前回はたしかGWだったよな、とぼんやり思っていたが、いま日記で確認したら、4月初頭であった。ということは7ヶ月ぶり。11月に入り、今年って経過がやけに早くないか、と思うことがたびたびあるのだけど、この7ヶ月にもだいぶ驚く。
行った目的はもちろん、ポルガがいつもの友達と遊ぶためであり、他の3人はその送迎ついでに岡山で半日を過すという、前回と同じパターンである。ちなみに先月に亡くなったファルマンの母方の祖父のことも、もちろん頭には思い浮かび、告別式にはファルマンしか参加できなかったので、どこかのタイミングで墓参りに行かなければならないとは思っているのだが、今回はまだ四十九日前ということもあり、そちらの用件は見送った。
島根から岡山への所要時間は、2時間半から3時間といったところで、その往復をしつつ、中学生がとりあえず満足する程度の時間、遊ばせてやらねばならないので、出発時刻はどうしたって早くなる。7時半になる前に車に乗り込み、車内で朝ごはんを食べながら移動する。山間部の霧がすごかった。
友達とはいちおう11時の待ち合わせにしてもらっていたが、滞りなくたどり着けたので、連絡して30分早めてもらった。最寄り駅に戻ってくる電車の時刻は事前に定めてあるので、合流が早ければその分だけ遊ぶ時間が稼げるのだった。
というわけでポルガを降ろし、ここから5時間ほどを、なんかかんかして過さねばならない。これについて、7ヶ月前はわりとあぐねて、かつての職場の方面へ車を走らせるなどという錯綜をしたが、2度目ともなると慣れたもので、というより達観し、今も密接にコミュニケーションを取っている友達のいるポルガ以外、残りの3人は、引っ越しの時点で7歳だったピイガはしょうがないとして、7年あまりも暮した岡山に、実はもはやなんの感慨もないのだ、会いたい人もいなければ行きたい場所も特にないのだ、薄情な人間なのだ、という厳然たる事実を正直に認め、ジタバタせず、7年暮した経験などない人とまったく同じ時間の潰し方、すなわちショッピングモールに行く、という選択をした。全国津々浦々、どこにもあって、そして決して裏切らない、天下無敵のイオンモールである。イオンモールの包容力は、どんな人間も取りこぼさないのである。
もちろんイオンに行ったからには、パンドラハウスに行って、ニット生地を見るのは欠かせない。暮していたときにはまるで享受しなかった恵み。島根の手芸店では、ニット生地はほとんど売ってない。ただし今回は時期が悪かったか、収穫はそこまでではなかった。冬用の生地が売り場の面積を多く取っていて、ショーツに使えそうな薄手のニットは肩身が狭そうだった。まあしょうがないな。次に行くときは、暖かくなっている頃だろうから、次回に期待だ。
やがて昼時になったが、前回フードコートで失敗したのでなんとなく忌避感があり、時間もまだまだあったので、今度はアリオに移動することにした。車で15分ほど。それにしても岡山の人は本当にウィンカーを出さない。ジョークじゃなく出さない。もちろん全員が出さないわけではないけど、「出さない人が多い」って、とんでもない土地柄だと思う。
このタイミングでアリオに行ったのは、昼ごはんを竹清にしようという魂胆があったからだ。香川県のうどん屋。当時はけっこう利用していた。でも久しぶりに行ってみたら、当時と変わりはないのだけど、行列だし、座席の確保が大変だし、うどんはセルフで湯がかなければならないし、つゆも自分で注がなければならないしで、わりと大変じゃないか、と思った。なんで幼児ふたりを連れて、たびたび来ていたんだろう。今はもう、上の子は友達と遊ぶようになり、下の子も小5で、楽になったものだと思った。ちょうど隣の席に、夫婦と幼女ふたりという、当時のわが家のような一家が来て、お母さんは娘たちの世話をし、お父さんがうどんの世話をしていて、どちらもなかなか大変そうで、こんなんだったなあ、と思った。ちなみにファルマンは今回、「初めてうどんを湯がいた」と言っていて、本当に当時いちども、うどんのほうの作業はやらせることがなかったらしい。湯切りが不十分だったらしいファルマンの丼のつゆはなんか濁っていて、「味が薄い」と言っていた。やらせると途端にそうなるのかよ、と思った。
久しぶりのうどんを堪能したあとは、アリオやアウトレットをウロウロし、ソフトクリームなんか食べたりして過した。まあ本当に、ショッピングモールで休日をこなす、という感じに過した半日であった。
ぼちぼちいい時間になったので、ふたたびかつての最寄り駅へと戻り、ポルガを待ち受ける。無事に予定通りの電車で戻ってきた。予定通りの電車とは、すなわち16時半到着の電車である。ここから島根に帰るのだ。なかなかじゃないか。3連休の、初日か、中日だったらいいだろう。しかしいろいろ都合もあって、最終日なのだ。翌日は労働なのだ。帰り道は西に向かって走るから、夕暮れが長く続いた。
帰宅は20時前で、時刻としてはそう深いわけではないけれど、いかんせん疲れた。労働は半覚醒でやり過ごしたし、それなのにその晩から取り掛かった日記の文章は、ご覧のとおりに大いに崩れた。2日経って、ようやく回復したように思う。この日に限らず、盛りだくさんの3連休だったのだ。無事に済んでよかった。