春のひとり暮し

 普段の生活の喧しさにうんざりし、夏や春にこうして妻子が1週間帰省するとなると、それはもう小躍りしながら「いってらっしゃい♪」みたいな気持ちになるのだけど、いざひとりでの暮しの中に身を置いてみれば、ひたすらに寂しさが募り、延々とウェブアルバムを眺めたりしてしまう。喰い貯め、寝貯めができないように、家族との触れ合いによる充足感みたいなものもまた、貯めることなどできないらしい。と言うか、人間の生理において貯められるものなんて果たしてあるのだろうか。若干の脂肪くらいのものではないのか。脳がいくらか大きいところで、そこは結局のところ他の動物と一緒なのだと思った。
 食事は、初日にごはんを2合炊いて、お弁当にも使ったが余らせてしまい、次は1合半にしたが、それでも余らせたので、なんかもう嫌になり、その2回以外は炊いていない。そして蕎麦やスパゲッティを食べた。あと職場のおばさんに「ほうれん草はいるか」と訊ねられたので、ここぞとばかりに「いま妻子がいないもんで……」とアピールをしたら、そのやりとりの2日後にちらしずしをくれた。薄味で、醤油をかけて食べたが、おいしかった。「今週ろくに野菜を食べてなかったから、根菜がたくさん入っててありがたかったです」と次の日にお礼を言った。おばさんのポイントをいたずらに稼ぐ。一種の親孝行みたいな行為だな。
 帰宅して、子どもに惑わされない分、悠々と過せるような気がしていたが、ごはんの準備や後片付けなど、普段はやらずに済んでいることもだいぶあるのだと悟った。そんなことはこんな機会にまみえなくても悟っておくべきだと思いますけども。
 また、帰宅しても家に誰もいない寂しさから、労働が終わったあと、ほぼ車のなくなった会社の駐車場で、居残りのバトン練習をしたりもした。最近になり、とうとうバトンをちょっと投げる段階に入りかけていて、そうなるとどうしたって広い屋外でやる必要があるのだった。夕暮れ時、陽がぼつぼつ沈むような時間帯に、バトンを何度も落としながら練習を繰り返していると、「ひたむきに努力している感」がやけにあり、バトンというのはなにしろ自己演出の行為なので、なんかよかった。一緒に帰るのを待つ幼なじみが傍らにいないのが不思議だと思った。
 妻子は向こうで日々ひっちゃかめっちゃかに過しているようだ。このたび義父の勤務地が家の近くになり、その帰還引っ越しが何日か前に執り行なわれたのだが、それがとても大変だったらしい。まあ大変じゃない引っ越しなんてあり得ないわけだが、なにぶん「思い出乞食」と称されるあの実家への荷物の運搬であるので、その大変さと言ったらやっぱりそれはもう相当のものだった模様である。かくしてファルマン家は、次女、三女、そして父と、半年の間に3度もの引っ越しがなされ、ファルマンはそのすべてで手助けをし、そしてもう4年も引っ越しをしていない自分に対して若干の忸怩たる思いを抱いているのだった。ファルマン家5名のこれまでの引っ越しをすべてなかったことにしたら、労働力を含めて、たぶん三千万円くらい返ってくるだろうと思う。
 この1週間は、まあそんな暮しをしていた。もうひとり暮しは当分いい。うるさいくらいで暮しはちょうどいい。たぶん子どもが帰ってきて3日くらいまではそう思うだろうと思う。

ちょっと間延びした週末の話

 岡山の桜はまだ咲かない。花見もできないので、特に予定のない週末だった。
 土曜日は午前中に買い物に出た。ポルガが遠足などの行事のときに使うリュックサックを買うためで、最初に車で15分くらいのお店に行ったがいい物がなく、そこからさらに20分くらい掛かるショッピングモールでようやく出会った。ターコイズブルーに赤と白の入った、好きな感じの色合いのもので、普通に大人用である。ジュニア用のリュックは、ギャルっぽいものか、そうでなければダサいものしかなく、まるで買う気が起きなかった。ポルガは希望として「ポケットが多いもの」ということしか言わず、その条件に適うだけの、形も色もひどいだろそれは、みたいなものを「これにする」と手に取るので、お前はマジか、と思った。ポルガってどうやらそういう子らしい。ただしその条件を満たしさえすれば、ひとつのものに固執もしないので、こっちにしときなさい、と別の物に差し替えるのが容易であり、それは助かる。要するに男子っぽい。ピイガはこうはいかないだろうな。ランドセルもピイガはきっとピンクなんだろうな、と早くも観念している。
 予定よりも遠出になったので、帰宅が昼よりもだいぶ遅くなり、お店で弁当類を買って帰った。僕はかつ丼。そしてビール。スーパーの、出来合いの、ご飯に汁が滲みたかつ丼って、やけにおいしい。上級の鰻重の美点として、「鰻とご飯が一体となり両者の区別が判然としない状態」というのがあるらしいが、スーパーのかつ丼ってある意味でその域に達しているような気がする。
 午後はファルマンが副鼻腔炎の診療でひとり耳鼻科へと出掛けたため、僕も子どもとともに散歩に出る。近所の桜並木を歩いた。つぼみの尖端が小さく開いてはいるけれど開花ではない、という段階。春の陽気が気持ちよかった。帰宅して昼寝。昼にビールを飲んで、そのあと散歩をして、寝ないはずがあろうか。幸福感に包まれながら1時間あまり寝る。
 晩ごはんはミートソーススパゲティ。レトルトのものに、肉やきのこなど少しだけ加えた、手抜きメニュー。昼のかつ丼がわりといつまでも腹の中に残り、きちんとしたごはんを食べる気が起きなかった。それは昼の弁当にかつ丼を選んだ僕個人の事情だったが、家庭の食事のメニューというのは往々にして作り手の個人的な事情によって差配されるのである。
 明けて今日は、午前中に僕だけ図書館に行き、その帰りに買い物など、こまごまと用事を済ます。昼ごはんは最近の定番の焼きそば。そしてビール。なんかここへ来てビールがやけにおいしい。周期的にやってくる、ビールやけにおいしい期に入っている。
 午後は昨日と同じく子どもたちと散歩に出た。今日はきちんとバトンを担ぎ、公園まで出た。公園は普段ほとんどよその人とかち合ったことがない場所だったのだが、さすがにこの季節の日曜日の午後ともなるとそれなりに他の家族がいて、そばに我が子がいるとは言え、バトンを回すのが少し躊躇われた。いくら子どもを連れているからと言って、キャスケットにサングラスの父親がいきなり手製の布袋からバトンを取り出して廻し始めたら、僕だったらちょっと身構えると思う。おや、と思うと思う。でもせっかく担いできたので、子どもたちと追いかけっこをしつつ、手ではクルクルとバトンを廻した。カムフラージュのために「子どもたちと遊びつつ」という形を取ったわけだが、余計に異様になったかもしれない。
 帰宅して昼寝。昼にビールを飲んで、そのあと散歩してバトンを廻して、寝ないはずがあろうか。幸福感に包まれながら、2時間あまりも寝る。
 晩ごはんは、鯵の開きと、煮物と、味噌汁。実は明日に勤め先で健康診断があるため、いまさらなんの意味があるのかという感じだが、今晩だけはアルコールを控えることにし、そのために、酒をそんなに飲みたくならない献立にしたのだった。どこまでも作り手の個人的な事情。
 ちなみに明日は健康診断なんかをしつつ、勤務を終えて帰宅したら、家には誰もいない予定となっている。明日、ポルガが修了式で、そのあと3人は島根へ、春休み恒例の1週間ほどの帰省へと出発するのである。なんで修了式が明日やねん、金曜でよかったやん、金曜日に終わってたらこの週末に車で島根に行って僕も1泊だけして帰ってくるいつものパターンができたやん、という話なのだが、嫌がらせのように修了式は明日なのである。だから今回は公共交通機関で移動することになった。しかも来週の僕は土曜日が休みではないため、今回は本当に僕は島根へ顔を出せない。まったくもって残念な日程なのだった。

歯痛春分

 起きたら歯が痛い。実は昨晩から痛かった。でも寝れば治まっているかと思ったのだ。そうしたら朝から痛かったものだから、気持ちが沈んだ。歯医者かー、歯医者通いの日々かー、とすっかり気が重くなった。そう言えば、当日にこの「おこめとおふろ」の記事を書いておきながら完全に書き忘れたのだけど、4日前の3月17日で、岡山の今の住まいに移ってきて丸4年が経過したことになるのだが、前回の歯医者通いはこちらに来てわりとすぐのことだったので、前回の治療から3年あまり、もったことになる。3年か。まあそんなもんかな、そろそろ次の治療時かな、などと思う。しかしそうやって落ち込んで何十分か経ったときに、いや待てよ、と思う。そう言えば何ヶ月か前にもこの痛みはあったのだ。そして前回のとき、やはり僕は歯医者通いの諦念をしばし抱き、だがそこで起死回生のひらめきにたどり着いたではないか。すなわち、これは虫歯の痛みではなく、親知らずが騒いでおるのだと。それで奥歯の一帯が鈍痛を訴えるのだと。虫歯ならば歯医者に行って治療してもらう以外、よくなる筋道はないけれど、親知らずはそうではない。親知らずは、たまにこうして蜂起し擾乱するけれど、じっと耐え忍んでいたら収束する。逆に歯医者に行って親知らずの痛みを訴えたら、「じゃあ抜きましょう」などと言われ、大ごとになってしまう。抜くやつなんかするもんか。配偶者の二度に渡るそれにより、こちとら恐怖心だけはこれでもかと掻き立てられているのである。だからこれはイブを服んで嵐が過ぎ去るのを待つのが正解。氷河期を乗り切った小動物がごとく、粛々とそのときが来るのを待とうと思う。
 春分の日だけど雨なので、今日は買い物デーとする。午前中に近所のショッピングモールに行き、細かい買い物をした。ダイソーのキーホルダー売り場で、おでんの食品サンプルのシリーズを見つけ、去年に寿司のシリーズは何点か買ったのだけど、おでんは初めて見たので色めき立つ。大根、ちくわ、こんにゃく、ロールキャベツと、何種類かあったが、その中で最も心を惹かれた玉子をひとつだけ買った。茹で玉子は実寸大と言ってよく、つまりキーホルダーとしてはわりと大きい部類だと思う。重みもしっかりしていて、本物よりも多少重くさえあるかもしれない。おでん種の設定なので、表面はほんのり茶色に染まっていて、しかしそれだけである。一部がカットされて中の黄身が見えるとか、そういう細工も一切なく、質実剛健に実寸大の玉子。異様である。お店で、おでんの食品サンプルシリーズとして、大根やこんにゃくの隣に並んでいるから成立するのであって、これ単体ではなんなのかさっぱり判らないだろうと思う。そこがいいと思った。そして帰宅してからバトン入れに付けた。手作りのあの袋だけでも他人に戸惑われるのに、そこへ来て正体不明の巨大なキーホルダー。訊ねれば「おでんの玉子です」という答えが返ってくる。うん。いいじゃないか。友達ができそうじゃないか。
 それから衣料品の店に寄って、トレパンを1本買う。ランニングシューズを買ったものの、ウエストポーチがなければ遠くに走っていけない、ということを前に書いたが、ファルマンが押入れの奥から、若い時分に使っていたというものを取り出してき(やがっ)て、解決してしまい、しかしウエアに関して、上はなんでもいいけど、下はチノパンやスラックスというわけにもいかないので、なんかしらを買わないといけないな、そうでないとジョギングなんかできないな、と考えていた。そしてそれももう購ってしまったのだった。さらにはダイソーで反射素材のタスキも買ったため、なんかもう、走れない物理的な理由がとうとうなくなってしまった。こう物理的な方面が次々に陥落してしまった以上、頼るべきは精神的な方面だ。そっちは任せとけよ。
 帰宅して、午後はのんびりと過す。ポルガは夕方から、祝日も関係なく毎週水曜日のスイミングに出掛けた。晩ごはんは、雛祭りのときのちらし寿司の素が残っていたので、それでちらし寿司にする。あと鰯の天ぷら。天ぷらは、失敗が続いたのでしばらく敬遠していたが、鰯がおいしそうで、ちらし寿司のサイドメニューにぴったりだと思ったので一念発起した。そうしたらおいしかった。天ぷらは、メインを天ぷらとして、エビやら舞茸やら芋やらかき揚げやら、ということを目論むと失敗するが、こうして単品を気軽に揚げるのならいいんじゃないかと思った。

佳日

 午前中にカラオケへ。日記を見れば1月18日以来で、2ヶ月近くぶり。思えばあそこらへんからここまで、インフルエンザや咳など、ダラダラと体調不良が続いていた。それらがいちおうの(ファルマンはいまだに副鼻腔炎の薬を服んでいる)解決を見て、ようやくカラオケに行けた。
 唄ったのは順番に、「ゲッターロボ!」(ささきいさお)、「手を繋いで帰ろうか」(欅坂46)、「おジャ魔女カーニバル!!」(MAHO堂)、「誰がために」(成田賢)、「愛をこめて花束を」(Superfly)、「民衆の歌」(ミュージカル「レ・ミゼラブル」より)、「なごり雪」(イルカ)、「ボルテスVの歌」(堀江美都子)、「君は薔薇より美しい」(布施明)というラインナップ。方向性が見えない選曲だと我ながら思う。「おジャ魔女カーニバル!!」と「誰がために」は最近になってきちんと聴き、これはいい歌だと思った。そしてそのどちらも作品そのものにはまるで触れたことがない。歌しか知らない。それなのにカラオケのディスプレイには実際のアニメ映像が出てきてくれて、しかしアニメそのものにはなんの思い入れもないので、なんか恐縮した。「愛をこめて花束を」は後半息切れした。「なごり雪」は季節的な選曲。そして最後の2曲はもはや持ち歌と言ってもよく、とにかく気持ちがよかった。
 カラオケは持ち込みOKの場所なので、事前にマクドナルドに寄って、今日から始まったドラえもんのハッピーセットを買ってから行った。そしてワンオーダーの店なので、仕方なくチョコレートパフェを頼んだ。ハッピーセットでカラオケでパフェ。お前ら夢のようじゃないかよ、と子どもたちに対して思ったが、子どもたちがそのことを実感していたとは思えない。まあ子どもがそんなことを噛み締めても気持ち悪いか。もちろん純粋に愉しんではいた。
 そのあとはいつもの流れで図書館を済ませた後、公園にも立ち寄る。ここのベンチでおにぎりを食べて、それから鳥にパンをやったりした。鳥はいつものパターンで、やっているうちにどんどん増えた。基本的にカモにやろうと投げるのだが、投げているとハトもやってきて、さらにはよく見ればスズメもやってきていた。しかしふてぶてしいハトに較べ、スズメは「いや、お前ら、人間のくれるものにありつこうと思って寄ってきたんじゃないのかよ」とツッコみたくなるくらいに警戒心が強く、スズメにも少しくれてやるかと体の向きをスズメ側に向けたら、もうそれだけで数羽が驚いて飛び去ってしまい、「コ、コミュ障……」と思った。
 それから車の整備工場に寄って、エンジンオイルとエレメントの交換をしてもらう。ずっとしてもらわなければと思いつつ、ずっと、本当にずっとサボっていたのだが、先週の洗車や芳香剤設置などで勢いがつき、いよいよやってもらうことにした。もちろん何千円か掛かったわけだが、いざやってもらったら簡単なことであり、これからはもうちょっとサボらずに(と言うかきちんと規定のキロ数に達したときに)やってもらおうと思った。そこからの帰り道、もちろん走りそのもので実感する部分なんかはないけれど、なんとなく気持ちが違った。
 帰宅後はのんびりと過す。晩ごはんを餃子にしたので、その下拵えなどする。前回の調理から、すっかりキャベツ派から白菜派に鞍替えしたので、今回も白菜を使用する。白菜のほうがきちんと水分が絞れて、締まったいい餡ができる気がするのだ。今回は大人も子ども区別せず、全体の餡にキムチを刻んで入れた。このくらいなら辛くなどなく、旨みに寄与するだけだろ、と判断した。あと隠し味に粉チーズなんかも入れた。
 出来上がった餃子は、もちろんとてもおいしかった。僕の作る餃子はいよいよおいしい。餃子と焼きそばとビールのお店を出そうかな。そのくらいおいしい。ビールをグビグビ飲む。飲むビールを、先日から糖質オフのものに変えた。なんか30代半ばになり、そんなことをしてみた。
 そんな感じの休日だった。カラオケ、図書館、公園、オイル交換、餃子。充実していた。

7年目の春の暮し

 土曜日は図書館のついでに公園へと赴く。風がわりと冷たかった。バトンのほか、今回は縄跳びまで持参するが、子ども用のを目一杯に伸ばした長さでもやはり短く、ろくに跳べなかった。ランニングシューズに続き、専用の跳び縄が欲しくなった。ところでランニングは、もうそろそろ始めたっていいくらいの時期のように思えなくもないわけだが、巷のジョガーを見てみると、ウエストポーチや小型のメッセンジャーバッグを着けて走っていることに気がつき、そう言えば携帯電話や財布など、外出時の必需品はそうやって持つしかないのだなと思い至り、僕はそんなものを持っていないぞ、となって、走り出すのを躊躇っている。ファルマンから、「あんたは携帯電話や財布が必要になるほど長い時間どうせ走らないだろう」と呆れられているが、そういう姿勢がよくない。携帯電話や財布を万全に整えてこそ、心ゆくまでのランニングができるんだろうに、と思う。なので次はウエストポーチだな、と思っている。公園は短めに切り上げた。
 図書館に寄って本を借りたあと、家の近所のホームセンターに立ち寄り、ファルマンの仕事用の椅子を買う。これまで使っていた椅子が、いちおうリラックスチェアではあるのだけど、リラックスチェアの中では下等なもので、腰痛や背中痛がこのところひどいということで、新調することにしたのだった。もう平日に下見して、買うものは決めていたので、話が早かった。後部座席を最大限に後ろにやって、子どもたちの足元に大きな段ボールをデデンと乗せて帰る。
 午後になり、このところ咳に続いて頭痛までもがひどかったファルマンが、いよいよ観念して病院に行くことにしたので、子どもにはDVDを見せ、その間に椅子の組み立てをする。ファルマンはこのところ実に体調が整わない様子で、とうとう頭痛を理由に病院に行ったので、大ごとになったらどないしようとドキドキしたが、行ったのは耳鼻科であり、診断結果は本人の予想通りの副鼻腔炎だったとのことで、ひと安心する。副鼻腔炎と言えば2年ほど前の年末年始のことが思い出される。インフルエンザやその後の咳および痰で、炎症を起したパターンらしい。まあ原因がはっきりしたならよかった。
 晩ごはんは新じゃがを使ってのフライドポテトと、手羽元の竜田揚げ。とにかくカリカリの揚がり具合がよくて、卵などもちろん纏わせず、小麦粉も使わず、片栗粉だけで硬派に揚げる。その結果、もはやカリカリを超えてガリガリな仕上がりとなり、満足いく出来となった。ビールがおいしくて感動した。ビールというものはまったく年中おいしいものだな(秋あたりに少しだけ落ち着くけど)。
 翌日の今日は、ポルガが先日のスイミングで、水着と帽子をプールに忘れてきたので、それの回収ついでに、ちょっとした買い物と、ガソリンスタンドで洗車をする。洗車はだいぶ前からする必要を感じていたのだが、なにぶん寒くて、洗車後の拭き取り作業とかのことを考えると億劫で、ここまでずれ込んだ。というわけで数ヶ月ぶりの洗車。相変わらず愉しい。家族で車に乗っていて体験するわけで、サファリパークにも通じるアミューズメントであるように思う。ピイガは本気で怖がり、隣のポルガにしがみついていた。まああの巨大ブラシが近づいてくる感じは、たしかになかなかに迫力がある。洗車後は家族総出で拭き取りをし、掃除機で車内のゴミを吸った。車内の汚れもまた、車体の汚れに負けず劣らず凄まじいものがあり、時間制の掃除機に2回お金を入れて、丹念にやる。結果、とてもすっきりした。洗車の爽快感って、取りとめがなさすぎる家の掃除と違って、あの完結した空間をピカピカにすれば得られるわけで、世のおじさんたちが休日にそれをするのも気持ちが解るな、と思った。思ったところでまた数ヶ月きっとしないのだけど。
 帰宅して、昼ごはんは焼きそば。うまく作れるようになった焼きそばに、目下とてもハマっていて、平日の晩酌にも作ったりしている。寝る前の焼きそばビール(orハイボール)って、なんだかとても不健康な感じがあり、控えようとは思うのだが、それにしたって最近の僕の作る焼きそばはやけにおいしいのである。こんなおいしい焼きそばはいまだかつて、実家でも、縁日でも、スーパーでも、お店でも、食べたことがない。だから仕方がないじゃあないか、という気持ちもある。晩酌での1玉ではない、4玉を使っての製作もものともせず、今日もおいしくできた。コツは、とにかく水分を嫌うこと。だからキャベツやもやしは入れない。野菜は、ニンジンだけいちおう入れたが、なくても別にいい。麺と肉だけでいい。野菜は他の食事で摂ればいい。
 午後は、午前の洗車で勢いがつき、同じく長らくの懸念であった、寝室の大々的な掃除をする。ファルマンとふたりがかりでマットを持ち上げ、ベッドそのものを動かし、壁とベッドの隙間に落ちたゴミや埃を掃除機で吸ったり雑巾で拭いたりという、大掃除レベルの掃除である。思えばファルマンの事務員時代の同僚が、「大掃除を寒い時期にやる必要はない。あったかくなってからやったほうがいい」ということを言ったらしいが、今日はそれを地で行く感じになった。本体だけになったベッドをずらして隙間を露出させると、思わず「うひゃあ」と叫んでしまうような、体に悪そうな有様がそこには存在していて、それを掃除するのは、車に負けず劣らずの達成感があった。このところ続いていた咳がすべてこれのせいであるわけもないが、でもマジでこの掃除によって咳はこれから劇的に治っていくんじゃないかな、と思わせるほどだった。やって本当によかった。
 2時46分になり、黙祷。7年。もう岡山での生活がすっかり板についてきたこともあり、7年前は自分たちが練馬にいたのだな、と思うと、やけに不思議な気持ちになる。大昔の人と違って、現代の我々は「その日暮らし」ではないけれど、かと言ってそこまで大きく違うわけでもないな、と思う。人生をまじめに計画することはもちろん大事だけど、ひとりひとりの計画は、世界のうねりによって、まったく予期していなかった形になることが多々ある。これはいわゆるひとつの、典型的な運命論者の考え方だろう。震災を経て運命論者。我ながらとても分かりやすいな。
 そのあとひとり散歩に出掛け(ジョギングにあらず)、夕飯の材料や、車内の芳香剤などを買う。車がきれいになったついでに、芳香剤まで新調した。すっかりいい気分だが、そんな風にして誰を乗せるのかと言えば、お菓子をバリボリとこぼしながら喰う子どもたちだ。
 晩ごはんは寄せ鍋。お店で鍋スープの数々を吟味したが、どれもしっくり来ず、今日の僕が食べたいのはそういう、商品になるようなコクの効いたやつじゃなくて、あっさりと煮たものをポン酢に付けて食べる感じのやつだと喝破して、鍋スープを買うつもりだった代金でレモン果汁を買った。そうして醤油と酢とレモン汁で、かなりすっぱい付けダレを作り、薄い昆布だしで煮た具材をそこに付けて食べた。これがとてもおいしかった。ファルマンと、思えば我々が子どもの頃の鍋と言えば、こういうものだったよね、と言い合った。なんかいつからか、スープという商品が出てきて、それを選んで何鍋にするか、みたいな感じになっていたが、化かされていたのかもしれない。そうそう、こうゆうのだよ、こうゆうのでいい、こうゆうのがいいんだよ、とちょっと感動しながら食べた。

飛び出せスプリング

 3月だ! 最高気温15度あたりだ! ということで公園に繰り出す。こちとらガツガツしているのだ。
 行ったことのない公園に行く。山の上にある公園。「山の上にある公園」というものが、車で20分圏内くらいに、わりと複数箇所ある。こういう公園って、公園およびそのそばの駐車スペースに辿り着くまでに、「ほ、本当にここを車で登るの? た、対向車が来たらどうするの?」という道を走る必要があり、島根で初めてその洗礼を受けたときは恐怖のあまり引き付けを起しそうになったが、それも経験を重ねて少し慣れた。とは言え今日のところもなかなかだった。
 そうして苦労してたどり着いた公園は、その億劫さゆえか基本的に閑散としていて、遊びやすい。ここでいう「遊びやすい」は、本当にほぼ貸し切り状態のことを指していて、こちらで「賑わっている」レベルの公園であっても、都会の子からすれば「今日は空いてる」くらいの感じだろうと思う。そんなわけでほぼ貸し切りの公園で、思うままに遊んだ。遊具はそれほどでもなかったが、風光明媚で、木のトンネルのようになっている道があったりして、3月上旬の軽やかな時候に、ちょっとしたピクニックのごとく愉しめる、いい公園だった。子どもたちも鬱憤が溜まっていたようで、公園に行くと言ったら、ボールやらシャボン玉やらフリスビーやらバドミントンやら、なんかいろいろ持ってきていた。かく言う僕もバトンを背負っていき、回した。家族の、僕がバトンを回してもなんの反応もしなさ、もはやちょっとシュールでおもしろい。一家の父が、平均台みたいな遊具を渡りながら、トワリングバトンをクルクル回してんだよ! めっちゃおもしろいじゃん! なんで無視なの! と思った。広い面積の公園の途中に、グラウンドのような場所があり、もちろんここも貸し切りだったので、走ることにした。見慣れない文字がこの日記に現れた。でも間違いじゃない。走ったのだ。先日とうとうランニングシューズを購入し、今日はそれを履いてきていたため、気持ちが乗っていた。グラウンドの端の柵を指さし、「あそこに行って柵にタッチして帰ってくる競争をしよう」と家長として提案し、自分の走る意欲の高まりに家族を巻き込んだ。そして走った。柵までは5、60メートルくらいだったろうか。もちろん勝った。それは勝つだろ、と思っていたら、ファルマンはだいぶ悔しがっていた。「全盛期なら絶対に負けなかった。やっぱり子どもを産んだからだ」などとブツブツ言っていた。僕は純粋に勝利に気を良くした。久しぶりに全速力で走った爽快感もあった。走り終え、ベンチに座り、そして再び立ち上がったときの腿の違和感には驚いたが、それでも気分は良かった。それから東屋で、買ってきたおにぎりを食べ(メインの昼食というわけではないが、公園でおにぎりを食べる、という行為をしたかったのだ)、公園をあとにした。とても愉しかった。
 そのあとはスーパーに立ち寄り、財布の中身が潤沢な月初のテンションでまとめ買いをする。ほうれん草やネギ、ニラらへんの値段が落ち着いた。キャベツと大根がいまだ高い。店先のプレハブのような店で売っていたたこ焼きを買って帰る。
 帰宅して、たこ焼きや、簡単に作った焼き飯などで、改めて昼食とする。ハイボールを飲む。春先の運動後のたこ焼きハイボール。格別にうまく、クラクラするほどだった。そのあと、当然中の当然の帰結として、昼寝。運動してハイボール飲んで寝ないはずがない。昼寝はいい。メロメロする。
 夕方に起きて、夕飯の準備。夕飯は桃の節句ということでちらしずし。もちろん即席の具入りのものを使って作るのであり、とても簡単。上にサーモンや甘エビなどを醤油漬けにしたものを散らした。味はもちろんおいしい。サーモンも甘エビも、具の蓮根や椎茸もおいしいが、ファルマンと夫婦で口を揃えて言うことに、「酢飯がおいしい」。酢飯がおいしいということは、要するに酢がおいしいのである。酢うまい。本当に酢のおかげで咀嚼がはかどる。酢ありがたい。