夏終え土日

 土曜日の夕方、家族でプールに繰り出す。微妙に霧雨が降っているような空模様だったこともあり、とても空いていた。タイミングによってはほぼ貸し切りのような状態にもなり、我々一家は、とんでもない大富豪か、あるいは田舎在住者だろうと思った。これにて家族で行く今年の屋外プールはいよいよ終了だ。今回も屋外は実際まあまあ寒さ的に厳しくて、屋内のほうを中心に使った。
 夏が終わる。今年はそれなりに暑い期間もありつつ、なにしろ去年の記憶がまだあるものだから、それでもだいぶ節度のある暑さだったな、という風に思う。次の学年がどんなにイキっても、去年卒業した学年がひどすぎたから教師たちもわりと余裕がある、みたいな感じ。屋外プールは8月いっぱいまでであり、実は来週の平日のどこかで労働終わりに僕だけラスト1回を目論んでいたりもするのだが(しかし天気が悪そう)、とは言え夏が終わるのは純粋に嬉しい。夏と冬の終わりにいつも思うことだが、着るものに飽きた。今回は夏なので、Tシャツとクロップドパンツという組み合わせに、ほとほと飽きた。6月中旬あたりから、僕は平日も休日もずっとそのスタイル、手持ちのそれとそれの中でそれぞれ組み合わせを選ぶ、というだけの着衣を続けてきたわけだが、今日なんとなく気が向いてチノパンを穿いたら、すごく清新な気持ちになり、とてもよかった。本格的にクロップドパンツから解放されるまで、あと半月くらいかな。
 話が前後するが、金曜日の夜はすき焼きだった。お買い得の牛肉が手に入ったので、じゃあいっそすき焼きだ、と決めて、決めたらとてもテンションが上がり、金曜日の労働中はそのことを思ってウキウキしていた。やっぱりすき焼きはとびっきりの御馳走だな。そして期待を高めに高めて食べたすき焼きは、さすがの横綱、見事に期待に応え、非常においしかった。砂糖醤油で煮た肉を卵に浸して食べるって、もう体感としては7Pくらいだ。もちろん男は僕だけで、あと6人の女の子がすごく奉仕してくれる7P。そのくらいの愉悦だ。体験したことはないけれども。ちなみに鍋つながりの話題として、スーパーでは煮込みラーメンが売られはじめた。ああ今年も、1年のそっちのほうに入ったか、と思った。ホームページを見たところ、今年の限定味はシビレをきかせた麻辣味だそうで、わが家とは縁がなさそうだ。やるなら仲間内でだな。誘ってみっか。
 そんでもって話が行ったり来たりするのだが、土曜日の午前にファルマンは「おっさんずラブ」の映画を観にいった。早起きして、ショッピングモール内のシネコンへ、バスを乗り継いで行っていた。公開翌日朝いちばんの回を観ることで、ウェブ上に溢れる映画の感想を問題なく目にすることができるのだそうで、まあ本人のしたいようにすればいいと、心の底から(どうでもよく)思う。映画が終わる時間をめがけて、子どもたちと車で迎えにいった。ファルマンは映画館で映画を観たのは、「千と千尋の神隠し」以来だと言っていた。思えば僕はいちどもファルマンと映画館に行ったことがない。ちなみに僕はそれ(2001年)よりもさらに前、「もののけ姫」(97年)が最後じゃないかと思う。えっ、嘘……。俺、もう20年以上映画館で映画を観ていないの? すごくない? もう処女膜が再生してるレベル。次に観るとき、たぶん痛い。
 本日日曜日は特に用件がなく、ほぼ家で、漫然と過ごした。午後にちろりと筋トレをしたが、やはり火を見るより明らかに、熱情が下がっている。どうすればモチベーションがアップするだろう。4ヶ月後くらいにクランクインが控えていればいいのに。
 恒例の24時間テレビが行なわれていたこの土日だったが、今日は来年のパラリンピックの開催のちょうど1年前らしい。オリンピック、パラリンピックまでいよいよ1年を切り、各競技においても代表選手が次々に内定し、熱が高まってきているわけだが、ここへ来て僕は飽きた。「東京オリンピック、パラリンピック」というワードに、もはや辟易している。本番までまだ1年あるこのタイミングで、僕の「東京オリンピック、パラリンピック」が入るための胃袋は満杯になってしまった。もういい。もうたくさんだ。ちょっと食べさせ過ぎだ。4年も5年も強制的に食べさせて、俺はブロイラーか。あるいはフォアグラを取るためのガチョウか。もう出荷の時期はとうに過ぎている。本当は1年くらいでいいのだ。「いま2019年ですけど、実は来年のオリンピックパラリンピック、東京でやることになってたんです!」と言われれば、素直に「マジかよすげー!」と、いい具合に本番を迎えられた。そのタイミングは完全に逸した。体を通り過ぎすぎて、もう既に過去の出来事のようでさえあるが、とにかく早く終わってほしい。

2019年夏の島根帰省3日目

 空腹のまま2時ごろに寝ついて、7時半に目を覚ます。移動を午前中に済ますために、8時にはこちらの家を出たかった。それでもまずはなにか食べ物を口に入れたくて、ファルマンに所望したらスナックパンが出てきた。今回の帰省、状況が状況とは言え、料理らしい料理は本当に一切なかったな。この10日間、ファルマンが夜にLINEで「おなかがすいた」などと送ってくるので、「疎開か」と返していたが、2泊でその気持ちがよく理解できた。とにかく台風が恐ろしかったので、最低限の血糖値を上げて出立の準備をし、8時過ぎに家を出た。出てすぐに家の近所の、約7時間前に寄ってもらえなかったコンビニに立ち寄って、車内で食べるための朝ごはんを買った。そしてサンドイッチをばくばく食べながら、急いで岡山に帰った。道は空いていた。雨は尾道らへんが最も強かったが、しかしそれほどでもなかった。風は時おり強く吹き、橋梁では少しはらはらした。それでもなんとかスムーズに、昼前に家までたどり着いた。よかった。まったくバタバタした帰省だった(1日目はゆったり幸せだったけれど)。午後は夕方まで強い強い風が吹いていて、疲労感もあり、荷解きもろくにせず、家でぐだぐだと過した。
 3日目が短すぎるので、既にあれほど書いた2日目の追記になるのだけど、野球の中継を観ていてずっと疑問だった、7回に行なうあのジェット風船、あれって他人が口をつけて唾液交じりの呼気で膨らませたものが噴射して、空気が抜けたあとはともすれば頭上から降り注ぐわけで、すごく不潔なんじゃないかという問題について、いやしかしそんなはずはないだろう、なにか思いもよらない解決がなされているんだろうと思っていたのだが、いざ現場に身を置いてみたら、別にぜんぜんその問題に対する工夫なんかはなくて、幸い僕の所に落ちてくることはなかったのだけど(その様子があったらすぐさま飛び退いて逃げようと気が気じゃなかった)、しかしやっぱり気持ちが悪いと思った。他人の唾液のついたゴム製品が無数に飛ぶ風景は、ちょっとしたホラーであると思う。あと客席には下世話なまでの頻度で生ビールの売り子が現れ、あちこちでビールの注入が行なわれるため、常にうっすらとビール臭く、自分も飲んでいれば気にならないのかもしれないが、飲み会の終盤のような饐えた香りに辟易した。本当に文句ばっかり言うな。お前みたいのは連れていかなきゃよかったよ。

2019年夏の島根帰省2日目

 というわけで島根帰省2日目。8月14日。
この日はとにかく広島zoomzoomスタジアムで行なわれるナイトゲーム、広島ー巨人戦を観戦するための1日だったのだけど、しかしなんてったって台風10号である。超大型、超低速、超お盆に、超日本列島を縦断するようなコースで進む、超嫌な性格の台風10号。広島はルート的には直撃で、でも超低速なものだから試合はできそうな感じもあり、とは言え本体がやってくる前の暴風域的にはだいぶ差し掛かってくるような色合いも帯びていて、そんな状況に大いにやきもきした。島根に来る前の日記では、「中止になったらさすがに義父がかわいそうだ」なんてことを書いたが、いざ無事に執り行なわれるか否か不明瞭な試合のために広島に向かおうという段になると、「いっそ中止になってくれたらどんなにいいだろう……」と心の底から思った。そして、「いっそ」という意味では、「いっそはじめから誘いに乗ってなかったらどんなによかっただろう……」という後悔も募った。それでも中止情報は届かず、そうなれば一路広島へ向けて出発するほかない。しかもこの道中というのが、一緒に観戦する予定である義理の息子B(次女の夫)は、そんなことってあるのかよ、と驚愕するのだが、義父のチケット入手云々以前に、そもそも彼の実家の面子(彼の両親と彼と彼の弟)でこの試合を観戦する予定だったそうで(どうやら頻繁に観戦する一家らしい)、彼は試合そのものは義父の手に入れたいい席で我々と観るが、移動(行き)は自分の家のほうの車に乗るという、とても残酷なことを仕出かし、そんなわけで移動は義理の両親と僕、という3人となる。義父の運転する車で、当初の予定では助手席に乗せられるところだったのを、それだけは勘弁してもらうと、後部座席にそそくさと乗り込んで、心のダメージを最小限に食い止めたが、テンションはこの時点でだいぶ下がっていた。広島へは2時間半ほどで到着した。途中でやはり雨が降り出し、どうなの、どうなの、と思うが、中止の情報はいっかな現れなかった。広島市という土地へ来たのは、中学の修学旅行のとき以来だと思う。広島駅を挟んで、球場とは反対側にあるパーキングに車を停めて、そこから歩く。小雨だった。駅の構内を突っ切ったので、新幹線乗り場も目に入った。これに乗ったら40分くらいで岡山駅に着けるのか……、という詮無いことを考えたりした。途中で義理の息子Bとも合流し、さらに歩く。駅のそちら側の口からスタジアムまでは、観戦者で成り立っているらしき商店が立ち並び、店先にテーブルが出て観戦用の食べ物や飲み物が売られていた。唐揚げや餃子など、心を奪われるものがたくさんあったが、義父がずんずん先へ進むので立ち止まることは一切できず、そのままスタジアムへと到着した。zoomzoomスタジアムは、テレビでさんざん観たことがあったが、現地で目の当たりにすると、それはもちろん「おおー」という感じがあった。チケットの座席まで行くと、それはバッターボックスのやや3塁側寄りのすぐ後ろ、といったあたりで、選手にかなり近い、なるほどずいぶんな良席なのだった。そうして席に座ったのが4時すぎくらいで、試合開始は6時。この2時間近い時間はなんなのかと言えば、選手の練習を観るための時間だったらしいのだが、雨が降っているために練習は室内で行なうことになったようで(それはそうだ)、そんなわけで我々は屋根なんかもちろんない座席で、降ったりやんだりする雨を受け止めながら、ただグラウンド整備を眺めたり、バックスクリーンに映るどうでもいい映像を見つめたりして過した。帰りたさ……! と強く思った。このままじゃ絶対に風邪を引くと思ったので、お腹に何か入れることにした。ちなみに出発前の昼ごはんは、ファルマン家のいつもの、素麺って言ったら本当に素麺なの、という、錦糸玉子とかハムとか煮豚とかきゅうりとか、そういう具の一切ない例の素麺だったのである。レインコートを着用しているとは言え、そぼ濡れて冷たい体に、風邪どころではない命の危機を感じて、エネルギーを求めた。ちなみに僕以外の人たちは、事前にスーパーで買っておいたおにぎりを食べるらしかった。もう知らん。昼が素麺で、夕飯がスーパーのおにぎりでは、僕は精神的にも肉体的にも死ぬ。なのでタルタルソースの掛かったソースかつ丼という、カロリーの高そうなものを買ってひとり食べた。これは本当に正解だった。ちなみにビールを飲む気持ちは湧かなかった。運転はしないが、とは言え飲んだらダルくなるし、飲んだときの義父の反応も想像すると億劫だった。それに球場内では缶ビールが500円もした。駅からの道程で売られていた餃子に思いが募っていて、それと一緒に外で調達してくることも一瞬考えたが、雨で濡れて重たい体がそれを拒んだ。まあそんなわけでかつ丼は最良の選択だったんじゃないかと思う。そんな風にして試合開始を待ち、地元の子どもによる始球式(義理の息子Bによると芸能人は滅多に来ないものらしい)でようやく試合が始まる。先発投手は広島が野村、巨人が菅野。これはかなりいい巡りだろうと思う。僕は過去に2度プロ野球を観戦したことがあるが、最初がヤクルト対日ハム(交流戦)で村中とダルビッシュ、次がヤクルト対横浜で、一場と三浦だった。どうも僕は「観戦するときの先発投手運」は悪くないようだ。さらに今回は3連覇中の広島と、なんてったってジャイアンツなので、先発投手以外も、選手の「知ってる具合」が半端じゃなく、テレビっ子的な観点からとても興奮した。だって亀井、坂本、丸、岡本、阿部、小林だぜ。めっちゃ知ってる。原辰徳ももちろんいたし、ズームインサタデーの人もいた。こうして書くとまるで巨人のほうのファンのようだが、別にどこファンということはない。しかしテレビっ子なので、どうしたって巨人の選手のことをいちばん知ってしまっているのだ。そんなわけでテレビの中の人たちがわりと近くにいるという状況に、おー、と興奮した。そうして試合は開始したが、開始すると同時に雨足は強まり、けっこうしっかりした雨になる。隣の席の義理の息子Bに、「こんな雨になっても試合って続くんだね」と言ったら、「いや、こんな雨だと普通やりませんよ。たぶんこの裏が終わったら中断すると思います」と返事が返ってきて、果たしてその通りになった。よくスポーツニュースなどで、「雨のため30分の中断を挟み、再開後に……」なんてサラッとナレーションされたりするが、あれって自分が観客の立場になってみると、とんでもないことだと分かった。だってひたすら雨に打たれながら席で待つしかないのだ。ただでさえ(無意味に)4時過ぎから来ていてつらいのに、この上ただの待機時間。いよいよ心が死にはじめる。「台風が近づいてきているんだからここから天気が好転するはずがないじゃないか」と、なる早の中止決定を切に願うようになった。しかし非情にも、なんと雨は収まったのである。それもしっかりと。そのため中断を挟みながら、試合はこのあと9回まできちんと執り行なわれたのだ(1ー7で巨人の勝ち)。試合終了は22時を回り、この日はナイトゲームが6試合開催されたのだが、この試合が最も遅い終了時刻となった。ただでさえ零時は回るだろうと言われていた帰宅時間が、どんどん後ろ倒しになって、次の日がなんでもない日なら別に構わないのだが、午後中国地方へ上陸するという台風をなるべく避けるため、できるだけ朝早くに岡山へ向けて出発しようと思っている立場からすると、こんなひどい仕打ちってあるかよ……、ととにかくとことん打ちひしがれる展開だった。
 ちなみにこの日の試合に関して、夕刊フジはこのように書いた。
 
 巨人の菅野智之投手(29)がエースの意地をみせ、43日ぶりの白星となる9勝目を挙げた14日の広島戦。広島の自力Vを消滅させ、優勝に再加速する貴重な遠征となったが、その裏側でチームは台風10号の接近でてんやわんや。移動日だった15日の上り新幹線が運転見合わせとなったため、延泊で“缶詰め”を強いられることになったからだ。9連戦後の東京でのオフがつぶれるわ、16日の阪神戦(東京ドーム)は移動試合となるわで、チーム内にはブーイングの嵐が吹き荒れた。
 14日の試合前練習でグラウンドに出てきたG戦士は、嵐の到来を告げる不穏な黒雲を恨めしそうに見上げ、「本当にやるの?」と広島関係者に尋ねた。さっさと試合中止が決まれば、台風の前に東京に帰れるかもしれない。
 だが試合前の決定権を持つ広島側の言い分は「お盆休み中の試合だし、今日しか来られないお客さんもたくさんいるから、ぜひやりたい」。完売のチケットを払い戻せば、振替日は消化試合になる可能性大という打算も働いたことだろう。試合決行への固い意志を感じ取り、“広島抑留”は不可避とあきらめがついた巨人ナインは、「あした一体、何すりゃいいんだろう」とため息をついた。
 (中略)
 「もっと早く中止を決めてくれれば、14日のうちに帰る方法もあったんだろうけど…」(球団関係者)。夕方以降に中止になったところで、この日のうちに60人所帯が帰京する足を確保するのは困難。確実路線として、新幹線が再開する16日朝に帰京し、そのまま東京ドームに向かって移動試合のナイターに備えることに。つまり15日も広島に延泊だ。練習も試合もないが、街は夜まで暴風雨。宿舎に引きこもるしかない。やけくそ気味の「昼から酒でも飲むか」という声も聞かれた。
 本来であれば、15日午後から東京で完全オフを満喫できたところ。独身の某選手は「チクショー、夜から予定が入ってたのに!」と顔をゆがめた。9連戦後の息抜きを召し上げられた上、16日は移動試合のドタバタ。「仕方ない、天候には勝てないよ」という周囲の慰めに対して、古参の球団スタッフは「いや、勝てるぞ。カープの営業だけは」とチクリ。旧市民球場時代から、どんな悪天候だろうと試合をやりたがる、広島の営業方針をよく知っているのだ。
 首脳陣の1人は「俺らは仕事だから、どんな天気でもやれといわれれば従うけど、お客さんが心配。台風のせいで家に帰られなくなったら、どうやって責任を取るの?」と疑問を呈した。広島の現場サイドとしても15日の移動予定が白紙となり、16日のDeNA戦(横浜)が移動試合に。つまり台風の襲来を目前に、試合の開催を望んでいるのは、ごく一握りの利害関係者だけだった。
 愚痴や怨嗟が渦巻く練習時間が終わり、いざプレーボールがかかると、にわかに雨脚が強まった。客席はたちまちカッパの赤で染まり、1回終了後の午後6時20分から23分間も中断。だが巨人ナインの心は乱れなかった。泣いても笑っても、16日まで東京には帰れない。非情の宣告に破れかぶれ。戦前から「もう何時間でも試合してやるよ」と腹が据わっていた。エース菅野は8回1失点の好投。憤懣(ふんまん)をパワーに変えた打線も4点を奪って快勝し、広島の自力Vを消滅させた。

 「本当にやるの?」 と言いたくなる気持ちはよく分かる。でも結果的に1回終了後の中断のあとはわりとすっきりと空気が澄み渡ったので、やめていたらそれはそれで「ぜんぜん試合できた」となったに違いなかった。とにかく試練の多い観戦だった。あと僕は3回の観戦が、いずれもアウェーチームの勝利で、勝率0割である。三浦、ダルビッシュ、菅野だもんなあ。別にファンではないので悔しさはないが、ホームのチームが勝って球場が大盛り上がり、というのを体験してみたかった。でももう今生はそれがかなわなそうだ。もう、たぶん、僕の今生の野球観戦は、これで終了だから。もういい。懲りた。片道3時間近くをかけて行って、席に6時間座って、人が球を投げて棒で打つのを眺めて、そして3時間近くかけて帰るの、もういい。金輪際いい。今回行ったことそのものへの後悔はなくて、自分で運転しなくていいし、チケットはタダだし、とても恵まれた機会だったと思っているが、そうして人生経験を積んだ結果、もう野球観戦はすまいと思った。とにかく、価値がぜんぜん見出せない。そもそも、やっぱり僕は、自分自身以外のなんにも、特別に好きということがないので、野球観戦をしていてもとても冷めているし、周りが盛り上がれば盛り上がるほど、それが加速していってしまう。義理の息子Bは、広島が唯一の点を取った時には、隣の席の知らない人とハイタッチをしていた。しらふで。それは僕には絶対にできないし、そういう人が(みなが一様に盛り上がるべき)場にいてしまうと、煩わしくて白けるということもよく理解しているので、やはり自分のためにも人のためにも、そういう空間からは距離を置いて生きるべきなんだとしみじみと感じた。ひとりで筋トレして泳いで温泉に浸かってるのがいちばんいい。自分が自分だけに帰依して生きていきたい。そんな人生勉強をした野球観戦を終えて、車までの道を歩いた。空腹だった。かつ丼を食べたのはもう5時間以上も前のことだった。雨が濡らした体はもうほとんど乾いていたが、蒸発しない疲労感が体を重たくしていた。ファルマンに、「これから帰るけど家に冷えているビールはあるか」とメッセージを送ったが、もう寝ているのか返信がなかった。不安なので買って帰ろうと思った。歩きながら「帰ったらビールですね」と言ったら、帰りはこちらの車に同乗する義理の息子Bも含めて、全員からちょっと不思議そうな顔でほぼスルーされた。その反応の薄さにこちらこそ不可思議な気持ちになった。帰ったらたしかに1時を過ぎる。でも食べて飲まないわけにはいかないだろう。いかないだろ、と思ったが、そんなわけにいくのがファルマン家の人々なのである。両親は、夕方に食べたふたつくらいのおにぎりで、さらに言えば昼は具のない素麺で、今日の食事を完了していたのだった。いったいどういう仕組みの体なのか。白状すれば僕は、「今日の昼は素麺」という情報を事前にキャッチして、それがファルマン家の具のない素麺であることは判っていたため、午前中にスーパーに行って、ひとり総菜のおはぎを買ってばくばく食べていた。それでもなお空腹なのである(逆に具のない素麺はあまり食べてはいないのだけども)。家に帰って食べるものが用意されているとも思えず(「だってなにか食べて帰ると思ってた」というファルマンらの見解ももっともなのだけど)、どこかで食べ物を調達しなければならない。でも運転は義父である。とても食べ物のために車を停めたりなんかしそうにない。なにしろおとといの晩は紙皿でレトルトカレーを食べた人種である。それでもせめてもの抵抗として、「俺だけ家の近所のコンビニで降ろしてくれないか、そこからは歩いて帰るから……」と提案してみるが、冗談だと思われて取り合われない。1時に帰ってからなにかを食べようとすることが、あの人たちにとっては冗談なのだ。そんなことあるか。このままなにも食べずに寝るほうがよほど冗談だろう。それで結果はどうなったか。家の近所のコンビニは見事に無言で通過され、家は寝静まり、冷えてるビールはなく、食べ物もなく(冷蔵庫はリビングにあるため、そこで寝ている犬を起さないため、夜は近づけないのである)、シャワーだけを浴びて、ひもじさに涙が出そうになりながら、布団に入った。もう俺は、二度と野球観戦に行かないのはもちろんのこと、食べ物に対する観念が低い人(そしてその人がイニシアチブを取る場合)とは、極力一緒に行動しない……、今後はずっと労働を理由にそういう企画の参加を拒み、めっちゃおろち湯ったり館に行こう……、と心に誓いながら、明朝の早い出発のための睡眠に入った。

2019年夏の島根帰省1日目

 出雲に行って、帰ってきた。僕は2泊3日。
 13日に出発したのだけど、この前日にファルマンたち(義両親・ファルマンとポルガとピイガ・次女一家3人・三女)は鳥取県の大山近くにある保養所へ泊まりに行っていて、そこから午後に自宅に帰ってくる流れだったため、時間を合わせる必要があった。
 ちなみにこの大山の保養所には以前に僕もいちどだけ行ったことがある。「KUCHIBASHI DIARY」を検索をしたら、それは2009年の8月13、14日のことで、1日のズレはあるが見事に10年前のことだった。僕とファルマンの入籍が08年8月、結婚式が09年3月、ポルガの妊娠発覚が10年5月のことなので、まあそこらへんの時期である。隔世だな。それから我々には子どもがふたりでき、次女も結婚したし娘も生んだ。そして当時は義妹たちと同室で寝ることに興奮していた25歳の僕は、「そそらねえ」という理由で参加をブッチする35歳になった。そんな風に10年間でいろいろ変わった中で、なにも変わらなかったことがひとつある。ファルマンの家の人たちは食事に対する観念が低いという点である。10年前の日記を読み返したら、到着した日の昼ごはんは、夕飯に予定していた焼肉のあとに僕が〆として焼く予定で買っておいたうどん玉(2玉)を、全員で分け合って食べるはめになったようだし、そんな昼食だったのですぐに空腹になったのにいつまでも夕飯の準備に誰も取り掛からないので、僕がひとりで焼肉の手筈を整え、ひとりで焼いて、ひとりで食べ始めていた。けなげだな(どこまでもけなげな行動なのに、なぜか「ふてぶてしい」みたいな扱われ方をするのが不条理だ)。それでもって10年後の今回の夕飯はなんだったかと言うと、家から持っていったレトルトカレーだったという。ごはんもレンチンのやつで、そしてそれを紙皿で食べたという。9人で。うん、行かなくてよかった。
 彼らの帰宅の目安が13日の15時頃とのことだったので、昼過ぎに岡山を出て3時半くらいに向こうに着くように動けばそれでよかったのだけど、そもそも僕はここの半日で、ひとり海へ行ったり温泉に浸かったりしようとしていたため、台風の影響で海レジャーの断念を余儀なくされても、それで何もしないのでは収まりがつかず、どっかいい場所はないかないかと探した結果、やまなみ街道の三刀屋ICを降りてすぐの木次という町に、公共のトレーニング室の入っているサンワーク木次という施設と、それに隣接してプールと温泉が愉しめる「おろち湯ったり館」という施設があるのを発見し、これっきゃない、と色めき立ち、8時半くらいに家を出た。かくして当地へは11時頃にたどり着く。それでまずはトレーニング室へ行き、走ったり押したり持ち上げたり、1時間あまり体を動かす。気が済んだところで湯ったり館のほうへ移る。プールと温泉が両方できるってどんな仕組みなんだろうと疑問だったが、まず更衣室があって、こっちへ行くとプール、こっちへ行くと温泉、とそれぞれ続く通路があり、プールへはもちろん水着を着て出ていく。プールは男女共用で、プールサイドの反対側には女子更衣室からの通路というのがあるのである。プールは、25メートルはなかったものの、ちゃんと泳げる程度の長さはあり、なにより遊ぶゾーンで子どもが少数遊んでいるほかは、泳ぐレーンは貸し切りだったので、自由に思う存分泳げて、とてもよかった。天井は窓になっていて自然光が入り、陽射しが気持ちよかったので背泳ぎもたくさんした。これもまた気の済むまでやり切り、最後に温泉へ。温泉へは、男子更衣室に戻り、水着を脱いで裸になって入るのである。普通に温泉に来て、服を着た状態から裸になるより、なんとなく不思議な感じがした。温泉は、露天風呂ありサウナありで、とてもよかった。出雲周辺には温泉はたくさんあるのだけど、やっぱり温泉だけだと間が持たなくて、サウナと水風呂もしたい思いがある。だからこういう、温泉でありながらスーパー銭湯みたいな施設がいちばんいい。日中で人も少なかったし、水風呂も温度表示はなかったもののかなり冷たくて、とてもよかった。体を火照らせては冷やすを何度か繰り返し、またまた気の済むまで堪能した。やー、本当によかった。この施設は大発見だ。帰省のほぼ道中なので、今後も機会があれば積極的にこのコースを巡りたい。風呂上がりにはフロントで瓶詰の木次パスチャライズ牛乳が売っていたので、もちろん飲んだ。さ、最高じゃないか。感動のあまり思わずフロントの人に、「ここは夢のような場所ですね」と感想を言ったら、「はあ、そうですか」と、サウナと水風呂に負けないくらいの温度差のある反応を返され、もうちょっとでサウナ用語でいうところの、「ととのう」ところだった。
 時刻は15時近くになり(とても長く愉しんだ)、ファルマンから「もう帰った」という連絡も入ったので、充足した気持ちで施設をあとにし、実家へと向かった。島根の実家ってわりと久しぶりのような気がして、いつ以来かと検索したら、今年の3月31日に日帰りで行っていた。その前は1年前のキャンプをしたりしたときの帰省。なんだかんだで俺はそこまで島根には滞在していないのだな。家族とは約10日ぶりの再会で、しかしお互いに特に感慨のようなものはなかった。島根の3人も、よく岡山に来るのでぜんぜん久しぶりじゃない。そんな中、次女一家とは1年ぶりだった。ピイガより学年がひとつ下の娘は、前まで人見知りが激しかったが、春から幼稚園に通いはじめた効果か、他者に対しての警戒心がぐっと下がり、別人のようだった。
 晩ごはんはおすし。僕が前日に「13日の晩ごはんはどんな予定だ」とファルマンに訊ね、もちろんその時点で決まってるはずはなかったのだが(分かってて訊いた)、それでファルマンが働きかけてくれて、すると向こうも面倒だったのか、「じゃあすしにするからパピロウが勝手に発注してよ、どうせそのほうがいいんでしょ」的に任されたので、木次で過している合間に持ち帰りの予約を入れておいたのだった。そんなわけでのおすし。もちろん文句のあるはずもなく、おいしく食べた。
 そんな感じの1日目だった。2日目は2日目でいろいろあったので、記事を分ける。とにかく木次がよかった。はっきり言って今回の帰省のハイライトは木次だ。2日目にはプロ野球観戦が待ち受けるのだが、しかし今回の帰省のハイライトは木次だった。つづく。

ひとり暮し

 ひとり暮しなので帰宅時間を気にせず、労働終わりにいつもの帰りがけにあるプールではなくて、ちょっと寄り道しないと行けない場所のプールに行った。なぜわざわざそこへ行ったかと言えば、50メートルプールで、屋外だからだ。そして労働終わりに屋外プールということがなにを意味するかと言うと、それは夕闇の中で泳げるということである。もちろん都会にあるというナイトプールのような、ふしだらな施設ではなくて、ストイックなトレーニング用プールである。当然ナイター照明があるため、プールそのものは見通しがいい。しかし暮れ泥む空の下で泳ぐのは新鮮な感覚で、月曜日に初めて行って感動し、木曜日にも再訪した。たぶんこの2回が今年の夕闇プールの全てになるだろう。屋外は夏休み期間中だけの営業なのである。木曜日は気の済むまで泳ごうと張り切り、とうとう1000メートルを泳いだ。いっぺんにその距離を泳いだのはこれが初めてだった。
 更衣室では中学生くらいの少年たちが、わあわあ騒ぎながら着替えていた。話の内容は、たばこと酒とマスターベーションとチン毛とマンコだった。健全だなー、と思った。中学生男子がそれらの話をはしゃぎながらしているのって、なんかすごく健全なことのように思えた。僕は中学生の頃、ぜんぜんそんな話はしていなかった。じゃあどんな話をしていたのかと振り返るが、ろくに覚えていない。もちろん思春期の悶々は始まっていて、マスターベーションだってそれなりに始めていたが、自意識が強く、それは話のテーマとして友達と語り合える次元の話ではなくて、ドロドロと重たいカルマ以外の何物でもなかった。中学時代にあんなに明け透けに性的なことを友達と話せていたら、僕の童貞喪失はもっと格段に早かったし、高校だって男子校じゃなかったんじゃないかと、健全な水泳男子たちを目の当たりにして思った。それにしても中学生男子って、もうダブルスコアどころの年齢差じゃなく、ぜんぜん普通に親子くらいの関係性になってきたのだな。信じられない。悪そうな中学生がいると、どうしても(カツアゲされるかもしれない……)とビクつく心があるのだが、実はもうそれはカツアゲじゃない。オヤジ狩りだ。なんてこったよと思う。
 そんな感じで、ひとり暮しはそれなりに堪能しつつ、しかし3、4日経つとさすがに寂しさ(ひとり暮しスタートのときさんざん寂しさをジョークにしたため嘘くさくなるが、本当の意味で)がじわじわと湧いてきた。とは言え離れる前は本当にうんざりもしていたので、まあやっぱり半年にいちどくらい、こういう期間があるというのはいいことのように思う(ファルマンにはそれがないのです。大変だと思います)。
 現在金曜日の夜で、ここから休みだと9連休で、当初の予定ではそうだったのだが、いろいろあって明日も明後日も出勤である。しかしまあ9連休もあると2日くらいは別にいいよ、という気持ちになる。そこに付け入られた、ともいえる。でも本当に、9マイナス2で7連休って、書店員時代を考えればありえない事態なので、精神衛生上、その心は忘れずにいようと思う。
 労働がそんななので、労働を理由に参加できないということにした島根での外泊も、(本当を言えば参加できるのだけど)、あながち嘘ではなくなった。ファルマンは親に嘘をついたことに忸怩たる思いを抱いていたが、いくらか気持ちが救われただろう。ちなみにファルマンと言えば、昨日8月8日は結婚記念日だった。お互いすっかり忘れていて、ファルマンがなぜか父親から指摘されて思い出したという。そんな11周年だった。
 それにしても「hophophop」にも書いたが、お盆期間中の台風10号の予測進路、マジでヤバくないか。海水浴は完全にもうあきらめたが、問題は野球観戦だ。マツダzoomzoomスタジアム、当該の試合は開催されるのだろうか。今回ずいぶんいい席のチケットらしいのだが、それは義父の勤める会社の福利厚生みたいなやつで、社員内での抽選で引き当てたもので、そこへ今回、妻とふたりの義理の息子という4人で行く予定になっているのである。もう嘱託という身分の義父が再びチケットを引き当てることは今後たぶんもうなくて、息子を持たなかった義父が、義理ながら息子たちと野球観戦ということができる千載一遇のチャンスであり、先日の世羅での受け渡しの際も、「観戦愉しみだな! 昼間っから行って練習見ような!」とキラキラした笑顔で言っていたので、それが台風で中止になったら、なんかさすがにかわいそうすぎて居た堪れない。そう思う一方で、義理の息子Aは、中止なら思いきり中止になってくれたほうがいいなあ、小雨が降ったりする中での、視界も悪い、ビールも美味しくない、風邪を引く恐怖に苛まれる観戦なんて本当に嫌だなあ、なんてことも思ったりする。さあどうなりますことやら。

妻子の帰省

 妻子が帰省する。わりと早い気もするが、暑さでろくに外へも出られない状況で、こちらでの夏の過し方をあぐねた結果である。それがいいと思う。向うへ行けば従妹もいるし(上の妹とその娘はさらに早く帰省しているのだった)、犬もいるし、ばあばが車でどこかへ連れてってくれもするだろう。
 今日はそれを途中まで送った。島根帰省の最近の定番となりつつある、3人の輸送において行きか帰りかどちらかの道程を義父と分け合うという例のパターンで、尾道の少し上、世羅まで僕の車で連れていき、当地の道の駅で義父母と落ち合って、そこで3人と荷物を受け渡した。片道1時間半ほどのドライブだった。子どもたちは約10日の僕との別離のことなんか、ぜんぜん気にしていないようで、実際たぶん世羅から、向こうの車は島根方面、僕の車は再び尾道方面の道へとそれぞれ分かれた瞬間に、子どもたちの頭の中から僕という存在はきれいさっぱり消え去ったろうと思う。そして10日間、本当にいちども思い出したりなんかしない。叔母や従妹や犬のことで頭はもう埋め尽くされていて、僕の入り込む余地なんてまるでないのだ。
 ああ寂しい。うん、寂しい。寂しくてしょうがない。昨日の夜から、目からなにかがちょちょぎれるな、なんだろう、なにがちょちょぎれてるんだろうな、と不思議に思っていたが、しばらくしてそれが涙なんだと気づいた。それくらい寂しい。とめどなく溢れる涙でにじむ視界で事故を起こさないように、サングラスをかけて、落語を再生して、フンフフーン♪とひとりのドライブを愉しんだ。
 家に帰る前に寄り道をして、たぶん寂しかったからだろう、とんかつ屋さんへ寄ってかつ丼を食べた。前日から昼はそう決めていたので、世羅で義父母たちが買って食べていた巻きずしは、たぶん寂しかったからだろう、きっぱりと断った。かつ丼はおいしかった。それで腹ごしらえをしたあとは、たぶん寂しかったからだろう、スーパー銭湯に寄った。これも事前に計画していて、タオルなどの準備もしっかりしてきていた(最近はプールやジムで風呂を済ませるため、出先用のそういうグッズが整っているのだ)。お湯はまあまあ気持ちよかった。ちなみにファルマンが「私たちを送ったあとはどう過すの?」と昨晩訊いてきたので、「かつ丼食べて銭湯行く!」と答えたら「堪能してんな!」と言われた。そう妻に感じさせる優しさ。翳りを見せない強さ。そのあとディスカウントショップに寄ったり、スーパーに寄ったり、たぶん寂しかったからだろう、けっこういろいろ寄り道をして帰った。
 帰ったら、子どもたちがドタバタしない、物を散らかしもしない、すっかり空虚になってしまった居間へ、哀しい隙間を埋めるように、ダンベルとかベンチとかメディシンボールとか、いろいろ置いた。ああ寂しい。これから1週間以上、これらを片付けることなく、好きなときに好きなように使えるのか。寂しい。寂しいなあまったく! 明日の労働終わりは牛丼食べてプールに行こうっと!