生きの年寄りというのは基本的にそういうものなのだろうとも思うが、なにより自分の健康についての自信、そしてそれを自分のみならず周囲へも十全に認識させようとするガツガツ感が、とにかくすごいと思った。実際、体もまだよく動くようで、それは誇るべきことだろうとは思うが、週一で通うようになったというデイサービスにおいて、自分よりも年少でありながらもはやよぼよぼの老人たちに較べ、自分がどれほど健康体であるかを朗々と語る祖母の姿を見て、人間および生き物の本性、とにかく長く生き抜こうと思ったときに必要なのは、倫理や貞節などでは決してなく、他者を見下して自尊心を高めることとなのだな、と思った。今回の祖母の言い回しで感心したのは、「80代の人もみんな杖をついているが、私は杖のつき方を知らない」というものだ。この驕り高ぶりと来たらどうだ。「負け方を忘れてしまった」というフレーズをどこかで聞いたことがあるけれど、それと同種だ。ただし「負け方を忘れてしまった」のほうは、フラグと言うか、そんなことを言っている奴はいつかコテンパンに痛い目に遭うだろう、という気がするけれど、95歳の祖母は、もう何を言っても許されるので、要するに最強だと思った。いいなあ、95歳で、「杖のつき方を私は知らない」と言える人生。血筋としては素質があるはずなので、目指して生きていこうと思う。
 さて全体4日目の予定だが、この日は特に予定を入れず、事前に姉に、「この日にいとこで一緒に遊んでやってよ」とだけ打ち合わせをしていた。この日もなにも、近所に住むいとこたちは隙あらばこちらにやってくるわけだが(そのためこの前日などは、来てくれるなとわざわざ頼む必要があった)、せっかくの1日フリーということで、横浜に来たからには、みたいな所へ繰り出したいという思いがあった。しかし前日ポルガはあんな状態だったし(回復したようだったけれど)、なにより山陰よりもやはり強く感じられる関東の暑さに参っていたしで、「家で4人で桃鉄でもすればいいんじゃない?」と提案したのだが、もちろんあえなく却下され、結果的にみなとみらいにある「VS PARK」という屋内型ゲーム施設に行くことになった。ちなみにもうひとつの候補として、渋谷および原宿という、これはこれでド田舎の中学生にとってはだいぶ訴求力のあるスポットに繰り出すという案もあり、どちらかと言えば僕はそちらのほうがよかったのだが、具体的にどこでなにをするというプランのないそちらに対し、「VS PARK」のホームページはやることが明確かつ魅力的で、どうしたって子どもたちの希望はそちらに傾いてしまったのだった。島根からスタートし、8県2府を跨った今回の旅路で、最後に東京都まで踏破したいという思いがあったのだが、残念だった。僕が利用していた頃とは様変わりしたらしい渋谷の街を、今回こそは味わいたいと思っていたが、また持ち越しになってしまった。
 というわけで、みなとみらいに向けて出発する。母も姉も来たので、計8人の大所帯だ。あざみ野から市営地下鉄で桜木町まで。ちなみにこのときわが家4人は、去年3月の帰省以来、1年半ぶりに公共の乗り物に乗った。田舎暮し、マジで公共の乗り物に乗らない。そして公共の乗り物って、乗らずに生きていると、どんどん乗りたくない気持ちが強まってくるものだな、と思った。
 みなとみらいは、「USP」で確認したところ、2015年の9月以来であるらしい。当時、ポルガは4歳、ピイガは1歳。シルバーウィークでの帰省の最終日、新幹線で岡山に帰るという日に、ファルマンの大学時代の友達と集ってごはんを食べ、最後に子どもたちにせがまれコスモワールドでメリーゴーランドに乗ったところ、想定外に時間がかかり、このままでは乗るはずの新幹線に乗り遅れてしまう、となって、コスモワールドから桜木町駅まで全力疾走した記憶がある(子どもにはもちろんない)。当時からの違いとして、聞き知ってはいたがロープウェイができていた。なるほどなあ、という感じのロープウェイだった。「VS PARK」の入る施設までは、ランドマークタワーの足元などを通りながら、歩く。途中のビルでドラクエのイベントをやっていて、巨大なスライムが吹き抜けの中空に浮かんでいたので、写真を撮って義妹に画像を送って自慢した。
 わりと歩いて(都会特有の、気付けばわりと歩くやつ)、目的の商業施設に到着した。施設はコスモワールドのすぐ隣だった。ここまでもそうだったが、中もすごい人の数。お盆だから逆に関東からは人が減っているんじゃないか、という希望的観測は泡と消えた。「VS PARK」も当然ながらすごい行列で、たじろぐが、8人でわざわざここまで出向いている以上、じゃあやめよう、というわけにもいかず、並ぶ。これが実に長かった。当初見えていた列は、先へ進んで道を曲がるとさらに奥に続いていたので、心底うんざりした。わが家は、島根在住者なんですよ! 行列耐性が、日本でいちばん低いと言って差し支えないんですよ! 容赦してくださいよ! ファルマンは途中からうずくまり、スマホをじっと眺めるだけになり、なにを見ているのかとそっと覗いたら、あだち充の漫画を読んでいた。この人は今、あだち充の漫画を読むことで、ギリギリ踏ん張っているのだな、と思った。
 並んだ末にようやく入った「VS PARK」は、その名の通り「フレンドパークⅡ」や「VS 嵐」をモチーフにしたような施設で、中には「そのまんまじゃねえか」みたいなゲームもあった。入場まで待たせる代わりに、中はそこそこの混雑に抑えるという仕組みのようで、2時間の制限時間の中で、並んでるだけでぜんぜん遊具にありつけねえじゃねえか、ということはなく、それなりに遊んだ。子どもたちは愉しそうだった。大人は、もう行列の時点で腰などがだいぶ悲鳴を上げていたので、子どもたちの撮影を中心にやって、あと穏当そうなゲームを少しだけこなした。ヘロヘロだった。
 退場後は、もう15時近くになっていて、昼ごはんがまだだったので空腹だったが、施設内のフードコートには人が溢れていたので諦め、駅に戻る途中のファストフードで済ませた。連休中の観光地なのだから当然だが、とにかく、とにかく人が多かった。
 夕方に帰宅したら、祖母によって洗濯物が取り込まれ、畳まれていた。初めて油断してショーツを干した日にこんなことになったか、と思った。祖母はたぶん、ファルマンかポルガのものと思ったろうな。
 実家で過す最後の晩ということで、夕飯時にはふたたび叔父と義兄もやってきて、食卓を囲んだ。叔父とは今回、ほとんど会話をしなかったな。広島大学に遊びに行ったという話も、するのを忘れてしまった。最後に全員での集合写真を撮ってお開き。くたくたになった1日だった。

2024年夏の自家用車横浜帰省 1日目

 横浜帰省から無事に戻った。
 南海トラフ地震注意に怯えつつ、さらには台風7号に追い立てられながら、しかし結果的には何事もなく、住まいへと戻ってくることができたのだった。本当によかった。
 移動日のホテル宿泊も含めれば5泊6日にも及ぶ日々を、これから綴っていく。ちなみに車だったので、ノートパソコンも持っていったのだが、結局いちども起動させなかった。毎日日記を書いておけば楽だったろうにな。
 出発は8月11日であった。発生から1週間が経過し、注意報も解除された今となっては、結果論として過剰な反応ということになってしまうが、降って湧いた南海トラフ地震注意に、出発前の2日間はだいぶ悩んだ。移動は長く、そしてその道程はだいぶ南海トラフの警戒地域である。わざわざこのタイミングで、南海トラフの話題は普段、はっきり言って他人事である山陰の人間が、ノコノコそっちへ出ていく。これで本当に被災したら目も当てられない。宿泊先が実家だけならまだいいが、行きは三重県、帰りは愛知県の、それぞれなんの土地勘も縁故もない地方のホテルに泊まるのである。もしもその夜に地震が起ったら――? とまあ、不安は大きかったのだが、実際に取り止める踏ん切りもつかなかったので、決行した。
 行きの宿泊先は三重県と書いた。三重県は津市である。津は、スムーズに島根から横浜を目指すのであれば、少し寄り道になる位置にある。ではなぜ津かと言えば、今回のこの帰省には、伊勢参りというオプションも付けていたからだ。せっかく車でこのあたりを通るのだから、いつか行きたいと思っていた伊勢神宮観光も兼ねようではないかと。三重県の南方にある伊勢はだいぶ遠いが、早朝に出発し、昼あたりに着いて、半日ほど伊勢神宮を巡り、そして夜に津のホテルに入る、という算段を立てていた。しかしこの予定は、ポルガの部活動の影響(あまり誰も行けると思っていなかった上の大会に進出してしまったのだ)により、急遽中止することになった。11日の午前に部活が入ってしまったのだ。残念は残念だったが、この旅程の初日に、早朝に起きて炎天下で伊勢参りというのは、やったらけっこうハードだったかもな、とも思う。
 というわけで昼過ぎ、ポルガを学校で拾っての出発となった。伊勢参りがなくなったことで、この日は津まで行ってホテルにたどり着ければそれでいい。渋滞がなければいいな、と思いながら長い旅路が始まった。車内では、このために作ったプレイリストをひたすら流した。横浜帰省用として、2ヶ月ほど前から、ひとり10曲、計40曲というプレイリストを、12個作っていたのだ(ポルガやピイガは意気揚々とやっていたが、僕とファルマンは120曲を選出するのに大いに苦労した)。1つで大体2時間あまりとなるそれを、順番に再生し、最後に家に戻ってきたときは、ナンバー10の途中だった。自分が聴きたいと思って入れた曲と、家族の選んだ聴いたことのない曲が流れるので、飽きずに道中ずっと愉しめた。日々の運転でもだが、音楽のサブスクはだいぶ車中のQOLを上げてくれていることだな、と改めて思った。
 道は、岡山(倉敷)との行き来では、広島県を通る、しまなみ街道を使って尾道まで出るルートだが、検索したところ今回のような場合はそっちではなく、しまなみ街道ができるまでは使っていた、鳥取県を通って蒜山や津山など岡山県の北部に出て、そこから兵庫県へと進んでゆくルートのほうが早いということで、久しぶりにそっちの道を走った。途中、蒜山高原や宝塚北のサービスエリアで休憩した。宝塚には手塚治虫コーナーがあったので、寄ってよかった。兵庫県を越えると大阪府で、さらには京都府、そして滋賀県も少し掠める。ちなみに大阪と京都は、イメージしていたような風景ではぜんぜんなかった。そういうものだな。島根だってほとんどの地域は神の国でもなんでもない。それにしても京都だ。「京都市街」みたいな表示のインターもあり、ここを降りたら京都観光ができてしまうのかー、と思った。宿泊先さえ確保できれば、片道4時間ちょっとくらいで、京都旅行ってできるんだな。今回の経験を通して、これまでなんとなく畏敬の対象で遠かった京都が、存外そうでもないのだということを知った。そのうちやれたらいい。そして滋賀を抜けたらそこはもう三重県である。この道程において、大阪や京都あたりの渋滞が不安だったが、そこはぜんぜん問題なくて、でもなぜか唯一、滋賀から三重までの間の、具体的にどのあたりだったかもう忘れたが、トンネルが連続する山道のあたりで、何十分間かの渋滞に巻き込まれた。まあそのくらいで済んだのはよかったと思うべきか。
 ちなみにこの道中で、島根県代表である大社高校の、甲子園1試合目が行なわれており、ここというのはファルマンの上の妹とその夫の出身校であり(妹のほうが2つ上で、高校時代は面識がなかったという)、さらにはパピロウヌーボでおなじみのプロ角マキコこと江角氏の出身校でもあるため、わりと身近に感じているのだった。しかし初戦の相手が、春の選抜の準優勝校である兵庫の報徳学園ということで、これは無理だろう、まあ甲子園に行けてよかったよね、などと思っていたら、勝ったのでとても驚いた。試合状況はファルマンが助手席でちょいちょいチェックする形で確認していたのだが、試合が終わってしばらくしてから、そう言えばラジオで聴けたんだな、と気づいた。
 そうして無事に津に到着。ホテルは市の中心地にあって、街と道の感じが、なんとなく岡山を彷彿とさせた。ホテルに入る前にガソリンを満タンにし、あと地元のスーパーで夕飯を買い込む。事前にわざわざ調べさえした地元のスーパーは、しかし期待していたような愉しさのない、いまいちな感じだった。ちなみに酒は買わない。事前の宣言通り、ホテルでは飲まないのだ。5時間近い運転ののちに! 飲まない! 南海トラフ地震注意だから! だいぶん忸怩たる思いを抱えながら、酒をカゴに入れることなくレジを通した。
 ホテルはごく普通のビジネスホテルで、トリプルの部屋があれば、小学生添い寝無料とかで1部屋で済んだのだが、うまいこといかず、ツインの部屋を2つ取ることになり、その部屋割りをどうするかで少し悩んだ。結果として、寝つきがいい組(僕とピイガ)と、寝つきがクソ組(ファルマンとポルガ)で分かれることにした。これはとてもよかったと思う。部屋でごはんを食べたあとで、性分としてどうしても甘いものが食べたくなって、ホテル近くのコンビニまで買いに行くことにした。ポケモンGOをするポルガを誘い、ふたりで夜の津を歩く。コンビニは通りを1本入った、住宅街の中にあった。そもそも伊勢神宮に行くつもりで取った、だから今となってはぜんぜん泊まる謂れのない津に、なぜか一家4人で来ていて、ひと晩泊まるのだと、そして今はその津の中でも、絶対に地元住民しか使わないようなコンビニに娘と歩いて来て、プリンを買うのだと、そういうことを思うと、なんだかとても不思議な気持ちになった。津! 津て! 俺の人生に、津で過す一夜があるだなんて! 部屋に戻り、プリンを食べ、大浴場(サウナはなく、なんの面白味もない浴場だった)で風呂を済ませたあとは、僕もピイガも眠気が来たので、ピイガは21時台に、僕も22時台に、早々に寝た。向こうの部屋のことは知らない。ファルマンは「時計を見たら2時だった」などと言っていたような気がする。エアコンの設定が難しかったこともあり、僕もぐっすりとはいかず、浅い眠りの中で地震のことなどを思って途中で起きたりしたが、そのとき見た時計の時刻が2時台だったように思う。幸い地震は起らなかった。
 とりあえずこれが初日の動き。パピロウ名物、数日間に及ぶ出来事の、序盤はかなりしっかり書き込むが、後半はたぶん流し気味になるやつ。2日目に続く。

ファルマンの運転とふたつの耳すま

 ポルガの部活がない土曜日だったので、普段より多少色を付けたお出掛けをしたいと考えた結果、ゴールデンユートピアおおちへと繰り出すことにした。去年行ったときはウォータースライダーが貸し切りだったのだよな、いつ頃だったろう、今よりももうちょっと夏の気配が遠い、5月下旬くらいのことだったかしら、などと思いながら自分の日記をあたったら、6月10日のことだった。虎舞竜の「ロード」並みに、ちょうど1年前なのだった。ちなみにその日の日記も、「土曜日はポルガの部活がなかったので、」という書き出しで始まっていて、なんか人の営みというものは、田んぼに水が張られると蛙の合唱が始まるというのと同じくらい、実はシステマティックなのかもしれないと思った。
 目的地までは、途中に無料の高速道路も含んだ1時間弱の道のりなのだけど、今回はこの運転をファルマンにしてもらうことにした。わが家には車が2台あるわけだが、普段ファルマンは専ら軽ばかりを使っていて、フリードを前に運転したのは、鳥取旅行の帰りに本当に少しだけ運転を代わったという、数年前のそれが唯一なのだった。しかし今後、ファルマンがフリードを運転する必要に迫られる場面もあるやもしれないので、どこかで練習をしておきたいね、ということを前から少し話していた。それを今回、実行することにした次第である。先日ドライブレコーダーを設置したことも、この練習をするにあたっての援助となった(ただし逆にとんでもない過失が記録される恐れもあるわけだが)。
 結果的にこの首尾はどうだったかと言えば、ひたすら軽だったとは言え、やはり当時から2年以上の経験を積んだことで、鳥取旅行の帰りのときほどどうしようもない感じではなくなっていて、最初こそ「これセンターラインはみ出してない?」みたいな、車体感覚が掴めていないがゆえの恐怖はあったが、それもしばらく運転していたら整った。高速道路では、軽にはない自動運転機能を作動させる、その作動のための操作を実習する予定だったが、「まずハンドルの右にあるそのボタン」とこちらが言っても、「ハンドルなんか見られん」と、前方から一瞬も目を逸らさないので(正しいことではあるのだけど)、結局機能を作動させることはできなかった。あと高速の出口では、普通に反対車線に出そうになったので、とてもおそろしかった。「曲がった先に車線がふたつあると、自分が走るのが右か左か分からなくなる」と言っていて、なんでだ、日本からいちども出たことがないくせになんでだよ、と思った。とまあスリリングな要素はあるのだけれど、とりあえずいざとなればファルマンもフリードを運転できないことはない、ということが確認できたのはよかった。
 到着したゴールデンユートピアおおちは、相変わらずの非日常空間で、ウォータースライダーも貸し切りでこそなかったが、家族が数組だったので、順番待ちで並ぶということもせず、あのグループがやっているときはこっちは普通のプールで遊び、空いたら次の時間帯はわれわれがひとしきり占有する、みたいな感じで、ストレスなく平和に遊ぶことができた。やっぱりわざわざ行く価値のある、なかなかいい施設なのだった。
 帰りは僕が運転した。ファルマンが行きの運転でグロッキーだったというのもあるが、助手席というのはとにかく退屈なものだということを、久しぶりに長い時間自分が運転しない車に乗っていて感じたのだった。だからまあ本当に、いざってときだな。
 帰宅後はプールあとの気怠さもあって、各自ぬるぬると過した。夜になって、近ごろ週末のテレビがぜんぜんおもしろいものをやっていないので、もういっそのこと映画を観ようという話になり、そうなってくるとわれわれの場合どうしたってジブリで、じゃあジブリのなにを観ようかという議論の結果、「耳をすませば」ということになった。人生何度目か知れない「耳をすませば」。観始める前は、実は少し怖かった。もしも「耳をすませば」を観て、ぜんぜん思春期のキャラクターにときめけなくなっていたらどうしよう、と思ったのだ。しかし杞憂だった。ぜんぜん無理することなく、ときめけた。自分の子どもが中学生になってもなんの問題もなくときめけるのならば、もう一生大丈夫なのかもしれない、と安心した。願わくは死の床でもこの映画を観て、ときめきにとどめを刺されて、キュン肺停止のキュン不全で昇天したいものだと思った。
 そんな感動の夜だったので、翌日の今日、昨日の余韻が残っているうちに、2年前に上映された実写版の「耳をすませば」を観てみようじゃないか、ということになった。上映当時から存在はもちろん気になっていて、機会があれば観たいと思っていた。それが先ごろからプライムビデオに追加され、そして土曜日にジブリ版を観たとなっては、この日曜日に観る以外ない。というわけでおやつのあと、晩ごはんまでの時間帯で、ファルマンと観た。感想は、なんとも言い難い。純然たる疑問として、どうして作ったの? ということを思った。いろんな意味で、どういう意図で作られることになった映画なのか、さっぱり分からなかった。今後のジブリ版との付き合いのため、この観賞はなかったことにしようと思った。
 そんな感じの週末だった。土曜日の夕方から降り始めた雨は、今日一日ずるずると降ったり止んだりを繰り返していて、これはあれだな、梅雨だな、と思った。

要点を押さえたGW後半

 GWの後半が終わろうとしている。つまり今年のGWが終わろうとしている。寂寞である。
 初日の5月3日は、次女一家がこの前日の晩に移動して、既に実家に来ていたので、午前中から出向いた。春休み以来なので、1ヶ月ぶりでしかない。とは言え次女の第二子は、この間に1歳児から2歳児へという、年齢が2倍になるという大いなる躍進を遂げたのだった。すごいなあ、生まれたばかりの頃というのは。
 人が多かったので、昼ごはんの準備は買って出ることにした。材料はもちろん、ホットプレートまで持ち込んで、ソース焼きそばを作る。4玉を3回やった。
 食べたあとは、なぜだか出雲大社に行こうという話になって、僕の車と次女の夫の車の2台に分かれて出発した。地元民がGWに出雲大社に行くなんてものすごく馬鹿げた話だが、山陰では滅多にないような晴天だったので、出掛けないというのも阿呆らしく、出雲大社はともかく稲佐の浜を歩いたらさぞ気持ちがいいだろうと思った。なるべく混まない道から行こうと考え、大鳥居をくぐってご縁横丁を進む正面ルートではなく、裏側の稲佐の浜のほうから入るコースを選んだのだが、熟慮の果以むなしく、ひどく混んでいて、駐車場に入るまでだいぶ時間が掛かった。いざ駐車場に入る直前まで来たら、交差点の向こう側の、正面ルートから来る車はそこまででもないように見え、もしかしたら最近急に言われ始めた、「稲佐の浜の砂を持って出雲大社の砂と交換するのが正式な参拝法」という、これまで地元民は聞いたことのなかった言い伝えのせいで、今はむしろこっちの道のほうが混むのかもしれない、と思った。ちなみに道々の車は、全国津々浦々のナンバーで、島根や出雲はむしろ少数派だった。それはそうだ。散歩なのか参拝なのか、というような感じで境内を巡り、帰った。渋滞で時間と体力を喰ったこともあり、もう稲佐の浜はいいか、となった。僕的にはむしろそっちがメインだったのだけどな。
 実家に帰還後は、僕とファルマンだけがいったん自宅に戻り、夕方になってまた出発する。晩ごはんは鮨ということになり、ネットで注文したそれを店で受け取ったあと、実家へ再び赴いた。そして一同で食べた。1日、きちんと一族で過したな、県外に住む娘一家も帰省してきたのだし、GWに1日くらいこういう日はあるべきだな、というような日だった。
 翌日、5月4日は、次女一家は向こうの両親とともに泊りがけで広島にプロ野球を観に行く(これはこの一家の恒例行事のようだ)ということで、実家の面々とは絡まず、ゆるゆると過す。ポルガが午前中部活だったので、午後から道の駅キララ多伎へと出向き、昨日の稲佐の浜の雪辱で、海に足を浸したりして遊んだ。3月下旬に来た際は、春先の、まだ冷たい日本海であったが、今回は気候がよかったこともあり、裸足では砂浜が熱いほどだった。海開きはもちろん先で、まだシャワーも稼働していないのに、がっつり海に入って遊んでいる家族なんかもいて、こういう輩って毎年いるよな、と思った。気持ちは分かったけれど。
 晩ごはんは豆アジの唐揚げと、ミネストローネ。前晩の鮨しかり、自分が食事を担当する大型連休期間は、みそ汁が登場しないことが多く、気付けば野菜不足になっていたりするので、2日にわたって使えるような分量でミネストローネを作る。おいしかった。
 食後、せっかくGWだし、ということで久しぶりにトランプを持ち出し、大貧民をした。ちなみにだが、このGWを通し、わが家はとうとういちども誰もswitchを起動させなかったのだった。なんだかすっかりわが家のゲーム熱は下がったな。要するに、あまりゲーマー気質の人間たちではないのかもしれない。各自他にやりたいことがあるのなら、それに越したことはない。
 僕は合間の時間などはどう過していたかと言えば、そこまでバリバリやっていたわけではないが、今年も母の日にリクエストを受けたエプロンを作ったりなどしていた。プールは、会員が4月末で切れてしまい、なにも混んでいるであろうGWに行かなくてもなあという思いから、次の申し込みを先延ばしにしているため、行けていない。サウナもまた、いちどくらい行くかなとも思っていたのだが、結局行かなかった。
 それでは家でひたすら暇を持て余すGWだったかと言えば別にそんなこともなく、なんだかんだでちょこまかと動いた。3日目となる5日は、ポルガの部活もなかったので、午前中から松江へと繰り出した。目的は、ひとえに扱いの悪さによるものだろう、ポルガのスマホの不調を直してもらうためで、せっかく松江に行くのだからということで、なんかしらのイベントはやっていないものかと調べたのだが、意外とめぼしいものは見つからず、わりと純粋に、イオン松江にだけ行って帰った。スマホは店員さんが操作したら、わりとすぐによくなった。これはどうも、ちょっとした設定操作でなんとかなる、「わざわざ来なくてもよかった案件」のようだな、と感じたが、店員さんがやけに感じのいい人で、横溢する「わざわざ来なくてよかった案件」の香りを、ふわっと煙に巻くような感じの説明で、「そんなことなかったですよ案件」にしようとしてくれている様子だったので、こちらもそれに乗っかり、「来てよかった案件」として処理することにした。すばらしい大人たちの処世術だな、と思った。
 そのあと、せっかくだからということで、松江のブックオフに立ち寄る。初めて入った店。しかし近ごろブックオフって、本当に買いたいと思えるものがなく、そしてそれはブックオフではなく、100%僕のほうに原因があるので、かつて愉しめた場所が愉しめなくなったという種類の、いかにも中年的なアンニュイさに襲われるのだった。そしてこの精神の流れは、いつも入店してから思い出すのだ。入店する前は、過去のイメージから、いつもわりと意気揚々としている。ちなみに買わなかったけれど、二次元ドリーム文庫や美少女文庫が、110円の棚にずらーっと並んでいたので驚いた。この現象こそが、僕のブックオフとの距離を象徴しているな、と思った。かつてこれらのレーベルの文庫は、需要によるものだろう、よほど汚れているとかでない限り、滅多なことでは110円の棚には行かなかったのだ。400円とかしたのだ。それが今ではほとんどが110円になってしまった。そして在庫処分のように110円の棚に多く並ぶのは最後の輝きで、そのあとはもはやブックオフというフィールドからいなくなってゆくんだろう。哀しい。並んでいるものには、人生の途中で泣く泣く手離したようなものがわりとあって、ここでまた手元に置いておこうかな、ラストチャンスかもしれないな、などとも思ったのだが、娘たちに隠れてレジを通すのが、不可能ではないだろうが億劫だな、と考えてよした。自分も、ラノベ系文庫エロ小説も、すっかりフェーズが変わってしまったのだな、と切なくなった。娘たちは、漫画や児童書を何冊か買っていた。それでいい。それでいいんだ。
 帰宅した午後は、おやつに買って帰った柏餅を食べ、あとの時間は各自やりたいことをして過した。晩ごはんは、ミネストローネと、スーパーで買った味付きの焼くだけの豚肉だったのだけど、こちらがあまりおいしくなくて残念だった。
 夜は、この前の晩から2日がかりで、金曜ロードショーで放送した「すずめの戸締まり」をファルマンと観終えた。作品の世界観を理解してもらうための説明なんて、いつの間にかもう一切しなくていいことになったのか、と思った。そうだったのか。いつからだよ。
 かくして今日、6日がGWの最終日。ファルマンと子どもたちは午前、兵庫に戻る次女一家の見送りのため実家へ。広島みやげとして、もみじまんじゅうをもらって帰ってきた。僕はエプロンをとりあえず完成させた。今日はもうどこへも行かず、明日からの平日に向けて体制を整えようと思う。
 今年のGWは、遠出こそしなかったが、「渋滞」(出雲大社)、「親戚の集い」、「海遊び」、「高速道路移動」(松江)と、要点だけはやけに押さえた日々だった。というわけで、まあ悪くなかったんじゃないかと思う。ひどい疲労感とかもないし。さあ、ここから夏までは、わりとストイックな日々だな。次女一家もさすがに夏休みまでは現れまい。せいぜい気丈に暮そうと思う。

異世界転生したGW前半

 前半と後半にきぱっと分断されている今年のGWの、前半を終える。
 初日の土曜日は、土曜日なので僕はいつものように、午前中は買い出しに勤しんだ。ちなみに4月の食費も、まあなんとか予算内に収まりそうである。担当している食費のやりくりは、気を抜いたらすかさずオーバーしてしまうような、絶妙な設定になっているため、もう少し余裕があればいいのにと常に思いつつ、なんだかんだで愉しんでいる面もある気がする。
 帰宅して、昼ごはんまでにはまだ余裕があったので、ひとりプールへと繰り出す。ピイガは、混んでいるだろうから、という理由で付いてこなかったのだが、行ってみたら意外と空いていた。世の中、4月はまだプールの機運ではないのかもしれない。
 この日の午後は、どこへ出掛けるということもなく、家で過した。筋トレをしたり、子どもたちの新しいキャスケットを作ったりなど。おやつに白玉を作り、アイスとあんことともに食べる。そして晩ごはんは餃子。ちなみに白玉作りにも、餃子包みにも、もちろんピイガは参画した。そのさまを見て、小学5年生はまだまだ懐っこいものだな、と思ったが、しかしこれはひとえにキャラクターによるものだろう。ポルガはこれよりももっと幼い頃から、食べるものを一緒に作ったりなどまるでしなかった。あいつは将来、どういう食生活で生きてゆくのだろうか。たぶんファルマンの大学時代のような感じになるのだろう。チョコチップスナックと、吉野家と、アセロラドリンクで食いつなぎ、徹夜でネットをし、明け方に寝て、口中に口内炎を作って生きてゆくんだろう。
 2日目は予報どおりに天候に恵まれたので、レジャーデイにする。ポルガは午前中が部活だったため、終了時間めがけて学校まで迎えに行って、そのまま出発する。本当は公園などで食べたかったが、おにぎりを車内で食べた。それでもおいしかったし、テンションが上がった。家族で、車で出掛けて、弁当を食べるの、やっぱり好きだな。車内ではこの日のためにまた、ひとり5曲ずつという約定で作ったプレイリストを流す。僕は最近とてもハマっている歌手から選び、なにしろとてもいい歌なので、家族の心にもさぞ響くことだろうと思ったのだが、全員からポカーンとされたのでショックだった。「山奥のサナトリウムで唄われているような歌」とファルマンに言われ、やっぱり趣味が合わない、と思った。
 レジャーの目的地は、とうとうやってきた、ドラゴンメイズである。雲南市の奥のほうにある、なかなかディープなスポット。目玉は巨大迷路で、存在は前から知っていたのだが、なんとなく機会に恵まれず、ようやく初めての来訪となった。冬は閉鎖するし、真夏は厳しいので、GWというのはこの施設の最も繁盛する時機であろうと推察され、行ってみてあまりにも混んでいるようなら予定を変更し、鬼の舌震にでも行こうかと話していたのだが、もちろんそれなりに賑わってはいたものの、幸いそこまでではなかったため、予定通りに入場した。迷路は選ぶコースによってチェックポイントの数が異なるとのことで、せっかくなのでいちばん多いコースを選んだ。
 このコース選びの説明を受ける段階、もとい駐車場から歩き始めた瞬間からなのだが、いま思い返しても、あれは夢の中の世界だったのではないかと思うような、なんと言えばいいのか、話の通じなさというか、噛み合わなさというか、独特の感性で作り上げられた異常な空気感が横溢していて、とにかく濃厚な体験をした。迷路の要所要所に貼られたポスターには、モチーフが謎のオリジナルキャラクターが描かれ、そいつのセリフの意味がいちいち分からない。また迷路内には、建築基準法や消防法はどうなっているのだろうというような建屋があって、令和の日本とはとても思えなかった。増田こうすけの漫画の中に入り込んだのかと思った。でも総合的な感想としては、「とてつもなく愉しかった」ということになる。そんな不思議でエネルギッシュな施設だった。すべてひっくるめて、こんな体験を家族でできてマジでよかった、と思った。大当たりのGWレジャーだった。
 しかしこの日は気温もかなり高かったので、1時間以上も迷路を歩き回り、だいぶヘトヘトになった。車に戻り、近隣のお店に行って、スポーツドリンクとアイスを買って、全員でむさぼるように食べた。こういうときのアイスの美味しさったらない。そして帰宅後、まだ明るかったがファルマンとすぐにビールを飲んだ。こんなときはビールを飲まなければバチが当たる。疲労とほろ酔いで気怠くなり、とてもいい気持ちだった。
 明けて前半最終日の今日は、ポルガが部活がなかったので、午前中に、GWの特別イベントをやっているという出雲弥生の森博物館へと赴いた。こちらもまあまあ賑わっていた。王墓のボランティアガイドをやっているというのでお願いし、説明を受けながら四隅突出型古墳のエリアを歩いた。回転率などという概念は存在しないようで、とても優雅に、小一時間もかけて案内してくれた。なかなか興味深い話もあって、愉しめた。なにしろ行政が運営する、子ども向けに親しみやすくしているとは言えアカデミックな施設なので、整然とした世界であり、昨日のドラゴンメイズとの落差がすごかった。わが家は今年、ジェットコースターのようなGWを過した、と思った。
 午後は家でのんびりと過した。明日からしばしの平日。そしてGWの後半となる。こちらには次女の一家がまた実家にやってくる予定で、でもどういう日程で来るのか定かでなく、予定が立てづらいというか、もっともそれがなくても、特に計画などはない。ドラゴンメイズもわりと急に決めた感じなので、後半も流動的に、それなりに愉しめればいいなと思う。

1年ぶり岡山 後半

 次なる目的地はイオン倉敷である。
 せっかくの岡山なのに特にしたいことが浮かばないと書いたが、1年前の成功体験により、イオン倉敷のパンドラハウスでニット生地を買いあさるというのは、岡山に来た以上は外せない用件なのだった。イオンならばピイガがしたいというガチャのコーナーもあるし、なにより数時間をやり過ごすのにイオンほどの最適解は他にないだろう。
 しかしカーナビの目的地をイオン倉敷に設定したところ、所用時間48分と表示され、かなりびっくりする。そうなのだ、もうすっかり現在暮しているスモールシティ(もとい店のあるエリアがそこしかない)の感覚に染まってしまっていたけれど、要所要所に目的地となるスポットが存在するこちらの世界は、ひとつひとつの移動にわりと時間を必要とするのだった。しかも人の絶対数の多さからか、いちいち道が混む。そうだったそうだった、と車を走らせながら当時の感覚を思い出した。ちなみに交通事情に関連した事柄として、岡山と言えばウインカーを出さないことで有名だけど、久しぶりに走ったら本当にそうだった。そういう話って、取り沙汰される、すなわちネタにされるようになったら、それはもう過去の話で、今はもうさすがにそんなことない、というのがよくあるパターンだと思うが、岡山のウインカーエピソードはバリバリの現役だった。片側3車線ある国道2号線で、左右の車線から中央の車線への車線変更がウインカーなしで平然となされるさまを目の当たりにし、ここは修羅の国だろうかと思った。
 それでも幸いアクシデントなく、しかし実際に50分くらいかかってイオン倉敷に到着する。懐かしい。在住時代はよく来たものだ。いろいろ見て回りたい気持ちを抑え、とりあえず空腹を満たすためにフードコートへと向かう。フードコートはとても混んでいた。たぶんそれが人口密度そのものを示しているのだろうが、島根のそれに比べてテーブルの間がとても狭く、田舎者はとてもどぎまぎした。ピイガなど終始周囲に厳しい視線を向けながらうどんを啜っていた。そして食べたものは美味しくなかった。マックに逃げようかなとも思ったのだが、なんとなくそれ以外の、ごはん系の店のものを選んだ結果、大失敗だった。あまりこんなことを言うのもよくないと思うが、やっぱり大企業の提供する食べ物のほうが、コスパ的に絶対にいい。人生何度目か知れない学習をした。
 食事でテンションが下がったものの、気を取り直し、モール内を見て回る。変わっている店も少なくなかったが、建物の造りはもちろん同じなので、ちゃんと懐かしく思えた。あと島根に較べて、客層が明白に都会っぽいと感じた。実際におしゃれなのかどうなのかはよく分からないが、かなり奇抜と感じる恰好をした人がけっこういて、ああこれが新幹線で大都市と繋がっている文化圏というものか、ということを思った。ピイガは目的のガチャコーナーで、スーパーマリオの腕時計のガチャを回し、赤いキノコのデザインのものをゲットしていた。回すガチャ、堅実ないいセレクトだな、と思った。ピイガはクレーンゲームを好まず、よく吟味して納得した上で、回すガチャを選ぶ。(姉と違って)安心感がある。
 そのあと、待望のパンドラハウスへとたどり着き、ニットはぎれのコーナーを見る。期待をこれでもかと高めていて、そうやって高める一方で、どうせ現実はこれには応えられんだろうと冷めている部分もあった。ところがパンドラハウスはきちんと応えてくれたのだった。1年前とはまるで異なる品揃えで、多彩なラインナップが並んでいて、夢のようだった。別の場所に立ち寄っていて、少し遅れてやってきたファルマンとピイガが、売り場を手ぶらで眺めている僕に向かい、「どうだった?」と訊ねてきたので、「まあこんなもんかな、って感じ」と答えたあと、商品棚の空いている一角にまとめておいた、購入するロール状のはぎれを、両手でむんずと抱えて見せると、ふたりは「えっ」と驚いていた。「それ、棚じゃなかったの?」と。そのくらい買った。レジでは店員に「お仕事されてる方ですか?」と訊ねられたので、「趣味です」と答えた。続けて、「このお店のニットは本当にいいですね、いいものがたくさん手に入ってとても嬉しいです」と伝えておいた。4月のこづかいはだいぶえぐられたが、わざわざ来た果以があった。ホクホクした。GWだと近すぎるが、またポルガは夏にでも友達と遊べばいいと思う。
 そのあとはサーティーワンアイスを食べたり、イオンスタイルでトップバリュの鈴カステラを大量購入したりして、イオンモールをしっかりと堪能した。そして元の駅に戻るのにもまた時間が掛かるので、余裕を持ってこのあたりで出発することに。
 ふたたび戻ったかつての地元では、まだポルガが帰り着くまでに少し時間があったので、当時毎日のように行っていたスーパーに立ち寄る。立ち寄ると言うか、これも予定に織り込み済みで、生鮮品のための保冷バッグも家から持ってきていた。しかし分かっていたことだが、今日の物価高になる以前の、4年以上前の安売りスーパーは、もう幻影の中にしかないわけで、わざわざ岡山で買って帰らなくてもいいかな、と思うような、島根に対してわずかな価格差しかなかったが、でもせっかくだから、ということで肉などを多少買った。イオンで鈴カステラを、スーパーでわずかな価格差の肉を買う僕を見て、ファルマンは「あなたって本当にブレないよね」と、あまり感心した感じではない様子で言った。それはたしかにそうだと思う一方で、久しぶりの岡山で本当になんの目的も持たず、実際にやってきても結局なんにもしたり買ったりしなかったお前も大概だと思うけどな、とも思った。
 しばらくしてポルガが駅に戻ってきたので無事に回収する。友達との久しぶりの邂逅はとても愉しかったそうだ。午前中はメダルゲームで遊び、昼ごはんにはピザを食べ、プリクラを撮り、スタバでフラペチーノを飲んだという。なんだかいろいろ初体験を経たようで、とてもよかったんじゃないかと思う。「プリクラ見せろよー、あのいまどきの目がおっきくなる変なやつかよー」とせがんだが、あえなく拒まれた。ウザい父親をやってしまった。
 そうして島根へと帰った。帰りの車中、ずっとではないが、子どもたちは寝ていた。ポルガが車で寝るのは珍しい。よほど昂揚したのだろう。連れていってよかった。

1年ぶり岡山 前半

 6日土曜日、岡山へと繰り出したのだった。
 去年の3月以来、かの地を離れてから2度目の来岡である。今回の目的も、前回と同じく、ポルガが小学校時代の友達と遊ぶため。ポルガのことをやけに肯定してくれる例の友達は、中学生にスマホはまだ早いという方針の家の子だったはずだが、やはり昨今の時勢的にそれは無理だったようで、夏あたりにスマホをゲットし、すぐにポルガとLINEでつながり、それ以降は頻繁にやりとりをしていたようで、そこで春休みに会って遊ぼうという流れになったのだった。小学4年生の3学期という微妙なタイミングで転校させることになってしまったポルガには、親として若干の申し訳なさがあり、こうして岡山時代の友達と強いつながりを保っていることは、救いであるような、逆に申し訳なさをいつまでも掘り返す要素であるような、複雑な思いを抱く。しかしそれはそれとして、ポルガのそのつながりがなくなったら、その他の3人はもはや岡山になんの接点もなくなってしまっているため、行く機会がまるでないことになってしまい、それはさすがに寂しい気もするので、こうしてポルガの交遊をきっかけに岡山に行けるのはこちらとしてもありがたい。ふだん島根からまったく出ないので、山陽の岡山に遊びに行くとなると、それなりに心が躍る。
 しかも今回は、親同伴で美観地区を回った前回と異なり、最寄りの駅で向こうの友達と落ち合ったあとは、子どもたちだけで電車に乗って岡山駅に出て、イオン岡山で半日ほど遊び、再び駅に戻ってくるまでの間、われわれ3人は完全に別行動という計画になっていたため、その岡山での自由な半日をどう過そうかというワクワク感があった。
 それでだいぶ前からいろいろ思いを巡らせていたのだけど、いざ実際に行くとなると、実はどうしてもここに行きたいという場所はなにも思い浮かばず、そのことに少しショックを受けたりもした。6年半も暮したのに、どうして再び訪ねたい場所が特にないのか。もしかして自分はとてもつまらない人間なんじゃないのかと思った。結局あまりプランは定まらないまま、当日の朝を迎えた。
 9時半くらいに集合場所の駅に着いて、10時くらいからイオン岡山で遊ぶためには、島根を6時半くらいに出発する必要がある。6時前に起きて、身だしなみだけ整えて、すぐに車に乗り込んだ。朝ごはんは車内だ。高速道路を使っての大規模なお出掛けは、去年11月の東広島以来で、先週ノーマルタイヤに履き替えたこともあり、冬を乗り越えたのだな、という思いがこみ上げた。折しも当初の予想から1週遅れて、この週末が桜の満開に当たり、道中そこかしこで見事に咲いているのを見かけた。今回のために作成した、ひとり25曲、約6時間のプレイリストは耳新しい曲が多く、心地がよかった。結局お出掛けというのは、目的地うんぬんよりも、この移動時間こそが愉しいのだよな、などと改めて思った。
 道にトラブルもなく、ほぼ予定通り、9時半過ぎに集合場所である駅に到着する。友達は今も住まう、かつてわれわれ一家も住んでいた街の最寄り駅であり、とても懐かしい。去年の3月も美観地区での時間のあと、勝手知ったる安心感からこの地のパーキングに車を置いて、翌日からの横浜行きへと旅立ったわけだが、その際は帰りも含めてわりと慌ただしかったため、そこまで落ち着いて眺める余裕がなかった。しかし今回、無事に友達と落ち合ったポルガが電車に乗って岡山へと出発したあとは、6時間近く自由ということで、3人で少し往時の生活エリアを見て回った。頻繁に利用していたドラッグストアやスーパー、なにより当時の住まい。驚いたことに、ピイガは当時の住まいのことを覚えていなかった。ピイガは生後2ヶ月からそこで暮し始め、7歳になる直前まで過していたというのに。まあ僕もその年齢の頃の記憶なんてほとんどないけれども。
 そうしてしばし居住地の思い出巡りをしたあと、今度は僕が通勤で使っていた道を少し走ることに。これはもちろんノスタルジックから来た行為なのだけど、ひとつだけ言い訳として、この通勤の途中に、当時いつも利用していたガソリンスタンドがあり、そこが滅法ガソリン価格が安かったので、せっかくだからそこで給油をしようと考えたのだった。
 道は懐かしかった。6年半勤めたので、優に千回以上走った道だ。当時は軽だったのであまり感じなかったが、けっこう裏道っぽい道を使っていたので、こんなに狭い道だったのか、などと思った。目的としたガソリンスタンドは、期待を裏切らず安かった。実は前の週に岡山に行っていた三女から、岡山のガソリン価格は島根に較べてだいぶ安いと聞いていたが、本当だった。どれほど違うかと言えば、リッターあたり20円近く違う。ちょっと違い過ぎないか。ここまで違うと、岡山で安く給油できた嬉しさよりも、日頃のガソリン代へのつらみのほうが大きくなる。知らないほうがよかったかもしれない。前からこんなに違ったろうか。山陰は離島なのだろうか。
 ガソリンスタンドをゴールとして、来た道を戻る感じで、次の目的地へと向かうことにした。ここまで来たからには当時の職場のほうへも行ってしまおうかな、とも少し思ったが、さすがによした。職場の近くの公園には、オオキンケイギクが群生するスポットがあったため、シーズンだったら行けたかもしれない。しかし時期にはまだ1ヶ月半ほど早いため、さすがに大義名分がなく、訪ねるのはあまりに感傷が過ぎると思った。
 後半に続けることにする。

東広島へ

  文化の日がもたらした3連休であった。ハッピーマンデーではなく、金土日という、最近ではちょっと珍しいパターン。ウィークデイが4日で終わるお得感があった。
 中日の土曜日に大きな外出をした。目的地は東広島市。ここの市立美術館において、『古代エジプト美術館展』という企画展が行なわれており、ポルガを中心に、それにつられて親も「王家の紋章」を読んだりしたことで、わが家はこのところすっかり古代エジプトづいているので、魅力的な企画展が、日帰り可能な、なんともありがたい場所に来てくれたものだと(ここの前は福島県だったそうだ)、大喜びで行くことにしたのだった。
 尾道や福山、そして広島市には行ったことがあったが、東広島市というのは初来訪である。行くにあたって、美術館以外の立ち寄りスポットはなんかないのかな、というのを探ったから判ったが、まあそこまでよその土地の人間がレジャーで行くような街ではなさそうだった。ウィキペディアにも、「広島市のベッドタウン」という記述がある。それでもなにかないものかと粘った結果、広島大学のキャンパスがあることが判り、さらにはそこでちょうどこの土日に大学祭が開催されることを知って、じゃあそこへも立ち寄ろうという計画が立った。ちなみに広島大学は叔父の出身大学であり、それも30歳間近くらいまで、院だったり研究員だったりで在籍していたという話なので、じゃあ今はもう横浜に暮す叔父に、「こんど広島大学へ行くよ」ということを伝えたらなんかしらの反応があるだろうかという思いが、少しだけ頭をよぎったが、でもあの叔父のことなので多分なんの反応もないだろうと思い、止した。
 美術館までの所要時間は約2時間半。ファルマンは「私も運転代わるよ」と提案したが、本人以外の3人の希望により却下された。もちろん道が混んでいるということもなく、事前に新鮮な曲ばかりの新しいプレイリストを用意した車内音楽もあり、わりと快適なドライブだった。やまなみ街道を三次で降りるのかな、と思いきや、Googleマップの案内によるとその次の三良坂ICだとのことで、これまで何度も通過だけはしてきた所で降りるというのが、なんだか貴重な体験だな、と思った。ちなみにこれを降りてからが実はだいぶ長く、東広島市というのは、本当に、なかなかよそ者が寄り付きにくい土地のようだな、と思った。
 島根に引けを取らないような田舎道がだいぶ続いたあと、東広島市街は、突如として現れた。まるでアメリカのようだと思った。もっとも地方というのはだいたいこんなものか。市街に入れば、さすがは山陽なだけあり、島根よりもチェーン店のバリエーションは幅広かった。どのあたりにそれを感じたかと言えば、「なか卯」があったのでそう思った。島根県にはないのだ。
 美術館は市役所のほど近くだったので、たぶんあれが東広島市のいちばん栄えているエリアだったんだろうと思う。隣接する広場にはイベント屋台も出ていた。案内された市営駐車場に駐車し、無事に入館した。
 

 展示品はレリーフや彫像、日用品や装飾品など多岐に渡り、なかなか見応えがあった。時代も、さまざまな王朝の、つまりさまざまな年代のものがあり、中にはツタンカーメン時代のものもあって、ポルガを興奮させていた。おらが島根にも古代出雲の歴史というものがあるけれど、それが紀元後の弥生時代とかのものであるのに対し、古代エジプトというものは、なにしろ紀元前3000年とかから始まっているらしいので、すごい話だなあと思う。貴重なものを実際に目の前で見ることができ、来てよかったと思った。 
 美術館のあとは、広島大学の方面へと車を走らせる。大学の近くにゆめタウンがあるようなので、そこに車を停めさせてもらい(もちろん買い物はするとして)、そこから大学まで歩こうという算段をする。しかしゆめタウンの駐車場を出たところで、坂を上るのか下るのかが分からない。Googleマップを見るが、徒歩のGoogleマップはなんかわかりづらい。それでも学生らしき若者がどんどん自転車で坂を上がっていくので、たぶん上のほうだろうと歩きはじめるが、そこへ同じくGoogleマップを見ていたファルマンが「ちがう」と言う。「こっちだ」と坂を下るほうの道を示す。そうかなあ、と思うが、自分のGoogleマップの扱いに絶大な自信があるわけではないし、なによりファルマンの主張を排しておきながら間違っていた場合の恐怖を想像すると、従うのが得策だろうと思い従った(結婚10年超の賜物である)。しかし坂を下り、丁字路に出て、「これはどっちに曲がるの?」と訊ねたところ、「待って! わかんない! ちがう! なんで!」とファルマンは錯乱し始め、そのあたりでどうもやはり大学は坂の上らしいぞ、ということは明らかになりつつあったが、もう空腹感も高まり、ファルマンの精神状態も限界を迎えそうだったので、そばにあった「すき家」で昼ごはんを済ますことにした。店で、配膳しに来た店員に、「広島大学はこの坂道の上ですか」と訊ね、「そうですよ。大学祭ですか?」「はい」などとやりとりをし、確認した。その間ファルマンは苦々しい顔をしていて、さらにはねぎ玉牛丼の卵を、怒りのあまりテーブルに強く打ちつけ過ぎて誤割してしまい、ただのねぎ牛丼として食べるはめになる、という失態まで犯した。怒ったあまり卵を誤って割ってしまいダメするというのは、ドラマなどの作り物の表現であり、現実に起るものではないと思っていた。いま、今回の東広島行きを思い出しながらこの文章を書いているが、全体を通して最も印象に残った出来事は、この誤道案内から卵の誤割までの一連の流れだ。思わずこちらを睨みつけながら食べるファルマンを写真に収めた。
 食べ終わり、確信を持って再び坂を上がる。ゆめタウンを過ぎてほどなくして、大学の近くらしい雰囲気が漂ってくる。さっき、もう少しファルマンのストップが遅ければ、スムーズに着いていたことだろうに。
 かくしてようやく到着した広島大学東広島キャンパスは、どうもずいぶん広大な(ちなみに広島大学は略すと広大である)敷地を擁するようで、さらにはそのあちこちの学部棟で、めいめいにイベントが行なわれていたりするので、なんかもう取り止めがなかった。とりあえず屋台が立ち並ぶメインストリートらしきルートを進み、途中で図書館棟やホールなどに立ち寄って、「ほうほう」と眺めつつ、いちおうホームページを見て目当てとしていた総合博物館を見つけ、中を見学した。惑星の成り立ちから被曝の記録までが、ひと部屋にギュッと凝縮されたミニ博物館といった感じで、触ってもいい化石などもあり、まあまあおもしろかった。そのあとはステージなどを少し眺め、まあ雰囲気は堪能したから帰ろうか、となる。気候もよかったためかだいぶ賑わっていて、実行委員会らしき学生がわちゃわちゃしているのを眺め、去来する思い出などもあり、少し感慨深かった。たぶん叔父は大学祭などには縁のない学生だったろうと思う。そもそも叔父の時代がこのキャンパスだったのかどうかも定かではない。
 ゆめタウンに戻り、しっかりと買い物をして、帰宅の途につく。到着予定時刻から、木次あたりでもう暗くなりそうだな、と予想するが、実際はもっと早く暗くなった。日に日に暗くなるのが早くなる時期である。暗くなった上に霧が出て、なかなか運転がしづらかった。三刀屋で降りたのが18時くらいで、おろち湯ったり館に行くのになんと最適な時間だろうか、と思う。もちろん家族連れなので行けない。3連休なのでどこかで行きたいものだと考えていたが、初日も行かなかったし、結果的に最終日にも行かなかった。おろち湯ったり館は、近くて遠い。
 ちょうど夕飯時に家に帰りつくことができた。ちなみに夕飯は、くたくたの帰宅後にあくせくしたくなかったので、前日にカレーを作っておいた。先日のおでんに続き、外出から帰ってきたあとの晩ごはんをすごく気にかけ、そしてその心配りによって、とても心が救われている。帰ったらごはんを炊いてカレーを温めるだけだ、という安心感がいい。こういうときってスーパーに立ち寄って弁当を選ぶのさえ面倒だし、なによりひとりなら別にいいけど、家族でスーパーの弁当を食べる情景ってあまり好きではない。
 結果的に5時間以上運転して、体が強張った感じはあったが、行きたい場所に行けたし、車内音楽が愉しかったし、ファルマンの卵の事件はおもしろかったしで、なかなかいいレジャーだったと思う。

日御碕へ

 すっかりいい季節になり、各地でいろいろなイベントが行なわれていた。かなり目移りしたが、結果として、なぜか特になんの催しもやっていない日御碕へと足を運ぶことにした。
 途中の出雲大社では、駐車場に入る車による渋滞に巻き込まれ、道の選択を失敗したと思った。出雲大社の駐車場に入るための渋滞に、出雲大社に行かないのに巻き込まれるバカらしさ。なんとかそこを通り抜け、稲佐の浜を右に曲がると、右手になにやら行列が見える。なんだろうと思っていたらファルマンが、「あれは去年ピイガがカニを当てたやつだ!」と気付く。僕は参加しなかったので場所が分かっていなかったのだが、なぜか引き寄せられるように日御碕に行くことにした今日、ちょうど開催中のその横を通り過ぎたのだった。なんか運命的なものを感じずにいられない。こうなると今年もくじを引いたら当たったのではないかという気もするが、行列はその時点でだいぶすごいことになっていたので、並ぶ気にはならなかった。
 日御碕に行くのは、検索したところ日記には書いていなかったが、2020年の8月以来である(2021年の日記に、「去年の夏に日御碕灯台に行った」という記述があることから判明した。なぜ当時に書いていなかったかと言えば、コロナ禍で、県外に出たことはあまり大っぴらに言えない社会情勢であったことに加え、6月から無職になって、世間の夏休みが終わったら本格的に就職活動を始めなければならないという、なんとも嫌な精神状態での出雲帰省だったという、二重の理由があると思われる)。つまり3年ぶり。そう滅多に行く場所ではないので、行くたびに、たどり着くまでの道のりの大変さに驚く。それでも倉敷時代も含めて地方暮しももうわりと長いのでだいぶ耐性がついているが、僕はここに、大学生の頃にも来ている。もちろんそれが初めての日御碕であったが、ファルマンの帰省について数日実家に泊まることにした際、「日御碕に行くといいよ」と両親が車を貸してくれ、ファルマンとふたりで行ったのだ。横浜在住の、普段そこまで運転しない大学生に、両親はなぜあんなに気軽に車を貸し、そしてこの道のりのスポットを薦めたのだろうか。今となっては謎だ。僕が親の立場だったら、絶対にそんなことはさせない気がする。
 久しぶりの日御碕は、別になにも変わっていなかったが(星野リゾートのホテルは去年開業したらしいが)、3年前の来訪が、精神状態があれだったし、真夏でたぶん怠かったしで、あまり印象に残っていないこともあり、新鮮で愉しめた。灯台には登ることができるのだが、3年前、料金を支払って登りながらも、外の展望テラスには恐怖心から出られないという出来事があったので、今回は挑戦さえしなかった。ファルマンと子どもたちだけで登り、僕は地上からその写真を撮った。
 

 撮りながら、この天高くまっすぐ聳え立つ感じは、男性器のメタファーとして、LINEのアカウント画像にすると縁起がいいのではないか、セクハラではなく、セクハラと感じたのだとしたらそれはそう感じたあなたの頭が腐っているからじゃないですかと言える絶妙のラインではないか、展望テラスによる膨らみがちょうどカリ首っぽくてありがたいなあ、などと思ったので、家族関係なく何枚か撮った。とんびも写り込んだ。
 そのあとは崖のようになっている海岸線をぐるりと歩き、駐車場へと戻った。日本海らしい、打ちつける波のさまが絶景だった。日御碕、3年にいちどくらい来るとなかなか愉しめる。その程度の思い入れしかないが、アカウント画像にするやもしれない。誰が日御碕灯台やねん。スカイツリーやっちゅうねん。

10月の3連休

 3連休であった。中日以外はまあまあ天候に恵まれ、なにより気候がとてもいいので、普通に考えれば公園などに繰り出していたに違いなかったが、上の子は中学生になっていて、そして試験前期間なのだった。切ない。ごく普通に、「遊ぼうぜ」と家に誘いに行ったら、「ごめん、塾なんだ」と断られた少年のごとく切ない。そっか、もう俺たち、これまでとはちょっと変わっちゃったんだな……。もっとも当のポルガが、塾に行っているわけではないし、「勉強しなきゃいけないから」とこちらの誘いを拒否するわけでは決してない、というのが、父親として、どう捉えていいのか微妙なところだ。「ポケモン観るー」とか「ぷよぷよするー」などと無邪気にのたまう様子に、安心するような、不安なような。
 それでもどこにも行かなかったかと言えば実はそんなことはなくて、初日の土曜日は松江に繰り出し、この日と翌日の2日間、くにびきメッセで行なわれた「みらいキッズラボ」というイベントに参加した。子ども向けの企業博みたいなもので、2年前に出雲ドームで行なわれた同じようなイベントにも行ったが、それをふた回りくらい大きくしたような感じだった。ふた回りくらい大きいという印象がどのあたりに起因するのかと言えば、10時開始のところ9時50分くらいに会場に到着したら、オープニングセレモニーが執り行なわれていて、そこには松江市長と島根県知事がいたという、そのあたりだ。支持者でもなんでもないが、県知事って、見るとちょっと「おっ」となると思う。セレモニーが終わるとゲートが開放され、並んでいた人たちが順番に、ブースが立ち並ぶエリアへと進んだ。この際、セレモニーの立ち位置のまま、テープカットに参加していた知事や地元劇団の子どもたちに拍手されながら入場することとなり、知事の目の前を通過しながら、どんな顔をしていいのかさっぱり分からなかった。こんな事態は想定していなかった。10時開始で、駐車場が満杯だったり、ブースがどこも行列だったりしたら嫌だし、午後から松江ではスサノオマジックのシーズン開幕戦があるというので、どこまで影響があるのか分からないが、巻き込まれたら嫌だから早めに切り上げたいね、というくらいの気持ちで、9時50分に到着したのに、絶対的な人数の少なさゆえか、「オープン前から意気込んで並んだ猛者」のようになってしまった。しかしそのおかげもあって、3つ4つ、待ち時間なく体験ブースを回ることができた。時間が経つにつれてさすがに人も増えてきて、ブースに行っても「30分待ちです」なんて返事が来るようになってきたので、まあこのあたりが潮時だろうと、上客のように(1円も使っていないが)スッと会場を出た。まあまあ愉しめた。
 そのあとはスーパーに寄って、昼ごはんの買い出しをし、帰りがけの公園でそれを食べるつもりだった。しかしその目的で立ち寄った公園、「古墳の丘 古曽志公園」に近寄ると、なんだか様子がおかしくて、「フェス会場 こちら」などという看板が立っている。慌てて検索すると、ちょうどこの3連休で、この公園を会場に音楽フェスが行なわれているらしかった。古墳が再現されていて、そして宍道湖が見下ろせるという公園に魅力を感じ、ぜひそこでお昼ごはんを食べようと目論んでいた一家を襲った悲劇。たまたま行こうとしていた公園でフェスて。仕方なく別の場所を探すことにした。ちなみにタイムテーブルを見ると、初日の正午あたりのこの時刻、出演者の中でたぶん一番の目玉であろう、PUFFYがやっているところだったよう。PUFFY! へえ!
 それで次にどこへ行こうと思ったかと言えば、先ほど目にした知事にも関係する場所だが、宍道湖のほとりにある道の駅、秋鹿なぎさ公園で、これも同じく2年前、カヌーをしに行った場所であり、ここと知事がどういう関わりかと言えば、ここはあの、ちょっと全国ニュースにもなった、段ボール授乳室が設置され、批判が湧いたが、それに対して知事がちょっと格好いいことを言って株を上げた、あの道の駅であり、別に来るつもりはなかったのだが、来たからにはせっかくなのでひとつ実物を見てみようじゃないかとも思った。しかしあのニュースが話題になったからなのか関係ないのか分からないが、駐車場が満杯で、先ほどの公園に続き、こちらにもフラれてしまった。仕方なく昼ごはんは車の中で食べた。
 次の日は僕自身はとてもインドアだった。ファルマンと子どもたちは、いつもの科学教室や、ポルガが図書館で勉強をするというのでその送迎をしたりして、わりと家にいなかった。それで僕はどうしていたかと言えば、借りてきた大河ドラマのDVDを観ながら、裁縫をしていた。つまりいい休日の過し方をした。作っていたのは、珍しく下着でも水着でもなく、久しぶりのキャスケットで、自分用のものがほぼ完成する。なかなかいい出来だが、作りながらひしひしと感じていたこととして、なんだかとても派手になってしまった。あまりに特徴的なので、これはさすがにちょっと「nw」にアップしづらい。まるでタイムボカンの主人公のコスプレのようだな、ということを思い、画像検索したところ、しかし歴代シリーズであまりそれっぽいものを被っているキャラクターはいなかった。それでもタイムボカン味が拭えないので、言うなればこれはタイムボカンの主人公の概念のコスプレだな、などと思った。
 夜はラグビーワールドカップの、予選リーグ最終戦、アルゼンチン戦を観るぞ、と思い、実際に観始めるが、野球にしろサッカーにしろバスケにしろ、結局のところ僕はスポーツに関する素養が欠けているのだろう、観戦中ってなにをすればいいの? という状態になり、十数分で観るのをやめてしまった。なにをすればいいもなにも、ただ観戦をすればいいのだろうが、それができないのだった。結果は敗北で、そうか、と思った。
 明けて今日、3連休最終日は、なんてったって出雲駅伝が開催されたのだった。ファルマンの両親は沿道での応援に繰り出したそうで、テレビ中継にも入り込んだらしい。わが家はもちろんそれはせず、交通規制のエリアや時間帯を避けるように、買い物などをこなした。3時のおやつには、わざわざケーキ屋で購ったロールケーキを食べた。この3連休、家に長くいたので、なんだかやけにコーヒーを飲んだのだけど、コーヒーの受け菓子としてハイカカオチョコレートをせっせと食べながら、じわじわとフラストレーションが溜まっていたようで、「きちんと甘いものが食べてえ……」という思いが募り、最終日の今日にとうとう大物を買って食べることにしたのだった。ストイックになり切れないな。
 夕方になり、ちょっと泳ぎに行こうかと悩むが、迷った挙句、ひとりランニングなんぞしてみた。駅伝に影響されたわけではない。このところ水泳をしながら、いまいち満たされないというか、効果を感じられない部分があり、逆に走ったほうがいいんじゃね? と考えたのだった。やった結果どうだったかと言えば、慣れないためにペース配分を間違ったということもあるが、思うようにいかず、やっぱり泳ぐほうがいいかなあ、と思った。
 とまあそんな感じの、充実していたような、茫洋としていたような、あまりよく分からない3連休だった。もっと活用したかったという思いもあるが、まあこんなもんだろうとも思う。穏やかではあったと思う。