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春の日々

 暖かくなったり、また寒くなったりする、春の日々を過している。
 寒さがずるずると長引いたので、今年は桜が咲くのも遅いだろうと予測していたのだが、まあ若干遅いような、山陰においては毎年だいたいこのくらいのような、そんな感じに咲いた。そんなわけで5日と6日のこの週末が、花見のタイミングとしては絶好だったわけだが、なんかいろいろ複合的な事情から、今年は決行には至らなかった。少し残念なような、特にそうでもないような、そんな心持ち。コロナのとき、コロナが明けたら花見とかレジャーとかたくさんしたい、と意気込んだものだが、コロナ明けが長く続き、それが当たり前になったら、意欲は減退するのだな、と思う。人間なんてさみしいね。
 花見に至らなかった複合的な事情について述べていくことが、そのまま最近の日々の記録になると思うので、していく。
 まず春休みということで、いつものことながら、先週から次女一家が実家に来ていた。もちろん夫は向こうで平常運転であり、次女とふたりの娘のみである。そうなってくると、これもまたいつものことながら、わが家の面々も実家へと日参し、毎日わちゃわちゃと過していたようである。そんな日々の中で、水曜日だか木曜日だかに、義母、ファルマン、ポルガ、ピイガ、そして次女とその娘たちという、総勢7名の女ばかりの集団で、近所の、まあまあ桜の名所と言えなくもない公園へ、プチお花見みたいな感じで繰り出したそうで、ただの散歩および公園遊びなら、まだ印象は違ったかもしれないが、行く途中でスーパーに寄って食べ物を買い、それを公園で昼ごはんとして食べたという話だったので、じゃあそれはもう花見だな、今年はもう俺とか抜きで、平日に、お前らは花見を済ませたということだな、と受け止め、となれば週末に僕が花見を呼びかけたところで、既にいちど花見をやった人間とテンションを合わすことは不可能であり、不快感を抱くことになりそうな予感がしたので、音頭を取る気があまり湧かなかったのだった。
 また日曜日は次女一家が向こうに帰る日なので、花見をするとしたら土曜日だったのだが、この午前中はポルガが部活だったり、次女の夫がこちらにやってくる予定があったりで、とにかく状況が整わなかった。ファルマンと娘たちはこの日も午後から実家へ行ったので、仕方なくひとり残った僕はいつものように、筋トレや裁縫などをして過した。雲南のプールに行くという考えも一瞬頭をかすめたが、桜の時期の雲南に、桜以外の用件で行くというのも間が抜けているな、と思ってよした。
 この日の晩ごはんは餃子にすることして、よければ実家にも持っていってやろうかと思ったのだが、確認したところ実家のこの日の夕餉は、夫も含めた次女一家とおうち焼肉だそうで、焼き肉が好きな人にとっての焼き肉の、あの感じなのだな、と思って気を悪くした。持っていく分を想定して買った大量の材料で、ひたすらわが家の分の餃子を作った。
 それとケーキも作った。もちろんファルマンの誕生日祝いのケーキである。スポンジにイチゴを付与しクリームを纏わせた、オーソドックスなケーキ。毎年のことながら、ファルマンの誕生日の時期はいちごの値段が落ち着いていてありがたい。娘らの誕生日の時期のいちごの値段というのは、もはや忌々しくさえある。
 夕方に3人が戻ってきたので、餃子を焼いて食べ、ケーキを食べた。ファルマン42歳。なんだか信じられない。42という字面は、41よりもだいぶ力強い感じがする。だいぶ言葉を選んだが、要するにだいぶ年喰った感がある。「おもひでぶぉろろぉぉん」は、25歳で、結婚式をしたりしているというのに。もっとも毎日顔を合わせているせいか、見た目にそう劇的な変化があるようには思えない。いま横に25歳のファルマンを置かれたら、それはさすがにだいぶ違うのかもしれないが、イメージの中では固定されていて、いつも一定のファルマンである。夫婦とはそういう感じで、ずっと互いの不変的な、イデア的な部分を見続けるものなのかもしれない。日々もう少し運動をして、健やかに暮せばいいと思う。
 日曜日に花見ができない理由はさらにあって、昼過ぎからタイヤ交換なのだった。いつもの業者の人に来てもらい、実家で全員の車をまとめてやってもらう。やってもらう予定だったのだが、前回スタッドレスにしたときにチラッと言われていたのだけれど、僕の車の普通タイヤがもうだいぶ劣化していて、2本はいいがやっぱり2本は新しくしないとダメだということで、この日の作業は行なわず、後日こちらの業者から購入する形で、新しいタイヤに付け替える、という算段になった。タイヤ代というのはそれなりにするわけで、もちろん嫌だが、しかしまあ、ガソリン代が高いのも、車の維持費が嵩むのも、この暮しではしょうがないことだよな、と思う。都会の公共交通機関の暮しより、あえてこっちを選んでいるのだから。ちなみに三女の車は今回、4本一斉交換だそうで、それよりは2本で済んだ分よかったな、という精神的な救済もあった(できれば2、3年おきに2本ずつ交換するようなサイクルで回していければいいなと思う)。
 次女一家は夕方にこちらを出発し(本来はもっと早く出発する予定だったはずだが、なんかグダグダと遅れたらしい。さすがだ)、22時とか、ずいぶん遅い時間に向こうに着いたそうだ。子どもの始業式は火曜日なので、夫の出勤以外、特に問題ないのだろう。そして1週間こちらにいて、いちど戻ったが、だいたい3週間後くらい、GWになればまた来る。すぐだ。
 桜も咲いて、GWなんて単語も出てきて、ようやく季節は巡った。なんだかとても長い冬だったような気がする。プールはまだ開かない。そのせいかもしれない。

24年~25年の年末年始記録 前期編

 28日から無事に年末年始の休暇に入っている。今年は暦の巡りがよくて、「奇跡の9連休」と言われている。僕もそうである。もちろん嬉しい。しかしその一方で、9連休にそこまで大興奮していない自分を感じ取っていて、そのことに気を悪くしている。「おもひでぶぉろろぉぉん」当時の、書店員時代の僕は、テレビで「奇跡の9連休」などという話題が出たら、その瞬間にチャンネルを変えていただろうと思う。それが今は享受できているのだから、本当はもっと、過呼吸になるくらい喜ぶべきだろうと思う。
 27日は大掃除のあと労働が早めに終わったので、プールへと繰り出した。まだ日が沈む前だったので嬉しかった。これが今年最後になるかもなあと思いつつ、たぶんやっぱりもういちど来るだろうな、と考えていた。実際もういちど行くことになった。
 28日は土曜日ということで、ルーティンとして買い出しに繰り出す。しかしなにぶん年末のことなのでいつものようにはいかないだろうと、これはもう行く前から覚悟していた。結果としては、野菜や魚はたしかにそうだったが、肉は思いのほかよくて、豚のひき肉がとても安く手に入ったので、これはもう餃子だな、と思い立った。実家にはこの日から次女一家が帰ってくることになっていて、いつもごはんのことで大騒ぎしているので、大量に作って向こうにも餃子を提供してやろうと考えたのだった。
 帰宅後は昼ごはん。焼きそば。ポルガは友達とショッピングモールに遊びに行ったので、3人である。3人なのでいつもは買いづらい3玉入りのものがちょうどよかった。
 食後は餃子の餡を仕立てたあと、部屋での作業。溜め込んでいた布を総ざらえして、この連休中に使うかもしれないものを、とりあえず外に出した。そうしたら部屋の床が布で埋まり、ファルマンからブーイングを受けた。9連休でも別にそこまで心が躍っていないみたいなことを言いながら、その一方でひそかに青い炎が燃えたぎってもいるのだった。
 16時くらいになって次女一家が実家に到着したというので、実家用の餃子を包み、ピイガを連れて参上する。夏以来の対面となる次女の次女は、2歳4ヶ月だったのが2歳8ヶ月になっているわけで、だいぶ成長を遂げていた。この時期の4ヶ月はでかいな。それに引き換え41歳にとっての4ヶ月と来たらどうだよ、と思う。
 ピイガはいとこと遊ぶというので、晩ごはんまで置いておくことに。自宅に戻ったら間もなくポルガが帰ってきて、ピイガは実家に行っていると伝えたら、自分も行くと言って自転車で行ってしまった。中学生は身軽だな。
 自宅用の餃子を包み終えたところで、子どもたちを迎えに行く。ポルガの自転車も車に乗せて帰った。どうせこれから連日、いとこと絡み続けるのだろう。
 餃子はもちろん美味しく、実家からも甚く感謝された。それはそうだと思う。こんなに気の利く娘の夫はこの世にそうそういないだろうと思う。
 夜は裁縫。ピイガのためのキャスケット帽を作っていた。近日中に「nw」にアップするだろうが、実は半月ほど前からピイガ用にコートを作っていて、その余った生地でキャスケットも作ることにし、年末年始に間に合わせたいと思っていたのだが、この日になんとか完成したのだった。とてもいい出来になったので満足している。9連休、なるべく1日も無駄にしたくないので、とりあえず初日に成果があってよかった。
 2日目の29日は、次女一家が午後は夫のほうの実家に行くが午前中はいるというので、また子どもたちを連れていく。連れていくと言うか、置いていく。
 その間に僕は買い物。ドラッグストアや100円ショップなど、食料品以外のこまごまとしたものを買い出す。その中に蛍光灯があった。僕とファルマンの部屋の蛍光灯が、どう考えてもこれはさすがに暗いだろうという話になり、新年を迎えるこのタイミングで新しくすることにしたのだった。それで帰宅後、付け替える。しかしこの作業をしていた際、僕が椅子に乗り、これまでのものをふたつとも外し、まず大きいほうの環を嵌め、さて次に小さいほうの環を、と思って腕を下げた瞬間に、気を利かせて小さい環を僕に向かって差し出していたファルマンの腕にぶつかり、新しい小さい環は床へと落下し、無残にも粉々になったのだった。大ショックである。部屋を明るくするために買った新しい蛍光灯がダメになってしまった哀しみと、これでもかというくらい細かく粉々になったガラスの後処理の大変さ(しかも床には僕がぶちまけた生地が散乱していて、それならそれで蛍光灯は救われろよと思うが、巧みにそれを避けて硬い床に落ちて割れつつ、破片は布へも散るという最悪のパターンであった)で、年末にとてもつらい気持ちになった。ファルマンなど「今年でいちばん哀しかった」とさえ言った。言ったあとで僕に、「お前は今年、島根のおばあさんと岡山のおじいさんを亡くしただろう」とツッコまれる始末であった。仕方なく小さい環は、これまで使用していた、だいぶくすんだものを再び付けることにした。それでも外側の大きい環が新しくなったことで、これまでよりはだいぶ明るくなったので、当面はこれでいくことにした。ファルマンがガラス片の処理をしてくれるというので、僕は子どもたちを迎えにいって、そして昼ごはんを作った。客観的な記録も証言もないので、この一件については、僕とファルマンのどちらが悪かったのか、もはや究明のしようがない。ファルマンはもちろん僕が悪いと言う。僕は口に出しては言わない。言わないけどここには書く。上を向いて作業をしていた人の、あんな至近距離に、声も掛けず物を差し出しているというのは、よろしくないのではないかと僕は思う。
 昼ごはんのあと、午後はひとりプールへと繰り出す。この日がホームプールの今年最後の営業で、僕も今年の締めとしてたっぷりと泳いだ。具体的に言うと、1250m泳いだ。こういうときよく1000mを泳ぐので、今日はそこにもう少し色を付けようと思い、この数字になった。気持ちよかった。これまでなら、このあとおろち湯ったり館へ行く可能性が残るので、そうなるとまだ泳ぐ余地があるということになるが、今年に関してはそれがないため、今年の水泳はここできっぱりとおしまいである。おろち湯ったり館とは後腐れなく別れたつもりだが、こんなときはやっぱり一抹の寂しさを感じる。ちなみにだが、サウナに行きたい気持ちはあるのだ。しかしおろちは嫌だし、ゆらりもなあ、とあぐねている。
 晩ごはんはカレーライス。大みそかまで微妙にあるこの日程において、鍋いっぱいのカレーを拵えておけば、夜にも昼にも食べられて便利だろうという算段から作った。
 韓国で起った飛行機事故のニュースを見て、いたましいと思うと同時に、飛行機に対する恐怖がまた増大した。去年あんなことがあり、今年は飛行機のメカニズムを学ぼうなどとは目論んでいなかった。それでももちろんそんなこととは一切関係なく、事故は起るときには起るのだ。車だって鉄道だって船だって、不可避で死亡に至るような事故はいくらでも起るけど、不可避の不可避さ加減が、飛行機はそれらとは段違いであるように思え、そこがおそろしくてしょうがないと改めて思った。
 3日目の30日、すなわち今日だが、この日の午後から例の、初めての親類カラオケの試みということで、午前は家で粛々と過した。僕は前の晩から、ひたすらに裁断作業に取り掛かっていた。年末年始用に新しく買った生地に加え、これまでに買って自分用のものだけ作り販売用は作っていなかった生地など、所有しているほとんどのスイムウェア用の生地を、もういっそすべて裁ってしまえと、とにかく裁った。なかなかすごい量になった。なんだかんだで書店員だった時代の癖が抜けず、9連休というものを過信しているのかもしれない。そこまで作れんだろう。他にやりたいこともあるのだし。でも裁っておくと気が向いたときに少しずつ進められるから、やっぱりまとめてやれてよかったと思う。
 昼ごはんは早速カレーライスを使って、実家へと向かう。そして車2台でカラオケへと繰り出した。大人7人、中学生以下4人、総勢11人の大所帯である。部屋の半分がマット敷きになっているキッズルームだったので、なかなか快適に愉しめた3時間であった。岡山時代に購入したマイクスタンドを、今回久しぶりに発掘して、持っていった。マイクスタンドって、あまり個人で所有しないし、ましてやカラオケに持っていったりしないものらしいので、袋から取り出して組み立てただけでけっこうウケた。こういう会は初めてということで、ならば1曲目はこれであろうとあらかじめ決めていた、「生まれてはじめて」(神田沙也加)で僕が口火を切った。そのあと各人いろいろ唄い、僕は「ALIVE」(SPEED)、「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)、「あなたの好きなところ」(西野カナ)、「君は薔薇より美しい」(布施明)などを唄ったあと、最後に「さよならの向う側」(山口百恵)で床にマイクを置いた。JOYSOUNDじゃなくてDAMだったので若干の唄いにくさはあったが、まあまあ気は済んだ。この1ヶ月、車内で準備した果以があったというものだ。前回のカラオケの数日後の訃報であった中山美穂の追悼もできてよかった。
 実家に戻って人を降ろしたあとは、今日のところは長引かせず退散する。どうせ明日も日中、子どもたちは実家に入り浸るのだろう。帰宅後はまた裁断の続きをして過す。晩ごはんはあんかけラーメンと餃子。とろみのあるラーメンが、熱々でおいしかった。
 ここまでが9日間の、前期3日間の記録。中期が年越しと、元日の実家の集いと、初詣などで、そして後期はピイガの誕生日のお祝いとかの話題になってくることだろう。

梅雨入り週末

 中国地方、ようやくの梅雨入りである。遅い。そして満を持しただけあって、紛うことなく梅雨である。梅雨入り前と梅雨入り後が、マーブル状に入り交じるということは一切なく、21日の金曜日の開始時点からきっぱりと梅雨だった。それくらい空気が違った。重みが違う。戦中派と戦後生まれの発言くらい重みが違った。
 土曜日も雨が強く、いつものスーパー巡りのほかは、どこへも出掛けなかった。正確には、夕方にひとりプールに行こうとしたが、なんと駐車場が満車で、車内から眺めたエントランスは人で溢れていたため、すごすごと諦めてそのまま帰った。みんな、雨だから屋内プールくらいしかないな、という発想であろうか。まあ蒸し暑いしな。泳げなかったのは残念だったが、通っているプールが繁盛するのは大事なことだな、などと思った。なんと心が広いのか。
 それ以外は家でなにをしていたかと言えば、まあ裁縫をしていた。先日、Yahoo!フリマに出品している水着が初めて売れて、気を良くして売上金をだいぶ上回る金額の新しい生地を仕入れたので、それで水着を作っていた。まとめて裁断し、ひと工程ずつをいっぺんにやっているので、1日かけて完成品はまだひとつもない。水着はまだ1枚しか売れていなくて、もしかしたらちょっと売値が高いのかもしれないと思い始めているが、しかしこうして製作に取り掛って、作業量のことを思えば、まあ順当なところだろ、などとも思う。
 あとそれ以外に、ファルマンに服作りを懇願されたので、そちらにも取り掛かっている。服を買ったりするのが嫌すぎて、作ってほしいと言うのである。生地代や作業報酬を足せば、ファストファッションの服などはぜんぜん買えるような金額になるのだが、それでもいいから、選んで買うという手間を省きたいらしい。もしかして妻は前世、深窓の令嬢だったのかもしれない。こちらにとっても悪い話ではないので受け入れた。ブラウス2枚、ワンピース1枚を作る予定。
 晩ごはんは野菜たっぷりのスパゲッティと、あととうもろこし。とうもろこしを、丸ごとラップに包んでレンジにかけたもの。今年初で、おいしかったし嬉しかった。家族がとうもろこしにかぶりついている食卓の風景は愛しい。
 日曜日もだいたい同じような感じに過す。ファルマンのブラウスは最初の1枚がほぼ出来上がるが、ちょうどいいボタンがないことが判明し、その仕入れ待ちという状況。ちなみに水着はまだ完成しない。午後に念願のプールにありつく。賑わっていたが、入ってしまえばストイックに泳ぐコースにはあまり関係がない。久しぶりに800mも泳いだら、ヘトヘトになってしまった。晩ごはんは餃子を作った。僕の餃子のおいしさの安定感はすごい。そこまで特別なことをしているわけではないのに、いつも異様においしい。もう僕がおいしい餃子を希求するフェーズを抜けて、餃子陣営が僕のほうに寄ってきているのだと思う。それくらいおいしい。しかしおいしくて食べすぎた。プールでは泳ぎすぎるし、餃子は食べすぎる。わんぱくな日曜日だった。
 夏との折り合いは先週よりもだいぶついてきたように思う。

異世界転生したGW前半

 前半と後半にきぱっと分断されている今年のGWの、前半を終える。
 初日の土曜日は、土曜日なので僕はいつものように、午前中は買い出しに勤しんだ。ちなみに4月の食費も、まあなんとか予算内に収まりそうである。担当している食費のやりくりは、気を抜いたらすかさずオーバーしてしまうような、絶妙な設定になっているため、もう少し余裕があればいいのにと常に思いつつ、なんだかんだで愉しんでいる面もある気がする。
 帰宅して、昼ごはんまでにはまだ余裕があったので、ひとりプールへと繰り出す。ピイガは、混んでいるだろうから、という理由で付いてこなかったのだが、行ってみたら意外と空いていた。世の中、4月はまだプールの機運ではないのかもしれない。
 この日の午後は、どこへ出掛けるということもなく、家で過した。筋トレをしたり、子どもたちの新しいキャスケットを作ったりなど。おやつに白玉を作り、アイスとあんことともに食べる。そして晩ごはんは餃子。ちなみに白玉作りにも、餃子包みにも、もちろんピイガは参画した。そのさまを見て、小学5年生はまだまだ懐っこいものだな、と思ったが、しかしこれはひとえにキャラクターによるものだろう。ポルガはこれよりももっと幼い頃から、食べるものを一緒に作ったりなどまるでしなかった。あいつは将来、どういう食生活で生きてゆくのだろうか。たぶんファルマンの大学時代のような感じになるのだろう。チョコチップスナックと、吉野家と、アセロラドリンクで食いつなぎ、徹夜でネットをし、明け方に寝て、口中に口内炎を作って生きてゆくんだろう。
 2日目は予報どおりに天候に恵まれたので、レジャーデイにする。ポルガは午前中が部活だったため、終了時間めがけて学校まで迎えに行って、そのまま出発する。本当は公園などで食べたかったが、おにぎりを車内で食べた。それでもおいしかったし、テンションが上がった。家族で、車で出掛けて、弁当を食べるの、やっぱり好きだな。車内ではこの日のためにまた、ひとり5曲ずつという約定で作ったプレイリストを流す。僕は最近とてもハマっている歌手から選び、なにしろとてもいい歌なので、家族の心にもさぞ響くことだろうと思ったのだが、全員からポカーンとされたのでショックだった。「山奥のサナトリウムで唄われているような歌」とファルマンに言われ、やっぱり趣味が合わない、と思った。
 レジャーの目的地は、とうとうやってきた、ドラゴンメイズである。雲南市の奥のほうにある、なかなかディープなスポット。目玉は巨大迷路で、存在は前から知っていたのだが、なんとなく機会に恵まれず、ようやく初めての来訪となった。冬は閉鎖するし、真夏は厳しいので、GWというのはこの施設の最も繁盛する時機であろうと推察され、行ってみてあまりにも混んでいるようなら予定を変更し、鬼の舌震にでも行こうかと話していたのだが、もちろんそれなりに賑わってはいたものの、幸いそこまでではなかったため、予定通りに入場した。迷路は選ぶコースによってチェックポイントの数が異なるとのことで、せっかくなのでいちばん多いコースを選んだ。
 このコース選びの説明を受ける段階、もとい駐車場から歩き始めた瞬間からなのだが、いま思い返しても、あれは夢の中の世界だったのではないかと思うような、なんと言えばいいのか、話の通じなさというか、噛み合わなさというか、独特の感性で作り上げられた異常な空気感が横溢していて、とにかく濃厚な体験をした。迷路の要所要所に貼られたポスターには、モチーフが謎のオリジナルキャラクターが描かれ、そいつのセリフの意味がいちいち分からない。また迷路内には、建築基準法や消防法はどうなっているのだろうというような建屋があって、令和の日本とはとても思えなかった。増田こうすけの漫画の中に入り込んだのかと思った。でも総合的な感想としては、「とてつもなく愉しかった」ということになる。そんな不思議でエネルギッシュな施設だった。すべてひっくるめて、こんな体験を家族でできてマジでよかった、と思った。大当たりのGWレジャーだった。
 しかしこの日は気温もかなり高かったので、1時間以上も迷路を歩き回り、だいぶヘトヘトになった。車に戻り、近隣のお店に行って、スポーツドリンクとアイスを買って、全員でむさぼるように食べた。こういうときのアイスの美味しさったらない。そして帰宅後、まだ明るかったがファルマンとすぐにビールを飲んだ。こんなときはビールを飲まなければバチが当たる。疲労とほろ酔いで気怠くなり、とてもいい気持ちだった。
 明けて前半最終日の今日は、ポルガが部活がなかったので、午前中に、GWの特別イベントをやっているという出雲弥生の森博物館へと赴いた。こちらもまあまあ賑わっていた。王墓のボランティアガイドをやっているというのでお願いし、説明を受けながら四隅突出型古墳のエリアを歩いた。回転率などという概念は存在しないようで、とても優雅に、小一時間もかけて案内してくれた。なかなか興味深い話もあって、愉しめた。なにしろ行政が運営する、子ども向けに親しみやすくしているとは言えアカデミックな施設なので、整然とした世界であり、昨日のドラゴンメイズとの落差がすごかった。わが家は今年、ジェットコースターのようなGWを過した、と思った。
 午後は家でのんびりと過した。明日からしばしの平日。そしてGWの後半となる。こちらには次女の一家がまた実家にやってくる予定で、でもどういう日程で来るのか定かでなく、予定が立てづらいというか、もっともそれがなくても、特に計画などはない。ドラゴンメイズもわりと急に決めた感じなので、後半も流動的に、それなりに愉しめればいいなと思う。

捉えづらい正月

 2024年の三が日が終わろうとしている。
 大みそかから書くなら、夜はひたすらに紅白を映しながら、食べたり飲んだりしていた。普段21時半に寝るピイガは途中からぐずり始めたが、それでもがんばって目を開け続け、無事に最後から3番目の出番であったYOASOBIを見届けていた。YOASOBIのパフォーマンスは、そうまでして観た果以のある、とてもいいものだった。たぶんジャニーズ系のアイドルグループが出演しない紅白は、この1年限りだろうと思う。その年にこれをやったというのが、巡り合せでおもしろいな、と思った。
 のんびりと目覚めた元日は、去年と同じく、おせちにおける骨と皮のような、最低限の要素だけの品を皿に並べた。紅白かまぼこ、茹で海老、れんこんの炒め煮、煮豚、黒豆という面々。ちなみに後半のふたつは母から送られてきたものである。それと我々3人は雑煮を食べ、餅を食べない主義のポルガは、餅の入っていない汁と、前日の残りのクリームパンなどを食べていた。元日からポルガはもちろん和を乱すのだった。
 そのあと、とりあえず初詣へ。いつもの、出雲大社ではもちろんない、近場の、正月なのでそれなりに賑わっている、ちょうどいい規模の神社である。神様への挨拶ののち、全員でおみくじを引いた。子どもたちふたりは大吉で、僕とファルマンは吉。と言うか、僕とファルマンが引いたのは、同じ番数の、同じ文面のおみくじだった。その内容はと言えば、『心正しく行いをすなおにしないと家の内に不和が起こって災が生れます 特に男女の間をつつしめ』、さらには「願望」の欄には、『とゝのう しかし色情につき妨起る』とあって、夫婦揃ってこんなに下半身関係のことを諫められるおみくじを引くだなんて、2024年はいったいどんな年になるのだろう、だいぶ桃色の年になるのだろうか、と思った。
 そのあとは実家に向かい、昼過ぎから新年の集いをする。
 年末には僕はこちらに顔を出さなかったので、次女一家とは夏以来の再会であった。1歳半ほどになる第2子は、それなりに歩くようになっていて、喃語も少し出てきていて、そしてたぶんいちばん人見知りをする時期に入っていた。夏はできた抱っこも、今回はできなかった。ファルマンのように年末から足場固めをしていたら心を開いてもらえたのかもしれないが、なにぶん今回はほとんど絡まなかったのだった。まあ眺めているだけで癒されたので別にいい。
 鮨とおせちの食事を済ませたあと、みんなで外に出て、散歩がてら凧揚げなどする。僕はバトンを持ってきていたので、それを回した。その最中に、ファルマンのスマホに警報が届き、ほぼ同時に、川の近くのスピーカーからなにかアナウンスのようなものが流れた。しかしなにが起ったのかはあまりよく分からず、そのままもう少し外で過したのち、家に戻った。家に戻ってテレビを付けたら、だいぶとんでもないことが起っていて、大いに驚く。「令和6年能登半島地震」と名付けられた、最大震度7の大地震なのであった。まさかの元日の出来事に、現実味がまるで湧かない。海や川からすぐに離れるよう促すアナウンサーの、鬼気迫る声がひたすらおそろしかった。
 晩ごはんの前に実家を出て、スーパーに寄って帰る。昼餉が豪華だったので、晩ごはんは簡単に、レトルトのミートソーススパゲッティと、茹でた肉や野菜などで済ました。
 そして2日である。この朝に覚えていた夢が、初夢と言われる。僕は、ピイガとトランプをしていたら、ピイガが持っている札を8つ折りにしたので叱った、という、なんとも所帯じみた、そして僕はピイガの手癖の悪さをよほど憂えているのだな、という夢だった。ファルマンにどんな夢だったか訊ねたところ、ファルマンは「ん-……」と口ごもったあと、「淫夢だった……」とポツリと答えた。そのあと内容について詳細を語らないので追求しようとしたら、「いや、ちょっと、倫理的に、よしとく」と拒まれた。それでも「俺は? 相手は俺?」と問いただしたところ、「うん、あなたも、出てきたよ」とのことで、「も」かー、と思った。どうも非常に社会通念的によろしくない夢だったようである。前日に引いたおみくじのことが思い出された。色情につき妨起る。
 そしてこの日は、僕ひとりが買い物に行った以外は、なんだかんだで一家で家にこもって過した。3人はまた実家に顔を出す気満々だったのだが、第2子の昼寝のタイミングであったり、第1子は向こう(次女の夫)の家の面々と出雲大社に初詣に行ってしまって、聞いた瞬間に、よく行ったもんだな、と思ったけれど、やっぱり行きも帰りもとんでもない混み具合だったそうで、半日仕事になってしまい、この夜は次女一家はもとから向こうの家に宿泊する予定となっていたため、まるで遊べる時間がなくなってしまったりで、ままならなかったのだった。
 晩ごはんは唐突に食べたくなり、餃子を作った。そしてホットプレートで焼き上がった餃子を囲んで、それを摘んで食みながら、「桃太郎電鉄ワールド」をした。もちろん普段はごはんを食べながらゲームなんてしないのだが、こういうときなので特別である。ちなみにこれまでの数日でゲーム内では10年ほどが経過し、意外や意外、もう何年もファルマンがトップで在り続けている。今作は前作までよりも、盤石の体制が作りづらい気がする。このまま右肩上がりかな、と思いきや、あれよあれよと借金になったりする。それゆえにおもしろい。やっぱり休みのはじめに買ってよかった。
 夜になり、風呂に入っていたら、羽田空港でとんでもないことが起っていた。前日の地震に関連した出来事とは言え、正月からあんまりじゃないかと思う。折しも、「hophophop」に書いたように、いたずらに怖がっている飛行機についてきちんと知識を深めようと、年末の図書館に行って関連本をたくさん借り、読んでいた最中である。そんなタイミングで目にしたセンセーショナル過ぎる映像に、頭がくらくらした。もうああなってしまったら、飛行機が飛べる仕組みとか関係ない。揚力について学んでも意味がない。なんてこったよ。
 それにしても、夏の台風もひどかったが、今回も帰省が悲劇ではないか。帰省することにしていた場合、冬なので飛行機を使う目は基本的になかったけれど、飛行機があんなことになった影響で、新幹線に人が流れたそうで、そして新幹線と言えば、今回の帰省を思いとどまるひとつの要素であったが、全席指定席(指定席を持たない人は通路に立って乗る)仕様なわけで、そこへ想定外の人の流入が起ったのだとすれば、その車内はさぞひどいことになったのではないかと思う。ああ帰省おそろしい。
 3日の今日は、次女一家は今日が移動日ということで、午前中にまた3人は実家へと向かい、僕はホームプールが今年の初営業ということで、初泳ぎをしに行った。午前中ということで、いつもとはぜんぜん違う感じかなと思いきや、泳いでいる人間はわりと見たことのある顔ばかりで(誰とも喋ったことはないが)、要するに会員の、ふだん足繫く通っている人間は、数日間のブランクを経ての待ちに待った営業再開日、夕方までなんか待てず、午前中のうちに来てしまったのだろうと思った。かくいう僕もだけど。今年最初の今日も、去年最後の日と同じく、1km泳いだ。
 午後は、またずっと家にいるのも何だしということで、年末と同じく具体的な目的があったわけではないが、ゆめタウンへと赴いた。初売りセールでにぎやかだった。まあそういう雰囲気を味わいに行ったということで。ちなみにここへは昨日、お笑いコンビのアイデンティティが営業でやってきていて、三女は観に行ったそうだ。もちろん野沢雅子だったらしい。いいなあ。
 晩ごはんは、鶏肉ですき焼きにした。2日連続のホットプレート(IHクッキングヒーター)メニューで、今日もまた行儀悪く、食べながら桃鉄をした。いけませんな。
 まあそんな感じで、三が日は終わろうとしている。わが家は地味に過し、世の中ではとんでもないことが起き、なにをどう思えばいいのか、とことん捉えづらい正月だ。とは言え確かなのは、家族で家で過せているのは、とても尊いということである。初詣でもそれを願った。しかし石川県の人々も、あの日の午前にそれを願っていたに違いなかった。やるせないな。
 休みはいちおう明日まである。しかしもう三が日は終わったし、翌日からは労働が始まるし、なにより明日という日はピイガの誕生日を祝うための日なので、もう実質的に年末年始の休みは今日でおしまいだ。のんびり自由に過した日々だった。開始時にやりたいと思っていたことは、まあまあの率で潰せた。よかったと思う。

冬の家族週末

 なんとなく慌ただしい週末だった。
 土曜日は午前中にピイガの小学校の学習発表会があり、当初はファルマンだけが観覧する予定だったのだが、とてつもない冬型の気候が襲来していて、ひと晩中風雨の音はすさまじく、もはや発表会は中止ではないかとさえ思ったのだが、そうはならず、しかし本来の計画であったファルマンの徒歩での移動はままらなくなったので(ファルマンは保護者の車で混み合うイベント事の日、学校への運転と駐車をしない賢明なスタンスを取っている)、送迎の必要が出て、そもそも朝に、まだ風が強かったのでピイガも学校へ送り届け、そのあとファルマンとともにピイガの演目を観るために学校へ行き、そしてピイガの出る演目というのは、数時間の間隔を挟んでふたつあったので、いちど家に帰り、後半のそれに合わせてまた赴いたので、午前中だけで僕は3回も家から小学校までを往復したのだった。というわけであっという間の午前だった。
 発表会のピイガの様子はどうだったかと言えば、運動会と同じで、小さい、という印象を抱いた。本人の成長や能力については、家で十分に目にしているので、学校で見る子どもの感想は、どうしたって他の子との比較となり、そうなると「ちっさ!」という反応になる。そしてファルマンはすぐに「成長曲線が……」などと不安を嘆くことになる。これに関しては僕はとても旧時代的な考えで、女の子だからという、このご時世あまり堂々と言ってはいけない理由から、小さくてもいいじゃない、むしろかわいいじゃない、などとホザくのだけど、それに対して「あまり小さいと将来の出産が大変なのだ」とファルマンは言い、それを言われるともうこの問題について僕がコメントできることはなくなるのだった。
 昼過ぎにピイガは帰宅し、昼ごはんはピイガの好物であるうどんにした。本当に、雪が舞うほど寒い日だったので、うどんのあたたかさが身に沁みた。
 午後はポルガが期末試験の勉強のために図書館に行くというので、送ってやる。本当に妻子の送迎をやけにした日なのだった。それから帰ったあとは、部屋のクローゼットの整理を行なった。衣替えはもちろん既にファルマンによってなされていたが、布団が、奥にあった羽毛布団を、急に寒くなった夜に無理やり取り出し、整然と積み上げていたものがぐちゃぐちゃ、みたいな状態になっていたので、それを整えたり、あと扇風機を仕舞って、代わりにストーブを取り出し、さらにはついでにクリスマスツリー関連のグッズも取り出した。すなわちすっかり冬の仕様に切り替えたのだった。
 おやつには3人でぜんざいを食べた。ポルガは餅を食べないので、ポルガがいないタイミングに食べるにふさわしいおやつなのであった。
 夕方になり、ファルマンがポルガを迎えに行って、その間に僕は夕飯の調理をしていた。夕飯は餃子。先週が焼売で、今週は餃子。焼売もたまに食べたくなって作るけれど、作って食べたら食べたで、餃子が食べたいな、という思いを抱きがちなのだった。というわけでの餃子である。今回もいい出来だった。
 そのあと、夜になってこたつの設営をする。この3、4年、わが家にこたつは登場していなかったのだけど、なんとなく今年は出したくなって、出すことにした。3、4年というのは、コロナとはもちろん関係なくて、ファルマンおよびポルガのあたりが、こたつがあると人として終了する傾向があるので、それでやめていたのだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、言うてもそこまでやないやろ、と思ったのだった。しかし出して丸一日が経つが、やっぱりダメかもしれない気配が漂いつつあり、ハラハラしている。
 夜は異様に眠くなり、目が開けられなくなって、ファルマンにさんざんなじられながら、日が変わらないくらいの時間に寝ついた。やっぱり昨晩が強風で眠りが浅かったのだろう。土曜の晩に残念なことだったが、そうは言ってもしょうがない。
 起きたら8時半で、まあたっぷり寝たことになる。本当はまだまどろんでいたいくらいだったが、今日は今日でポルガが参加している科学教室の遠足ということで、やはり送る必要があるのだった。それを送って帰ると、今度はすぐに実家へ向けて出発となる。実家の人の車とともに、業者の人に来てもらってわが家の2台も冬用タイヤへの交換をしてもらうのである。10日ほど前にこの日程が決まった時は、ちょっと早いなあと思っていたが、ぜんぜんそんなことなかった。とてもちょうどよかった。ちなみに義父母は昨日、岡山のおじいさんの所へ顔を出しに行ったそうで、義父の車だけはおとといくらいに既にタイヤを交換してもらったそうだ。そして庄原や高野のあたりは実際に雪景色だったらしい。今年もまた、山陰が中国山地によって表日本から断絶される時期になったのだな。
 昼ごはんは実家御用達のお好み焼き屋のテイクアウトを馳走になる。広島風で、義父母はやけにこの店のものを愛好しており、よく出てくる。広島風のお好み焼きって、食べるたびに不思議な食べ物だなあと思う。
 帰宅後は、ポルガの制服のスカートの丈詰めをした。時代も違うしキャラも違うしで、脚をもっと出したいとか、そういう要望があったわけではないのだが、しかしそれにしたって、春先にお店で採寸して仕立ててもらったスカートの丈は、クラスメイトらと較べてポルガのものだけがやけに長いのだそうで、穿いている姿を見ると、まあたしかに長い。スケバンというほどではないが、やけに長いなあという印象を受ける。というわけでまあ少しくらい詰めるか、ということになった。ポルガは7センチと言い、ファルマンは5センチと言ったので、中道派の僕は両方の顔を立て、6センチにすることにした。制服のプリーツスカートの丈詰めは、お直しの店に勤めていた頃にもやっていて、女子高生のスカートに鋏を入れてお金をもらえる人生なのだなあ、と感激したことがあったが、そんな僕がとうとう娘のそれの作業をするようになったか、という感慨があった。距離が長いのでまつるのに時間が掛かったが、作業自体は簡単である。明日は夏服のそれで行ってもらおうかと思っていたが、仕上げることができた。
 そのあとポルガを迎えに行きついてに、買い出しもする。この際、丈詰めの作業代として、愛飲している第3のビールの6缶パックをふたつ、ファルマンに買ってもらう。破格ではあるけれど、いい報酬だとも思う。
 晩ごはんはそぼろ丼。これは昨日のうちに作っていて、ポルガの弁当にはこれを持たせていた。その代わり、ポルガは晩ごはんにお好み焼きを食べた。
 そんな感じで、なんか家族の世話や、家のことを多くした週末だった。慌ただしかったが、悪くはなかった。それにしてもおろち湯ったり館に行かない。もうそろそろ2階は閉鎖だろう。その前に行きたいものだ。ずっとおろち湯ったり館のこと言ってるな。

もう梅雨が明けたと言っていいのではないか3連休

 3連休であった。
 きちんと堪能しなければ、という思いが先走り、強迫観念となり、焦燥するという、いつものパターンを踏襲しつつ、しかし実際そこまで「やらなければならないこと」を抱えているわけでもなかったので、基本的にのんびりと過した。そんな感じの3日間だった。
 びっくりするくらい対外的な予定のない両親に対し、子どもたちは地域のクラブ活動や部活など、わりといろいろあった。そのため大掛かりなお出掛けをする機運が高まらなかったというのもある。なによりひどく暑かったため、レジャーの予定なんてないくらいでちょうどよかった。生きているだけで精一杯だった。
 それでも初日、土曜日の午後に、4人で海へと繰り出した。多伎のきららビーチである。人がとんでもないことになっているかな、と思いきや、それなりに人はいたが、そこまでではなかった。きちんと泳ぐつもりはなかったが、レジャーシートやタオル、体を流すための水を詰めたペットボトルなどは念のため持って行っていて、格好も僕は、ズボンの下に、下着ではなく、筋トレをする際に穿く、トランクスよりもともすれば丈が短いような短パンを穿いて、足元を波に浸して遊ぶ、よりは少し本格的に、膝より上くらいまで海の中に入る感じでしばし子ども(言うまでもなくファルマンは靴を脱ぎさえしない)とともに戯れたのだけど、こんな半端なことをするくらいなら、下は水着にしてきて、自分だけでも急に泳ぎ出すということをすればよかったな、と少し後悔した。レジャー的に、海がプールに勝っている部分なんてあまりないよな、と思っていたけれど、いざ夏になり、脚で波を感じてみてれば、やっぱり海には海の良さがあるな、と思った。今度行ったときは本当に泳ごうと思う。
 

 ちなみに消しゴムマジックは使っていない。島根県的に、「それなりに人はいた」。
 晩ごはんは、手羽先のフライドチキンと、マカロニサラダ。そしてもちろんビール。海で陽を浴びたあとのそれは、格別だった。泳いでいたらもっとよかっただろう。
 翌日は、午前中に買い物。買い物から帰り、買ってきたものを冷蔵庫に詰め、昨日の晩ごはんの残りやおにぎりなどで昼ごはんにしたあと、アイスコーヒーでも飲もうと思い冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の照明が切れていた。なんか照明が切れているな、と思い、ファルマンにそのことを伝えたら、電源は入っているのかと訊ねてきたので、前面のタッチパネルを確認したところ、うんともすんとも言わないのだった。たった数十分前、買ってきたものを詰めていた際は異常を感じなかったので、この間に、静かに冷蔵庫は斃れたらしかった。当然ながら、困る。冬ならばまだしも、目下、気温35度の世界である。大慌てで業者に電話をしたり、実家に冷蔵品を避難させてもらいにいく連絡を入れた。
 この午後からは、ポルガと付き添いのファルマンは催し物に参加する予定があり、その間僕とピイガでプールに行く予定があった。そのためとりあえず冷蔵庫の、牛乳など、すぐに避難させなければならないものを抱え、実家へ行き、それを冷蔵庫に入れたあと、僕とピイガはプールへと向かった。ところがプールは超満員で、駐車場から車が溢れ、待つことさえ許されないという。島根県でもこんなことはあるのだ。仕方なく、涙をこぼして喚くピイガを、夕方にまた行くからと約束して宥め、しかし家でふたりで過すのもなかなか厳しいので、また実家に行くことにした。その際、さらに追加の冷蔵庫の物品と、本日の晩ごはんとして作るつもりだった餃子の材料も一緒に持ってゆく。プールが夕方にずれ込んだこともあり、このタイミングで実家で餃子を作ろうと算段したのである。すばらしい判断力。
 というわけで実家で餃子を作った。なんだか自分の実家のような言い分だ。のびのび利用させてもらっている。包む段になって、ファルマンとポルガが催し物を終えて、こちらにやってきた。そんなわけで包む作業には、ファルマンと義母も参加してきた。ファルマンは普段ならば参加しないのだが(僕が僕以外の人間の包んだ餃子を好まないため)、キッチンを使わせてもらった手前、もちろん実家の面々の分もありまっせ的なことを僕が伝えたことで(追加の材料を途中で買っていた)、義母が「包むのくらいは手伝わなければ」というモードになったので、ファルマンも流れでやらざるを得なくなったのだった。別に本当にひとりでやってもよかったのだけど。
 かくして90個の餃子を包み終え、いちど家に帰ることに。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、プールのあとにまた取りに来ることにした。そうして戻ったら、なんか冷蔵庫が稼働していた。なんじゃそら、と思ったが、どうも稼働はしつつも、一方で不調を知らせるマークは点灯しているので、やはり予断は許さなそうで、予定通り業者には見てもらわなければならないし、実家に持っていったものはまだ引き上げられない。
 そのあとすぐにプールへ。当初の予定が変更となったため、ポルガも参加することに。夕方になり、さすがに車が停められないということはなかった。しかしそれでも混んでいた。混み慣れしていない子どもたちはすっかりテンションを下げ、あまり愉しめなかった。まあ3連休のプールになんか行くもんじゃないな。今後、子どもたちは夏休みに入るわけで、平日の夜、気が向いたら子どもたちを誘ってやろうと思った。
 そのあと実家に寄り、餃子を回収する。実家の面々は既に焼いて食べていた。「すごくおいしい」と言うので、「僕の作る餃子は世界一おいしいんですよ」と伝えておいた。
 帰宅後、我々も餃子を焼いて晩ごはん。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、持って帰って焼けばいいだけの話だが、問題はビールだ、と悩ましく思っていたが、なんとか息を吹き返した冷蔵庫がきちんと冷やしておいてくれて、熱々の、世界一おいしい餃子と、よく冷えたビールという至福を味わう。冷蔵庫のせいで慌ただしい1日だったが、最後にいい感じにまとまった。
 3日目、最終日の今日は、ポルガは部活、さらにピイガに若干の風邪の症状が出たので、もとより家でのんびり過すつもりだったが、リビングで過すファルマンとピイガとは極力接触しないよう、ほぼ1日、部屋でひとりで過した。これほど優雅な休日があろうか。昨晩に放映された日曜劇場「VIVANT」の初回をTverで観ながら、裁縫や筋トレをする。「VIVANT」はなんかすごかった。やあすごかったなあ、と思いながらエンドロールを眺めていたら、撮影協力の所に島根県松江市とあったので少し驚いた。
 裁縫はもちろんショーツである。ショーツ、よくもそんなに作るものがあるものだという話だが、やっていると、こんな作り方はどうかとか、細くしたらどうか、逆に太くしたらどうかとか、わりと次から次へと試行する事柄が出てきて、いつまでもどこまでも愉しい。これが趣味というものなのだな、と思う。
 今日は本当にそんなことだけをした1日だった。なによりだ。
 というわけで3連休は、暑さにやられつつも、それなりに愉しく、おいしく暮せた。もうすぐ子どもたちは、3連休など霞むような壮大なスケールの休みに突入する。うらやましい気もするし、無職の古傷を刺激したばかりの身には、ぜんぜんうらやましくなかったりもする。せいぜい健やかに生きようと思う。ピイガの風邪がうつりませんように。

平日のような平日じゃないような1月末日

 変則的に、土曜日が出勤で、月曜日が休みだった。久しぶりの平日休みに心が浮足立ち、そうなるとやっぱり四季荘かなあ、と思った。常連向けの、内輪ウケのイベント情報ばかりがラインに届いて白ける、ということを前に書いたが、やっぱり稀有な平日の休みを満喫しようと思うと、パッと四季荘が思い浮かぶのだった。しかし結果的に、今回は行かなかった。したいことが多くあったのと、あとはなにより億劫さが勝った。こういう外出に関し、億劫さを勝たせてばかりいるとあまりよくない気もするので、そのうち帳尻を合わせようと思う。やはり、春が来ないことにはな。
 月曜日は1月31日ということで、今月いっぱいという期間で、オミクロン株による感染拡大を理由に休校となっていた娘たちも、その最終日として家にいた。そうなのだ。せっかくの平日休みといいつつ、子どもが家におったのである。それもまた、いくらかはサウナに繰り出す意欲を削いだかもしれない。もっともサウナに行くつもりだった午前、家にいて子どもの世話を買って出たわけでもない。「休校中は自宅で、登校したかのように、なるべく時間割に沿って学習をしてください」という、おととしから続く、両親ともが外に働きに出る家庭を憤死させる学校からの要請を、この期間ファルマンは持ち前のアレ(アレとしかいいようがないアレである)によってかなり忠実に遵守しており、この日も午前中いっぱいは子どもを机に向かわせていた。
 なので僕は心置きなく、部屋でしたいことをした。主に縫製だ。土曜の夜から月曜日まで、そこまで没頭したわけでもないが、それなりにいろいろ縫った。それはそのうち「nw」などに投稿しようと思う。
 午後は家族でNintendo switchをして遊んだ。さらっと書いたが、実は数日前に、とうとう買ったのだった。これをいちばん喜んだのは、前から欲しがっていたポルガであり、そのポルガも、「どうして?」と不思議で仕方ない様子だったが、どうしてこのタイミングで買ったかといえば、まあ休校で時間を持て余し気味というのももちろんありつつ、なんといっても岸田のおじさんからのお金に拠るところが大きい。配る前、現金だ商品券だとなんやかんや論議され、「じゃあ自治体の判断で全額現金でもいいよ」と国が折れる形になり、しかしそのあと、「子育て関連にのみ使える商品券」という謎のその券の、そもそも実体を見たことがない、もちろん我が自治体でも、年末5万(×2)、年始5万(×2)と現金で振り込まれた、例のお金である。これに関しては、前回の一律給付金とは意味合いが違うのか、「貯め込まずに消費して社会を動かせよ」みたいなことは、そこまで世間でいわれていないが、しかしまあ、望外の収入であり、望外の収入は、望外の収入でもない限りなかなか買う気にならないものを買うべきだろうという心理から、クリスマスプレゼントの電子辞書であったり、ミシンであったり、そして今回のswitchであったりを、購入したわけである。偉い。ちゃんと消費して、偉い。すごく偉いから、もう6回くらいくれないだろうかと思う。switchは、とりあえず最初のソフトとして、「スーパーマリオブラザーズ U デラックス」を買った。2次元の、とてもオーソドックスなスーパーマリオ。数日の吟味の末、結局これだろう、と選んだ。結果として、やっぱり正解だったろうと思う。ピイガの操作するキャラクターが、ピイガの動きそっくりに、無駄に動き、穴に落ちて、すぐにゲームオーバーになるので、みんなで大笑いしながら愉しんでいる。
 夕方になり、雨上がりだったため空気が澄んで、山がとてもきれいだったので、子どもを連れて散歩に出る。散歩というか、子どもたちは自転車で、僕はトレーニングウェアに着替えてジョギング。気持ちがよく、体は熱くなったが、こういうとき体が熱くなっても指先なんかは冷たいままなのだと知った。指が、かじかむのレベルを超えて、あまり動かないくらいまでに凍りついた。そういえばジョギングの人たちは手袋をしているよな、と家に帰ってから思った。
 晩ごはんは餃子。最近カステラを作るので(実はこの日も焼いた)、家に強力粉があり、久しぶりに皮を手作りしようかなー、とも思ったのだが、買い物で大判の皮を見つけ、それが本当に僕好みの、大きくて分厚い皮だったので、これでいいやとなった。包んで焼いたところ、ひとつを食べるのに3口くらいを要するような、理想的な大きさに仕上がり、満ち足りた気持ちになった。

2月の公園

 大きな公園へ、おにぎりを持って遊びに行く。まだ2月である。無茶だ。でも近ごろ、梅雨じみたはっきりしない天候が続き、気温的にも寒いんだか暖かいんだか分からない感じがあり、さらにはインフルやらコロナやらで人ごみに対する警戒心が強まっているとなったら、なんとなく閉塞した心持ちに傾きがちで、山陰じゃあるまいしそんな精神状態に陥ってたまるかと発起し、繰り出したのだった。
 季節ごとの花が名物の公園だが、時期が時期なのでまだなにも咲いていなかった。もっとも花を尊ぶ人間は一家の中にいない。子どもたちはやはり公園の一角にある、わんぱく広場の遊具に夢中だった。この公園には、過去2回来たことがあり、最初は岡山に来た年の初夏くらいのことで、ポルガは3歳、ピイガはまだ生後半年ほどだった。その頃のことを思えば隔世の感がある。岡山での暮しは長くなり、子どもたちも成長したことだ。
 遊具でばかり遊ばれると、それをじっと眺めるほかない大人たちは寒くて仕方ないので、せっかく大きい公園なんだから散策しようよ、と遊具から引き剥がす。そして歩いた。山に作られた本当に大きな公園なので、遊歩道といってもスケールが大きい。「←植物園」という立て看板があったのでそちらのほうに進むと、もはやこれは散歩でもなければピクニックでもなく、さらにはハイキングでももはやなく、オリエンテーリング的なイベントではないか、と感じるような鬱蒼とした山道を行かされた(しかもあまりに道程が長く、そして本当にひとりの人ともすれ違わなかったので、おそろしくなって途中で引き返した)。そのあとはもうちょっとメインの遊歩道を通って、池の鳥や鯉、亀などを眺めたりして、気温や陽射しもちょうど求めていたような度合で、純然たる散歩を愉しんだ。途中、ひと気のあまりない原野のようなエリアに出たので、今回の公園行きのもうひとつの目的であった、Tシャツ写真の撮影も行なった。この模様は「nw」に書く。一瞬だけがんばってTシャツ姿にはなったが、さすがに外でおにぎりを食べられるような暖かさではなく、駐車場に戻って車内で食べることにした。しかし車に乗り込む前に、売店などの物販コーナーを覗いたら、自由にごはんを食べたりしていい休憩所があったので、これ幸いとそこで食べた。外弁当の情趣の、65%くらいを享受でき、この時期のそれとしてはとても秀逸な結果であろうと思う。
 帰ってからは、おにぎりだけだとお腹が空くのでパンを食べ、そのあとは映画のハリーポッターを観た。実は昨日の夜に「炎のゴブレット」を観ており、そのため今日は「不死鳥の騎士団」を観た。映画のハリーポッターって、観ても「(役者が)成長した!」と、「展開はや!」くらいしか感想が出ない。こんなふうにいうと、原作をきちんと読み切ったことを鼻にかけているようだが、しかしどう考えても、原作を読んでなきゃこんな映画ぜんぜんおもしろくねえだろう、と思った。
 晩ごはんは餃子と、サッポロ一番塩ラーメンをベースに野菜たっぷりのタンメン風に仕立てたもの。餃子は昨日がメインで、今日はその残りを焼いた次第である。どちらもおいしかった。今日は日中は陽をたくさん浴びて運動もしたし、夜はしっかり栄養を摂ったしで、休日の過し方としてたいへん素晴らしく、リフレッシュができたと思う。精神的にけっこう晴れた実感がある。よかった。この冬がちゃんと寒くならなかったのは、いろんな意味で困窮したが、もうこうなったら半端に寒いのもスパッと終わって、外ごはんとか、Tシャツとか、早くそういうのができるようになってほしい。宙ぶらりんの状態は短いほうがいい。

2019-2020帰省1日目

 年末年始の横浜帰省をしていた。例のごとく、帰省や旅行の告知をウェブ上ですると不用心という、誰もこんなブログを読んでいないし、そもそも家に入ったところで盗むものもないわりに、要らない警戒をして、こうして帰宅後にそのことを記した。
 12月29日に岡山を出発して、1月2日に戻ってきた。すなわち4泊5日であり、普段よりも1日多い。これはなぜかといえば、12月29日に、その日が年内最終開館の藤子・F・不二雄ミュージアムへ、そして1月2日に、その日が年始最初の開館の国立科学博物館に行きたかったからである。今回は帰省そのもののほかに、そういう確固たるレジャー計画があったのだった。
 というわけで初日、12月29日は、9時前に岡山駅を発つ、なかなか早い新幹線に乗った。ちなみに荷物は今回、冬服の詰まった大型のキャリーケースを引きずってレジャーをするのは無理だと判断し、段ボール箱に詰めて宅配便で送ったため、僕もファルマンも普段使いの鞄ひとつ、僕なんか普段の出勤時よりもだいぶ小さい鞄にまとめた。宅配料こそ掛かれど、これはやっぱり正解だったと思う。別にレジャーなんかなくても、常にこうするべきなんじゃないかと思った。ちなみに今回の新幹線は東京駅まで。Fミュージアムは登戸にあり、その路線ルートを考えると、新横浜よりもむしろ東京駅のほうがよさそうだと判断したのだった。あるいは品川でもよかったのだけど、そこは、せっかくだから東京駅様を使わせていただこうよ、という田舎者的な発想で、前のめりで東京駅にしたがった結果である。というわけで昼過ぎに東京駅に降り立つ。ここから登戸へは、東京駅に隣接する大手町駅から千代田線で1本とのことで、新幹線の出口から大手町駅を目指して歩く。目指して歩くが、日本全国からやってきた帰省客で溢れる、迷宮のような東京駅の地下は、表示が多すぎてぜんぜん目的地の見当がつかず、途方に暮れた。事前の調べによって、どうも東京駅と大手町駅は地下でそのまま繋がっているようだ、という見通しはあったのだが、確信もないまま地下をぐんぐんと進むのは取り返しがつかないことになりそうで恐怖があり、そんな状況で、出口と表示されている上り階段から、外の光が覗けているのが見えると、もうそっちに縋りつかずにはいられなくなってしまい、とりあえず地上に出ることにした。たぶんここには、「地上に出さえすれば視界が開ける」という誤解があったのだと思う。もちろんそんなはずはないのだ。東京駅の、あの赤レンガの外観が望めたのはよかったが(子どもらを立たせて記念撮影をした)、周囲はどこまでも続くビル群で、大手町駅までの道のりは地下の頃よりもさらに混迷した。結局にっちもさっちもいかなくなって、グーグルのナビを起動させ、ようやく大手町駅へと続く下り階段までたどり着いた。地下鉄って、電車の姿も見えないし、駅もただの下り階段なので、シュッとし過ぎだ。知らない人間には目印となるものがなくて本当に困る。Fミュージアムの入場は、時間指定の前売りチケット制なので、かなり焦った。しかし大手町駅という表示の下り階段を下りたので、そういう意味で「ここは大手町駅だ」という安心感はあったものの、そこから千代田線の乗り場まで、なんだか異常に歩かされた。ふだん車で行く近所のスーパーまでの距離を普通に歩かされたと思う。東京は狭いはずなのに、やけに地下道を歩かされるのは、東京の地下には秘密のとんでもないものが埋まっていて、それを迂回するためにぐるぐると変な道を通らなければならないようになっているからではないかと、よくある陰謀論めいたものを邪推したくなるほどに歩いた。東京駅からここまで、なんだかひどくカルチャーショックを受けてしまった。この街で賢く暮らしていくためには、たぶん気を常に張り詰めさせて、アンテナを目一杯に広げて、そしてたくさんのアプリを駆使しなければいけないんだろうな、と感じた。もういまさら無理だな、としみじみと思った。それでもなんとかかんとか、スマートじゃなく千代田線の乗り場にたどり着き、電車に乗った。登戸までは、長かったがそのまま連れて行ってくれた。
 登戸駅は、Fミュージアムには以前にいちど行ったことがあるのだが、そのときは実家から車で送ってもらったので、駅は利用したことがなかった。Fミュージアムの最寄り駅ということで、それを推そうとしているようで、駅の構内や周辺にはそれなりにドラえもんなどのキャラクターの装飾があった。その一方で、Fミュージアムの存在以外は本当にただの、そこまで柄がいいわけでもない郊外の町のようで、その混在具合がなんともいえなかった。直行のドラえもんバスに乗って、ようやくミュージアム前に降り立った。入場は14時からで、到着はその15分前くらい。東京での迷子時間も含めて、見事な時間配分であるといえよう。
 2度目のFミュージアム。前回はいつかと検索したら、2014年の5月だった。5年8ヶ月前。ポルガは3歳だし、ピイガは生後4ヶ月ということになる。なんだかびっくりする。今回訪れたのは、ポルガが目下ドラえもんにドハマりしているからで、こんなとき実家とFミュージアムの近さは奇蹟的だと思う。なかなか岡山在住の小学生は行きたいと思ってもFミュージアムに行けないだろう。もっともFミュージアム、前回行ったときも思ったが、そこまでむちゃくちゃおもしろい場所でもない。生原画とかは「おお」と思うが、それ以外はわりと淡々としたものだ。それでもシアターで上映されたアニメは、前回がどんなものだったかはすっかり忘れ、日記を見るとやけに酷評しているのだが、今回のものはけっこうおもしろかった。やっぱり違う漫画のキャラクターが贅沢に集合すると、スパロボ的なおもしろさがある。ミュージアムショップでは、メモパッドやピンズ、お菓子などを買った。ピイガはタケコプター型のヘアバンドを欲しがり、それは前回にも買ったもので、その場では滅法おもしろいもののような気がして欲しくなるのだけど、買って帰ったら家ではどうしようもなくなる(そして5年後には家のどこにもない)、ということは経験則で分かっていたのだけど、当時4ヶ月のピイガがそれを知り得ているはずもなく、仕方ないので買ってやった。いつ着けんねん。そんなこんなで今回は、せっかく来たからにはたっぷりとということで、カフェにも行って、閉館の18時までたっぷりと過した。ポルガに愉しかったかと訊ねたら、「うん!」という返事が返ってきて、まあそこで「うん!」以外の返事もないわな、とも思うが、まあ連れていけてよかった。
 帰りは母に迎えに来てもらう。便利。車で30分かからないくらいなのである。というわけで実家へと到着し、今回の帰省が始まる。叔父は来ていたが、今回祖母は山梨に用件があるとのことでいなかった。残念。いったい祖母に、正月に孫や曾孫に囲まれる以上のどんな用件があるのかと思うが、まあ僕には想像もつかない事情があるんだろう。初日から姉一家が訪れ、大人数で夕飯を食べた。夕飯は餃子。実家時代、餃子が好きで、その餃子好きがいまの僕の餃子好きに繋がっているに違いないが、母の作る餃子はいま食べると、おいしいはおいしいが、べらぼうにおいしいわけではなく、僕の作るもののほうがよほどおいしくて、意外な感じがする。僕の餃子好きは、もしかするとあの同じ形のものを作って並べる手仕事感がだいぶ下支えをしていて、それだけでだいぶ好きなところへ、独自の味の追及をしたものだから、それで激烈なものになっているのかもしれない。あと母親は相変わらず、母と姉と僕の3人での暮しが調理のベースになっているせいか、総計10人、酒を飲む人間は除外するにしても餃子をおかずとして食べる人間がその半数以上いる状況でも、米を2合しか炊かず、やはり足りなくなっていて、孫が4人できてだいぶ経つのにこの人これに関していつまでも学習しないな、と思った。
 そんな初日でした。

カラオケ公園餃子

 久しぶりのカラオケ。前回を見たら3月だった。じゃあ令和初だな。令和初と言えば、僕のLINEには令和になってから、妻、母、姉以外の人からまだ1回もメッセージが来ていない。僕のLINEの対外関係は未だ平成から抜け出せていない。いったい誰が令和初の栄誉を手にするのか、そしてこの記録はどこまで伸びるのか、とても気になるところだ。
 唄ったのは以下の通りである。
 1:「お嫁サンバ」(郷ひろみ)。本日のこけら落としはひろみ郷。この曲っていかにもひろみ郷らしい頭からっぽな感じでとてもいい。
 2:「青春時計」(NGT48)。もうだいぶ遅いと言えば遅いのだが、時事歌唱。そもそもこのデビュー曲しか知らないのでこれを選んだ。冒頭のラップ部分で、いちどもこれを聴いたことがなかったファルマンが目を見開いたのがおもしろかった。
 3:「パンダ・ダ・パヤッ」(井上広美)。職場にパンを売りに来るトラックが、この曲をかけて現れるので、いつ訪れるとも知れない職場仲間でのカラオケの際にこの曲を唄ったら大爆笑なのではないか、と目論んで唄った。いつ訪れるとも知れないのに、そういう下準備だけは意気込む。
 4:「Butterfly」(木村カエラ)。これも、差し当たって誰かが結婚するわけではないのだけど、いざというときの素養として唄えるようにしておこうと思って唄った。結婚のお祝いの席で「バタフライを唄います」と言って、これじゃなくて倖田來未のほうを唄うというギャグもアリかな、と思う。
 5:「どうにもとまらない」(山本リンダ)。これも時事歌唱。三木谷社長の車と接触したのに停まることなく走り去ったということで、これは今週の出来事なので早い反応をすることができた。歌そのものももちろんいい。阿久悠だし。
 6:「付き合ってるのに片思い」(Berrys工房)。カラオケで盛り上がるアイドルソングと考えたとき、モーニング娘。やAKBだとベタすぎてしらけるおそれがあり、しかし一般人が誰も知らない地下アイドルの歌を唄っても仕方ない。そんなときBerrys工房ってすごくちょうどいいなあと思った。
 7:「古い日記」(和田アキ子)。先週の「のど自慢」で唄っている人がいて、俺も唄おうと思った。気持ちがよかった。「ハッ!」をちゃんとまじめにやるのがコツだと思う。「ハッ!」はギャグではないから(間違えがちだけど)。
 8:「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)。有線で流れたのを聴いて、そう言えばこれ唄いてえな、と思って唄った。当時のフミヤって、モテてモテて、モテてモテて、しょうがなかったんじゃないかと思った。
 9:「青春時代」(森田公一とトップギャラン)。好きな曲なのにこれまで唄ったことがなかった。いい歌。「パンダ・ダ・パヤッ」の作曲も森田公一。
 10:「水色の街」(三輪車)。リモコンで曲を送信すると、画面の上に予約された曲名が表示されるのだが、それを見て大抵の30代はスピッツを思い浮かべるだろうと思う。あるいはスピッツのそれを選んだつもりが間違えて違う「水色の街」を入力してしまった、という悲劇も世の中にはあり得ると思う。僕は大丈夫。確信を持って三輪車のほう。そしてこの歌が本当に内容がスカスカで愉しいのだった。
 11:「恋」(松山千春)。星野源じゃないほうの「恋」。そっちに関してはドラマも観なかったし恋ダンスも一切知らない。「恋」と言えば断然こっちだ。
 12:「とびら開けて」(神田沙也加・津田英佑)。最後にこれをファルマンとデュエットした。仲良し夫婦か。ちなみに僕がアナでファルマンがハンスである。
 以上である。今回は男性の曲もまあまあ唄った。珍しくアニメソングを唄わなかった。いいカラオケだった。
 このあとは図書館、そして公園へ。公園はオオキンケイギクが毎年よく咲く所で、それ目的で行ったのだが、少しもう盛りが過ぎて、あの醜く萎れた状態のものがまあまああった。残念。先週がピークだったかな。それでもオオキンケイギクの咲く中でバトンを回している写真をファルマンに何枚か撮ってもらう。いいのがあればLINEの背景画像にしようと思う。
 晩ごはんは餃子。カラオケと公園と餃子だなんて目いっぱいの休日だな。ちなみに餃子であってもビールを必要としない僕。ファルマンは「私は欲しいわ」とボヤいていた。じゃあ買って飲めばいいじゃないか。あと今回はタレで、最近たまに目にする味噌ダレというものを作ってみた。なかなかおいしかった。

週末雑記

 土曜日の午前、ファルマンの眼鏡を作りにショッピングモールに行く。夫婦で眼鏡をかけているので、「眼鏡を作る」という行事が暮しの中でまあまあの頻度で発生することだと思う。少なくとも「友達と遊ぶ」よりもはるかに頻発する。じゃあもう眼鏡は友達なのかもしれない。友達は眼鏡なのかもしれない。いいとこ眼鏡で友達のいいところを見つけてみよう!
 ファルマンが見え方の検査をしている間は、子どもたちと広場で遊んだりして時間を潰した。僕が運転免許の更新をしていた際、免許センターの中庭のちょっとした段差で延々と遊んでいた子どもたちは、相変わらずそれなりのアップダウンさえあればいつまでも大興奮で遊び続けるのだった。バカなのだろうか。
 遠視であるファルマンの眼鏡は、いつものことながら僕のそれのように当日には完成しない。後日配送で届くらしい。今回は久しぶりに濃い色の太いフレームのものにしていた。僕の丸眼鏡の色違いがあったので、それはどうかと提案したのだが却下された。あのまん丸の眼鏡は、ひとりでもわりと異様な感じがあるのに、夫婦でそれだといよいよ誰からも朗らかに話しかけてもらえなくなるだろうな、そんなの最高だな、と思ったのだけど。
 帰りに回転ずし屋に寄って昼ごはん。今回は僕も珍しく店舗できちんと食べた。行ったのはいま話題のくら寿司であり、ビッくらポンのために皿をこなす必要があったからだ。問題になった動画は観ていないのだが、報道を耳にして、そう言えばくら寿司ってビッくらポンとかあって子どもが喜びそうだな、と思い、岡山に来てから初めてくらいに久しぶりに行ってみたのだった。あの一件で客足がどうなったのかは知らないが、少なくとも僕は報道でくら寿司に意識がいって、行くことにした。そういうパターンもある。ビッくらポンはいちどだけ当たった。モニターで当たりか外れかのアニメが流れている間の、子どもたちの心奪われ具合がおもしろかった。初めて動く絵を見た森の生き物か、と思った。
 夕方になり、予約を入れていた、車のオイルとエレメントの交換にひとりで出向く。去年に車検に出したところなので、特典価格でとても安かった。安かったのはよかったが、車関連のこういう代金って、なんでこう明朗会計じゃないんだろうと忌々しく思った。人脈とか友人からの情報とか昔からのよしみとか、そういうの本当に嫌だわー。そういうの本当に嫌だけど、一切の特典を放棄して、払わずに済む金額を払うのはもっと嫌なので、車人生が続く限りこの気持ちは続いてゆくのだ。そういうことを考えだすと、なにも持ちたくない、という極端な思考に陥る。
 帰宅したら子どもたちからピンク色の箱を渡される。14日(木)に家族が何もくれなかったので、肩が腰のあたりに落ちるくらい落ち込んでいたのだけど、今日にチョコレートのカップケーキを焼いて、バレンタインデーとして寄越してくれたのだった(もちろん本当は事前に伝えられていた)。箱の中にはカップケーキが5つ入っていた。もう夕方だったので、「ありがとう。晩ごはんのあとにデザートとしていただくね!」と言いながら、ひとつを掴んで齧りついた。これは僕の持ちギャグであり、プレゼントをもらった際に、「開けていい?」と聞きながら、同時に手はもう迷いなく包装を破っている、というのもよくやる。そんな父親のギャグに対し、子どもたちはもはやノーリアクションだった。「いや、食べてる食べてる(笑)」みたいの一切なし。切ない。涙がちょちょぎれて、このカップケーキ、砂糖と間違えて塩を入れちゃったんじゃないのか、と思った。
 翌日の今日は、例の温水プールに家族で行く。家族は2週間ぶり、僕は4日ぶりくらい。子どもたちの世話をしつつ、合間でファルマンに断り、レーンで泳がせてもらう。平日のひとりのときほどではないが、それなりに泳いだ。しかしいかんせん子どもたちがふたりとも女なので、家族で行くプールはどうしたってファルマンへの負担が大きい。しかもファルマンは泳ぎが得意じゃないので、プール遊びに対してぜんぜん心が躍っていないのだ。更衣室で着替え終わり、ロビーで合流したときのファルマンの真顔を見るにつけ、家族での温水プールは2、3ヶ月にいちどくらいでいいな、と思った。
 午後は昼寝をすることなく、夕飯の餃子づくりに勤しんだ。休日の午後はそんな風に過すより他ない。なんてったって子どもたちがうるさいのだから。子どもたちは2日に渡って、ずっとうるさかった。毎週末まったく同じことを思うが、子どもたちはうるさい。うるさいと注意して、13秒くらいうるさくなくなるのだが、そのあとまたすぐにうるさくなる。音と、動きと、存在感、そのすべてがうるさい。子どもってすごい生き物だとしみじみ思う。餃子はもちろんおいしかった。食べ過ぎた。ふたつくらい多く食べ過ぎた。
 まあそんな週末だった。

連休の終わり

 長かった連休が終わりを告げようとしている。と言うより、連休最後の日曜日である今日という日を僕は、ただの日曜日と捉えて過していたので、そういう意味では「連休」は、昨日かおとといあたりに終わっていた。だからなんだ、と言われても困るが、たぶんそうやって、連休がその灯を消す寂寥感を、なるべく分散させているのだと思う。あれだ、なんかあの、虐待とかされた子どもの、心の作用みたいなやつ。あれの一種。
 帰省から戻ってきてからの日々は、ピイガの5歳の誕生日祝いをしたり、そのための買い出しをしたり、餃子を作ったり、図書館へ行ったり、ガソリンスタンドで洗車をしたり、地に足のついた献立を渇望して殊更に家庭料理らしい家庭料理を時間をかけて作ったり、干支4コマ2019をやったり、ポルガのためにハリーポッターのローブを作ろうと型紙を起したり、なんかまあだいたいそんなようなことをして暮した。この日々が本格的に始まる前に、のんべんだらりとして無駄にしないようにしようと意気込んだが、結果として、のんべんだらりとはしなかったが、とことんのんびりと過した。すなわち堕落はしなかったが、特になにかに取り組むということもしなかった。まあ後悔はないのでよしとするか。酒は毎晩きちんと飲んだ。体重は今のところそう増えた様子はない。休肝日は近日中に設けようと思う。そして夫婦揃って、大人のくせに、家族以外の人間との用件で外に出るということを、いちどもしなかった。とことん家族でいた。子どもたちはいつものことながら、どこまでもかわいいが、どこまでもうるさい。そして部屋のドアを閉めない。寒いから閉めろということを、この連休で僕はなんど言っただろう。100回くらい本当に言ったかもしれない。なのに閉めない。連休1日目と、連休最終日の、子どもたちの「ドア閉めレベル」は、まったく同一だと思う。つまり俺の100回の注意は、見事なまでにこの世になんの作用ももたらさなかったのだ。ただ放たれ、ただ失した。でも人の人生って、結局そんなものかもしれない。100回の注意は、子どもたちの心をまるで研磨しなかった替わりに、僕の精神をひとつ高みへと押し上げたのかもしれない。これはそういう説法なのかもしれない。寒いのだからして、お願いだから閉めてほしい。
 今年の目標として、ブックオフの年明けセールで、漢字検定準1級のテキストを見つけて購入したので、試験を受けるかどうかは別として、その勉学にちょっと励もうと思っている。どうせ誰にも読まれないブログを運営するのならば、いっそのこと普通の人がなかなか読めないような漢字を多用することで、それのせいで人に読まれないのだと、原因が先か結果が先かみたいな幻惑効果を意図的に発生させ、人望のなさの原因の在り処を有耶無耶にしたい。おもしろいおもしろくないじゃない、読めないのだと。これを草枕作戦と名付け、今年のテーマとしたい。

酷暑3連休

 3連休だった。毎日35℃超えの、すさまじく暑い3連休なのだった。
 初日は午前中にポルガのスイミングスクールがあり、送りついでに見学した。しかしポルガはもう習い始めて数ヶ月が経過するというのに、一向に上達する気配がなく、見ていてもなんにもおもしろくない。しかも観覧席では、習っている子の弟や妹の幼児らがやかましく、プールという建物の設計ゆえにその声や音は反響して増幅し、とてもその場にいられなくなってしまった。最近とみに大きい音が苦手になってきていて、家でも仕事場でも常に着けられるタイプの耳栓の購入を考えているほどだ。またひとつ、僕の友達作りへの障害が生まれようとしている。
 帰宅して昼ごはんを済ませた後、ショッピングモールに出向いた。半月ほど前、出発してからやっぱり行かないことにしたショッピングモールだったが、今回はいよいよ機が熟した感じがあった。まず覗いたのはおもちゃ屋。これから始まる夏休みに向けて、子どもたちに与えるいい玩具はないかと店内をさまよった。店員に、「子どもたちだけで遊べて、夏休みじゅう飽きないで、喧嘩にもならないで、うるさくなくて、目が悪くならないで、知恵もつくおもちゃはないですか」と訊ねたくなった。もちろんそんなものは見つからず(いちど2000ピースくらいあるジグソーパズルを買いかけるが、寸でのところで嫌な予感が発動して取りやめた)、結果的にアイロンビーズというものに初めて手を出してみた。あの昔からある、粗いドット絵みたいなのを作るあれである。あまりにもドットが粗く、完成したものを見ても、なにをかたどったものであるか容易には判らず、受け手の想像力を暴力的なまでに求めてくるそれは、これまで「やる価値がないもの」として無視し続けてきたのだけど、藁にもすがる気持ちで試してみることにした。なるべく飽きられずに長く持てばいいと思う。もちろん間違いなく家じゅうにあの細かい輪っかのビーズが転がることになるのだろうが、レゴほど踏んだときのダメージは大きくないだろうと思う。そのあと300円ショップに行き、浮き輪などを買う。大人でも使えるきちんとしたサイズなのに300円。昔はこれを2000円とか3000円で売っていたのだから、そりゃあ世の中の景気は良かったわけだな、としみじみと思った。あとそのレジのとき、僕の前に並んだ客が、商品をひとつ出して、トレーに100円玉3つと10円玉ひとつを置いたので、ちょっとびっくりした。これが100円玉3つのみであれば、300円を税込と勘違いしたのだなと理解できるが、310円である。それは消費税3%の計算ではないか。もしかしてこの人タイムトラベラーか、と思った。それからユニクロにも立ち寄って、ずっと欲しいと思っていた「ベルサイユのばら」のTシャツを2枚買う。基本的にレディースなのだが、首が広いとか肩がしゃなんとなっているということはなく、男でも特に問題はなさそうな型だったので、買うことにした。しかも最初1500円だったものが、世間ウケしなかったようでもう500円になっている。500円って安売りカジュアルウェアショップの謎のTシャツよりも安いじゃないか。臙脂の、オスカルの軍服を模したデザインのものと、黒の「ベルサイユのばら」ロゴのものを買った。職場へはどうだろうな。後者は普通に着るが、前者はさすがにちょっと厳しいかな。最期に生鮮食品のスーパーに入って、夕飯の買い物。あっさりとネギトロ丼にしようとマグロのサクを買ったが、油断していて氷をもらい忘れ、屋外駐車場に停めていたサウナのような車に乗ってから「これはまずいぞ」となった。マグロのためにも自分たちのためにも冷房を全開にするが、いくら空気を冷まそうとしても陽射しが照りつけるのでぜんぜん涼しくならない。帰宅までは30分あまりも掛かるのである。これはさすがにまずいと判断を下し、途中にあったスーパーに駆け込んで、追加の刺身を買って氷をもらう。そして悲鳴を上げるマグロのサクもそこへ入れた。今にも熱射病で倒れそうになっていたマグロのサクが、なんとか意識を取り戻すイメージが見えた気がした。
 そんなわけで晩ごはんはネギトロ丼。大人のにはスライスした玉ねぎも使い、さっぱりとおいしく食べた。おいしかった。
 2日目はなんとプールに行った。去年にも一家で行った所。これまで子どもたちが、学校やら幼稚園やらスイミングスクールで「プール」と言うのを、家と会社とスーパーにしか行かない日々を過しながらとても恨めしく思っていた。その恨みをようやく晴らす時が来た。時が来たと言っても、もちろん一家で行ったのである。だから子どもの世話をしながらのプールである。じゃあこれは恨みを晴らしたことになったのかと問われると、いまいち確信が持てなくなる。これでひとりでナイトプールとかに繰り出していたら、迷いなくそうだと答えられるのだけど。直射日光を浴びながらのプールは、まあ気持ちよくはあったが、とは言え1時間が限界だった。ポルガは昨日スクールでも目の当たりにしたが、やっぱりぜんぜん泳げるようになっていなくて、月謝を払って通わせるのが、ほとほと嫌になった。たぶんこれは教室が悪いというより、ポルガが人の話を本当に聞かないのが原因だろうと思う。他人に指導をされて、できないことができるようになってゆく、という体験を味わわせるために教室に通わせている面もあるのだが、どうも性格的にその部分が壊滅的にできないらしい。これは今後に向けても本当に不安の募る部分である。夏が来ての約1年ぶりの水泳は、そんなわけでちょっと暗澹たる気持ちになって終了した。
 帰宅後に昼ごはん。スーパーに立ち寄って天ぷらを買ったので、天ざる。茹であがった麺を流水で冷やそうとするが、青いほうを捻っても、蛇口から出てくるのがわりとぬるめのお湯なのでどうしようもない。氷をいくら作っても追いつかない。
 そのあとは昼寝。35℃超えの屋外プールで泳いだあと、昼寝をしないなんてことがあるだろうか。あるらしい。わが家では、する派しない派が1対3の比率になった。こっちがマイノリティなのだった。信じられない。ひとりで倒れるように寝た。
 起きてから夕飯の準備。夕飯は餃子。3連休ではあるが皮から作ることはしない。それでも十分に美味しい。ホーム餃子はまず餃子というだけで基本的なポイントが高く、皮を手作りすることはそこからさらに点数を伸ばそうとする行為だが、しかしやったところでもうそこまで伸び代があるわけでもないと気付いた。それよりもインターバル短めに餃子を作ったほうが、トータルの幸福度数は高いと思う。
 夜は今日が初回の連続ドラマ「この世界の片隅に」を観た。広島が舞台の話で、ファルマンと方言の話になる。僕が「広島と岡山の方言の区別がつかない」と言ったら、ファルマンが「ぜんぜん違う!」と言って両者の違いを解説してくれるのだが、その解説が出雲弁でなされるものだから、いよいよ頭が混乱した。港北ニュータウンっ子にはレベルが高すぎた。
 そのあとはロシアワールドカップの決勝戦。フランス対クロアチア。なんとなく観ておくべきだろうと思ってチャンネルを合わせるが、かと言ってサッカーの試合を90分観続ける技能はない。途中で録画していた「西郷どん」を挟む。「西郷どん」は2度目の島流しが終わって、ここからようやく本格的な明治維新が始まっていくぞ、というところ。ほぼ半年が終了したタイミングなわけだが、じゃあ俺が観るのはここからでよかったんじゃないかな、と思った。「西郷どん」が終わってサッカーに戻したら、点数がやけにサクサク入り、結果的に4対2でフランスが優勝していた。そうか、と思った。
 3日目はもう特にすること、行く場所もなく、家でのんびりと過した。本当に特になんにもしなかった。休みは2日でいいのかもしれない。午前中に近所のスーパーで少し買い物をし、昼ごはんは炒飯と、昨日の餃子の残りでワンタンを作り、スープにした。
 明日からは僕はもちろん労働で、そして子どもたちはぽぽぽ、とフザけた登校をした後、もう夏休みに突入だ。40日あまりの連休だ。こいつらこれから40日間も家に居続けるのか、と思うと、ファルマンの悲観に同情の念が湧く。くじけず生き抜いてほしい。

日常乞食

 週末は平穏をテーマに過した。5月に入ってからの10日間ほど、やけにワタワタとしていたため、日常らしい日常を過そうじゃないかとなった。
 土曜日は、GWの前半に注文したファルマンの眼鏡をお店に取りに行った。1週間での仕上がりだったので、実は先週末あたりには出来ていたのだが、ワタワタのために遅くなった。新しい眼鏡は黄色くて大きくて丸い。僕の趣味だ。これは妻をかわいくする目的というよりも、僕がいまこの店で注文するとしたらこれだろうな、というセレクトである。もちろん目の悪さの質が違うため、共有することはできない。しかしもしもいま僕が使っている眼鏡が、ホームランボールとかで破損したらば、僕も同じフレームで注文するだろう。眼鏡がお揃いなんて、とても仲良しの夫婦のようだが、なんのことはない、一方に好みの強い主張があり、一方にそれが著しくないだけである。
 そのあとは公園に赴く。2年前くらいにいちどだけ行ったことのある公園で、園内に水深5センチもない小川が流れていて、足を浸して遊べるので、この時期にちょうどよいと思って行った。小川へは、ポルガは喜んで入り、ピイガは怖がって入らなかった。大人で入っている人はなぜかひとりもいなかったが、我慢できずに僕も靴下を脱いでズボンの裾をまくって入った。水温は思ったよりも低く、気持ちがよかった。他に遊具で遊んだり、もちろん僕はバトンを廻したり。
 帰宅して昼ごはん。焼きそば。
 午後になり、もういちどお出掛け。こんどは買い物。子どもたちの水泳用のタオルや、居間の蛍光灯なんかを買う。蛍光灯は、チカチカし出したわけではまだなかったのだけど、どう見ても明るさが落ちている感があり、もういっそ換えようじゃないかとなった。しかもこれまで昼光色だったのを、ファミリーがごはんを食べる空間なのだから、ということで、オレンジ色の電球色にした。家に帰って付け換えてみたら、雰囲気ががらりと変わり、とてもいいと思った。成功だ。
 そのあとは餃子作りに勤しむ。日常らしい日常と考えたとき、やっぱりスローフード的な発想があり、手数の掛かる料理をしようじゃないかと思ったのだった。もちろん純粋に餃子が食べたかったというのもある。ちなみにスローフードと言いつつも、皮は出来合いのもの。皮はやっぱりハードルが高い。その億劫ハードルはよほどの場面でなければ跳び越えられない。
 出来合いの皮でも十分においしい。これで出来合いの皮が、餡への情熱を台無しにするほど不味ければ状況も変わってくるのだが、別にぜんぜんおいしいのだ。そうしてホーム餃子を、家族でホットプレートを囲み、オレンジ色の光の中で食べた。日常メーターが上昇するのを感じた。
 翌日は雨がちらつく中、図書館へ。前回、GWに向けて家族で思いきり借りたら、ワタワタするばかりで読書はぜんぜん捗らず、たくさんの本を未読のまま返すことになった。なので今回は返却がメインで、それほど借りるまい、と思っていたのだが、気付けば結局、みんなで抱えなければならないほどの量をみんなで抱えていた。まあ図書館ってそういうものだよな。
 帰宅して、昼ごはんはみそラーメンと餃子。
 午後は家でのんびりと過す。僕はミネストローネの調理に勤しみ、野菜をとにかく刻んだ。昨日の餃子でもキャベツを刻んだし、とにかくそういうことをしたかったんだな、と思う。もちろん作業だけが目的ではなく、ワタワタした日々特有の野菜不足感があったので、それを挽回するためのミネストローネ、という意図もあった。10種類以上の材料を抱き込み、鍋いっぱいに作る。夕ごはんに食べたら、もちろんとてもおいしかった。
 そんなわけで、躍起になって、というレベルで日常を過した。その甲斐あって、平穏な日常への飢えが解消した。なんでもない日ばん(ず)ざい(ん)!