週末日記

 平穏な週末を過す。相変わらず暑さが続いているため、公園で遊ぶことができない。しかしそんな中、10日ほど前、我々はキャンプをしたんだな、と今でもふとした瞬間に思い出す。フラッシュバックである。キャンプのダメージは、フィジカルにもメンタルにも尾を引くのだった。
 土曜日は家からちょっと離れた、でも普段行く所よりもちょっと大きい手芸屋に遠征する。同じチェーン店のため、値段は一緒で、選択肢が多いのだから、少し億劫でも常にこっちに来たらいい、と思った。もっともそんなことを言ったら、義理の妹一家が暮らす兵庫県の、神戸のユザワヤの風景を思い出し、逆に切ない気持ちになったりもするのだけど。お買い得の生地と、針やスタンプ台などを買う。夏向きの薄い生地が安くなっていた。
 そのあとはショッピングセンターに立ち寄り、こまごまと必要なものを買う。ショッピングセンターの近くには、いい時期にはよく遊びに来る大型の公園があるのだが、駐車場から店舗までのわずかな道のりでとろけそうになる有様なので、帰りにその横を通りがかっても、子どもたちもさすがに「遊びたい」などとは言わない。とにかく一刻も早く最高気温が30℃を下回ってほしい。
 出発が遅かったので、帰宅したら3時を過ぎていた。朝ごはん兼昼ごはんのブランチならぬ、昼ごはん兼おやつみたいなパンを食べ、夜までもたす。晩ごはんは、8月終盤のうだる熱気に対して、南蛮漬けという回答が自然と導き出された。鰯や鯵の小さくていっぱい入ってるやつはないかとスーパーで探し求めたところ、鯖というちょっとだけ意外なポイントをついて、そういうパックが売っていたので、初めて鯖で作ってみた。なんの問題もない感じでおいしかった。
 夜、電動歯ブラシをアマゾンで注文する。せっかく歯医者通いをして、口内を大体いい具合にしてもらうので、この機に心を入れ替えようと目論んで、歯科医に「やっぱり電動歯ブラシっていいんですか」と訊ねたところ、「そりゃあいいよ。どんな安物でも手でやるよりよっぽどいいよ」という答えが返ってきたので、こうしちゃいられない、と慌てて注文をしたのだった。持ち運びもしやすいやつにしたので、基本的にいつも持ち歩き、こまめに歯を磨く人間になろうと思っている。僕はそっち側の人間に成り上がるのだというぎらぎらした欲望がある。
 明けて今日は、午前中は特に外出の予定がなかったので、先日のワンピース以来、ちょっと熱量が高まっている子どもの服づくりを行なう。ちなみにワンピースはしっかり完成し、帰省に持っていったりもして、こちらに戻って来てからも何度か着せているのだが、いかんせん屋外で遊ぶ機会がないので、ワンピース姿のいい写真というのが取れず、「nw」に投稿できずにいる。今度はだいぶ季節先取りなのだが、ちょっといいウールの生地が家にあったのでそれを使いたく、フード付きのポンチョに取り組んでいる。裁断までは昨晩の時点で済んだので、今日からは縫い始めた。まあまあ進むが、不意に子どもらが近づいてきてアイロンが危なかったり、昼ごはんの支度をするために2台のミシンとアイロン一式と裁縫道具を片づけなければならなかったりで、妻と子どもたちが帰省中のときほど効率よくはいかない。幸い、ウールのポンチョが必要になるのは当分先である。
 昼ごはんは買ってきた助六寿司とざるそば。そうめんもざるうどんも具がないと寂しいが、ざるそばならいい。ざるそばって言ったって、スーパーで売っている乾麺なので、そば粉よりも小麦粉のほうが多かったりするものなのだが、それでもざるそばならネギさえあれば成立する感じがある。
 そして今日は我が家にしては珍しく、昼ごはんを食べてから午後に外出をする。目的地は図書館とスーパー。その帰りに、車検に車を出す。前回の車検からもう2年が経ったのだった。今日の夕方に出して、明日の退勤後に受け取る算段。なので頼んだお店から自宅まで、15分ほどだけ家族で代車に乗って帰った。台車は古い車で、子どもたちはいつもと違う感じに少しはしゃいでいた。明日はもういつもの車で僕は家に帰ってくる。
 ところでこの夏の予定として、親知らずの抜歯と、キャンプと、車検というのが、なんとなく心に引っ掛かる事項としてずっとあったのだけど、これにてそのすべてが終わったことになる。なのですっきりした。
 晩ごはんは、職場の人に夏休みのおみやげとして徳島ラーメンのセット(3食入り)をもらっていたため、それを調理して食べた。濃い味でおいしかった。今日は午後からのお出掛けで、普段の午前のお出掛けとは一段違う熱気にあてられたのか、夫婦でやけにビールを欲する気持ちが高まり、グビグビと飲んだ。猛烈においしかった。

島根キャンプ帰省

 帰省を終える。もといキャンプを終える。僕にとって3泊4日の今回の島根帰省は、キャンプ帰省だったと言っていい。中心にキャンプという嵐があることで、時空に乱れが生じ、帰省全体の輪郭が歪んだような、そんな帰省となった。疲れた。
 キャンプは12、13日の1泊2日で行なわれた。参加したのは、義父母、われわれ長女一家、次女一家(30歳の夫と3歳の娘)、三女、そして数ヶ月前から新しく飼い始めたビーグル犬という大所帯。奥出雲の山中にあるキャンプ場まで、実家から40分ほど車を走らせた。その道程では、山の形に添うようにくねくねと、下町の路地裏くらいの幅しかないような道が続き、気を張った。その前日に岡山から島根への移動をしたこともあり、なんか車を運転しすぎている、僕の中の一定の期間中における運転許容時間を超過している、と到着前に早くもうんざりした。子どもたち(主にポルガ)はひと月以上も前から続くキャンプハイが依然として続いていたが、僕はしおりが完成した時点である程度もう満足していたので、これから自分が実際にその渦中の人となり、暑さや作業など様々な厄介事にまみえなければならないことなどを憂い、既にキャンプローに陥っていた。
 キャンプ場に到着したのは午前11時頃。コテージへのチェックインは午後3時から。「……へ?」というような4時間の開きがそこにはあった。主催者である義父は明らかに張り切り過ぎていたのだった。炎天下のキャンプ場で過さなければならない4時間というものには、絶望的な迫力があった。仕方なく、とりあえず木陰に陣を取り、そこで昼ごはんとして、買ってきたコンビニの冷麺などを食べた。屋根のある居住空間にありつけず、川べりの木陰でコンビニ飯を喰らう情景は、想像していたキャンプだホイ!的な陽気なイメージとはだいぶ乖離していて、むしろ世知辛さみたいなものが滲み出ていたように思えた。そしてとにかく暑い。この夏の正午の炎天下に、木陰程度で立ち向かえるはずがないのである。汗がダラダラと溢れ出て、「……さ、3時までこの状態で、そのあと夜はバーベキュー(とかの作業もろもろ)、だと……?」と戦慄した。食後は堪らず川の中に入る。ズボンの裾をまくり、ふくらはぎ程度までしか浸からなかったが、川の中は陸上よりはだいぶ涼しかった。しかし川で過すと言っても限界があった。なんとなく水の流れに乗って下流に進む以外、特にすることがない。時間はあまり潰れず、その時点でまだコテージが開くまで2時間近くあった。このままでは熱中症になる、と長女や次女が危惧を訴えると、義父は「熱中症もキャンプの醍醐味だ」と、やけくそなのかなんなのか判らない、どうしようもない発言をして、ちょうど時期的なこともあり、73年前の無茶な時代に思いが飛んだ。それで自衛策として、われわれ2家族はそれぞれ車内に避難し、エアコンで体をクールダウンさせた。これはとてもいい判断だったろうと今でも思う。そうしていよいよ3時まであと30分ほど、という頃合で、天候が急変する。ゲリラ豪雨である。まずは雷鳴が轟き、次の瞬間には激しい雨が降り始めた。豪雨は別にいいけれど、屋外で遭遇する雷鳴の恐怖と言ったらなかった。だってピカッとなってゴロゴロゴロ、となるわけだけど、次のピカッの瞬間にはもう自分は焼け焦げているかもしれないのだ。身を竦ませながら、木陰に広げたレジャーシートや簡易テントを片づけ、車へと避難した。本当に久しぶりにあんな恐怖感を味わった。
 そして車内に避難したまま、待望の3時を迎えた。ちょうどそのタイミングで雨雲は過ぎ去り、コテージへと移動した。コテージは、事前に想像していたほどは現代的な造りではなく、ベッドもなければテレビもなく、Wi-Fiもなかった。「そうか……」とも思ったが、チェックインまで川っぺりでひたすら待った身としては、屋根があってエアコンがあるだけでいいではないか、という謙虚な思いも湧いた。まさかこの感情がキャンプの効用だというのだろうか。だとしたらお節介もいいところだ。それから僕はしばらく寝た。それは寝る。4時間も屋外で過し、最後は雷鳴に怯えたりもしたのだ。寝ないはずがあるか。ちなみに寝たのは幼児らも含めて僕だけだったらしい。いつもそのパターン。板の間に布団という質の悪い寝心地だったが、それでも寝たらある程度楽になった。
 そのあとはバーベキューが始まり、火起こしとか食材を串に刺して焼くとかのくだりは、僕以外のふたりの男が自然とやってくれる感じだったので、僕は特にすることがなく、なんとなくタブレットでキャンプソングを流し、ちょっと唄ったりもして過した。キャンプで男がするとされる作業で僕にできることは本当にないので(だってキャンプもバーベキューもしたことないんだから)、唄う以外にどうしようもなかった。食べものが焼き上がり始めて、いちどは全員が集ってさあ食べようという感じになるが、辺りが暗くなってくると、虻が炎の明かりに引き寄せられるのかたくさんやってきて、子どもやその母親たちは悲鳴をあげてコテージへと逃げていった。「虻もキャンプの醍醐味だ」とは言わなかったが、元ワンゲルの義父母は「この程度で……」と呆れていて、なんか今回のキャンプ、暑さとか虻とか、終始こんな感じだな……、こんな齟齬ばかりの集団行動、誰得なんだろう……、と不可思議な気持ちになった。肉とビールはおいしかった。別に炭で焼いたから特においしいということはなかったろうと思うが、焼いてタレをつけた牛肉はとりあえずおいしかった。コテージの女性たちへ焼けたものを届けに行く際、バーベキュー場に戻ってくるたびにひとつボケる、というのを僕だけが勝手に始めて、頭に大きな葉っぱを飾ったり、Tシャツを裏返して着たりして現れ、そんなことをする僕が僕は好きだなあとしみじみと思った。
 キャンプの夜はそんな風にして終わった。あれっ、フォークダンスは? という話だが、けっこう狭い面積にそれなりのキャンプ客がいて、コテージ以外にもテント滞在のグループなんかもあり、ぜんぜんフォークダンスができる雰囲気ではなかったのだった。まあ若干そんな予感はあった。マイムマイムの踊り方研究は、それ自体が愉しかったので、別に実際に踊れなくても残念さはない。フォークダンス以外にも出し物大会みたいのが開催されるという怪情報もあり、それならば僕はいまこそトワリングバトンを披露する、かと思いきや、背中のバトン入れからバトンを取り出したまではよかったが、BGMとして流しはじめたSuperFlyの「愛をこめて花束を」のオリジナルカラオケバージョンに合わせて、バトンは一切回さず、持ったまま、ただフルコーラス大熱唱する、というコントをしようと練習していたのだけど、それももちろん開催されず、それは少し哀しかった。
 翌朝は塩むすびと味噌汁というメニューで、全員でひとつのコテージの居間に集まり、全員でそのメニューを囲んで朝ごはんにする、という図が想像しただけで嫌だったので、僕だけひとりで勝手に食べ、義母の不興を買う。ちなみに塩むすびはファルマンの手によってなされたので、その点は気にせず僕は口にすることができた。しかし宿舎的な、自分の好みでセレクトしたりできない、こういう食事を、全員で囲んで食べるというのは、僕はどうしてもできないのだった。ファルマンからも「そのくらい我慢すればいいのに」となじられたが、譲れない一線というのは人それぞれある。
 2日目もなんなら川で遊べばいいね、なんてことを序盤では言っていたが、昨日という一日を経て、夜は板の間に布団で寝て、そんな気力が残っているはずもなく、この日はなにもせず、ほうほうのてい、と言ってもいい度合でキャンプ場を後にした。僕にとって今生、最初で最後のキャンプは、こうして終了した。
 そのあとふたたび実家に帰り、1泊した。したのだが、特になにもしなかった。キャンプから帰ったあとの昼ごはんにそうめんが出され(しかもファルマン家のそうめんは本当に素麺で、ほとんど具が供されない)、ちょっと驚き、3口ほど啜って「ごちそうさま! ちょっと俺ガソリン入れたりしてくんね!」と言って、ひとり出掛け、車にガソリンを入れついでに牛丼屋でネギ玉牛丼を食べた。自分にもガソリンを入れる形なのだった。おいしかった。そのあと帰ったら、義父と次女の夫と三女はバッティングセンターに行くというので、朝ごはんが塩むすびで、昼ごはんがそうめんで、そしてなんでこの人たちは運動ができるんだろう、と本当に不思議に思った。もしかして食べた物以外のエネルギー機構で動いているんじゃないのか、と疑った。僕はそれから買ってきたスナック菓子をつまみつつ、「ほろよい」を飲みつつ、次女が持ってきたというスーパーファミコンミニで遊んだ。したかったのはこういうことだよ、と思った。
 大体そんな帰省だった。うん。まあ誰にとっても大変な帰省だったね。うん。

夏のひとり暮し開始

 昨日からファルマンと子どもたちが島根に帰省したのだった。午後に義父母が車で迎えに来て、「寂しくなるよー」と棒読みで言いながら見送った。
 しかし寂しくなる、というのは決して嘘ではなく、自分以外に誰もいない家は、まあ寂しいと言えばもちろん寂しいのだ。けど、「じゃあパパが寂しくないように帰省しないね」などと言われたら、いやいやいや! そんな気遣いはいいから気の済むまで帰省してきなさい! と慌てて弁明したくなるような、そういう寂しさということである。たぶんこんな自分勝手な心の間隙を埋めてくれるのが、友達なのだと思う。友達ってそういうガバガバな感情を受け止めてくれる便利な存在だよね。寂しさを紛らわすために久しぶりにあいつらに声をかけてROUND1にでも繰り出そうかな、などと考えた。
 でも友達なんていないので、ひとり家に取り残された半日は、午前中に手芸屋に行って買ってきた生地で、計画通りに子どもたちのワンピース作りをした。裁断する場所、アイロンする場所、ミシンをする場所が、ひとりだと気ままに取れて、作業がスムーズだ。さらにはごはんのときも寝るときも、広げたそれらを片付けなくていいのがとても楽。おかげで半日でそれなりに進んだ。
 晩ごはんはハヤシライスを作った。作って置いていってくれたわけではない。午前中のスーパーで牛肉がお買い得だったので、これでハヤシライスを作れば日曜の夕飯、月曜日の弁当と夕飯がそれで済むな、と計算したのである。洗い物が少ないのもいい。裁縫道具を広げた机の隅っこで、もそもそと食べた。ひとりで摂る食事は味気ない、ということもなく、ただ物理的に味が薄くて味気なかった(あとで鍋のほうにルーを少し足した)。食後にはキウイを食べた。ひとりでの食生活で野菜が不足するのは目に見えていたので、こういうのでビタミンを摂ろう、と購入した。そのキウイも、半分にだけ切って、その場でスプーンで掬って喰う。とにかくビタミンが目当ての、実に質実剛健な摂取なのだった。
 就寝の際はエアコンの調整に難儀した。いつも28℃設定でも朝方は寒くなるので、今日は人間もひとりなのだし29℃だな、としてみたら、途中で汗だくになった。寝苦しくて目が覚めてよかった。ひとり暮しの怖さは、目が覚めない怖さだ。そのため毎朝、ファルマンに生存報告のLINEを送ることにした。
 ファルマンたちは向こうで、実家のリビングで新しく飼い始めた犬との接し方に苦戦しているらしい。最近になって気がついたけど、僕の家族はファルマンを筆頭に、あんまり実際の生き物が好きではないのだと思う。キャラクターは好きなのだけど、キャラクターが好きな分だけ、本物の動物は苦手なものなのかもしれない。それでちょっと苦慮しているらしい。実家の面々はやんちゃな仔犬に対して押し並べてデレデレであるらしく、優先順位も高く、その温度差が悩ましいという。なんだか実家っぽいな、と思う。