ポルガ8歳の祝い

 22日が誕生日のポルガの祝いを、日曜日の今日に行なった。
 誕生日プレゼントをまだ買っていなかったので、今日のうちに調達しなければならない。前々からリクエストを訊ねていたが、「なんかおもちゃ」というぼんやりとした答えしか返ってこず、これは要するにあれだな、本人なんにも浮かんでないな、と判断して、こちらで選定することにした。というわけで品物は自転車に決まる。これまで使用していたファースト自転車がさすがにそろそろ小さくなり、と言うか先ごろ三輪車を卒業したピイガに、いまのポルガの自転車をお下がりしてやる必要性が出てきたので、そこから弾かれたポルガに新しい自転車を与えなければならなくなっていたのだった。自転車はどうせ買わなければならないものなのだが、それが誕生日プレゼントという名目と結びつくのならば、買う親としては願ったり叶ったりな話であることは言うまでもない。
 そんなわけで今日は、午前中に近所の店へ、夜のパーティーのための食材を買いに行ったあと、ちゃっちゃと昼ごはんを済ませ、そののちに僕とポルガだけで車に乗り、後部座席を倒して、自転車に乗っては帰れない距離にある自転車屋へ繰り出した。実は買うあてのものは先週に行って目星をつけていた。そのため、入店してこんなスピードで自転車を購入する客がいるものか、という速度で「これください」と話を進めた。買ったのは22型の、紺色ボディーのシンプルなもの。ライトが真ん中にあるタイプで、シュッとしていてかっこいい。俺が子どもの頃にはこんな垢抜けたデザインのものはなかった、と思った。今でも、そんな風に垢抜けていない、ピンクやエメラルドグリーンの、少女趣味のけばけばしいタイプのものも売っているのだが、幸いポルガはそんなものには見向きもしないのだった。3色の中から選べるカゴも、白や明るい茶色ではなく、「黒」と即答していた。紺色に黒いカゴ。飽きが来ず、とてもいいんじゃないかと思う。軽自動車へは、さすがに立てては乗らなかったので、横倒しに乗せて帰った。
 帰ってから、さっそく自転車の試運転をすることにし、それならばということで、近所のホームセンターへ、これまでのポルガの自転車を持っていき、ピイガのために再びそれへ補助輪を取り付けてもらう、ということをする。だから今日は、誕生日プレゼントとしてポルガが自転車を手に入れると同時に、お下がりではあるけれど、ピイガも自分の自転車をゲットした日になった。ポルガは、これまでよりも大きな自転車に、はじめのうちはこぎにくそうにしていたが、やがてすぐに慣れていた。ピイガも補助輪付きなので、当然こげる。ふたりともが自転車に乗れるのはいいが、しかしこの状態は大人ひとりではとても世話をしきれないな、とも思った。特にピイガは三輪車時代から、乗り物を操作するとなると暴走する癖があるため、気が抜けない。
 帰宅後は急いでケーキ作りに取り掛かる。今年のポルガの誕生日ケーキは、これまでのドーム型のヒット君頭部ケーキから趣向を変え、ヒット君の全身像を平面で作ることにした。買ってきた6号のスポンジを、いいようにカットしてヒット君の形を作り、あとは通常のケーキと同じで、苺を挟んだりクリームを塗りつけたりする。そしてチョコペンで顔を描いて完成。予期していたよりもだいぶ、きちんとヒット君の形のケーキに仕上げることができた。
 夕飯のメニューはたこ焼き。これはポルガの熱心なリクエストによるもので、家で作るたこ焼きは面倒くささが強いのだが、たこ焼きが大好きな娘の誕生日くらいは、と一念発起して決行した。してみたら思っていた以上に美味しく、愉しめた。ちょっと一時期やけにホームたこ焼きを頻繁にしていた時期というのがあり、そのせいで食傷気味になっていたのだが、間を空けてみたらぜんぜん悪くないものだった。これからは4ヶ月にいちどくらいはやってもいい気がした。
 そんなわけでポルガも8歳(正確には2日後)。まだ8歳。ハリーポッターの映画が、作りものだと理解していない、そんな8歳という愛しい生き物である。この1年も健やかに成長しますように。

バタバタ3連休

 3連休の初日は、体力的に余裕があるし、「この3連休を満ち足りたものにしたい」という高い志もあるため、いつもよりちょっと大掛かりなことがしたくなる。それで大型公園に繰り出そうとか、近ごろ発見した近隣の温水プールに行こうだとか、いろいろ発案したのだけど、寒いだとか、ファルマンの月経だとか、いろんな諸事情により、結局カラオケになった。まあ冬場はカラオケで満足するほかない。どうせボヤボヤしているうちに冬は去り、じきに屋外で遊べるようになる。焦ることはないのである。
 というわけでいつものカラオケ屋に赴いて、唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、「硝子坂」(高田みづえ)。2度目の歌唱。イントロがいいのでオープニングにふさわしいと思ってセレクトした。喉慣らしにもちょうどよかったと思う。
 2曲目、「ヒトリゴト」(ClariS)。アニメはぜんぜん知らないパターン。曲を聴いて、これはいいと思って唄った。しかし妻と娘とのカラオケでこれを唄っても、「おっ、パピロウさん、クラリスを唄いますか」みたいな感じは一切ないのでなんの意味もない。
 3曲目、「Bedtime Story」(西野カナ)。活動休止宣言を受けての歌唱。なんだかんだで西野カナの歌はいろいろ唄ってきたので感慨深い。
 4曲目、「夜桜お七」(坂本冬美)。昨年の紅白での歌唱を目にして、自分側の機が熟したということだろう、やけに感動して、唄いたくなった。サビの部分がめっぽう気持ちよかった。サビじゃない部分のリズムや間をどうにかするのが難しく、ここに修行の必要があると思った。
 5曲目、「恋人試験」(松本ちえこ)。有線でたまに流れて、常々なんだこりゃと思っていたこの曲を、とうとう唄ってみた。とても唄いやすかった。職場で有線が流れるわけではないファルマンも「ああこの歌ね」と知っていて、姉さん女房の馬脚が現れたな、と思った。
 6曲目、「どうせ死ぬなら」(あいみょん)。あいみょんの初歌唱。あいみょんはなんだかんだで昨秋からよく聴いている。あいみょんいいよね。現代の若い女の子の感性とフォークソングが融合した感じで、とてもいい。
 7曲目、「Dokkin 魔法つかいプリキュア!」(北川理恵)。プリキュアのオープニングソング全曲集みたいのを借りて、年末は車内で聴きまくっていた。その中でいちばん気に入ったこれを唄った。妻と娘たちは、例の地方局での再放送で、「スマイルプリキュア」と「ドキドキプリキュア」には詳しいが、それ以外のプリキュアに関してはまだ思い入れがなく、そんな中で父親の唄う「魔法つかいプリキュア」はどこまでも浮いていた。家族相手にさえ浮くカラオケなんて、僕の孤独はいったいどの境地まで行くのだろうか。
 カラオケのあとは100均に寄って、来たるべきポルガの誕生日祝いのためのパーティーグッズなど買った。その店内で職場のおばさんにバッタリと出会い、それはいつも娘たちにお菓子や、家で栽培しているプチトマトをくれたりする人だったので、常々どうにかして対面させてやりたいと思っていて、期せずしてそれが叶い、とてもよかった。とは言えうちの娘たちの、他者への心の開かなさ、愛想のなさ。特にピイガ。人見知りとか、引っ込み思案とかではなく、あいつの知らない大人への基本姿勢は、もはや敵対心である。眼光鋭く、睨みつけるのである。いったいこれまでの人生で、知らない大人になにをされたというのか。
 帰宅後は家でのんびりしていた。3連休の外出計画はこれで終了してしまい、翌日の午前に冷蔵庫の搬出と搬入がある以外は、特になんの用事もなかった。それで、さあどうするかな、と茫洋と構えていた。そんなタイミングで夕方に、ファルマンの母方の祖母が亡くなった、という連絡が入った。我々の祖母となるともう90くらいであり、そして年末あたりからそういう話はあったので、衝撃はなかった。これを書いている3連休最終日の現在はその真っ最中だが、3連休の後半はそれに関する準備とかでバタバタした。している。

連休の終わり

 長かった連休が終わりを告げようとしている。と言うより、連休最後の日曜日である今日という日を僕は、ただの日曜日と捉えて過していたので、そういう意味では「連休」は、昨日かおとといあたりに終わっていた。だからなんだ、と言われても困るが、たぶんそうやって、連休がその灯を消す寂寥感を、なるべく分散させているのだと思う。あれだ、なんかあの、虐待とかされた子どもの、心の作用みたいなやつ。あれの一種。
 帰省から戻ってきてからの日々は、ピイガの5歳の誕生日祝いをしたり、そのための買い出しをしたり、餃子を作ったり、図書館へ行ったり、ガソリンスタンドで洗車をしたり、地に足のついた献立を渇望して殊更に家庭料理らしい家庭料理を時間をかけて作ったり、干支4コマ2019をやったり、ポルガのためにハリーポッターのローブを作ろうと型紙を起したり、なんかまあだいたいそんなようなことをして暮した。この日々が本格的に始まる前に、のんべんだらりとして無駄にしないようにしようと意気込んだが、結果として、のんべんだらりとはしなかったが、とことんのんびりと過した。すなわち堕落はしなかったが、特になにかに取り組むということもしなかった。まあ後悔はないのでよしとするか。酒は毎晩きちんと飲んだ。体重は今のところそう増えた様子はない。休肝日は近日中に設けようと思う。そして夫婦揃って、大人のくせに、家族以外の人間との用件で外に出るということを、いちどもしなかった。とことん家族でいた。子どもたちはいつものことながら、どこまでもかわいいが、どこまでもうるさい。そして部屋のドアを閉めない。寒いから閉めろということを、この連休で僕はなんど言っただろう。100回くらい本当に言ったかもしれない。なのに閉めない。連休1日目と、連休最終日の、子どもたちの「ドア閉めレベル」は、まったく同一だと思う。つまり俺の100回の注意は、見事なまでにこの世になんの作用ももたらさなかったのだ。ただ放たれ、ただ失した。でも人の人生って、結局そんなものかもしれない。100回の注意は、子どもたちの心をまるで研磨しなかった替わりに、僕の精神をひとつ高みへと押し上げたのかもしれない。これはそういう説法なのかもしれない。寒いのだからして、お願いだから閉めてほしい。
 今年の目標として、ブックオフの年明けセールで、漢字検定準1級のテキストを見つけて購入したので、試験を受けるかどうかは別として、その勉学にちょっと励もうと思っている。どうせ誰にも読まれないブログを運営するのならば、いっそのこと普通の人がなかなか読めないような漢字を多用することで、それのせいで人に読まれないのだと、原因が先か結果が先かみたいな幻惑効果を意図的に発生させ、人望のなさの原因の在り処を有耶無耶にしたい。おもしろいおもしろくないじゃない、読めないのだと。これを草枕作戦と名付け、今年のテーマとしたい。

帰省後半(2019年パート)

 2019年の朝を迎える。大晦日に行きそびれた鎌倉を、替わりに今日にすれば、鶴岡八幡宮で初詣もでき、観光とそれで一挙両得なのではないかという腹案があったが、ウェブで情報を探ったところ、元日の鶴岡八幡宮なんて幼児を連れて参拝できるレベルじゃないっぽいぞ、と察知して取り止めた。鶴岡八幡宮に行かなくても鎌倉の街だけ行ければそれでいいのではないかとも思ったが、横須賀線からして混みそうな予感もあり、諦めた。
 それでお雑煮や、「おせちというわけではないがおせち的なおかず」の朝食を済ませたあとは、姉一家から返却されてきたポルガも含めた我が家4人と、祖母と母とで、近所の小さな神社に歩いて初詣に行った。好天で気持ちのよい散歩となった。神社は住宅街の中にあり、神主がいて祈祷の間があるような、そういう神社でなく、社と、普段は無人だろう社務所に今日だけはバイトの巫女さんがいる、という感じの所なのだが、それでもずいぶんな行列ができていた。並び始めて参拝するまで30分ほどかかり、ポルガは文句たらたらだった。この神社でこれだとすれば、今日の鶴岡八幡宮に行っていたらどんなことになっていただろう、と思った。参拝のあと、おみくじ。子どもたちにそれぞれ引かせ、ポルガが末吉、ピイガが小吉という、なんとも慎ましやかな結果だった。「貞節を持っておとなしめに過せ」みたいな、ふたりには厳しそうな忠告がつらつらと記されていた。
 それから帰り道にあった公園に立ち寄り、しばし子どもたちを遊ばせる。好都合にも鉄棒のある公園だったので、ピイガの鉄棒に興じるさまを、こちらのババア共に見せてやることができてよかった。「本当にすごい」と驚嘆していた。
 帰宅して、昼ごはんを食べたら、もう2時くらいになっていた。鎌倉に行かない分、せめて港北ニュータウンのショッピングセンターくらいには繰り出そうかと思っていたが、なんだかもうそれさえ億劫になり、家のきわめて近くにあるブックオフの初売りセールにファルマンとふたりで行ったほかは、結局どこにも行かなかった。というわけで、この3泊4日は、本当にずっと家の界隈で過したのだった。ここまでどこにも繰り出さなかった帰省は初めてだと思う。もったいない、とも思うが、子どもを連れて横浜だの渋谷だのに出るって、相当な動機がなければなかなか難しい。
 晩ごはんは手巻き寿司。芸能人格付けチェックなどをワハハと眺めながら、美味しく食べる。なんとも平和な正月なことだ。
 初夢は、もうあんまり覚えていないのだけど、評判の温泉があるというので、けっこうな険しい道を抜けて言われた場所に行ったら、源泉の勢いが弱まっているのか、地面を湿らす程度にしか湯が出ていなくて、しょぼくれた気持ちになる、というものだった。く、暗い……。
 翌日は10時前に新横浜を出発する新幹線だったので、朝ごはんを食べたらすぐに出発するような感じ。これをゆとりを持とうとして午後にすると、午前の間ただダレて過すはめになるというのは経験則として知っているので、少々せわしないがその時刻にしたのだった。次に来るのは夏か。あるいは10連休とも言われるGWか。
 こちらの自宅に舞い戻ったのは13時半ごろ。そうなのだ、移動が明るいうちに終わるというのも、早い時刻の出発のいいところなのだ。暗い中での移動は、やっぱり精神的に来る部分がある。そしてこの時期、向うを昼過ぎに出たら、こちらに着く頃には暗くなるので、それを回避するためにはあの時間に出るしかない。
 そしてこの作戦をとると、こちらで「午後」がきちんと取れるのもいい。帰宅してひと息ついたあとは、ブックオフやスーパー、そして2日後に迫るピイガの誕生日祝いのための物品を買いに、車で出かけた。横浜でも少しだけ車を運転したが、ブックオフの駐車場に停めるときなど、なかなかに緊張した。それに対して自分の車はさすがに運転しやすかった。買い物は首尾よく終わり、夕飯を作る気概はもちろんなかったので、かつ丼を買って帰った。実家では、正月ということもあり魚介類が多かったので、肉と飯の感じに渇望していた。かつ丼は普段から好きだけど、これは特に美味しく感じ、くらくらするほどだった。

帰省前半(2018年パート)

 3泊4日の横浜帰省より戻る。あけおめことよろ。
 12月30日の午前に移動を開始した。新幹線内では、マグネットの将棋盤や、ダウンロードしたプライムビデオのドラえもんなど、これまでの経験から導き出されたさまざまなアイテムを駆使して、子どもらの気を紛らわした。なぜ子どもが退屈しないよう、こちらがそこまで接待してやらねばならないのかという話だが、子どもが退屈して喚き出すとこちらに重いダメージが来るので、子どもへの奉仕は自分たちの体力への奉仕に他ならないのだった。結果として、まあまあ快適に3時間を過ごすことができた。
 昼過ぎに新横浜駅に着いたあとは、市営地下鉄であざみ野へ、といういつもの流れから今回は少しだけ逸脱し、ひとつ前の中川駅で降りる。5月にさんざん周辺を歩いた中川駅に、今度は家族とともに降り立ち、なにをしたのかと言えば、「おっさんずラブ」の撮影に使われていた駅前の歩道橋を、ファルマンが堪能したのである。いわゆる聖地巡礼というやつだ。歩道橋なんかに行ってなにをするんだろうと思っていたら、特になにもせず、どうやら撮影に使われた空間に身を置くだけで、深い満足をするものらしかった。こういうファン心理は本当によく解らない。それからまた一駅のために地下鉄に乗るのは億劫なので、母による車での迎えをこちらまで頼んだ。「なんでまた中川駅?」という当然の問いに、「ファルマンが「おっさんずラブ」の聖地巡礼をするためだ」と正直に伝えた。母はもちろん観ていなかったし、内容もよく知らないようだった。
 実家には祖母と叔父がいた。5月の帰省の翌日ではないかと思うほどに、変わり映えのしない情景だった。あまりにも変化のない実家だが、もはや空気が澱むほどの呼吸もしていない感があり、なんだか変に悠然としていて、もう半分霊界に足を突っ込んでいるような、スッとした清廉さまで漂い始めていると思った。
 ほどなくして姉一家がやってきて、子どもたちだけ置いて、自分たちはふたりで買い物へ行くという、相変わらずの実家使いで去ってゆく。そのため午後はいとこ4人がやかましく遊ぶのを、眺めるともなく、面倒を見るともなく、なんとなく漫然と過した。2歳や3歳ではないので、姪にも甥にも7ヶ月でそこまでの変化は見られなかった。ニンテンドースイッチで、マリオカートをするのはいいが、ユーチューバーの動画を観たりするのは本当にやめてほしいと思った。
 晩ごはんは母手製のピザを中心にしたメニュー。相変わらず実家の献立に白米は登場しないのだった。あと我が家からの御年賀として、楽天であん肝を注文し、年末に実家の住所に届けてあったので、贈ったもので、しかも御年賀なのだが、ぜんぜん我慢できずにそれも出して食べた。ねっとりとしていて、プリン体とかそういうことを考えると罪悪感が湧いたが、年末年始なんだからいいじゃないか、と思いながら日本酒とともに愉しんだ。
 翌日は、本来ならば帰省の折の関東レジャーということで、今回は鎌倉に行ってみようではないかという計画を立てていた。しかしながら姉一家がきちんとこっちに来られるのは31日か1月2日ということで、2日はもう午前に我々は岡山に帰るので、じゃあ31日に集うしかないということになり、計画は取りやめになった(ちょっとくらい事前に打ち合わせをしておくべきだった)。それで31日は昼から姉一家を迎え、卓を囲んだ。姉一家がやってくるということは、義兄がやってくるということで、義兄という人間との交流は、いつもながら衝撃の連続だった。僕のLINEの友達の数が16人だと話したら仰天されて、じゃあ義兄は何人なのだと訊ねたら、「何人かとか見たことない。そんなのどうやったら見られるの?」という答えが返ってきて、そうか、友達が多い人間は、LINEの友達の数なんて気にしないのか、と目から鱗が落ちた。結果的にその数字は、まさかの700オーバーで、LINEの友達が16人しかいない人間の見える世界と、700人以上いる人間の見える世界は、本当にぜんっぜん違うんだろうな、と思った。700人もいれば、冗談じゃなく太陽系の他の惑星に行った奴もいるだろうと思う。
 夕方になり、紅白が始まるくらいのタイミングで、姉一家はお泊りのポルガを連れて帰っていった。それから残ったピイガはすぐに寝たので、紅白はとても静かな環境でじっくりと観ることができた。今年は、とても見応えのある、いい紅白だったと思う。最後の、桑田佳祐と北島三郎とユーミンの感じなんて、平成日本を生き抜いたことのご褒美のような愉しさがあった。紅白がいいとこんなに満ち足りた気持ちで1年を終えることができるのか、と思った。しかしそのあとチャンネルを変えて観ていたジャニーズカウントダウンライブで(なんだかんだでカウントダウンは毎年これになる)、マリウス葉がステージから落ちたのを目にして、安否が判らず、モヤモヤしたまま年を越すはめになった(結果的に無事でよかった)。