岡山旅行&横浜帰省記 1

 岸田首相がキーウを電撃訪問したのと同時に、わが家もひそかに横浜に帰省していた。
 先週、18日の土曜日から旅程は始まり、日曜日、そして春分の日の火曜日に挟まれた月曜日を、僕は有休、ピイガは家庭の事情による欠席(ポルガは既に卒業式を終えた)にして4連休を拵え、帰省を決行したのだった。もちろん電撃訪問と言いながら、周到に計画は練っていた。それなのに事前に一切その素振りを見せなかったのは、岸田首相とまったく同じ理由で、安全上の観点からそうした次第である。このタイミングでわが家が家を空けることが判ったら、どういう輩がどういう悪事を働くのかはまるで想像つかないが、まあ警戒するに越したことはないだろう。
 ちなみに今回ここで帰省を行なったのは、お盆だとだいぶ先になりすぎる感があり、だとすれば去年に引き続きGWということになるが、なんてったってGWは混雑するので、それを避けるためにこのタイミングが浮上した次第である。ここも岸田首相とまったく同じ行動原理かもしれない。
 交通手段だが、今回は飛行機を免れた。去年やって、飛行機はやっぱりあまりにも僕の心身にダメージが大きい(巨根の弊害)ということが明らかになったし、それ以外にも実は理由があった。今回のツアーは、実家への帰省だけが目的ではなく、実は岡山旅行も兼ねていたのだ。これまで鳥取、広島と、近隣の県への1泊旅行を行なってきたわが家だが、今回はその岡山編ということである。もっとも岡山には6年半住んでいたわけで、普通に考えれば旅行なんてするはずがない。
 それではどういう事情かと言えば、4年生まで倉敷の小学校に通っていたポルガには、僕が「ダイアナ」と呼んでいる、ポルガのことをやけに肯定してくれる心友がいて、ポルガは島根に引っ越してからのこの2年3ヶ月、ずっと彼女に恋い焦がれていたのだった。今回、コロナもとうとう(ほぼ)収束し、その子の母親と打ち合わせをして再会の算段がついたので、横浜帰省と抱き合わせ、初日に倉敷でその子と遊び、夜は岡山市のホテルに泊まり、そして翌朝、岡山から新幹線で横浜に向かう、という計画が立てられた。実に周到に練られた計画である。しつこいようだが、インド訪問からそのまま陸路でキーウ入りした岸田首相との相似を感じずにおれない。
 というわけで3泊4日の、旅行&帰省記をこれから綴ってゆく。しかし今日はその、前フリというか、まだ実際には島根県を出発する前の段階までしか書けなかった。なにぶん、火曜日の夜に島根に帰ってきて、もちろん今日から労働だったのだ。のんびり書いていこうと思う。