2023年の瀬の瀬の瀬

 28日で労働が納まり、29日から休みに入っている。めでたい。めでたーてしゃーない。
 無為に過してしまわぬよう、やるべきこと、やりたいと思っていることを、28日の夜に箇条書きした。なるべくならここに書いた全てをこなしたいものだが、これがなかなか難しいのだ。時間的には十分あるはずなのだが、そう単純な話ではないのである。
 まず29日の午前は、予約していた病院に行った。先日、12月の頭に受けた健康診断の結果が返ってきて、γ-GTPも含めて概ね問題なかったのだが、肺のレントゲンで引っ掛かり、「要精密検査」の診断が出ていた。とは言え自分ひとりでは、ちょっと嫌だなあと思いつつも、わざわざ専門医に検査を申し込むことはしなかったに違いないが、そこは配偶者が有無を言わさずやってくれ、労働が終わりつつ病院がまだ開いているという、唯一のこの日に予約を入れてくれたのだった。ありがたい話である。
 その待合室で書いた問診票の欄に、喫煙歴についての問いがあり、「これまでタバコを吸った経験がありますか」に対して、「一度もない」「今も吸っている」「かつて吸っていたがやめた」という項目があって、僕がタバコを吸っていたのはもう20年も前の、20歳前後に1年くらいだけなので、もはやほとんど事実としてないようなものだと思われたが、わざわざ肺を診てもらいに来たのに、「一度もない」に〇をするのもそれはそれで違うような気がして、仕方なく3番目に〇をつけ、「20歳の頃、1日平均5本ほど」という、やっぱりどう考えても今の僕の肺に影響が残っているとは思えない情報を記した。なんとなく間が抜けているような気がして、恥ずかしかった。結果として、CTというものを生まれて初めて受けて、「問題なし」の診断をもらう。よかった。
 午後は、兵庫在住の次女一家がこちらに到着したというので、ファルマンと子どもたちは実家へ行った。呼吸器内科ではずいぶん待ち時間があり、暇だったので、その間に僕は1年前の年末年始の自分の日記を読んでいたのだが、そこにも、28日で労働が納まり、29日の午後に次女一家がやってきた、ということが書かれていたので、なんとなくおもしろかった。年間行事というものはルーティンでオートメーションなもので、それはなんとなく空恐ろしい、虚無的な感じもありつつ、しかし世界に目を向ければ、その当たり前が崩壊してしまっている人々も多くいるわけで、なによりもありがたいことだとも思う。来年も同じ日程が繰り返されればいい(もっとも来年は28日が土曜日なので、年末の休みが1日前倒しで多くなる可能性がある)。ちなみに1年前は、僕も赤ん坊を見るため、そこに参加した様子だが、今年はそうはせず(どうせ正月には集うので)、この日が年内最終の営業日であった、いつものプールへとひとり繰り出した。そして最後ということで、1km泳いだ。いつもは次の日のことを考え、泳いでも500mくらいなのだ。1kmは、久しぶりに泳いでみれば、まあこんなもんかという感じで、特別に疲労が大きかった印象もなく、実は普段でもやれるかもしれないと思った。と言うか、400mから500mあたりで、なんか今日はもういいかな、というしんどさが襲ってくるのだけど、それに克って700mとか800mまで行くと、逆にすいすい行ける感じになる。今後の参考にしようと思う。ちなみに今年最後のプールだったということで、1年間の水泳回数を集計した。この記録は去年の途中から付け始めたので、1年間を通しての数字というのはこれが初めてである。結果は、94回。ほぼ4日に1回ということになり、そう考えるとまあ年間通してだいぶきちんと行ったものだな、と思う。94回泳いだ僕は、1回も泳がなかった僕に較べ、だいぶ健やかであるに違いないので、今後もこの習慣は続けていこうと思う。一時期作りすぎて食傷気味になった水着作りも、もうその気持ちは薄れ、新しいものが欲しくなってきている。来年も生地を手に入れ、作ろうと思う。ちなみに水泳とともに記録している射精に関しても、(まだ最終が済んだかどうか不明ながらも)このとき一緒に集計をしたのだが、それについてはできれば「BUNS SEIN!」に書きたいと思ったので、いまここに結果は記さない。なぜわざわざ「BUNS SEIN!」に書こうと思ったかと言えば、集計結果がなかなかおもしろいものであったからだ。年内に記事が書けたらいいのだけど。
 晩ごはんはホイコーローをメインに、中華風の卵焼きや水餃子のスープなど、中華にした。これから休みの間は、もちろん料理をすべて僕が担当する。ファルマンは休みの日は料理をしなくていいということが、心底嬉しいそうで、喜ばれるのはもちろん嬉しいのだが、あまりにもそこを喜ばれるというのも、普段そんなにつらくてしょうがないのかよ、と言いたくなるわけで、少し複雑な感じがある。
 夜、ファルマンにブリーチ剤の塗布をしてもらう。正月を前に、もはやプリンでもなく、髪の3分の1くらいが黒いという状態を是正しておくことにしたのだった。髪の長さ自体が、またしっかりと結べるくらい長くなっているので、こういう長さでド金髪にすると、さすがに激しすぎて変だったりするんだよなあ、もしもそうなったら散髪もしてもらおう、と思っていたのだが、仕上がりは問題ない感じだったので、無事に金髪の長髪に移行した。嬉しい。今回はどこまで続けるんだろうな。まあそのうち急に自分の中で終わりが来て、「なが! うざ!」となって切ることになるだろう。
 明けて今日は、午前中は家族で桃鉄をして過した。その桃鉄とは、実は「WORLD」である。年末年始を前に、あったら家族で愉しめるよなあ、という思いに抗えず、買ってしまったのだった。ちなみに1年前のこの日は、わが家は湖遊館にスケートに行っていて、あれが実は一家4人で、桃鉄のソフト代と同じくらいの金額が掛かっているので、今年はそれが桃鉄になったという解釈でよいのだと思う。今回は世界全体が舞台ということで、基本的な桃鉄の仕組みは一緒なのだが、とにかくマップの全容が把握できず、その戸惑いも含めて、やはり愉しい。午前中を使って、4年を終える。ポルガが初期設定でしれっとプレイ年数を100年にしていたが、まさかそこまでやるつもりはない。
 午後は、妻子は今日も実家に遊びに行くというので、ここが今回のおろち湯ったりチャンスであろうと、雲南市へと足を運ぶことにした。また1年前の日記になるが、1年前の休みのときは、「湯ったり館に行きたいなあと思いつつも踏ん切りがつかなかったが、かと言って家で有益に過せたかと言えばそんなこともなかったので、やっぱり行けばよかった」と言っていて、今年もこのままだと同じことになるなあと思い、行ったほうがいいと判断したのだ。今年は暖かい年末年始となり、雲南市への道のりも何の懸念もなく行ける。しかし曜日的には土曜日の、12月30日の昼下りと来れば、そこまで人がいないということもないだろうなあと覚悟はしていて、行ってみたら、まあ果たしてほどほどに人がいた。そしてプールには子どもがいたし、今週は男湯が狭いほうの風呂だったし、そもそも2階は閉鎖されているし、サウナも人の出入りであまり熱くなかったしで、総合的に見て、実にあまりよくなかった。しかしあまりよくなかったが、なんと言うか、まあこういうものだと、なにもマイナスに感じていない自分がいて、もう僕にとっておろち湯ったり館は、即物的な満足を得るだけの場所ではなくなってきているのだな、と思った。先日、ラーメン二郎に関する記事を読んで、ラーメン二郎を愛する人々というのは、ラーメン二郎のラーメンを、実はいつでも十全においしいと思って食べているわけではなく(もちろん基本的にはおいしく感じているのだろうが)、しかしあまりおいしく仕上がっていないときに当たってしまっても、別に不満や怒りが生じるわけでもなく、ラーメンの味どうこうという次元ではなく、もはやラーメン二郎のラーメンを食べるという、行為をしに行っているのだ、みたいな話があり、僕のおろち湯ったり館も、要するにこういうことだな、と思ったのだった。だから今日も、この年末年始の休み中に、おろち湯ったり館に行くという行為ができて、よかった。そう思った。あとちなみに、温泉のひとつに、壁からジェット水流の出るものがあって、普通に座ると、それが背中や腰に当たって気持ちがいい、というものなのだが、これに対しどうしたって、なかなか強い勢いで放出されているこのジェット水流を、ちんこに当てたい、当てて快楽を得たいという思いを禁じ得ないのだけど、しかしそれは公共の温泉施設において、ちょっとルール違反であるような気がして、これまで自重していた。しかし今回、先日まで脇腹を痛めていて、今でも朝起き上がるときとかにちょっと違和感がある、というストーリーが自分の中にあったため、そんなの周囲の人間からすればなんの関係もないことだが、その大義名分のもと、堂々と普段とは逆、ジェットの出どころのほうを向いて座り、脇腹に水流を当て、筋肉をほぐすということをし、そしてそうなると自ずと、普段は腰に当たるジェットが下腹部に当たることになるわけで、そこからは淡い倦怠感を伴う、なんとも言えない快楽がもたらされたのだった。でもこれは温泉の正当な使用法である湯治の、その派生によるものなので、ルール違反には当たらない、と自分の中で判断した。判断しつつ、途中からは脇腹よりもそちらに意識が強く行って、よりよいポジションを探っていた感があったということも、僕は正直者(近所でも評判)なのでここに記しておこう。
 湯ったり館を出たあとは、近くの店で晩ごはんの買い出しをして、そのついでにジャイアントコーンを買って、それを齧りながら帰った。温泉に入ったとはいえ、本当に暖かい年末である。湯上りのジャイアントコーンがとてもおいしかった。結果的に大満足である。
 帰宅後は、家族らはまだ実家から帰ってきていなかったので、ひとり静かにこの日記を書きはじめる。これが今月の10記事目。まだ明日もあるので、もう少しなにか書ければいいなとも思うが、とりあえず2桁に届かせることができてよかった。これにより年間毎月2桁投稿が無事に成った。
 晩ごはんはたらこ入りのポテトサラダと、ほうれん草ときのこのグラタン、そして焼き鳥。もう完全におつまみモード。明日大みそかの晩ごはんはどうしようかな。最後にそばを食べなければいけないから、あまり腹に溜まるものは食べられない。明日はたぶん家族で買い出しに出るので、そこでなにかよさそうなものを見繕おうと思う。

クリスマス2023

 なんだかんだでクリスマス寒波というものは、毎年几帳面にやってくる気がする。
 木曜日あたりからどぎついのがやってきて、金曜日の出勤はなかなかハードだった。などと言いつつ、その日の退勤後、プールに寄って帰った。ファルマンに電話で、泳いでくることを告げると、驚嘆された。電話だから分からないが、たぶんのけぞられたのだろうと思う。雪が降ってるような日に、逆にプールに行くというのもオツなもんさ、と思ったのだが、あまりそう考える人はいなかったようで、なんと25mプールのすべてのレーンを含めて、貸し切りだった。また僕の島根の貸し切り伝説に新しい1ページが刻まれた、と思った。ちなみに監視員はいつも通りふたりいたので、泳者よりも監視員のほうが多いのだった。視線を感じながらひとしきり泳ぎ、満足した。
 土曜日は午前中、食料品の買い物に邁進した。土曜日の午前はスーパーが安売りをするので、とてもテンションが上がる。土曜日に出勤がある週は、複合的な要因でテンションが下がるけれど、この土曜午前のスーパー巡りがままならないというのが、かなり大部を占めている気がする。今週もクリスマスと年末年始に向けて、まあまあいい買い物をすることができた。
 午後は家族でゆめタウンに繰り出した。どうしてもこれ、という用件があったわけではないのだけど、子どもたちがどこかに行きたいというので、なんとなくのショッピングモールである。年末らしい活気があった。ちなみに子どもたちは金曜日が終業式で、もう冬休みに入ったのだった。ああいよいよ1年が終わるのだな。
 晩ごはんは鍋ラーメン。ちゃんと寒い日に、満を持して鍋ラーメンができて嬉しい。鍋ラーメンだけだと寂しいかなと思っておにぎりも出したら、おにぎりで腹が膨れたのか鍋ラーメンのほうがだいぶ余ってしまった。夜になってファルマンと、日本酒とともに後半戦を行なったけれど、それでも余った。おかしいな。子どもたちが小さくて、まだ今ほど食べなかった頃に、鍋ラーメンだけでは物足りず、残った汁にごはんと卵を入れて雑炊をしていた記憶があるのに、今ではこんなありさまだ。子どもたちの食べる量ばかりを気にして、これまであまり意識してこなかった部分だけど、もしかすると自分たち夫婦の食べる量が、10年ほど前よりもだいぶ少なくなっているのかもしれない。
 翌日すなわち本日クリスマスイブの日曜日は、午前中に買い物ついでに、予約していたクリスマスケーキを受け取りに行く。ここから我が家はひと月で3回という、ケーキラッシュ期間に入る。そのこけら落としとなるクリスマスケーキは、普通に店で買うことにしたのだった。去年はブッシュドノエルだったが、今年は普通のホールケーキ、それも8個がそれぞれ別(オーソドックスなショートケーキなどは2つだったりする)のケーキになっているタイプのやつにした。こんなのって、手作りではもちろん、街のケーキ屋さんでもあり得ない(並んでいるケーキを8つ買えばいいのかもしれないが、わざわざしようとは思わない)ので、これぞ、こういう工場生産の大手メーカーによるケーキの醍醐味かもしれないな、と思って初めて選んだ。
 昼ごはんはあっさりとしたうどん。備蓄してある鶏のささみと、細かく切ったちくわ、そして卵をかき玉にして、優しく仕上げる。昨晩がにんにくやらしょうがやらを入れた豚バラ肉の鍋ラーメンで、今晩がクリスマスディナーなので、穏和なものを心掛けた。
 午後はファルマンと子どもたちはクリスマスの飾りつけをしたり、ポスターを描いたりを、金曜日の夜にやっていた「ホームアローン」を観ながら行なっていた。日記にこう書くと、まるでとても心地のよい平和なクリスマスイブのようだが、実際はみんなわがままで、ポルガは反抗期だし、ピイガは張り切りすぎて暴走していたしで、リビングからはわりと終始キーキーした声がしていた。僕はその間、4年ぶりとなった「仲間内10大ニュース」の記事の作成に勤しんでいて、無事に投稿することができた。とても嬉しい。
 晩ごはんのクリスマスディナーは、ローストレッグと、えびとブロッコリーとゆで卵のサラダ、買ってきたテリーヌと、パスタ3種というメニュー。今年は手羽元でフライドチキンなどに逃げず、きちんと前日から味を浸して、オーブンでじっくりと焼いてローストレッグを仕立てた。味はほとんど思うがままに冷蔵庫の調味料をジップロックの中に投入したのだが、食べたら絶品で、家族からも好評だったので気分がよかった。酒は、最初の1杯だけビールで、そのあとは珍しく白ワインを飲んだ。赤ワインは絶対に無理なのだけど、白ワインは昔ちょっと飲んでいた時期があった。せっかくクリスマスなので、チューハイではなく白ワインにでもしようかと思い、買っておいたのだった。とても久しぶりの白ワインは、悪くなかった。もしかするとこれからけっこう僕の飲酒ラインナップに躍り出てくるかもしれない。
 ちなみにテレビ朝日系が映らないでおなじみの「M-1グランプリ」だが、去年はTverでのライブ配信をひとり自室で眺めたけれど、今年はさすがにクリスマスディナーなのでそれは自粛し、まあ結果が出てから(結果も普通にヤフーとかで気にせず見るつもり)、合間合間でゆっくり観ればいいかな、と思っている。
 そんでもって、クリスマスのイベントであと残すところは、子どもたちが寝たあとの例の行為だけだ。しかしポルガはもう我々よりも遅く寝たりするので、寝静まった夜半に部屋に忍び込むのはすっぱりと諦め、明朝にそっと置く予定である。というかもうサンタの存在は、ふたりともさすがに信じていないような雰囲気があるのだが、特にピイガに関しては、藪蛇になる可能性があるので改めて確認をするわけにもいかないしで、まだこの形式は続けざるを得ない。続けざるを得ないというか、「もうそういうのいいから」などと言われたら哀しいので、やっぱりなるべくなら続けたいかな、とも思う。複雑な親心である。
 それでは皆様、メリークリスマス。

師走半ば

 師走の半ばの週末である。来週末はクリスマスで、来々週末は大みそかであるという、なんかそういう週末だ。慌ただしいような、特段するべきこともないような。帰省をしないことにしたのでその準備もなく、むしろ半月後にはまとまった休暇があるのだと思うと、わりと心に余裕があるとも言える。
 先週、子どもたちの体調不良によってままならなかった年賀状用の写真撮影というミッションがあって、今週は子どもたちのコンディションに関しては問題なかったのだけれど、今度は天候があまりにも悪く、急にやってきた寒波によって激しい風雪となり(金曜日は20℃越えだったのに!)、とても外に行って、年賀状にふさわしいような明るい写真が撮れるような条件ではなかった。やはり大いなる意思の介在を感じずにはおれない。とは言えさすがに今週末がタイムリミットだろうということで、仕方なく室内で撮影を行ない、背景を透過処理して嵌め込みでなんとかすることにした。まあこんな年もある。
 斯様にとても寒くなったというのに、ポルガがきちんと暖かい恰好をしないので、両親でやきもきしている。中学生らしく、ノートにいろいろ書いたり描いたりしているようで、そしてそれは家族には見られたくないようで、だからリビングのこたつではなく、寒々しい自室のデスクでやるわけだが、そうなるともっと厚着をしろとか、電気ひざ掛けを持っていけとか、こちらとしてはどうしたっていろいろ言わざるを得ないのに、なんにも言うことを聞かない。「寒くない」と言う。ティーンというのは血流が漲っているので、たしかに中年よりは寒くないのかもしれないが、それにしたってやっぱり寒いものは寒いだろうと思い、せめて靴下くらい履けと言ったところ、「靴下は血が止まるからむしろ寒くなる」などと言って拒まれた。締め付けで血流が悪くなるって、お前それ、俺の裸で寝る健康法のことは白い目で見るくせに、言ってることとやってることが違うじゃねえか、と思った。思春期めんどくさ!
 白い目で見られると言えば父がひたすら自分のために作るオリジナルショーツだが、その整理を、大掃除というわけではないが、行なった。これまで、作ったものは基本的に、洗濯に出していない限りはいつでも穿けるような状態にしていたが、さすがに枚数が増え、飽和し、部屋にショーツが散乱するようになっていたので(なにぶん女子用としか思えないようなショーツなので、その情景はそれはそれでよかったのだが)、ちょっとシビアな話になってしまうけれど、レギュラーから外れてもらうものを選び、それらは大ぶりのエコバッグに詰め込んで、クローゼットの奥に押し込んだのだった。ショーツをひとつひとつ手に取り、これまで通りのショーツボックスか、はたまたエコバッグ行きかという、その選定の基準は、なるほど「ときめくかときめかないか」だったので、こんまりの言うことはたしかにそうなのだな、とショーツの選別において初めて実感をした。おかげで部屋はだいぶすっきりしたし、明日からセレクトするショーツはときめくものばかりになったので、万々歳だ。
 土曜日の晩ごはんは鍋にした。鍋用の骨付きのぶつ切り鶏肉というものが売っていたので、おいしそうだと思って買った。もちろん美味しかった。実はちゃんと鍋をしたのはこれが今年初めてだったのではないか。夜には雑炊を仕立て、ファルマンとともに深酒をした。なかなかに高いクオリティの幸福感があった。

12月人生

 12月に入っている。
 こないだの週末は、子どもたちを連れ出して年賀状のための写真を撮る予定としていたが、木曜日にピイガがインフルエンザを発症し、それどころでなくなった。一時期は熱が39度を超え、嘔吐などもあったそうだが、特効薬によって回復は早かったようだ。そして幸いなことに、ファルマンの献身的な看病(隔離)によって、他の者への感染は起らなかった。ピイガは土曜日にはもうケロッとして、どこかへ出掛けたいなどとのたまうほどだったが、大人だったらこうはいかないだろう。名もなき後遺症、重たく、つらく、しんどい、あの感じが、長く続くに違いないので、本当に無事に通り過ぎてくれてよかった。
 さらには日曜日には、ポルガが部屋から出てくるなり「目が腫れた」と言って、見ればたしかに右目の瞼が大きく腫れているのだった。ポルガはちょいちょい、ものもらいになる。そのため前回時に眼科でもらった薬が、まだ期限内で家にあったので、それで様子を見ることにした。中学生である本人は、眼帯を着けてご満悦のようだった。
 それにしたって、年賀状の写真を撮るつもりだったタイミングで、大いなる意思によって妨害でもされているんじゃないかというくらい、子どもふたりとものコンディションが整わなかったのだった。仕方ないので予定は翌週に後ろ倒しになった。どうせ出す枚数はきわめて少ないので、それからでも十分に間に合う。
 年末らしい行事と言えば、少し前に、職場の集まりで忘年会を行なった。世の中にありがちな「4年ぶりの開催」ということで、僕はこの職場になって初めてのこういった集いだった。いまの職場は平均年齢が本当に高いので、会はとても落ち着いたもので、はっきり言ってしまえばまったく盛り上がらず、ぜんぜん愉しくなかった。乾杯をして、ひとしきり食べて、飲んで、そろそろ終盤かな、と思って時計を見たら、40分しか経っていなかったので心底驚いた。そういう会だった。
 しかしこれがもしも同年代だらけの職場での飲み会であったら、果たしてきちんと盛り上がっただろうか、ということを思った。世代の違いという言い訳をなくして、それでも愉しくならなかったら、それはもう自分の精神の問題ということになってくるのではないか。
 数日前、こんな夢を見た。僕は東北や北陸などの、寒い地域の中学生で、バスを乗り継いで通学している。その地方のバス停は、寒さ対策として、待合所が小屋みたいになっていて、そこには炬燵まで用意されている。僕がそこに入ってバスを待っていると、クラスメイトの女子ふたりもやってきて、僕に声を掛け、炬燵に入ってきた。ひとりは小学校も同じだったからわりと話す子で、もうひとりはあまり馴染みのない子である。僕は彼女たちに特別の恋情を持っているわけではなかったが、一緒に炬燵に入っているという特別感からか、なんかやけに好もしい気持ちを抱き、昂揚するのだった。そんな夢だった。
 起きてから、いい夢だったと思うと同時に、もう僕は中学生ではないし、もしも同じ状況で、40歳の僕の入るバス停の炬燵に、女子中学生ふたりが入ってきたら、僕は戸惑ってただ俯くほかなくなるに違いない、つまり今生の僕には、中学生が抱くあの昂揚感はもう二度と訪れないのだと思い、とても寂しくなった。
 飲みの席というのも一緒で、もう若い頃のように身軽ではないので、深酒もそのあとのことを考えてあまりする気にならないし、はめを外したあとにやってくる後悔の億劫さを思えばそれも避けたいしで、もう心ゆくまで盛り上がる飲み会というものは、永遠にやってこないのではないだろうか。どうもそんな気がする。
 でも飲み会は別にいい。中学生の昂揚感に関しては、悲痛な思いを抱いている。

11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。

冬の家族週末

 なんとなく慌ただしい週末だった。
 土曜日は午前中にピイガの小学校の学習発表会があり、当初はファルマンだけが観覧する予定だったのだが、とてつもない冬型の気候が襲来していて、ひと晩中風雨の音はすさまじく、もはや発表会は中止ではないかとさえ思ったのだが、そうはならず、しかし本来の計画であったファルマンの徒歩での移動はままらなくなったので(ファルマンは保護者の車で混み合うイベント事の日、学校への運転と駐車をしない賢明なスタンスを取っている)、送迎の必要が出て、そもそも朝に、まだ風が強かったのでピイガも学校へ送り届け、そのあとファルマンとともにピイガの演目を観るために学校へ行き、そしてピイガの出る演目というのは、数時間の間隔を挟んでふたつあったので、いちど家に帰り、後半のそれに合わせてまた赴いたので、午前中だけで僕は3回も家から小学校までを往復したのだった。というわけであっという間の午前だった。
 発表会のピイガの様子はどうだったかと言えば、運動会と同じで、小さい、という印象を抱いた。本人の成長や能力については、家で十分に目にしているので、学校で見る子どもの感想は、どうしたって他の子との比較となり、そうなると「ちっさ!」という反応になる。そしてファルマンはすぐに「成長曲線が……」などと不安を嘆くことになる。これに関しては僕はとても旧時代的な考えで、女の子だからという、このご時世あまり堂々と言ってはいけない理由から、小さくてもいいじゃない、むしろかわいいじゃない、などとホザくのだけど、それに対して「あまり小さいと将来の出産が大変なのだ」とファルマンは言い、それを言われるともうこの問題について僕がコメントできることはなくなるのだった。
 昼過ぎにピイガは帰宅し、昼ごはんはピイガの好物であるうどんにした。本当に、雪が舞うほど寒い日だったので、うどんのあたたかさが身に沁みた。
 午後はポルガが期末試験の勉強のために図書館に行くというので、送ってやる。本当に妻子の送迎をやけにした日なのだった。それから帰ったあとは、部屋のクローゼットの整理を行なった。衣替えはもちろん既にファルマンによってなされていたが、布団が、奥にあった羽毛布団を、急に寒くなった夜に無理やり取り出し、整然と積み上げていたものがぐちゃぐちゃ、みたいな状態になっていたので、それを整えたり、あと扇風機を仕舞って、代わりにストーブを取り出し、さらにはついでにクリスマスツリー関連のグッズも取り出した。すなわちすっかり冬の仕様に切り替えたのだった。
 おやつには3人でぜんざいを食べた。ポルガは餅を食べないので、ポルガがいないタイミングに食べるにふさわしいおやつなのであった。
 夕方になり、ファルマンがポルガを迎えに行って、その間に僕は夕飯の調理をしていた。夕飯は餃子。先週が焼売で、今週は餃子。焼売もたまに食べたくなって作るけれど、作って食べたら食べたで、餃子が食べたいな、という思いを抱きがちなのだった。というわけでの餃子である。今回もいい出来だった。
 そのあと、夜になってこたつの設営をする。この3、4年、わが家にこたつは登場していなかったのだけど、なんとなく今年は出したくなって、出すことにした。3、4年というのは、コロナとはもちろん関係なくて、ファルマンおよびポルガのあたりが、こたつがあると人として終了する傾向があるので、それでやめていたのだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、言うてもそこまでやないやろ、と思ったのだった。しかし出して丸一日が経つが、やっぱりダメかもしれない気配が漂いつつあり、ハラハラしている。
 夜は異様に眠くなり、目が開けられなくなって、ファルマンにさんざんなじられながら、日が変わらないくらいの時間に寝ついた。やっぱり昨晩が強風で眠りが浅かったのだろう。土曜の晩に残念なことだったが、そうは言ってもしょうがない。
 起きたら8時半で、まあたっぷり寝たことになる。本当はまだまどろんでいたいくらいだったが、今日は今日でポルガが参加している科学教室の遠足ということで、やはり送る必要があるのだった。それを送って帰ると、今度はすぐに実家へ向けて出発となる。実家の人の車とともに、業者の人に来てもらってわが家の2台も冬用タイヤへの交換をしてもらうのである。10日ほど前にこの日程が決まった時は、ちょっと早いなあと思っていたが、ぜんぜんそんなことなかった。とてもちょうどよかった。ちなみに義父母は昨日、岡山のおじいさんの所へ顔を出しに行ったそうで、義父の車だけはおとといくらいに既にタイヤを交換してもらったそうだ。そして庄原や高野のあたりは実際に雪景色だったらしい。今年もまた、山陰が中国山地によって表日本から断絶される時期になったのだな。
 昼ごはんは実家御用達のお好み焼き屋のテイクアウトを馳走になる。広島風で、義父母はやけにこの店のものを愛好しており、よく出てくる。広島風のお好み焼きって、食べるたびに不思議な食べ物だなあと思う。
 帰宅後は、ポルガの制服のスカートの丈詰めをした。時代も違うしキャラも違うしで、脚をもっと出したいとか、そういう要望があったわけではないのだが、しかしそれにしたって、春先にお店で採寸して仕立ててもらったスカートの丈は、クラスメイトらと較べてポルガのものだけがやけに長いのだそうで、穿いている姿を見ると、まあたしかに長い。スケバンというほどではないが、やけに長いなあという印象を受ける。というわけでまあ少しくらい詰めるか、ということになった。ポルガは7センチと言い、ファルマンは5センチと言ったので、中道派の僕は両方の顔を立て、6センチにすることにした。制服のプリーツスカートの丈詰めは、お直しの店に勤めていた頃にもやっていて、女子高生のスカートに鋏を入れてお金をもらえる人生なのだなあ、と感激したことがあったが、そんな僕がとうとう娘のそれの作業をするようになったか、という感慨があった。距離が長いのでまつるのに時間が掛かったが、作業自体は簡単である。明日は夏服のそれで行ってもらおうかと思っていたが、仕上げることができた。
 そのあとポルガを迎えに行きついてに、買い出しもする。この際、丈詰めの作業代として、愛飲している第3のビールの6缶パックをふたつ、ファルマンに買ってもらう。破格ではあるけれど、いい報酬だとも思う。
 晩ごはんはそぼろ丼。これは昨日のうちに作っていて、ポルガの弁当にはこれを持たせていた。その代わり、ポルガは晩ごはんにお好み焼きを食べた。
 そんな感じで、なんか家族の世話や、家のことを多くした週末だった。慌ただしかったが、悪くはなかった。それにしてもおろち湯ったり館に行かない。もうそろそろ2階は閉鎖だろう。その前に行きたいものだ。ずっとおろち湯ったり館のこと言ってるな。

11月とパピロウと

 一気に冬になった。今週の半ばくらいまでは11月なのに夏日だ、などと言っていたのに、日曜日からあまりにも冬じゃないか。過酷だ。厳しい部活動のようだ。われわれは7月頃からずっと、なんかしらの厳しい部活動に在籍しているのかもしれない。おかしいな。体験入部だけのはずだったんだけどな。
 しかも折悪しく、少し久々の11月パピロウ発動中と来ている。ただでさえ落ち込みがちの心に、体がまだぜんぜん対応できていない寒さまでが加わり、気持ちはいまとても低調だ。
 こんなとき、やっぱりそれというのは、傷口を狙って入り込む病原菌のようなものなんだな、ということを再認識するけれど、友達がいたらなあ、なんてことを思ってしまう。落ち込んだ心が友達によって救われた経験が、お前は人生中にいちどでもあるのかと問われれば、途方に暮れてしまうのだけど、家族だって趣味だってあって、そして疾病があるわけでもない僕が、それでも心が整わないということは、いま僕が完全に獲得できずにいるものにその原因があるのではないか、というふうに考えてしまう。それが友達だ。
 寒さもあって、温泉やサウナに行きたい欲求が日々高まっているが、しかしおろち湯ったり館になかなか行けずにいる。さらには米子の、ラピスパやオーシャンなんかに行けたらもっといいなあと夢想したりするが、ひとりで車を運転して米子まで行くのはあまりもコスパが悪いし、僕以外全員女性の、さらには温泉・サウナに興味のない家族と連れ立って行ってもぜんぜん愉しめないだろうと思う。こんなとき、友達がいたらいいんだろうなあと思う。サウナ仲間。サウナの中で会話をする輩が、普段はひたすら忌々しく感じるけれど、自分がそっち側だったら話は別だ。サウナは静かに入るもの、なんていうのは孤独な人間が言い張り始めた勝手なルールで、白状してしまうけど、サウナに入っている間って実はただ退屈なので、友達とおしゃべりをして過せたらどんなにいいだろうかと思う。「マジきちー」「やべえやべえ」とか言い合いたい(友達関係というものが大学生のあたりからまったくアップデートされていないので、友達感性が若いままである)。
 しかし僕の暮しに友達ができる気配はまるでない。今日も家族で過す。今日は午後からゆめタウン出雲に繰り出した。おととい、こちらに山陰初出店となる紀伊国屋書店がオープンしたのだ。せっかくだからそこを見にいってやろうじゃないか、という感じで出掛けた。店は賑わっていた。というよりゆめタウン全体が賑わっていた。みんな寒くなって、屋外イベントの季節も終わり、休日の外出の選択肢の筆頭にショッピングモールが来るようになったんだろう。書店の中をほうほうと窺っていたら、見知った顔があった。義父母と義妹なのだった。ゆめタウンでたまたま義母らと鉢合わせするのはこれで2度目だ。地方のショッピングセンターとはそういう場所である。書店ではなにも買わなかった。
 ニトリにも行った。クリスマスのコーナーが展開されていて、そうか、と思う。2023年もそろそろ終盤なのだな。やはり11月パピロウで、ツリー飾りを目にしてもなにも心は盛り上がらないのだけど、徐々にこの寒さにも慣れて、いまとてもか細い心の灯は、安心感のある暖炉の炎のようになってくれたらいいと思う。
 晩ごはんは、寒さに対して素直に鍋やクリームシチューにでもすればよかったのかもしれないが、なぜか焼売。しかしIHクッキングヒーターを食卓に持ち出し、食卓で蒸し上げるという演出をした。とは言え汁物じゃないと、あんまり部屋全体がほっこりあったまるようなことにはならないのだった。まあおいしかったけれど。
 11月パピロウはどうすれば克服できるか。昔の人はよく考えていたもので、そのためにcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボがある。せいぜいそっちの活動に情熱を傾け、自分で自分を盛り上げていこうと思う。

東広島へ

  文化の日がもたらした3連休であった。ハッピーマンデーではなく、金土日という、最近ではちょっと珍しいパターン。ウィークデイが4日で終わるお得感があった。
 中日の土曜日に大きな外出をした。目的地は東広島市。ここの市立美術館において、『古代エジプト美術館展』という企画展が行なわれており、ポルガを中心に、それにつられて親も「王家の紋章」を読んだりしたことで、わが家はこのところすっかり古代エジプトづいているので、魅力的な企画展が、日帰り可能な、なんともありがたい場所に来てくれたものだと(ここの前は福島県だったそうだ)、大喜びで行くことにしたのだった。
 尾道や福山、そして広島市には行ったことがあったが、東広島市というのは初来訪である。行くにあたって、美術館以外の立ち寄りスポットはなんかないのかな、というのを探ったから判ったが、まあそこまでよその土地の人間がレジャーで行くような街ではなさそうだった。ウィキペディアにも、「広島市のベッドタウン」という記述がある。それでもなにかないものかと粘った結果、広島大学のキャンパスがあることが判り、さらにはそこでちょうどこの土日に大学祭が開催されることを知って、じゃあそこへも立ち寄ろうという計画が立った。ちなみに広島大学は叔父の出身大学であり、それも30歳間近くらいまで、院だったり研究員だったりで在籍していたという話なので、じゃあ今はもう横浜に暮す叔父に、「こんど広島大学へ行くよ」ということを伝えたらなんかしらの反応があるだろうかという思いが、少しだけ頭をよぎったが、でもあの叔父のことなので多分なんの反応もないだろうと思い、止した。
 美術館までの所要時間は約2時間半。ファルマンは「私も運転代わるよ」と提案したが、本人以外の3人の希望により却下された。もちろん道が混んでいるということもなく、事前に新鮮な曲ばかりの新しいプレイリストを用意した車内音楽もあり、わりと快適なドライブだった。やまなみ街道を三次で降りるのかな、と思いきや、Googleマップの案内によるとその次の三良坂ICだとのことで、これまで何度も通過だけはしてきた所で降りるというのが、なんだか貴重な体験だな、と思った。ちなみにこれを降りてからが実はだいぶ長く、東広島市というのは、本当に、なかなかよそ者が寄り付きにくい土地のようだな、と思った。
 島根に引けを取らないような田舎道がだいぶ続いたあと、東広島市街は、突如として現れた。まるでアメリカのようだと思った。もっとも地方というのはだいたいこんなものか。市街に入れば、さすがは山陽なだけあり、島根よりもチェーン店のバリエーションは幅広かった。どのあたりにそれを感じたかと言えば、「なか卯」があったのでそう思った。島根県にはないのだ。
 美術館は市役所のほど近くだったので、たぶんあれが東広島市のいちばん栄えているエリアだったんだろうと思う。隣接する広場にはイベント屋台も出ていた。案内された市営駐車場に駐車し、無事に入館した。
 

 展示品はレリーフや彫像、日用品や装飾品など多岐に渡り、なかなか見応えがあった。時代も、さまざまな王朝の、つまりさまざまな年代のものがあり、中にはツタンカーメン時代のものもあって、ポルガを興奮させていた。おらが島根にも古代出雲の歴史というものがあるけれど、それが紀元後の弥生時代とかのものであるのに対し、古代エジプトというものは、なにしろ紀元前3000年とかから始まっているらしいので、すごい話だなあと思う。貴重なものを実際に目の前で見ることができ、来てよかったと思った。 
 美術館のあとは、広島大学の方面へと車を走らせる。大学の近くにゆめタウンがあるようなので、そこに車を停めさせてもらい(もちろん買い物はするとして)、そこから大学まで歩こうという算段をする。しかしゆめタウンの駐車場を出たところで、坂を上るのか下るのかが分からない。Googleマップを見るが、徒歩のGoogleマップはなんかわかりづらい。それでも学生らしき若者がどんどん自転車で坂を上がっていくので、たぶん上のほうだろうと歩きはじめるが、そこへ同じくGoogleマップを見ていたファルマンが「ちがう」と言う。「こっちだ」と坂を下るほうの道を示す。そうかなあ、と思うが、自分のGoogleマップの扱いに絶大な自信があるわけではないし、なによりファルマンの主張を排しておきながら間違っていた場合の恐怖を想像すると、従うのが得策だろうと思い従った(結婚10年超の賜物である)。しかし坂を下り、丁字路に出て、「これはどっちに曲がるの?」と訊ねたところ、「待って! わかんない! ちがう! なんで!」とファルマンは錯乱し始め、そのあたりでどうもやはり大学は坂の上らしいぞ、ということは明らかになりつつあったが、もう空腹感も高まり、ファルマンの精神状態も限界を迎えそうだったので、そばにあった「すき家」で昼ごはんを済ますことにした。店で、配膳しに来た店員に、「広島大学はこの坂道の上ですか」と訊ね、「そうですよ。大学祭ですか?」「はい」などとやりとりをし、確認した。その間ファルマンは苦々しい顔をしていて、さらにはねぎ玉牛丼の卵を、怒りのあまりテーブルに強く打ちつけ過ぎて誤割してしまい、ただのねぎ牛丼として食べるはめになる、という失態まで犯した。怒ったあまり卵を誤って割ってしまいダメするというのは、ドラマなどの作り物の表現であり、現実に起るものではないと思っていた。いま、今回の東広島行きを思い出しながらこの文章を書いているが、全体を通して最も印象に残った出来事は、この誤道案内から卵の誤割までの一連の流れだ。思わずこちらを睨みつけながら食べるファルマンを写真に収めた。
 食べ終わり、確信を持って再び坂を上がる。ゆめタウンを過ぎてほどなくして、大学の近くらしい雰囲気が漂ってくる。さっき、もう少しファルマンのストップが遅ければ、スムーズに着いていたことだろうに。
 かくしてようやく到着した広島大学東広島キャンパスは、どうもずいぶん広大な(ちなみに広島大学は略すと広大である)敷地を擁するようで、さらにはそのあちこちの学部棟で、めいめいにイベントが行なわれていたりするので、なんかもう取り止めがなかった。とりあえず屋台が立ち並ぶメインストリートらしきルートを進み、途中で図書館棟やホールなどに立ち寄って、「ほうほう」と眺めつつ、いちおうホームページを見て目当てとしていた総合博物館を見つけ、中を見学した。惑星の成り立ちから被曝の記録までが、ひと部屋にギュッと凝縮されたミニ博物館といった感じで、触ってもいい化石などもあり、まあまあおもしろかった。そのあとはステージなどを少し眺め、まあ雰囲気は堪能したから帰ろうか、となる。気候もよかったためかだいぶ賑わっていて、実行委員会らしき学生がわちゃわちゃしているのを眺め、去来する思い出などもあり、少し感慨深かった。たぶん叔父は大学祭などには縁のない学生だったろうと思う。そもそも叔父の時代がこのキャンパスだったのかどうかも定かではない。
 ゆめタウンに戻り、しっかりと買い物をして、帰宅の途につく。到着予定時刻から、木次あたりでもう暗くなりそうだな、と予想するが、実際はもっと早く暗くなった。日に日に暗くなるのが早くなる時期である。暗くなった上に霧が出て、なかなか運転がしづらかった。三刀屋で降りたのが18時くらいで、おろち湯ったり館に行くのになんと最適な時間だろうか、と思う。もちろん家族連れなので行けない。3連休なのでどこかで行きたいものだと考えていたが、初日も行かなかったし、結果的に最終日にも行かなかった。おろち湯ったり館は、近くて遠い。
 ちょうど夕飯時に家に帰りつくことができた。ちなみに夕飯は、くたくたの帰宅後にあくせくしたくなかったので、前日にカレーを作っておいた。先日のおでんに続き、外出から帰ってきたあとの晩ごはんをすごく気にかけ、そしてその心配りによって、とても心が救われている。帰ったらごはんを炊いてカレーを温めるだけだ、という安心感がいい。こういうときってスーパーに立ち寄って弁当を選ぶのさえ面倒だし、なによりひとりなら別にいいけど、家族でスーパーの弁当を食べる情景ってあまり好きではない。
 結果的に5時間以上運転して、体が強張った感じはあったが、行きたい場所に行けたし、車内音楽が愉しかったし、ファルマンの卵の事件はおもしろかったしで、なかなかいいレジャーだったと思う。

夜リフト体験

 土曜日、わが家にしてはとても珍しく、夜に出掛ける。三瓶山リフトにおいて、オリオン座流星群を観測するため、夜間の特別操業があるとのことで、それはいい思い出になりそうだということで、出向くことにしたのだった。
 家を出たのが18時過ぎ。もうこの時点でだいぶ薄暗かったし、走り始めてすぐに猛スピードで日は完全に沈んだ。さらには、家から三瓶山方面に向かうとなると、その道程はほぼほぼ山中と言ってもよく、なんだかとてつもない暗さだった。他の車もほとんどなく、人類はわが家だけを残して滅亡したのではないかと思った瞬間が多々あった。
 出発前にホームページで中止にはなっていないことを確認していたが、雲が多く、時おり小雨が降るという、天体観測にはとても悪条件だったせいか、本当にリフト乗り場の直前まで催し物がなされている気配が一切なかったため、なんだかハラハラした。夜の山に、リフトのレーンに取り付けられているのだろう点々とした灯りを目にし、そして駐車場にそれなりにわが家以外の人類の車が停まっているのを見て、ようやく安心した。
 おそらく流星群の観測は無理だろうと既に諦めていたが、もとより僕自身としては、そちらよりも夜のリフトという体験のほうに比重を置いていたので、あまり支障なかった。チケットを購い、乗車する。もちろん待ち時間とかそういう次元の世界線ではない。
 リフトはふたり乗りで、話し合いののち、僕とポルガ、ファルマンとピイガという組み合わせで乗ることにした。リフトに乗ったのは、僕は鳥取砂丘以来だ。ファルマンと子どもたちは、実はちょうど1年くらい前、まさにこのリフトに、義両親とともに乗ったらしい。「けっこう怖いよ。あなた無理なんじゃない?」と、ファルマンから高所恐怖症の性質を揶揄され、貶められたのだけど、乗ってみたら別にぜんぜん大丈夫そうだった。リフトは、たしかに高度をどんどん上げていくけれど、なにぶん山の傾斜に寄り添っているので、地面は常に2メートルほど下にあり、これなら落下したところで死ぬわけではないからへっちゃらだな、と思った。それを隣に座るポルガに伝えたら、「じゃあ後ろを見てみなよ」と言うので背後に目をやったら、駐車場の灯りは思っていたよりも低い場所にあり、少しだけゾワッとしたけれど、それでも取り乱すほどではなかった。しかしながらリフトの終盤、最高地点付近になると急に傾斜が激しくなって、このときだけは地面との間隔がだいぶ空いたため、許容範囲を超えた。この傾斜の激しさはリフトのワイヤーの限度を超えているので、ある瞬間にぶちっと切れてしまうに違いない、と思った。そのため頂点まで到達し、降りたときには、左に避けてすぐ、しばらくうずくまった。なんだかんだでやっぱ怖えよ、と思った。うずくまる僕の姿を見て、ひとつ後ろのリフトでやってきたファルマンは驚いていた。
 それから、地面を踏みしめる喜びを感じながら、リフトの乗降場からさらに山頂を目指す。山頂にある展望台みたいなエリアまでは階段が整備され、足元にも道しるべとなる灯りが灯されているのだった。展望台エリアに辿り着くと、なにしろ暗いので全貌は掴めなかったけれど、たぶん20人くらいの人がいて、流星群を観るために待機しているようだった。しかし雲はだいぶ厚く、流星群に限らず、ロケーション的には満天の星空が見えて然るべきだというのに、それさえほとんど見えない。なにより月さえ隠れてしまっていては、流星群など夢のまた夢のように思われた。これはもう登る前から覚悟していたので、そのさまを目の当たりにするやいなや、寒さもあり、早々に下山することにした。
 ふたたびリフト乗降場へと戻り、今度は下りのリフトに乗る。これが、これがもう、思い出しただけでも体が強張るほどにおそろしかった。地面が常に寄り添った登りに対し、下りのそれは地面から遠く離れ、視界は絶望的な中空であり、体感的には完全に浮遊であった。あとからファルマンに訊ねたところ、これでも暗くてよく見えない分、日中よりは怖くないのだそうで、じゃあ僕は冗談じゃなく、日中にこれに乗っていたら気絶していたかもしれないと思った。数メートルの間隔があるファルマンたちのリフトまで、僕の奇声は届いたらしい。体に変な力が入り、腰が痛くなった。どうしても、どうしても巨根過ぎるせいで、こうなってしまう。こんなことなら巨根でなければよかったとは決して思わないが、それでもこのときばかりは神の意図が恨めしくもなる。先週の日御碕は経験則から回避したため、高所の恐怖を味わったのは久々で、ちょっと喉元を過ぎかけていた感があったけれど、やっぱり飛行機なんて絶対にあり得ないな、と再認識した。そんなリフト体験だった。
 リフトの恐怖はひどかったが、夜の人類滅亡ドライブも含めて、家族の懐かしい思い出のひとつになったんじゃないかと思う。行けてよかった。ちなみに晩ごはんは、帰ったらすぐに食べられるよう、事前におでんを拵えていて、これがとてもよかった。寒くて暗くて高くて怖かったリフトも、帰ったらおでんを温めて食べ、まずビールを飲んで、そして次に熱燗を飲むのだと思い、なんとか耐えられた。無事に帰宅し、実現したそれは、果たして至福であった。愉しい夜だった。

日御碕へ

 すっかりいい季節になり、各地でいろいろなイベントが行なわれていた。かなり目移りしたが、結果として、なぜか特になんの催しもやっていない日御碕へと足を運ぶことにした。
 途中の出雲大社では、駐車場に入る車による渋滞に巻き込まれ、道の選択を失敗したと思った。出雲大社の駐車場に入るための渋滞に、出雲大社に行かないのに巻き込まれるバカらしさ。なんとかそこを通り抜け、稲佐の浜を右に曲がると、右手になにやら行列が見える。なんだろうと思っていたらファルマンが、「あれは去年ピイガがカニを当てたやつだ!」と気付く。僕は参加しなかったので場所が分かっていなかったのだが、なぜか引き寄せられるように日御碕に行くことにした今日、ちょうど開催中のその横を通り過ぎたのだった。なんか運命的なものを感じずにいられない。こうなると今年もくじを引いたら当たったのではないかという気もするが、行列はその時点でだいぶすごいことになっていたので、並ぶ気にはならなかった。
 日御碕に行くのは、検索したところ日記には書いていなかったが、2020年の8月以来である(2021年の日記に、「去年の夏に日御碕灯台に行った」という記述があることから判明した。なぜ当時に書いていなかったかと言えば、コロナ禍で、県外に出たことはあまり大っぴらに言えない社会情勢であったことに加え、6月から無職になって、世間の夏休みが終わったら本格的に就職活動を始めなければならないという、なんとも嫌な精神状態での出雲帰省だったという、二重の理由があると思われる)。つまり3年ぶり。そう滅多に行く場所ではないので、行くたびに、たどり着くまでの道のりの大変さに驚く。それでも倉敷時代も含めて地方暮しももうわりと長いのでだいぶ耐性がついているが、僕はここに、大学生の頃にも来ている。もちろんそれが初めての日御碕であったが、ファルマンの帰省について数日実家に泊まることにした際、「日御碕に行くといいよ」と両親が車を貸してくれ、ファルマンとふたりで行ったのだ。横浜在住の、普段そこまで運転しない大学生に、両親はなぜあんなに気軽に車を貸し、そしてこの道のりのスポットを薦めたのだろうか。今となっては謎だ。僕が親の立場だったら、絶対にそんなことはさせない気がする。
 久しぶりの日御碕は、別になにも変わっていなかったが(星野リゾートのホテルは去年開業したらしいが)、3年前の来訪が、精神状態があれだったし、真夏でたぶん怠かったしで、あまり印象に残っていないこともあり、新鮮で愉しめた。灯台には登ることができるのだが、3年前、料金を支払って登りながらも、外の展望テラスには恐怖心から出られないという出来事があったので、今回は挑戦さえしなかった。ファルマンと子どもたちだけで登り、僕は地上からその写真を撮った。
 

 撮りながら、この天高くまっすぐ聳え立つ感じは、男性器のメタファーとして、LINEのアカウント画像にすると縁起がいいのではないか、セクハラではなく、セクハラと感じたのだとしたらそれはそう感じたあなたの頭が腐っているからじゃないですかと言える絶妙のラインではないか、展望テラスによる膨らみがちょうどカリ首っぽくてありがたいなあ、などと思ったので、家族関係なく何枚か撮った。とんびも写り込んだ。
 そのあとは崖のようになっている海岸線をぐるりと歩き、駐車場へと戻った。日本海らしい、打ちつける波のさまが絶景だった。日御碕、3年にいちどくらい来るとなかなか愉しめる。その程度の思い入れしかないが、アカウント画像にするやもしれない。誰が日御碕灯台やねん。スカイツリーやっちゅうねん。

10月の3連休

 3連休であった。中日以外はまあまあ天候に恵まれ、なにより気候がとてもいいので、普通に考えれば公園などに繰り出していたに違いなかったが、上の子は中学生になっていて、そして試験前期間なのだった。切ない。ごく普通に、「遊ぼうぜ」と家に誘いに行ったら、「ごめん、塾なんだ」と断られた少年のごとく切ない。そっか、もう俺たち、これまでとはちょっと変わっちゃったんだな……。もっとも当のポルガが、塾に行っているわけではないし、「勉強しなきゃいけないから」とこちらの誘いを拒否するわけでは決してない、というのが、父親として、どう捉えていいのか微妙なところだ。「ポケモン観るー」とか「ぷよぷよするー」などと無邪気にのたまう様子に、安心するような、不安なような。
 それでもどこにも行かなかったかと言えば実はそんなことはなくて、初日の土曜日は松江に繰り出し、この日と翌日の2日間、くにびきメッセで行なわれた「みらいキッズラボ」というイベントに参加した。子ども向けの企業博みたいなもので、2年前に出雲ドームで行なわれた同じようなイベントにも行ったが、それをふた回りくらい大きくしたような感じだった。ふた回りくらい大きいという印象がどのあたりに起因するのかと言えば、10時開始のところ9時50分くらいに会場に到着したら、オープニングセレモニーが執り行なわれていて、そこには松江市長と島根県知事がいたという、そのあたりだ。支持者でもなんでもないが、県知事って、見るとちょっと「おっ」となると思う。セレモニーが終わるとゲートが開放され、並んでいた人たちが順番に、ブースが立ち並ぶエリアへと進んだ。この際、セレモニーの立ち位置のまま、テープカットに参加していた知事や地元劇団の子どもたちに拍手されながら入場することとなり、知事の目の前を通過しながら、どんな顔をしていいのかさっぱり分からなかった。こんな事態は想定していなかった。10時開始で、駐車場が満杯だったり、ブースがどこも行列だったりしたら嫌だし、午後から松江ではスサノオマジックのシーズン開幕戦があるというので、どこまで影響があるのか分からないが、巻き込まれたら嫌だから早めに切り上げたいね、というくらいの気持ちで、9時50分に到着したのに、絶対的な人数の少なさゆえか、「オープン前から意気込んで並んだ猛者」のようになってしまった。しかしそのおかげもあって、3つ4つ、待ち時間なく体験ブースを回ることができた。時間が経つにつれてさすがに人も増えてきて、ブースに行っても「30分待ちです」なんて返事が来るようになってきたので、まあこのあたりが潮時だろうと、上客のように(1円も使っていないが)スッと会場を出た。まあまあ愉しめた。
 そのあとはスーパーに寄って、昼ごはんの買い出しをし、帰りがけの公園でそれを食べるつもりだった。しかしその目的で立ち寄った公園、「古墳の丘 古曽志公園」に近寄ると、なんだか様子がおかしくて、「フェス会場 こちら」などという看板が立っている。慌てて検索すると、ちょうどこの3連休で、この公園を会場に音楽フェスが行なわれているらしかった。古墳が再現されていて、そして宍道湖が見下ろせるという公園に魅力を感じ、ぜひそこでお昼ごはんを食べようと目論んでいた一家を襲った悲劇。たまたま行こうとしていた公園でフェスて。仕方なく別の場所を探すことにした。ちなみにタイムテーブルを見ると、初日の正午あたりのこの時刻、出演者の中でたぶん一番の目玉であろう、PUFFYがやっているところだったよう。PUFFY! へえ!
 それで次にどこへ行こうと思ったかと言えば、先ほど目にした知事にも関係する場所だが、宍道湖のほとりにある道の駅、秋鹿なぎさ公園で、これも同じく2年前、カヌーをしに行った場所であり、ここと知事がどういう関わりかと言えば、ここはあの、ちょっと全国ニュースにもなった、段ボール授乳室が設置され、批判が湧いたが、それに対して知事がちょっと格好いいことを言って株を上げた、あの道の駅であり、別に来るつもりはなかったのだが、来たからにはせっかくなのでひとつ実物を見てみようじゃないかとも思った。しかしあのニュースが話題になったからなのか関係ないのか分からないが、駐車場が満杯で、先ほどの公園に続き、こちらにもフラれてしまった。仕方なく昼ごはんは車の中で食べた。
 次の日は僕自身はとてもインドアだった。ファルマンと子どもたちは、いつもの科学教室や、ポルガが図書館で勉強をするというのでその送迎をしたりして、わりと家にいなかった。それで僕はどうしていたかと言えば、借りてきた大河ドラマのDVDを観ながら、裁縫をしていた。つまりいい休日の過し方をした。作っていたのは、珍しく下着でも水着でもなく、久しぶりのキャスケットで、自分用のものがほぼ完成する。なかなかいい出来だが、作りながらひしひしと感じていたこととして、なんだかとても派手になってしまった。あまりに特徴的なので、これはさすがにちょっと「nw」にアップしづらい。まるでタイムボカンの主人公のコスプレのようだな、ということを思い、画像検索したところ、しかし歴代シリーズであまりそれっぽいものを被っているキャラクターはいなかった。それでもタイムボカン味が拭えないので、言うなればこれはタイムボカンの主人公の概念のコスプレだな、などと思った。
 夜はラグビーワールドカップの、予選リーグ最終戦、アルゼンチン戦を観るぞ、と思い、実際に観始めるが、野球にしろサッカーにしろバスケにしろ、結局のところ僕はスポーツに関する素養が欠けているのだろう、観戦中ってなにをすればいいの? という状態になり、十数分で観るのをやめてしまった。なにをすればいいもなにも、ただ観戦をすればいいのだろうが、それができないのだった。結果は敗北で、そうか、と思った。
 明けて今日、3連休最終日は、なんてったって出雲駅伝が開催されたのだった。ファルマンの両親は沿道での応援に繰り出したそうで、テレビ中継にも入り込んだらしい。わが家はもちろんそれはせず、交通規制のエリアや時間帯を避けるように、買い物などをこなした。3時のおやつには、わざわざケーキ屋で購ったロールケーキを食べた。この3連休、家に長くいたので、なんだかやけにコーヒーを飲んだのだけど、コーヒーの受け菓子としてハイカカオチョコレートをせっせと食べながら、じわじわとフラストレーションが溜まっていたようで、「きちんと甘いものが食べてえ……」という思いが募り、最終日の今日にとうとう大物を買って食べることにしたのだった。ストイックになり切れないな。
 夕方になり、ちょっと泳ぎに行こうかと悩むが、迷った挙句、ひとりランニングなんぞしてみた。駅伝に影響されたわけではない。このところ水泳をしながら、いまいち満たされないというか、効果を感じられない部分があり、逆に走ったほうがいいんじゃね? と考えたのだった。やった結果どうだったかと言えば、慣れないためにペース配分を間違ったということもあるが、思うようにいかず、やっぱり泳ぐほうがいいかなあ、と思った。
 とまあそんな感じの、充実していたような、茫洋としていたような、あまりよく分からない3連休だった。もっと活用したかったという思いもあるが、まあこんなもんだろうとも思う。穏やかではあったと思う。

40歳

 かくして正式に40歳になった。40歳のパピロウですって。ウケんね。
 お祝いは当日の水曜日になされた。お祝いのメニューはなにがいいかとファルマンに事前に訊ねられたので、「スーパーのでいいから鮨」と答えたところ、それはなんの逡巡もなく「よしきた!」と受け入れられた。しかし当日の夕方になってファルマンがスーパーに向かったところ、平日というのはスーパー側もあまり気合を入れて鮨を作らないようで、ほぼ助六のようなものしかなくて、僕に電話でそれを伝えてきたのだけど、じゃあ俺が調達しようと労働終わりに立ち寄った別のスーパーも、ほとんど同じような状況で、仕方なくそんな感じのものを買って帰ったが、ちょっとどうも、とても誕生日祝いのメニューらしくない感じで、残念だった。40代、これから世界に訪れるであろう食糧危機の未来を示唆しているのかもしれないと思った。そんな未来のために僕ができることはなんだろう。コオロギをむさぼり食うことかな。
 そんな食事を終えたあとは、ケーキ。ケーキは定番のガトーショコラである。定番と言いつつ、去年はなぜか白玉クリームぜんざいだったのだよな。今年は戻った。ピイガが小学校から帰ったあと、ファルマンとふたりで作ってくれたそう。愛しい。ガトーショコラは甘くておいしかった。近ごろ甘いチョコレートというものを久しく食べていなかったので、そう言えばチョコレートってこういうお菓子だったな、と思い出した。
 誕生日を祝うポスターは、今年は平日のため準備がままならず(腐るものではないのだから3連休でいくらでも仕立てられたのではないか、という含みはありつつも)、壁の装飾にとどまった。
 その装飾りがこちら。


 描いて、塗って、カットして、貼っているのだと思えばそれなりの手間のようにも感じられるが、それにしたってシンプル。シンプルもなにも、ちょっと悪意がないだろうか。時間がない中でなにかどうしても伝えたいのだとすれば、それは「おめでとう」であるべきではないのか。大台に乗った年齢のことを、どう考えてもちょっといじっていると思う。せっかくなのでかねてより変えたいと思っていたこともあり、LINEの画像をこれにしてはどうかとも一瞬思うが、かまってちゃんな感じかな、と思ってやめた。
 ちなみに直前まで決めあぐねていた誕生日プレゼントは、さんざん煮詰まった挙句、結局のところ自分がいまいちばん欲しいものはなんなのかという自己との対話の結果、生地になった。生地なんかい! 水着用のストレッチ生地を複数枚ネットで選び、それを買ってもらった。吟味しただけあって、とてもいい柄たち。嬉しい。
 そしてそんな9月20日を終えて、次の日からは曇りがち、雨がちな天候が続いていて、今日は土曜日に喰われた秋分の日で、ポルガが部活に行き、ファルマンが仕事をしていた午前には、ピイガとふたりで散歩に出た。日中に散歩に出たのなんて、何ヶ月ぶりだろう。やっぱり今年も僕の誕生日から世界は明確に秋になった。私は秋をもたらす者。I am autumn bringer.スーパーには新米が並び始めたが、たぶんそれは、僕が立ち寄ったスーパーに限るのだろうと思う。僕が足を運ばないスーパーは、いまだに冷やし中華が大売出しだ。
 節目ということで、1年の抱負とともに10年の抱負も考えるべきなのかもしれない。しかし偶然にもどちらも一緒だ。心地よく生きたい。ただひたすらに心地よい日々を目指したい。そのためには少々の苦難も覚悟している。それほどにだ。

偏狭3連休

 金曜日の労働が早めに終わったので、おろち湯ったりチャーンス! とひとり盛り上がり、赴くことにする。ちなみに職場からおろち湯ったり館へは、ほぼ家の前の道を通るような道のりしかない。職場をA、自宅をB、湯ったり館をCとしたとき、AからCへ斜めに向かうようなことは一切できない。でもはるばる行った。3連休のどこかで虎視眈々と好機を窺い、結局行けないまま終わったり、無理して行ったせいで全体が乱れたな、などと後悔するよりも、3連休前夜(と言っても翌日が休みという「自由な夜」は、この晩からの3日なのである。3連休は前夜から始まり、最終日の夜には実質的には終了している)に済ませてしまうのが得策だと思った。なんだろう、おろち湯ったり館は与えられた課題かなんかだろうか。
 7月以来の湯ったり館は、今回も裏切られることなく、よかった。プールも2階の外気浴も貸し切りで、快適に過ごした。ただし2階に上がると、誘蛾灯がジジジジと猛烈に作動している音が響いていて、なるほど見上げれば、とてつもない数の羽虫が飛んでいた。なんかもう、本当にすごかった。人生でこれほどの密度で羽虫が飛んでいる情景を見たことはなかった。まるで、問題ない量の精子が存在する精液のようだった。本能を刺激する強い光と、そこに群がる虫たちが放つフェロモンで、フライデーナイトフィーバーが繰り広げられているらしかった。ベンチに横たわると、照らされた羽虫は、夜空に浮かぶ星のようにも思え、それが目まぐるしいスピードでグルングルンと飛び回るものだから、いわゆる「ととのう」の、あの少し気を失いかけるような、心地よいめまいみたいな状態の視界の表現が、自動で展開されているような不思議な感覚があり、愉快だった。
 しっかり堪能し、帰る。帰って、餃子を焼いて、ビールを流し込んだら、先週もそうだったが、もうとても起きていられなくなり、早々に寝ることにした。人が夜に眠い状態になることを嫌うファルマンに、「そんな状態になるのなら湯ったり館に行くな」と責められたが、金曜日の夜にサウナに行って酒を飲んで眠くなるという一連の流れのいったいどこに、責められるべき不健全な部分があるだろうと思った。
 翌日、3連休の初日は、午前中に家族で少し外出する。先日も行ったクレーンゲーム専門店に行ったり、レンタルビデオ店でDVDを借りたりした。クレーンゲームでは、前回ほどの大物ではないが、ハイチュウの景品用っぽい箱タイプのものをゲットした。それ以外に挑戦した分も含め、700円を使ったが、たぶん中身はスーパーで買ったら250円から300円くらいだろうな、というものだった。そういうもんだ。遊興費だ。
 夜は地元の天文イベントに、子どもたちの引率として僕が参加する。定期的に行なわれるこれには、基本的にファルマンが連れて行っているのだが、今回はタイミングが合ったので代わることにした。しかし行った結果、まあまあのダメージを受ける。まず物理的に、部屋の温度が寒かった。空調の設定が強すぎて、体がどんどん冷えていった。周囲を見ると、女性も含めてみんな半袖だったが、僕以外は誰も寒そうなそぶりをしておらず、設定の変更を申し出られる雰囲気ではなかったため、首にタオルを巻いたり、最終的な自衛策として「部屋から勝手に出て廊下にただ佇む」などの手段を取った。あと話のテーマのひとつが、宇宙がどれほど大きいものか、というもので、プラネタリウム的な施設を用いながらその説明がなされたのだが、宇宙空間に飛び出す全天映像にはヒヤリとするような浮遊感があったし、そもそも宇宙のスケールの話は、あまり得意ではないのだった。星が何千億も何兆もあって銀河となり、宇宙にはその銀河が何千億も何兆もあるのだ、みたいな話って、聴くたびに、絶望感とか虚無感とか、そこまで強い言葉ではないにせよ、うすら寒い気持ちになるので、なるべく避けたいと思って生きている。そんなわけで、なかなかつらい時間を過した。帰宅してファルマンに報告をした際、「途中で食べたお弁当がおいしくてしあわせだった」と、自分が出発前に拵えた煮豚と焼き野菜の弁当のことを唯一の希望のように語ったら、「結局あなたは本当に自分のやることしか好きじゃないんだね」と呆れられた。なんか、どうも、そうかもしれない。偏狭だと我ながら思った。
 翌日はかなりのんびりと過した。部屋でひとり、借りてきたDVDを流しながら、筋トレをしたり、裁縫をしたりして、とても満ち足りた時間を送った。借りてきたDVDは大河ドラマで、もう僕は昔の大河ドラマを観ながら、裁縫をして、たまにおろち湯ったり館に行けたらそれだけでしあわせなのかもしれない、昨晩のことを思い出し、偏狭と言えばあまりにも偏狭なのではないかとも思うが、真性がそうなんだから仕方ないよな、などと思った。
 あとファルマンに髪を梳いてもらったのち、ブリーチを施してもらった。髪が、先の5分3くらい茶色、根元の5分の2くらいが黒という、なんとも半端な状態になっていて、40歳を迎えるにあたって(写真を撮られることも考えられる)整った状態にしておきたいと思ったのだった。使ったのは容赦のない感じのハイブリーチ剤で、全体がきちんと金髪らしい金髪になった。今回はたぶん、ここに色は入れないと思う。ただ脱色した金髪。なんかそんな気分。
 夜に放送された「VIVANT」の最終回は、タイミングが合わず、リアルタイム視聴はしなかった。そして翌日の午前中に、Tverで観た。とてもおもしろかったが、実を言えば世の中が盛り上がりすぎていて、何週間か前から、少し自分の心が冷めているのを感じていた。人気のないマニアックなものにしか価値を見出さないわけではないけれど、同じものに対し自分よりもテンションが上がっている人を見ると、どうしても引いてしまう。これも偏狭な性質の一種か。
 午後、祖母から電話が来る。今日届くように注文した敬老の日のプレゼントの礼だった。贈ったのは去年と同じく入浴剤。もう本当に毎年そうすることにしたのだった。電話口で祖母は、先ごろ死んだ親戚が自分と同い年だったという話や、どうせもうすぐ死ぬくせに補聴器を買ってしまったという話を披露してきた。祖母の「もう私は長くない」話は、たゆまぬ努力で日々バリエーションを増やし、数年前よりさらに芸に磨きが掛かっていると思った。
 そのあと、夕方にひとりでプールに赴く。暑さはまだ残り、祝日のプールはほどほどに混んでいた。気持ちが良かったが、少し体が重たい気がした。ちょっとこの3日間、摂取した脂質やアルコールに対し、運動量が少なかったのではないかと思う。これからの日々は、ちょっと摂生を心がけようかな、と思った。
 というわけで3連休が終わる。今年のシルバーウィークは散漫だ。誕生日も間の抜けた水曜日にある。そして僕はいよいよ40歳になるのか。それもまたいいだろう。ちなみに悩んでいた誕生日プレゼントも無事に決まった。宇宙の広さになど思いを馳せず、自分の本当に身の周りだけを、小さく満たして生きてゆきたい。

のんびり週末

 金曜日の夜は猛烈な眠気に襲われた。偉いと思う。1週間を勤め上げ、最後の最後に力が尽きたということだろう。本当に偉い。もっと家人に褒められてもいいと思う。22時くらいに起きていられなくなり、寝室にはまだ布団を敷いていなかったし、ファルマンが仕事をしていたので、リビングで座布団を枕にして横になった。とても珍しいことだ。そこで1時間ほど、たぶんとても深く寝て、眠りの粗熱は取れた感じがした。それでもまだ頭はぼんやりしていて、これは起きていてもなにもできないやつだな、と判断し、晩酌もせず、仕事を終えたファルマンとともに歯を磨き、休みの前夜にしてはだいぶ早めに寝た。休みの前夜というものに、毎週懲りずにテンションが跳ね上がるが、現実はこんなものだったりする。
 翌日は午前中に子どもたちが科学クラブだったので、送迎をする。ファルマンは仕事があったので、送と迎の間に洗濯を干したり、買い物に行ったりと、優れた働きをした。もっと家人に褒められてもいいと思う。子どもたちを回収したのち、昼ごはんに皿うどんを作って食べたあと、みんなで図書館に繰り出す。夏休みのスタンプラリー企画の際に借りた本が読み尽くされてしまい、新しく仕入れる必要があった。僕自身も、かなりの冊数を借りた。とても鋭い着眼点のあるあるだが、うだるような夏が終わり、朝晩が涼しくなって秋の気配を感じ始めると、わりと読書欲が増すと思う。言われてみればそんな気がしてくるから不思議だろう。秋って読書のシーズンだ、と断言してしまってもいい。我ながら斬新な意見だ。
 夕方、なんとなく気が向いたので、ピイガと近所の散歩に出る。だいぶ久しぶり。そういうことができる気候にようやくなった。ちなみにポルガには断られた。ピイガは縄跳びを、僕はバトンを持ち、車が通らない場所まで行ってから、それぞれやった。バトンは、夏を言い訳にできない期間に渡ってのご無沙汰であった。長らくできずにいたのは、労働で指を酷使する状況が続いていたからで、最近はちょっとそこから解放されたので、夏の終わりのタイミングも合致して、本当に久しぶりに回すことができた。そうしたら、ものすごく愉しかった。やっぱりバトンはいいなあ、もっと自由自在に回せるようになりたいなあ、と向上心が湧いた。手首を柔らかくするストレッチを心掛けたりしよう。きっとそれは水泳にもいい効果があると思うし。
 晩ごはんは、横浜から久々に届いたピザに、ポテトサラダと、味を付けて焼いた手羽元というメニュー。おいしかったし酒も進んだが、食べ終わったあと、まあまあの胃もたれ感があった。ポルガは下していた。ポルガはチーズがやはり少し弱点なのではないかという疑いがある。
 夜はポテトサラダの残りなどで、ファルマンと晩酌した。やっぱり週末の夜はこうでなくっちゃ。まあ晩酌自体は平日もしているわけだが、心の余裕が違う。
 翌日の今日は、ポルガが日曜日なのに午前中は部活ということで出ていったが、欠席者が多くて練習が成立しないということで中止になり、すぐに帰ってきた。夏を経ての疲弊もありつつ、新型コロナが相変わらず流行っているようで、おそろしい。わが家は、一応、いままだ、7月のあれがやはり新型コロナだったとすれば、免疫が、ある……よね? という感じなのだが。
 それ以降は、僕が食料品の買い物に出た以外は、外出せずに過した。なんならまた夕方になって涼しくなったら散歩に出てもいいね、などと話していたが、残念ながら夕方からは大雨だった。おやつのあとに4人で大貧民をやった以外は、ファルマンとピイガは一緒になにかしていたが、僕とポルガはそれぞれの部屋で、がっつりとしたいことをして過した。というわけで、のんびりとしたわりといい週末だったんじゃないかと思う。
 来週末は、今のところ3連休が予定されている。3連休ならば、いちどくらいは湯ったり館に行ければいいなあと思っている。つましい願いだな。

ギャンブルめいた日

 土曜日は部活だったり科学クラブだったりした子どもたちが、日曜日はふたりとも家にいて、どこかへ連れていけと朝からうるさかった。しかしまだまだ異常な暑さは続いているので、もちろん公園などの屋外施設になんか行けない。それで思案した挙句、ちょっと離れた場所にある大型書店と、その周辺の遊び場へと繰り出した。
 書店は、近ごろショッピングモールの中にあるような所にしか行っていなかったが、久しぶりにちゃんとした大型書店に行ったら、わりと愉しかった。書店というものを、もうほとんど過去の就業時代のことを忘れて、純粋に愉しめるようになったのだな、と思った。大型書店には文房具屋も併設されていて、いまどきの新しいグッズもありつつ、その一方でGペンだったりスクリーントーンだったり、大昔から置きっ放しなのだろうコーナーなんかもあって、おもしろかった。スクリーントーンというものを目にしたのは何年ぶりだろうか。この文房具屋で、消しゴムはんこの、透明ver.というものを初めて目にし、思わず購ってしまう。見た瞬間にテンションがぶち上がり、家に帰るなり彫り始めた、ということは別にないのだが、とりあえず買っておこうと思った。色を重ねて押すのに便利だろうと思う。使うべき時が来たら使おう。
 本屋のあとは、すぐそばにクレーンゲームの専門店があり、そちらにも立ち寄った。ゲームセンターと違い、本当にクレーンゲームだけが並ぶ、おもしろい空間だった。多様な景品の種類があり、どれも1プレイ100円だというので、とりあえず子どもたちに200円ずつ渡してやる。物色しながら店内を巡ると、あえなく失敗している人もいれば、袋に一杯の景品をぶら下げている人もいて、なかなかテクニックがものを言うようだな、と思った。ピイガはゴリラの人形があったのでそれに挑戦したが、落とすことはできなかった。そもそもあまりピイガは入れ込んでいない様子で、どうもギャンブル的な、お金を使っても失敗したらなにも返ってこない、という仕組みが、この子は好きではないらしかった。ポルガはさんざん悩んだ結果、ドラえもんがプリントされたどら焼き型の巨大クッションに挑戦し、2回失敗したが、なんかやけにいけそうな感じがあったので、思わず100円を追加してやったら、なんと3回目にアームががっちりとクッションを掴み、そのまま取り出し口へと運んでくれたのだった。せっかくだからなんか持って帰りたいけど、たぶん無理だろうね、などと話していたが、かくしてわりと豪華な景品をゲットしたのだった。ビギナーズラックというか、あとでファルマンがネットで検索したところ、この手のクレーンゲームは、一定のタイミングでアームが本気を出す仕様になっているようで、その前の、他人も含めた数々の失敗によって、そのゲージが一杯になり、このときにちょうど発動したのではないかということだった。胡散臭いというか、なんとも射幸心を煽る仕組みだな。とは言え戦利品が手に入ったのはよかった。いい思い出になった。
 そのあとショッピングモールにも寄り、こちらのガシャポンコーナーで、ピイガに1回だけ回させてやる。ピイガはクレーンゲームより、お金を入れれば必ずなにがしかの景品が手に入るこちらのほうが趣味に合っているらしい。堅実で悪くないと思う。
 それとここのダイソーに、他のダイソーでは見つからなかった、ブラックジャックグッズに合わせて発売された、手塚漫画のキャラクターの、缶バッジや、アクリルスタンドや、キーチェーンも販売されていて、それぞれどの絵柄が出るかは開けてのお愉しみなのだが、それぞれを3つずつほど買った。家に帰ってから開封したところ、「鉄腕アトム」と「三つ目がとおる」がやけに出て、しかしブラックジャックもそれぞれ1個ずつは出て、まあ、まあまあかな、という出目だった。「火の鳥」か「ブッダ」が出てくれたら嬉しかったのだけど、なんとなくそこらへんは絶対数が少なそうな気がする。たぶんアトムが多そうだと思う。
 行き場所をあぐね、苦し紛れに向かったわりには、かなり有意義に愉しめた外出となった。そして、やけにギャンブルめいたお金の使い方をした1日だった。

俺の今年の夏休みはまあまあいい具合にまとまった

 夏休みが終わる。6日間、たっぷりと堪能した。
 開始時に「予定がない」ということを書いて、結局どんなふうに過したかと言えば、行き当たりばったりに、それなりに愉しく過した。時間を持て余すということもなかったし、まだまだ休みたくて明日からが憂鬱でしょうがない、ということもない。ちょうどよかった。そういう意味で、いい具合にまとまった夏休みだったと思う。
 図書館でスタンプラリー企画をやっていて、市内にある図書館のうち、5館を回ると粗品をプレゼントということで、参加した。スタンプラリーと言えば鉄道のイメージがあるけれど、それはたぶん都会の話で、地方では電車の数が少ないし、駅と駅の間隔が広いので、不向きなのだろうと思う。図書館のスタンプラリーは、子どもが自転車で回るには範囲が広すぎるので、どこまでも車を運転できる大人の存在を前提にした企画であるに違いなかった。そして市内の方々にある図書館に、1日1館ないし2館赴くのは、予定がまるでない盆休みに、とても適当な用件であった。ついでに、普段は行かないスーパーなどにも行けて嬉しかった。プレゼントは定数に達し次第終了ということで、用意された数と、参加状況のことは知らないが(5館はなかなかにハードではある)、わが家は無事にゲットした。図書館の本の運搬に便利な、スサノオのイラストがプリントされたオリジナルのトートバッグであった。
 今回の図書館巡りで、これまでも気にはなっていた「王家の紋章」(細川智栄子あんど芙~みん)に、とうとう手を出してしまう。なにぶん娘が古代エジプトにどっぷり傾倒しているので、いつか読むことになるだろうとは思っていた。夏休みで時間があり、そして図書館巡りをしているのだから、開始条件は揃っていた。まとめて数十巻分も借りて、僕、ファルマン、ポルガで、ガンガン読む。読んでいる。感想はまた別に書こうと思うが、期待通りにとてもおもしろい。
 古い漫画繋がりになるが、ダイソーでブラックジャックグッズが出たということで、買いに行き、そのラインナップ中にトランプがあったことから、この数日はかなりトランプでも遊んだ。はじめは七並べやババ抜きなど、これまでもしていた遊びをしていたのだが、ピイガも4年生なのでそろそろできるだろうということで、子どもたちにルールを覚えさせ、大貧民をやるようになった。大貧民は、やるとやっぱり滅法おもしろい。4人なので平民なしの、富める者と貧しき者の二極形式。たぶん合計で20回以上行なったが、僕はいちどくらいしか貧民側には落ちなかった。踏んでいる場数が違う。
 プールは、1年で最大の書き入れ時であり、迂闊には近づけなかった。それでも夕方や夜などに、ひとりスッと駐車場の空きに滑り込み、ストイックに泳ぐだけのコース(どれほど盛況しててもここは空いている)で存分に泳いだ。4度ほど行って、毎回作り立ての、新しい水着を穿いた。レジャーの客と、いろんな意味で違うフェーズにいるな、と我ながら思う。
 最終日の今日は、休みのうちにいちどくらいはサウナに行こうと思っていて、本当は昨日おろち湯ったり館に行く予定だったのだが、鳥取に甚大な被害をもたらした台風7号の襲来につき、さすがにわざわざ山のほうに行くのはやめにして、そのリベンジとして平田のゆらりに行った。湯ったり館に行こうと思っていた意欲からすると、プールのないただの温泉サウナ施設は物足りなさを覚えてしまうのだけど、それでもまあ、サウナのテレビで甲子園を観るっていうのも、夏の思い出として価値があるかもな、などと自分を納得させた(湯ったり館のサウナにはテレビがない)。
 台風7号は、予期していたとおり、全国の夏の移動にとてつもない障害を与えたようで、自分たちが横浜に行ってたら(1ヶ月前からそのチケットを取っていたら)と思うと、とてもゾッとした。ごくごく普通に、帰ってこられなかったんじゃないだろうか。
 食事方面は、6日間しっかり役目を果たした。4日目あたりに手巻きずしをやった以外は、特にこれという力の入ったものを作ったということはないが、毎日おいしく、酒が飲めるものを作った。6日間、酒はしっかり飲んだ。酒が乏しくて切ない思いをするのが嫌だったので、しっかり買い込み、そしてしっかり飲んだ。ビールがべらぼうに美味しかった。
 とまあそんな6日間の夏休みだった。悪くなかった。子どもたちの休みはまだ続くが、とは言え実はもうあと10日くらいのものである。8月ももう下旬なのだ。7月と8月は早いな。早いというか、暑さで朦朧として、こちらの知覚が鈍くなり、処理できないまま通り過ぎているということなのだろうな。早く暑さがやわらいでほしいが、そちらはもうあと1ヶ月ほどは続くのかもしれない。俺たちの朦朧はまだまだ続く。

俺の今年の夏休みは輝かしい最高のものになる

 今日から夏休みに入る。めでたい。
 しかし不安なことがひとつだけあって、先日三女とも話したが、予定がないのだ。わりと本当になにもない。去年はどうだったんだっけ、と1年前の日記を振り返ったら、やはりジタバタしつつも、大したことはしていないようだった。夏休みって、得てしてそういうものかもしれない。なんてったって暑いだろう。冷房を効かせた車移動でも、結局陽射しで疲弊する。そもそも車に乗ってどこへ行くというのか。屋外レジャーのすべては選択肢から除外されるので、そうなるともう田舎暮しは手足をもがれたようなものだ。
 ならばいっそ夏休みというのは、帰省という、億劫だが定期的にやらなければならない行事をこなす期間として捉え、命を削るくらい疲れるのを覚悟して、それをするのが正解なんじゃないか、という気がしなくもないのだが、今年に関してはそれを予定していなかったことがとても幸いだった。なんだあの、台風7号の進路というものは。お盆期間の東海道新幹線は、そして空路は、いったいどういうことになるのか。本当に帰省を計画していなくてよかった。
 1年前の日記の話に戻るが、大したことはしていないと言いつつ、インスタグラムを始めていたのはこの時期だった。すなわち、ジョニファーロビンを召喚し、スマホを購い、作り溜めたショーツを穿かせて撮影し、インスタグラムに投稿するという、たしかにそれはきちんとした分量の休みじゃないとやり始める気にならないかもな、ということをやっていた。ちょっとうらやましい。なんかそういうのないかな。
 一応、新しい水着を作りたいと思い、この夏休みに間に合うよう生地を注文するということをしていた。しかし何枚か買ったうちの1枚だが、火曜日に届いたそれを、火曜日の夜に裁断し、水曜日の夜に仕上げてしまっていて、水着ももうなんだかんだで20枚くらい作っているので当然と言えば当然だが、手際が良くなりすぎていて、もはや僕にとってそれは、まとまった休みだからできることでは全然なくなってしまっているのだった。誰かもっと俺を愉しませてくれる手応えのある奴はおらんのかと、強くなり過ぎた哀しい戦士のような気持ちだが、じゃあ普段作っていないような複雑なものを作ればいいじゃないかと言われると、やはりどうしたって股間周り以外のものを作る気にはならないのだった。どうしてちんこ関連の裁縫はこんなにも愉しいんだろうな。ちんこだからだろうな。
 そんな具合の、グダグダになりそうな気配が濃厚な夏休みなのだが、そのわりに期待感や焦燥感は強いようで(ここに哀しみが生まれる)、初日にして早く目が覚めてしまい(まだ体が平日のリズムというのもある)、ひとりリビングにノートパソコンを持ち出し、薄暗い中でこうして開始宣言を書いた。しかし15分ほど前からピイガが起きてきて、Eテレを流し始めたので、もう書けない。なるべく愉しく過そうと思います。

Mr.サマータイム

 言ってもぜんぜんしょうがないのだけど、暑い。ありとあらゆることのやる気を亡失させる暑さ。いや、この表現では、意志の問題のように捉えられてしまうかもしれない。そうではない。もはや物理的である。物理的に、人がなにもできなくなる暑さだ。
 それでも人にはこなさなければならない用件というものがある。仕事以外にも。
 というわけで土曜日には、松江に行って、サーカスを観てきた。いま松江公演を行なっている、ポップサーカスである。ちなみに話は微妙にややこしいのだが、前日である金曜日の夜まで、僕はこのサーカスを観る予定にはなっていなかった。今回のサーカス行きは義母が企画し、ファルマンとうちの子ふたり、そして夏休みで実家に帰ってきている次女とその娘ふたり(もっとも1歳の次女はチケットの数に入らない)というメンバーで観るはずだった。それを、サーカスを観賞しない僕と義父が車で送迎し、公演中は僕は松江イオンで買い物、買い物の習慣がない義父は松江城に行く(熱中症になるよ!)、という算段になっていた。しかし木曜日あたりから、次女の持病の腰痛が悪化し、1歳児を連れて松江まで行ってサーカスを観賞するという予定がどうにもこうにも困難だということになり、そうなると大人分のチケットが1枚余ることになるので、仕方なく義父が観るか、それとも三女が代わりに参加するか……、などと、ファルマン家名物の、紛糾するだけで一切結論が出ない議論が繰り広げられたのだが、僕が閃いて金曜日の夜に提案した、「俺のフリード(6人乗り)1台で、わが家4人と、義母と、次女の長女という6人で行って、その6人でサーカスも観ればいい」という意見が急転直下で(飛びつくように)受け入れられ、そういう運びとなったのだった。かくして僕は、急にサーカスを観ることになった。
 午前の部だったので、朝実家にふたりを迎えに行くと、そもそも今回のことを非常に億劫に思っていたらしい義父が、とても軽やかな顔で笑っていた。「まあホームページで見たら駐車場は用意されてるらしいから大丈夫だと思うぞ」などと声をかけてきたので、うるせえ、と思った。次女の長女は、母親と別行動をあまりしない子なので、そこが心配だったが、8ヶ月差の1学年差であるピイガにはそれなりに心を開いていることもあり、なんとかなった。道はもちろん高速道路を使い、つつがなく、いい時刻に松江に到着した。ちなみに車中では、前の晩に、今回のために新たに作成したプレイリストで音楽をかけた。義母も乗るので、ポルガのボーカロイドの曲は数を制限し、僕の選んだ昭和歌謡多めのラインナップにした。ランダム再生にしたのだが、行きでサーカスの「Mr.サマータイム」が掛かったので、僕は(よかった)と思ったのだが、義母もファルマンも大したリアクションはなかった。真夏にサーカスを観に行く際にそれを流すのって、すごく気が利いてるだろうと思ったのだけどな。
 案内に従って車を進めると、いかにもサーカスらしい、派手な色の巨大テントが現れ、テンションが上がった。当初は送迎だけをするつもりで、別に観たいとは思っていなかったサーカスだったのに、俺の車1台で行って俺も観る、という提案をした時点から、やはり生来の気丈さや健気さ、なにより気質の良さと言うほかない人間的な好もしさによって、わりときちんと気持ちは盛り上がっていたのだった。サーカスの観賞は、あまり記憶が定かではないのだけど、たぶん子どもの頃に、ボリショイサーカスを観たのではないかなー、という気がする。それ以来だ。ちなみに倉敷在住時代、本拠である岡山に、木下大サーカスが来た年があったが、その頃はまだ子どもたちが小さすぎて行く気にならなかった。そのため今回、子どもたちにとってちょうどいいくらいの年齢でサーカスがやってきたことは僥倖だった。
 テントの中は薄暗く、頭上には空中ブランコの足場のようなものがあったりして、非日常の空間に入ったのだという実感が湧いた。開演15分前になると、時折ピエロが舞台袖から現れ、客いじりなどをして会場を温めていた。わりと至近距離にいたお父さんのひとりがピエロに捕まり、ステージに上げられて芸に参加させられたりしていたので、内心戦々恐々とした。そのお父さんは、はしゃぎ過ぎず、ノリが悪すぎもしない、ちょうどいい塩梅の人で、たぶんピエロは長年の経験によりそういう人の選別能力が養われているのだろうと思った(だから間違っても僕なんかは選ばないのだ)。
 ショーは、非常に見応えがあり、おもしろかった。思えばライブのエンターテインメントショーというものを、ずいぶん目の当たりにしていなかったけれど、それはこんなにもドキドキワクワクするものだったか、と蒙が啓かれた気がした。そして、なんだよ、人間ってこんなにすごいことができるんじゃん、ということも思った。もう人間のやってきたほとんどのことが、AIによってその役割を奪われるのだと、そんなふうに思っている部分があった。実はそんなことぜんぜんないのだ。メディアの情報ばかりを摂取していたせいで、そんな当たり前のことを忘れていたということに気付かされた。そんな感動を与えられた、39歳でのサーカス観賞体験だった。観るつもりがなかったくせに、もしかすると誰よりも愉しんだかもしれない。もちろん子どもも愉しんでいたようだった。
 ショーは正午に終わり、このまま帰ってもよかったのだが、そうなると昼ごはんがだいぶ遅くなってしまうし、せっかくだから食べて帰ろうよ、そんでそれじゃあ松江イオンに行くっていうのがいいんじゃないかな、と話を誘導し、サーカス観賞かつ松江イオンの手芸屋にも行くという、目的の両獲りを成功させる。我ながらすばらしい手腕ではなかろうか。他者に負担をかけていない、という点がなにしろ素晴らしいと思う。というわけで松江イオン内のファミリーレストランで昼ごはんを食べ、そのあとスタタタッと単独行動で手芸屋に行き、何点かニット生地を買った(やはり倉敷に較べると寂しい品揃えではあった)。そして帰った。
 義母と次女の長女を降ろしに実家に寄ると、さすがにその頃にはぐったりした。なにしろ陽射しがすごいので、冷房をどんなに効かせてもだいぶ体に来る。なにより松江と言えばまあまあの遠出だ。そんな我々を見て、冷房の効いた部屋で野球を観ていたらしい義父が、「おいおい、サーカスから帰ったあとは、もっと明るい顔をしとらんと」と言ってきたので、うるせえ、と思った。義父は短時間の絡みで、すっと差し出すように、うるせえ、と思わせることを言ってくる。あれは一種の才能かもしれない。
 帰宅したあとはのんびりと過し、体を休めた。本を読んだり、松江で買ってきた生地で早速ショーツを1枚作ったりした。ちなみに松江はこの土日、水郷祭という大規模な夏祭りが開催されるのだそうで、我々はその狂騒に巻き込まれないように退散したのだが、世の中には午後の部のサーカスを観賞し、そのまま水郷祭へとなだれ込むという人々もいるだろう。すごいと思う。活動的な人のバイタリティというのは、本当にすごい。
 晩ごはんは、茹でた豚肉と、とろろや納豆や温泉卵を和えた、見た目が本当に嘔吐物のようになったものを、冷たいそばに掛けたものを食べた。おいしかった。もう、食べたいものと言うより、食べられるものが、そういうものに限られている。とろろにすがって夏を乗り切りたい。とろろほど物理的にすがれないものもそうそうない。
 明けて今日は、2日連続で実家の人たちとの絡みになるのだけど、昼ごはんに、みんなで近所の中華料理屋に食べに行った。みんなで、というのは、昨日のメンバーに加えて、義父も、次女と三女、そしてもちろん1歳になる次女の次女も、ということだ。今回、次女の夫はお盆に夏休みらしい夏休みがないそうで、来週末くらいに回収に来て、兵庫に戻ってしまうということで、じゃあその前にみんなで会食でも、ということになったらしい。中華料理は、まあ普通だった。特別ものすごく、クックドゥとか冷食とかより格段においしい、ということもないくらいの味わいだった。それにしても実家の面々は、駐車場から店までが暑いとか、店内でも空調の冷気の届き方が悪いとか、本当に逐一口に出す。ファルマンと過していると、この人はものすごく不満を隠さない人だな、ということをたびたび感じるのだけれど、そんなファルマンが霞むほどのレベルだ。一緒にいると、あれ? もしかして僕はすごく社会性のある、善良な人間なのでは? と思えてくる。
 食べ終えたあとは、実家に子どもたちを置いて、僕とファルマンだけで買い出しに出る。日用品と、百均と、食料品と、3軒回る必要があったので、子どもたちなしで買い回ることができてよかった。最後のスーパーで、アイスを買って帰り、実家の面々とおやつにした。こういう状況でアイスを買って帰る人間は尊い。
 帰宅後はやはりぐったりした。もう、本当に、必要最低限の用事をするだけで、そのあとはしばらく家で回復する時間が必要になるほどの熱射である。この暑さは一体いつまで続くのか。三女にお盆の予定を訊ねたら、「なにもない。まずいと思うが、なにも浮かばない」という答えが返ってきて、みんな一緒なのだなと思った。
 晩ごはんは、サーモンの刺身や、炒飯、フライドポテトに枝豆という、気の抜けた、ただもうビールのための夏の夕餉、という感じのメニュー。昼ごはんに中華でいろいろ食べたので、まあ今日はこんなもんでいいだろ、ということで。
 そんな週末だった。サーカスは本当に良かった。それ以外は、とにかく暑かった。以上。という感じ。

真夏のシンデレラ

 暑さがすごい。今年の暑さと来たら、すごいじゃないか。1週間のうちの日中の大部を過している職場は、日当たりこそ必要以上にいいものの、ありがたいことに冷房は適温で効いているため、暑さによる体力的なダメージは、わりと免れていると思う。それでも夕方には、これまでの時期とは較べ物にならないような疲労感がある。
 思えば7月というのは実は毎年そうで、体調が崩れないようタイトロープをそろそろと渡るような危なっかしさがあり、今年のように思いっきり足を踏み外し、落下するパターンもある。6月末に切れたプールの会員を、7月上旬に更新したのは本当に失敗だった。7月は、混んでいるし、日々の体力が持たないしで、実はろくにプールに行く気にならないのだ。去年、そのことはしっかり学習していたはずなのに、7月もまだ上旬というのは、逆にいちばん、「これから暑くなってプールが気持ちいい夏がやってくるぜ」というテンションになっているせいで、なんの思慮もなく間髪入れずに申し込んでしまった。
 プールに行く気が起らないくらいだから、日々の筋トレの意欲ももちろん減退している。蓋を開けてみれば、プールに足が向かないくらい、むしろ普段の月よりも披露する機会がないのだが、なんとなく筋トレというのは、露出が増える夏に向けて、それ以外の期間せっせと雪の下で筋力を蓄える、という図式ではないかと思う。それだのにこの半月ほどのサボりのせいで、6月下旬あたりだいぶ仕上がっていた僕の体は、ここへ来て少し迫力がなくなったように思う。夏というのは本当に過酷だな。
 あと先日の、一家を襲った体調不良なのだが、あれってもしかするとコロナだったんじゃないかという疑惑が、にわかに高まっている。あのプールと餃子の日のあとから、各人が体調を崩しはじめたわけだが、実は3女も同じタイミングで発熱し、あの週は仕事をだいぶ休んだという。しかしコロナの検査をしたところ陰性だったそうで、僕はそれを聞いて、ああよかったと安心したのだった。というのも、倦怠感や、ごはんの味が少しおかしく感じられるなどの症状があったため、当然(もしや……?)という恐怖を抱いていたのである。しかしタイミング的に同じウイルスにやられたのだろう3女が陰性だったということは、これはコロナではなく、たちの悪い夏風邪なのだな、と解釈することができた。ところがである。この数日後、すなわち次の週末あたりに、今度は実家の義両親がふたり揃ってダウンし、こちらはなんと陽性だったのである(今はもう回復した模様である)。これで話が分からなくなった。感染したにしては少し発症のタイミングがズレ過ぎている気もするのだが、ただの風邪にしては、我々の症状はだいぶヘビーだったような気がしないでもない。今となっては確かめようがないが、しかし僕もファルマンも、40代ってこんなに風邪がしんどいのか……、と今回ことさらに加齢を哀しく思ったのだけど、それがコロナであったとするならば、あのしんどさは加齢が原因ではないということになってくるので、そっちを採用しようと思っている。
 ちなみにコロナで心配される後遺症についてだが、幸いなことにちんこが小さくなった様子は見受けられない。もっとも少々小さくなったところでびくともしないとも言えるし、そもそもスケール感が規格外すぎて大小などという概念を超越しているとも言える。まあとりあえず言えることとしては、安心してください、ということだ。

うつりました

 体調を崩していた。伏線はあからさますぎるほどに張っていた。前回の記事は、「ピイガの風邪がうつりませんように。」で終わっている。願いは叶わず、まんまとうつった。
 ただでさえ3連休明けの哀しみを抱えて始めなければならない今週に、その上体調が悪いだなんて、あんまりではないか。体調を崩すこと自体が久々だったため、僕の中の体調不良耐性はだいぶ弱くなっていて(喜ばしい話だが)、そのためかなりの絶望感があった。
 火曜日の夜は、9時間寝た。月曜日に発症し、菌をまき散らしたピイガは、これが若さか、この日にはもうすっかり回復していて、僕はそんな小学生よりも早く、8時台に眠りに就いたのだった。いくら体がつらいからって、さらには眠くなる鼻炎薬を服んだからって、8時台なんかに眠れるだろうかと一瞬だけ危ぶんだが、一瞬だけだった。寝られるもんですね。
 9時間寝たんだから大回復しただろうと期待したが、これが四十路か、そこまで劇的な効果は得られず、水曜日もまだ気怠かった。熱とかそういうんじゃなく、気怠さがメインの症状という、少し珍しい、そして精神面にダメージの来る、陰鬱なタイプの風邪なのであった。水曜日の夜も8時間寝た。9時間と8時間。我ながらよく寝たものだ。
 その果以もあり、今日になってようやく体調はだいぶ改善した。風邪のあとの、粘り気のある鼻水や、しつこい咳はあるものの、こうして日記が書ける程度には回復した。やれやれである。
 ちなみにポルガも僕と同じく火曜日に発症し、しかしこれは次の日にはなんともなくなっていた。若さ。僕を隔離するためにピイガの相手をしていたファルマンも、化け物ながら、さすがに無傷というわけにはいかず、やはりいま咳をしている。おとといと昨日は僕があんな感じだったので、ファルマンはピイガの部屋で寝ており、今晩あたりからは別にこちらに戻ってきてもいいのだが、ファルマン曰く、「私の咳はでかくて、自分で自分の咳の声にびっくりして起きたりするくらいだから、横にいないほうがいいと思う。ピイガは起きないけど」とのことである。たしかにファルマンは咳もくしゃみも大きい。そういう様子を見るにつけ、「頭のいい人はつい効率的な動きをしてしまうから筋トレに向かず、馬鹿はがむしゃらに必要以上の筋肉を使うから筋肉がよく育つ」という、前々から提唱している理論が補強されると思う。「咳のし過ぎで腹筋が痛い」とも言っていて、なぜそんな作用が起るのか、僕にはさっぱり分からない。
 この3日ほど、そのような感じで、なかなかダウナーな気分だったのだけど、そんな中でキラリと光る喜ばしい出来事として、前にも書いたが、やはり鼻炎薬を服むと、陰嚢が寛ぐのだった。陰嚢が寛ぐとはどういう状態か、このブログの読者のメイン層である女子高校生や女子大生の諸君にはイメージがしにくいだろうから説明すると、要するにリラックスし、だらける感じだ。普段は、悠々としているようで、それでも抑えるべきところは抑えている陰嚢だが、薬を服むと、なんかもう、完全になにもかもがどうでもよくなってしまうようで、べほーっとなる。だからすごく揺れる。いつもより大きなスケールで揺れる。愉しい。普段もちんこによって救われる場面は多々あるが、こんな体調不良で気持ちが落ち込みがちのときにさえ、ちんこは僕を喜ばせる。本当に、本当になんていいやつなんだろう。困ったときに助けてくれるのが本当の友達。尊い。
 鼻炎薬を服んで陰嚢がそうなるのは、おそらく血流がよくなるからだろう。だとすれば、死んだあとの陰嚢って、きっとすごく小さくなる。前に読んだ本に、韓国では死んだあとで陰嚢に食塩水だかなんだかの注射を打ち、陰嚢を肥大化させる(死に装束に着替えさせるときなどに親類に体を見られても恥ずかしくないようにするのが目的)専門の業者がいる、ということが書いてあったが、気持ちは大いに分かる。僕もできればやってほしいし、あるいは僕がその業者になるという道もあるかもしれない。
 話が横道に逸れた。とにかく回復してよかった。もう当分は子どもをプールに連れて行きたくねえ、と思うが、子どもたちは夏休みに突入し、ピイガは早くプールに誘えとせっついてくる。お前に、お前にプールのあとうつされた風邪で、こんなに参って、まだ本調子じゃなく、先週プールの会員を更新したばかりだというのに、それからまだろくに行けていなくて、こんなことなら会員申し込みをもっと先延ばしにすればよかったと後悔している父に向って、よくそんなことが言える。若さって怖い。

もう梅雨が明けたと言っていいのではないか3連休

 3連休であった。
 きちんと堪能しなければ、という思いが先走り、強迫観念となり、焦燥するという、いつものパターンを踏襲しつつ、しかし実際そこまで「やらなければならないこと」を抱えているわけでもなかったので、基本的にのんびりと過した。そんな感じの3日間だった。
 びっくりするくらい対外的な予定のない両親に対し、子どもたちは地域のクラブ活動や部活など、わりといろいろあった。そのため大掛かりなお出掛けをする機運が高まらなかったというのもある。なによりひどく暑かったため、レジャーの予定なんてないくらいでちょうどよかった。生きているだけで精一杯だった。
 それでも初日、土曜日の午後に、4人で海へと繰り出した。多伎のきららビーチである。人がとんでもないことになっているかな、と思いきや、それなりに人はいたが、そこまでではなかった。きちんと泳ぐつもりはなかったが、レジャーシートやタオル、体を流すための水を詰めたペットボトルなどは念のため持って行っていて、格好も僕は、ズボンの下に、下着ではなく、筋トレをする際に穿く、トランクスよりもともすれば丈が短いような短パンを穿いて、足元を波に浸して遊ぶ、よりは少し本格的に、膝より上くらいまで海の中に入る感じでしばし子ども(言うまでもなくファルマンは靴を脱ぎさえしない)とともに戯れたのだけど、こんな半端なことをするくらいなら、下は水着にしてきて、自分だけでも急に泳ぎ出すということをすればよかったな、と少し後悔した。レジャー的に、海がプールに勝っている部分なんてあまりないよな、と思っていたけれど、いざ夏になり、脚で波を感じてみてれば、やっぱり海には海の良さがあるな、と思った。今度行ったときは本当に泳ごうと思う。
 

 ちなみに消しゴムマジックは使っていない。島根県的に、「それなりに人はいた」。
 晩ごはんは、手羽先のフライドチキンと、マカロニサラダ。そしてもちろんビール。海で陽を浴びたあとのそれは、格別だった。泳いでいたらもっとよかっただろう。
 翌日は、午前中に買い物。買い物から帰り、買ってきたものを冷蔵庫に詰め、昨日の晩ごはんの残りやおにぎりなどで昼ごはんにしたあと、アイスコーヒーでも飲もうと思い冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の照明が切れていた。なんか照明が切れているな、と思い、ファルマンにそのことを伝えたら、電源は入っているのかと訊ねてきたので、前面のタッチパネルを確認したところ、うんともすんとも言わないのだった。たった数十分前、買ってきたものを詰めていた際は異常を感じなかったので、この間に、静かに冷蔵庫は斃れたらしかった。当然ながら、困る。冬ならばまだしも、目下、気温35度の世界である。大慌てで業者に電話をしたり、実家に冷蔵品を避難させてもらいにいく連絡を入れた。
 この午後からは、ポルガと付き添いのファルマンは催し物に参加する予定があり、その間僕とピイガでプールに行く予定があった。そのためとりあえず冷蔵庫の、牛乳など、すぐに避難させなければならないものを抱え、実家へ行き、それを冷蔵庫に入れたあと、僕とピイガはプールへと向かった。ところがプールは超満員で、駐車場から車が溢れ、待つことさえ許されないという。島根県でもこんなことはあるのだ。仕方なく、涙をこぼして喚くピイガを、夕方にまた行くからと約束して宥め、しかし家でふたりで過すのもなかなか厳しいので、また実家に行くことにした。その際、さらに追加の冷蔵庫の物品と、本日の晩ごはんとして作るつもりだった餃子の材料も一緒に持ってゆく。プールが夕方にずれ込んだこともあり、このタイミングで実家で餃子を作ろうと算段したのである。すばらしい判断力。
 というわけで実家で餃子を作った。なんだか自分の実家のような言い分だ。のびのび利用させてもらっている。包む段になって、ファルマンとポルガが催し物を終えて、こちらにやってきた。そんなわけで包む作業には、ファルマンと義母も参加してきた。ファルマンは普段ならば参加しないのだが(僕が僕以外の人間の包んだ餃子を好まないため)、キッチンを使わせてもらった手前、もちろん実家の面々の分もありまっせ的なことを僕が伝えたことで(追加の材料を途中で買っていた)、義母が「包むのくらいは手伝わなければ」というモードになったので、ファルマンも流れでやらざるを得なくなったのだった。別に本当にひとりでやってもよかったのだけど。
 かくして90個の餃子を包み終え、いちど家に帰ることに。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、プールのあとにまた取りに来ることにした。そうして戻ったら、なんか冷蔵庫が稼働していた。なんじゃそら、と思ったが、どうも稼働はしつつも、一方で不調を知らせるマークは点灯しているので、やはり予断は許さなそうで、予定通り業者には見てもらわなければならないし、実家に持っていったものはまだ引き上げられない。
 そのあとすぐにプールへ。当初の予定が変更となったため、ポルガも参加することに。夕方になり、さすがに車が停められないということはなかった。しかしそれでも混んでいた。混み慣れしていない子どもたちはすっかりテンションを下げ、あまり愉しめなかった。まあ3連休のプールになんか行くもんじゃないな。今後、子どもたちは夏休みに入るわけで、平日の夜、気が向いたら子どもたちを誘ってやろうと思った。
 そのあと実家に寄り、餃子を回収する。実家の面々は既に焼いて食べていた。「すごくおいしい」と言うので、「僕の作る餃子は世界一おいしいんですよ」と伝えておいた。
 帰宅後、我々も餃子を焼いて晩ごはん。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、持って帰って焼けばいいだけの話だが、問題はビールだ、と悩ましく思っていたが、なんとか息を吹き返した冷蔵庫がきちんと冷やしておいてくれて、熱々の、世界一おいしい餃子と、よく冷えたビールという至福を味わう。冷蔵庫のせいで慌ただしい1日だったが、最後にいい感じにまとまった。
 3日目、最終日の今日は、ポルガは部活、さらにピイガに若干の風邪の症状が出たので、もとより家でのんびり過すつもりだったが、リビングで過すファルマンとピイガとは極力接触しないよう、ほぼ1日、部屋でひとりで過した。これほど優雅な休日があろうか。昨晩に放映された日曜劇場「VIVANT」の初回をTverで観ながら、裁縫や筋トレをする。「VIVANT」はなんかすごかった。やあすごかったなあ、と思いながらエンドロールを眺めていたら、撮影協力の所に島根県松江市とあったので少し驚いた。
 裁縫はもちろんショーツである。ショーツ、よくもそんなに作るものがあるものだという話だが、やっていると、こんな作り方はどうかとか、細くしたらどうか、逆に太くしたらどうかとか、わりと次から次へと試行する事柄が出てきて、いつまでもどこまでも愉しい。これが趣味というものなのだな、と思う。
 今日は本当にそんなことだけをした1日だった。なによりだ。
 というわけで3連休は、暑さにやられつつも、それなりに愉しく、おいしく暮せた。もうすぐ子どもたちは、3連休など霞むような壮大なスケールの休みに突入する。うらやましい気もするし、無職の古傷を刺激したばかりの身には、ぜんぜんうらやましくなかったりもする。せいぜい健やかに生きようと思う。ピイガの風邪がうつりませんように。

交際20周年線状降水帯

 7月8日はファルマンとの交際開始の記念日で、それも今年はその20周年なのだった。20年。19歳の頃から、20年。すごい年月だな、とももちろん思うが、最近はおもひでぶぉろろぉぉんで、17年前くらいの出来事を頻繁に振り返っているので、そういう意味では慣れている。僕の「歳月の経過感じ孔」は、たくさん使用されているため、ぎちぎちとした締めつけは望むべくもないが、その代わりにちょうどよくこなれているとも言える。どちらにもどちらもの良さがある。
 そんな日にちょうど労働は休みで、ファルマンも仕事を抱えておらず、さらにはポルガの部活をはじめとして、子どもたちにも予定がないという、絶好のお出掛け条件が揃い、さてどうしたものかと数日前から思案し、なにかイベントはないものかと探したのだが、夏本番には少し早いタイミングで、絶妙になんの催しも見つからない。かと言って公園など屋外レジャーをするにはもう暑すぎるということで、本当にあぐねていた。結局これだというものが見出せず、とりあえずドライブ感覚で松江に行って、それでイオンとかに行こうかねえ、などと、冷静に考えれば決行しても絶対にいい結果にはならなそうな地点に着地しそうになっていたが、そもそも大義がない、そんなふわっとした計画は、ヤフーの見出しに「島根に……」と名指しで注意を呼びかけられた線状降水帯の発生によって、風の前の塵のごとく吹き飛んだ。明け方など、途轍もない豪雨と雷鳴で、お出掛けなどとんでもない、今日家族の誰にも予定がなかったことがなんたる幸いか、としみじみと思った。
 というわけで、雨が小康状態だった午前中に、近場の店で買い物をし、その帰りにケーキ屋でロールケーキを買い、帰った。本日の外出はこれのみ。まあこれでよかったと思う。天候関係なく、本当に松江に行っててもな。
 午後、せっかくだからということで、久しぶりに4人でマリオカートをする。そしておやつにロールケーキを食べた。まあ結婚でもない、交際開始という、大事と言えば大事だけど、かと言ってなあ、みたいな記念日は、このくらいの扱いでちょうどいいかもしれない。大学2年生のあの日から、20年経って、さまざまな事柄が巡り巡って、こうなったか。感慨深いなあ、とも思うが、しかしやはり僕の「歳月の経過感じ孔」は、ちょっと刺激過多なので、反応が鈍くなっているとも思う。
 午後のそれ以外の時間は、近ごろインスタグラムへの投稿を再開したので、まだまだ画像のストックは十分あるが、それでもインスタ活動が停滞していた日々でずいぶん溜まっていた、作製したけど撮影していないショーツの、撮影を行なった。久しぶりにジョニファーにいろいろ穿き替えさせた。ジョニファーは、腰回りが僕よりもひと回り大きいほど、普通に成人男性の大きさなので、何十枚もショーツを穿き替えさせるのは、意外と重労働である。外では再び雨が激しくなっていた。交際開始20周年の日に、線状降水帯が直撃し、そして成人男性のマネキンに何十枚も手作りショーツを穿き替えさせているという、この未来。人生は予測不可能だ。
 ちなみに1年前の交際開始記念日はどんな感じだったっけ、と振り返ったら、元総理が狙撃されていて、「あっ……」となった。それと、期せずしてジョニファー・ロビンは、去年の7月7日に初お目見えしていて、登場1周年なのだった。まだそんなか。もっと長く一緒に生きてきた気がしていた。
 晩ごはんは、煮豚や、フライドポテトや、とうもろこしや、冷奴、納豆オムレツなど、居酒屋のような感じに仕立てる。先週の土曜も同じような感じだった。とうもろこしがおいしい季節だ。先週は塩を振ってレンジに掛けただけのものだったが、今週はバリエーションとして、しょうゆで味を付けて焼いた。こちらもよかった。
 この嵐が過ぎれば、そろそろ梅雨も明ける気配だ。日本の夏は蒸し暑いというけれど、その蒸し暑さも、梅雨の湿気の比ではないだろう。とにかくこのジトっとした感じが、軽くなってほしいと思う。

父の日週末

 先週がレジャーだったので、今週末はのんびりと過した。
 ちなみに先週のプール施設に、ピイガが水泳帽とゴーグルを忘れ、しかもその水泳帽は学校指定の、授業で用いるものだったので微妙に困った、という後日談が実はある。学校指定のそれは、微妙に手に入りづらく、かつ水泳帽にしては微妙に高価なものなのだけど、じゃあ取りに行くかと言われると、やはりあの施設は微妙に遠く、まつわる要素のすべてが微妙なこの事態は、僕の心を千々に乱した、というほどの破壊力は微妙になくて、やはり微妙に面倒なのだった。結局、プール授業は今週から始まったので、なんとかファルマンが売っているのを見つけたネットショップで注文し、間に合わせた。いつか機会があれば取りに行くかもしれないし、あるいは行かないかもしれない。微妙な情勢である。
 土曜日はファルマンが実家に、1日早い父の日のプレゼントを贈呈しに行っていた。贈ったのは、少し前から努力義務化された、自転車用ヘルメット。義父はたまに自転車を利用するらしいが、今日までヘルメットは所持していなかったとのことで、毎年どうしたって悩ましいプレゼントの品目に、時勢的にもピッタリなのだった。僕は現場にいなかったので、どういうリアクションだったのかは知らない。
 そのとき僕はひとり家でなにをしていたかと言えば、裁縫をしていた。今日に限った話ではない。今月ここまでブログの投稿件数がやけに少ないのは、かなり裁縫にかまけていたからだ。製作していたのは母の日の品目で、詳しくは完成品報告を後日「nw」にすることになるが、なんだかんだでだいぶ時間を取られた。でもまあ久しぶりにショーツ以外の衣類をきちんと作ったので、なかなか愉しかった。この週末でめでたく完成し、ようやく解放されたので、いまとても清々しい気持ちである。
 土曜日の晩ごはんは、お好み焼きにした。たいへん美味しかった。お好み焼きと言えば、ファルマンの下の妹は今週末、友達とUSJなどに行っているそうだ。島根からだと、特急やくもののち、新幹線である。ようやるな、と感心する。とてもいいことだと思う。ポルガも、ハリーポッターやマリオのこともあり、USJには色気があるらしい(ディズニーランドのことはそこまで言わない。時代だろうか)。しかし親が連れていく目は正直言ってあまりないと思う。ある程度大きくなってから、友達と行けばいいと思う。岡山くらいまでなら送ってやってもいい。
 日曜日は、午前中に図書館や買い物を済ませ、午後はやはりのんびりと過した。おやつの前に件のワンピースの目途がついたため、それ以降はステカのことをした。夏の到来に合わせ、今年も素材Tシャツを調達し、オリジナルTシャツ作りに半月ほど前から取り掛かっていたのだが、使うたびに数ヶ月の眠りから覚ます必要のあるステカは、はじめやはり不調で、なかなかうまい具合にいかず、何枚もシートを無駄にしていた。それが今日、腰を据えて作業にあたり、調整のコツのページなどを参考にして、なんとか復調させることに成功したのだった。というわけでTシャツを何枚か作る。自分の分も作った。こちらも近々「nw」に投稿しようと思う。
 というわけで、ワンピースとTシャツが仕上がったので、なかなか達成感のある週末だった。そんな健気な僕に夕方、ファルマンが主導したに違いなかったが、娘たち(というよりピイガ)から、ビールとビールグラスのプレゼントがあった。嬉しい。ちょうど晩ごはんは、自分で父たる自分を労わろうと、数日前から画策していた手巻きずしだったので、新しいビールグラスで美味しくビールを飲んだ。父の日だからという免罪符で、かなり豪華にネタを買い揃えた手巻きずしは、多幸感があった。たとえ、結局たらこマヨと玉子焼きとアボカドとかで巻いたやつがいっちゃん美味しい……、と感じたとしても、そうは言ってもやはり、豪華な刺身があるとテンションが上がるというものだ。
 結局、家族でそっちのほうばかり食べるので、刺身がかなり余った。多めに用意した酢飯も残ったので、これはもう晩酌は海鮮丼一択ですな。39歳の父の日を、幸せに過した。さあこの1ヶ月ほどの懸案事項だったワンピース作りが終わったので、明日からは「おもひでぶぉろろぉぉん」に本格的に戻ろう。目下、2006年、無職時代だ。人生って濃厚だな。

自覚を持ってレジャー

 土曜日はポルガの部活がなかったので、レジャーに繰り出した。部活という要素を除いても、そろそろ、休日に一家でお出掛けというのが、それを当たり前のようにする時代というものが、終焉に近づいてきているのを感じ(子どもが嫌がり始めているわけではないのだけど)、チャンスがある限りはなるべくやっておこうと思うのだった。
 今回の目的地は大田市方面。大田市ってこれまであまり攻略してこなかった。前にも書いたかもしれないが、大田市って、岡山県で言えば総社市みたいな存在だな、と思う(ちなみに松江市が岡山市で、出雲市が倉敷市、雲南市が玉野市にそれぞれ対応する。これは僕の中でだいぶうまいこと言ってる感があるのだけど、いかんせん共感できる人間の数が限られるのが残念なところだ)。総社市、たしかに6年間でほとんど行かなかったもんな。
 大田市と言えば世界遺産である石見銀山なのだけど、石見銀山は家族連れが行ってもあまり愉しくないらしいので、それよりはもうちょっとエンターテインメント性がありそうな、仁摩サンドミュージアムに行った。少女漫画「砂時計」でおなじみの、砂の博物館である。漫画はあんまりちゃんと読んだことはないが、連載が2003年から06年ということで、大学時代、書店でバイトをしていた時期であり、当時わりと売れていたので、印象に残っている(この時期、「僕等がいた」もあって、ベツコミは盛り上がっていた)。1年にいちど引っ繰り返すという1年計の砂時計が世界最大のものとして有名で、ギネスの証明書も展示されていた。ちなみに3人は初めての来訪だったが、ファルマンは子どもの頃に来たことがあるという。そして職場でもここの話になったことがあるのだが、ファルマンも含め、行った人間は押し並べて、「そこまでつまらなくもないけど、まあ1回行けばいいかな」という感想を口にする。実際に行った結果、僕もまったく同じ感想を持った。万人に均一の感想を抱かせるって、ある意味すごいことのような気がする。
 入場券を購入すると、イラストに合わせて剥離紙が細かくカットされたシール用紙が渡され、それを持って所定のコーナーに行くと、さまざまな色の付けられた砂が用意されており、剥離紙を適宜剥がし、そこへ砂を振りかけて接着し、彩色していく、という企画があり、われわれ一家もそれぞれ作成した。
 

 左上から時計回りに、ファルマン、ピイガ、僕、ポルガである。わりと個性というかセンスが出る。ファルマンの素朴さ、ピイガの健気さ、僕の洗練、そしてポルガの混沌。これも含め、まあ予期していたよりはいくらか愉しめた。
 ちなみに博物館のすぐそば、同じ敷地内と言ってもいいような場所には公園があり、例のごとくわが家以外だれもいなかったのだが、ここにあるローラー滑り台は全長121mあり、地味に島根県で最も長いらしい。ポルガは3回、ピイガは2回、僕は1回、ファルマンは0回滑った。長いだけあり、登るのが大変だった。
 レジャーはこれでおしまいかと思いきや、そうではない。実はサンドミュージアムは今回のレジャーのメインではない。ついでなのである。車は大田市をさらに進み、突き抜け、美郷町へと突入する。目的地は、「ゴールデンユートピアおおち」という施設。ここは、昔ながらの保養地的なものなのか、宿泊施設に、テニスコートやレストラン、そしてプールにサウナに大浴場(温泉ではない)が備わっているという場所で、宿泊客でなくてもプールや浴場を利用できるというので、前々からなんとも気になっていたのだった。しかし存在はしているようだが、評判などの情報はあまり得られず、果たしてわざわざかなり長い運転をして行く価値があるのか、不安でなかなか行く決意ができずにいた。今回行くことにしたのは、まあ一家のお出かけの骨子というのは、要するに車での移動なんだよな、ということを思ったからで、目的地がいまひとつでも、一家でのドライブと思えばそれでいいじゃないかと、そう考えるようになり、ようやく決心がついたのだった。それで行った。
 行った結果、これが大成功だった。プールもサウナもほぼ貸し切りで、ウォータースライダーもあるのだが、子どもは完全にうちの子しかいなかったため、これも待ち時間0でやりたい放題と来ては、もはや上質なリゾート空間であった。普通はこの空間を得ようと思ったら、相当に高い金額を払わなければならないだろう。つまり島根県の山奥まで行くということは、相当に高い金額を払うことと同等の負荷である、と言えるかもしれない。僕と子どもたちは、それぞれ思う存分にプールを堪能した。去年の夏、とうとういちどもプールに行かず、1年以上ぶりのプールとなったファルマンは、ひたすら水の中に立ち、ピイガの世話をしていた。途中でさすがに申し訳ないような気がして、「ピイガの世話を代わろうか」と提案したら、「代わったところで私にはプールですることがない」との返事だった。でも1日の終わりに「愉しかった」とは言っていたので、嫌でしょうがなかったわけではないだろうと思う。
 そんなわけでとてもいいレジャーとなった1日だった。ゴールデンユートピアおおち、すごく良かったが、なにぶん遠いので、再び行く日があるかどうかは分からない。田舎の山の中の、ちょっと施設全体に異空間味のある、貸し切りのリゾートのようなプール体験、まだ行った翌日だというのに、早くも遠い日の思い出めいていて、まるで幼少期の記憶のようだ。なんだか不思議な体験だったな。これだからレジャーはいいな。

2006年と2023年のこと ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 中学生になったポルガは部活に入り、部員によるグループLINEに入ったという。
 心配だ。あの悪名高い、中高生のグループLINEを、自分の子どもが始めてしまった。親として、いたずらに心配である。中高生のそういうのって、イジメの温床なんでしょう?
 と言うか、中学生はスマホを持っているのが前提なのか。時代が違うな、と思う。それはそうだ。自分の頃とは30年近く違うのだから。
 ちょうど読み返している2006年の手書き日記で、時代を感じさせる記述があった。

「そう言えば昨日の◎◎面接でもうひとついいことがあって、ずっと見つからず困っていたUSBメモリが鞄から発見されたのだ。これはかなり嬉しい。けっこう諦めていた。自室で書いたものをファルマンのパソコンに持っていくのに、SDを使っている状況だったのだ。」(4月18日)

 USBメモリに対してSDであることになんの不便があるのか、というのはよく分からないが、この記述で注目すべきは、USBメモリをなくしたと思い、諦めていたが、見つけて嬉しい、という点だ。今の感覚からすれば、USBメモリなんぞ紛失したら新しいのを買えばいいではないか、という話なのだが、当時はまだそこまで気軽に買える値段ではなかったのだと思う。今よりもずっと容量の小さい、256メガとか516メガとかで、1980円くらいはしたのではないかと思う。今は16ギガのものが500円くらいで手に入ったりするので、隔世の感である。
 続いてこんな記述。

「昨日は日中、池袋に出かけてきた。ファルマンがGWに実家に帰るため、そのチケットを買うのが目的。
 ついでにさくらやに寄る。実はぼくとファルマンの間で今、桃太郎電鉄が流行っており、その最新版が欲しくなっていたのである。しかも都合のよいことにぼくのさくらやポイントカードには5900ポイントが入っており、これにより最新のその「15」は300円ほどで買えることになった。ヤホーイ。」(4月23日)

 さくらや! と思う。懐かしい。安さ爆発!
 あと桃鉄。それまではプレステの「桃鉄V」をしていたのが、ここでPS2の「桃鉄15」になったらしい。そして今はswitchのやつをやっている。なんだかんだで桃鉄をよくやっているんだな。
 同日にこんな記述もしていた。

「さくらやでなんとインターネットの申し込みもしてしまう。
 この前電話でやろうとしたら、「FAXで免許証の写しを送ってください」とかしゃらくさいことを言われたため、店頭でやったほうが楽だな、と思ったのだ。」

 それまでファルマンの部屋のほうでだけネットが繋がっていた(だから僕の部屋のパソコンで作成した文章をネットにアップするために、SDをファルマンの部屋に持っていく必要があったのだ)のを、僕の部屋も繋げることにしたらしい。無職で収入の当てもないのに! と思う。そしてFAXの部分に、強烈な時代性を感じる。そう言えば当時は部屋を借りるときにも、必要書類はFAXで送って提出したりしていた。FAX懐かしい。FAXという存在は、機能的にもまさに、アナログ時代とデジタル時代の狭間という感じがする。字面の共通点もあり、MAXと通じる部分が大いにある。いまどきの言葉でいうなら、エモいですね。
 最後にこちら。

「「おもいっきりテレビ」を観ている。なんでかと言うと、実は今日この観覧に祖母が行っているのだ。席はうしろのほうだが写っていた。ゴボウ喰ってた。おもしろい。」(4月25日)

 読んで思い出した。そうだ、たしかにこんなことがあった。祖母は「おもいっきりテレビ」の観覧に行ったのだ。生みのもんたを見たのだ。その日の特集はゴボウで、紹介されたゴボウのサラダ(たしか火を通さず食べるのだ、ゴボウを!)が観覧者に配布され、それを食べているところが一瞬映し出されていた。あったな。「おもいっきりテレビ」も、みのもんたも、懐かしい。あまりにも古い。2006年は平成18年なのだが、嘘だと思う。「おもいっきりテレビ」をやってたなら、昭和だと思う。それとも平成が最近のことだという感覚が、もはや古いのだろうか。
 ポルガのグループLINEは、なんの内容もないノリだけのやりとりが繰り広げられているようで、語尾に押し並べて「w」が付されているらしい。「(笑)」が「w」に変化していったのは、まさに00年代中期くらいのことだと思う。いまどきの若者は、たぶん新しい言葉や表現を生み出さないだろう。われわれが教養を用いて生み出した出涸らしのようなものしか摂取しないので、そこからはもう何も生まれない。人生の中で本能的に抱くエモさを、うまく表現できず、ウホウホと、ただプリミティブな反応だけでやり過ごすのだろうと思う。もうね、新時代に取り残されないのは不可能だから、とことん揶揄し、否定してやろうと思うのです。

GW後半の後半

 大義のない今年のGWの、どうしてもしなければならないこととして、前にも書いた、流しの上と下の収納の整理のほかに、実はもうひとつ、裏テーマとも言えるものがあった。
 連続ドラマ「昼顔」のDVD鑑賞である。
 なぜ急に「昼顔」か。それはいまフジテレビで「あなたがしてくれなくても」という、「昼顔」と同じチームで作るドラマが放送されており、それに関連して「昼顔」の再放送が(関東地方では)なされ、そこから微妙に「昼顔」が、その界隈ではひそかに盛り上がりを見せたそうで、それに触発されたファルマンが、FODで冒頭の数話を観たあと、これはきちんと観なければならないとなって、先々週、レンタルビデオ店に走らされたのだった。なぜ主婦の不倫ドラマを妻が観るために、夫がレンタルビデオ店に連れて行かなければならないのかと思った。それで、ファルマンは残りの8話ほどを、それはもう3日くらいで観終えたのだけど、僕にも「おもしろいからぜひ観るべきだ」と薦めてきて、だからなんで主婦の不倫ドラマを、妻が夫に薦めるのか、という話なのだが、とりあえず最初の1話を観たところ、なるほどたしかにおもしろく、旧作で2週間レンタルにつきGWいっぱい借りていられるということだったので、GWで観ることにしたのだった。
 しかし内容が内容なので、子どもの前で観ることは憚られ、それだのにポルガは、連休をいいことに零時近くまで起きていたりするので、なかなか鑑賞がままならなかった。仕方なくリビングのテレビは諦め、ファルマンのパソコンで再生し、部屋でひっそり観た。部屋では筋トレや裁縫をしながら観られるので、逆に良かったような気もする。
 GW後半3日目、5月5日までに、7話までを観終えた。そしてこの日は、これもGWの特別行事の一環として、ポルガが実家にお泊りをするというので、夕方から我が家にはおらず、ピイガを21時半に寝かせたあとは、堂々とリビングで観ることができ、つい最近に怒涛の勢いで観たはずのファルマンもなぜか一緒に、残りの3話を一気に観たのだった。2014年なので、気付くのがあまりに遅いが、なるほどおもしろい作品だった。GWを利用してまとめて観ることができてよかった。
 4日目は、お泊りしたポルガと、泊りはしなかったピイガを連れて、義父母がランチや博物館などに行ってくれるというので、とても珍しく、ファルマンと夫婦ふたりで行動した。午前中は、ここまで先延ばししたが、いよいよ一念発起し、流し周りの収納の整理を行なった。あまりにも多い弁当箱、あまりにも多い水筒、あまりにも多いタッパーなどを処分することにし、今後なるべく使いやすくなるよう整備した。まあこんなものだろう、という程度には片付く。そして、それらだったり、他にもいろいろある、微妙に普段のゴミ回収では捨てづらいものを、持ち込みの処分場に持っていく、これは滅多にないチャンスなのではないかという話が急遽持ち上がる。というのも、処理場は平日と、土曜日の午前中にしか開いていないので、行けるとしたら土曜日しかなく、しかも子どもがいないだから、やはりここで行っておくべきだという結論になり、11時になんなんとするような時刻に、慌てて廃棄物を車に乗せ、処理場に向かった。処理場は、誰もが考えることは同じようで、ひどく混んでいた。今年のGWで、いちばん渋滞および行列に巻き込まれたのは、この処分場だった。子どもがいなくて本当によかったね、とふたりで頷き合った。
 ゴミを捨てたあとは、観終えた「昼顔」を返却し、昼ごはんを牛丼屋で済ませ、買い物をして帰った。子どもがいないと本当に身軽に事が済むのだった。
 おやつのあとに子どもたちは帰ってきて、そのあと僕は、今晩のメニューとして、ピザ作りに取り掛かる。ピザも実はGW中にしようと思っていたことのひとつで、トマトソースは1週間ほど前に既に作り、冷凍してあったのだった。パン焼き機で捏ねた生地を分けたら、7枚分になったので、2枚焼いたところで、子守りの礼として実家に持っていった。残りは自分たちで食べた。フライドチキンも揚げて、今年のGW、最後の自由な夜を堪能した。
 明けて今日は、いよいよ最終日である。最終日は、夜はもう明朝に向けて堅実な時間に寝なければならないので、実質的にもう休みが終わっているような印象がある。寂しいけどその分、連休の前日の火曜日から休みが始まっているような高揚感を抱いていたのだから、トントンと捉えるべきだろう。なるべく外出もしたくないので、家でのんびりと過す。子どもたちは宿題を片付け、ゲームをしていた。3時のおやつのあと、僕とファルマンも少しだけ桃鉄をやる。桃鉄は、GWでドバっと進むかと思っていたが、そんなこともなかった。どうしても2年もやると目も頭も疲れてくるので、時間があってもそれ以上続ける気にはならないのだった。ゲームなんて昔はいくらでもできたのになあ。
 夕方、缶やペットボトルを捨てに行ってくると告げて、ひとりプールに行く。もちろんファルマンには事前にその旨は伝えておいた。休日にひとりでプールに行こうとするとピイガがうるさいので、こうしてさりげなく行くほかない。ピイガは微妙に風邪気味なのだった。GWでプールに行ったのは、意外にもこの1回のみだった。おろち湯ったり館も行かず終いだったな。まあ混んでいただろうしな。
 そのあと、晩ごはんを食べ、今に至る。明日からは平日。曜日の感覚がすっかり薄れ、今晩「まつもtoなかい」があるということにびっくりする(特に観るつもりはないが)。先週の香取慎吾のそれが、まだ1週間前でしかないのか。なんかもっとずっと前の出来事のような気がする。ということは、GWをたっぷりと優雅に堪能したということかもしれない。ならばよかった。したいと思っていたことはとりあえずできたし、悪くないGWだったと思う。

GW後半の前半

 3日からのGW後半の部もそろそろ終わりを迎えようとしている。物寂しい気持ちでいっぱいだ。過ぎ去った日々を惜しみたい。過去を振り返りたい。前だけを向いて生きていきたくない。というわけで、この日々の行動を、日記として記録していこうと思う。
 3日は、5連休の初日でありながら、実はメインイベントのレジャー日だった。初日がお愉しみとしてはピークなので、あとはもう右肩下がりというか、尻すぼみである。しかし4月の中旬、「hophophop」にも書いたが、まったく読めない半月後の気象を、気にしても仕方ないと予約を申し込んだこの日程だったのだけど、結果として連休の後半は強風だったり雨だったりと大気が不安定になったので、まだ平穏な気候だった初日に行くことにして、賭けに勝った感があった。
 行ったのは雲南市にある、フォレストアドベンチャー・たたらの里である。これは最近できたという、自然の森を利用して作られたアスレチック施設で、事前に予約を入れる必要のある、(なかなかの金額の)有料の、命綱を付けて行なう、かなり本格的な所なのだった。
 画像としては、このような感じになる。
 

 山の麓に位置する森に、樹木や、その傾斜を利用して、アスレチックが作られている。基本的に、木から木へ、伝われた縄を頼りに、中空のステップなどを渡って進んでゆく。ご覧のとおり、木の高さはかなりのもので、それが山の少し登った高みにあるのだから、奥に見える駐車場などとは、別世界と言ってもいい標高である。そんなことは知るまでもなく、プレイヤーは子どもたちだけで申し込んだのだが、気の迷いで自分もやることにしたりしないで本当によかった。高所恐怖症の人間には到底耐えられない高さである。
 

 目玉はジップラインで、子どもたちが今回行なった初級者向けのコースでも、70mくらいの距離がある。ハイレベルのほうだと140mだそうで、駐車場に車を停めて、なるほどあそこがアスレチックになっているのだな、などと山を眺めていたら、視界の端から端の空中を、人がスーーーッと通り過ぎていったので驚愕した。僕がやったら気絶すると思う。
 それにしても画像が、消しゴムマジックで消してやったかのように、うちの子どもたちしか映っていない。加工はしていない。これは本当に、GWの、事前予約が必要な施設なのか。まあ実際はそれなりに人はいた。いたと言っても、3月の横浜で行ったアスレチック施設のような人出ではもちろんない。
 ちなみにやり終えた結果、子どもたちは大いに愉しんだようで、レジャーとしては大成功だった。
 翌日4日は、道の駅のキララ多伎でGWイベントをしているというので、昼過ぎに少しだけ出向いた。こちらは正真正銘、かなり混雑していた。第二駐車場までがほぼ満杯で、さすがはコロナが終息したGWだな、と感慨深かった。なんとか車を停め、施設のほうに向かうと、ちょうど高校の吹奏楽部のステージが行なわれている最中だった。高校の吹奏楽部はとても上手で、なにより若さが弾けていて、胸を鷲摑みにされるような感動があった。この感動には、たぶん親としての気持ちも混じっている。高校生を眺めるとき、もう完全に親の目線になった。親の目線で、部活をがんばった我が子たちの姿が眩しかった。
 

 そのあとは海のほうに降り、波打ち際で少しだけ遊ぶ。この画像もまた、混雑だなんて嘘っぱちじゃないかとしか思えないが、まだ海水浴の季節ではないので、まあこんなものだろう。もちろん砂浜で遊んでいる人はそれなりにいた。それなりにいたと言っても、島根県における「それなり」ではあるけれど。
 初日と2日目はだいたいこんな感じ。最初に右肩下がりと書いたが、本当にそうで、フォレストアドベンチャー、キララ多伎と来て、あとはもう本当に大してどこにも行っていない。でも生活をしていなかったわけではないので、それらの日々についても書く。しかしここでいちど記事を分けることにする。

GW前半

 4月最後の2日間は、もうGWのような、まだGWでないような、とても半端な感触の土日なのであった。
 土曜日はずいぶん久しぶりに、子どもたちを連れてプールに行った。子どもたちは気温が高くない時期ににプールに行くと風邪を引くので、年間の家族会員なのに、たぶん7ヶ月か8ヶ月ぶりである。実にもったいない。僕ひとりで家族会員分の料金の元は十分に取っているけれど、次からは絶対に個人会員にしようと思う。子どもと来る週末の日中のプールは、いつも平日の夜にはまあまあ混んでいる、きちんと泳ぐ人用のレーンが空いているので、いつも少し恨めしい気持ちになる。この前の晩にも僕は来ていて、その際は、上級者向けのレーンには、ガチの上級者がいて入りづらく、初級者向けのレーンには、逆によくそこまでゆっくりと泳げるものだと言いたくなるお年寄りがいて、仕方なく僕はそちらで泳いだのだけど、やはり普通に泳ぐと追いついてしまうので待機の時間を取らねばならず、なんとなくモヤモヤしたのだった。リフレッシュのために泳ぎに来ているのに、微妙にフラストレーションを溜めるという無意味さ。中級者という半端者の悲哀である。もっとも世間的には中級者でも、子どもたちに対してはかなり得意になって泳げる。運動方面で父としての威厳を見せつけることができる部門があってよかった。
 帰宅後、晩ごはんはシューマイを予定し、餡まで作り、米も研いで炊飯器にセットまでしたのだけど、日中に行ったスーパーで見た鮨がずっと頭の中でくすぶっていて、と言うかここ数日、鮨を食べたい気持ちがだいぶ高まっていたので、夕方、もしも安くなっていたら鮨を買って、今晩は鮨ということにしようじゃないかと考え、時間を見計らって再びスーパーに行ったところ、果たして大皿の鮨が半額になっていた。だいぶ豪華なやつで、半額とはいえ、もともと6000円ほどするのが3000円だったので、3000円かー、という気持ちはあったのだけど、まあ祝日だし、GWのオープニングだし、などと意味の分からない弁明をして、えいやっと買った。1人前のパック鮨を4つ買うのに対し、大皿の鮨のテンションの上がること。味は、さすがもともとがいい値段のするものなだけあって、だいぶおいしかった。ここしばらくの鮨欲求がいい形で満たされた。
 明けて今日は、特になんの用件もなかったので、僕だけスーパーに買い物に出たほかは、残りの3人は家から出ることもなく、のんびりと過した。GW、帰省したら慌ただしく終わって切ないのに、帰省をしないと逆に時間を持て余しそうな予感がプンプンする。まるで人生のようだな。
 GW中にどうしてもしたいこととして、台所の、流しの下と上の収納の総ざらい、というのがある。そのくらい今日ちゃっちゃとやっちまえよ、という話なのだけど、なかなか腰が上がらず、後半に持ち越しとなった。
 午後のおやつの時間に合わせ、先般から長くやっている、僕とファルマン(とコンピュータひとり)の桃鉄を行なった。期間を100年に設定し、いま53年目。今のところまだ僕の天下が続いているけれど、キングボンビーがついて4、5回も悪さをされたら、数十年かけて積み上げてきたものはあっという間に崩壊するわけで、人生というのは儚いものだな、などと思う。
 それ以外の時間は、ショーツの試作に励んでいた。「nw」にて絶賛漫談中の、のび助ショーツは、型が定まったような、まだ模索しているような、微妙なところである。結局のところ、形が確定しないもの(ちんこ)の形を表現しようとしているので、定まりようがないのである。正解のない問いの正解を探し続ける、これはまるで人生のようだと思う。
 夕方に少しプールへの色気を出すが、夕飯の準備もあってさすがに厳しくなり、断念する。やはり平日に行こうと思う。ちなみに今週は2日だけ出勤すればGWの後半が始まるわけで、この平日のあとのほう、火曜日の退勤後に、ちょっと長い運転になるが、おろち湯ったり館に繰り出してはどうか、ということを少し考えていたが、ホームページを見ると、普段水曜日が休みの湯ったり館は、今週は水曜日を開ける代わりに、火曜日を休みとするのだそうで、残念だった。ホームページを確認して本当によかった。
 夜は焼売を食べた。おいしかった。「まつもtoなかい」で中居正広と香取慎吾が共演していて感慨深かった。少しだけ「笑っていいとも!」の最終回味があると思った。

散髪顛末

 髪の量が増え、乾かすのに時間が掛かると感じるようになった。そんなこと言ったらお前は2月まで結わうほどの長髪だったじゃないかという話なのだが、今はもうモードが違うのだ。髪を伸ばそうという気がないので、少し伸びて乾かすのに時間が掛かるようになっただけ厄介なのである。
 というわけで散髪することにしたのだが、ファルマンはしてくれない。ファルマンはこれまでも、後片づけなどの面倒さもあって、子どもはまだしも、僕の髪を切るのは億劫がっていたのである。そんな折、3月にポルガが、小学校の卒業式を前に、さすがにこのときばかりは、ということで、生まれて初めて美容師にカットをしてもらったのだが、その状態で横浜に行ったところ、母が「さすがはプロね」とやけに髪の仕上がりを褒めたため、ファルマンは家族の髪を切る意欲をだいぶ削がれてしまったのだった。
 そのため今回はお店に行って切ってもらうほかなかった。それで今朝、お店のページを確認したら、もう間もなく開店という時間だったため、じゃあ一番に切ってもらおう、簡潔でいいや、と慌てて家を出た。もちろん予約をするような上等な店ではない。しかし行ってみたらもう既に何人か順番を待っている人がいた。みな考えることは同じなのだ。仕方なく申し込みだけして、スーパーに買い物に出たりなどして時間を合わせた。結局散髪を終えたのは昼前になってしまった。行って切ってもらうだけだから店はそこが楽だな、なんて思っていたら、思わぬ時間を喰ってしまった。
 そして仕上がりはと言うと、これもよろしくなかった。丸みを保持しつつ、なるべく短く、軽く、というこちらの要望は、たしかに聞き入れられていて、だから文句は言えないのだが、でもなんというか、こういうことではない、という感じがあった。論法が違うとでも言おうか。なるほどいまどきっぽくはあった。だからこそ、論法が違った。
 それですっかりテンションが下がってしまい、このままだと本格的に落ち込んでしまうと思ったので、髪の色を変えることにした。それで午後の買い物でブリーチ剤を買い、ファルマンにやってもらった。まあまあの度合のものを選んだのだが、黒髪からなので金色までは至らない。しかしまあ、なんとか精神は救われた。来週以降、ここへなんかしらの色を入れようと思う。それまでには、髪型も自分の中で折り合いがつくだろうと思う。
 いつぶりか知れないお店カットで、だいぶ懲りた。また次からはファルマンに頼んで切ってもらおうと思う。技術的なことなど知らない。姑のデリカシーのない言葉がなんだ。ファルマンは、こちらの望む論法でやってくれるので、それは何にも代えがたいのだと悟った。

ファルマン生誕祭

 ファルマンが誕生日を迎える。
 当日は月曜日なので、前日の昨日、日曜日にお祝いをした。特別なことをしたわけではないが、4人でちょっと豪華な晩ごはんを食べ、そして手作りのケーキを食べるという、平和でしあわせな時間を過した。なによりだと思う。
 かくしてファルマンは、40歳になった。
 40歳。


 40歳である。
 去年が39歳だったのだから、別に予測不能の展開でも、どんでん返しでも、なんでもないのだが、それでも40歳というのは破壊力がある。来ることは分かっていて、そのために身構えていても、いざ襲来されると、そのパワーはこちらの予想をはるかに上回っている。そんな感じがある。ヒットくんたちは無邪気に、人文字ならぬヒット文字で「40」を描き出しているけれど、なぜか端っこにいるファルマンは、ひとりだけ髪を黒く塗ってもらえていない。そのあたりに、40歳以上と40歳未満の、あまりにも深い溝が見て取れる。
 僕がファルマンと付き合い始めたとき、ファルマンは20歳だった。それが40歳。人を、40歳以上と40歳未満で区分けした場合、僕はまだ、かの日の自分たちと同じ括りの中にいるけれど、ファルマンはそうではない。ファルマンはもう、先の階梯に進んでしまった。
 10年にいちどの、「代」が異なる5ヶ月半が始まり、とても嬉しい。30代の僕は、40代の姉さん女房を、この五ヶ月半の間、味がしなくなるまでいじり続けようと思う。そしてその喜びを掻き立てるかのように、ディズニーランドも40周年の特別イベントのことをCMでやり始めている。開園日である4月15日から開始だそうだ。つまり、もうこれを何度言ったか知れないけれど、ファルマンが生まれた時点では、日本にディズニーランドはなかった。ついでに言えば、1983年7月15日に発売されたファミコンも、まだなかった。じゃあ当時、娯楽はなにがあったんだろう。メンコとか、ゴム紐とか、缶詰に紐を通してカッポカッポするやつとかだろうか。そんな、物質的には貧しかったけれど、それでも戦後の経済成長の途上にあり、日本人が元気だった時代を生き抜いて、今のファルマンがある。時代の生き証人として、これからも元気で居続けてほしい。
 どんなにいじっても、まだいじり足りない気がする。自分より早く生まれた妻とかけて、ちんこととく。そのこころは、どんなにいじっても、まだいじり足りない気がするでしょう。5ヶ月半後に自分が40代になる頃には、あまりにもいじり過ぎた結果、さすがに40代いじりは賢者タイムになっていたらいいなと思う。僕はいじられたくない。

年度末と、はじまり

 山陰も桜が満開である。この週末に花見をしない手はないということで、実家の面々も誘い、土曜日に木次に行くことにした。ちなみに春休みに入り、実家には次女とその娘たち(下の子は間もなく1歳となる)も帰省してきているのだった。
 しかし木次に行くにあたり、ひとつ問題があった。木次に行ったら、僕はおろち湯ったり館に行きたくてしょうがなくなる、という問題である。去年の11月、2階露天が冬季閉鎖する直前に行き、そして3月中旬に再開した湯ったり館に、行きたい欲は俄然高まっていた。湯ったり館はいつだっていいけれど、春はまた格別なのである。しかし職場とおろち湯ったり館は、ほぼ自宅を挟んで正反対のような位置にあるため、夕方まで仕事をしたあと、さすがに行く気にならない。ならば週末に、ということになるわけだが、こうして自ら実家を巻き込んでの花見を計画してしまったものだから、その機会も奪ってしまった。春のおろち湯ったり館に行きたい気持ちと、親類で花見をしたい気持ちは、僕の中のそれぞれ違う部門で、それぞれの最優先事項として立案されたものなので、これは仕方ないことだった。
 ならばなんとかして、親類で花見に行きながら、僕だけがおろち湯ったり館に行くという方法はないものか、必死に探った。しかしどう考えても、車は義父と、僕のフリードという2台で行かねばならず、僕だけが途中でドロンすることはどう考えても不可能だった。木次に行きながらおろち湯ったり館には行けないという事態を前に、僕の心は千々に乱れた。最終的に、花見を終えて、家族らを実家まで送り届けたあと、僕だけがおろち湯ったり館のためだけに木次にとんぼ返りする、という方法しかないだろうと結論付けた。
 そんな折、急転直下の出来事が起る。仕事が、もろもろの事情により、金曜日は半日で終わることになったのである。なんたる僥倖。願いが強いとこんな奇蹟が起るのか、と思った。
 もちろん移動距離が変わるわけではないが、夕方からやるのと、昼からやるのでは、ぜんぜん気持ちが違う。意気揚々と長いドライブをして、4ヶ月ぶりのおろち湯ったり館へとたどり着いた。週末に行くつもりが、平日の午後になったのだから、混雑度的にも万々歳である。もとより労働に費やされるための時間だったと考えれば、せせこましく時間を惜しむ気持ちも湧かず、じっくりと、それはもうじっくりと湯ったり館を堪能した。
 まずプールで泳ぎ、それからサウナ。サウナでは1回目の外気浴で早くも、いわゆる「ととのう」状態になったので驚いた。湯ったり館との相性があまりに良すぎる。あとこれまでのベンチでも十分に満ち足りていたのに、このたびそのベンチに改良がなされていて、座面の半分が背もたれのように稼働するようになっており、これもよかった。湯ったり館はまだ高みを目指すのか、と慄いた。それでも2回目の外気浴では、これまでのフラットなベンチに横たわった。青空以外、視覚的にも聴覚的にもほとんどなにもない空間で、素っ裸で横になっていると、サウナ後の軽い朦朧もあり、日常では決して味わうことのない境地へと至ることができる。たまらなかった。さらに今回は、そのあとで2度目のプールという、新しい展開も試してみた。これもかなりよかった。サウナ後のスッキリ感を伴いながらの水泳は、また別種の快感があった。そして再びサウナへ舞い戻り、骨の髄まで堪能した。
 これで翌日の親類との花見で、おろち湯ったり館に行きたくて終始そわそわする、という事態を避けることに成功した。大成功であった。花見は、本当に見頃の桜を、抜群の気候の中、思ったような食べ物を調達し、ノンアルコールビールを飲んで、朗らかに行なうことができたので、とてもよかった。花見はいいな。春に、桜を、大事な人たちと、愉しむことができるという、そのことにしみじみとした幸福を感じる。
 とてもいい、年度末と、始まりであった。

岡山旅行&横浜帰省記 7 完結

 江ノ電はひどく混んでいた。今回乗った電車の中で、断トツだった。いったいこれがGWにはどうなってしまうのか、とまた思った。予定通り、由比ヶ浜駅で下車。由比ヶ浜駅というくらいだから、降りたらすぐに砂浜の風景が広がるのかと思っていたが、意外とそんなことはなかった。どうも人の流れ的にこちらが海らしい、という方向へ、住宅街の中をしばらく歩いて、ようやく着いた。この道の途中や、あるいは沿岸にコンビニのひとつもあるだろう、そこで食べ物の追加や、そしてノンアルコールビールを買おうと画策していたのだが、意外とひとつもなかった。仕方ないので先ほど調達したもので我慢することにした。箱を開けてみたら稲荷ずしは思っていたよりもボリュームがあったので、食べ物の分量的には問題なかった。ノンアルビールはだいぶ恨めしかった。食べていたら、上空をトンビの大群が旋回し始め、子どもが怖がる。それを憂えたファルマンが、持っていたビニール袋を頭上に突き上げ、変なステップを踏みながら振り回すという、トンビを追い払っているのか人を追い払っているのか判らない謎の動きをしたのでとてもおもしろかった。
 食べ終わったあとは、長谷の方面に向け、砂浜を歩く。わが家は、日本海や瀬戸内海には馴染みがあるけれど、太平洋とはほとんど接触がない。一応みなとみらいでも目にはしているのだが、あれはあまり海という感じがしない。歩いて分かったが、日本海と太平洋の大きな違いとして、太平洋の砂浜には、ハングル文字のプラごみがない。
 長谷駅までは歩いたらけっこうあった。そして長谷駅から、いわゆる鎌倉の大仏のある高徳院までも、けっこう距離があるのだった。しかもゆるやかな上り坂。ファルマンとふたりで来たときも同じ道を歩いたはずだが、まったく記憶にない。こんなにけっこう行くまでに苦労したんだったっけ、大仏様ちょっと奥に移動してない? などと思った。
 高徳院に着き、大仏に相対する。おー、という感想。写真とかテレビで見たことあるやつー、と思った。バカな感想だな。僕とファルマンとポルガの3人は、つい最近「ブッダ」を読んだばかりなので、特別な感慨を持てばいいだろうに、あまりそんなことはなかった。大仏の内部も入れたので入った。たぶんこれは初めてじゃないかと思う。内部が特別どうこうということはなかったが、あの鎌倉の大仏の中に入ったという事実がおもしろいと思う。
 鶴岡八幡宮、小町通り、由比ヶ浜、鎌倉の大仏という、王道ルートをこなし、これにて鎌倉観光は終了。これから長谷駅まで歩いてそこからまたあの激混みの江ノ電かー、とテンションが下がっていたら、高徳院を出てすぐの所にバス停があり、鎌倉駅まで行ってくれるというので飛び乗った。座ることもでき、とても楽だった。
 帰りの電車で母と話をしていて、由比ヶ浜の話題になり、母が「波の音って本当にうるさくて嫌」と言ったのが印象的だった。ああ、この人は息子一家と鎌倉に来て、由比ヶ浜を見て、そしてしみじみと、「波の音がうるさい」ということを思うんだな、ブレないな、と思った。母がこれからもずっとこうやって、老人的なみすぼらしさを見せないでくれたらいいと思った。
 帰りがけにスーパーに寄り、夕飯の買い出し。メニューをどうするか問われたので、焼き鳥やシュウマイや煮豚や枝豆など、おつまみっぽいものをこまごまと作ろうと提案した。帰宅すると既に甥は実家にいた。それから叔父と姪を車で迎えに行き、夕餉を始める。陽射しを浴び、よく歩いたあとの焼き鳥とビールが、どこまでもおいしかった。途中で姉と、今晩は義兄もやってきて、全員集合となる。全員が集合したので、3年ぶりに全員での写真を撮った。見較べてはないが、3年分子どもたちが大きくなっているだろう。それ以外はあんまり見た目の変化はないだろう。
 翌日は最終日。なんとこの日も予定が入っている。新幹線は午後2時新横浜発なので、午前中だけなのだが、ここが今回の帰省で唯一の、いとこで遊べるチャンスなので、姉と事前に協議した結果、つくし野のアスレチック施設に行くことにしたのだった。しかしここまで岡山・上野・鎌倉と動き回り、さらには夕方からは岡山から島根までの運転が待っている身としては、今日はもういいんじゃないか、姉の家の大きなテレビでWBCの準決勝を観る、というのでいいんじゃないかと、やんわりと提案したのだけど、アスレチックにテンションを上げる子どもたちにそんな声が届くはずもなかった。というわけで朝からアスレチックへ。姉によると、ここには自分が子どものころにも来たことがあるそうなのだが、まったく覚えがなかった。園内を巡っているうちに痛烈に思い出す瞬間があるかもしれないと期待していたが、結局最後まで一切の思い出がなかった。子どもたちは普通の公園にはないレベルの設備に、躍動していた。こいつらはもう、こどもの国じゃなくてこっちなんだな、もとい数年前から実はそうだったんだな、と見ていて思った。そして子どもたちをアスレチックで遊ばせながら、大人たちと言えば、やはり誰もが明らかにWBCの試合状況をチェックしているのだった。大抵の大人は、家でWBCを観たいに決まっているのだ。それでも子どもとアスレチックに行く約束をしてしまったから逃れることができなかったのだ。試合は敗色濃厚の様相を呈し、諦めムードの中、われわれのタイムリミットは迫り、アスレチックを後にする。その施設から出て駐車場の車まで歩いている途中で、周囲からワーッという叫び声が響き、慌てて車に飛び乗ってラジオを付けると、村上のサヨナラタイムリーで日本が勝っていた。タイミングが特徴的だったので、なかなか印象深い記憶になったと思う。
 そのあとはいったん帰宅し、少し急いで昼ごはんを食べ、1時ごろに実家をあとにする。濃厚であっという間の2日間だった。
 そのあとは新横浜で新幹線に乗り、5時半ごろに岡山に到着。岡山から再びかつての居住地の街へと移動し、3日間、見知らぬ街に置いていかれていた愛車に乗り込んだ。ここから3時間の運転である。この街に住んでいたらここで行程はおしまいなわけで、楽だなと思うが、でもやっぱり、これは前向きな発言として、ここに住んでいた頃よりも、今の島根県での暮しのほうが好きだな、3時間余計に掛かっても島根の暮しがいいな、というふうに思ったので、自分のことながら安心した。3時間は、ポルガのプレイリストを聴きながら、愉しく運転した。今回は本当にギチギチのスケジュールだったのだが、無事にすべてをやり遂げることができ、よかった。帰省して数ヶ月は、「さすがに顔を出さないとなあ」という懸念から解放されるのがいい。GWはたくさんのんびりしようと思う。

岡山旅行&横浜帰省記 6

 ここまでちょっとゆっくり書きすぎた。ここからペースを上げることにする(どうせそんなことになるだろうと思っていた)。

 3年ぶりの国立科学博物館は、まあ前に来たことがあるな、という感じだった。もちろんおもしろいのだが、1回目に読んでおもしろかった本を、あの本すごくおもしろかったからもう1回読もう、と思って読んだら、もう読んだことがあるのでそんなには愉しめない、みたいなそんな感じがあった。とはいえ、別に僕はいいのだ。ポルガが来たくて来たのだから。たぶん3年生で来た時よりも、知識も増えて、より愉しめたのではないかと思う。
 午後2時ごろに科博を後にし、ようやく実家へ。JR上野駅から田園都市線へのアクセスが、途中のどこかで半蔵門線に乗り換えるとか、検索すれば賢い方法もあったのだろうが、荷物が重かったこともありそんな余裕はなく、山手線で渋谷まで行くという、たぶんとても素人的な経路を採った。ホームに降りてから気付いたが、上野から渋谷って、山手線のほぼ真反対なのな。内回りでも外回りでも変わらない感じ。長いなー、とうんざりしながら、先に来たほうの電車に乗り込んだ。この際、初めて例の「高輪ゲートウェイ駅」を経験する。別に鉄道オタクではないので感慨はないのだが、それにしたってひどい名前だな、と思った。
 渋谷ではせっかくだからスクランブル交差点を歩こうかとも思ったのだが、やはりどうしたって荷物が重く、断念する。ここでも案内板だけを頼りに田園都市線乗り場に向かって歩いた。渋谷駅は、なにしろ田園都市線っ子なので、東京駅よりははるかに土地勘があるはずなのだが、僕が利用していた頃の渋谷駅と今の渋谷駅は、たぶんもう別の駅なのだと思う。乗り換えで歩いた通路の景色が、ひとつも懐かしくなかった。
 田園都市線もそれなりに長い。やはり実家と上野は遠い。そんなこと言ったらそれは岡山から上野のほうが当然遠いのだが、それでもやっぱり今回の作戦は成功だったと思う。たまプラーザに迎えに来てくれた母の車に乗り、ようやく実家に到着する。
 実家には祖母と、姪と甥がいた。甥は、去年のGWの帰省の際はサッカーチームの合宿とかで会えなかったので、科博と同じで3年前の正月以来だ。たまに送られてくる写真で見知ってはいたが、髪の毛を伸ばし、しかも茶髪にしていて、なんだかチャラかった。断っておくが、あの襟足が長いタイプの、ああいうのではない。この喩えがいいのかどうか分からないが、ヴェルディの北澤みたいな感じ。サッカーだし、小さいし、チャラいし、実際かなり共通項はある。そして相変わらずうるさい。男子って基本的に女子よりもバカでうるさいものだと思うが、甥はその中でもだいぶその度合いが強いほうに違いない。
 やがて姉も来て、叔父も来て、晩ごはんは定番の手巻きずし。ビールも含め、おいしかっただろうと思うが、味など覚えていない。とにかく子どもたち4人のやかましさに、滞在中通して、あてられ続けた。上のふたりがじきに中学生や高校生になるので、いまがこの4人組のやかましさのピークの時代ではないかと思う。
 夜は早めに寝た。なにしろ予定はギッチギチなのである。少しでも体調を崩せば計画が瓦解してしまうので、夜はせっせと体力の回復に努めなければならない。ストイックすぎて、愉しもうとしているのか、こなそうとしているのか、よく判らなくなってくる。
 明けて3日目の予定はなんなのかというと、なんと鎌倉である。鎌倉へは、だいぶ前から行きたいと思っていた。でも地方民のわれわれがこちらに来るときは、要するに大型連休期間であり、そんなときの鎌倉はどうせとてつもなく混んでいるのだろうと、いつも二の足を踏んでいた。そんなところへ、とうとう去年の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」となり、ああこれはもうダメだ、また当分鎌倉への道は遠のいた、と諦めていたのだが、今回この自前で作り出した4連休の、それも骨子の「自前」の部分、すなわち世の中的には平日であるこの日こそ、われわれが鎌倉に行くことのできる、千載一遇(この旅2度目)のチャンスだと思い、向かうことにしたのだった(それだのに、2日前の晩、岡山のホテルでたまたま眺めた「アド街ック天国」の特集が「鎌倉 長谷」だったので、やめてくれよ! と思った)。
 これにはせっかくなので母も誘った。これで母を伴わなければ、帰省したのにほとんど実家の面々と絡まなかった感じになるので、孫らとの思い出作りとしてよかったんじゃないかと思う。なんなら祖母も来るかなと思ったのだが、さすがにもうそういう遠出はしないようだ。それでも近所の散歩は日々しているそうで、94歳とは思えないほど、変わりなく元気そうだと、こちらがそう感じたい部分もあって、そう見えるのだが、しかし80代と90代というのはやはりだいぶ違うのだろう。ポルガ3歳の七五三の際、2014年のことだが、祖母は母と姪と3人で倉敷にやってきて、一緒に美観地区を回った。さらにその次の日は、広島の知人に会いにひとりで別行動さえしていた。9年前なので、あのときの祖母が85歳ということになる。85歳と94歳は、そうか、それは違うよな、と思った。
 あざみ野から鎌倉へは、1時間くらいで着いた。長年行きあぐねていたわりに、いざ行ってしまえば近いのである。鎌倉と言ったが、下車したのは北鎌倉駅。ここから、円覚寺や建長寺に立ち寄りつつ、ひたすら歩いて、鶴岡八幡宮に後ろ側からたどり着くというルート。特になにも決めずに来ていたのだが、祖母にそう提案されたので、従った次第である。やってみたら、かなり歩くルートだった。
 鶴岡八幡宮の大階段では、ファルマンが「鎌倉殿の13人」の、源仲章の死に際のモノマネを得意としており、「あたい鶴岡八幡宮に行ったら絶対に再現すんねん」と言っていたので、僕は公暁役となり、ファルマンを斬りつける演技をしてやったのだけど、ファルマンは周囲の人間の多さに委縮して結局モノマネせず、だからただ僕が急に妻を手刀で打擲した、デートDV夫みたいになった。そのあとファルマンは、なにを思ったのか、御朱印を書いてもらう列にポルガとふたりで並び、しばらくして戻ってきたら、手に自分用として鶴岡八幡宮仕様の御朱印帳を持っていた。なぜか急にここで、自分も始めることにしたらしい。まあどうせ御朱印帳を始めるなら、ポルガの出雲大社然り、やはりちょっと名のある所の御朱印帳がいい気はする。鶴岡八幡宮なら悪くないな。鎌倉はわれわれの新婚記念デートの場所だし、おみくじで「名付けに注意せよ」というありがたい言葉をいただいた場所だし(守らなかったけど)。
 そのあとは小町通りを通り、鎌倉駅へと向かう。鶴岡八幡宮もだったが、この小町通りがすごい人で、いちおう平日の今日でこうなのだから、週末やGWとなるとどうなってしまうのか、と思った。このあとの予定としては、江ノ電に乗って、長谷を目指しつつ、途中の由比ガ浜で降りて砂浜でごはんを食べようと思っていて、そのために小町通りでなんかしらの食べ物を買っておく必要があったのだが、これが大変だった。食べ物屋はどこもだいたい行列で、とてもガイドブックに載っているような、「小町通りで食べ歩き♪」なんて状況ではないのだ。それでもなんとか稲荷ずしや唐揚げを調達し、ほうほうの体で駅へと進んだ。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 5

 岡山から新横浜までは新幹線で3時間である。夕方に岡山に着き、なぜそこで新幹線に乗るという選択をしなかったか。乗ってしまえば車内での3時間は寝ていればいいのだし、そのあと新横浜からあざみ野までの地下鉄さえ少し耐えれば、駅までは母が迎えに来てくれる。着いて寝るだけの初日になるが、それは仕方がないだろう。でもそうはしなかった。そうは言ってもその移動は体力的にきついだろうというのもあったし、なにより翌日の予定が関係していた。旅程2日目の今日は、上野の国立科学博物館に行くのだった。実家から上野へのアクセスは悪い。アクセスが悪いというか、普通に遠い。前の晩、深夜帯に実家に着いて、翌日の午前中に上野に向けて出発するのは、かなりハードなスケジュールに違いない。それよりは岡山で(それなりに)ゆっくり休み、翌朝早くの新幹線に乗って、上野目的で東京駅まで新幹線で行く、というのが賢い選択だろう。などと偉そうに言っているが、僕が考えたのではない。これはファルマンの采配である。僕ははじめ岡山で1泊すると聞いたときは「へ? なに言ってんの?」となった。でも実際にやってみて、やはりこれは正解だったと思った。
 というわけで早朝の岡山駅である。新幹線は岡山発の、始発か、あるいはその1本あとくらいの、本当に早いものであり、余裕を持って早めに駅に行ったら、なんと新幹線乗り場の改札がまだ開いていなかった。改札の前には人がじりじりと集い、その中には明らかに、ディズニーランドに卒業遠足的なものに行くのだろう学生などもいた。岡山という場所は、新幹線という乗り物は、なるほどそういうものだったな、という感じを思い出した。この感じは、島根県ではまるで味わわないものである。
 やがて改札が開けられ、入場した。もちろん指定席を取ってあるので、乗り遅れさえしなければ、急ぐ必要はまるでないのだ。かくして無事に、やってきた新幹線に乗り込み、旅行&帰省の後半部に突入した。あるいは上野パートはまだ帰省ではなく旅行の延長と捉えるべきだろうか。別にどっちでもいいことだな。
 新横浜を通過し、品川を通過し、東京に着く。時刻はまだ9時過ぎである。永遠に全貌は把握できないのだろう東京駅を、目的の路線の案内表示だけを頼りに、溢れかえる人波の中、進む。東京から上野は、もちろん近い。すぐに着いた。着いたJR上野駅で、動物園などのエリアに近い出口を探し、改札を出たら、なるほど目の前はそのエリアだった。今年やけに早く咲き始めた桜も影響しているのか、まだ午前中だというのに人は多かった。基本的に自分たちが田舎住まいだというのもあるが、コロナ以降、久々にこのような人出を見たような気がする。かくいう我々も、この場所に来たのは2020年の1月以来であり、そういう輩がこういう所に来られるようになったからこそのこの人出なのだな、と思った。

岡山旅行&横浜帰省記 4

 引越しって一種の死みたいなもので、自分がいなくなっても変わらずに全体の営みは続いていく感じが、とても似ていると思う。だから引越した街に顔を出すのって、ちょっと霊界から舞い降りて現世を眺めているような気分だ。ワクワク感と同時に、すごい寂しさもある。かつて自分の居場所であっただけに、今はもうそうではないことに、やるせない喪失感を抱く。
 馴染みのスーパーを覗いてみた。引越しの直前、「当店はリニューアル工事のため下記の日程で休業します」という張り紙があり、それは我々が引越す数日後の日付で、だから一体どんなふうなリニューアルが行なわれたのか、2年以上気になっていた店である。入店してみたら、たしかに2年前とは微妙に違う気もしたが、2年前の記憶自体があやふやになってもいるので、なんとも言えなかった。遠いなあ、当たり前だが、この土地で我々はもはや、地に足がついていないのだなあ、ということをしみじみと思った。今晩、ホテルで食べるものを買い、店を出た。今後また倉敷に来ても、もうあえて、こうして懐かしがってこのスーパーに来ることはないかもしれないな、と思った。
 この街にわざわざ来たのは、こうして回顧するのももちろん目的のひとつだが、車を停めるためでもあった。3日後の火曜日まで、足掛け4日間車を置いておくにあたり、岡山よりもこの街のほうがいいだろうと考えたのだった。岡山市街は土地勘があまりないし、駅の近くの駐車場となれば駐車代金もかなり掛かるだろう。ここならば、岡山まで電車で行く手間は掛かるが、安心感があった。駐車場は、あたりをつけていた場所(もちろん居住時代は使ったことがなかったけれど)が無事に空いていて、停めることができた。1日500円。さすがの安さ。
 なのでここから電車で岡山駅へと移動した。車に軽い気持ちで載せてきた荷物は、持ってみるとだいぶ多く、重く、これはこのような旅程でのトラップだと思った。
 岡山駅ももちろん久しぶりである。ただしこの時点でもう18時を過ぎて暗かったし、荷物も重かったので、駅から歩いて10分ほどのホテルまで、心を無にして歩いた。自業自得だが、3時間の運転後に、僕は泳ぎさえしたのだ。3泊4日の初日から飛ばしすぎだ。
 ホテルの部屋に着いたときにはほっとした。出発前は、夜は岡山の街をブラブラするのも悪くないな、などと考えていたが、とてもそんな気力は残っていなかった。買ってきた総菜を食べ、ビールを飲み、順番にシャワーを浴びて、早めに寝る態勢を整えた。なにぶん翌日の起床もきわめて早いのである。
 22時を待たず、アド街ック天国をぼんやり眺めつつ、ピイガを寝かしつけながら、ともすればピイガよりも早く寝付いた。そこでものすごく深く寝たようで、次に目を覚ましたら、ファルマンはまだ起きていて、時計を見たら23時半くらいだったので、なんだか驚いた。だいぶしっかり寝たつもりだったのに、まだ安住アナの番組が終わった直後くらいじゃないか、と思った。ファルマンは自宅じゃないので緊張して寝付けないらしかった。僕はなんだか驚いたなあ、と思ったあと、たぶんまた秒ですぐ寝た。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 3

 というわけで風呂はすっぱり諦めたのだが、だとしたらどこへ行くのか、結局なにも決められないまま、この日を迎えてしまっていた。プールのあと、入浴施設で体を洗うということ以外、特にしたいことが浮かばなかったのだった。そんな自分に対して、ちょっとどうなんだと思う部分があった。6年半暮した倉敷である。そこへ2年ぶりに戻ってきたのである。万感の思いとともに、いろいろ再訪したい場所があって然るべきではないのか。ないのである。水で泳いだあと、お湯を求めるだけなのである。俺は一体なにをやっているんだろう、俺の生活、俺の人生って、本質は一体なんなんだろう、とまで思った。
 結局、しばらく水泳センターの駐車場で思案した挙句、イオン倉敷に行くことにした。熟考した末にイオン。なんかつらくなってきた。それでも時間を潰すために無為にイオンに行くのではさすがにない。目的はもちろんパンドラハウスである。しかし1週間前の松江のそれで、ニットが冬物ばかりであまりよくなかった、という思いをしたばかりだったので、あまり期待はしないで行こうと思った。それで、ちょっと懐かしい道を走り、イオン倉敷へとたどり着いた。2年でお店のラインナップも変わったりしているのかな、ということにも少し思いを馳せたが、馳せるだけでモール内を見て回るということはせず、ただパンドラハウスに直行した。そしてその収獲はどうだったかと言うと、これが滅法よかったのである。適度な厚みの、いい感じのボーダーのニットはぎれ(130×50くらい)が、色味で分類されて棚に何段も並べられ、しかも1巻が本来500円のところ、セールで380円になっていた。うひゃあ、と興奮しながら、両手いっぱいに抱え、購入した。1週間前の松江の雪辱が果たせて万々歳だったが、その一方で、あんなに行きたいと思っていた、おらが県の県庁所在地である松江のイオンのお店は、実はそれほどの規模ではなくて、岡山のお店のほうがよっぽど品揃えがいいんだ……、ということが明らかになってしまい、少ししこりも生まれた。倉敷在住時代は、ぜんぜんニットに興味なかったんだよな。またいつか、岡山に行った際には、来れたらいいなと思う。
 あまり期待しないで行ったイオン倉敷で望外の喜びがあったため、すっかりテンションが上がった。もう今日の倉敷での行動はこれで打ち止めでいいな、と思ったので、美観地区に向かうことにした。ここまでファルマンに状況を訊ねるメッセージを何度か送っていたが、ぜんぜん既読がつかないのだった。
 美観地区にたどり着き、適当に歩きはじめる。人はかなり多かったが、歩いていればそのうち出くわすだろうと思った。2年よりもさらに、たぶん4年とか5年ぶりの美観地区は、まあ相変わらず観光地だった。観光地なので、倉敷になじみのある人間が来ておもしろい場所ではない。そんなことを思いながらあてもなく歩いていたら、果たして見覚えのある一団を発見し、無事に家族と合流した。それからひとしきり、僕も一緒に美観地区内を巡り、やがて別れた。2年2ヶ月ぶりの心友との邂逅は、ポルガの心を満足させただろうか。そうだったらいいな、と思った。4年生の3学期に転校をさせることになったことに、親としてやはり、一抹の後ろめたさがあるのだった。そしてそれも含めて、倉敷および岡山に対する、僕の複雑な感情が形成されている気がする。
 心友一家と別れたあと、4人で再び車に乗り込み、次の目的地は岡山市街、では実はなくて、倉敷市街からそう離れていない、かつて実際に我々が6年半を暮した街である。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 2

 土曜日の朝、最初の目的地である岡山に向けて出発した。出発できてよかった。GWではなくこのタイミングというのはすごくいいなと、計画が立った1ヶ月前あたりは思っていたのだけど、直前になって子どもたちの花粉症が強まったり、僕にもガツンとした症状が現れたりと、この時期特有のトラップに戦々恐々としたが、なんとか中止にせずに済んだのだった。
 岡山までは車である。前回の帰省の際、飛行機を避けたいがために、岡山まで車で行ってそこから新幹線に乗る、という手段を、「こんなトンデモ案もあった」という感じで書いた気がするけれど、今回はそれを実際に選択し、実行した。特急やくもに乗ることへの抵抗や、岡山や倉敷で行動することを思えば、これが今回の最適解だろうと考えた。ちなみにこの1週間前の松江行きで、ポルガがスマホを契約したことや、その夜に音楽のサブスクに加入したことは、実はどちらもこの岡山行きの伏線なのだった。
 車内音楽が新鮮で愉しかったので、3時間の道程は快適だった。これなら10時間くらいかけて全行程を車で行くのもありなんじゃないか、とさえ思ったが、ピイガが1時間過ぎたあたりでぐずり始めたので、やっぱりぜんぜん無理なのだった。
 玉島の出口で高速を降り、倉敷市へとたどり着く。懐かしき倉敷。2021年1月4日以来、実に2年2ヶ月ぶりである。まさかこれほどまでに岡山に行かないことになるとは思っていなかった。
 ポルガの心友との待ち合わせ時刻には、だいぶ余裕を持って家を出ていたが、高速道路の最後のほうで事故渋滞があってだいぶ時間を喰い、昼ごはんをどこかで食べる時間はなくなる。そこで2号線から笹沖のザ・ビッグに立ち寄り、住んでいた頃は買い物ついでによく買って食べたあのたこ焼きを買って食べようじゃないか、懐かしくてちょうどいいじゃないかと閃くが、駐車場に入ったところで、お店がなくなっているのが分かった。寂しい。これが2年2ヶ月の歳月というものか。仕方なくザ・ビッグで弁当を買い、車の中で食べた。
 そこから目的地まではすぐである。目的地は美観地区なのだ。ここでポルガは心友と遊ぶ。ファルマンとピイガ、および心友のお母さんと弟くんの4人は、そんなふたりを少し離れたところで見守りながら一緒に美観地区をブラブラする、という計画になっていた。というわけで集合場所で無事に落ち合い、ポルガと心友は2年2ヶ月ぶりの再会を果たしたのだった。キャラ次第では抱き合って喜んだりするような場面だろうが、おとなしいものだった。まあ親きょうだいの前だしな。
 かくして6人は美観地区へと進み、僕はここから別行動。さすがに僕まで一緒に美観地区を回ってもしょうがない。それよりも僕には行きたい場所があった。倉敷市が誇る50mの巨大プール、倉敷市屋内水泳センターである。居住時代、ちょいちょい行っていたこの場所だが、離れてみて、50mで、レーン数も多く、水深も深く、そしてなにより水が異様に透き通っているこのプールの価値を改めて実感し、いつか岡山に行った暁にはぜひ立ち寄りたいと思っていた。でも岡山に行くときは、1日の中で、もれなく行き3時間、帰り3時間の運転が待っているわけで、その状況下で泳ぐのは難しいかな、とも思っていた。それが今回、帰りの3時間のことは気にしなくていいという千載一遇のシチュエーションに恵まれたため、満を持して赴いたのだった。今回の3泊4日は、かなりギチギチに予定を詰めていたが、個人的にそこへプールまで組み込んだのだから、アグレッシブなことだと我ながら思う。
 美観地区から水泳センターまではすぐである。動線的にも今回は恵まれていた。かくして2年2ヶ月以上、最後がいつだったかは分からないが、とにかく久しぶりの、念願の水泳センターと相成った。相成り、どうだったかと言えば、まあよかった。プールは相変わらずのクオリティだった。でも50mプールって、25mのそれに較べて泳ぐ距離が長いからすぐ疲れるんだよな、ということはもちろん分かっていて、実際その通りで、3時間かけて来た、2年以上ぶりのプールだから、堪能するために死ぬほど泳いだかと言えば、そんなこともなく、それでも合計で1kmほどは泳いだが、35分くらいでフィニッシュした。
 はじめからプールではそれほど時間は潰れないということは判っていた。別れてからまだ1時間ほどしか経っておらず、子どもたちはまだまだ美観地区だろう。さてこのあとどうしよう、と考える。水泳センターは、せっけん類を使ってのシャワーが禁止されているため、髪や体を洗いたい気持ちはあった。実は計画段階でその流れを予想し、そう離れていない位置に「くらの湯」という入浴施設があったから、そこへ行くのはどうかと考えたのだが、検索したらなんと閉鎖していた。居住時、いちどだけ行ったことがあった。真備の水害があった際には、災害に遭った人や復旧作業にあたった人に、風呂を無料開放していたのが印象に残っている。やはりコロナだろうか。2年2ヶ月の歳月をここにも感じた。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 1

 岸田首相がキーウを電撃訪問したのと同時に、わが家もひそかに横浜に帰省していた。
 先週、18日の土曜日から旅程は始まり、日曜日、そして春分の日の火曜日に挟まれた月曜日を、僕は有休、ピイガは家庭の事情による欠席(ポルガは既に卒業式を終えた)にして4連休を拵え、帰省を決行したのだった。もちろん電撃訪問と言いながら、周到に計画は練っていた。それなのに事前に一切その素振りを見せなかったのは、岸田首相とまったく同じ理由で、安全上の観点からそうした次第である。このタイミングでわが家が家を空けることが判ったら、どういう輩がどういう悪事を働くのかはまるで想像つかないが、まあ警戒するに越したことはないだろう。
 ちなみに今回ここで帰省を行なったのは、お盆だとだいぶ先になりすぎる感があり、だとすれば去年に引き続きGWということになるが、なんてったってGWは混雑するので、それを避けるためにこのタイミングが浮上した次第である。ここも岸田首相とまったく同じ行動原理かもしれない。
 交通手段だが、今回は飛行機を免れた。去年やって、飛行機はやっぱりあまりにも僕の心身にダメージが大きい(巨根の弊害)ということが明らかになったし、それ以外にも実は理由があった。今回のツアーは、実家への帰省だけが目的ではなく、実は岡山旅行も兼ねていたのだ。これまで鳥取、広島と、近隣の県への1泊旅行を行なってきたわが家だが、今回はその岡山編ということである。もっとも岡山には6年半住んでいたわけで、普通に考えれば旅行なんてするはずがない。
 それではどういう事情かと言えば、4年生まで倉敷の小学校に通っていたポルガには、僕が「ダイアナ」と呼んでいる、ポルガのことをやけに肯定してくれる心友がいて、ポルガは島根に引っ越してからのこの2年3ヶ月、ずっと彼女に恋い焦がれていたのだった。今回、コロナもとうとう(ほぼ)収束し、その子の母親と打ち合わせをして再会の算段がついたので、横浜帰省と抱き合わせ、初日に倉敷でその子と遊び、夜は岡山市のホテルに泊まり、そして翌朝、岡山から新幹線で横浜に向かう、という計画が立てられた。実に周到に練られた計画である。しつこいようだが、インド訪問からそのまま陸路でキーウ入りした岸田首相との相似を感じずにおれない。
 というわけで3泊4日の、旅行&帰省記をこれから綴ってゆく。しかし今日はその、前フリというか、まだ実際には島根県を出発する前の段階までしか書けなかった。なにぶん、火曜日の夜に島根に帰ってきて、もちろん今日から労働だったのだ。のんびり書いていこうと思う。

日曜松江父

 日曜日、家族で松江に行った。
 松江にはなにしろ、ニットはぎれのおもしろいのが売っているパンドラハウスがあるので、常日頃からチャンスがあれば行きたいと思って暮している。今回はそれを含めていろいろな目的がいい具合に集まったので、行くことに相成った。いざ行ってみれば、松江はまあ決して近くはないのだが、そこまでとんでもない遠出ということもなく、ほどほどの距離なのだった。思えば島根での暮しは、お店が立ち並ぶエリアというものが基本的に1ヶ所に凝縮されているため、買い物にそこまで移動時間を要さない。これはとても便利でありがたいことだが、岡山時代はそうではなかった。当時住んでいた場所は、岡山市と倉敷市に点在する市街の、どこにも出やすい立地だと、住んでいた当時は思っていたが、どこにも出やすいというのは、裏を返せばどこに行くにも一定の移動時間を要するということで、けっこう40分くらいザラに使って、大きい100均ならあっち、イオンならあっち、なんてことをしていた。その頃のことを思えば、今はすっかり体が鈍ってしまっているけれど、1時間かかるわけではない松江へも、そう身構えずに行けばいいのだと思った。
 家族で行くことにした目的の筆頭は、ポルガのスマホの契約である。われわれ夫婦が契約しているイオンモバイルが、松江イオンにしかないため、松江に出向く必要があった。なにぶん春から中学生なので、まあ現代の一般的な落しどころだろう、このタイミングで持たせることにしたのだった。この時期こういう層は多いだろうと思い、お店が混んでいるのではないかと危ぶんでいたが、幸いここは島根県のため、まったく問題なかった。番号札さえなかった。スマホ本体は、ネットで買ったほうが安いのかもしれなかったが、まあお店で買ったらいろいろ事がスムーズに運ぶだろうと思い、店で買うことにした。それでラインナップを見せてもらったら、僕がいま使っているものとまったく一緒の機種が、僕がネットで買ったときと同じ値段で販売されていたので、なんだか拍子抜けした。さらに言えば、これは望外の喜びだったのだが、店で本体を買って契約をした特典として、WAONを何千ポイントかくれるそうなので、なんだかとてもリーズナブルに契約をすることができた。新しくスマホを持ち、電話番号も得るということが、こんなに簡潔にできてしまうのか、と思った。って言うか中学生でいきなりスマホって、という思いも、どうしたってある。僕は高校生になったとき、やっとシティフォン(都会専用携帯電話)だった。まあそんなこと言い出したら、高校生が携帯電話を持つことがあり得なかった時代だってあるわけで、きりがないけれど。でもスマホということは、カメラも、音楽プレーヤーも、既に集約されているわけで、そうか、現代の子は我々が選択を悩まされたそれらのことには、一切煩わされないのだな、と思った。ちょうど読み返していた「おもひでぶぉろろぉぉん」で、当時使っていたPanasonicのSDプレーヤーの話をしていたので、それが余計に感慨深かった。
 契約後の待ち時間は、ポルガは本屋へ、ファルマンとピイガは施設内をブラブラ、僕は待ちに待ったパンドラハウスへと向かう。去年の7月以来の来店。もうそんなに経ったのか。それで収獲はどうだったかというと、まあちょっと期待を高め過ぎたかな、という感じだった。もっとも時期的に、起毛のような、厚めの生地が多かった。僕の目的はもちろんショーツ用の生地なので、それでは適さない。それでも何枚かは買った。本当はもっとわんさか買うつもりで、財布に多めにお金を入れてきていた。だから少し残念だ。また暖かい季節になったら買いに来ようと思う。
 スマホを受け取ったあとは、所用があったため松江駅にも少しだけ寄って、帰った。帰り道の途中で量販店に立ち寄り、食料品などもろもろ買い込む。この際にポルガのスマホ用のマイクロSDも買った。32ギガ。マイクロで、32ギガなどという。2005年当時のSDウォークマンで使用していたSDの容量が、512メガだった。いや、まあ本当に、これについて言い出したら、じゃあカセットテープしかなかった時代はどうなんだ、という話になるから意味がないのだけど、それにしても、うーむ。
 そしてこれに関連した話にもなるのだが、ちょっと久しぶりに小一時間ほどのドライブをしたことで、現状の車内音楽が非常によろしくないということが判明した(本当はだいぶ前から判明していたが、いよいよ耐えられなくなった)のだった。これまではパソコンにデータとして持っている音楽をSDにコピーして、それを車載オーディオに差し込んで流していたのだけど、ろくに増やさないので、心底飽き飽きしていた。それで僕は、ゲオに行くしかないなー、と思っていたのだけど、ファルマンが、「定額制の音楽聴き放題サービスに加入しよう。ポルガもスマホを持ったのだから、ファミリープランでお得だ」と言い出し、えっ、なにそれ、それって俺たちとは縁のない世界の話なんじゃないの、と半信半疑だったのだけど、帰宅して、ファルマンがサービスを選んで契約してくれ、使ってみたところ、僕の聴くようなポピュラーな音楽は例外なく聴けて、ダウンロードもし放題で、なんだこれ、と思った。これまで猜疑心から近付かずにいたけれど、なるほど世の中こういうことになっていたのか。CDとか、ゲオとか、もうすっかりそういう時代じゃないんだな。かつて、メインの1曲と、どうでもいいカップリング曲と、メインの曲のオリジナルカラオケの3つだけで1000円していたのに。今は月額1500円ほどでありとあらゆる曲を手に入れ放題だと。信じられない。
 子どもの、32ギガのマイクロSDを入れたスマホ、無限の夢があるような、逆に全然ないような。とにかく隔世の感があると思った。そんな日曜日の父親だった。

春先の週末

 土曜日は義父が奥出雲のダムの放流イベントに子どもたちを誘ってくれたので、3人はそちらへ出掛け、僕はひとりで過した。午前中にプールに行って泳ぎ、昼ごはんをちゃちゃっと(ひとりって身軽!)済ませたあとは、買い物に出た。
 2月の終わりだった今週前半、月ごとで設定している食費をどうしても切り詰めたくて買い物を控え、3月に入った週後半は、労働が忙しくてなかなかきちんと買い物ができず、冷蔵庫の中がだいぶ頼りない感じになっていた。その状態を解消すべく、これもひとりの身軽さから、複数のスーパーをはしごし、いろいろと買い込む。食料品の買い物、すごく癒される。物価の高まりという懸案要素はあるものの、それでも食材を買い込むのは愉しい。週後半、労働で疲弊し、さらにはそのせいで十全の買い物ができなかった期間はストレスが溜まり、amazonでタイムセールをやっていたこともあり、かねてより欲しいと思っていた大きな蒸し器なんか注文してしまった。台所関係のことばかりがやけに僕の精神に作用をもたらす。
 冷蔵庫を充実させ、精神的にも満足したあとは、まだ妻子も帰ってくる様子がなかったので、夕飯の下ごしらえをしつつ、筋トレをして過した。ちなみにインスタグラムの更新が滞っていることからも察せられると思うが、1年近くに渡って没頭していたショーツ作りは、最近になってようやく熱が治まった。熱というか、高熱が。最近は平熱になって、2月はたぶん3、4枚ほどしか新しくショーツを作らなかったと思う。もっとも大抵の人は月に3、4枚のオリジナルショーツを作らないに違いない。
 夕方になって家族が帰ってきたので、そのまますぐに夕飯に。メニューはちらし寿司。もちろん前日のひな祭りを意識してのことである。海老やサーモンなども乗せた豪華版で、とてもおいしかった。
 明けて日曜日は、一日を家族で過す。子どもたちも昨日のお出掛けで疲れたのか、全員が9時過ぎまで寝ていた。起きてぐだぐだとごはんを食べ、洗濯を干し、出掛ける。大した外出ではない。給油と、図書館と、あとスーパー。給油はガソリンと同時に、灯油も入れた。灯油缶は家にふたつあって、いま1缶は空になり、もう一方も残りが半分くらいという状態であり、かなり悩んだ。もしかしてもうこの半分ほどの残りで乗り切れるんじゃないのか、ここで1缶分の補充をしたら持て余すことになるんじゃないのか、と。しかしファルマンと協議した結果、まあ朝晩は寒いし買っておくか、という結論に至った。買ってしまえばやはり心強い。もしこのままどんどん暖かくなり、持て余したとしても、この時点での安心を買ったのだと思えば損はないと思った。
 午後はゲームをした。今週、僕とファルマンで「桃太郎電鉄」を始めていて(実は去年に買っていた)、それがもう15年目に突入しているのだった。僕とファルマンとコンピュータの3人プレイなのだが、夜にやっているとポルガも観客として参加するし、今日は日中だったのでピイガも画面を眺めていた。家族4人で4人プレイをやろうとすると、都合が合わなかったり、進行のテンポが悪かったり、ピイガがキレたりするので、こういうスタイルがいいのかもしれない。ちなみに現在は僕がだいぶ勝っている。短い年数だと運の要素が強いが、長くやればファルマンに負ける気はしない。
 夕方になり、お好み焼きを焼き始める。本日の晩ごはんは久しぶりのお好み焼き。お好み焼きをするにあたり、粉を余らせて、袋を輪ゴムで留め、ずっと冷蔵庫の奥に眠らせて、でも数ヶ月後の次のお好み焼きの機会にそれを使うのは怖くて、結局捨ててしまう、ということをよくするので、今回はもう、約10枚分焼けるという粉を、全て溶いた。そして昨日のお礼もかねて、焼いたものを実家に持っていってやることにした。実家分を焼いたあと、自分たちで食べる分を焼かなければならなかったので、僕はそちらに専念し、ファルマンに持っていってもらったのだが、たいへん喜ばれたそうだ(もちろん断りなくいきなり持っていったわけではない)。それはそう言うしかないだろうという話だが、しかし日曜日の夜に、お好み焼きが届いたら、たしかに嬉しいだろうと思う。ましてや僕の焼いた、おいしいおいしいモダン焼きだ。僕ならすごく嬉しい。僕が焼いたやつなら、だけど。
 だいたいそんな感じで、ひとりの時間もありつつ、家族でもたっぷり過せた、いい具合の週末だった。ちょっとのんびりしすぎで、筋トレや創作が足りないんじゃないか、という気がしないでもないが、リラックスに全振りした。その必要があったからそうしたのだろうと思う。ならそれでいいと思う。