岡山旅行&横浜帰省記 3

 というわけで風呂はすっぱり諦めたのだが、だとしたらどこへ行くのか、結局なにも決められないまま、この日を迎えてしまっていた。プールのあと、入浴施設で体を洗うということ以外、特にしたいことが浮かばなかったのだった。そんな自分に対して、ちょっとどうなんだと思う部分があった。6年半暮した倉敷である。そこへ2年ぶりに戻ってきたのである。万感の思いとともに、いろいろ再訪したい場所があって然るべきではないのか。ないのである。水で泳いだあと、お湯を求めるだけなのである。俺は一体なにをやっているんだろう、俺の生活、俺の人生って、本質は一体なんなんだろう、とまで思った。
 結局、しばらく水泳センターの駐車場で思案した挙句、イオン倉敷に行くことにした。熟考した末にイオン。なんかつらくなってきた。それでも時間を潰すために無為にイオンに行くのではさすがにない。目的はもちろんパンドラハウスである。しかし1週間前の松江のそれで、ニットが冬物ばかりであまりよくなかった、という思いをしたばかりだったので、あまり期待はしないで行こうと思った。それで、ちょっと懐かしい道を走り、イオン倉敷へとたどり着いた。2年でお店のラインナップも変わったりしているのかな、ということにも少し思いを馳せたが、馳せるだけでモール内を見て回るということはせず、ただパンドラハウスに直行した。そしてその収獲はどうだったかと言うと、これが滅法よかったのである。適度な厚みの、いい感じのボーダーのニットはぎれ(130×50くらい)が、色味で分類されて棚に何段も並べられ、しかも1巻が本来500円のところ、セールで380円になっていた。うひゃあ、と興奮しながら、両手いっぱいに抱え、購入した。1週間前の松江の雪辱が果たせて万々歳だったが、その一方で、あんなに行きたいと思っていた、おらが県の県庁所在地である松江のイオンのお店は、実はそれほどの規模ではなくて、岡山のお店のほうがよっぽど品揃えがいいんだ……、ということが明らかになってしまい、少ししこりも生まれた。倉敷在住時代は、ぜんぜんニットに興味なかったんだよな。またいつか、岡山に行った際には、来れたらいいなと思う。
 あまり期待しないで行ったイオン倉敷で望外の喜びがあったため、すっかりテンションが上がった。もう今日の倉敷での行動はこれで打ち止めでいいな、と思ったので、美観地区に向かうことにした。ここまでファルマンに状況を訊ねるメッセージを何度か送っていたが、ぜんぜん既読がつかないのだった。
 美観地区にたどり着き、適当に歩きはじめる。人はかなり多かったが、歩いていればそのうち出くわすだろうと思った。2年よりもさらに、たぶん4年とか5年ぶりの美観地区は、まあ相変わらず観光地だった。観光地なので、倉敷になじみのある人間が来ておもしろい場所ではない。そんなことを思いながらあてもなく歩いていたら、果たして見覚えのある一団を発見し、無事に家族と合流した。それからひとしきり、僕も一緒に美観地区内を巡り、やがて別れた。2年2ヶ月ぶりの心友との邂逅は、ポルガの心を満足させただろうか。そうだったらいいな、と思った。4年生の3学期に転校をさせることになったことに、親としてやはり、一抹の後ろめたさがあるのだった。そしてそれも含めて、倉敷および岡山に対する、僕の複雑な感情が形成されている気がする。
 心友一家と別れたあと、4人で再び車に乗り込み、次の目的地は岡山市街、では実はなくて、倉敷市街からそう離れていない、かつて実際に我々が6年半を暮した街である。
 つづく。