妻子の帰省

 妻子が帰省する。わりと早い気もするが、暑さでろくに外へも出られない状況で、こちらでの夏の過し方をあぐねた結果である。それがいいと思う。向うへ行けば従妹もいるし(上の妹とその娘はさらに早く帰省しているのだった)、犬もいるし、ばあばが車でどこかへ連れてってくれもするだろう。
 今日はそれを途中まで送った。島根帰省の最近の定番となりつつある、3人の輸送において行きか帰りかどちらかの道程を義父と分け合うという例のパターンで、尾道の少し上、世羅まで僕の車で連れていき、当地の道の駅で義父母と落ち合って、そこで3人と荷物を受け渡した。片道1時間半ほどのドライブだった。子どもたちは約10日の僕との別離のことなんか、ぜんぜん気にしていないようで、実際たぶん世羅から、向こうの車は島根方面、僕の車は再び尾道方面の道へとそれぞれ分かれた瞬間に、子どもたちの頭の中から僕という存在はきれいさっぱり消え去ったろうと思う。そして10日間、本当にいちども思い出したりなんかしない。叔母や従妹や犬のことで頭はもう埋め尽くされていて、僕の入り込む余地なんてまるでないのだ。
 ああ寂しい。うん、寂しい。寂しくてしょうがない。昨日の夜から、目からなにかがちょちょぎれるな、なんだろう、なにがちょちょぎれてるんだろうな、と不思議に思っていたが、しばらくしてそれが涙なんだと気づいた。それくらい寂しい。とめどなく溢れる涙でにじむ視界で事故を起こさないように、サングラスをかけて、落語を再生して、フンフフーン♪とひとりのドライブを愉しんだ。
 家に帰る前に寄り道をして、たぶん寂しかったからだろう、とんかつ屋さんへ寄ってかつ丼を食べた。前日から昼はそう決めていたので、世羅で義父母たちが買って食べていた巻きずしは、たぶん寂しかったからだろう、きっぱりと断った。かつ丼はおいしかった。それで腹ごしらえをしたあとは、たぶん寂しかったからだろう、スーパー銭湯に寄った。これも事前に計画していて、タオルなどの準備もしっかりしてきていた(最近はプールやジムで風呂を済ませるため、出先用のそういうグッズが整っているのだ)。お湯はまあまあ気持ちよかった。ちなみにファルマンが「私たちを送ったあとはどう過すの?」と昨晩訊いてきたので、「かつ丼食べて銭湯行く!」と答えたら「堪能してんな!」と言われた。そう妻に感じさせる優しさ。翳りを見せない強さ。そのあとディスカウントショップに寄ったり、スーパーに寄ったり、たぶん寂しかったからだろう、けっこういろいろ寄り道をして帰った。
 帰ったら、子どもたちがドタバタしない、物を散らかしもしない、すっかり空虚になってしまった居間へ、哀しい隙間を埋めるように、ダンベルとかベンチとかメディシンボールとか、いろいろ置いた。ああ寂しい。これから1週間以上、これらを片付けることなく、好きなときに好きなように使えるのか。寂しい。寂しいなあまったく! 明日の労働終わりは牛丼食べてプールに行こうっと!