父の日週末

 先週がレジャーだったので、今週末はのんびりと過した。
 ちなみに先週のプール施設に、ピイガが水泳帽とゴーグルを忘れ、しかもその水泳帽は学校指定の、授業で用いるものだったので微妙に困った、という後日談が実はある。学校指定のそれは、微妙に手に入りづらく、かつ水泳帽にしては微妙に高価なものなのだけど、じゃあ取りに行くかと言われると、やはりあの施設は微妙に遠く、まつわる要素のすべてが微妙なこの事態は、僕の心を千々に乱した、というほどの破壊力は微妙になくて、やはり微妙に面倒なのだった。結局、プール授業は今週から始まったので、なんとかファルマンが売っているのを見つけたネットショップで注文し、間に合わせた。いつか機会があれば取りに行くかもしれないし、あるいは行かないかもしれない。微妙な情勢である。
 土曜日はファルマンが実家に、1日早い父の日のプレゼントを贈呈しに行っていた。贈ったのは、少し前から努力義務化された、自転車用ヘルメット。義父はたまに自転車を利用するらしいが、今日までヘルメットは所持していなかったとのことで、毎年どうしたって悩ましいプレゼントの品目に、時勢的にもピッタリなのだった。僕は現場にいなかったので、どういうリアクションだったのかは知らない。
 そのとき僕はひとり家でなにをしていたかと言えば、裁縫をしていた。今日に限った話ではない。今月ここまでブログの投稿件数がやけに少ないのは、かなり裁縫にかまけていたからだ。製作していたのは母の日の品目で、詳しくは完成品報告を後日「nw」にすることになるが、なんだかんだでだいぶ時間を取られた。でもまあ久しぶりにショーツ以外の衣類をきちんと作ったので、なかなか愉しかった。この週末でめでたく完成し、ようやく解放されたので、いまとても清々しい気持ちである。
 土曜日の晩ごはんは、お好み焼きにした。たいへん美味しかった。お好み焼きと言えば、ファルマンの下の妹は今週末、友達とUSJなどに行っているそうだ。島根からだと、特急やくもののち、新幹線である。ようやるな、と感心する。とてもいいことだと思う。ポルガも、ハリーポッターやマリオのこともあり、USJには色気があるらしい(ディズニーランドのことはそこまで言わない。時代だろうか)。しかし親が連れていく目は正直言ってあまりないと思う。ある程度大きくなってから、友達と行けばいいと思う。岡山くらいまでなら送ってやってもいい。
 日曜日は、午前中に図書館や買い物を済ませ、午後はやはりのんびりと過した。おやつの前に件のワンピースの目途がついたため、それ以降はステカのことをした。夏の到来に合わせ、今年も素材Tシャツを調達し、オリジナルTシャツ作りに半月ほど前から取り掛かっていたのだが、使うたびに数ヶ月の眠りから覚ます必要のあるステカは、はじめやはり不調で、なかなかうまい具合にいかず、何枚もシートを無駄にしていた。それが今日、腰を据えて作業にあたり、調整のコツのページなどを参考にして、なんとか復調させることに成功したのだった。というわけでTシャツを何枚か作る。自分の分も作った。こちらも近々「nw」に投稿しようと思う。
 というわけで、ワンピースとTシャツが仕上がったので、なかなか達成感のある週末だった。そんな健気な僕に夕方、ファルマンが主導したに違いなかったが、娘たち(というよりピイガ)から、ビールとビールグラスのプレゼントがあった。嬉しい。ちょうど晩ごはんは、自分で父たる自分を労わろうと、数日前から画策していた手巻きずしだったので、新しいビールグラスで美味しくビールを飲んだ。父の日だからという免罪符で、かなり豪華にネタを買い揃えた手巻きずしは、多幸感があった。たとえ、結局たらこマヨと玉子焼きとアボカドとかで巻いたやつがいっちゃん美味しい……、と感じたとしても、そうは言ってもやはり、豪華な刺身があるとテンションが上がるというものだ。
 結局、家族でそっちのほうばかり食べるので、刺身がかなり余った。多めに用意した酢飯も残ったので、これはもう晩酌は海鮮丼一択ですな。39歳の父の日を、幸せに過した。さあこの1ヶ月ほどの懸案事項だったワンピース作りが終わったので、明日からは「おもひでぶぉろろぉぉん」に本格的に戻ろう。目下、2006年、無職時代だ。人生って濃厚だな。

自覚を持ってレジャー

 土曜日はポルガの部活がなかったので、レジャーに繰り出した。部活という要素を除いても、そろそろ、休日に一家でお出掛けというのが、それを当たり前のようにする時代というものが、終焉に近づいてきているのを感じ(子どもが嫌がり始めているわけではないのだけど)、チャンスがある限りはなるべくやっておこうと思うのだった。
 今回の目的地は大田市方面。大田市ってこれまであまり攻略してこなかった。前にも書いたかもしれないが、大田市って、岡山県で言えば総社市みたいな存在だな、と思う(ちなみに松江市が岡山市で、出雲市が倉敷市、雲南市が玉野市にそれぞれ対応する。これは僕の中でだいぶうまいこと言ってる感があるのだけど、いかんせん共感できる人間の数が限られるのが残念なところだ)。総社市、たしかに6年間でほとんど行かなかったもんな。
 大田市と言えば世界遺産である石見銀山なのだけど、石見銀山は家族連れが行ってもあまり愉しくないらしいので、それよりはもうちょっとエンターテインメント性がありそうな、仁摩サンドミュージアムに行った。少女漫画「砂時計」でおなじみの、砂の博物館である。漫画はあんまりちゃんと読んだことはないが、連載が2003年から06年ということで、大学時代、書店でバイトをしていた時期であり、当時わりと売れていたので、印象に残っている(この時期、「僕等がいた」もあって、ベツコミは盛り上がっていた)。1年にいちど引っ繰り返すという1年計の砂時計が世界最大のものとして有名で、ギネスの証明書も展示されていた。ちなみに3人は初めての来訪だったが、ファルマンは子どもの頃に来たことがあるという。そして職場でもここの話になったことがあるのだが、ファルマンも含め、行った人間は押し並べて、「そこまでつまらなくもないけど、まあ1回行けばいいかな」という感想を口にする。実際に行った結果、僕もまったく同じ感想を持った。万人に均一の感想を抱かせるって、ある意味すごいことのような気がする。
 入場券を購入すると、イラストに合わせて剥離紙が細かくカットされたシール用紙が渡され、それを持って所定のコーナーに行くと、さまざまな色の付けられた砂が用意されており、剥離紙を適宜剥がし、そこへ砂を振りかけて接着し、彩色していく、という企画があり、われわれ一家もそれぞれ作成した。
 

 左上から時計回りに、ファルマン、ピイガ、僕、ポルガである。わりと個性というかセンスが出る。ファルマンの素朴さ、ピイガの健気さ、僕の洗練、そしてポルガの混沌。これも含め、まあ予期していたよりはいくらか愉しめた。
 ちなみに博物館のすぐそば、同じ敷地内と言ってもいいような場所には公園があり、例のごとくわが家以外だれもいなかったのだが、ここにあるローラー滑り台は全長121mあり、地味に島根県で最も長いらしい。ポルガは3回、ピイガは2回、僕は1回、ファルマンは0回滑った。長いだけあり、登るのが大変だった。
 レジャーはこれでおしまいかと思いきや、そうではない。実はサンドミュージアムは今回のレジャーのメインではない。ついでなのである。車は大田市をさらに進み、突き抜け、美郷町へと突入する。目的地は、「ゴールデンユートピアおおち」という施設。ここは、昔ながらの保養地的なものなのか、宿泊施設に、テニスコートやレストラン、そしてプールにサウナに大浴場(温泉ではない)が備わっているという場所で、宿泊客でなくてもプールや浴場を利用できるというので、前々からなんとも気になっていたのだった。しかし存在はしているようだが、評判などの情報はあまり得られず、果たしてわざわざかなり長い運転をして行く価値があるのか、不安でなかなか行く決意ができずにいた。今回行くことにしたのは、まあ一家のお出かけの骨子というのは、要するに車での移動なんだよな、ということを思ったからで、目的地がいまひとつでも、一家でのドライブと思えばそれでいいじゃないかと、そう考えるようになり、ようやく決心がついたのだった。それで行った。
 行った結果、これが大成功だった。プールもサウナもほぼ貸し切りで、ウォータースライダーもあるのだが、子どもは完全にうちの子しかいなかったため、これも待ち時間0でやりたい放題と来ては、もはや上質なリゾート空間であった。普通はこの空間を得ようと思ったら、相当に高い金額を払わなければならないだろう。つまり島根県の山奥まで行くということは、相当に高い金額を払うことと同等の負荷である、と言えるかもしれない。僕と子どもたちは、それぞれ思う存分にプールを堪能した。去年の夏、とうとういちどもプールに行かず、1年以上ぶりのプールとなったファルマンは、ひたすら水の中に立ち、ピイガの世話をしていた。途中でさすがに申し訳ないような気がして、「ピイガの世話を代わろうか」と提案したら、「代わったところで私にはプールですることがない」との返事だった。でも1日の終わりに「愉しかった」とは言っていたので、嫌でしょうがなかったわけではないだろうと思う。
 そんなわけでとてもいいレジャーとなった1日だった。ゴールデンユートピアおおち、すごく良かったが、なにぶん遠いので、再び行く日があるかどうかは分からない。田舎の山の中の、ちょっと施設全体に異空間味のある、貸し切りのリゾートのようなプール体験、まだ行った翌日だというのに、早くも遠い日の思い出めいていて、まるで幼少期の記憶のようだ。なんだか不思議な体験だったな。これだからレジャーはいいな。

2006年と2023年のこと ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 中学生になったポルガは部活に入り、部員によるグループLINEに入ったという。
 心配だ。あの悪名高い、中高生のグループLINEを、自分の子どもが始めてしまった。親として、いたずらに心配である。中高生のそういうのって、イジメの温床なんでしょう?
 と言うか、中学生はスマホを持っているのが前提なのか。時代が違うな、と思う。それはそうだ。自分の頃とは30年近く違うのだから。
 ちょうど読み返している2006年の手書き日記で、時代を感じさせる記述があった。

「そう言えば昨日の◎◎面接でもうひとついいことがあって、ずっと見つからず困っていたUSBメモリが鞄から発見されたのだ。これはかなり嬉しい。けっこう諦めていた。自室で書いたものをファルマンのパソコンに持っていくのに、SDを使っている状況だったのだ。」(4月18日)

 USBメモリに対してSDであることになんの不便があるのか、というのはよく分からないが、この記述で注目すべきは、USBメモリをなくしたと思い、諦めていたが、見つけて嬉しい、という点だ。今の感覚からすれば、USBメモリなんぞ紛失したら新しいのを買えばいいではないか、という話なのだが、当時はまだそこまで気軽に買える値段ではなかったのだと思う。今よりもずっと容量の小さい、256メガとか516メガとかで、1980円くらいはしたのではないかと思う。今は16ギガのものが500円くらいで手に入ったりするので、隔世の感である。
 続いてこんな記述。

「昨日は日中、池袋に出かけてきた。ファルマンがGWに実家に帰るため、そのチケットを買うのが目的。
 ついでにさくらやに寄る。実はぼくとファルマンの間で今、桃太郎電鉄が流行っており、その最新版が欲しくなっていたのである。しかも都合のよいことにぼくのさくらやポイントカードには5900ポイントが入っており、これにより最新のその「15」は300円ほどで買えることになった。ヤホーイ。」(4月23日)

 さくらや! と思う。懐かしい。安さ爆発!
 あと桃鉄。それまではプレステの「桃鉄V」をしていたのが、ここでPS2の「桃鉄15」になったらしい。そして今はswitchのやつをやっている。なんだかんだで桃鉄をよくやっているんだな。
 同日にこんな記述もしていた。

「さくらやでなんとインターネットの申し込みもしてしまう。
 この前電話でやろうとしたら、「FAXで免許証の写しを送ってください」とかしゃらくさいことを言われたため、店頭でやったほうが楽だな、と思ったのだ。」

 それまでファルマンの部屋のほうでだけネットが繋がっていた(だから僕の部屋のパソコンで作成した文章をネットにアップするために、SDをファルマンの部屋に持っていく必要があったのだ)のを、僕の部屋も繋げることにしたらしい。無職で収入の当てもないのに! と思う。そしてFAXの部分に、強烈な時代性を感じる。そう言えば当時は部屋を借りるときにも、必要書類はFAXで送って提出したりしていた。FAX懐かしい。FAXという存在は、機能的にもまさに、アナログ時代とデジタル時代の狭間という感じがする。字面の共通点もあり、MAXと通じる部分が大いにある。いまどきの言葉でいうなら、エモいですね。
 最後にこちら。

「「おもいっきりテレビ」を観ている。なんでかと言うと、実は今日この観覧に祖母が行っているのだ。席はうしろのほうだが写っていた。ゴボウ喰ってた。おもしろい。」(4月25日)

 読んで思い出した。そうだ、たしかにこんなことがあった。祖母は「おもいっきりテレビ」の観覧に行ったのだ。生みのもんたを見たのだ。その日の特集はゴボウで、紹介されたゴボウのサラダ(たしか火を通さず食べるのだ、ゴボウを!)が観覧者に配布され、それを食べているところが一瞬映し出されていた。あったな。「おもいっきりテレビ」も、みのもんたも、懐かしい。あまりにも古い。2006年は平成18年なのだが、嘘だと思う。「おもいっきりテレビ」をやってたなら、昭和だと思う。それとも平成が最近のことだという感覚が、もはや古いのだろうか。
 ポルガのグループLINEは、なんの内容もないノリだけのやりとりが繰り広げられているようで、語尾に押し並べて「w」が付されているらしい。「(笑)」が「w」に変化していったのは、まさに00年代中期くらいのことだと思う。いまどきの若者は、たぶん新しい言葉や表現を生み出さないだろう。われわれが教養を用いて生み出した出涸らしのようなものしか摂取しないので、そこからはもう何も生まれない。人生の中で本能的に抱くエモさを、うまく表現できず、ウホウホと、ただプリミティブな反応だけでやり過ごすのだろうと思う。もうね、新時代に取り残されないのは不可能だから、とことん揶揄し、否定してやろうと思うのです。