11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。

冬の家族週末

 なんとなく慌ただしい週末だった。
 土曜日は午前中にピイガの小学校の学習発表会があり、当初はファルマンだけが観覧する予定だったのだが、とてつもない冬型の気候が襲来していて、ひと晩中風雨の音はすさまじく、もはや発表会は中止ではないかとさえ思ったのだが、そうはならず、しかし本来の計画であったファルマンの徒歩での移動はままらなくなったので(ファルマンは保護者の車で混み合うイベント事の日、学校への運転と駐車をしない賢明なスタンスを取っている)、送迎の必要が出て、そもそも朝に、まだ風が強かったのでピイガも学校へ送り届け、そのあとファルマンとともにピイガの演目を観るために学校へ行き、そしてピイガの出る演目というのは、数時間の間隔を挟んでふたつあったので、いちど家に帰り、後半のそれに合わせてまた赴いたので、午前中だけで僕は3回も家から小学校までを往復したのだった。というわけであっという間の午前だった。
 発表会のピイガの様子はどうだったかと言えば、運動会と同じで、小さい、という印象を抱いた。本人の成長や能力については、家で十分に目にしているので、学校で見る子どもの感想は、どうしたって他の子との比較となり、そうなると「ちっさ!」という反応になる。そしてファルマンはすぐに「成長曲線が……」などと不安を嘆くことになる。これに関しては僕はとても旧時代的な考えで、女の子だからという、このご時世あまり堂々と言ってはいけない理由から、小さくてもいいじゃない、むしろかわいいじゃない、などとホザくのだけど、それに対して「あまり小さいと将来の出産が大変なのだ」とファルマンは言い、それを言われるともうこの問題について僕がコメントできることはなくなるのだった。
 昼過ぎにピイガは帰宅し、昼ごはんはピイガの好物であるうどんにした。本当に、雪が舞うほど寒い日だったので、うどんのあたたかさが身に沁みた。
 午後はポルガが期末試験の勉強のために図書館に行くというので、送ってやる。本当に妻子の送迎をやけにした日なのだった。それから帰ったあとは、部屋のクローゼットの整理を行なった。衣替えはもちろん既にファルマンによってなされていたが、布団が、奥にあった羽毛布団を、急に寒くなった夜に無理やり取り出し、整然と積み上げていたものがぐちゃぐちゃ、みたいな状態になっていたので、それを整えたり、あと扇風機を仕舞って、代わりにストーブを取り出し、さらにはついでにクリスマスツリー関連のグッズも取り出した。すなわちすっかり冬の仕様に切り替えたのだった。
 おやつには3人でぜんざいを食べた。ポルガは餅を食べないので、ポルガがいないタイミングに食べるにふさわしいおやつなのであった。
 夕方になり、ファルマンがポルガを迎えに行って、その間に僕は夕飯の調理をしていた。夕飯は餃子。先週が焼売で、今週は餃子。焼売もたまに食べたくなって作るけれど、作って食べたら食べたで、餃子が食べたいな、という思いを抱きがちなのだった。というわけでの餃子である。今回もいい出来だった。
 そのあと、夜になってこたつの設営をする。この3、4年、わが家にこたつは登場していなかったのだけど、なんとなく今年は出したくなって、出すことにした。3、4年というのは、コロナとはもちろん関係なくて、ファルマンおよびポルガのあたりが、こたつがあると人として終了する傾向があるので、それでやめていたのだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、言うてもそこまでやないやろ、と思ったのだった。しかし出して丸一日が経つが、やっぱりダメかもしれない気配が漂いつつあり、ハラハラしている。
 夜は異様に眠くなり、目が開けられなくなって、ファルマンにさんざんなじられながら、日が変わらないくらいの時間に寝ついた。やっぱり昨晩が強風で眠りが浅かったのだろう。土曜の晩に残念なことだったが、そうは言ってもしょうがない。
 起きたら8時半で、まあたっぷり寝たことになる。本当はまだまどろんでいたいくらいだったが、今日は今日でポルガが参加している科学教室の遠足ということで、やはり送る必要があるのだった。それを送って帰ると、今度はすぐに実家へ向けて出発となる。実家の人の車とともに、業者の人に来てもらってわが家の2台も冬用タイヤへの交換をしてもらうのである。10日ほど前にこの日程が決まった時は、ちょっと早いなあと思っていたが、ぜんぜんそんなことなかった。とてもちょうどよかった。ちなみに義父母は昨日、岡山のおじいさんの所へ顔を出しに行ったそうで、義父の車だけはおとといくらいに既にタイヤを交換してもらったそうだ。そして庄原や高野のあたりは実際に雪景色だったらしい。今年もまた、山陰が中国山地によって表日本から断絶される時期になったのだな。
 昼ごはんは実家御用達のお好み焼き屋のテイクアウトを馳走になる。広島風で、義父母はやけにこの店のものを愛好しており、よく出てくる。広島風のお好み焼きって、食べるたびに不思議な食べ物だなあと思う。
 帰宅後は、ポルガの制服のスカートの丈詰めをした。時代も違うしキャラも違うしで、脚をもっと出したいとか、そういう要望があったわけではないのだが、しかしそれにしたって、春先にお店で採寸して仕立ててもらったスカートの丈は、クラスメイトらと較べてポルガのものだけがやけに長いのだそうで、穿いている姿を見ると、まあたしかに長い。スケバンというほどではないが、やけに長いなあという印象を受ける。というわけでまあ少しくらい詰めるか、ということになった。ポルガは7センチと言い、ファルマンは5センチと言ったので、中道派の僕は両方の顔を立て、6センチにすることにした。制服のプリーツスカートの丈詰めは、お直しの店に勤めていた頃にもやっていて、女子高生のスカートに鋏を入れてお金をもらえる人生なのだなあ、と感激したことがあったが、そんな僕がとうとう娘のそれの作業をするようになったか、という感慨があった。距離が長いのでまつるのに時間が掛かったが、作業自体は簡単である。明日は夏服のそれで行ってもらおうかと思っていたが、仕上げることができた。
 そのあとポルガを迎えに行きついてに、買い出しもする。この際、丈詰めの作業代として、愛飲している第3のビールの6缶パックをふたつ、ファルマンに買ってもらう。破格ではあるけれど、いい報酬だとも思う。
 晩ごはんはそぼろ丼。これは昨日のうちに作っていて、ポルガの弁当にはこれを持たせていた。その代わり、ポルガは晩ごはんにお好み焼きを食べた。
 そんな感じで、なんか家族の世話や、家のことを多くした週末だった。慌ただしかったが、悪くはなかった。それにしてもおろち湯ったり館に行かない。もうそろそろ2階は閉鎖だろう。その前に行きたいものだ。ずっとおろち湯ったり館のこと言ってるな。

11月とパピロウと

 一気に冬になった。今週の半ばくらいまでは11月なのに夏日だ、などと言っていたのに、日曜日からあまりにも冬じゃないか。過酷だ。厳しい部活動のようだ。われわれは7月頃からずっと、なんかしらの厳しい部活動に在籍しているのかもしれない。おかしいな。体験入部だけのはずだったんだけどな。
 しかも折悪しく、少し久々の11月パピロウ発動中と来ている。ただでさえ落ち込みがちの心に、体がまだぜんぜん対応できていない寒さまでが加わり、気持ちはいまとても低調だ。
 こんなとき、やっぱりそれというのは、傷口を狙って入り込む病原菌のようなものなんだな、ということを再認識するけれど、友達がいたらなあ、なんてことを思ってしまう。落ち込んだ心が友達によって救われた経験が、お前は人生中にいちどでもあるのかと問われれば、途方に暮れてしまうのだけど、家族だって趣味だってあって、そして疾病があるわけでもない僕が、それでも心が整わないということは、いま僕が完全に獲得できずにいるものにその原因があるのではないか、というふうに考えてしまう。それが友達だ。
 寒さもあって、温泉やサウナに行きたい欲求が日々高まっているが、しかしおろち湯ったり館になかなか行けずにいる。さらには米子の、ラピスパやオーシャンなんかに行けたらもっといいなあと夢想したりするが、ひとりで車を運転して米子まで行くのはあまりもコスパが悪いし、僕以外全員女性の、さらには温泉・サウナに興味のない家族と連れ立って行ってもぜんぜん愉しめないだろうと思う。こんなとき、友達がいたらいいんだろうなあと思う。サウナ仲間。サウナの中で会話をする輩が、普段はひたすら忌々しく感じるけれど、自分がそっち側だったら話は別だ。サウナは静かに入るもの、なんていうのは孤独な人間が言い張り始めた勝手なルールで、白状してしまうけど、サウナに入っている間って実はただ退屈なので、友達とおしゃべりをして過せたらどんなにいいだろうかと思う。「マジきちー」「やべえやべえ」とか言い合いたい(友達関係というものが大学生のあたりからまったくアップデートされていないので、友達感性が若いままである)。
 しかし僕の暮しに友達ができる気配はまるでない。今日も家族で過す。今日は午後からゆめタウン出雲に繰り出した。おととい、こちらに山陰初出店となる紀伊国屋書店がオープンしたのだ。せっかくだからそこを見にいってやろうじゃないか、という感じで出掛けた。店は賑わっていた。というよりゆめタウン全体が賑わっていた。みんな寒くなって、屋外イベントの季節も終わり、休日の外出の選択肢の筆頭にショッピングモールが来るようになったんだろう。書店の中をほうほうと窺っていたら、見知った顔があった。義父母と義妹なのだった。ゆめタウンでたまたま義母らと鉢合わせするのはこれで2度目だ。地方のショッピングセンターとはそういう場所である。書店ではなにも買わなかった。
 ニトリにも行った。クリスマスのコーナーが展開されていて、そうか、と思う。2023年もそろそろ終盤なのだな。やはり11月パピロウで、ツリー飾りを目にしてもなにも心は盛り上がらないのだけど、徐々にこの寒さにも慣れて、いまとてもか細い心の灯は、安心感のある暖炉の炎のようになってくれたらいいと思う。
 晩ごはんは、寒さに対して素直に鍋やクリームシチューにでもすればよかったのかもしれないが、なぜか焼売。しかしIHクッキングヒーターを食卓に持ち出し、食卓で蒸し上げるという演出をした。とは言え汁物じゃないと、あんまり部屋全体がほっこりあったまるようなことにはならないのだった。まあおいしかったけれど。
 11月パピロウはどうすれば克服できるか。昔の人はよく考えていたもので、そのためにcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボがある。せいぜいそっちの活動に情熱を傾け、自分で自分を盛り上げていこうと思う。

東広島へ

  文化の日がもたらした3連休であった。ハッピーマンデーではなく、金土日という、最近ではちょっと珍しいパターン。ウィークデイが4日で終わるお得感があった。
 中日の土曜日に大きな外出をした。目的地は東広島市。ここの市立美術館において、『古代エジプト美術館展』という企画展が行なわれており、ポルガを中心に、それにつられて親も「王家の紋章」を読んだりしたことで、わが家はこのところすっかり古代エジプトづいているので、魅力的な企画展が、日帰り可能な、なんともありがたい場所に来てくれたものだと(ここの前は福島県だったそうだ)、大喜びで行くことにしたのだった。
 尾道や福山、そして広島市には行ったことがあったが、東広島市というのは初来訪である。行くにあたって、美術館以外の立ち寄りスポットはなんかないのかな、というのを探ったから判ったが、まあそこまでよその土地の人間がレジャーで行くような街ではなさそうだった。ウィキペディアにも、「広島市のベッドタウン」という記述がある。それでもなにかないものかと粘った結果、広島大学のキャンパスがあることが判り、さらにはそこでちょうどこの土日に大学祭が開催されることを知って、じゃあそこへも立ち寄ろうという計画が立った。ちなみに広島大学は叔父の出身大学であり、それも30歳間近くらいまで、院だったり研究員だったりで在籍していたという話なので、じゃあ今はもう横浜に暮す叔父に、「こんど広島大学へ行くよ」ということを伝えたらなんかしらの反応があるだろうかという思いが、少しだけ頭をよぎったが、でもあの叔父のことなので多分なんの反応もないだろうと思い、止した。
 美術館までの所要時間は約2時間半。ファルマンは「私も運転代わるよ」と提案したが、本人以外の3人の希望により却下された。もちろん道が混んでいるということもなく、事前に新鮮な曲ばかりの新しいプレイリストを用意した車内音楽もあり、わりと快適なドライブだった。やまなみ街道を三次で降りるのかな、と思いきや、Googleマップの案内によるとその次の三良坂ICだとのことで、これまで何度も通過だけはしてきた所で降りるというのが、なんだか貴重な体験だな、と思った。ちなみにこれを降りてからが実はだいぶ長く、東広島市というのは、本当に、なかなかよそ者が寄り付きにくい土地のようだな、と思った。
 島根に引けを取らないような田舎道がだいぶ続いたあと、東広島市街は、突如として現れた。まるでアメリカのようだと思った。もっとも地方というのはだいたいこんなものか。市街に入れば、さすがは山陽なだけあり、島根よりもチェーン店のバリエーションは幅広かった。どのあたりにそれを感じたかと言えば、「なか卯」があったのでそう思った。島根県にはないのだ。
 美術館は市役所のほど近くだったので、たぶんあれが東広島市のいちばん栄えているエリアだったんだろうと思う。隣接する広場にはイベント屋台も出ていた。案内された市営駐車場に駐車し、無事に入館した。
 

 展示品はレリーフや彫像、日用品や装飾品など多岐に渡り、なかなか見応えがあった。時代も、さまざまな王朝の、つまりさまざまな年代のものがあり、中にはツタンカーメン時代のものもあって、ポルガを興奮させていた。おらが島根にも古代出雲の歴史というものがあるけれど、それが紀元後の弥生時代とかのものであるのに対し、古代エジプトというものは、なにしろ紀元前3000年とかから始まっているらしいので、すごい話だなあと思う。貴重なものを実際に目の前で見ることができ、来てよかったと思った。 
 美術館のあとは、広島大学の方面へと車を走らせる。大学の近くにゆめタウンがあるようなので、そこに車を停めさせてもらい(もちろん買い物はするとして)、そこから大学まで歩こうという算段をする。しかしゆめタウンの駐車場を出たところで、坂を上るのか下るのかが分からない。Googleマップを見るが、徒歩のGoogleマップはなんかわかりづらい。それでも学生らしき若者がどんどん自転車で坂を上がっていくので、たぶん上のほうだろうと歩きはじめるが、そこへ同じくGoogleマップを見ていたファルマンが「ちがう」と言う。「こっちだ」と坂を下るほうの道を示す。そうかなあ、と思うが、自分のGoogleマップの扱いに絶大な自信があるわけではないし、なによりファルマンの主張を排しておきながら間違っていた場合の恐怖を想像すると、従うのが得策だろうと思い従った(結婚10年超の賜物である)。しかし坂を下り、丁字路に出て、「これはどっちに曲がるの?」と訊ねたところ、「待って! わかんない! ちがう! なんで!」とファルマンは錯乱し始め、そのあたりでどうもやはり大学は坂の上らしいぞ、ということは明らかになりつつあったが、もう空腹感も高まり、ファルマンの精神状態も限界を迎えそうだったので、そばにあった「すき家」で昼ごはんを済ますことにした。店で、配膳しに来た店員に、「広島大学はこの坂道の上ですか」と訊ね、「そうですよ。大学祭ですか?」「はい」などとやりとりをし、確認した。その間ファルマンは苦々しい顔をしていて、さらにはねぎ玉牛丼の卵を、怒りのあまりテーブルに強く打ちつけ過ぎて誤割してしまい、ただのねぎ牛丼として食べるはめになる、という失態まで犯した。怒ったあまり卵を誤って割ってしまいダメするというのは、ドラマなどの作り物の表現であり、現実に起るものではないと思っていた。いま、今回の東広島行きを思い出しながらこの文章を書いているが、全体を通して最も印象に残った出来事は、この誤道案内から卵の誤割までの一連の流れだ。思わずこちらを睨みつけながら食べるファルマンを写真に収めた。
 食べ終わり、確信を持って再び坂を上がる。ゆめタウンを過ぎてほどなくして、大学の近くらしい雰囲気が漂ってくる。さっき、もう少しファルマンのストップが遅ければ、スムーズに着いていたことだろうに。
 かくしてようやく到着した広島大学東広島キャンパスは、どうもずいぶん広大な(ちなみに広島大学は略すと広大である)敷地を擁するようで、さらにはそのあちこちの学部棟で、めいめいにイベントが行なわれていたりするので、なんかもう取り止めがなかった。とりあえず屋台が立ち並ぶメインストリートらしきルートを進み、途中で図書館棟やホールなどに立ち寄って、「ほうほう」と眺めつつ、いちおうホームページを見て目当てとしていた総合博物館を見つけ、中を見学した。惑星の成り立ちから被曝の記録までが、ひと部屋にギュッと凝縮されたミニ博物館といった感じで、触ってもいい化石などもあり、まあまあおもしろかった。そのあとはステージなどを少し眺め、まあ雰囲気は堪能したから帰ろうか、となる。気候もよかったためかだいぶ賑わっていて、実行委員会らしき学生がわちゃわちゃしているのを眺め、去来する思い出などもあり、少し感慨深かった。たぶん叔父は大学祭などには縁のない学生だったろうと思う。そもそも叔父の時代がこのキャンパスだったのかどうかも定かではない。
 ゆめタウンに戻り、しっかりと買い物をして、帰宅の途につく。到着予定時刻から、木次あたりでもう暗くなりそうだな、と予想するが、実際はもっと早く暗くなった。日に日に暗くなるのが早くなる時期である。暗くなった上に霧が出て、なかなか運転がしづらかった。三刀屋で降りたのが18時くらいで、おろち湯ったり館に行くのになんと最適な時間だろうか、と思う。もちろん家族連れなので行けない。3連休なのでどこかで行きたいものだと考えていたが、初日も行かなかったし、結果的に最終日にも行かなかった。おろち湯ったり館は、近くて遠い。
 ちょうど夕飯時に家に帰りつくことができた。ちなみに夕飯は、くたくたの帰宅後にあくせくしたくなかったので、前日にカレーを作っておいた。先日のおでんに続き、外出から帰ってきたあとの晩ごはんをすごく気にかけ、そしてその心配りによって、とても心が救われている。帰ったらごはんを炊いてカレーを温めるだけだ、という安心感がいい。こういうときってスーパーに立ち寄って弁当を選ぶのさえ面倒だし、なによりひとりなら別にいいけど、家族でスーパーの弁当を食べる情景ってあまり好きではない。
 結果的に5時間以上運転して、体が強張った感じはあったが、行きたい場所に行けたし、車内音楽が愉しかったし、ファルマンの卵の事件はおもしろかったしで、なかなかいいレジャーだったと思う。