GW前半

 GWである。まずは3連休である。晴天である。
 初日の昨日は、とりあえずカラオケに行った。好天を謳っておきながらカラオケか、という話だが、天候とカラオケの機運は関係ないのだから仕方ない。唄ったのは、「宙船」(TOKIO)、「やさしさに包まれたなら」(松任谷由美)、「草原のマルコ」(大杉久美子)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「薔薇は美しく散る」(鈴木宏子)、「Ob-La-Di, Ob-La-Da」(ビートルズ)、「民衆の歌」(ミュージカル「レ・ミゼラブル」より)、「誰がために」(成田賢)、「流動体について」(小沢健二)、「魔法のマコちゃん」(堀江美都子)、「君は薔薇より美しい」(布施明)という11曲。けっこう唄ったな。「宙船」は小室哲哉に続く時勢シリーズで、もちろん山口メンバーの事件を受けての歌唱。歌詞がやけに突き刺さった。「母を訪ねて三千里」「ベルサイユの薔薇」「魔法のマコちゃん」は、前回も唄った「サイボーグ009」と同じで、それぞれアニメにはなんの感慨もないのだが、借りたCDでテーマソングを聴き、気に入ったので唄った。特に「魔法のマコちゃん」は、歌の朗々とした雰囲気と最期のセリフのギャップがおもしろく、友達グループでのカラオケで唄ったらば相当にウケるのではないか、今度やってみよう、と思った。あ、間違えた。来世やってみよう。「Ob-La-Di, Ob-La-Da」では、今回とうとうカラオケにバトンを持ち込んだので、左手でマイクを持って唄いながら、右手でバトンを回すという芸当に挑戦してみた。難しかったが愉しかった。これも来世で友達相手に披露したいと思う。
 カラオケのあとは図書館といういつものコースを経て、それから公園へ。以前にいちどだけ行ったことのある公園で、瀬戸内海らしさがよく出ていて愉しい場所。GWでいい天気なのだから、やっぱり公園に行かないわけにはいかない。堪能する。ピイガが、ファルマンにシロツメクサでブレスレットを作ってもらい、喜んでいた。ピイガはそういうものを与えると、「うふ」という感じの表情になり、写真撮影を求めてくるので、女の子だ、と思う。ファルマンも、「初めてシロツメクサで娘が喜んでくれた……」と感慨深げだった。その間、ポルガはちょっと大きめの岩にひたすらよじ登っていた。ピイガが激しく女の子らしいせいもあるのか、このところのポルガの男子っぽさには磨きが掛かっているような気がする。そのあと100均でこまごまと買い物をし、スーパーに寄って帰った。
 帰宅がもう4時になんなんとする時刻だったので、これは昼寝をする時間がないなあと思ったが、それでもやっぱり辛抱たまらなくなったので、30分ほど寝た。短時間でも合間合間で寝ることができる。芸能人になればよかったかもしれない。
 芸能人なので、晩ごはんは焼き肉にする。GWということで、スーパーもそういうメニュー提案が目立った。目立ったのでまんまとカルビ肉を手に取ったのだった。そして家族でホットプレートを囲み、食べた。焼いた牛肉にタレを付けたものは、もちろんおいしい。でも椎茸や玉ねぎも、それに勝るとも劣らないほどにおいしい。子どもの頃、椎茸ってあんまり食べなかったな。おいしいと全く思わなかった。味がせず、ぐにゅりと嫌な感触がするものだと捉えていた。どういうことだろう。舌のどこかが途中で開いたのだろうか。脳細胞がひたすら死滅してゆく人生において、舌の細胞は鋭敏化してゆくのだろうか。なぜだろう。
 2日目の今日は、事前に子どもたちに、「GWにどこか行きたい場所はあるか」ということを訊ねたら、「おはなばたけ!」という答えが返ってきて、まあウチの子は行きたい場所を訊ねたらお花畑と答えるのか、とちょっと感動したので、それならばとネットで検索をし、総社でれんげ祭りというのが開かれるという情報を発見したので、そこへ行くことにした。総社は岡山の左上、倉敷の真上あたりの市で、そう離れてもいないのだが、これまでいちども改めて訪れたことがなかった。そういう意味でもいい機会だった。移動所要時間が読めなかったことと、なんとなく張り切ったこともあり、祭りが始まる前の9時台に会場に着いてしまう。ステージはまだ無人で、テントやブースなどでは関係者が集合し、ミーティングのようなことをしていた。仕方ないので周辺をブラブラする。備中国分寺という、五重塔が有名な寺院の周辺が会場なので、その五重塔を眺めたりした。肝心の花はどうしたのかと言えば、れんげ畑なんかはどこらへんなのだろうな、とさまよっていたら、すれ違った地元民っぽい人たちが、「今年はれんげがぜんぜん咲いてなくて残念だけど」と会話をしているのが聴こえてしまい、マジか、となった。お花畑という希望において、れんげというだけでそもそも若干の地味さがあったというのに、しかもそれが咲いていないと来たもんだ。残念としか言いようがない。それでも祭りそのものは、段ボール迷路で遊んだり、綿菓子やかき氷を食べたりと、それなりに堪能できた。さらにはステージではバトントワリングの演目があり、もちろんそれは下調べ済みで、研究のためにぜひ観たいと思っていたので、観られてよかった。中学生から高校生くらいの少女たちによるバトンの演技は、体が軽そう、という一言に尽きた。バトンを指先で回すこと自体は、僕も彼女たちにそれほど引けを取らないのではないかと思うが、飛び跳ねたり回ったりという、その動きがどうしたってできない、昨日のカラオケで「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を唄いながらのそれを、ファルマンが動画で撮ってくれたのだが、それのズベッとした感じと言ったらなかったわけで、あの躍動感が僕には決定的に欠けているのだな、と強い陽射しを浴びながら思った。しかしそれは一体、今後どうすれば身に付くというのか。そして身に付ける必要があるというのか。そんな課題も見つかりつつ、祭り会場を後にする。早く来て、早く帰った一家だった。
 そのあとはアリオ倉敷へ。このところ大規模なリニューアルをしたらしく、けっこう変わっていた。そしてここもGWということで、いろいろとイベントをしていた。アリオと三井アウトレットの間の広場で、一方ではヒッピーやフェスっぽい文化のイベント(テントなんか建てていた)、もう一方ではジャンプのアニメの声優によるトークショーなどが行なわれていて、なかなかに混沌としていた。まあ混沌としているということは、活気があるということに違いあるまい。どちらの文化にも縁のない我が家は、ファルマンの新しい眼鏡を作ったり、このたびのリニューアルで新たにオープンした手芸屋で買い物をしたりして、粛々と用件を済ませた。あ、あともちろん日本最西端のコージーコーナーのシュークリームも買う。
 そして帰った。今日は昨日よりも早い、2時ごろの帰宅だったので、しっかりと昼寝する。陽射しをたくさん浴びたあとのしっかりとした昼寝の心地よさ。起きたら、僕以外の3人は平然と起きて暮していたので、いつものことながら、なんかびっくりした。体力オバケか、と思う。
 晩ごはんは、焼き肉をしたあとの常として、肉や野菜が半端に余ったものがあったので、それを細かく刻み、そばめしにした。さらにそれを玉子焼きで包み、オムそばめし。祭りの会場でビールが飲めない(飲みたいなー、と思わなくもないのだが、ああいうところのビールってそんなにキンキンに冷えていないので、飲んだところでおいしさはそれほど得られず、だるさだけが残るのは解っているのだが、それでも欲求はかき立てられる)悔しさを一気に晴らす、ソース味が絶妙なトスを上げての、強烈なスマッシュのようなビールだった。とてもおいしかった。
 このように2日間、それなりに活動的だったので、明日はのんびりと過す予定。ハンドメイドをしたり、人生ゲームをしたりするつもり。

とてつもなきのんびり

 9時過ぎまで寝る。休日の遅寝って、「人生の喜び」で野球チームを編成するとしたら、どの時代でも必ずスタメンに名を連ねると思う。打順は5番か6番あたり。派手さはないけれど、チームの屋台骨であり、逆にそいつ自身がチームそのものである、と言ってもいいほどの価値がある。また4月なので本当にいい。まだ寒いときがあるので、しっかり目の羽毛布団が出ていて、それを気温に合わせて、体をしっかり覆ったり、脚だけ出したり、腹にしか掛けなかったりして、快適さが自由自在。ペナントレースが始まったばかりの休日の遅寝の調子の良さ(ただし夏場に差し掛かると一気に崩れる)。
 先週のタブレット狂騒から一転、今週はなんの外出予定もない。ピイガが幼稚園の1週目を終えたばかりということもあり、静かに過すことにした。
 午前中に、僕と子どもたちだけで、自転車でお出掛け。近所のドラッグストアや、公民館などへ行く。ドラッグストアではボディーソープを買った。自分用の、男性用のボディーソープ。これまでは乾燥の季節ということで、保湿系のものをみんなで使っていたのだけど、気温が上がってきて、そういうわけにもいかなくなってきた。そして僕はひとり、男の脂を落とすぜ的なものを使うということになると、自然と娘たちと風呂を共にするのが億劫になってきて、こうして父親というのはひとり女家族から分断されていくのだな、と思った。
 昼ごはんは今年初の冷やし中華。きゅうりがばら売りされていれば、ファルマンらのために1本だけ買って載せてやったのだけど、3本くらい入った袋でしか売ってなく、それだとサラダの習慣のないわが家では絶対に腐らせ、野菜室の中に濁った液体が垂れるので、全員しゃきしゃき感のない冷やし中華になった。それ以外の具も、冷やし中華というメニューがその場での発案だったので、肉方面は刻んだハムだったりして、ちょっとぼんやりとした仕上がりになった。今度はきちんと、鶏ささみをほぐしたものとか、あるいは煮豚とか、そういうのでおいしく作りたい。
 午後はハンドメイド。ピイガの幼稚園の真っ白の座布団カバーを、デコる。もちろん入園前にやって、持って行っていたのだけど、家にあったちょっと古いアイロン接着のフェルト飾りを着けたら、もうだいぶ粘着が弱まっていたらしく、あえなく外れたとのことで、改めて作業をしたのだった。かわいらしく仕上がり、満足。ちなみにヒットくんの影も形もない。ピイガはヒットくんに対してそれほどの執着はない。愛着はそれなりにあるんだろうが、姉のごとき執着、愛執みたいなものはない。この段落で、接着、粘着、執着、愛着という熟語を使った。だからなんだという話だけど。
 おやつは焼き芋。細身のさつまいもをオーブントースターに入れ、低温でじっくりと焼く。結局これが、既製のプリンやケーキなどより、いちばん子どもの反応がいい気がする。親としても与えていて安心感がある。
 そのあともハンドメイド。今度も座布団カバーなのだが、こちらは自宅用。春休みの島根帰省の際、実家の大掃除で出た不要品のひとつに座布団があり、わが家にはそれがなくて微妙に困っていたので(でもわざわざ買うのもなんだし)、もらって帰ったのだった。そもそもはおばあさんが購ったものらしく、けっこういい物なんだと思う。ちゃんと厚みがある座布団だ。そのカバーを作った。作ったと言っても、1辺はワなので、もう2辺をガーと縫い、ひっくり返して、袋状になったところへ座布団を入れ、口の部分は本当になんの処理もせず、長めに取った布を内側に折り込むだけという、とても手抜き仕様。四角くて平たいもののカバーって、逆にそれよりも簡単に作れる形状のものなんてないだろ、というくらいに単純で簡単。「nw」に更新するほどのものでもない。
 晩ごはんは、チルドのピザを店で見かけ、子どもたちが食べたいと言うので買い、ピザを中心にしたメニュー……、としばらく考えた結果、ぜんぜんいい案が浮かばず、いっそピザのことは無視してしまおうということで、あとは炊き込みご飯と豚汁を作った。それとピザ。両チームが呼応することはまるでなかったけど、邪魔もせず、まあ別にいいんじゃない、という感じの口の中になった。
 そんな感じの休日だった。

タブレット生活はじまる

 タブレットが届く。同時に、プラスチックの透明ケースと、保護フィルム、そしてキーボードも届く(もちろん抜かりなく、タブレットのミニUSBの挿し口を普通のUSBの挿し口に変換するものも買った)。これによって僕のタブレット生活が開始した。


 あと脚のあるタブレット台も注文したのだけど、それはまだ到着していない。そのため前に100均で買った、ただ立てるだけの器具をいまは使用している。
 キーボードは、届いてから気付いたが、箱に「Windows用」と書いてあって、うわあ大丈夫かな、と危ぶんだが、なんということもなく使えた。ワードはもちろん、ブログの編集画面や、LINEでも使えた(ただし送信ボタンだけは画面上のものを押さなければならない)。よかった。試しに画面上のキーボードも使ってみたが、慣れていないということももちろんあるのだろうが、やっぱり不快感が強く、キーボードを買ったのは正解だったとしみじみと思った。
 ファルマンはこのスタイルを見て、「お願いだからノートパソコン買って~」と、ザ・パンチのノーパンチ松尾みたいな感じでツッコんできた。いや、大抵のノートパソコンはキーボードが平たくてきちんと押せないので、その点でもこのスタイルのほうがよほど優れていると思う。とにかく押してへこむキーボードでなければならない。ちゃんと厚みがなくてはならない。だから店頭でじっくり吟味し、これぞというものを選んだ。これでもテンキーはさすがにいらないな、と思い、その分コンパクトなものを選択しているのである。ごらんの通りタブレットよりもキーボードのほうがはるかに大きいのだが、でもそれは当然だと思う。キーボードはふたつの手のひらよりも大きくないといけないのだから。
 初めてのタブレットだというのに、キーボードの話ばかりしてしまう。中身に関しては、画像のきれいさとか、容量とか、速度とか、そういうのは特に問題ないのだけど、やっぱりどうしたってパソコンではなくスマホの仲間なわけで、デスクトップにプログラムがあってウィンドウを開く、というのとは仕組みそのものがちょっと違う感じがあり、その部分にまだ頭が追いつかない。要するにアプリというものの概念が、僕はまだ理解できていないのだと思う。また指で直感操作する簡便さ、と言うけれど、マウスがあって、左のクリックと右のクリックがあるという、そっちのほうがよほど簡便じゃないか、と思う。マウス愛しい。こういうことを言うとまたファルマンがノーパンチ松尾になるので、ここらへんでよすけれども。
 まあしかし、やっぱり便利だと思う。自由に持ち運べて、いい感じのカメラが付いてて、ネットに繋がってるということは、なんか生活の中で「これはいい」と思ったものを、すぐ写真に撮って、すぐウェブ上に記録できるということじゃないか。なにそれ便利じゃん。気軽じゃん。すごいじゃん。

この週

 日記を書く間が空いた。6日も空いた。拡散後、これは初めてのことである。出発前夜に「BYAPEN」に書いたが、出張的なことをしていた。そのせいである。
 出張そのものは3泊4日で、水曜日の夜には家に帰ったのだけど、そうそうすぐに日記を書けるわけではない。ツイッターじゃねんだから。しかし出張はこれからも散発する様子なので、とうとう僕もまたタブレットの購入へと心が傾いている。ファルマンと同じで、決してスマホにはしないが、ポータブルパソコン的な意味合いで、タブレットがあるといいじゃないか、となった。今回、3泊4日の出張にあたり、荷物の中に本を3冊入れていったのだが、行きの車中で2冊と1冊の8割(短編小説集のあと残り1話)までを読み終えてしまい、けっこう困ったのだった。もちろんタブレットで小説を読むわけではないが、タブレットがあれば文章を作成したり、なんかいろいろできるようなので、あると断然いいと思った。さらに言えば、出張先で交流を持った目上の人から、「LINEはやっているのか」ということを問われ、僕を除いた集いのメンバーでグループLINEというのが組まれたようなので、そういう点からも必要性が生じた。ファルマンも幼稚園での保護者間の伝達手段としてLINEを始めなければならない状況になり、タブレットを持ったわけで、僕はそれを傍らで眺めながら安寧とした気分でこれまでいたのだけど、とうとう僕の所へもその風は吹いてきたのだった。というわけで、タブレットを持ち、LINEを始めることについては、もうあきらめがついた。しかし先ほども言った通り、あくまでポータブルパソコンとして、必要に迫られて、足を踏み入れるのである。その注釈によって一体なにが救われるというのか、と思われるかもしれないが、この切々とした言い訳によって、ようやく守られる一閃の矜持というものがあるのである。解ってほしい。
 そう言えば日曜日の午後に移動をし、夜に当地へ着いて、その夜中に島根県で震度5強の地震が起り、岡山でも震度4を記録したのだった。遠く離れた地にいた僕は、もちろんそんなことなどつゆ知らず、朝までぐっすりと眠っていたわけだけど、ファルマンはさぞや心細かったことだろうと思う。なにもとてつもなく珍しく出張なんかした日の夜に揺れなくたっていいだろう。あまりのタイミングに、東日本大震災の際、あのときの大相撲の三月場所というのは度重なる不祥事によって開催中止になっていたわけだが、それに関して「力士が四股で大地を踏まなかったから地震が起ったのだ」ということを誰だったかが発言し、それはもう大いにバッシングされた、というエピソードを思い出した。そのくらいのタイミングだった。
 そんなこんなありつつ、本日金曜日は、ピイガの入園式だった。労働を半休にし、もちろん参加する(今週は木曜日しかまともに職場に行かなかった)。3年前はポルガの入園式に、1歳のピイガを抱っこしていったわけだが、今回は3人きりである。天気はよく、気温もほどほどで、行動しやすい日柄だった。これまで体験入園を何度も経た甲斐があり、ピイガは1年前からは考えられないほど入園に対して前向きになり、今日という日をとても愉しみにしていた。やっぱり1月生まれということもあり、年中からの入園でちょうどよかったね、と夫婦で語り合った。式は、主に年少児が阿鼻叫喚の有様で、(こ、これの世話をする仕事だと……?)と幼稚園の先生のことを畏怖する気持ちが湧いた。うちの娘はお利口にしていた。3年前、ひとりで壇上に立ったり、教室では車座に椅子が並ぶ中で唐突に中央の空間にダイブしたりした、不思議な子どもがいて、入園式と言えばその印象が強いのだけど、次女はそんなことしなかったので安心した。もっともピイガがそんなことしなかったことに安心する気持ちよりも、他のどの幼児もそんなことはしなかったわけで、翻って長女の人間性への不安が募った。しかしそれはそれとして、無事に入園である。週明け、月曜日から幼稚園児としての生活が始まる。つまりわが家から、家にずっといる小さい子がいなくなるのである。これまで7年間、それが続いていたので、なんかこれってすごいことのような気がする。僕はそこまででもないが、ファルマンの感慨はひとしおだろうと思う。掛かりっきりの子育てはこれでひと段落なわけで、いたわるべきなのかもしれない。おつかれさまでした。

ファルマン35歳

 4月3日はファルマンの誕生日ということで、お祝いをする。ど平日である。そのため誕生日パーティーながら、料理やケーキは本人にやってもらうほかなかった。長らく冷凍庫の中で眠っていた手羽元があったので、それで唐揚げ的なことをすればいいんじゃないかなー、とぼんやり考えていたのだが、ぼんやりすぎて意思を伝えるのをすっかり忘れていて、月曜日に煮物で使われた。大根と一緒に醤油味で炊かれた。結果的に誕生日の夕餉のメニューは、ハヤシライスになった。誕生日、っぽい、のかな、まあ、どことなく。
 子どもたちは大いに張り切っていた。労働を終えて電話を掛けたら、「帰ってきたら台本を渡すからね!」とポルガに言われた。だ、台本……? となるが、帰宅したら本当に渡された。

  (ポルガ) おたんじょうびおめでとう!
  (みんな) おめでとう!
  (ピイガ) プレゼントをわたします みなさんじゅんびをしましょう!
  (みんな) はいっ(じゅんび)
   (パパ) ケーキのとうじょうです。(はくしゅ)
  (ポルガ) クラッカーようい! (パーン)
  (ピイガ) おかあさん ろうそくをふきけしてください。
   (パパ) そしてまえにでてください!
  (ポルガ) (せきばらい)きょうからなんさい?
(おかあさん) 35さい!
  (ピイガ) ではケーキをたべます!
   (パパ) おいしくつくりました!
                                  おわり

 これを、ポルガ、ピイガ、そして僕用に、3部わざわざ手書きで紙に記し、各自に配布していた。ポルガのさすがさが出たな、と思った。
 ハヤシライスを食べたあと、ケーキを出し、台本通りの寸劇をして(なぜか比較的長セリフのピイガが進行を滞らせる一幕はあった)、歌を唄い、クラッカーを鳴らし、ケーキを食べた。
 つい最近、1週間をひとりで過したから、なお強く思うのだと思うが、これ以上のものはないと思う。ポルガの挙動に対して若干の狂気じみたものを感じつつも、親の誕生日を子どもたちが張り切って祝ってくれるという、それ以上のものなんてない。
 かくしてファルマンは35歳。節目だし、四捨五入で言えば分岐点でもあるので、けっこう感慨深いかと思いきや、意外とそうでもないな。年齢って体重と一緒で、数字の多寡は問題ではなくて、大事なのはその組成の質なのだよな、と最近になって思うようになった。こんなことを思うようになったということは、もう若くなくなったということに違いない。いやそんなことはない。俺は四捨五入したら30歳、ファルマンは40歳だもの。少なくとも俺はまだまだ若い。9月20日までの約半年、これをすごく言い続けようと思っている。

迎え花見

 無事に妻子が帰ってくる。と言うか迎えに行った。前回、すなわち去年の夏の帰省のときと同じ、あっちは島根から、こっちは岡山から、それぞれ車を出して、やまなみ街道内の道の駅で落ち合うパターンを取る。前回は世羅だったが、今回はもうひとつこちら寄りで、御調(みつぎ)となった。御調はもう尾道市内ということで、本当に近いものだった。御調にした理由は、タイミング的にどうしたって花見をしないわけにはいかなかったので、桜のある所を検索して、そうなった。道の駅に併設された公園に桜並木があるとのことだった。
 到着したのは僕のほうが早く、道の駅も、公園も、桜並木も、想像以上にこじんまりとしていて、これは失敗したかな、と思った。しかし結果的には、義父が足を痛めていたりして、あまりに広大な場所では困ったろうということで、コンパクトさが吉と出た。人もそんなにいなかったし。
 1週間ぶりに妻子の姿を見て、とてもホッとした。別に外見的に変化があったわけではなく、出発前の姿そのままで、ひとりのときだって脳裏に思い浮かべることはできたわけだが、でもやっぱり実体というのはそういうVRとはぜんぜん別物なのだった。ひとつ前の記事でも書いたが、今回はそのことをやけに痛感した。文章や画像というのは、本物の代替にはなり得ない。それは本物と接して得られる感情とは、まったく別の感情に作用するものなのだと悟った。
 こじんまりとした桜並木の、それでもいちばんよさげなスポットにレジャーシートを敷き、花見の態勢を整える。こちらは向こうよりも1時間ほど短い道程であり、朝に余裕があったので、焼きそばと炒飯を作って持ってきたのだった。縁日で使われるようなプラスチックの使い捨てケースをわざわざ買って、それぞれ6パックほど仕立てた。食べものを詰めたパックに輪ゴムを掛け、重ねた姿は、途端に売り物感が出て、それぞれ1パック350円くらいで売れそうだな、と思った。それを折り畳みテーブルの上に並べ、義父母や、車に一緒に乗ってきた三女らと囲んで食べた。そしてこれも家から冷やして持ってきたオールフリーを飲んだ。おいしかったし、暖かかったし、桜はきれいだったしで、希求していたものが充足した感じがした。張り切って準備してよかった。
 食べたあとは、これもちゃんと準備してきたバドミントンセットや縄跳び、ボールなどでしばし遊ぶ。もちろんバトンも披露した。ほどほどに「おー」という感触は得られたが、「ちょっと廻させて」と言って手に取った三女が、それなりにクルクルと廻しやがり、なんか基本的に運動神経のいい快活なタイプの人間って、急に与えられた棒を器用に扱ってみせる向きがあるよな、と思った。そういうタイプの人間じゃないこちらが、数ヶ月かけて到達した階梯に、さらりと行ってしまう感じ。もっともこちらが「たった数ヶ月」しかバトンの練習をしていないのに対して、向こうはもう20年以上、運動神経のいい快活なタイプの人間を続けているわけで、重ねた年月で言えばあっちのほうがよほど長いのだとも言える。
 そんな風にして花見と公園遊びを満足いくまで堪能し、解散となる。互いの車の、載せてきた荷物を交換し(こちらからもファルマンのこれまで使っていた椅子を引き取ってもらえることになったので載せてきていた)、そしてファルマンと子どもたちは車を乗り換えた。
 帰宅したのは3時ごろ。僕としては本当に、ドライブがてら花見もするか、くらいの感覚で、とても楽だったし愉しかった。子どもたちが舞い戻って来て、家は再び喧しく、そしてあっという間に散らかったが、あまりにも静かなのってぜんぜん良くなく、気持ちが沈むばかりで、そのことに気づいた週の後半からはずっとテレビを点けっぱなしにして過したりしていたので、うんざり感などはぜんぜんない。いまのところはまだぜんぜんない。