2019年夏の島根帰省1日目

 出雲に行って、帰ってきた。僕は2泊3日。
 13日に出発したのだけど、この前日にファルマンたち(義両親・ファルマンとポルガとピイガ・次女一家3人・三女)は鳥取県の大山近くにある保養所へ泊まりに行っていて、そこから午後に自宅に帰ってくる流れだったため、時間を合わせる必要があった。
 ちなみにこの大山の保養所には以前に僕もいちどだけ行ったことがある。「KUCHIBASHI DIARY」を検索をしたら、それは2009年の8月13、14日のことで、1日のズレはあるが見事に10年前のことだった。僕とファルマンの入籍が08年8月、結婚式が09年3月、ポルガの妊娠発覚が10年5月のことなので、まあそこらへんの時期である。隔世だな。それから我々には子どもがふたりでき、次女も結婚したし娘も生んだ。そして当時は義妹たちと同室で寝ることに興奮していた25歳の僕は、「そそらねえ」という理由で参加をブッチする35歳になった。そんな風に10年間でいろいろ変わった中で、なにも変わらなかったことがひとつある。ファルマンの家の人たちは食事に対する観念が低いという点である。10年前の日記を読み返したら、到着した日の昼ごはんは、夕飯に予定していた焼肉のあとに僕が〆として焼く予定で買っておいたうどん玉(2玉)を、全員で分け合って食べるはめになったようだし、そんな昼食だったのですぐに空腹になったのにいつまでも夕飯の準備に誰も取り掛からないので、僕がひとりで焼肉の手筈を整え、ひとりで焼いて、ひとりで食べ始めていた。けなげだな(どこまでもけなげな行動なのに、なぜか「ふてぶてしい」みたいな扱われ方をするのが不条理だ)。それでもって10年後の今回の夕飯はなんだったかと言うと、家から持っていったレトルトカレーだったという。ごはんもレンチンのやつで、そしてそれを紙皿で食べたという。9人で。うん、行かなくてよかった。
 彼らの帰宅の目安が13日の15時頃とのことだったので、昼過ぎに岡山を出て3時半くらいに向こうに着くように動けばそれでよかったのだけど、そもそも僕はここの半日で、ひとり海へ行ったり温泉に浸かったりしようとしていたため、台風の影響で海レジャーの断念を余儀なくされても、それで何もしないのでは収まりがつかず、どっかいい場所はないかないかと探した結果、やまなみ街道の三刀屋ICを降りてすぐの木次という町に、公共のトレーニング室の入っているサンワーク木次という施設と、それに隣接してプールと温泉が愉しめる「おろち湯ったり館」という施設があるのを発見し、これっきゃない、と色めき立ち、8時半くらいに家を出た。かくして当地へは11時頃にたどり着く。それでまずはトレーニング室へ行き、走ったり押したり持ち上げたり、1時間あまり体を動かす。気が済んだところで湯ったり館のほうへ移る。プールと温泉が両方できるってどんな仕組みなんだろうと疑問だったが、まず更衣室があって、こっちへ行くとプール、こっちへ行くと温泉、とそれぞれ続く通路があり、プールへはもちろん水着を着て出ていく。プールは男女共用で、プールサイドの反対側には女子更衣室からの通路というのがあるのである。プールは、25メートルはなかったものの、ちゃんと泳げる程度の長さはあり、なにより遊ぶゾーンで子どもが少数遊んでいるほかは、泳ぐレーンは貸し切りだったので、自由に思う存分泳げて、とてもよかった。天井は窓になっていて自然光が入り、陽射しが気持ちよかったので背泳ぎもたくさんした。これもまた気の済むまでやり切り、最後に温泉へ。温泉へは、男子更衣室に戻り、水着を脱いで裸になって入るのである。普通に温泉に来て、服を着た状態から裸になるより、なんとなく不思議な感じがした。温泉は、露天風呂ありサウナありで、とてもよかった。出雲周辺には温泉はたくさんあるのだけど、やっぱり温泉だけだと間が持たなくて、サウナと水風呂もしたい思いがある。だからこういう、温泉でありながらスーパー銭湯みたいな施設がいちばんいい。日中で人も少なかったし、水風呂も温度表示はなかったもののかなり冷たくて、とてもよかった。体を火照らせては冷やすを何度か繰り返し、またまた気の済むまで堪能した。やー、本当によかった。この施設は大発見だ。帰省のほぼ道中なので、今後も機会があれば積極的にこのコースを巡りたい。風呂上がりにはフロントで瓶詰の木次パスチャライズ牛乳が売っていたので、もちろん飲んだ。さ、最高じゃないか。感動のあまり思わずフロントの人に、「ここは夢のような場所ですね」と感想を言ったら、「はあ、そうですか」と、サウナと水風呂に負けないくらいの温度差のある反応を返され、もうちょっとでサウナ用語でいうところの、「ととのう」ところだった。
 時刻は15時近くになり(とても長く愉しんだ)、ファルマンから「もう帰った」という連絡も入ったので、充足した気持ちで施設をあとにし、実家へと向かった。島根の実家ってわりと久しぶりのような気がして、いつ以来かと検索したら、今年の3月31日に日帰りで行っていた。その前は1年前のキャンプをしたりしたときの帰省。なんだかんだで俺はそこまで島根には滞在していないのだな。家族とは約10日ぶりの再会で、しかしお互いに特に感慨のようなものはなかった。島根の3人も、よく岡山に来るのでぜんぜん久しぶりじゃない。そんな中、次女一家とは1年ぶりだった。ピイガより学年がひとつ下の娘は、前まで人見知りが激しかったが、春から幼稚園に通いはじめた効果か、他者に対しての警戒心がぐっと下がり、別人のようだった。
 晩ごはんはおすし。僕が前日に「13日の晩ごはんはどんな予定だ」とファルマンに訊ね、もちろんその時点で決まってるはずはなかったのだが(分かってて訊いた)、それでファルマンが働きかけてくれて、すると向こうも面倒だったのか、「じゃあすしにするからパピロウが勝手に発注してよ、どうせそのほうがいいんでしょ」的に任されたので、木次で過している合間に持ち帰りの予約を入れておいたのだった。そんなわけでのおすし。もちろん文句のあるはずもなく、おいしく食べた。
 そんな感じの1日目だった。2日目は2日目でいろいろあったので、記事を分ける。とにかく木次がよかった。はっきり言って今回の帰省のハイライトは木次だ。2日目にはプロ野球観戦が待ち受けるのだが、しかし今回の帰省のハイライトは木次だった。つづく。