帰省前半(2018年パート)

 3泊4日の横浜帰省より戻る。あけおめことよろ。
 12月30日の午前に移動を開始した。新幹線内では、マグネットの将棋盤や、ダウンロードしたプライムビデオのドラえもんなど、これまでの経験から導き出されたさまざまなアイテムを駆使して、子どもらの気を紛らわした。なぜ子どもが退屈しないよう、こちらがそこまで接待してやらねばならないのかという話だが、子どもが退屈して喚き出すとこちらに重いダメージが来るので、子どもへの奉仕は自分たちの体力への奉仕に他ならないのだった。結果として、まあまあ快適に3時間を過ごすことができた。
 昼過ぎに新横浜駅に着いたあとは、市営地下鉄であざみ野へ、といういつもの流れから今回は少しだけ逸脱し、ひとつ前の中川駅で降りる。5月にさんざん周辺を歩いた中川駅に、今度は家族とともに降り立ち、なにをしたのかと言えば、「おっさんずラブ」の撮影に使われていた駅前の歩道橋を、ファルマンが堪能したのである。いわゆる聖地巡礼というやつだ。歩道橋なんかに行ってなにをするんだろうと思っていたら、特になにもせず、どうやら撮影に使われた空間に身を置くだけで、深い満足をするものらしかった。こういうファン心理は本当によく解らない。それからまた一駅のために地下鉄に乗るのは億劫なので、母による車での迎えをこちらまで頼んだ。「なんでまた中川駅?」という当然の問いに、「ファルマンが「おっさんずラブ」の聖地巡礼をするためだ」と正直に伝えた。母はもちろん観ていなかったし、内容もよく知らないようだった。
 実家には祖母と叔父がいた。5月の帰省の翌日ではないかと思うほどに、変わり映えのしない情景だった。あまりにも変化のない実家だが、もはや空気が澱むほどの呼吸もしていない感があり、なんだか変に悠然としていて、もう半分霊界に足を突っ込んでいるような、スッとした清廉さまで漂い始めていると思った。
 ほどなくして姉一家がやってきて、子どもたちだけ置いて、自分たちはふたりで買い物へ行くという、相変わらずの実家使いで去ってゆく。そのため午後はいとこ4人がやかましく遊ぶのを、眺めるともなく、面倒を見るともなく、なんとなく漫然と過した。2歳や3歳ではないので、姪にも甥にも7ヶ月でそこまでの変化は見られなかった。ニンテンドースイッチで、マリオカートをするのはいいが、ユーチューバーの動画を観たりするのは本当にやめてほしいと思った。
 晩ごはんは母手製のピザを中心にしたメニュー。相変わらず実家の献立に白米は登場しないのだった。あと我が家からの御年賀として、楽天であん肝を注文し、年末に実家の住所に届けてあったので、贈ったもので、しかも御年賀なのだが、ぜんぜん我慢できずにそれも出して食べた。ねっとりとしていて、プリン体とかそういうことを考えると罪悪感が湧いたが、年末年始なんだからいいじゃないか、と思いながら日本酒とともに愉しんだ。
 翌日は、本来ならば帰省の折の関東レジャーということで、今回は鎌倉に行ってみようではないかという計画を立てていた。しかしながら姉一家がきちんとこっちに来られるのは31日か1月2日ということで、2日はもう午前に我々は岡山に帰るので、じゃあ31日に集うしかないということになり、計画は取りやめになった(ちょっとくらい事前に打ち合わせをしておくべきだった)。それで31日は昼から姉一家を迎え、卓を囲んだ。姉一家がやってくるということは、義兄がやってくるということで、義兄という人間との交流は、いつもながら衝撃の連続だった。僕のLINEの友達の数が16人だと話したら仰天されて、じゃあ義兄は何人なのだと訊ねたら、「何人かとか見たことない。そんなのどうやったら見られるの?」という答えが返ってきて、そうか、友達が多い人間は、LINEの友達の数なんて気にしないのか、と目から鱗が落ちた。結果的にその数字は、まさかの700オーバーで、LINEの友達が16人しかいない人間の見える世界と、700人以上いる人間の見える世界は、本当にぜんっぜん違うんだろうな、と思った。700人もいれば、冗談じゃなく太陽系の他の惑星に行った奴もいるだろうと思う。
 夕方になり、紅白が始まるくらいのタイミングで、姉一家はお泊りのポルガを連れて帰っていった。それから残ったピイガはすぐに寝たので、紅白はとても静かな環境でじっくりと観ることができた。今年は、とても見応えのある、いい紅白だったと思う。最後の、桑田佳祐と北島三郎とユーミンの感じなんて、平成日本を生き抜いたことのご褒美のような愉しさがあった。紅白がいいとこんなに満ち足りた気持ちで1年を終えることができるのか、と思った。しかしそのあとチャンネルを変えて観ていたジャニーズカウントダウンライブで(なんだかんだでカウントダウンは毎年これになる)、マリウス葉がステージから落ちたのを目にして、安否が判らず、モヤモヤしたまま年を越すはめになった(結果的に無事でよかった)。