今年最後のカラオケとM-1

 今年最後の岡山でのレジャーとして、カラオケに繰り出す。ちなみに今年もクリスマス会はもちろん忘年会もない、家族まみれの年末である。思えば家族や親類以外の人と外で集ったのって、5月の練馬が最後で、そして今年の最初だったな。なんと血縁の純度の高い1年だったか。我々はなにか精製しようとしているのだろうか。
 唄ったのは以下の通りである。
 1曲目はMAX「TORATORATORA」。1曲目はMAX、というのは僕の定番のギャグなのだが、とうとう今回トラトラトラを唄ってしまったので、あとはもう唄う曲がない。もっとも唄うべき曲なんて最初から1曲もなかった。
 2曲目はラッツ&スター「ランナウェイ」。なぜ唄ったかと言えば、もちろん時事である。あとスタンドマイクを手に入れたとき、スタンドマイクを使って唄われる歌といったらなんだろうと思案して、ドリフを唄ったりしたが、考えてみたらこれがあったじゃないかと思った。ちなみに志村けんと田代まさしで、期せずしてゆるやかに繋がっている。とてもどうでもいい偶然だ。
 3曲目、小坂恭子「思い出まくら」。これは3曲目にして本心から唄いたくて唄った歌。気持ちよかった。
 4曲目、河島英五「時代おくれ」。これも気持ちよく唄いたくてセレクトしたのだが、やっぱり男の歌は音程が低くて厳しかった。
 5曲目、ゴールデンボンバー「女々しくて」。「Lemon」が現れるまで、これと星野源の「恋」が、たぶん仲間内の愉しいカラオケではひたすらに唄われていたと思われるが、それをこのたびとうとう唄った。愉しかった。家族相手に唄ってもこんなに愉しいのだから、仲間内でアルコールも入った状態でやったら最高に愉しいんだろうな、と思った。
 6曲目、Kaoru Amane「タイヨウのうた」。Kaoru Amaneなどといっているが、要するに沢尻エリカで、要するにラッツ&スターと同じ意味合いで唄った。その意味のためだけに、ろくに聞いたこともない、もちろん好きでもない、なんの思い入れもない歌を唄う。なんでそんなことをするの? と訊かれたらこう答える。別に。
 7曲目、マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」。去年のクリスマス前カラオケでは、クリスマスソングの用意を忘れ、咄嗟に浮かんだプッチモニを唄ってしまったので、今年はきちんと準備して臨んだ。そしてこのセレクト。よう唄ったな! よう唄おうと思ったな! という話で、英語の曲ってフニャフニャ唄ってぐだぐだになりがちだよね、というまさにそんな感じになった。やはり歌ギャグは難しい。
 8曲目、十田敬三「今日もどこかでデビルマン」。今回唯一のアニメソング。阿久悠と都倉俊一のコンビで、とてもいい歌。デビルマンのことは漫画もアニメもぜんぜん知らないが、これでオープニングもエンディングも唄ったことになる。
 9曲目、ビートたけし「浅草キッド」。これも時事歌唱。珍しく不祥事や追悼じゃない。紅白で唄うことが、2日前くらいに発表になったのだった。たけしのこの歌は、ビブラートがいい、なんてことがいわれていたが、あれはただ声が掠れて震えているだけだと僕は思う。もちろんいい歌だけど。
 10曲目、高橋真梨子「はがゆい唇」。高橋真梨子って、やっぱりみんないいっていうだけあって、すごくいいな、と近ごろ思いはじめている。なんの因果か僕はMAXのファンをやるはめに陥っているが、選べるならこっちがよかったな……。
 11曲目、坂本九「上を向いて歩こう」。本日の、そして今年のラスト歌唱。そうなるとやっぱりこれかな、という感じで選んだ。抒情的なさみしさを抱えつつも、やはり高度経済成長の明るさに溢れたこの歌を、人口減少時代に唄うのもなかなかオツなものだと思う。前向き、上向きじゃない、スマホ首の時代に。
 そんな感じで、なかなか思い通りに唄いたい歌を唄えた、いいカラオケだった。今年は何回行ったのだったかな。また来年も1ヶ月半にいちどくらいのペースで行くんだろうと思う。もちろん家族ばかりと。
 夜はM-1グランプリ。子どもが起きている間はちゃんと観られないので、いつものように21時過ぎくらいから、追っかけ再生で観た。リアルタイムでは観られないが、当晩中に観ておかなければ次の日に結果は絶対に目に入ってしまうので、慌ただしくそうやって観るしかないのだ。優勝したミルクボーイがすごくよかった。そして来年はコウテイが優勝したらいいなあ。
 翌日の23日はなんと休みじゃない。12月23日が休みじゃないなんて、物心がついてから初めてのことでショックで仕方ない。なにかと慌ただしい年の瀬の、クリスマス前日のこの休み、いろいろ整えるために、すごくよかったのになあ。ちなみにこれからのそれは2月23日だという。うーん……。なんでもねえ時期だな……。

師走の日々

 寒くなった。約1ヶ月ぶりの「おこめとおふろ」である。このブログでこんなに間が空いたのは初めてかもしれない。この理由は、こんなことを言ったら何だが、co大のために1年間の日記の読み返し作業をしていた際、このブログの記事に辟易したからだ。他のブログは、ある程度「ネタ」の意識があって、話にオチをつけたりもするのだが、「日記ブログ」であるこのブログは、そういう気持ちを一切持たず淡々と書いているため、読み返す際にあんまり量があると、つらくなってしまう。子どもが成長途上なこともあり、生活はなんだかんだで変遷があるので、記録としては大事だから書くべきときは書くが、今後はちょっと更新を減らそうと思った。
 さて今週末のことを、金曜日の夜から書く。なぜならば金曜日の晩ごはんを、おでんにしたからだ。今シーズン初おでん。近ごろ頓にしっかり冷え込みはじめたので、木曜日の夜に大根の面取りをしたりゆで卵を作っておいたりという下拵えをしておいて、さて金曜日に待ったなしでおでんを決行したものの金曜日はわりと暖かかった、なんて残念なこともなく、金曜日の日中ずっと、夜のおでんのことに思いを馳せて心を前向きにすることができた。そうして食べたおでんは、やはりしみじみと美味しかった。おでんを食べるたびにいっていることだが、とにかくがんもどきが突出して美味しい。僕は個人的な好みとしては、餃子がいちばん好きな食べものなのだけど、おでんのがんもどきの美味しさというのは、ちゃんと世間とか科学とかで数字にしたとき、「結局おでんのがんもどきが世界でいちばん美味しい食べもの」という結論が導き出されるのではないかと思わせる、ゆるぎない美味しさだ。幸福感に浸りながらおでんを食み、酒を飲んだ。
 夜更かしの末に目を覚まし、休日の開始である。しかしこの週末、わが家には本当になんの用事もないのだった。必要な買い物は先週に済ませてしまったし、読む本にも困っていないし、もちろん公園で遊べる気温でもない(子どもは遊べるが親がいられない)。しかしなんの用事もないからって、2日間にわたって4人ひたすら家でダラダラするわけにもいかず、どうしようと昨晩さんざん悩んだ挙句、岡山駅のちょっと北にある岡山理科大という所で、恐竜博物館と銘打って化石を展示しているらしいという情報を見つけ、ポルガはいま恐竜をはじめとした絶滅動物に並々ならぬ興味を持っているので、じゃあそこに行こう、となった。展示は通年行なわれているようなので、混雑の心配はない。ゆったりと準備をして出発する。久しぶりに岡山駅の周辺を車で通った。人と建物が多くて緊張した。
 到着した岡山理大は、どうやら山のような地形に建っているらしく、校舎は高さの異なるあちこちから林立し、その全容はまるで掴めず、土曜で人が少ないこともあるのだろうが静謐で、教団施設といわれても納得してしまうような、独特の雰囲気があった。この雰囲気に接して僕は、これが大学か、と思った。そもそも理系の大学というものに、これまで夫婦ともども、まるで馴染みのない人生を送ってきた。大学というのは、文章を書いたり、演技をしたり、ピアノを弾いたりする場所だと、すっかり勘違いしてこれまで生きてきたのだ。キャンパス案内図に並んださまざまな研究室の名目を眺めながら、いつから見ていたともしれない、長い夢から覚めたような気がした。そうか、大学という場所は、学術的な、専門的な、この世の中にまつわる大事なことについて、研究をし、そして研究する人間を育てる場だったんだ。あんな、教授の好みで評価が左右する(そしてその教授というのが、その道のプロの世界ではぜんぜん通用していない)、カルチャーセンターのごとき空間じゃない。これが大学なのだ。なんだ小説って。なんだ詩って。そんなもん趣味でやれ。理系の勉学をしながら、趣味でやれ。そもそも、ないだろ。別に。学ぶことって。これをいったら本当におしまいだが、本当にない。わざわざ4年通って学ぶべきことなんて。それに較べて理系の大学。めっちゃ意味ある。人類と世界にちゃんと必要。そのことを案内図を見ただけで悟り、強烈なショックを受けた。
 目的の展示も、想像していたよりも見応えがあり、ポルガも喜んでいた。連れてきた果以があった。メイン展示を見たあとは、別の校舎にも少し展示があるというので、そちらへ移動する。移動の際、なにぶん全容が把握できないこともあり、結果的にずいぶんな大回りをしてたどり着いた。アップダウンが激しくて、なかなか公園でもお目にかからないような急勾配の階段を上ったりして、なんだか探検気分になった。無性に愉しかった。理系大学のスケールとゆるぎなさに、すっかり心が奪われてしまった。俺もこんな所で研究の徒になりたかった。俺しか知らない秘密の部屋で、俺しか知らない絶滅動物の研究をしたかった。残りの展示も見たあと、学食を見つけ、来訪者でも利用できるんなら学食ぜひ食べたい、と来る前から思っていて、訊ねたらオッケーとのことだったので、大喜びでカレーを食べた。土曜仕様でメニューは少ない様子だったが、たくさんあったところで学食で食べるのはカレー以外にない。350円という学食価格のカレーは、味も実に学食めいていて、郷愁に駆られた。これだけでも来た価値があると思った。
 というわけで、目的にあぐねて捻り出したわりに、とても充実した大成功のレジャーとなった。いいなあ、大学。大学ってああいうものだったのか。俺も大学に行けばよかったな。なんか、本当の大学を知った今となっては、ぜんぜん大学じゃない所に行っちゃったんだよな。なんだったんだろうな、あそこ。まだ奨学金返済してんだけど。
 帰宅して、晩ごはんはおでんの残りと、買って帰った巻きずし。しかしながらピイガが夕方から調子を崩し、早々に寝ついたため、3人での夜となった。そしてピイガがいなくなってみると、わが家というのは本当に静かなのだと分かった。寒いので今時分はみんな居間のこたつに集いがちなのだが、ピイガがいないと本のページをめくる音ばかりが部屋に響いた。それくらい静かなのだった。ピイガと遊んでいると、ポルガもそれなりにテンションが上がって喋るのだが、ひとりだとひたすら本を読むばかりで、もしも3人家族だったらこんな感じだったのか、と驚いた。普段あまりのうるささにうんざりしたりするが、ピイガの明るさは思いのほか尊いようだ。不在時にその存在感を痛感させるって、なかなかすごいことだと思う。
 翌朝、ピイガはすっかり元気になっていた。土曜日の朝、ポルガと遊ぶのを愉しみに張り切って早く起きたりしたようで、寝不足だったらしい。12時間ほども寝て(子どもはすごい)、調子を取り戻していた。
 とは言え今日はいよいよどこへも出掛ける予定はない。本当なら2日そうなるところを、昨日は華麗に回避してみせたのだから、今日はもうがんばらない。午前中に僕だけがスーパーに行ったほかは、家で過した。のんべんだらり、というほかない1日だったが、別に後悔が湧くような無駄な時間を過したわけではないので、これもまたいい休日だったと言える。晩ごはんは手羽中の唐揚げ。初めて塩味で作ってみた。ちょっと味が薄いような気もしたが、軽やかに食べられて美味しかった。
 そんな週末。ここから先はいよいよ年末。今年は実はわりと「11月パピロウ」という言葉を思い出させる低調不調な11月だったので、それを脱出した今、気持ちの上でもちゃんと区切りをつけて、テンションを上げていきたい。愉しく暮そう。

自分のための週末

 土曜日の午前はピイガの幼稚園の土曜参観だった。先月のポルガのそれは、男子がうるさくてストレスが溜まったし、なにより小学生時代はまだまだ続くので、別に観に行かなくてもよかったなあという気がしたが、ピイガの幼稚園の風景というのは、たぶん僕はこれ以降、来年3月の卒園式まで目にする機会がないので、まあ行く意義はあったんじゃないかと思う。とは言えダレた。朝に一緒に登園し、昼前に一緒に降園する、すなわち午前中いっぱいの時間の中で、予定されているイベントの数はきわめて少なく、特に後半の1時間半と来たら「いい天気なので園庭で遊ぶ」という、あまりにも自由度の高い時間の過させ方で、とても持て余した。もはや最後は持ってきた文庫本を読んだりしてやり過した。それくらいやることがなかった。参観はできてよかったけど、40分くらいでよかったな。
 帰宅後はササッと昼ごはんを済ませ、一家で出掛ける。目的地は久しぶりのプール。僕はぜんぜん久しぶりではないのだが、3人にとっては普通に夏の終わり以来のプールである。そもそもプールが好きではななくて、夏の間は子どもを泳がすために仕方なく、という感じで応じていたファルマンを、オフシーズンのプールに連れ出すのは、説得するのにわりと骨が折れたが、行ったら行ったでそれなりに愉しんでいたようだった(でもまた次回も説得するのは大変だろうな)。ポルガは連れていくと、そのたびに徐々に泳ぎが上達する感じがあり、今回も懸念の息継ぎをなんとかこなして、25メートルプールの半分を少し越えるくらいまでは泳げていた。ここらへんの部分を刺激してやると、ファルマンの反応も色好くなるのではないかと目論んでいる。ピイガはビート板を持ってひたすらパシャパシャと愉しそうに泳いでいた。普段からピイガは声がでかいのだが、プールだと一層それが強調され、他の人の声は、水に吸収されてむしろ聞こえづらいのに、ピイガの声だけは高い天井に響き渡るのだった。もっとも幼稚園ではおとなしいタイプなのだが。
 プールを終えたあとは、まだ4時台だったが、そういう気分だったので回転すし屋に入り、おやつとも、夕飯とも言えない、ちょっと不思議なすしをつまんだ。もっとも僕はいつもの、店ではほとんど食べずにせっせと折詰めにすしを詰めていく作業に勤しんだ。ちなみに近ごろ流行語大賞のためにこの1年の日記を読み返しているのだが、春あたりの僕はずいぶん気張って禁酒をしていた。現在は、その禁酒よりも前の時代ほど、勤勉に毎日飲むわけではないが、まあまあ、ほどほど、それなりに、飲んでいる。そのくらいの感じで落ち着いている。これくらいなら悪くないんだろうと思う。
 帰宅したらまだ6時くらい。このままだと寝る前にお腹が空くよなあと思ったので、肉のつけ汁を作ってうどんを茹で、7時すぎに食べた。そのあと、深夜になって折詰めのすしで晩酌を堪能したわけで、この日は朝、昼、夕方、晩ごはん、晩酌で、なんとなく1日5食のような形になった。その、お腹具合が常に2分目から7分目あたりにある感じ、とても心地よいなあと思った。
 明けて今日は、昨日の午前は丸々、父親としての務めに費やしたわけだし、という大義名分もあり、前から気になっていたスーパー銭湯に午前中、ひとりで繰り出す。そしてサウナを堪能した。サウナ内のテレビでは、今日の午前にちょうど開催されていた岡山マラソンの中継番組が流れていた。マラソン中継では、1万人を超えるランナー、それを支える大勢のボランティア、そして沿道から声援を送る人々、などと、大会に関わる人たちのきらめき、みたいなことを盛んにアナウンスしていて、僕はそれを、マラソンコースから車で20分ほどしか離れていないスーパー銭湯のサウナで眺めているのだなあ、と思った。走らないし、ボランティアしないし、応援もしない。ただ自分の快楽のためだけのサウナ。昼近くになると中継番組は終わり、ニュースになって、午後に東京で行なわれる天皇即位パレードの直前情報が伝えられた。こちらでも沿道に人々が集まり、とても盛り上がっている様子だった。それを見ながら、やはり僕は全裸で汗をかいて快楽を貪ったのだった。結局2時間ほども滞在して、堪能した。それだけ堪能しておいて言うのもなんだが、そんなにいい施設ではなかった。というかどうしても、夏に行ったおろち湯ったり館のことが思い出されてしまう。おろち湯ったり館が近所にあればいいのに。
 帰宅後、午後は家でのんびりと過す。子どもたちはふたりで遊び、手が掛からなかった。僕は筋トレをしたり、晩ごはんのたこ焼きの下拵えをしたりした。パレードの様子も少し観た。即位関連の行事の日の天候、5月も、先月も、ことごとく悪かったが、今回はやっときちんと晴れたようで、よろしかったんじゃないかと思った。というわけで晩ごはんはたこ焼き。ポルガがよくせがんでくるので、たまにはやってやるか、という感じでやった。今回、たこ、ウィンナー、チーちく、うずらの卵、といういつもの具材に加えて、前に白玉を作ったときに残って持て余しているこしあんがあったので、それとバナナを和えて、スイーツ系たこ焼きというものを作ってみた。それにはソースやマヨネーズはかけなかったが、こんぶだしの生地に、刻んだキャベツや青ネギ、揚げ玉などは通常通り入れたわけで、結果どのような味わいになったかと言えば、さすがこしあん、といった感じで、すべての要素を押しのけ、同輩であるバナナのことさえも殺し、ぬくもったこしあんの入った粉もんがごく普通に美味しかった。
 そんな穏やかな、したいことをした土日でした。

カラオケと餌やり

 3連休の最終日、カラオケに行く。前回が10月中旬だったので、ずいぶんと行ったばかりだ。正直あまり準備が整っていなかった。しかし3連休を持て余し気味だったので、まあ他になにをしたいってこともないし行くか、という感じで行った。
 準備というのは、唄う曲を日常の中でピックアップしておくことを指す。そしてそれを何度か聴いて、覚えたりする行為である。それをぜんぜん十全にせず行ったのだった。
 そんな状態で、唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、MAX「Give me a Shake」。どうしたって1曲目はMAX。これは僕のカラオケのお約束のギャグである。そして相変わらず浅い選曲。本当はコアなファンしか知らない、オリジナルアルバムのあの曲を唄おうかとも思ったのだけど、今日のところはこれにしておいた。相変わらずサビしかちゃんと唄えなかった。
 2曲目、弘田三枝子「人形の家」。熱唱系。1曲目と違って唄いやすかった。やっぱりこのあたりの歌謡曲がいいわー。唄いやすいわー。
 3曲目、皆川おさむ「黒猫のタンゴ」。今回ももちろんマイクスタンドを持ち込んで唄ったのだが、スタンドマイクがあるとやけに行儀よく直立して唄う子どもたちの姿を見て、ポルガが「黒猫のタンゴ」を唄ったら似合うだろうなあと前回から思っていて、それをいつか実現させるために今回まずは自分で唄った。愉しかった。子どもたちはとても冷めた反応だった。
 4曲目、研ナオコ「ひとりぽっちで躍らせて」。これもよかった。研ナオコ、「あばよ」もいいがこれもいい。スナックで唄うような歌が結局いいのかもしれない。
 5曲目、BEGIN「島人ぬ宝」。首里城全焼を受けての時事歌唱なのだが、考えてみたら1曲目のMAXの時点で沖縄だった。まあこっちのほうが「沖縄感」が横溢しているのでふさわしいと思う。
 6曲目、上高田少年合唱団「鉄腕アトム」。手塚治虫アニメソングアルバムというのを以前に聴いて、なぜか「ジェッターマルス」のほうに傾倒し、そちらを先に何度か唄ったが、ここへ来てようやく本家を唄った。けっこう気持ちよかった。昔の勧善懲悪アニメのテーマソングの明るさって、どこかに切なさがあっていい。まだ傷跡生々しい戦争の影がチラつくからだろうか。
 7曲目、スマイレージ「夢見る15歳」。なんとなくたまにハロプロを唄う。やっぱりつんくの作るアイドル曲って、阿久悠好きに訴求する部分があるのだと思う。
 8曲目、荒井由実「ひこうき雲」。これも唄って気持ちがよかった。カラオケビデオが、とても素直に歌の内容に沿った、世界の中心で愛を叫ぶみたいなストーリーで愉快だった。たまに「この歌専用だろ」みたいな映像が来るとびっくりする。
 9曲目、今田裕子「私はマチコ」。「まいっちんぐマチコ先生」は、漫画やアニメそのものには触れていないのだけど、内容だけは知っていて、そのストーリーと言うか、話の構造には、とても感じ入る部分がある。セクシーなマチコ先生に、男子生徒や男性教諭がひたすら性的なイタズラをするという、本当にただそれだけなのだ。それがとてもすばらしいと思う。強さのインフレとか、難病とか、大事件とか、たぶん一切ない。ただ性的なイタズラ。なんて優しい世界だろうかと思う。
 10曲目、米米CLUB「君がいるだけで」。これはなんとなく唄ったとしか言いようがない。唄いながら、どうしたってくっきーのネタのことを思い出した。
 そんな10曲。急ごしらえのわりにはまあまあ揃えられたんじゃないかと思う。ファルマンがリモコンの「おかあさんといっしょ」のページから、テレビの映像がそのまま流れる曲という特集を見つけ、ポルガが2歳ごろ、島根に住み、わが家がいちばん「おかあさんといっしょ」を観ていた時代の、横山だいすけ、三谷たくみコンビの曲を次々に入力し、それらがいちいち感動するほど懐かしかった。だいすけおにいさんはたまに民放で目にするので慣れていて、スイッチにはならないのだけど、たくみおねえさんの姿は猛烈に当時の記憶を蘇らせる効果があるようだ。ちなみに先日、平日だけど仕事が休みという日に、ピイガの観ていた「おかあさんといっしょ」を後ろから眺めたのだけど、知ってはいたが歌と体操の4人すべてが新しい人に入れ替わっていて、パラレルワールドに来たような気持ちになった。新しい4人、あくがなさ過ぎて嘘みたいで知覚できない。
 そんなカラオケのあとは、公園に立ち寄って少し遊び、家から作ってきたおにぎりを食べたりした。遊具で遊ぶのは別にしてもしなくてもよかったのだが、食パンの賞味期限が切れたものが3枚も出てしまい、捨てるにしのびなかったので、池の生きものにやろうと思い立ち、それが公園に来た主目的だった。なのでやった。夏が終わり、水鳥ももう飛来してきていて、パンを水面に投げると、わらわらと寄ってきた。続けて魚や、ハトや、亀もやってきて、愉快な気持ちになった。ピイガが、生きものが遠くにいる間は「ヘイヘイヘーイ! 来いよ来いよ!」みたいな感じなのに、実際にハトなどが近寄ってくると「こわい……」となるのが漫画みたいでおもしろかった。

学園祭に行く

 学園祭というものに行ってみたいよね、ということを前からファルマンと話していて、高校でも大学でもよかったのだが、高校というのはこちらが学園祭シーズンと身構える前、初秋あたりに済ませてしまうようで行けず、このたび岡山大学のそれをようやく開催前に気付くことができ、念願かなって行けた。11月2日のことである。祭りそのものは2日と3日の2日間にわたって行なわれるらしかったが、そういうお祭りの後半のほうの日程の雰囲気というのが僕は寂しくて好きではないので初日のほうに行った。ちなみに岡山大学は、ファルマンの父と、下の妹の出身大学である。あいつら実は国立出なのだ。
 学園祭なのでもちろん車で行くことはできない。鉄道を使う。とても久しぶりの電車。いつぶりか考えたら、5月の帰省以来だった。すごいな。本当に電車乗らないな。車じゃなくて電車移動となると、じゃあ片手にチューハイくらい持ってるべきなんじゃないか、という気がした。車を保有していない練馬在住時代、別にそんなことしていなかったが、ふだんよほど「車=酒が飲めない」という圧迫を感じているのかもしれない。もちろんそんなことはしなかったけども。大学へは岡山駅から臨時バスが出ていたのでそれを使った。岡山駅から岡山大学への15分ほどの道は、その途中にファジアーノ岡山のホームグラウンドもあって、ホテルや飲食店などが数多く立ち並んでいた。とは言っても東京の繁華街よりだいぶ悠々とした繁華街具合ではあると思った。
 かくして岡山大学キャンパスへと到着した。もちろん初来校である。そもそも僕は受験の時も、悪質なタックル大学の夢見がち学部オンリーだったので、よその大学というものに来たのが初めてかもしれない。なんとなく所沢校舎っぽい感じはありつつ、でももちろん違って、なんだか不思議な感覚だった。キャンパス内には出店が数多く並び、所属する学生たちがにぎやかに呼び込みをしていた。その学生たちの、若いこと。電車に乗らない暮しをしていることもあり、日常であまり若者というものを目にしないせいか、20歳前後の若者という存在のイメージが、自分の加齢とともに徐々に変化していたようで、僕の思う大学生は、もう少し落ち着いていて、なんなら僕と地続きの存在であるような気さえしていたのだけど、現実はぜんぜんそんなことなくて、20歳前後の若者の若者感は、我々がかつてそうだった時代と、ファッション文化がまるっきり違う(男は三代目 J SOUL BROTHERS風、女は韓国風)こともあり、すさまじくかけ離れた生きものだった。きっと僕のイメージする大学生って、まさにこの大学を出たファルマンの下の妹が、その最終更新であるため、そこに引っ張られていたのだと思う。しかし下の妹は僕とともに加齢し、先日とうとう30歳になったのに対し、「大学生」はいつまでも「大学生」のままで加齢しないのである。だから下の妹とは地続きだけど、下の妹だって大学を卒業してもう8年とかになるわけで、なんかもうとにかく若者は若いし自分たちは年を取った。子どもは8歳だし、18歳の大学1年生に対して自分の年齢はダブルスコアだ。なんかその事実をまざまざと見せつけられて、くらくらした。それくらい大学生は若かった。ただし若くて、デジタルネイティブで、国立大学で、どれほどのものを見せつけるのかと思ったら、出し物はびっくりするくらい素朴(いまとても言葉を選んだ)で、拍子抜けした。時代は変わり、人は年を取るが、学園祭はやってる本人たち以外ぜんぜんおもしろくない、というのは永遠に変わらないのだな、と逆に少し安心した。そんな学園祭体験だった。
 せっかく電車で岡山駅に出たのだからと、帰りに少しだけ駅周辺をブラブラして、帰った。帰ったら、慣れない電車に乗ったためか、祭りの熱気にやられたか、あるいは精神に去来するものがあったか、夫婦でやけに疲弊し、ふたりとも倒れるように仮眠を取った。とても気が済んだ。もう自分の子どもたちがやるときまで行かない。もう我々は、親の立場でしか学園祭という場にいてはいけないのだ。懲りた。

めっちゃ家族

 土曜日は午前中にポルガの土曜参観があり、休みだったので、まあ見とくか、という感じでひとりで行ってきた。小学校3年生の授業風景は、とにかく「男子がうるさい」の一言で、頭がくらくらした。この「うるさい」というのが、ただひっちゃかめっちゃかで授業を妨害する感じならば、教師側としても対処のしようがあるのだろうが、タチが悪いことに、3年生の男子たちは授業内容に対して前のめりで、そしてあまりにもうるさいのだった。教師の問いかけに対して、手を挙げながら既に大体の内容を口に出しているし、他の生徒が当てられて答えたあとにもさらに手を挙げ、当てられたらほぼ同じことを堂々と答える。なんなの、と思った。この生きものたちは、自分たちの見苦しさというものを、客観的に省みたり一切しないの、と思う。しかし頭がくらくらしたが、もしかしたらこれが現代教育の目指す姿なのかもしれない、とも思った。理屈が通っているとか、品性があるとかじゃなく、世の中は結局、恥も外聞もなく大きな声で主張をする者が、往々にして得をするようになっている。それは国際社会でもそうだ。だからそういうことができる人間を、国は育てようとしているのかもしれない。だとしたらなんと嫌な世界か。貞節の美徳はどこへ行ったのか。ポルガはその中にあって完全に一線を引いていて、「分かる人?」的な問いかけに対して手を挙げないのはもちろんのこと、「風鈴を見たことがある人?」「じゃあ、ない人?」というアンケ―ト案件でもどちらにも手を挙げないという姿勢を見せ、参観に来た父親を安心させた。嫌だわー、ああいう教育。質じゃなくて積極性だけが評価される世界。暗澹たる気持ちになった。
 そのあとはクリニックに寄って、予約していた今年のインフルエンザワクチンの予防接種を受ける。まだ2年前の一家全滅の記憶が強くあるため、逡巡なく受けるのだった。僕のあとにやってきた5歳くらいの男の子が、ヤラセのような、ドラマのような、「注射に泣き叫んで抵抗する子ども」の様を見せ、おもしろかった。それに較べて僕は少しも泣いたりせず注射を打たれたので、とても偉いと思う。
 ポルガが帰ってきて午後は、当初の予定ではまたプールかジムへ行こうと思っていたのだが、予防接種のあと「今日は激しい運動はしないように」と言われ、そう言えばそうだったー! と計画が狂い、仕方がないので家族で図書館と100均に行った。
 明けて今日は、待ちに待ったイベントの日。2年ほど前からずっと僕が言い募っていた、兵庫県の南東方面に住むファルマンの妹一家と、岡山の我々一家が、それぞれの中間地あたりの公園で落ち合って一緒に遊ぼうよ企画が、とうとう実現と相成り、赤穂市は赤穂海浜公園へと繰り出したのだった。なにしろ起草から決行までずいぶん年月を要したので、今日という日に僕はとても喜びを感じており、張り切って早起きして、前夜から味を付けていた鶏肉を揚げ、おにぎりを握り、8時前に家を出た。公園までは車で1時間半ほどで、ほどよいレジャー距離だった。30分ほどあとに到着した妹一家も、所要時間は同じようなものだったそうで、だとすればこれはやはりとてもいい中間地スポットだと改めて思った。赤穂海浜公園は、海に面した、とても規模の大きな公園で、園内には池、原っぱ、アスレチック、子供向けの遊園地、小規模な動物園、海洋博物館など、いろいろな施設があり、とにかく広い。ポルガはこういう場所に来るといつも発動する「全部やる」が、さすがにままならないスケールの大きさに、興奮しすぎて半ばバグっていた。
 妹一家とは、夏休みの実家以来の再会で、義妹の夫を見ると、どうしてもあの日のカープ戦のことを思い出さずにはおれず、悲痛な気持ちになった。向うの娘(4歳)は、その夏の時から、長らく続いていた人見知りが緩和していて(なにぶん春から幼稚園に通うようになったので)、接しやすくなった。今回も自力では上がれない遊具に、持ち上げて乗せてやるくだりも、抵抗することなく受け入れていた。よかった。キャラクターは相変わらず、下の子がいないこともあるのだろうが、オーストラリアの固有種のように、平和でのんびりした感じで、そのサイドにポルガとピイガが並ぶと、うちの子がやけに激しい生きもののように感じられた。絵のタッチがぜんぜん違うのだった。
 まずひとしきりアスレチックで遊んだ後、まだ11時前だったがみんなが空腹を訴えたので、野原にシートを敷いてお昼にした。食べたらそのぶん荷物が軽くなるので、そういう意味でも早めに食べるのは得策だった。外で食べるおにぎりはおいしかった。天候は上々で、とんびが飛ぶ空には、秋らしい雲が浮かんでいた。日なたではポカポカと暖かく、日陰では涼しい、とてもいい陽気だった。義妹は語り草になるほどの雨女なので、今回の計画もそれが懸念としてあったのだが、やはり僕の普段の行ないの良さが、義妹のそれを相殺して余りあったようだ。
 食べてエネルギー補給をしたあとは、子ども向け遊園地のエリアに入る。ゴーカート、スカイサイクル、観覧車あたりがメインで、あとはボールプールとか迷路とか、ちょっともう8歳のポルガには訴求が弱いような、そんな陣容の遊園地で、まずファルマンとピイガがゴーカートに乗った。これはピイガが乗りたいと言い、ファルマンは僕に相手を頼もうと思っていたようだが、ファルマンに運転させるのが愉しそうだと思った僕は、「ここまで来る行きも帰りも俺が運転するのだから余計な運転なんかしたくねえ」と、免許を持たないファルマンの居た堪れなさを刺激する感じで拒んで、ファルマンにやらせた。その結果、猛烈すぎるスタート、そのあとの超低速運転と、分かりやすくダメダメな運転風景を見ることができ、満足した。その次は僕とポルガでスカイサイクルに乗った。これには数年前、池田動物園でもポルガと乗った。これの特徴として、見ている分には怖そうに見えないのだが、乗ってる側はやけに怖い、というのがある。だから乗って怖がってる奴を見ると、「えっ、どうしたの? はしゃいでんの? ウザいの?」みたいな感じになる。どこまでも得をしない乗り物なのだ。今回もやはりそんな感じだった。そして最後は観覧車。どうせ来たからには乗っとくべきだろう、みたいな心の作用で、一家全員で乗った。ホームページで見て想像していた観覧車よりはだいぶ立派な大きさで、全体の4分の1くらいまで行った時点で、ちゃんとしっかり怖くなった。4分の1くらいでそうなったときの絶望感は大きい。だってそれからまだずっと怖いのだ。少なくとも4分の3を過ぎるまでは怖いのだ。飛行機と一緒で、「なんで乗る選択をしたのか……」と、後悔が募る。本当に僕は何度もこの後悔を繰り返す。高い所、だいぶダメな人の部類なのに、乗る前はそのことを失念してしまう。記憶力と想像力が欠如しているのではないかと思う。観覧車はなんとか無事に地上にたどり着いた。命拾いをした。
 遊園地を終えたあとは、とても広く、そして貸し切り状態の原っぱで、バトンを回したり(わざわざずっと背負って歩いていたのだ)、向うの一家が持ってきたバドミントンやフリスビーをしたりして遊んだ。もっともバドミントンもフリスビーも、ぜんぜんラリーは続かず、正規のスポーツとしてのエキサイトは一切なく、まあしかし子どもはゲラゲラと愉しそうにしていた。投げたフリスビーに向かって一斉に駆けていく様は犬のようだった。
 それから海を見たり、園内を軽く一周する感じで歩いたりして、入り口に戻る。互いの帰り道のこともあるので、3時前だったがこのあたりでお開きとした。子どもはまだまだ躍動していたが、それはエネルギーが切れたら寝るまでの子どもだからで、大人たちはもう、なんだかんだでそれなりに降り注ぐ陽射しもあり、「もうもう、もうだよ」という感じにしっかり仕上がっていた。というわけで駐車場で解散。ずっとしたいと思っていた、期待を高めまくっていた公園遊びは、しかし期待を裏切ることなく、きちんと愉しかった。つまり大成功だ。本当に時期と気候がよかった。今回、海洋博物館へは行かず、ポルガがブーブー言っていたので、立地の良さも確認されたし、またそのうち同じ形で遊びに来ようね、と約束した。
 そして1時間半ほどかけて帰る。夕飯のビールがおいしかった。

華やがない秋の日

 土曜日はピイガの幼稚園の運動会だった。週間予報ではだいぶ当日の天気が危ぶまれたのだが、蓋を開けてみたらなんとかなった。終始、今にも崩れそうな空模様で、しかし雨はとうとう降らず、そのため陽射しがなかったので万々歳だった(ただし蒸し暑くはあった)。運動会そのものは、もちろんつつがなく、そしてグダグダに進行した。幼稚園児の動きのことをグダグダと言ってしまうのは、語彙不足である気もするが、しかしまあどうしたってグダグダだ。小学校はそれでも、特に高学年になってくると、その動きのキレに感心したりもするが、幼稚園ではそれが一切ない。我が子が出ているときだけはテンションが上がるが、それ以外の時間は無感動にひたすらに待つほかないのだった。会の途中で義父母がやってきた。例のごとく義母の実家への顔出しが兼ねられるため、岡山へのフットワークは相変わらず軽いのである。「プロペ家における幼稚園の運動会はこれが最後」という事実が、今回はやってくるにあたってのキャッチフレーズとしてあったようだが、それがどうしたという気もしないでもない。来年からは小学校になるだけの話である。親子競技もあったので参加したが、親子がそれぞれペアを組んでなにかをするわけではなく、なぜか親子対抗戦で、園児チームはクラスメイトという結束があるため盛り上がっていたが、こちら陣営はほぼ初対面のおじさんとおばさんたちなので、チームワークもなく基本的に無言で、ただひたすらに居心地が悪かった。そんなこんなで正午の終了予定はだいぶ押し、年長のダンス演目をギリギリ見届けたところで、午後から仕事の僕はひとり退場した。仕事を終えて帰宅したら、15時頃までいたという義父母はもうおらず、まるで幻のような邂逅だと思った。
 日曜日はニトリに買い物に行き、ピイガの冬用の布団やカバーなどを買って帰った。午後はボールやバトンを持って外に出掛け、広場で子どもの相手をしてやる。ゴムボールを使っての、なんとなくのサッカー。小3と年長が相手だと、さすがにぜんぜん余裕でボールを操ることができるので気分がいい。学生時代サッカー部(あるいは他の運動部)だった奴とフットサルなんかをすると、たぶんとてつもなく嫌な気持ちになるのだろうと思うので、中学生になっても小さい子を従えて得意になってる痛々しい奴みたいな感じで、ずっとこんな感じでいいな、と思う。
 夜はもちろんラグビーを観た。決勝トーナメント、南アフリカ戦。技術的な部分はよく分からないが、とにかく向こうの選手の体の強さに衝撃を受けた試合だった。守備ではこっちの選手をめっちゃ止めるし、攻撃ではこっちに選手にぜんぜん止められない。じゃあもう物理的に勝てるはずがない。でも試合そのものはとてもおもしろかった。ラグビーの試合は「観られる」ということが判ったワールドカップだった。野球もサッカーも、僕は通して試合を観ることができないのだった。
 翌日の月曜日は、日曜日と、火曜日の「即位礼正殿の儀の行われる日」に挟まれた平日であり、ポルガは普通に小学校があったが、ピイガは土曜日の運動会の振り替え休日、そして僕は会社が勝手に「この日みんな有給取得ってことね」と決めた、うっすらグレーの休業日なのであった。たぶん世間がそうであるように、わが家においても平日と休日がマーブル模様に混ざる、ちょっと不思議な一日。一家揃っての休日だと、単独で出掛けるのはいかがなものかという風潮があるのでままならないが、今回はポルガがいないためそれが薄れ、しかも翌日の休日にはまた家族で出掛けるのだから、という言い訳も立つため、千載一遇のチャンスとばかりに、午前中にひとり外出を断行した。そしてジムとプールに行った。ジムは初めて行く場所で、なかなかよかったし、久々のプールも気持ちよかった。そこからさらにスーパー銭湯にも行ってしまおうか、という青写真もあったが、さすがに気兼ねして帰宅した。そして昼ごはんを3人で食べた。ポルガは16時頃になってようやく帰ってきて、そのあとすぐに英語塾へと出ていった。月曜日というのはたまたまそういう日(学校が長く、塾がある)らしいが、なんとまあ忙しいことか、と驚いた。晩ごはんは、今年初の生さんま。獲れない獲れないと言われている今年のさんま。100円で大々的に売っている解凍品の横で、たまにひっそりと数パックだけ並べられているが、それをとうとう買うことにしたのだった。ちなみに3尾で580円。この値段なら、「せっかくだし食べるか」という気持ちにならないこともない。そんなわけで約1年ぶりの生さんまは、格別においしい、ような気もしたが、世間で言われている「獲れないし、獲れてもあまり質が良くない」という文言に印象が引っ張られたのかもしれないが、脂が少ないような気もした。食べても思ったよりテンションが上がらなくって残念だった。
 そして本日の火曜日は、天気がとてもいい具合だったこともあり、お弁当を持って公園へと繰り出した。気候はいよいよ本格的な秋だ。陽が照ると暑いが、日陰ではとても過しやすい。ポルガはアスレチックで存分に遊び、ピイガはどんぐりを拾っていた。昼過ぎに帰宅してテレビを点けたら、今日が祝日である理由であるところの、即位のことをやっていた。しかし右でも左でもないので、本当になにも思わない。「節目ですなあ」と無感動に思いながら、30分ほど各局の映像を眺め、そのあとは読書などをして過した。晩ごはんはホイコーロー。甜麺醤はなかったが、味噌でわりといい具合に味が作れた。ごはんが進む、食べたいと思っていた味に仕上がったので満足した。
 そんな具合の、半日休+3連休だった。地味だな。

カラオケ日記 ~スタンドマイクデビュー~

 関東に台風直撃の3連休。岡山への影響は、少し不穏な風が吹く程度で、ほとんどないのだった。とは言え屋外で遊べるほどではなかったので、ちょうど機運が高まっていたこともあり、カラオケへと出向いた。
 機運が高まっていたというのは、今回カラオケ用の新アイテムを購入したからだ。なにかと言うと、ずばりマイクスタンドである。これまでカラオケの際、マイクを持つ手がなんとなく決まらず、唄いながら入れ替えたり、戻したり、ふわふわしていた。それに振付のある歌を唄うときには、片手が塞がっているのがどうしても不自由だった。そんなわけで、いよいよマイクスタンドを買ったのだった。思っていたより安かった。というわけで今日のカラオケではそれを持ち込んで臨んだ。
 唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、MAX「Ride on time」。やっぱり1曲目は僕がファンをするところのMAXだろう。しかし前回の「GET MY LOVE!」に引き続き、熱心なファンとはとても思えない浅い選曲。でもMAXだから。MAXのファンというのが、その時点でかなりギリギリのギャグなのだから、それで選曲をマニアックなものにしたらやり過ぎだと思う。だから当時やけに垂れ流されて、サビだけ知っているこのあたりの曲が正しい。それにしても唄ってみたらぜんぜんサビしか知らなくて戸惑った。ファンなのにね。
 2曲目、麻倉未稀「ヒーロー」。今回の時事歌唱はどんなものがあるか、かなり考えた末、ようやく思いついたのがこれだった(コブクロのモノマネで君が代を唄う案もあったが、裏声が無理で諦めた)。目下ワールドカップで盛り上がるラグビーにあやかった。もっともスクールウォーズの放送は1984年ということで、よく知らない。上の世代の人たちはやけにスクールウォーズのことが好きだよね、と思う。
 3曲目、中島みゆき「命の別名」。有線で流れているのを聴いて、唄いたくなった。スタンドマイクで、夜会っぽく唄った。
 4曲目、天童よしみ「人生讃歌~渡る世間は鬼ばかり~」。これも時事歌唱と言えば時事歌唱か。先月のスペシャルでもエンディングで流れ、それから絶対に唄おうと思っていた。歌詞は後付けで、歌詞が付くことは想定されずに作られた曲なんだろうが、ずいぶんいい具合に仕上がっている。CDが欲しいくらいだ。間奏中にえなりかずきのモノマネで、「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」と、泉ピン子との共演を拒んでおいた。蕁麻疹が出るんならしょうがない。
 5曲目、SPEED「My Graduation」。なんとなく僕の中で、スタンドマイクと言えばこの曲、というイメージがあり、唄った。ちょうどカラオケ映像がプロモで、4人が十字に向かい合うあのスタンドマイクのシーンが映った。この曲が出たとき、ちょうど中3くらいだったので、けっこう印象が強い。もっとも当時は断然モーニング娘。派だったけど。
 6曲目、小林明子「恋に落ちて-Fall in love-」。これも有線でよく流れる。2番が丸々英語の歌詞みたいになっていて、うまく唄えるだろうかと不安だったが、もちろんうまく唄えなかった。
 7曲目、PUFFY「渚にまつわるエトセトラ」。これもスタンドマイクありきの選曲。あのジャブみたいな振付を大いにやった。
 8曲目、高橋真梨子「for you」。系統は違うが、これもスタンドマイクを意識している。体の前で手のひらを重ね、マイクに向かって囁くように唄う印象があり、そのように唄った。サビが気持ちよかった。
 9曲目、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」。これは中森明菜を唄っておこうという、歌手先行の選曲。今日ふたつ目の井上陽水である。
 10曲目、川本真琴「1/2」。これも川本真琴を唄っておこうという理由。
 11曲目、ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」。やっぱりスタンドマイクと言ったらドリフも外せないだろう、ということで唄う。大いによかった。本当はドリフ大爆笑のオープニングテーマがよかったのだが、入っていなかった。
 以上である。ちなみにスタンドマイクを低くして「ff (フォルティシモ)」を唄う、というのも一瞬考えたのだが、曲をあまり知らないのであきらめた。これは次回だな。ミュージック、スターティン。
 というわけで、スタンドマイクがとてもよかったカラオケだった。これまで片手でマイクを持ってふわふわしていたのが、1ヶ所にきちんと立脚して唄うことができるようになり、安定感が出た。ファルマンも「唄いやすい」と喜んでいたし、子どもがスタンドマイクで唄う姿は、ちびっ子のど自慢のようで微笑ましかった。実にいい買い物をした。終えたあとは車に乗せ、家に着いて荷物を降ろすとき、どうせ次にカラオケに行くときにしか使わないんだから車から降ろす必要ないよね、ということになり、車に乗せっ放しになった。つまり僕は車にいつでもマイクスタンドを積み込んでいる人間になった。そんな人間、めっちゃ愉快やん。一緒にカラオケ行ったらめっちゃ愉しいやん。家族以外の人間とカラオケに行った経験はそこまで多くないが、カラオケに自前のマイクスタンドを持ち込む人間というものはもちろん見たことがない。誰か僕をカラオケに誘えばいいのに。

おしゃべり日記

 9時過ぎまで寝る。とは言え寝たのが2時半頃だったので、特別多く寝たわけではない。11時に寝て6時に起きる生活リズムが理想的で、休日もそれを崩さないほうがいい、ということが雑誌に書いてあったが、なかなかできることではない。休みの前夜にはめを外さずにおれないのはもちろんのこと、平日の11時就寝だって現状ままならない。11時に就寝するということは、10時半くらいに歯を磨いたりして、45分くらいには布団に入らなければならないということだ。それって普通に「水曜日のダウンタウン」とか、深夜でもなんでもない時間帯の番組をやっている時間ではないか。でも6時間弱しか寝ないのと、たまに一念発起して(というより寝不足が募って)7時間きちんと寝たのとでは、次の日の調子がぜんぜん変わってくるのはまぎれもない事実で、なるべく努めようと思う。週末は心に余裕があるのでそんなことを思う。いざウィークデイが始まると、10時台に寝る準備に入るだなんて夜なんにもできないじゃないかよ! とすぐ反故になる。
 今日は午前中に一家で買い物に出掛けた。スーパーや100均など。なかなか有意義な買い物ができた。パッと行ってパッと帰った。
 昼ごはんはざるそば。とろろも添える。おいしい。
 そのあと子どもと僕とで散歩がてら近所の公園に繰り出した。たまにはそんなことをしてやる。もっとも僕自身もバトンを回したいという目的があった。ポルガは自転車、ピイガは補助輪付き自転車で、僕はピイガの面倒を見ながら歩いた。まだ最高気温が28度くらいあるのだが、そうは言っても気候が往時とは明らかに違う。わりと歩きやすかった。公園では他のファミリーもそれなりにいたが、気にせずバトンを回した。僕の幼少時代、公園で遊んでいて、大人の男がバトンを回しているところに遭遇したことはなかったなあと思った。バトンはここ数ヶ月サボり気味だったので、指さばきが鈍っている感じがあった。もっともこれはピアニストとかバレリーナとか、そういうレベルの話。傍目には判らないだろうけど、本人にだけは判っちゃうというタイプのやつ。オンシーズンに入るので、これからはまたせっせと練習しようと思う。
 帰宅後は晩ごはんの下拵えをしつつ、手仕事。ピイガの体育帽の紐が、ノビノビになってしまったのを先週に付け替えたのだが、なんと1週でまたビロビロにしやがって、仕方がないのでまた直した。「なんでそんなことになるんだ」と訊ねたら、「こんな風にする」と言って、アメリカンクラッカーのごとく紐の部分を持って帽子を回転させるのを実演してみせた。すんな。2週間後の運動会まで、持つだろうか。持たない気がする。それともうひとつ、ポルガの最近の素行の悪さ(やることにメリハリがなく、ダラダラと漫画ばっかり読み、物を散らかすだけ散らかして片付けない)を憂え、この子になにか集中できることを与えてみようと思い、クロスステッチをやらせてみることにしたので、その指導をした。午前の100均でポルガ用のそのセットを見繕っていた。クロスステッチと言っても、マス目を埋めてドット絵を描くような本格的なものではなく、布に描いた絵を、ランニングステッチは乱れやすいので、クロスステッチでなぞり刺していく感じで、とにかく主な目的は集中力の向上である。そして持ち物の管理、片付け。ケースも買ったので、それを裁縫箱とし、小鋏やピンクッションに挿した針(1本だけ支給)、糸や縫いかけの布などを、使ったあとは必ずそこへ戻すという約束をした。嵌まってくれればいいなあ。
 晩ごはんはミネストローネとミートローフ。数日前に、メンチカツを食べたい気持ちがにわかに湧いて、そこからスコッチエッグに気持ちが行って、しかしここ数日のメニューを鑑みて揚げ物はよすことにした結果、ミートローフへと着地した次第である。オーブンは面倒なので蒸し焼きにして、結果的にただのうずらの卵の入ったハンバーグみたいなものになったが、うずらの卵の入ったハンバーグはおいしいに決まっているので、普通においしかった。ワインが飲みたい、と思った。こういう料理を食べると、「正解はワインなんだろうな」感からそういうことを思うが、ワインの素養は一切ない。もう10年以上口にしていない。ワインと言えば、タイムリーに祖母から葡萄が届いた。これまでもなんかしら日記に書いてきたと思うが、毎年必ず届く、甲州である。これが正直あまり美味しくなく、毎年持て余す。甘味が強かったり種がなかったり皮ごと食べられたりする、最近のよく品種改良されたものとはぜんぜん違う、祖母の長い長い、おそらく半世紀以上の誼のある所で作っている、昔ながらのストロングスタイルの葡萄で、子どもはろくに食べないし、大人でさえ口に運んでは「むー……」と唸るほどに武骨な食味である。ワイン作りには多用されているそうで、なにしろワインに関しては無知なのでよく分からないが、ワインには適しているのかもしれない。酸味と渋味がある。お値段のほどはよく知らないが(別に安くもないのかもしれない)、おばあちゃん、たったひと房になったっていいから、この代金で巨峰が欲しいよ、と思う。もちろん言えやしないけど。

秋だな

 土曜日の夜、キングオブコントを観る。どぶろっくが優勝し、感動した。結局ちんこ、ということを改めてしみじみと思った。世の中でいちばんおもしろいものはちんこ。これは本当にそう。これまで、おおっぴらにちんこを前面に出すのはどうなのかという判断から、いろいろな方面の創作は、恋愛などというどうでもいいオブラートを被せられていたが、今回のどぶろっくの優勝で、その潮目が変わるのではないか。我々はもっと純粋に、ちんこで笑ったり喜んだりしていいのだ。勇気が出た。希望がわいた。どぶろっくのふたりは、幼少期からずっと一緒に生きてきたのだそうで、そんなふたりがずっとちんこのことで笑い続けられているのだと考えると、とてもうらやましい。友達なんかいらない、となって久しい僕だけど、ちんこのことでずっと話ができる相手は欲しいと思う。コントはあまりにもおもしろかったので、ビデオに撮ったものをどぶろっくの所だけもういちど観た。僕よりもファルマンのほうが笑っていた。
 明けて翌日は、ファルマンの両親が、義母方の墓参りでこちらへやってくるというので、我々一家もそれに参加することにした。昼前にショッピングセンターで落ち合い、まずは昼ごはんを食べる。マクドナルドとかでいいんじゃないか、子どもがハッピーセットで喜ぶし、というこちらの思惑を易々と飛び越え、義母は前にいちど行ったことがあるというカフェへと我々を誘導した。そこは紛うことなきカフェで、典型的なカフェレストランというのか、白が基調で、天井が高くて、ちょっとしゃれた優雅な空間、というステレオタイプのお店だった。ランチメニューが基本的にプレートで供され、数種あるそれがどれも1500円程度の値段というのも、判で押したようにそれらしかった。マックでエッグチーズバーガー(200円)をふたつ食べてたんぱく質をたくさん摂ろうと考えていた僕は、仕方なくポークカツレツをメインにしたプレートを選んで頼んだ。出てきたカツレツには櫛形のレモンが乗っていて、僕は揚げ物に柑橘類の汁はかけない人間なのでそのまま食べたら、ゼロの味がした。ゼロの味というのは、それそのものをひたすら食べるのには問題ないが、おかずとはそうあるべきであるはずの、白米を食べるためのプラスを口にもたらさない味つけのことで、たまらず店員を呼んでなんかしらの味をくれと頼んだ。すると「しょうゆかデミグラスソース」と言うので(店員もこの訴えには慣れているらしい応対だった)、心中ではブルドックソースを切望しながらも、デミグラスソースをお願いした。それでなんとか味にプラスが発生し、「ライスにしますかパンにしますか」の質問に「ごはん」と答えて受け取ったごはんを食べることができた(ちなみにあっちが「ライス」と言うものだから、てっきり平皿に盛られたあれが出てくるのかと思いきや、意外と茶碗で出てきた。じゃあ「ごはん」だろ、と思った)。プレートの上には、カツレツの他に、野菜や豆を使ったなにかが盛られた小さい皿が3つほど乗っかっていた。皿の上に皿を乗せるというのは、こういうカフェレストランが生み出した手法なのだろうか。いまいち意味が分からないのだけど。お店はそこまで静謐な空間というわけでもなかったが、料理が出てくるまではずいぶん時間を要し、食事を終えたあとはデザートとコーヒーまであったので、さすがに子どもたちはダレ、テーブルの周りをうろちょろしたりするようになり、そうなるとこちらも怒らざるを得ず、なんかひたすらつらかった。義母がマダム友達と、ゆったりとした時間を過すなら適当なのだろうが、5歳と8歳と、こんなものに1500円払うのならかつやで500円でかつ丼を食べて残りの1000円でビールとかポテトチップスとか買ったほうがよほどいいと思う下賤な人間を連れて来るような場所ではなかった。大人になると、自分の生息場所というのがだんだん定まってきて、波風の立たない日々を送るようになるので、ずいぶん久しぶりに、カルチャーショックというものを受けた。
 食べたあとは墓参りと、祖父の暮す施設への顔出しなので、そこでファルマンと子どもは義父の車に移り、僕だけ別行動に入る。温泉へ行くのである。前に行って会員になった温泉が、誕生月は入浴が1回タダだというので、行こう行こうと思っていた。でもそれだけのために行くにはちょっと遠方にあり、どうしたものかとあぐねていたのだが、今回の墓参りで方向的にとてもいいついでができ、話に乗ったというわけなのである。というわけでほくほくと、真っ昼間からタダの温泉を堪能した。おろち湯ったり館ほどの感動はなかったが、気持ちがよかった。そのあと再び家族をピックアップし、帰った。
 その翌日の今日は、台風一過となった昼過ぎに一家でお出かけをした。目的地はプールで、しかし泳ぐわけではなく、なんか今日はプールでイベントをしているということで、それを覗きに行ったのだった(プールを覗く、と言うと不穏な感じになる)。プールでは、ひとり乗りのカヌーを水面に浮かべて漕いでいたり、飛び込み台から次々に少年少女がジャンプしていたり、愉しそうだった。なにより屋外で、台風一過の秋晴れで、とにかく爽快な風景だった。観るだけでも愉しかった。そのあと行った図書館は、祝日とか関係ない無情な「月曜休館」で残念だったのだけど、ほぼドライブというような、カラッとした気持ちのよい外出だった。晩ごはんは昨日のランチの雪辱というわけでもないが、かつ丼にする。おいしかった。秋だな。

36歳

 誕生日だった。誕生日のお祝いメッセージは、母と姉から届いた。人からお祝いメッセージが届かないことは、「hophophop」に書いたように、ぜんぜん哀しくないつもりだったのに、母と姉から届くものだから、さすがに哀しくなった。誰からも届かない、なら受け入れやすいのに、母と姉から届いたせいで、母と姉からしか届かなかった、という状況になってしまい、母と姉だけに誕生日を祝ってもらうのは、普通それは子どもの頃の話で、じゃあ22歳で家を出てから今日までの約15年間で俺はいったいなにを……? と、とてつもなく重くて暗い部分に気持ちをやってしまい、落ち込むはめになった。しかもその二者のメッセージというのが、毎年一様にそうなのだが、「あんたももうずいぶんな歳だね」という内容で、届くだけで気持ちが塞がるのに、なおも文面で嫌な気持ちにさせるのかよ、と毎年思う。他になんか言葉はないのか、と訊ねたくなるが、肉親なので訊かずとも分かる。ないのだ。あいつ誕生日や、いくつや、36か、いい歳やなー、と、本当にそれしか思わないのだ。僕もきゃつらのそれについて同じことしか思わないので、ただ単にそれだけのメッセージを送ることになると思う。それに対してファルマン家の人々はきっと、「いい1年になりますように!」とか、「しわわせに過ごしてね!」なんてことを言い合う。さすが中国山地の向こう側にあるというラテンの国の一家だと思う。
 誕生日当日はそんな感じで、本当に静かに過ぎた。家族によるお祝いは、出勤だった本日土曜日の夜にやってもらった。帰宅すると、日中からケーキ作りや部屋の飾りつけにいそしんでいたという子どもたちはテンションがきわめて高く、うるさかった、けどかわいらしかった、けどうるさかった、けど幸福感があった(けどうるさかった)。将来、我々はどっち側の気風の家族になるのだろう。ファルマン家側かな。少なくともファルマンと子どもたちはそうだろうな。僕もそのときまでに、大人になった子どもたちの誕生日について、「あいつもいい歳だな」以外の感想が浮かぶ人間になっていようと思う。
 ファルマン特製のミートソースがたっぷり掛かったスパゲティと、野菜たっぷりのスープ、チキンナゲットというメニューのあと、リクエストしたガトーショコラを食べた。全体的においしく食べたのだが、食べたあとで胃がもたれる感じがあった。いい歳……。子どもたちから、手作りのプレゼントをいろいろもらう。去年は「ずかん」という名目の冊子だったが、今年はさらに進化し、巻き物のようになっていた。ファルマンによると、この1週間ほどはずっとその制作に励んでいたという。嬉しい。嬉しいと同時に、父親は今後の思春期に思いを馳せずにいられない。いつまで快く祝ってくれるのだろうな。ちなみにファルマンからのプレゼントは、もうだいぶ前に先取りで手に入れたダンベルセットである。ファルマンからの誕生日プレゼントをろくに使わないことで有名な僕だが、これは初めてくらいに、今のところ日々せっせと使っている。そのあとはみんなで少しドンジャラをして、パーティーは終わった。なにはともあれ、こうして無事に年齢を重ねられたことはめでたい。家族以外だれも僕の誕生日を祝わないけれど、僕は僕の誕生日に際して、この世のありとあらゆるものへ感謝の気持ちを捧げる。受け取るばかりのそなたらは自らの浅ましさを思い知り、存分に恥じ入るがいい。

夏がしつこい3連休

 3連休ということで、ちょっとくらい普段の週末よりは遠出をしようじゃないかと考え、初日に矢掛町総合運動公園まで繰り出した。やかげちょう。地方ニュースでたまに耳にするが、なんの馴染みもない町。島根に行く際の高速道路にもぜんぜん引っ掛かっていないため、たぶん町内に足を踏み入れたのが、今回初めてだったろうと思う。当然ながらなかなかの田舎だったが、しかしもうこんな程度の田舎には慣れ切っている。それどころか、これでも岡山や倉敷へ車で気軽に行けるのだろうから、中国山地の只中にあるような山村と較べれば、田舎レベルとしてはぜんぜん高くないな、なんてことさえ思った。元シティーボーイの僕の見聞もなかなか広がったものだ。
 矢掛町総合運動公園は、山の中にかっぽりと、大らかに作られた感じの公園で、わりと新しくもあるようで、なかなかよかった。過不足ないアスレチック遊具の他に、ここの目玉とされる、人工芝のけっこうな規模の滑り場があり、ここでは公園の管理するそりを借りて、滑りまくることができるのだった。僕もピイガの付き添いで滑ったのだが、頂上から下までは20メートル以上あって、見晴らしがいいこともあり、なかなかの爽快感があった。そもそもウィンタースポーツに馴染みがないため、そりで滑る、という行為そのものが新鮮に感じた。しかし新鮮とは言え、レンタル100円30分という設定は、どう考えても長すぎで、別に100円はそのままでいいから、20分か、あるいは15分でもいいんじゃないかと思った。だって上から下にそりで滑るだけなのだ。さすがに飽きる。休憩を挟みつつ、開始20分のあたりで「もういいね」となってそりを返した。返したら「えっ、もういいの?」みたいな反応を管理人にされたので、逆にびっくりした。そのあとは噴水エリアで子どもを遊ばせる。地面からいろんな出方で水が噴き出て、子どもがわあわあ喜ぶ、あのやつ。それがあることは下調べ済みだったので、ちゃんと着替えを持ってきていたのだ。なので思う存分に濡れさした。気持ちがよさそうだった。この日の最高気温も悠々と30℃を超え、しかもそれはちょうど正午ごろのことだったので、心の底から「子どもはいいなあ」と思った。ちなみに公園に着いて車から荷物を降ろすときに、期せずしてジムウェア一式を乗せたままであることが分かったため、僕もやろうと思えばやれたのだけど、水浸しになっている者の平均年齢は5、6歳くらい(ポルガが最年長くらい)だったので自重した。それから着替えついでに、持ってきた簡易テントの中で、昼ごはんを食べた。今回はおにぎりをちゃんと作ってきていた。暑さが緩んだためこういうことができる時期になった、と言うにはまだまだしっかり暑かったのだが、3連休の初日なので少々の無理をきかせた形である。もっとも公園内に売店もないし、近隣にコンビニの類もなかったため、弁当を持ってきたのは正解だった。腹ごしらえのあともひとしきり遊んで、満足したところで帰った。ずいぶん汗をかいたが、当たりの公園だった。
 帰宅後は、さすがに陽射しにやられて、身体を動かすようになった最近にしては珍しく、仮眠をとった。そして晩ごはんは今年初の煮込みラーメンにした。日中は暑さで茹だっておきながら、夕飯は煮込みラーメン。いかにも夏と秋のあわい、という感じがする。セレクトが醤油、というのもこの時期らしい。これが寒くなると味噌になってゆく。もちろんおいしかった。そしてビールが異常なまでにおいしかった。
 2日目はあんまりすることがなく、午後に少しだけ買い物に出た。大きい電器屋へ行き、カメラを物色したりした。ポルガの誕生時に購入したデジタル一眼レフが、これはひとえに扱いの悪さに起因するのだろうが、内部にゴミが入ったり、たぶんそれ以外にも原因はあるのだろうが、昔ほどきれいな写真が撮れなくなってきたため、なんかちょうどいいのがあれば新しいのを買ってもいいかもねー、なんて話になっていたのだった。しかしカメラはやっぱりピンキリで、高いものは異様に高く、そして安いものになると、「じゃあタブレットでいんじゃね?」という感じもあり、また下の子も5歳となり、3歳くらいまでの天使的な姿を阿呆ほど撮る、みたいな時期は過ぎたこともあり、手持ちの一眼レフの不具合さを微妙にあぐねつつも、いまいち購入のモチベーションは高まらず、「ふーむ……」という感じで売り場をあとにした。
 晩ごはんは大根と鶏ひき肉の煮物と、ほぐした鶏ささみを乗せた冷ややっこ、そして秋鮭ときのこの炊き込みご飯というメニュー(汁物はなし)。並べた終えたところで、ぜんぶ茶色いことに気がついた。
 3日目もまた特に用件はなく、とうとう完全に家で過した。せっかくの3連休なのに、休日の過し方というのはなかなか難しいものだな。カラオケも行ったばかりだし、プールの時期も終わってしまったし、読む本がなくて困っているということもない。まあ3連休だから初日にがっつりとした公園遊びを行なったのだと考えれば、この2日間に関してあくせくする必要はないのだけども。午後に、4人でドンジャラをした。ドンジャラはなにしろ麻雀なので、人生ゲームよりも大人がやって愉しい。今日はポルガの調子がよく、ピイガがさっぱりだった。しかしピイガの牌を取ったり並べたりする仕種は、どう見ても単なる5歳児のそれではなく、前世の熟練を感じさせた。末恐ろしい。
 晩ごはんは、鶏肉を甘辛く焼いたものと錦糸卵、昨日の煮物の残り、枝豆、大根と油揚げの味噌汁。昨日の反省として、取ってつけたように枝豆を出した。
 そんな感じの3連休。全体の仕上がりとして、まあまあ悪くなかったんじゃないかと思う。

カラオケとドンジャラ

 約2ヶ月ぶりのカラオケに繰り出す。8月は行かなかったか。まあ妻子は半月帰省していたもんな。その間、日記には書かなかったが、仲間とは何回行ったんだったっけかな。仲間と行くカラオケは、基本的に酒が入っているし、唄う曲も湘南乃風オンリーなので、ここに書いても仕方ないと思って書かないのだ。たぶん6万回くらいだと思う。半月で6万回か。減ったなー。
 というわけで今回唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、高橋洋樹「摩訶不思議アドベンチャー」。言わずと知れたドラゴンボール主題歌。先ごろ単行本をはじめのほうの巻から買いはじめたのだが、歌の間に流れたアニメ映像が、ピラフ一味に捕まってギャルのパンティをもらって大猿になる、まさにそのあたりで嬉しかった。
 2曲目、倖田來未「恋のつぼみ」。倖田來未のことはもちろん好きではない。でも本人の手による歌詞が、「めちゃくちゃ好きやっちゅうねん!!」などと、あんまりにもあんまりな感じなので、逆におもしろく感じられて、唄ってみた。俺が倖田來未を唄う、というのも本人にとってはそれだけでギャグなのだが、こういうギャグって使いどころが難しい。
 3曲目、光GENJI「パラダイス銀河」。前回、ジャニー喜多川氏の追悼ということで嵐を唄ったのだが、今回も数日前にお別れの会が営まれたこともあり、ジャニーズを唄うことにした。光GENJIは僕よりも5年とかもうちょっと上の世代のアイドルで、実はあまり馴染みがない。いま思えば、錦戸脱退ということで関ジャニを唄うべきだったか。
 4曲目、MAX「GET MY LOVE!」。MAXである。俺がいま目下ファン活をしているMAXである。これも倖田來未と一緒で、それほど親しくない人とカラオケに行って、俺がおもむろにMAXを唄いはじめたとき、それがちゃんとギャグだと認識されればいいが、本当に好きなんだと捉えられ、(この人とは趣味が合わないな)と心の中で断ぜられたらたまったもんじゃない。それなら唄わなければ済む話なのだが、僕自身の中では、僕が倖田來未やMAXを唄うというギャグがツボなのだからして、なかなか諦めきれない。難しい問題である。もっとも、それほど親しくない人とカラオケに行く予定はないし、それに僕はMAXの真正のファンである。
 5曲目、少女時代「Gee」。日韓関係の悪化に関して、僕にできることはなにかと三日三晩考えて、思いついたのがこれだった。みんな心が洗われればいい。
 6曲目、財津和夫「切手のないおくりもの」。倖田來未やらMAXやら少女時代と来て、これ。なにがしたいのか。聴衆をどういう気持ちに持っていきたいのか。
 7曲目、堺正章「さらば恋人」。そうか。今日はもうここからこういう路線、しっとり唄い上げる路線でいくんだな。昭和歌謡の、地に足の着いた唄いやすさ。心地よかった。
 8曲目、Berrys工房「ファイティングポーズはダテじゃない!」。どうした。どうしたいんだ。混沌とし過ぎだろう。FNS歌謡祭か。
 9曲目、野口五郎「私鉄沿線」。またそっちに戻るのか。じゃあなぜBerrys工房を挟んだんだ。ちなみにこれにて新御三家をとりあえず唄ったことになる。昔の映像を見ると、おじさんになってからしか知らない新御三家は、本当に少女マンガの男の子のようなビジュアルで、びっくりする。特に野口五郎のギャップがすごい。
 10曲目、椎名林檎「歌舞伎町の女王」。ファルマンのお株を奪い、初めて僕が椎名林檎を唄ってみた。椎名林檎と言えばこれ。これ以外の曲もこれに聴こえる。
 11曲目、CHAGE and ASKA「SAY YES」。解散を受けての記念歌唱。「パラダイス銀河」に続いて本日ふたつめの飛鳥涼であり、その才能に改めて感服する。「尿をお茶とすり替えた人」のイメージが強いが(僕だけだろうか)、早くそんな記憶を払拭する名曲をまた作ってくれたらいい。ファルマンがちょっとCHAGEをやってくれた。
 12曲目、米津玄師「パプリカ」。カラオケには子どもたちのバージョンしかなかったのだが、僕の中では米津バージョンのつもりで唄った。米津玄師の歌い方って、けっこうこぶしをきかせる演歌調ではないかと思っている。
 以上である。前回のような、エキセントリック少年ボウイからはっぱ隊の夫婦メドレーのような感動はなかったが、思う存分に気持ちよく唄えた。しかし最近はいちども唄ってない曲を唄おうとするあまり、セレクトが変な感じになってきたな。
 カラオケのあとは少し買い物をして帰る。空には見事な入道雲が浮かんでいた。厚みのある入道雲のあんまりな白さと空の青さが、馬鹿な子のようだった。これは残暑のそれじゃないな、実はまだバリバリ夏だな、と感じた。そう言えば9月19日までは夏、という説もあった。
 午後は最近買ったドラえもんのドンジャラ(製品名は異なるのだが、もう僕の人生の中ではドンジャラで固定されている)を、子どもたちにルールを教えながら4人でやる。やっぱり4人家族と言えばドンジャラだ。まあ、俺は、ほら……、3人、だった、けどさ……。北家はいつだって空席だった、けどさ……。そんなほろ苦い少年時代のことなんかも思い出しつつ、20年以上ぶりのドンジャラはやっぱりおもしろかった。勝負ごとにやけに強いピイガが優勝し、勝負ごとにやけに弱いポルガがボロ負けという結果だった(ポルガは結局いちども上がれず、持ち点を全て失くし、ポロポロ泣いた)。またやろう。
 夕飯は手羽先の竜田揚げ。また片栗粉の衣で、好みのゴリゴリ風に仕上げる。しかしゴリゴリを深追いしすぎた結果、これはもはや若干焦げていると言うべきではないのか、というくらいになってしまった。でもおいしかった。

8月締め

 金曜日、8月の終わりの終わり、折からの不安定な天候をかいくぐっての曇天の夜に、意地のように今月限りで今シーズンが終了する屋外プールへと、労働後に繰り出した。月のはじめ、妻子が帰省中に初めて行ったときは、開始時刻(入れ替え制なので泳ぎはじめられる時間が決まっている)にはまだ西の空に明るさが残っていたのに、今はもう最初からすっかり暗い。そして水中に入ると、その水温の冷たさにびっくりした。それでも泳いでいれば体が温まるだろうと泳ぎはじめたが、300メートルほど泳いだところで、どうにもしんどく、500メートルになんなんとするあたりで脚も攣りそうになり、ほうほうの体でプールサイドに上がった。それから屋内プールへ移る気概もなく、正味20分ほどで終わらせてしまった。やっぱり営業が終了するだけのことはあって、屋外プールはいよいよ限界なのだった。昼間ならまだしも、朝晩は涼しくなってきた今日この頃であり、もはや晩はプールに堪える気候ではないのだった。そのことをまざまざと体感した。とは言え、気持ちよく泳げなかったそのほろ苦さも、たくさんプールに行った今年の夏の締めとして、味わえてよかったと思う。もっともプールとしばらくお別れするわけではない。今後も屋内プールには普通に行く。
 土曜日の夜は三女が泊まりに来た。夜にやってきて、日曜日の朝に出発する、素泊まりのような利用だった。本人も自分からは口にしないし、我々もあえて訊ねはしないが、陰でこそっと、三女の好きな有名人のスケジュールを確認したら、土曜日は香川で、日曜日は広島でイベントをやっていた。実に明解なのだった。なるほどその日程で、岡山に姉の家があれば、それは便利に使うわな、と思った。それにしたって先週に引き続き、人々はイベントに繰り出す。そのことに僕はいま若干アンニュイになっていて、思うところがあった。
 今日は、今日から9月ながら、日曜日なのでまだ夏休みという、ちょっとレアな日。子どもたちの長く長く長かった夏休みも、今日でいよいよおしまいである。明日からは2学期なのでアクティブなことはせず、図書館やら100均やらスーパーやら、平常の休日を過した。大人の夏休みはお盆の数日で終わっているので、暦が8月だろうが9月だろうがあまり関係ないが、なんとなく子どもたちにつられて、明日から新章に移るような感覚が多少ある。特に区切りをつけてなにをするという構想もないが、とりあえず夏の間は軽く除毛していた陰毛について、もう手入れしないことにしようと思う。

夏終え土日

 土曜日の夕方、家族でプールに繰り出す。微妙に霧雨が降っているような空模様だったこともあり、とても空いていた。タイミングによってはほぼ貸し切りのような状態にもなり、我々一家は、とんでもない大富豪か、あるいは田舎在住者だろうと思った。これにて家族で行く今年の屋外プールはいよいよ終了だ。今回も屋外は実際まあまあ寒さ的に厳しくて、屋内のほうを中心に使った。
 夏が終わる。今年はそれなりに暑い期間もありつつ、なにしろ去年の記憶がまだあるものだから、それでもだいぶ節度のある暑さだったな、という風に思う。次の学年がどんなにイキっても、去年卒業した学年がひどすぎたから教師たちもわりと余裕がある、みたいな感じ。屋外プールは8月いっぱいまでであり、実は来週の平日のどこかで労働終わりに僕だけラスト1回を目論んでいたりもするのだが(しかし天気が悪そう)、とは言え夏が終わるのは純粋に嬉しい。夏と冬の終わりにいつも思うことだが、着るものに飽きた。今回は夏なので、Tシャツとクロップドパンツという組み合わせに、ほとほと飽きた。6月中旬あたりから、僕は平日も休日もずっとそのスタイル、手持ちのそれとそれの中でそれぞれ組み合わせを選ぶ、というだけの着衣を続けてきたわけだが、今日なんとなく気が向いてチノパンを穿いたら、すごく清新な気持ちになり、とてもよかった。本格的にクロップドパンツから解放されるまで、あと半月くらいかな。
 話が前後するが、金曜日の夜はすき焼きだった。お買い得の牛肉が手に入ったので、じゃあいっそすき焼きだ、と決めて、決めたらとてもテンションが上がり、金曜日の労働中はそのことを思ってウキウキしていた。やっぱりすき焼きはとびっきりの御馳走だな。そして期待を高めに高めて食べたすき焼きは、さすがの横綱、見事に期待に応え、非常においしかった。砂糖醤油で煮た肉を卵に浸して食べるって、もう体感としては7Pくらいだ。もちろん男は僕だけで、あと6人の女の子がすごく奉仕してくれる7P。そのくらいの愉悦だ。体験したことはないけれども。ちなみに鍋つながりの話題として、スーパーでは煮込みラーメンが売られはじめた。ああ今年も、1年のそっちのほうに入ったか、と思った。ホームページを見たところ、今年の限定味はシビレをきかせた麻辣味だそうで、わが家とは縁がなさそうだ。やるなら仲間内でだな。誘ってみっか。
 そんでもって話が行ったり来たりするのだが、土曜日の午前にファルマンは「おっさんずラブ」の映画を観にいった。早起きして、ショッピングモール内のシネコンへ、バスを乗り継いで行っていた。公開翌日朝いちばんの回を観ることで、ウェブ上に溢れる映画の感想を問題なく目にすることができるのだそうで、まあ本人のしたいようにすればいいと、心の底から(どうでもよく)思う。映画が終わる時間をめがけて、子どもたちと車で迎えにいった。ファルマンは映画館で映画を観たのは、「千と千尋の神隠し」以来だと言っていた。思えば僕はいちどもファルマンと映画館に行ったことがない。ちなみに僕はそれ(2001年)よりもさらに前、「もののけ姫」(97年)が最後じゃないかと思う。えっ、嘘……。俺、もう20年以上映画館で映画を観ていないの? すごくない? もう処女膜が再生してるレベル。次に観るとき、たぶん痛い。
 本日日曜日は特に用件がなく、ほぼ家で、漫然と過ごした。午後にちろりと筋トレをしたが、やはり火を見るより明らかに、熱情が下がっている。どうすればモチベーションがアップするだろう。4ヶ月後くらいにクランクインが控えていればいいのに。
 恒例の24時間テレビが行なわれていたこの土日だったが、今日は来年のパラリンピックの開催のちょうど1年前らしい。オリンピック、パラリンピックまでいよいよ1年を切り、各競技においても代表選手が次々に内定し、熱が高まってきているわけだが、ここへ来て僕は飽きた。「東京オリンピック、パラリンピック」というワードに、もはや辟易している。本番までまだ1年あるこのタイミングで、僕の「東京オリンピック、パラリンピック」が入るための胃袋は満杯になってしまった。もういい。もうたくさんだ。ちょっと食べさせ過ぎだ。4年も5年も強制的に食べさせて、俺はブロイラーか。あるいはフォアグラを取るためのガチョウか。もう出荷の時期はとうに過ぎている。本当は1年くらいでいいのだ。「いま2019年ですけど、実は来年のオリンピックパラリンピック、東京でやることになってたんです!」と言われれば、素直に「マジかよすげー!」と、いい具合に本番を迎えられた。そのタイミングは完全に逸した。体を通り過ぎすぎて、もう既に過去の出来事のようでさえあるが、とにかく早く終わってほしい。

2019年夏の島根帰省3日目

 空腹のまま2時ごろに寝ついて、7時半に目を覚ます。移動を午前中に済ますために、8時にはこちらの家を出たかった。それでもまずはなにか食べ物を口に入れたくて、ファルマンに所望したらスナックパンが出てきた。今回の帰省、状況が状況とは言え、料理らしい料理は本当に一切なかったな。この10日間、ファルマンが夜にLINEで「おなかがすいた」などと送ってくるので、「疎開か」と返していたが、2泊でその気持ちがよく理解できた。とにかく台風が恐ろしかったので、最低限の血糖値を上げて出立の準備をし、8時過ぎに家を出た。出てすぐに家の近所の、約7時間前に寄ってもらえなかったコンビニに立ち寄って、車内で食べるための朝ごはんを買った。そしてサンドイッチをばくばく食べながら、急いで岡山に帰った。道は空いていた。雨は尾道らへんが最も強かったが、しかしそれほどでもなかった。風は時おり強く吹き、橋梁では少しはらはらした。それでもなんとかスムーズに、昼前に家までたどり着いた。よかった。まったくバタバタした帰省だった(1日目はゆったり幸せだったけれど)。午後は夕方まで強い強い風が吹いていて、疲労感もあり、荷解きもろくにせず、家でぐだぐだと過した。
 3日目が短すぎるので、既にあれほど書いた2日目の追記になるのだけど、野球の中継を観ていてずっと疑問だった、7回に行なうあのジェット風船、あれって他人が口をつけて唾液交じりの呼気で膨らませたものが噴射して、空気が抜けたあとはともすれば頭上から降り注ぐわけで、すごく不潔なんじゃないかという問題について、いやしかしそんなはずはないだろう、なにか思いもよらない解決がなされているんだろうと思っていたのだが、いざ現場に身を置いてみたら、別にぜんぜんその問題に対する工夫なんかはなくて、幸い僕の所に落ちてくることはなかったのだけど(その様子があったらすぐさま飛び退いて逃げようと気が気じゃなかった)、しかしやっぱり気持ちが悪いと思った。他人の唾液のついたゴム製品が無数に飛ぶ風景は、ちょっとしたホラーであると思う。あと客席には下世話なまでの頻度で生ビールの売り子が現れ、あちこちでビールの注入が行なわれるため、常にうっすらとビール臭く、自分も飲んでいれば気にならないのかもしれないが、飲み会の終盤のような饐えた香りに辟易した。本当に文句ばっかり言うな。お前みたいのは連れていかなきゃよかったよ。

2019年夏の島根帰省2日目

 というわけで島根帰省2日目。8月14日。
この日はとにかく広島zoomzoomスタジアムで行なわれるナイトゲーム、広島ー巨人戦を観戦するための1日だったのだけど、しかしなんてったって台風10号である。超大型、超低速、超お盆に、超日本列島を縦断するようなコースで進む、超嫌な性格の台風10号。広島はルート的には直撃で、でも超低速なものだから試合はできそうな感じもあり、とは言え本体がやってくる前の暴風域的にはだいぶ差し掛かってくるような色合いも帯びていて、そんな状況に大いにやきもきした。島根に来る前の日記では、「中止になったらさすがに義父がかわいそうだ」なんてことを書いたが、いざ無事に執り行なわれるか否か不明瞭な試合のために広島に向かおうという段になると、「いっそ中止になってくれたらどんなにいいだろう……」と心の底から思った。そして、「いっそ」という意味では、「いっそはじめから誘いに乗ってなかったらどんなによかっただろう……」という後悔も募った。それでも中止情報は届かず、そうなれば一路広島へ向けて出発するほかない。しかもこの道中というのが、一緒に観戦する予定である義理の息子B(次女の夫)は、そんなことってあるのかよ、と驚愕するのだが、義父のチケット入手云々以前に、そもそも彼の実家の面子(彼の両親と彼と彼の弟)でこの試合を観戦する予定だったそうで(どうやら頻繁に観戦する一家らしい)、彼は試合そのものは義父の手に入れたいい席で我々と観るが、移動(行き)は自分の家のほうの車に乗るという、とても残酷なことを仕出かし、そんなわけで移動は義理の両親と僕、という3人となる。義父の運転する車で、当初の予定では助手席に乗せられるところだったのを、それだけは勘弁してもらうと、後部座席にそそくさと乗り込んで、心のダメージを最小限に食い止めたが、テンションはこの時点でだいぶ下がっていた。広島へは2時間半ほどで到着した。途中でやはり雨が降り出し、どうなの、どうなの、と思うが、中止の情報はいっかな現れなかった。広島市という土地へ来たのは、中学の修学旅行のとき以来だと思う。広島駅を挟んで、球場とは反対側にあるパーキングに車を停めて、そこから歩く。小雨だった。駅の構内を突っ切ったので、新幹線乗り場も目に入った。これに乗ったら40分くらいで岡山駅に着けるのか……、という詮無いことを考えたりした。途中で義理の息子Bとも合流し、さらに歩く。駅のそちら側の口からスタジアムまでは、観戦者で成り立っているらしき商店が立ち並び、店先にテーブルが出て観戦用の食べ物や飲み物が売られていた。唐揚げや餃子など、心を奪われるものがたくさんあったが、義父がずんずん先へ進むので立ち止まることは一切できず、そのままスタジアムへと到着した。zoomzoomスタジアムは、テレビでさんざん観たことがあったが、現地で目の当たりにすると、それはもちろん「おおー」という感じがあった。チケットの座席まで行くと、それはバッターボックスのやや3塁側寄りのすぐ後ろ、といったあたりで、選手にかなり近い、なるほどずいぶんな良席なのだった。そうして席に座ったのが4時すぎくらいで、試合開始は6時。この2時間近い時間はなんなのかと言えば、選手の練習を観るための時間だったらしいのだが、雨が降っているために練習は室内で行なうことになったようで(それはそうだ)、そんなわけで我々は屋根なんかもちろんない座席で、降ったりやんだりする雨を受け止めながら、ただグラウンド整備を眺めたり、バックスクリーンに映るどうでもいい映像を見つめたりして過した。帰りたさ……! と強く思った。このままじゃ絶対に風邪を引くと思ったので、お腹に何か入れることにした。ちなみに出発前の昼ごはんは、ファルマン家のいつもの、素麺って言ったら本当に素麺なの、という、錦糸玉子とかハムとか煮豚とかきゅうりとか、そういう具の一切ない例の素麺だったのである。レインコートを着用しているとは言え、そぼ濡れて冷たい体に、風邪どころではない命の危機を感じて、エネルギーを求めた。ちなみに僕以外の人たちは、事前にスーパーで買っておいたおにぎりを食べるらしかった。もう知らん。昼が素麺で、夕飯がスーパーのおにぎりでは、僕は精神的にも肉体的にも死ぬ。なのでタルタルソースの掛かったソースかつ丼という、カロリーの高そうなものを買ってひとり食べた。これは本当に正解だった。ちなみにビールを飲む気持ちは湧かなかった。運転はしないが、とは言え飲んだらダルくなるし、飲んだときの義父の反応も想像すると億劫だった。それに球場内では缶ビールが500円もした。駅からの道程で売られていた餃子に思いが募っていて、それと一緒に外で調達してくることも一瞬考えたが、雨で濡れて重たい体がそれを拒んだ。まあそんなわけでかつ丼は最良の選択だったんじゃないかと思う。そんな風にして試合開始を待ち、地元の子どもによる始球式(義理の息子Bによると芸能人は滅多に来ないものらしい)でようやく試合が始まる。先発投手は広島が野村、巨人が菅野。これはかなりいい巡りだろうと思う。僕は過去に2度プロ野球を観戦したことがあるが、最初がヤクルト対日ハム(交流戦)で村中とダルビッシュ、次がヤクルト対横浜で、一場と三浦だった。どうも僕は「観戦するときの先発投手運」は悪くないようだ。さらに今回は3連覇中の広島と、なんてったってジャイアンツなので、先発投手以外も、選手の「知ってる具合」が半端じゃなく、テレビっ子的な観点からとても興奮した。だって亀井、坂本、丸、岡本、阿部、小林だぜ。めっちゃ知ってる。原辰徳ももちろんいたし、ズームインサタデーの人もいた。こうして書くとまるで巨人のほうのファンのようだが、別にどこファンということはない。しかしテレビっ子なので、どうしたって巨人の選手のことをいちばん知ってしまっているのだ。そんなわけでテレビの中の人たちがわりと近くにいるという状況に、おー、と興奮した。そうして試合は開始したが、開始すると同時に雨足は強まり、けっこうしっかりした雨になる。隣の席の義理の息子Bに、「こんな雨になっても試合って続くんだね」と言ったら、「いや、こんな雨だと普通やりませんよ。たぶんこの裏が終わったら中断すると思います」と返事が返ってきて、果たしてその通りになった。よくスポーツニュースなどで、「雨のため30分の中断を挟み、再開後に……」なんてサラッとナレーションされたりするが、あれって自分が観客の立場になってみると、とんでもないことだと分かった。だってひたすら雨に打たれながら席で待つしかないのだ。ただでさえ(無意味に)4時過ぎから来ていてつらいのに、この上ただの待機時間。いよいよ心が死にはじめる。「台風が近づいてきているんだからここから天気が好転するはずがないじゃないか」と、なる早の中止決定を切に願うようになった。しかし非情にも、なんと雨は収まったのである。それもしっかりと。そのため中断を挟みながら、試合はこのあと9回まできちんと執り行なわれたのだ(1ー7で巨人の勝ち)。試合終了は22時を回り、この日はナイトゲームが6試合開催されたのだが、この試合が最も遅い終了時刻となった。ただでさえ零時は回るだろうと言われていた帰宅時間が、どんどん後ろ倒しになって、次の日がなんでもない日なら別に構わないのだが、午後中国地方へ上陸するという台風をなるべく避けるため、できるだけ朝早くに岡山へ向けて出発しようと思っている立場からすると、こんなひどい仕打ちってあるかよ……、ととにかくとことん打ちひしがれる展開だった。
 ちなみにこの日の試合に関して、夕刊フジはこのように書いた。
 
 巨人の菅野智之投手(29)がエースの意地をみせ、43日ぶりの白星となる9勝目を挙げた14日の広島戦。広島の自力Vを消滅させ、優勝に再加速する貴重な遠征となったが、その裏側でチームは台風10号の接近でてんやわんや。移動日だった15日の上り新幹線が運転見合わせとなったため、延泊で“缶詰め”を強いられることになったからだ。9連戦後の東京でのオフがつぶれるわ、16日の阪神戦(東京ドーム)は移動試合となるわで、チーム内にはブーイングの嵐が吹き荒れた。
 14日の試合前練習でグラウンドに出てきたG戦士は、嵐の到来を告げる不穏な黒雲を恨めしそうに見上げ、「本当にやるの?」と広島関係者に尋ねた。さっさと試合中止が決まれば、台風の前に東京に帰れるかもしれない。
 だが試合前の決定権を持つ広島側の言い分は「お盆休み中の試合だし、今日しか来られないお客さんもたくさんいるから、ぜひやりたい」。完売のチケットを払い戻せば、振替日は消化試合になる可能性大という打算も働いたことだろう。試合決行への固い意志を感じ取り、“広島抑留”は不可避とあきらめがついた巨人ナインは、「あした一体、何すりゃいいんだろう」とため息をついた。
 (中略)
 「もっと早く中止を決めてくれれば、14日のうちに帰る方法もあったんだろうけど…」(球団関係者)。夕方以降に中止になったところで、この日のうちに60人所帯が帰京する足を確保するのは困難。確実路線として、新幹線が再開する16日朝に帰京し、そのまま東京ドームに向かって移動試合のナイターに備えることに。つまり15日も広島に延泊だ。練習も試合もないが、街は夜まで暴風雨。宿舎に引きこもるしかない。やけくそ気味の「昼から酒でも飲むか」という声も聞かれた。
 本来であれば、15日午後から東京で完全オフを満喫できたところ。独身の某選手は「チクショー、夜から予定が入ってたのに!」と顔をゆがめた。9連戦後の息抜きを召し上げられた上、16日は移動試合のドタバタ。「仕方ない、天候には勝てないよ」という周囲の慰めに対して、古参の球団スタッフは「いや、勝てるぞ。カープの営業だけは」とチクリ。旧市民球場時代から、どんな悪天候だろうと試合をやりたがる、広島の営業方針をよく知っているのだ。
 首脳陣の1人は「俺らは仕事だから、どんな天気でもやれといわれれば従うけど、お客さんが心配。台風のせいで家に帰られなくなったら、どうやって責任を取るの?」と疑問を呈した。広島の現場サイドとしても15日の移動予定が白紙となり、16日のDeNA戦(横浜)が移動試合に。つまり台風の襲来を目前に、試合の開催を望んでいるのは、ごく一握りの利害関係者だけだった。
 愚痴や怨嗟が渦巻く練習時間が終わり、いざプレーボールがかかると、にわかに雨脚が強まった。客席はたちまちカッパの赤で染まり、1回終了後の午後6時20分から23分間も中断。だが巨人ナインの心は乱れなかった。泣いても笑っても、16日まで東京には帰れない。非情の宣告に破れかぶれ。戦前から「もう何時間でも試合してやるよ」と腹が据わっていた。エース菅野は8回1失点の好投。憤懣(ふんまん)をパワーに変えた打線も4点を奪って快勝し、広島の自力Vを消滅させた。

 「本当にやるの?」 と言いたくなる気持ちはよく分かる。でも結果的に1回終了後の中断のあとはわりとすっきりと空気が澄み渡ったので、やめていたらそれはそれで「ぜんぜん試合できた」となったに違いなかった。とにかく試練の多い観戦だった。あと僕は3回の観戦が、いずれもアウェーチームの勝利で、勝率0割である。三浦、ダルビッシュ、菅野だもんなあ。別にファンではないので悔しさはないが、ホームのチームが勝って球場が大盛り上がり、というのを体験してみたかった。でももう今生はそれがかなわなそうだ。もう、たぶん、僕の今生の野球観戦は、これで終了だから。もういい。懲りた。片道3時間近くをかけて行って、席に6時間座って、人が球を投げて棒で打つのを眺めて、そして3時間近くかけて帰るの、もういい。金輪際いい。今回行ったことそのものへの後悔はなくて、自分で運転しなくていいし、チケットはタダだし、とても恵まれた機会だったと思っているが、そうして人生経験を積んだ結果、もう野球観戦はすまいと思った。とにかく、価値がぜんぜん見出せない。そもそも、やっぱり僕は、自分自身以外のなんにも、特別に好きということがないので、野球観戦をしていてもとても冷めているし、周りが盛り上がれば盛り上がるほど、それが加速していってしまう。義理の息子Bは、広島が唯一の点を取った時には、隣の席の知らない人とハイタッチをしていた。しらふで。それは僕には絶対にできないし、そういう人が(みなが一様に盛り上がるべき)場にいてしまうと、煩わしくて白けるということもよく理解しているので、やはり自分のためにも人のためにも、そういう空間からは距離を置いて生きるべきなんだとしみじみと感じた。ひとりで筋トレして泳いで温泉に浸かってるのがいちばんいい。自分が自分だけに帰依して生きていきたい。そんな人生勉強をした野球観戦を終えて、車までの道を歩いた。空腹だった。かつ丼を食べたのはもう5時間以上も前のことだった。雨が濡らした体はもうほとんど乾いていたが、蒸発しない疲労感が体を重たくしていた。ファルマンに、「これから帰るけど家に冷えているビールはあるか」とメッセージを送ったが、もう寝ているのか返信がなかった。不安なので買って帰ろうと思った。歩きながら「帰ったらビールですね」と言ったら、帰りはこちらの車に同乗する義理の息子Bも含めて、全員からちょっと不思議そうな顔でほぼスルーされた。その反応の薄さにこちらこそ不可思議な気持ちになった。帰ったらたしかに1時を過ぎる。でも食べて飲まないわけにはいかないだろう。いかないだろ、と思ったが、そんなわけにいくのがファルマン家の人々なのである。両親は、夕方に食べたふたつくらいのおにぎりで、さらに言えば昼は具のない素麺で、今日の食事を完了していたのだった。いったいどういう仕組みの体なのか。白状すれば僕は、「今日の昼は素麺」という情報を事前にキャッチして、それがファルマン家の具のない素麺であることは判っていたため、午前中にスーパーに行って、ひとり総菜のおはぎを買ってばくばく食べていた。それでもなお空腹なのである(逆に具のない素麺はあまり食べてはいないのだけども)。家に帰って食べるものが用意されているとも思えず(「だってなにか食べて帰ると思ってた」というファルマンらの見解ももっともなのだけど)、どこかで食べ物を調達しなければならない。でも運転は義父である。とても食べ物のために車を停めたりなんかしそうにない。なにしろおとといの晩は紙皿でレトルトカレーを食べた人種である。それでもせめてもの抵抗として、「俺だけ家の近所のコンビニで降ろしてくれないか、そこからは歩いて帰るから……」と提案してみるが、冗談だと思われて取り合われない。1時に帰ってからなにかを食べようとすることが、あの人たちにとっては冗談なのだ。そんなことあるか。このままなにも食べずに寝るほうがよほど冗談だろう。それで結果はどうなったか。家の近所のコンビニは見事に無言で通過され、家は寝静まり、冷えてるビールはなく、食べ物もなく(冷蔵庫はリビングにあるため、そこで寝ている犬を起さないため、夜は近づけないのである)、シャワーだけを浴びて、ひもじさに涙が出そうになりながら、布団に入った。もう俺は、二度と野球観戦に行かないのはもちろんのこと、食べ物に対する観念が低い人(そしてその人がイニシアチブを取る場合)とは、極力一緒に行動しない……、今後はずっと労働を理由にそういう企画の参加を拒み、めっちゃおろち湯ったり館に行こう……、と心に誓いながら、明朝の早い出発のための睡眠に入った。

2019年夏の島根帰省1日目

 出雲に行って、帰ってきた。僕は2泊3日。
 13日に出発したのだけど、この前日にファルマンたち(義両親・ファルマンとポルガとピイガ・次女一家3人・三女)は鳥取県の大山近くにある保養所へ泊まりに行っていて、そこから午後に自宅に帰ってくる流れだったため、時間を合わせる必要があった。
 ちなみにこの大山の保養所には以前に僕もいちどだけ行ったことがある。「KUCHIBASHI DIARY」を検索をしたら、それは2009年の8月13、14日のことで、1日のズレはあるが見事に10年前のことだった。僕とファルマンの入籍が08年8月、結婚式が09年3月、ポルガの妊娠発覚が10年5月のことなので、まあそこらへんの時期である。隔世だな。それから我々には子どもがふたりでき、次女も結婚したし娘も生んだ。そして当時は義妹たちと同室で寝ることに興奮していた25歳の僕は、「そそらねえ」という理由で参加をブッチする35歳になった。そんな風に10年間でいろいろ変わった中で、なにも変わらなかったことがひとつある。ファルマンの家の人たちは食事に対する観念が低いという点である。10年前の日記を読み返したら、到着した日の昼ごはんは、夕飯に予定していた焼肉のあとに僕が〆として焼く予定で買っておいたうどん玉(2玉)を、全員で分け合って食べるはめになったようだし、そんな昼食だったのですぐに空腹になったのにいつまでも夕飯の準備に誰も取り掛からないので、僕がひとりで焼肉の手筈を整え、ひとりで焼いて、ひとりで食べ始めていた。けなげだな(どこまでもけなげな行動なのに、なぜか「ふてぶてしい」みたいな扱われ方をするのが不条理だ)。それでもって10年後の今回の夕飯はなんだったかと言うと、家から持っていったレトルトカレーだったという。ごはんもレンチンのやつで、そしてそれを紙皿で食べたという。9人で。うん、行かなくてよかった。
 彼らの帰宅の目安が13日の15時頃とのことだったので、昼過ぎに岡山を出て3時半くらいに向こうに着くように動けばそれでよかったのだけど、そもそも僕はここの半日で、ひとり海へ行ったり温泉に浸かったりしようとしていたため、台風の影響で海レジャーの断念を余儀なくされても、それで何もしないのでは収まりがつかず、どっかいい場所はないかないかと探した結果、やまなみ街道の三刀屋ICを降りてすぐの木次という町に、公共のトレーニング室の入っているサンワーク木次という施設と、それに隣接してプールと温泉が愉しめる「おろち湯ったり館」という施設があるのを発見し、これっきゃない、と色めき立ち、8時半くらいに家を出た。かくして当地へは11時頃にたどり着く。それでまずはトレーニング室へ行き、走ったり押したり持ち上げたり、1時間あまり体を動かす。気が済んだところで湯ったり館のほうへ移る。プールと温泉が両方できるってどんな仕組みなんだろうと疑問だったが、まず更衣室があって、こっちへ行くとプール、こっちへ行くと温泉、とそれぞれ続く通路があり、プールへはもちろん水着を着て出ていく。プールは男女共用で、プールサイドの反対側には女子更衣室からの通路というのがあるのである。プールは、25メートルはなかったものの、ちゃんと泳げる程度の長さはあり、なにより遊ぶゾーンで子どもが少数遊んでいるほかは、泳ぐレーンは貸し切りだったので、自由に思う存分泳げて、とてもよかった。天井は窓になっていて自然光が入り、陽射しが気持ちよかったので背泳ぎもたくさんした。これもまた気の済むまでやり切り、最後に温泉へ。温泉へは、男子更衣室に戻り、水着を脱いで裸になって入るのである。普通に温泉に来て、服を着た状態から裸になるより、なんとなく不思議な感じがした。温泉は、露天風呂ありサウナありで、とてもよかった。出雲周辺には温泉はたくさんあるのだけど、やっぱり温泉だけだと間が持たなくて、サウナと水風呂もしたい思いがある。だからこういう、温泉でありながらスーパー銭湯みたいな施設がいちばんいい。日中で人も少なかったし、水風呂も温度表示はなかったもののかなり冷たくて、とてもよかった。体を火照らせては冷やすを何度か繰り返し、またまた気の済むまで堪能した。やー、本当によかった。この施設は大発見だ。帰省のほぼ道中なので、今後も機会があれば積極的にこのコースを巡りたい。風呂上がりにはフロントで瓶詰の木次パスチャライズ牛乳が売っていたので、もちろん飲んだ。さ、最高じゃないか。感動のあまり思わずフロントの人に、「ここは夢のような場所ですね」と感想を言ったら、「はあ、そうですか」と、サウナと水風呂に負けないくらいの温度差のある反応を返され、もうちょっとでサウナ用語でいうところの、「ととのう」ところだった。
 時刻は15時近くになり(とても長く愉しんだ)、ファルマンから「もう帰った」という連絡も入ったので、充足した気持ちで施設をあとにし、実家へと向かった。島根の実家ってわりと久しぶりのような気がして、いつ以来かと検索したら、今年の3月31日に日帰りで行っていた。その前は1年前のキャンプをしたりしたときの帰省。なんだかんだで俺はそこまで島根には滞在していないのだな。家族とは約10日ぶりの再会で、しかしお互いに特に感慨のようなものはなかった。島根の3人も、よく岡山に来るのでぜんぜん久しぶりじゃない。そんな中、次女一家とは1年ぶりだった。ピイガより学年がひとつ下の娘は、前まで人見知りが激しかったが、春から幼稚園に通いはじめた効果か、他者に対しての警戒心がぐっと下がり、別人のようだった。
 晩ごはんはおすし。僕が前日に「13日の晩ごはんはどんな予定だ」とファルマンに訊ね、もちろんその時点で決まってるはずはなかったのだが(分かってて訊いた)、それでファルマンが働きかけてくれて、すると向こうも面倒だったのか、「じゃあすしにするからパピロウが勝手に発注してよ、どうせそのほうがいいんでしょ」的に任されたので、木次で過している合間に持ち帰りの予約を入れておいたのだった。そんなわけでのおすし。もちろん文句のあるはずもなく、おいしく食べた。
 そんな感じの1日目だった。2日目は2日目でいろいろあったので、記事を分ける。とにかく木次がよかった。はっきり言って今回の帰省のハイライトは木次だ。2日目にはプロ野球観戦が待ち受けるのだが、しかし今回の帰省のハイライトは木次だった。つづく。

ひとり暮し

 ひとり暮しなので帰宅時間を気にせず、労働終わりにいつもの帰りがけにあるプールではなくて、ちょっと寄り道しないと行けない場所のプールに行った。なぜわざわざそこへ行ったかと言えば、50メートルプールで、屋外だからだ。そして労働終わりに屋外プールということがなにを意味するかと言うと、それは夕闇の中で泳げるということである。もちろん都会にあるというナイトプールのような、ふしだらな施設ではなくて、ストイックなトレーニング用プールである。当然ナイター照明があるため、プールそのものは見通しがいい。しかし暮れ泥む空の下で泳ぐのは新鮮な感覚で、月曜日に初めて行って感動し、木曜日にも再訪した。たぶんこの2回が今年の夕闇プールの全てになるだろう。屋外は夏休み期間中だけの営業なのである。木曜日は気の済むまで泳ごうと張り切り、とうとう1000メートルを泳いだ。いっぺんにその距離を泳いだのはこれが初めてだった。
 更衣室では中学生くらいの少年たちが、わあわあ騒ぎながら着替えていた。話の内容は、たばこと酒とマスターベーションとチン毛とマンコだった。健全だなー、と思った。中学生男子がそれらの話をはしゃぎながらしているのって、なんかすごく健全なことのように思えた。僕は中学生の頃、ぜんぜんそんな話はしていなかった。じゃあどんな話をしていたのかと振り返るが、ろくに覚えていない。もちろん思春期の悶々は始まっていて、マスターベーションだってそれなりに始めていたが、自意識が強く、それは話のテーマとして友達と語り合える次元の話ではなくて、ドロドロと重たいカルマ以外の何物でもなかった。中学時代にあんなに明け透けに性的なことを友達と話せていたら、僕の童貞喪失はもっと格段に早かったし、高校だって男子校じゃなかったんじゃないかと、健全な水泳男子たちを目の当たりにして思った。それにしても中学生男子って、もうダブルスコアどころの年齢差じゃなく、ぜんぜん普通に親子くらいの関係性になってきたのだな。信じられない。悪そうな中学生がいると、どうしても(カツアゲされるかもしれない……)とビクつく心があるのだが、実はもうそれはカツアゲじゃない。オヤジ狩りだ。なんてこったよと思う。
 そんな感じで、ひとり暮しはそれなりに堪能しつつ、しかし3、4日経つとさすがに寂しさ(ひとり暮しスタートのときさんざん寂しさをジョークにしたため嘘くさくなるが、本当の意味で)がじわじわと湧いてきた。とは言え離れる前は本当にうんざりもしていたので、まあやっぱり半年にいちどくらい、こういう期間があるというのはいいことのように思う(ファルマンにはそれがないのです。大変だと思います)。
 現在金曜日の夜で、ここから休みだと9連休で、当初の予定ではそうだったのだが、いろいろあって明日も明後日も出勤である。しかしまあ9連休もあると2日くらいは別にいいよ、という気持ちになる。そこに付け入られた、ともいえる。でも本当に、9マイナス2で7連休って、書店員時代を考えればありえない事態なので、精神衛生上、その心は忘れずにいようと思う。
 労働がそんななので、労働を理由に参加できないということにした島根での外泊も、(本当を言えば参加できるのだけど)、あながち嘘ではなくなった。ファルマンは親に嘘をついたことに忸怩たる思いを抱いていたが、いくらか気持ちが救われただろう。ちなみにファルマンと言えば、昨日8月8日は結婚記念日だった。お互いすっかり忘れていて、ファルマンがなぜか父親から指摘されて思い出したという。そんな11周年だった。
 それにしても「hophophop」にも書いたが、お盆期間中の台風10号の予測進路、マジでヤバくないか。海水浴は完全にもうあきらめたが、問題は野球観戦だ。マツダzoomzoomスタジアム、当該の試合は開催されるのだろうか。今回ずいぶんいい席のチケットらしいのだが、それは義父の勤める会社の福利厚生みたいなやつで、社員内での抽選で引き当てたもので、そこへ今回、妻とふたりの義理の息子という4人で行く予定になっているのである。もう嘱託という身分の義父が再びチケットを引き当てることは今後たぶんもうなくて、息子を持たなかった義父が、義理ながら息子たちと野球観戦ということができる千載一遇のチャンスであり、先日の世羅での受け渡しの際も、「観戦愉しみだな! 昼間っから行って練習見ような!」とキラキラした笑顔で言っていたので、それが台風で中止になったら、なんかさすがにかわいそうすぎて居た堪れない。そう思う一方で、義理の息子Aは、中止なら思いきり中止になってくれたほうがいいなあ、小雨が降ったりする中での、視界も悪い、ビールも美味しくない、風邪を引く恐怖に苛まれる観戦なんて本当に嫌だなあ、なんてことも思ったりする。さあどうなりますことやら。

妻子の帰省

 妻子が帰省する。わりと早い気もするが、暑さでろくに外へも出られない状況で、こちらでの夏の過し方をあぐねた結果である。それがいいと思う。向うへ行けば従妹もいるし(上の妹とその娘はさらに早く帰省しているのだった)、犬もいるし、ばあばが車でどこかへ連れてってくれもするだろう。
 今日はそれを途中まで送った。島根帰省の最近の定番となりつつある、3人の輸送において行きか帰りかどちらかの道程を義父と分け合うという例のパターンで、尾道の少し上、世羅まで僕の車で連れていき、当地の道の駅で義父母と落ち合って、そこで3人と荷物を受け渡した。片道1時間半ほどのドライブだった。子どもたちは約10日の僕との別離のことなんか、ぜんぜん気にしていないようで、実際たぶん世羅から、向こうの車は島根方面、僕の車は再び尾道方面の道へとそれぞれ分かれた瞬間に、子どもたちの頭の中から僕という存在はきれいさっぱり消え去ったろうと思う。そして10日間、本当にいちども思い出したりなんかしない。叔母や従妹や犬のことで頭はもう埋め尽くされていて、僕の入り込む余地なんてまるでないのだ。
 ああ寂しい。うん、寂しい。寂しくてしょうがない。昨日の夜から、目からなにかがちょちょぎれるな、なんだろう、なにがちょちょぎれてるんだろうな、と不思議に思っていたが、しばらくしてそれが涙なんだと気づいた。それくらい寂しい。とめどなく溢れる涙でにじむ視界で事故を起こさないように、サングラスをかけて、落語を再生して、フンフフーン♪とひとりのドライブを愉しんだ。
 家に帰る前に寄り道をして、たぶん寂しかったからだろう、とんかつ屋さんへ寄ってかつ丼を食べた。前日から昼はそう決めていたので、世羅で義父母たちが買って食べていた巻きずしは、たぶん寂しかったからだろう、きっぱりと断った。かつ丼はおいしかった。それで腹ごしらえをしたあとは、たぶん寂しかったからだろう、スーパー銭湯に寄った。これも事前に計画していて、タオルなどの準備もしっかりしてきていた(最近はプールやジムで風呂を済ませるため、出先用のそういうグッズが整っているのだ)。お湯はまあまあ気持ちよかった。ちなみにファルマンが「私たちを送ったあとはどう過すの?」と昨晩訊いてきたので、「かつ丼食べて銭湯行く!」と答えたら「堪能してんな!」と言われた。そう妻に感じさせる優しさ。翳りを見せない強さ。そのあとディスカウントショップに寄ったり、スーパーに寄ったり、たぶん寂しかったからだろう、けっこういろいろ寄り道をして帰った。
 帰ったら、子どもたちがドタバタしない、物を散らかしもしない、すっかり空虚になってしまった居間へ、哀しい隙間を埋めるように、ダンベルとかベンチとかメディシンボールとか、いろいろ置いた。ああ寂しい。これから1週間以上、これらを片付けることなく、好きなときに好きなように使えるのか。寂しい。寂しいなあまったく! 明日の労働終わりは牛丼食べてプールに行こうっと!

夏休みプール冷や中昼寝肉

 休日ということでプールに繰り出す。夏休みに突入してからの平日は、ファルマンと子どもたちで、ひたすら家および近所で過しあぐねているようなので、休日くらいは連れて出てやらなければならない。そしてなにより僕が、2週間前にも行った、屋外の、ロープがないあのプールにまた猛烈に行きたかったのだ。2週間前の3連休は、夏休み前のフライング的な営業だったのでだいぶ空いていたけれど、今回はたぶん混んでいるだろう、と思いきやそれほどでもなかった。人口とプールの比率がイメージとだいぶ違うのかもしれない。というわけで自由度の高いプールで悠々と泳ぐ。気持ちいい。屋外だと空を見上げたいので、背泳ぎの気分になる。真ん中のレーンから出発して、しかし背泳ぎなのでたぶんまっすぐは進めないだろうと思いながら泳いで、やがて壁に手がぶつかったのでここはどこだと思ったら、反対側の端じゃなくて、プールの中腹の横の壁だった。なるべくまっすぐ進むつもりが、猛烈な勢いで斜めに進んでいたのだった。それからポルガのクロールの練習を手伝ったり、ピイガのストイックなバタ足泳ぎの補助をファルマンがしたり、けっこう長い時間、戯れた。気持ちがよかった。夏は屋内プールで泳いでる場合じゃないな。
 そのあと買い物をしたり、お腹が持たない感じだったのでたこ焼きを買って食べたり、図書館に行ったりして、帰宅。たこ焼きは帰宅するまでの繋ぎだったので、それから急いで昼ごはんの準備をし、冷やし中華を食べた。冷やし中華気分が高まっているのに、近ごろ休日の昼に外食が続いていたため、ありつけていなかった。おいしくって気が済んだ。
 午後は久しぶりに昼寝なんぞする。プールで疲れきったわけではなく、もうそんなペチャンコ体力の僕ではないが、単純に寝不足だった。昨晩は、ちょっと前にテレビ放映した「万引き家族」をファルマンと観たのだった。「うわあ……」と何度か思ったが、全体的な感想としては、おもしろくもつまらなくもなかった。「誰も知らない」ほど悲愴なことにならなかったのでよかった。というわけで寝不足の解消のために1時間あまり寝た。なんだかんだでプール後の気怠さもあり、そんなときの午睡はやっぱり気持ちがいい。
 起きて夕飯の準備。準備といってもメニューは焼肉のため、野菜を多少切るだけ。ホットプレートで焼いて、もりっと食べた。夏休み、プール行って焼肉食べて、健全ですな。焼肉なのでビールも飲む。1ヶ月で6缶パックがちょうどなくなった。飲まなくなったものだ。

少し茫洋とした夏のはじめの休日

 土曜日の夜、義母がわが家に泊まった。三女とともに島根から出てきて、土曜日はそれぞれの友人と会い(世の中には、いま住んでいる土地はもちろん、いま住んでいない土地にも友人がいる人種と、いま住んでいない土地はもちろん、いま住んでいる土地にさえ友人がいない人種が存在する)、日曜日に祖父に会ったり祖母の墓参りをするという計画で、三女はその友人宅に泊まりさえするらしいので、宿泊は義母のみという段取りだった。もういまさら義母が泊まりにきたところで、なにがどうということもないが、わが家では客は居間に寝ることになるため、土曜の夜にテレビをだらだらと観てしまうことが強制的に回避され、寝室に持ち込んだ缶チューハイを飲みながら、粛々とハリーポッターを読んだりした。
 翌朝は、義母が買ってきてくれたパンを食み、三女の登場を待つ。義母らの移動手段は三女の車なのである。しかし神戸市立動物園の例が示すように、三女という人は午前中の行動にとてつもなくルーズな性分なので、なかなか来やしないし連絡もつかない。我々一家は祖父母のそれに付き合うわけではないが、行きがけにお昼ごはんくらい一緒に食べられたらいいね、などと話していて、そんなことをしつつ、祖父のホームに行ったり墓参りをしたりして、その後に島根まで帰ることを思うと、スタートは早いに越したことはないのだ。それなのに音沙汰がないので、一同でやきもきした。そのことにやきもきしながら、吉本がゴタゴタしていてやはりやきもきする「ワイドナショー」を眺めて過した。
 11時くらいになってようやく三女は現れ、慌ただしく出発。義母らの行先の道すがらにあるマクドナルドに寄った。こういうときはファストフードっきゃない。注文では、ファルマン家の人々はいつもそうして、そしていつも持て余す、「全員が全員セットを頼んでポテトが阿呆ほど集結してしまう」状態を、今回ももちろん作り出していた。何年も前からずっと繰り返している。なぜ学習しないのか。僕はダブルチーズバーガーとエッグチーズバーガーを単品で頼む。たんぱく質と脂質が多そうで満足感があった。
 食べ終えてマックの駐車場でお別れ。次に会うのは夏休みに我々が島根に行ったときだ。そんなのもうわりとすぐだ。それから我々一家は街へ出たついでにちょっとショッピングセンターなどに寄って、子どもらの麦わら帽子を買ったりして、帰った。
 帰宅後は、晩ごはんのお好み焼きの下準備を済ませ、ひとりフィットネスへ繰り出す。そしてそれなりに身体を動かした。ハンバーガーふたつ食べて、筋トレして、ちょっとは筋肉ついてくれないかな。「痩せるのはもういいから筋肉つけたい」と少し前に嘆いたが、数字的にはその頃からなにも改善していない。体重は相変わらず50キロを下回っている。もっと食べないといけないのか。でもいまさら夜にカップ麺は精神的な抵抗感が強い。
 お好み焼きはもちろんおいしかった。ちなみに子どもたちは金曜日が終業式で、夏休みに突入している。休日、フィットネスに行ってわりと逃げたりしつつ、思う。こんなものたちと、これから40日超、ずっと一緒に過すだなんて。どえらいことだ。本当にどえらいことだよそれは。

ダレない海の日連休プール

 連休2日目は、午前中は家で特に何をなすということもなく過し、初日にいきなりカラオケをやってしまったので後半ダレそうだな、という予想がぐっと現実味を帯びたのだけど、1日中そうしているわけにもやはりいかないので、昼食のざるそばを済ませたあと、すぐに買い物へと繰り出した。
 目的地はニトリ。買ったのは、10キロの米が入る米びつ、びりびりに破れてしまっていた子ども部屋のレースカーテン、ステンレスのものをネットで買ったらぜんぜんダメだったピンチハンガーという、生活臭の横溢する3点。それから家具売り場にも行って、ダイニングセットを眺める。現在、わが家は座卓で食事をしているのだけど、その座卓が微妙な高さのせいか、子どもたちの行儀がとてつもなく悪く、注意をするのだけど、毎日、毎食、同じことを注意させることに本当にイライラしてきて、一緒に食事をするのが苦痛になってきたため、ここらでひとつテーブル食卓へと回帰しようという話になった。それで、もともとの椅子は4脚とも処分してしまったので(テーブルは現在ほぼただの台として使用していた)、ベンチシートをふたつ買おうということになり、そんな目で売り場を眺めた。しかしそこまで差し迫った動機でもなかったため、家のテーブルの幅を測ってくることもしておらず、眺めただけで終わった。そのあとスーパーにも立ち寄り、帰宅。
 なんだかこうして書くと、やっぱりこの日は大したことをせずダレていたように思えるが、ニトリもスーパーも収獲としては上々で、当人としてはそこまでもったいないことをしたような感覚はない。
 晩ごはんは、別に慶事があったわけでもなんでもないが、ちらしずし。前に買ってあった混ぜるだけのやつと、干し椎茸を自前で煮詰めたものを混ぜ、海老と玉子とアボカドを乗せた。玉子は、これまでちらしずしは錦糸玉子一択だったのだけど、ちらしずしの素のパッケージでは、厚焼き玉子を賽の目に切ったものがちりばめられたりしており、ちょっとそっちのバージョンもやってみようと思い、今回はそうした。これはこれでなかなかおいしいと思った。それぞれの良さがある。
 3日目の今日は、ようやく天候が雨まじりのそれでなく、きちんと晴れたので、プールに繰り出す。プールはいよいよ本格的なシーズンに突入し、この3連休から屋外プールがオープン、という所が市内にいくつかあった。それにしても海の日にプールというのは、正しいような、外しているような、微妙な感じだと思う。どちらにせよ海の日という祝日の日取りはちょっと前のめりで、けっこうまだ梅雨が残っている年が多い。この3連休からオープンで、そしてこの3日目にようやく晴れたので、さぞや人が多いだろうと覚悟していたら、まあほどほどくらいの人の入りだった。屋内の25メートルプールと、屋外の50メートルプールがあり、ファルマンが子どもを見てくれている間、50メートルをひとりで泳ぐ。深さはなかったが、レーンが多く、しかも区切りのロープがない、とても自由で広々とした空間で、人も少なく、水は陽射しでキラキラと輝き、その贅沢さに感動した。クロールだと真下しか見えないのであまり意味がないのだが、平泳ぎでは水中空間の広大さに興奮し、背泳ぎでは光と水の気持ちよさに心酔した。とても幸せな時間だった。屋外50メートル、半端ないな。また行きたい。さすがに今後はちゃんと混むのかな。
 帰宅して昼ごはんを食べたあとは、さすがにプールあとの倦怠感もあってのんびりと過した。ファルマンはだいぶくたびれていた。わが家の体力がない人ランキング、完全に最下位が入れ替わったな。毎夏常備する栄養ドリンクも、ファルマンばかりがひたすら飲んでいる。
 晩ごはんは買って帰った焼き鳥と、大根とゆで卵の煮物、みそ汁。子どもたちの行儀が悪く、心底うんざりする。3連休中、食事の行儀と、うるさいことと、ドアを閉めないことと、出したものを片付けないこと、それらを叱ってばかりだった。それらさえ守れば別に一個も叱らないだろうに、3連休でひたすら、何度同じことで叱っても、次に叱るときには「そんなことは初めて聞いた」くらいに改善されないので、いよいよ嫌になる。

音楽の日

 金曜の晩、ハリーポッター第3巻、アズカバンの囚人を読み終える。また10日を要した。でもその10日間の内訳は、前半の3分の2に8日、後半の3分の1を2日という感じであり、ここに来てようやく今回の僕のハリーポッター読書に火が点いた感がある。後半ぐぐぐっと引き込まれ、とても愉しかった。思えば今年はおもしろ読書体験がここまでほぼ皆無で来ていたので、久しぶりで嬉しい。感想をファルマンに向かって話したら、やっぱりしたり顔をされ憎たらしかった。次の巻からは上下の分冊となる。火が点いたとは言え、じゃあひとつの巻を読むのに半月は掛かりそうだ。しかしそんな遅いペースながら、とにもかくにも続けて読んでいるため、さすがに主要な登場人物の名前は忘れることなく読めているので、そういう意味では心地がいい。シリーズ物で、誰が誰なのか分からなくなるの、本当に不愉快だから。あの当時、毎年新刊が出るごとにみんな大騒ぎして買って読んでいたけど、こうして全巻揃ってから読むほうが絶対的に正しかった。あと今回の内容に関して、ネタバレとは無関係の感想を言うならば、箒の性能でそんなに差がつくのはスポーツとしてどうなのか、と思った。
 翌日土曜、すなわち本日からは、貴重な3連休である。3連休だからあそこへ行ってあれをしよう、という壮大な計画は特にないのだが、カラオケに行こうという話はあって、そしてそれを今日の午前に早くも実行した。数少ない予定をこんなに早くも使用してしまって大丈夫なのか。後半ダレないのか。まあ間違いなくダレる。
 唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、槇原敬之「もう恋なんてしない」。なんとなく次カラオケに行ったとき唄おうと思ってメモしていて、でも1曲目じゃなかったな、と唄ってから思った。
 2曲目、夏川りみ「涙そうそう」。これも順番を間違えた。もっと後半にしっとり唄いたかった。あと自分が思っているよりテンポが速く、もっと溜めたかった。
 3曲目、ピンクレディー「サウスポー」。これは時事歌唱。中日ドラゴンズの応援歌の「お前」問題を受けて。もちろんそっちの替え歌の歌詞は知らないので普通に唄う。ここまでの2曲に較べ、声が伸びる感じが我ながらすごくあった。やっぱり阿久悠だな。これをまず唄えばよかった。
 4曲目、JUDY AND MARY「そばかす」。これもちょっと前にカラオケで唄おうと思ってメモしていたもの。最近ちょうど「なぜ再結成しないのか?」みたいな下世話な記事が出ていた。いまさらせんわな。
 5曲目、相内恵、ヤングフレッシュ「とんちんかんちん一休さん」。これはブログクロス連載小説「俺と涼花」で爆誕し、僕とファルマンの間だけで大ブームとなっている「わからんちんぽこどもとっちめちんぽこ」の盛り上がりを受けての歌唱。リモコンで予約入力をすると、画面上に曲名が出るのだが、それだけでそのとき鬼束ちひろを唄っていたファルマンは爆笑し、しばらく歌が中断してしまった。唄う際は、少し細川たかしのことも頭に入れつつ、気持ちよく唄った。問題の「わからんちんどもとっちめちん」の部分は、さすがに娘たちもいるため、「わからんちんふふ、とっちめちんふふ」くらいに、ぼかして唄った。
 6曲目、桜田淳子「はじめての出来事」。久しぶりの桜田淳子。唄いやすい。
 7曲目、日向坂46「キュン」。日向坂に関しては、入れ込みもせず、もちろん嫌悪もせず、とてもフラットな気持ちで眺めている。そろそろ36歳で、もういよいよ女子高生らへんがモチーフのアイドルに、心が乱されなくなったのかもしれない。そう考えるとちょっと寂しい。
 8曲目、水森亜土「ワイワイワールド」。曲そのものが愉しかったし、映像がアラレちゃんのアニメで、アラレちゃんは思っていた以上にかわいかった。なんかグッズが欲しいなとさえ思った。太縁眼鏡で紫色の髪って、すごくしゃれたデザインだな。
 9曲目、北川理恵「キラリ☆彡スター☆トゥインクルプリキュア」。子どもたちは最近もうだいぶ今年のプリキュアに対して熱が下がったので、子どもとのデュエットでもなんでもなく、ひとりで唄った。ひとつのアニメを1年間見続けるのってけっこう難しいんだな。結局ピンチになって変身して倒すだけだしな。
 10曲目、SPEED「ALIVE」。これは以前にもいちど唄った。いちど唄った歌って、間が空いていてもけっこう飽きている。それを思うと歌手ってすごい。だからあんなファンがぜんぜん求めてないアレンジをしたりするのか。前回もやったが、語り部分を「愛は生きてる。女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある。アライブ」と言い換えるのはやった。これはちんぽこと違ってまだ子どもに意味は分からんだろうという判断。果たしてそこまでしてやる必要があるのか。
 11曲目、プッチモニ「ちょこっとLOVE」。これは本当はファルマンが入力したのだが、曲名が表示されたのを見て、そう言えばその時事があったじゃないか、と思い出して、一緒に唄わせてもらった。俺のモーニング娘。の推しは、参議院議員の比例代表候補者(公職選挙法に抵触するので伏せる)から始まり、辻になり、そして紺野で終わったのだよな、と懐かしく思った。
 12曲目、嵐「A・RA・SHI」。ジャニー喜多川氏が亡くなり、ジャニーズの歌を唄わないわけにはいかないだろうと思い、しかしなにを唄えばいいのかなかなか思い浮かばず、悩んだ末にこのセレクトとなった。間違えたような気もする。嵐を初めて唄った。サクラップの部分はファルマンにやってもらった。ところでポルガは先日学校で、嵐を知らなかったことをみんなに驚かれたそうだ。そう言えばポルガは嵐のことなんて知らないだろう。小3女子でそれって珍しいのか。いまどきそんなこともないんじゃないか。昔ほどメディアはテレビ一辺倒ではないのだし。いわゆる「変な家」じゃ、ない……よな?
 13曲目、はっぱ隊「YATTA」。終わりのときが近付いて、この曲のひとつ前、ファルマンが最後に入力したのがエキセントリック少年ボウイの「ああエキセントリック少年ボウイ」だった(日曜8時50分のあの気持ちがよみがえって切なくなった)ので、じゃあそれに対抗するにはこれだろう、ということで選曲した。これは我ながらいいセレクトだった。同じ日曜8時で、エキセントリック少年ボウイは中学時代、笑う犬は高校時代である。切なくて、明るくて、どちらにしろ十代の日々が濃密に思い出されて、大笑いしたあと涙がちょちょぎれそうになった。
 そんな感情を揺さぶられた、盛りだくさんのカラオケだった。あと1曲ちゃんとは唄わなかったが、先日「アメトーーク」で永野がやっていた「嫁に来ないか」のイントロ芸もやったりした。ファルマンがこれに異様にハマり、我が家で永野ブームが起ろうとしている。
 そのあと100均と図書館に寄って帰宅後、僕だけフィットネスジムへ繰り出し、ひと汗流す。運動がすっかり生活の中に組み込まれた。そして体の調子がいい。やんなるくらい健康だ。生きているからハッピーだ。
 晩ごはんは、ホットプレートでチーズダッカルビ(のようなもの)を調理した。なんとなくそんなものを食べたい気分だった。思ったほどチーズは伸びず、子どもたちの辛さ対策のために蓋を閉めて蒸し焼きにする直前に落とした卵はタイミングを逃して黄身が固まってしまったが、それでも美味しかった。せっかくなのでビールも飲んだ。めったに飲まなくなったビールだが、飲むとなるとわくわくするし、実際に飲むとやっぱり美味しい。別れた伴侶と今はただのいい友達(セフレ)ってこんな感じかな、という距離感。
 今夜はこれから、アズカバンの囚人の映画を観る予定がある。ぜんぜん知らなかったのだけど、ハリーポッターって実写映画化されていたらしい。それで、まあここまでの2作は別にいいので(特に1作目は2、3回観たような気がするし)、この巻からは読了後に観ていこうかな、と思った。しかしこの日記を22時までに書き終える予定だったのだけど、だいぶ押したな。どうしようかな。2時間以上あるのかな。でも明日も休みだしいいかな。やっちゃうか。

夏の入り口

 休日。先週よりにわかに始まった梅雨が、まるで早くも明けたかのようなピーカンだったが、明日からはまたちょっとグズつくらしい。気象庁は1ヶ月予報を、10日前くらいに発表していたものから修正し、「すごく暑くなる」と言っていたものを、「そんなに暑くならない」としたそうだ。そんな場当たり的なことでいいのか。怒っているのは僕だけなのか。
 ショッピングモールに繰り出した。ファルマンがこのたびタブレットを新しくして、本体はネットで買ったのだが、それを普通に使えるようにするためにお店でなんやかんやしてもらわなければいけない(僕はここらへんの仕組みをぜんぜん理解していない)というので、それが主目的。受付および作業時間でそれなりに待ち時間があったが、そういうときモールは便利だ。適当にショッピングをしたり、ソフトクリームを食べたりして過した。なにより涼しいのがいい。
 作業が終了して受け取ったときにはもう正午を過ぎていたので、これで帰って昼ごはんを準備するのはきついな、空腹で車内の空気が悪くなっていい結果にならないな、と判断して回転ずし店に寄った。2週連続で外食してしまった。すしは夏場のわりにはおいしかった。もっともこちらとしても、夏だの冬だのが関係あるような、素材で勝負するような品目はそもそも取らないのだけど。あとラーメンを食べたい欲求があったので(帰り道にいいラーメン屋が思い浮かんだならそっちに行っていた)、いまどきの回転ずし店お決まりのラーメンも頼んだ。しかし期待していたような鶏ガラのあっさり醤油ラーメンではなく、煮干し系のコク(というよりは雑味)のあるタイプのやつで、がっかりした(家でラ王を食べるのが正解だった)。
 帰宅して、今日のショッピングモールの目的のひとつだった、居間の蛍光灯の替えを買うのをすっかり忘れていたことに気づき、仕方なく近所のディスカウントストアにすぐに買いにいった。居間の照明はこれまで橙色に光るものを使っていたのだが、買った直後は「おお」と少し感動があったものの、鮮やかさに欠けるし、写真を撮るとカラーバランスがおかしなことになるしで、いちどで懲り、今回はオーソドックスな昼光色を買った。設置してスイッチを入れたら、すっきりとしていてとてもよかった。おとといから明らかに光のパワーがなくなったのだが、夏に本格的に入る前に脱出できてせいせいした。
 そのあとは先週に引き続いて、ヘアバンドを作った。今週、作ったものを実際に着けてジムへ行ったら、終了後は全体がぐっしょりするほどに汗を吸っていて、いい効果が得られたので、カラーバリエーションを増やすことにしたのだった。実際は2本あれば十分なのだが、そこはほら、パンツだって3枚あれば事足りるのに、もっとたくさん持っているものだろう。そういうことだ。先週は赤と紺だったので、今日はショッピングモールで買ってきた、深緑と黄色で作った。愉しかった。出来上がったものをファルマンが頭に巻き、「みんな、ぜったい勝とうね」と体育祭における女子のモノマネをし始めたので、「うっせーな、お前ははしゃぐなよ」と、イベントだからってふだん地味系の女子がテンションを上げているのがウザい男子のモノマネで反応したら、心の古傷がえぐられたのか一瞬で涙を流しはじめたので驚いた。そんなに当時のことがまだ生傷のままで生きているのかこの人は。泣いた本人もびっくりしていた。
 晩ごはんは、豚肉を素揚げしたものにさっぱりとしたタレをかけたもの。ちょっと前にテレビでそんなものを観て、美味しそうだと思ってやってみた。やり方が悪かったのか、揚げたら肉がキュッと縮まり、メインのわりにショボい感じになったので残念だった。味は悪くなかった。あと野菜をたっぷり入れたみそ汁と、とろろ。豚肉の素揚げととろろをかけたごはんが合った。しかしとろろってこうして字面に表してみると、本当にすごいネーミングのものだな。ふざけてんのか。
 夜、ファルマンにヘアカラーをやってもらう。前回に明るいアッシュ系をやって、なんとなく金髪寄りの、あまり期待していたようなマットな感じにならなかったので、今回は路線を変えて、ピンク系のものにしてみた。さらっと言ったけど、なにピンク系のヘアカラーをやってみてんだろうな、俺は。それで仕上がりはどうなのかというと、金髪寄りだったのが、いまのところオレンジ寄りの茶髪になった、みたいな感じ。まあ日が経つとけっこう変わるので、この時点では判断がつかない。ピンク要素がもうちょっと出てきてほしい。

なかった6月の終わり

 雨の日曜日。レジャーを計画していたとかは別にないので、なんの問題もなかった。
 午前中に車で出掛け、まずは手芸屋へ。ちょっと久しぶりに手芸屋に行った。暮しの中で作ろうと思うものが浮かぶと、家にも布はある(ファルマンに言わせれば「腐るほどある」)のだが、やっぱり「それ」をイメージした「それ」用の布を買わねば、となる。そして買った布をそのつどすべて使い切るわけではないので、手芸をする以上、家にはどうしたって布が増えてゆくのだった。今回は作ろうとしているもののイメージがはっきりと定まっていなかったため、布のセレクトに往生したが、とりあえずひとつを選んで購入した。
 そのあとは100円ショップに行き、図書館に行き、昼ごはんにうどん屋でうどんを食べ、最後に食料品の買い物をして帰った。なんとも実直で平凡な休日だな。それぞれの場所で求めていたものが手に入ったので、外出の出来としてはなかなかよかった。
 昼ごはんを食べて帰宅したので楽だった。晩ごはんは久しぶりにミネストローネを作ることにしたため、面倒にならないうちにやってしまう。野菜をわんさか刻んだ。野菜はこのところまあまあ安いのが続いている。ここまでの2ヶ月ほどはだいぶ雨が少なかったが、それは農業にとってはぜんぜん困らない仕組みになっているのだろうか。逆に雨が続くと途端に値段が上がったりする。現代の野菜作りに降雨はまったく必要ないのかもしれない。
 それから、やるかどうするか大いに悩んだが、せっかくの休日なのだからということで発起し、先ほど買ってきた布で目的のものを作ることにした。
 目的のもの、それはヘアバンドである。自分用の。違う。そういうことじゃない。とうとうヘアバンドとかスカートとか、そっちのハードルを乗り越えてしまったというわけではない。もしそうだったら、それは最近の筋トレの流れに反していて、いよいよわけが分からなくなるだろう。そうではなくて、これもあくまで筋トレに付随するアイテムで、汗止めのためのヘアバンドというわけである。ランニングマシーンで走ったりすると、汗がとめどなく流れて目に入るので、汗止めが欲しい、必要だ、ということになっていた。あのサッカー選手とかが着けてる細いタイプのやつ。それで最初はアマゾンとかで買おうと思っていたのだけど、大きさがフリーサイズしかなくて、僕は帽子だとフリーサイズという謳い文句のものが入らなかったりするのでネットで買うのが怖く、どうしたもんかと悶々とした末に、そうだ自分で作ればいいんじゃんか、それなら布の色柄だって自分の好きなものでできるんだし、と思い至り、ハンドメイドすることにしたのだった。
 その作り方は、ネットで検索しても適当なものが出てこなかったため、とりあえず細く長く切った布を縫い合わせて紐のようなものを作り、その両端にゴムを縫い付ければいいんじゃないかなー、と見切り発車で作りはじめた。かくして出来上がった、買ってきた布の幅そのままの110×1.5センチほどの紐を、試しに額に当ててみて、まずは首の後ろでちょうちょ結びでいいか、と装着してみたら、なんか思った以上にそれでしっかりと固定され、さらにはバックショットがリボンみたいでかわいくなったので(ただしくれぐれもハードルを乗り越えたわけではない)、あれ? ゴム要らないんじゃね? これで完成なんじゃね? となって、両端の開口部を中に折り込んで全体にコバステッチを施し、それで完成とした。つまりは、紐である。あるいはリボン。あまりにもただそれだけのものなので、写真に撮って「nw」にアップするほどのものでなさすぎるため、こうしてこの生活日記ブログのほうで扱った。でも手作りなのでやっぱりなかなか愛着がわく。買った布は赤に白の細かいドット柄。それを作ったあと、興に乗って、洗い替えも必要なのではないかと、家にあった青に白の小花柄の布でも同じものを作った。これからはこれを着けてトレーニングをしようと思う。嬉しい。愉しい。
 それから夕飯。ミネストローネの他に、鯖の水煮缶とじゃがいものグラタン、カツオのたたきというメニュー。とても分かりやすいたんぱく質強化メニュー。
 まあそんな感じの1日だった。6月が終わる。5月は長かったが6月は短かった。5月の終わりに改元のあたりの日々を思い返した感触と、いまそれを思い返した感触が、ぜんぜん変わらない。つまり6月なんてものは存在しなかったのかもしれない。

のんびり土日

 土曜日の午前、とても久しぶりにイオン岡山へと繰り出す。1年にいちど行くか行かないかくらいのペースでしか行かない。行くとそのたびに、駐車場の料金設定が甘くなっている気がする。とうとう休日でも無条件で最初の1時間無料になった。切迫してるのか。
 今回わざわざここへやってきたのは、ピイガのランドセルを物色するためだ。ひとり目のときより熱が低いと言っておきながら、なんだかんだで毎週末こうしてラン活してしまっている。とっとと済ませてしまいたい。先日ネットで「これなんていいんじゃないか」となったものがあって、しかしこれまで行った店には当該の商品が置いていなかったので、イオン岡山なら売り場がたしか大きかったし、あるんじゃないかと期待をしていた。ところが結果として置いていなかったし、ランドセル売り場が大きいというのも勘違いで、拍子抜けの収穫に終わる。ピイガは色とりどりの商品が並ぶ売り場に行くと、必ずラメラメのピンクや水色やラベンダー色に目を奪われて、こちらが試着を求める茶色や小豆色を忌避するようになるので、なんかもう売り場に連れてこないほうがいいんじゃないかという気がしてきた。このままだとさんざんかわいらしいものを見せられた挙句、ピイガの希望にそぐわないものが強制的に与えられる、ということになりそうだ。だってラメラメのラベンダーはダメだろう。小豆色がいいよ。6年間のトータルで考えて、本当にそれがいいと思う。そして幼稚園年長の幼女にそれを理解してもらうのは不可能である。ここがラン活の難しさだ。なんださっきからラン活って。阿呆か。それにしてもランドセルの値段は、イオン岡山の駐車料金設定が年々下がるのに対して、こちらは年々上がっているのではないか。どうも売り場全体の値段設定が、わずか3年前のポルガの時より、じわじわと上がっている気がする。気がするというか、確実だ。でも仕方ないことか。子どもの数がじわじわ減っているんだもんな。売れる全体数が毎年減る以上、売上高をキープするにはひとつひとつの値段を毎年上げるしかないんだろう。切ない。人口減少社会の、じわじわとした切なさを垣間見た。
 ランドセル選びが不発に終わったあとは、それ以外の細々とした用件もことごとく不発で、さらにはモール内移動の疲労感も出てきたため、長居せずに帰ることにした。イオン岡山ってなんかいつもこんな感じで、そしてまた1年くらい行かないのだった。
 昼過ぎに帰宅。ざるうどんで昼ごはん。そのあとは各自めいめいに過す感じだったので、僕は夕飯の下拵えを済ませ、フィットネスジムに行った。アクティブ。
 晩ごはんはそぼろ丼。そぼろ丼、簡単だし、あらかじめ作っておけるし、子どもは喜ぶし、鶏のひき肉(むね)は安いしで、最強の献立なんじゃないかという気がしてきた。メニューに悩んだときはとりあえずそぼろ丼ということにしようかな。
 明けて今日は、特に用件も予定もなかったので、のんびりと寝坊したあと、午前中に僕ひとりでプールに出掛けた。本当に、やけにアクティブな人間になったな。行ったのは以前に行って感動した50メートルプールのあるプールである。やはり長く、広く、深かった。30分ほど泳ぎ、もちろんそれなりに気持ちよかったが、最近どうも4月らへんの泳ぎはじめた頃より、泳ぐのが下手になってきている感があるのだった。この原因については、もしかすると体が絞られた結果、浮力が落ちたのではないかと睨んでいる。本当かよ、思い込んでるだけだろ、そこまで絞られてねえだろ、とも一方で思うのだが、なんかこのところ「悠々と」泳げないでいるのは事実だ。どうしたものか。別にどうもせんのんだけど。
 帰宅後、焼きそばを作って食べる。休日の昼ごはんと言えば焼きそばだ。おいしい。
 午後は家でのんびりと、ハリーポッターを読んだりして過した。それで第1巻をとうとう読み終えた。10日くらいかかった。ハリーの、自分はなんにも知らされてなかったけど実はすげえ奴で、ある場所に行ったら俺フィーバーだったぜ、という設定には心が躍った。たぶん俺もそうだと思う。もう35歳で、ちょっと声が掛かるのが遅い気もするが(ハグリット早く来い)、そのうちホグワーツに連れていってもらえるんだと思う。でもホグワーツは4つのクラスが敵対していて、同校の卒業生である教師たちが、あまり隠そうともせずに自分の出身クラスを贔屓し、ライバルクラスのポイントを減らしたりするので、中学の内申点制度みたいのが本当に嫌で反発ばかりしていた僕には厳しいものがありそうだとも思った。続けて明日から第2巻を読みはじめようと思う。
 晩ごはんは手羽先とニラの中華スープと、昨日のそぼろの残りをきのこや玉ねぎとともに卵でとじた親子煮(の亜種)など。おいしかった。
 そんな感じで、2日間それなりに単独行動もでき、かつ基本的にのんびりと過せ、いい週末だった。

ランドセルと父の日

 6月の第3日曜ということで、父の日だった。なにを隠そう僕は2児の父親である。とは言え別に期待とかはない。誕生日に関しては祝われたい欲が強いほうだが、それゆえか父の日というふわっとした記念日にまで熱は及ばないのだった。
 午前中に買い物に出た。ニトリで子どもの夏用まくらを買い、そのついでにピイガのランドセルを物色した。典型的なパターンのやつで、ひとり目のときに較べてランドセル選びへのパッションは著しく低くなっているのだが(ランドセルなんて機能的に結局どれも大差ない)、ぼちぼち購入を意識しはじめ、ランドセル売り場があるお店などではちょっと背負わせてみたりしている。たぶんニトリでは買わないだろうとは思うのだが、色がいろいろとあったので試させてもらった。その結果、やっぱりピンクか、あるいはキャメルあたりがいいのかなあと思った(たぶん本人がキャメルは許容しないだろう)。このときポルガも無意味にいくつも試していたが、そのうちのひとつ、濃紺のものを背負ったときに、僕もファルマンも「あっ……」となった。しっくり来過ぎていたのだ。ポルガはオーソドックスな赤いランドセルを使っていて、別にそれに違和感があるわけではなかったが、濃紺の嵌まり具合と言ったらなかった。いま3年生のポルガが異様に少年っぽいというのもあるかもしれない。3年前の夏に濃紺を選ぶ勇気はなかった。
 そのあとショッピングセンターへ移動する。ここでもランドセルを売っていたので物色した。ここにはニトリにはなかった白いランドセルがあり、ほほー、と思った。白いランドセルなんてこれまで考えたこともなかったけど、けっこう清新でいいものだった。しかしファルマンに「汚れるよ」と一蹴された。そうか。それはそうだろうな。ちょっと憧れるけど、6年だもんな。しかし実子の学用品選びの話のときに言うのもなんだが、白ランドセルって白スク水に似た幻想性がある。スク水がテーマの美少女ものでは、女の子の中のひとりは必ず白スク水なのだよな(そしてもちろんすぐ透ける)。
 帰宅後、午後は家でだらだらと過した。子どもがうるさかった。子どもってどうしてこんなにうるさいんだろう。うるさい音がもともと苦手というものあるが、子どもたちのうるささに晒されると、もうそこから先はなんにもできなくなる。どうすればいいんだろう。おやつに、昨日3人でプリンを作ったそうで、それをいただく。おいしい。子どもたちから手紙ももらう。手紙と言いつつ中編小説のような内容の冊子だった。すごい文章量だった。
 晩ごはんは鮭の炊き込みご飯、油揚げと玉子の煮物、長芋とたらこのサラダ。おいしかった。

運動をして肉を食べる一家の健全週末

 週末をのんびりと堪能したような、別にそうでもないような。
 土曜日の午前は子どもたちを自転車外出に連れ出してやる。まあまあ暑かったけど、暑くてしょうがないというほどではなかった。ポルガの運動会があったあの週末以来、暑いは暑いが、最高気温32度みたいな阿呆なことにはならない日々が続いていて悔しい。自転車を走らせる並木道は、車はもちろん来ないが、人や自転車の往来はあるので、「道の左側を走りなさい」ということを指導するのだけど、娘たちはふたりともすぐにそのことを忘れるのだった。片道20分往復40分ほどの間に、合計12回くらい言ったと思う。俺は左おじさんか。さらには道の真ん中らへんに来てしまっているので「左に寄りなさい」と言ったら右に寄るというパターンもあり、そんなところはファルマンにそっくりだと思った。
 昼ごはんはそうめん。冷やし中華に遅れること1ヶ月あまり、今年初そうめんである。こちらはこちらでおいしい。特にひと口目がおいしい。無上においしく思う。5口目くらいからはもうおそんなにおいしくない。この落差はすごい。ならばコース料理でひと口サイズのそうめんが供されればいいのかと言えば、そんなことも決してないだろうと思う。そんなにおいしくないたっぷりのそうめんがまだ皿にあるから、ひと口目が異様においしいのだ。蟻の2割は常にサボっている、という話を思い出す。8割のそんなにおいしくないそうめんがあるから、2割のそうめんが輝く。
 午後は晩ごはんの準備を済ませたあと、近所にある公共のフィットネスジムへとひとり出掛けた。プールの延長線で、とうとうそっちへも進出してしまう。俺の今年の肉体改造への情熱、とどまることを知らない。そのうちさらっとフットサルなんかやり出すんじゃないか。ジムでは走ったり筋トレをしたりした。トレッドミル(ランニングマシーン)というものを、生まれて初めて体験する。愉しかった。20代の頃は、必要性を感じなかったというのもあるが、それ以上に肥大化した自我によって、こんな施設には足を踏み入れなかった。それが今は丸くなり、正直に「初めてなんです」と伝えて、マシンの使い方も臆せず教えてもらえるようになった。なんだか生きやすくなったな。年を取るのも悪くない。
 いい汗をかいて帰宅。晩ごはんはビーフシチュー。午前中の散歩ついでの買い物で、ガーリックフランスが安く、そこから起草してメニューを決めた。もちろん市販のルーを溶かすだけの、ぜんぜん本格的じゃないやつ。滅多に作って食べるものではないが、やってみたら想像通りの味で、それなりに満足した。カレー:クリームシチュー:ハヤシライス:ビーフシチューの発生確率は、75:18:5:2くらいの比率かなと思う。次のビーフシチューの発生まで、カレーが38回なされる計算。
 翌日の今日は家族で外出。プールへ行く。僕が会員になっているプールと、前に行った50メートルプールがあるプールと、今日はまた別のプールだ。せっかくだからいろんなプールに行ってみようぜという思いと、あとプールのあとの用事の繋がりなんかを考慮して、そういうことをする。わりと盛況していて自分の泳ぎはほとんどできなかったが、ここでがつがつする必要がないほど平日に泳いでいるので別にいい。ポルガの泳ぎは、成長しているような、していないような。ちなみに小学校の授業でも週明けからプールが始まるらしい。しかし小学校のプールの授業って、どういうことをするんだっけ。スイミングってできる子とできない子の差が激しいだろうに、どう授業を進行するのか想像がつかない。
 プールのあとは少し買い物をして、それから吉野家の牛丼を買って帰る。ぜんぜん想定していなかったが、泳いで一家全員お腹はペコペコだったし、タイムリーにテイクアウトが割引中だったので、もう牛丼以外に考えられなくなった。帰宅して食べたら夢のようにおいしかった。どんぶり飯をがつがつがつ、とかっくらった。午前中に泳いで昼食に牛丼って、健全か。気持ちのいい青年か。
 午後は僕だけ近所のスーパーに買い物に行ったり、今日買って帰ったファルマンのパンツの裾上げをしたりした。晩ごはんはビーフシチューの残りと、ガーリックフランスの残りと、あとパンがそこまで残っていなかったので、きのことバターでごはんを炒めたものを出した。ビーフシチューに合ってなかなかおいしかった。
 まあそんなようなところの週末。ちなみに今日は6月9日。なんとなく焦燥に駆られるというか、こうしちゃいられない気持ちにさせられる日付。

図書館本の未返却の顛末

 先日、図書館の返却ポストに入れた本のうち、1冊だけ返却済みにならないものがあって、貸出データを見て返さなければならない本を家中から集めて返しているので、返したはずなんだけどなあと思いつつ、家のどこを探してもないし、車を隅々まで探しても見つからない。でもやっぱり絶対に返してるはずだ、たぶんあっちのミスで、返却処理をしないまま棚に並んでるのだ、と考えて開館日に行って棚を見たのだがやはりない。こうなるともう考えられるのは、車から本を持ち出すときに道に落としたくらいのパターンしかなく、夜だったし、しかも装丁が黒い本だったので、そんなこともあるかもしれない、しかし図書館の前に車で乗りつけて返却を行なったわけで、そのあたりに図書館の本が落ちていたらば親切な人間が拾ってポストに入れてくれたっていいじゃないか、などと思った。とは言え紛失は紛失だ。いよいよ弁償か、と思った。いよいよ、というのは、これまで家族の分も含めると、たぶん何千冊も図書館の本を借りてきたが、延滞こそすれ、紛失したことはいちどもなかったからだ。折りしもDeNAベイスターズのロペス内野手が、プロ野球記録である一塁手連続守備機会無失策を1632でストップさせたタイミングであり、僕の無紛失記録もここで途絶えるのだなと思った。それでカウンターへ行って、「家をすごく探したけどこの本がどうにも見つからない」ということを訴えた。すると職員は、「まあもうちょっと探してみてください。1ヶ月くらいは皆さんに探してもらってるので」とのことで、猶予が与えらえた。とは言え猶予を与えられたところで探す所はもう探しちゃったしなあ、と思っていた矢先、ウェブで利用確認ページを開いたら、当該の本の貸出しが消えていた。来たよ、と思った。なんとなく怪しいと思っていたのだ。だってたしかにデータを確認して本を取り揃えて返却ポストに入れたんだもの。そしてその夜の返却ポスト内は、その日が休館日だったこともあり、けっこう本がムチムチに詰まっていたのだ。だからその本は返却ポストの中の、本を受け止めるカゴからはみ出て、返却ポスト部屋のどこか見えにくい場所へと紛れてしまっていたのだと思う。それが数日の時を経て、ようやくシフトが回ってきた視野の広い職員によってピックアップされたのだ。絶対にそういうことだ。それ見たことか、と思う。なにが「もうちょっと探せ」だ。ブーメランだ。探さなければならないのはあなたたちだったではないか。ああ悔しい。ファルマンとふたりで重たいベッドのマットを持ち上げたりもしたので、もう既に家になかった本を探すために、こちらはすごい労力を費やしたのだ。まるっきり無駄の。悔しい。そして図書館側は、開館前の朝、返却ポスト部屋にて見つけたその本を、決してそんなふうには認識せず、ただ前夜のうちに返されたのだなとしか思っていないに違いないところが悔しい。

カラオケ公園餃子

 久しぶりのカラオケ。前回を見たら3月だった。じゃあ令和初だな。令和初と言えば、僕のLINEには令和になってから、妻、母、姉以外の人からまだ1回もメッセージが来ていない。僕のLINEの対外関係は未だ平成から抜け出せていない。いったい誰が令和初の栄誉を手にするのか、そしてこの記録はどこまで伸びるのか、とても気になるところだ。
 唄ったのは以下の通りである。
 1:「お嫁サンバ」(郷ひろみ)。本日のこけら落としはひろみ郷。この曲っていかにもひろみ郷らしい頭からっぽな感じでとてもいい。
 2:「青春時計」(NGT48)。もうだいぶ遅いと言えば遅いのだが、時事歌唱。そもそもこのデビュー曲しか知らないのでこれを選んだ。冒頭のラップ部分で、いちどもこれを聴いたことがなかったファルマンが目を見開いたのがおもしろかった。
 3:「パンダ・ダ・パヤッ」(井上広美)。職場にパンを売りに来るトラックが、この曲をかけて現れるので、いつ訪れるとも知れない職場仲間でのカラオケの際にこの曲を唄ったら大爆笑なのではないか、と目論んで唄った。いつ訪れるとも知れないのに、そういう下準備だけは意気込む。
 4:「Butterfly」(木村カエラ)。これも、差し当たって誰かが結婚するわけではないのだけど、いざというときの素養として唄えるようにしておこうと思って唄った。結婚のお祝いの席で「バタフライを唄います」と言って、これじゃなくて倖田來未のほうを唄うというギャグもアリかな、と思う。
 5:「どうにもとまらない」(山本リンダ)。これも時事歌唱。三木谷社長の車と接触したのに停まることなく走り去ったということで、これは今週の出来事なので早い反応をすることができた。歌そのものももちろんいい。阿久悠だし。
 6:「付き合ってるのに片思い」(Berrys工房)。カラオケで盛り上がるアイドルソングと考えたとき、モーニング娘。やAKBだとベタすぎてしらけるおそれがあり、しかし一般人が誰も知らない地下アイドルの歌を唄っても仕方ない。そんなときBerrys工房ってすごくちょうどいいなあと思った。
 7:「古い日記」(和田アキ子)。先週の「のど自慢」で唄っている人がいて、俺も唄おうと思った。気持ちがよかった。「ハッ!」をちゃんとまじめにやるのがコツだと思う。「ハッ!」はギャグではないから(間違えがちだけど)。
 8:「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)。有線で流れたのを聴いて、そう言えばこれ唄いてえな、と思って唄った。当時のフミヤって、モテてモテて、モテてモテて、しょうがなかったんじゃないかと思った。
 9:「青春時代」(森田公一とトップギャラン)。好きな曲なのにこれまで唄ったことがなかった。いい歌。「パンダ・ダ・パヤッ」の作曲も森田公一。
 10:「水色の街」(三輪車)。リモコンで曲を送信すると、画面の上に予約された曲名が表示されるのだが、それを見て大抵の30代はスピッツを思い浮かべるだろうと思う。あるいはスピッツのそれを選んだつもりが間違えて違う「水色の街」を入力してしまった、という悲劇も世の中にはあり得ると思う。僕は大丈夫。確信を持って三輪車のほう。そしてこの歌が本当に内容がスカスカで愉しいのだった。
 11:「恋」(松山千春)。星野源じゃないほうの「恋」。そっちに関してはドラマも観なかったし恋ダンスも一切知らない。「恋」と言えば断然こっちだ。
 12:「とびら開けて」(神田沙也加・津田英佑)。最後にこれをファルマンとデュエットした。仲良し夫婦か。ちなみに僕がアナでファルマンがハンスである。
 以上である。今回は男性の曲もまあまあ唄った。珍しくアニメソングを唄わなかった。いいカラオケだった。
 このあとは図書館、そして公園へ。公園はオオキンケイギクが毎年よく咲く所で、それ目的で行ったのだが、少しもう盛りが過ぎて、あの醜く萎れた状態のものがまあまああった。残念。先週がピークだったかな。それでもオオキンケイギクの咲く中でバトンを回している写真をファルマンに何枚か撮ってもらう。いいのがあればLINEの背景画像にしようと思う。
 晩ごはんは餃子。カラオケと公園と餃子だなんて目いっぱいの休日だな。ちなみに餃子であってもビールを必要としない僕。ファルマンは「私は欲しいわ」とボヤいていた。じゃあ買って飲めばいいじゃないか。あと今回はタレで、最近たまに目にする味噌ダレというものを作ってみた。なかなかおいしかった。

暑すぎる5月の運動会とトランプ

 5月なのに30度超えの暑さである。5月というのは本来はそこまで暑くならないもので、「気持ちのいい陽気」という触れ込みのもと、あちこちで野外イベントが企画される。そしてポルガの小学校の運動会も、この週末の開催なのだった。平日から週末の予報を見るたびに、「マジかよ」と夫婦で嘆き、職場でもさんざん「俺は週明け現れないかもしれない」と愚痴り、さらには神に祈ったりもしたが、高温過ぎて中止なんていう選択肢は現場にはないようで(まあ大変なのだろうという事情も解る)、あえなく開催される。ただし前日にプリントで、「すごく高温そうなのでうちわとか持ってくるといいよ」というお達しが来た。その、いまさら予定の変更はできないけど、なんにも対策を講じなかったわけじゃありませんよ、なんかあってもこっちに責任はありませんよ感はすごいな、と思った。しかし令和元年のプリントで、うちわ。予想していた未来はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
 思い描いていた「気持ちのいい陽気」ならば、場所取りはしないまでも、開会式から参加して、3年生になった今年からは午後の部もあるので、現地でお弁当を食べて午後に備える、くらいの気概はあったが、とてもそんなことができる気候ではなかったので、開会式はパスし、ポルガの出場する競技に合わせて学校へ向かった。それを見届けたあとは、いちおうお弁当を持ってきてはいたのだけど、午後のポルガの出場演目までは2時間あまりあったので、やっぱりいちど帰ることにした。昼ごはんはどうせ生徒と家族は別々に食べるシステムになっているため、実は我々が学校で食べる意味はないのだ。それで冷房を利かせた自宅で食べ、しばし休息した。往復の移動と学校での滞在を合わせて1時間あまりの外出だったが、この時点でだいぶ身体に来ていた。2往復目となる午後の部は、たまらず自転車を使うことにした。最初からそうしていればよかった。そしてポルガのダンスを見届けた。見届けたら閉会式ももちろん待たず、すぐに帰ることにした。本当に、ぜんぜん外に居続けたらいけない条件だったのだ。帰ったら心底ぐったりした。僕なんか数ヶ月前の自分と較べてだいぶ身体が軽くなり、活動したら必ず昼寝をしなければならない人ではなくなったというのに、それでもやっぱり茹だるような暑さを前にしては歯が立たなかった。そうか、夏というのはこういうものだったな、と思い出した。筋トレなんかだと、疲れてもそのぶん身体が強くなるという救いがあるけれど、暑さに参るというのは、本当にただ身体がしんどいだけで、どこもなんにも成長しないのである。単なる疲労。これから数ヶ月続く夏のことを思い、暗澹たる気持ちになった。
 そのあとポルガも無事に帰宅し、なんとか誰も熱中症にならずに済んだな、と安心していたら、夕食後にピイガが吐いた。やっぱり免れられなかったか。幸い症状はそこまで重くなく、そのまま寝た。僕は小学校に何台も救急車が連なることになるのではないかと予期していて、実際にはそんなことにはならなかったけど、でもやっぱり夜とかになってこんな風になった人というのはいっぱいいたことだろうな、と思った。
 翌日の今日は、ピイガはまあまあの回復具合で、しかし全員でどこかへ出掛けられるほどでもなかったので、僕だけで外出した。ファルマンに「こんな機会にこそこないだの50メートルプールに行ってくればいいじゃない」と勧められ、色めき立つが、ホームページを確認したら大会開催のため利用不可だった。残念。そんなわけで何軒か店を回り、こまごまとした日用品の買い物だけして帰った。今日ももちろん暑い。今日がくんと気温が下がったら忸怩たる思いだろうからそれは別に構わない。午後は家でだらだらと過した。ピイガはだいぶ元気になった。夕飯のそぼろ丼もほどほどに食べた。そぼろ丼を食べながら、トランプ大統領が観にきた大相撲の千秋楽を眺めた。土俵に上がるための特製の階段と、あと賞状を片手で渡したのがおもしろかった。賞状を片手で授与する情景というのを、そう言えば生まれて初めて見たかもしれないと思った。

ファミレスから公園まで

 義父母の誘いを受け、1月に亡くなった義祖母の墓参りと、ホームで暮す義祖父への顔見せに出向いた。県内なので、当地へは車で30分ほどで着く。昼前に家を出て、ファミレスで落ち合った。本来この行事は3月に行なわれる予定で、と言うか実際に行なわれたのだけど、我が家はポルガの体調崩壊により参加できず、僕は奢られファミレスをみすみす逃したことについて忸怩たる気持ちを抱いていたのだった。だから満を持しての奢られファミレスで、頼みたいメニューを頼んで堪能した。肉が美味しかった。
 美味しい肉を食べさせてもらったあとは、粛々と用件をこなす。それは粛々とだ。義母にとっては親だろう。義父にとっては40年余りの義理の親子関係があるだろう。ファルマンにとっては祖父母だろう。娘らにとっては曽祖父母だろう。だからこのメンバーの中で、どうしたって僕の繋がりだけが極めて薄い。実際、義祖父への顔見せはこれまでも義母がこちらにやってきたとき何度かしているが、そのとき僕はあくまで運転手で、ホームの駐車場に車を停めて、面会中はその中で待っていた。しかし今回は義父がいて、義父というのは全員行動を徹底したがるタイプの人なので、「俺は車で待ってます」と言ったら「いや、来たらいい」みたいなくだりが繰り広げられることは目に見えていたので(経験値を積んできたので分かる)、自主的に車を降りて、初めてホームの中へも足を踏み入れた。踏み入れて面会した結果、孫であるファルマンや、ファルマンの産んだ小さな娘たちというのはすんなり受け止めていたが、やっぱり僕の存在は義祖父の頭を少し混乱させた感じがあり、なんだったんだろうな、という気がした。まあいいんだけど。そのあとは義祖母の墓参り。高台にあり、空気の清廉な場所だった。義母の実家はカトリックで、葬式のときから仏教とキリスト教の混在が甚だしかったが、お墓も、寺の中にあり、直方体のよくあるタイプの墓ながら、苗字の上には十字架が記されているという、馴れ合っているのか我を張り合っているのかよく判らないマーブル模様だった。「が、合掌でいいんですか?」と義母に確認してから手を合わせた。
 そのあとは近くの大型公園へも立ち寄る。ここはファルマンたちが子どもの頃、祖父母の家に遊びに来た際によく行っていた公園だという。メインの遊具は明らかに刷新された風のものだったが、ところどころに昔から変らないものも残っていたらしい。子どもたちはもちろん飛び跳ねて遊んだ。3時頃まで過し、義父母とはここで解散。次に会うのは夏の帰省、ということはこの人たちの場合たぶんないだろうな。なんかかんか来るから(特に義母)。
 そのあとは大きい100円ショップや図書館に寄って帰った。午前中に家を出て、帰ってきたのは夕方。わりと1日がかりの外出だった。風が強かったが、陽射しがなくてよかった。オオキンケイギクがあちこちで咲きまくっていて嬉しい。

気候のいい週末

 連休明けのウィークデイを経ての週末。
 連休は最後のほうにはもう心底うんざり気味で、平日の、朝の決まった時間に起きて仕事をして帰りにプールに寄る生活がひどく恋しかったため、五月病などという言葉はまるで頭に浮かばなかった。平日は尊い。そして平日をこなしてからの休日も尊い。必要以上に長い休みでそのことを再認識した。
 そんな気持ちで迎えた週末は、GW期間中のことが本当に悪い夢であったような好天で、最高気温が25℃と30℃の間という、5月のとてもいいそれを堪能した。
 土曜日は海へ行った。もちろん瀬戸内海である。海開きはまだ先だが、波打ち際で足を浸すには適当な暖かさで、当然まだ人もそれほどいるわけでもなく、居心地がよかった。時期もあるのかもしれないが、海は小川のように透明でとてもきれいだった。マクドナルドを買っていったので、砂浜にシートを敷いて簡易テーブルを設置して食べた。美味しかった。キャンプはもうこりごりだが、あちこちの場所で簡易テーブルを設置して昼ごはんを食べるという行為は、これからも続けていきたい。実際、途轍もない労力を要するキャンプを、丹念に精製したら残るのはこの部分だと思う。だから我々一家は、この部分だけでいい。ほかの雑味はノーサンキューだ。今回は足を浸すだけだったが、夏には島根でまた海水浴をしたいと思っている。その意欲が掻き立てられた。
 今日はプールとショッピングをした。
 プールは僕が月間会員になっているいつもの所ではなく、初めて行く別の市営プールに行ってみた。なぜわざわざ別の所へ行ったかと言えば、そのあと行くショッピングモールへの繋がりがよかったのと、あとここには50メートルプールがあるからだ。普段の所は25メートルなので、50メートルプールとはどんな感じなのか、興味があった。50メートルプールは、横浜国際プールがオープンした頃、中学校の友達と行ったことがあるので、未経験ではないはずなのだが、そのときは水泳という感じで行ったわけではなかったため、大した感慨は持たなかったのだろうと思う。それから20年あまり(!)の時を経て、ありがたみを噛み締めながら赴いた。プールでは、ファルマンと子どもたちには子ども用のものへ行ってもらい、僕だけしばし50メートルのほうで泳がせてもらう。入水して感動した。50メートルプールのスケール、すごい。深さも25メートルのそれより深いので、体積が段違いなのだ。その中に入って泳いでいると、25メートルプールではついぞ感じない、俺はいま圧倒的で静謐な水の中にひとり浮かんで進んでいるのだ感が湧き立ち、ぞわぞわするほどの快感があった。いつもなら10往復を要する500メートルを5往復で済ませ、大満足した。明日からのいつものプールが色褪せそうで不安だ。またたまにこっちのプールにも泳ぎに来ようと思う。
 そのあとでショッピングモールへ。プール後のショッピングモールってなんかすごいな。とても活動的な一家のようだな。買ったものは、僕のズボン、ファルマンのパーカー、ポルガの学校用の靴、ピイガの靴。そういう制度でもあるのか、というくらいにひとり1点の品物をきちんと買った。それとピイガのランドセルを物色するのも目的のひとつだったので、展開されているコーナーでいくつか背負ってみたりした。その結果、ポルガはとにかく原色のイメージだったのに対し、ピイガは淡い色がよさそうだと判った。ピンクとか、えんじとか、そのあたりかな。薄むらさきも似合ったが、どうも薄むらさきはなあ、という思いが僕にもファルマンにもある。どちらにせよいまだ身長が100センチに満たないピイガには、どのランドセルも冗談のように大きかった。
 帰宅して、午後はほんの少しミシンをする。子どもの紅白帽の紐を新しくしたり、僕のパジャマのゴムを替えたり。こういうのってするまではすごく億劫なのだが、いざし始めると、なにをあんなに億劫がっていたのか、というくらいにすぐに作業が終わる。パジャマのズボンのゴムは完全に伸びきって、歩けばすぐにずり落ちるという、まいっちんぐマチコ先生みたいにセクシーな有様だったので、直ってよかった。
 晩ごはんは、母の日ということでファルマンにリクエストを訊ねたら、いつもの「カレー」というバカな子の答えだったので、カレーにした。珍しい具材のカレーにしようかとも少し考えたが、結局はとてもオーソドックスなビーフカレーになった。美味しかった。

GW帰省の後半

 IMAに舞い戻った僕がまずはじめに向かったのはGU(住んでいた頃はなかった)で、そこでTシャツを買った。そして試着室で着替えた。昼ごはんを食べたあたりからの急な気温の上昇で、それまで着ていた長袖の肌着に長袖のシャツがとても耐えられなくなっていたのだ。Tシャツ1枚になったら爽快でテンションが上がった。快適な恰好になったあとは、公園とは反対側の住宅街へと歩みを進めた。かつて住んでいたコーポがあるほうである。ああこんな道だったな、と懐かしかった。とは言えコーポと駅とは徒歩で15分あまりの距離があるため、さすがに途中で引き返した。
 そのあとは駅でファルマンたちと合流し、次の目的地へ向けて出発することに。次の目的地は中村橋である。計画ではバスで移動する予定だったが(練馬から中村橋、光が丘を経由して成増へと至るバスがあるのだ)、バス停の位置が意外と遠いようだったので、早々に諦めて電車を使った。大江戸線で練馬駅へ出て、そこから西武線でひと駅。中村橋に降り立つ。ここは僕とファルマンが大学卒業後、はじめに住んだ町だ。
 駅前の様子は、そこまで変わっていなかった。西友はもちろんそのままだし、西日本には影も形もない「福しん」も変わらずあった。福しんの向かいにあった回転ずし屋はなくなっていた。「おかしのまちおか」は、我々が住んでいた頃はなかったが、引っ越したあとでなにかの折に訪れたときに、できたことは知っていた(住んでいた頃にあればよかったのに、と悔しく思ったのを覚えている)。そんな様を眺めていたら、先ほどまで一緒にいた友達一家の母と娘が自転車でやってくる。彼女らは光が丘も中村橋も自転車圏内なのだ。そういう位置関係なのだ。
 それからみんなで練馬区立美術館のほうへ向かう。練馬区立美術館は昔からあったものなのだけど、何年か前にその建物の前のスペースがリニューアルされて、子どもが乗ったりして遊べるカラフルな動物のオブジェなどが設置され、愉しい空間になっているのだった。このことは数年前に放送され、そのテーマまじかよ、と驚愕した「アド街ック天国」の中村橋特集で知った。それで、そこへ連れていくのと同時に中村橋回顧ができればちょうどいいなあと前から目論んでいたのだ。住んでいたコーポも同じ方面にあり、だからこの美術館や図書館の前を、かつては毎日のように歩いていたのである。しかしこうなる前の美術館前のスペースがどんなものだったのか、今となってはまるで思い出せない。目の当たりにしたその空間は、とてもしゃれた感じだった。子どもたちも喜んで遊びはじめ、一家の母親が見ていてくれるというので、僕とファルマンのふたりで、そこから5分ほどの位置にあるコーポを見にいった。コーポそのものは何の変哲もないものなので、実際に見ても大した感慨はなかったが、そこまでの道のりがよかった。光が丘のプールと一緒で、当時は目に入っていなかったものが見えるようになっていた。当時、特に移り住んですぐは無職だったので時間はべらぼうにあったはずなのに、なんかぜんぜん東京も、練馬区も、中村橋も、いろいろ見て回るということをしなかったな、としみじみと思った。してろよ、と今なら思うけど、当時は当時で、そんなことをする暇がないくらい、自分の中の何かのことで大忙しだったのかもしれないな、とも思った。
 充実の思いで散歩を終え、美術館のほうに戻る。美術館は図書館と併設していて、この図書館へはもちろんたくさん通った。しかしさらにはちょっとしたスポーツセンターみたいなものもあり、トレーニングルームなんかもあるということは知らなかった。本当に当時の世界は狭かったのだな。当時の僕がトレーニングジムの存在を知ったところで通ったとは思えないけれど、こんな近距離にそんな施設があることをまるで知らずにいたとは。思わず職員に話しかけてトレーニングルームを見学させてもらった。「トレーニングシューズだけは用意してもらわなくちゃいけないけど、興味を持ったらぜひ来てください」と言われた。通おうかなと思った。
 そんなこんなで充実の思い出巡りだった。時刻も夕方になり、さてそろそろ帰ろうかというところで、事件が起る。隣を歩いていたファルマンが、いきなり持っていたビニール袋に顔を突っ込み、嘔吐しはじめたのだ。前兆もない突然の出来事に、えっ? えっ? と戸惑った。ひとまず木陰に避難して休む。まだ母と娘と別れる前だったので助かった。状況や症状から、どうも熱中症ではないかという話になる。母親に子どもたちを見てもらい、僕は水分や塩分のものを買いにいった。しかし水分を与えてもファルマンの調子はなかなか回復せず、立ち上がってもまたすぐに吐き気に襲われていた。これはまずいことになった、と思った。なんてったって練馬である。ここから実家まではどうしたって1時間半ほど掛かる。旅先でのこういう事態の不安さ、心許なさ、というものを痛感する。それでも帰らないわけにはいかないので、しばし休んだところで、母親たちに心配されながら別れ、電車に乗り込む。有楽町線直通の便に乗って渋谷まで出て、そこから田園都市線。どちらも座ることができたのは救いだった。ファルマンは車内でも何度かえずいていたが、なんとかたまプラーザまで持った。それから母の車で家までたどり着いた。たどり着けてよかった。本当にどうなることかと思った。
 それからファルマンはひたすら横になった。帰宅した実家には、姪と甥がやってきていた。キャンプから帰ってきたのだ。義兄は別の集いがあるとのことで現れず、姉は風邪を引いたとのことで子どもたちを置いてすぐに帰ったという。昨日のキャンプは、タープに溜まった雨水が滝のようにこぼれるような有様だったそうで、風邪を引くのも当然の帰結だと言えるだろう。僕はそれから改めてドラッグストアに行って、補水液や吐き気止め、ゼリー飲料などを買った。店員に症状を話して相談したら、「今日みたいに雨上がりに急に気温が上がったような日は熱中症になりやすいのだ」と言われた。ここまでの本当に冴えない天候の日々により、熱中症なんて言葉は完全に頭の埒外だった。妻も姉もやられた。どうも今年のGWの気候というのは、あんまりにも性格が悪かったのではないだろうか。あんまりにも。
 晩ごはんはピザだった。昨日が春巻で今日がピザ。実家の食事は脂質が多いな。またしてもビールが進んでしまう。ファルマンはゼリーだけ啜り、そのまま寝た。
 翌日もファルマンはもちろんヘロヘロだったが、この日は初めからなんの予定もなかったので問題なかった。たっぷり休んだことで徐々に回復はしてきていて、おかゆを少しずつ食べていた。風邪の姉もまたひたすら寝ていたいようで、子どもたちを託しに来てすぐに自分だけ帰った。そのため僕ひとりで4人の子どもの相手をする構図となった。こんなのこれまでの僕だったらウェーとなる場面だったが、2ヶ月前から健康志向になっているので、やってやろうじゃないかと近所の公園に繰り出し、サッカーなんかしたりする。本当に、たまたま僕が健康に目覚めていたからよかったようなものを、だ。これまでの肝臓弱ってるおじさんだったらとても無理で、公園で遊んだ以上の時間を回復のための昼寝に要していたに違いなかった。それに対して現在の溌溂さ! 昼ごはんを挟んで午後にも別の公園に出掛け、さらには地区センターで卓球までして帰った。
 晩ごはんは、帰省中に必ずどこかでなされる、定番の手巻き寿司。ここには子どもたちの迎えのために義兄が現れ、一緒に食べた。ちなみに義兄は僕とかなり同じようなタイミングで、「酒をやめてみたら案外そのまま平気になってしまって健康に目覚めた」そうで、運転があるので当然だが、この日もまったく酒を飲んでいなかった(僕は飲んだ)。なぜ時を同じくしてなのかは謎で、世界一どうでもいいシンクロニシティだと思った。「俺よりも4年早く健康に目覚めたのが羨ましい」と言われ、39歳の肝臓弱ってるおじさんが35歳の肝臓弱ってるおじさんを羨むのって、地獄のような図式だなと思った。
 食事を終えて、姉一家(の姉以外)を見送る。今回はこんな状況なのでもちろんポルガの姉家への宿泊は実行されない。なかなかにバタバタとした邂逅となった(と言っても僕は1日たっぷり相手をしたけれども)。次に会うのは年末か。
 翌日は帰宅の日。ファルマンは昨日の日中をずっと寝たことで、夜にはまあまあ回復し、夕餉の席にも顔を出せるまでになっていた。本当によかった。2日前の夕方の中村橋の絶望感たるやなかった。まったくすごいGW帰省だった。出発と帰宅は早いに限る、ということで新幹線は9時台の便。祖母に別れを告げ、母にあざみ野まで送ってもらった。
 岡山まで戻って在来線に乗ったら、だだっぴろい風景にほっとした。光が丘公園とはやっぱりぜんぜん違う、野(でさえないもの)がそこにはあって、そして人がぜんぜん少なくて、ああこっちに安心するようにもう頭がなっているのだなあと思った。

GW帰省の前半

 実は1日から今日まで、3泊4日で横浜に帰省していた。GWが始まる直前くらいに、「GWの旅行の予定をウェブに公開するのは空き巣を誘発するのでしないほうがいい」という記事を読んだため、出発前にはこの帰省のことは黙っていた。しかしよく考えてみたら、書いたところで、誰も僕の住所を知らないし、仮に家に侵入しても金目のものは一切ないし、そもそも、誰もこんなブログなんて読んでいないのだから、そんな警戒はするだけ無駄だった。自意識過剰もいいところだ。
 GWの帰省は2年連続。去年は出張と合体させることができたこともありGWになったわけだが、今年は出張は関係なく、長いのでここで帰っておくか、くらいの感じで帰ることにした。もっとも真夏の帰省は現地での行動意欲が著しく低下するので、そもそもGWに行ったほうが合理的なのだ。祖母もお盆行事のために山梨に戻っていたりするし。とは言え今年に関しては、これまでも何度もぼやいているように、本来は心地よいはずのGWの気候が、すこぶる悪いのだった。出発前日の退位、そして即位の出発当日も、嫌がらせなのか、天皇制反対の立場なのか、というくらいずっと雨がちで気温も低かった。そのせいで持っていく服選びには大いに往生した(ちなみにこのあたりの記述は今回の帰省中の最大の事件の伏線となっている)。
 新幹線では子どもたちにひたすらタブレットを与えて過した。タブレットでゲームをしたりアニメを観たりしていたら、子どもは基本的に静かにしてくれる。それは親にとっても、子どもにとっても、公共マナー的にも、本当にとてもいいことだ。もしもそれに対して苦言を呈するような輩がいたら、地獄に落ちればいいと思う。
 前回は「おっさんずラブ」のロケ地を見るために中川駅で下車したが、今回はいつも通りあざみ野まで出て母に迎えに来てもらう。実家には誰もいなかった。祖母はゲートボールならぬグランドゴルフに出ていて、叔父はこのGWにはこちらに現れる予定はなく、そして姉一家は今日明日とキャンプなのだった。1ヶ月前に新幹線のチケットを取って姉に伝えた際にこのキャンプのことは聞いていた。キャンプと聞いて、すぐに去年の夏のことを思い出した。「キャンプか……。人はまだキャンプに行くのか……」と悲痛な気持ちになった。しかし話を聞けば、姉一家はこのところ当世流行りのアウトドアキャンプにハマっているそうで、もう何度もやっているらしい。そうか。それならばいい。世の中に、そういうキャンプとそういう人種がいることは知っている。それならばいいのだ。姉一家にとってこれが初めてのキャンプで、(去年の我々一家のように)惨憺たる思いをしたら可哀相だと思ったのだが、そんな心配は不要だった。とは言え、我ながらしつこいが、GWの蓋を開けてみたら末世のような気候である。「姉たちは、今日、キャンプなのか……」とやはり悲痛な気持ちになった。キャンプはどうしたって僕を悲痛な気持ちにさせる。
 この日の午後は特にどこへ出かけるということもなく、家でのんびりと過した。祖母はじきに帰ってきた。新天皇の即位の日に、老人たちはグランドゴルフをするのか、と少し意外な気もした。まあ今どきの老人は普通に戦後育ちだったりするしな。祖母は91歳だが、特に天皇どうこうという話は聞いたことがないので、まあそんなものなのかもしれない。子どもたちはいつものようにWii Fitに興じていた。
 晩ごはんは、リクエストを訊ねられたので春巻を所望する。たまに食べたくなるときがあるので、この機に作り方を教わっておこうと思った。揚げたてを食べ、ビールを飲んだ。かなり久しぶりのビール。当初の予定では、小さなウィスキーのボトルを買って、こっちでもハイボールを貫こうかと思っていたのだが、帰省に合わせてすでにビールが用意されていたため、さすがにそれを飲まないと言えるはずもなく、飲んだ。飲んだら、そりゃあまあ春巻にビールなので美味しかった。
 翌日は今回の帰省のメインイベントで、練馬に繰り出す。2年前か3年前の大晦日に、練馬駅からバスに乗って、ファルマンと子どもたちは練馬在住時代に懇意にしていた大学時代の同級生一家の家に遊びに行き、僕はかつて働いていた書店のある東武東上線のほうへ行く、ということをしたことがあったが、今回は同じ練馬区内でもちょっと違うエリアで、光が丘を目的地とした。ポルガ妊娠をきっかけに、それまで住んでいた平和台が最寄り駅の住まいから、光が丘が最寄り駅のコーポへと引っ越したのが、2010年の8月のことである。それから半年ほどの妊婦生活を経て、2011年の1月にポルガが生まれ、そして3月に震災があり、翌年の7月に島根へ移住した、その2年間を暮した、なかなか思い出深い町なのである。島根移住後に訪れるのは初めてなので、約7年ぶりの帰還ということになる。な、7年……。月日パねえ……。田園都市線からは、直通の半蔵門線で青山一丁目まで行き、そこから大江戸線というルート。けっこう遠い。
 光が丘駅に到着してホームに降りると、駅がもうすでに懐かしい。別になんの情趣もないただの地下鉄の駅なのだが、それでもやっぱり懐かしさがこみ上げてくる。直結しているIMAに上がると、コージーコーナーも、和菓子屋も、パン屋も、ぜんぜん変わっていなくて驚いた。さらには当時よく利用していた八百屋、肉屋、魚屋も、まるで3日ぶりに来たくらいそのままの様子で営業していたので、逆に感慨が湧かないほどだった。逆浦島太郎と言うか、7年ぶりなのだからもうちょっと変わっているべきじゃないのか? と言いたくなるほど変わっていない。化かされていたのは俺たちだったんじゃないかと思った。そうして店内をひとしきり回った後、今回ももちろん会うことにした、いつもの一家と合流する。この一家と会ったのは、いつぞやの上野動物園以来か。わが家と同じく姉妹で、上の子はなんともう小学6年生だという。当時はポルガが赤ん坊で、この子は幼児だった。それが今は中学受験に向けて塾通いの日々だそうで、今日もこのあと塾に向かうとかで、わずか数十分限りの邂逅だった。IMAはぜんぜん変わらないのに、親は30代半ばになり、子どもは受験とか言い出す。IMAはSF空間なのかもしれない。
 上の子を見送ったあとは、一家の母親と、小学1年生の妹とともに、光が丘公園のほうに向かった。IMAと公園の間に病院があり、今は経営元が変わってしまったのだが、ここはかつて日大病院で、ポルガの出生病院なのだった。病院の外観を見ただけで、健診通いの日々だとか、ポルガが生まれた夜のことだとかが思い出された。病院を過ぎると次は図書館。当時よく利用した。その隣は体育館。これは今回初めて知った。見てびっくりしたのだが、プールもあった。ぜんぜん目に入っていなかった。当時はエクササイズの必要性がなかったから意識に入ってこなかったのだろうが、ほぼ毎日、通勤でこの前を通っていたのに、それがなんの建物かさえも気にせず暮していたのか、と驚いた。当時の自分の世界の狭さよ、と思うが、今だって別に身の回りの世界の全てを見ているわけじゃない。最近やっと、僕の見る世界にプールが登場しただけの話であり、そう考えると人それぞれの世界の見え方ってぜんぜん違うんだな、と思う。
 光が丘公園は岡山在住者からしても、広々としたいい公園だった。人の多さは岡山の比ではなかったが、それでも悠々と過ごせた。木陰にレジャーシートを敷いて、IMAで買った弁当を食べる。それまで相変わらずの天候で、霧雨が降るともなく降る、みたいな感じがずっと続いていたのだが、ここへ来てようやくきちんと晴れはじめ、背中にじりじりと陽射しの熱さを感じるほどになった(これもまた伏線である)。これだよ、これなんだよGW、と思った。
 女こどもはのんびりとだべりながら食べ、唯一の男である僕はそんなものに付き合ってられないので、食べ終わり次第、好き勝手に動くことにした。まず、光が丘駅から離れるようにさらに公園内を進み、板橋区方面の出入り口まで行ってみる。かつて僕は成増駅から、光が丘駅の向こうの自宅まで、ほぼ毎日自転車で公園内を突っ切っていたのだ。だから公園口らへんはとても懐かしいだろうと思ったのだが、案外その風景はピンと来なかった。えー、なんでだろう。違う口だったかな。思い出せないけど。公園を出て向こうの住宅街に出ることはせず、そこで引き返す。レジャーシートの場所に戻ると、さすがに食事は終わっていて、これから遊具のほうへ向かうという。考えてみたらそれもまた付き合ってもしょうがないなと思ったので、どうせこいつらはそのあと光が丘駅に戻ってくるのだからと考え、改めてIMAの中を見て回ったり、さらには駅の向こう側をひとり散策することにした。

 ここまでちょっと丁寧に書き過ぎて、なんだか1日の自分なりの日記文の規定量を超えてしまった感があるので、この続きはまた明日に書くことにする。

阿呆天

 平成がね、終わるということでね、平成というものへの感慨を綴る記事をね、いっちょ書こうと思ったんですけどね、平成そのものへの感慨ということになると、意外にないものですよね。平成元年から平成31年というのは、すなわち1989年から2019年ですからね。別にそんな区切りねえわ! という。自分自身の「学生時代」とか「書店員時代」とか、あるいは「横浜時代」「練馬時代」「岡山時代」ならば、それをひと括りにして感慨を述べることもできるけれど、平成の31年間って、35歳の僕が客観的に総括するには長すぎるし。ほぼほぼ人生そのものだし。だからテーマになんねえや、と思い至った。
 とは言え今日が平成最後の日というのは事実である。現地では式典などもいろいろ執り行なわれているいるようで、天候にも恵まれて、さぞや人々で賑わっていることだろうと思う。なんちゃってな。天候悪いわ! なんやねん! GWの天候の悪さ、マジでなんやねん! グズつきすぎやろがい! 今年のGWは10連休や言うてみんな1年以上前からわーわー準備しとんねん! そんで蓋開けてみたらなんで天候悪いねん! 阿呆か! へそ曲がりか! そこは同調圧力に屈しろよ! そういうところ! 天候のそういうところ! 寒いから! 平日の夏日で油断してたところに急に寒いから! GWの序盤にいきなり体調崩しちゃったりするから! ほんとマジで天候、なに考えてんの? ありえないんだけど! マジで引くんだけど!
 そもそも平成最後の日、フジテレビなんか「平成の大晦日」なんてフレーズを作って盛り上げているけれど、これがどういう捉え方をするべき日なのか、いまいち判らない。そしてたぶんこれは誰も判ってない。生前退位のパターンを誰も経験していないからだ。だからいまそれぞれが取っている態度が、それぞれ正解なのだと思う。そして生前退位は今回限りの特例ということでなんとか話が通ったようだけど、なんとなくこれ以降もこうなっていくんじゃないかな、という予感がする。昭和から平成のときのことは記憶にないが、崩御で自粛ムードの中で切り替わるより、こっちのほうが絶対にいいもの。
 斯様に平成最後の日という今日を過すあるべき態度は不透明なのだけど、明日、令和の初日を迎える日のあるべき態度はなんとなく判る。どこか清々しい気持ちであればいいのだと思う。明日になれば心に去来してくれるかもしれないその清新さは、少し愉しみだ。ただしやはり天候はあまりよくなさそう。阿呆か!

GW出だし

 GWである。9連休である(初日の土曜日は出勤だった)。長い。とりあえず嬉しい。かつてサービス業だったので、長い連休のことは、自然に降りかかるものではなく、きちんと前のめりに享受して、しみじみと嬉しいと思う。
 日曜日はショッピングモールに出向いた。モールでは野外スペースにテント屋台が並び、ステージも設営され、大型連休の意気込みが感じられた。しかしいかんせん天候が悪いのだった。本当に、GWに入った途端に嘘みたいに天候が悪い。ウィークデイの夏日は幻だったのか、というくらいに雲が立ち込め、風が冷たい。人はそれなりにいたけれど、晴れて暖かかったらもっと賑わっていたんだろうな、と思った。
 明けて今日は、いかにもGWらしい外出として、この期間中コンベックス岡山というイベントホールで開催中の、「からだのひみつ大冒険」へと繰り出した。ポルガが小学校でフライヤーをもらって帰ってきて、ぜひ行きたいと言うので、まあGWだし、たしかにいかにもポルガが好きそうな内容だし、行ってみるか、ということになったのだった。コンベックス岡山へは、これが初めての来館である。会場に近付くと、駐車場に入るために道路上に車の列ができていて驚いた。それでもなんとか車を停めて会場まで歩くと、なんと建物の前にも人々の長蛇の列があった。チケットを買うための行列だという。マジか、と思う。これは、そんなにものイベントだったのか、とここで覚悟を改めた。ちなみにチケットを買うための列へは、我々は前売り券をローソンで買ってあったので並ぶ必要がなかった。これは本当によかった。前売り券のほうが安いから、というだけの理由で買ってあったのだけど、そうでなければ待ち時間は約60分だという。60分、定価のチケットを買うために、昨日に引き続いて今日も冷風の吹きすさぶ中、子どもが確実に死ぬほどグズる中、待ち続ける。想像しただけでぞっとした。しかもチケットを持っててもそこから入場のために並んだからね! 15分程度だけど! マジでどんだけ混んでんねん! それでもやっと入場すると、そんな風にして入った会場内が混んでないはずも当然なくて、入場前の様子から察せられてはいたのだけど、いくつか設置された体の仕組みをモチーフにしたアトラクションは、そのどれもに行列ができていて、その列がまた子どもが多いものだから混沌としていて、それはもうひどい有様だった。僕とファルマンはどんどん無表情になり、来る前は顔を輝かせていたポルガは会場内ではずっとキョトンとした顔をしていて、ピイガは完全にダレていた。自然公園に連れてきたときの子どもたちとは、別人のようだった。それでもなんとかそれなりにいくつかアトラクションをこなすと、割と早々に「出るか」「出よう」となって、退館した。時計を見ると、入場から1時間に満たない退場だった。なんてことだよ、と思った。人が多すぎたのはもちろん愉しめなかった原因としてあるだろうが、しかし全体をいちおう眺めた結果として言わせてもらうと、これは別に人がいなくても、大しておもしろくないイベントだと思う。悔しくて言っているのではない。アトラクションでやらせることはショボいし、知識方面も子供向けの図鑑のページを印刷したようなものが壁に貼られているだけ。きわめて内容が薄い。これはひどい。ちなみに一家でチケット代、4000円。なかなか痛い勉強代になった。ディズニーランドとかUSJとか行きたい、ということを子どもたちが近ごろ言い出しているのだけど、あれらの行列はこれよりももっとひどいわけで、人が多くて何をするにも行列に並ばなければならないということがどれほど嫌なことか、ちょっと思い知ってくれたと思う。少なくとも親は思い知った。あと前売り券を手に入れておくのはとても大事。そんな教訓を得た4000円だった。4000円と言えば、たぶん一家でスポッチャとか行ったらそんな値段になると思う。そっちだったろうな。
 思っていたよりも早い帰宅になったので、午後からスーパーに買い物がてら、ひとりでプールに繰り出す。ただの25メートルプールしかないプールは、GWだから人が多いということも一切なく、いつもの調子で淡々と泳げ、午前中の苛立ちが洗い流された。
 そんな感じでGWの出だしの2日間を過した。天気と同じで、あまり冴えない。

週末日記ブログの様相

 土曜日は公園に繰り出す。平日に雨が降り、桜がまあまあ散ってしまい、やっぱり先週が今年の花見のピークだったんだなあと思ったが、今週も意地のように決行した。とは言え今週は花見メインではなく、公園の近くにある図書館やショッピングセンターのほうを主目的として、桜の名所としての下調べなんかは一切せず、「まあ桜の木がぜんぜんないってことはないだろ」くらいの気持ちだった。そして実際に行ってみたら、「まあ桜の木がぜんぜんないってことはなかったな」くらいの桜の木具合で、それもわりと葉っぱが出てきていて、そのためほとんど花見ではなく、単なるいい気候の外ごはんといった風情になった。まあそれでもぜんぜんいい。先週は家で作ったおにぎりだったが、今週は近所の店で買った総菜パンを食べた。これもよかった。あと今回の公園では、先週は持っていくのを忘れてしまった(結果的に山の勾配でそれどころではなかった)バトンをちゃんと持っていき、ひとしきり回した。水泳で目下にわかに運動熱、筋トレ熱が高まっているのだが、クロールとバトンは、腕力と肩甲骨の柔らかさが大事という点で相乗効果が望めるのではないかと睨んでいる。俺は世界初の水中バトントワラーになろうかな。食後に公園でしばし遊んだ後、主目的である図書館やショッピングセンターを済ませて帰った。
 夜にファルマンに髪の世話をしてもらう。伸びて、もさくなっていた襟足を切ってもらい、そのあとヘアカラーをやってもらう。今回はけっこう間が空いた。今年初めてじゃないか。もう内側はすっかり黒くなっていた。このままイジらず黒へ戻すか、あるいはやはり染めるか、長らく方向性が決まらずにいたのだった。もちろん希望としてはいつだって染めたいのである。しかし抜け毛が多いように思えたり、生え際が後退したように思えたり、またいつものようにそんな強迫観念にさいなまれて、踏ん切りがつかずにいた。しかし生え際はよく見たら後退してなかったし(おでこがぎょっとするほど広いのは子どもの頃からであり、本人なのだからいい加減に慣れればいいものを、頭髪に関する悲観主義から頻繁にぎょっとしてしまう)、抜け毛もよく見れば茶色いのが抜けているだけで、要するにそれは前回や前々回など、だいぶ前に染めた頃からある古い毛が寿命で抜けているだけだろうと捉え、いよいよ染めるほうへ舵を切ったのだった。使った薬剤はいつもの明るいベージュ。手を出したことのないアッシュ系を試してみようかとも思ったが、やはりなんとなくキャラに合わないような気がしてやめた。外側の茶色い部分と内側の黒い部分で、すごく明るい茶色とそんなに明るくない茶色のツートンのようになってしまわないかと不安だったが、わが家の専属美容師がいいようにしてくれた。よかった。いざやってみたら、そのままの黒髪より、ちょっと染料とか施したほうが、もしかしたら髪の表面が荒れているということなのかもしれないが、全体的にペタリとせずふわっとなって、ボリュームが出る感じがあったりもする。次は憶病にならず然るべきタイミングでやろうと思う。
 明けて今日は雨模様。先週ピイガとプールに行き、次の「パパとプール権」はポルガに移行していたわけだが、「それは次に行くときはポルガと行くというだけの話で、別に今週と決まったわけではない、毎週どちらかとプールに行くわけではない」ということを、さんざん伝えていたのだけど、いざ週末になってみたらポルガはプールに行く気満々になっていて、仕方なく「宿題を済ませたら」という条件で行くことになった。どうも言い聞かせながら、「毎週どちらかとプールに行くわけではない」の部分が伝わってない感があったが、やっぱりぜんぜん伝わっていなかった。でも普通ならグダグダと時間を空費する宿題をパッと済ませたので、午前中に連れて行ってやった。ポルガはこれまでビート板を持ってただバタ足で泳ぐだけだったが、きちんと腕を回してのクロールの練習を始め、息継ぎもほどほどにできるようになった。十全に呼吸ができているわけではないようで、息継ぎ2回分くらいの距離を泳いだら限界が来てしまうが、曲がりなりにもクロールの形で10メートルほどは泳げるようになった。いいんじゃないかと思う。ポルガとのプールは、ピイガとのプールよりは、完全に気が抜けないわけではないので、合間で僕もそれなりに泳げた。次は権利がピイガに移動する。しかし毎週どちらかとプールに行くわけではない。
 帰宅して昼ごはんは、今年初の冷やし中華。その年初めての冷やし中華は、店先で麺が売られているのを見て、見切り発車で実行してしまい、そうして適当に作る冷やし中華はあんまり美味しくなく、その年の冷やし中華への印象が悪いものになってしまう、ということが多々あるが、今年はきちんと準備をしてこけら落しができた。冷やし中華の肉気としてはハムがメジャーだけど、ハムが肉気を担う冷やし中華なんて実は美味しくないと思う。麺となじまないし。煮豚とか、鶏ささみをほぐして調味したやつとか、そういうのじゃないと駄目だ。あと卵を温泉卵にしていた時期が僕の中にもあったけれど、卵はやっぱり錦糸卵のほうがいいという結論に至った。そして錦糸卵はちゃんとプールに行く前に作って、冷蔵庫で冷やしていたのだ。だからとても美味しくできた。よかった。もっとも冷やし中華についてそんなこだわりを語っておきながら、僕の皿にはキュウリが入らないので、たぶん一般的にはダメなんだと思う。
 午後は部屋の模様替え。トルネコの不思議なダンジョンか、というくらいに繰り返される模様替え。内容を精細に語っても仕方ないが、今回は子どもたちの学習机をああして、本棚をああして、タンスをああした。本棚とタンスをああするのはなかなかの大事業だったが、おかげでだいぶいい具合になった。プロペ家の配置はいよいよ完成に近づいたと思う。そう言いながらまたすぐに「模様替えをした」って言うような気もする。

安息春週末

 土曜日は花見を敢行した。今週はウィークデイがずっと寒く、島根行きで崩した体調がなかなか改善せず、プールにも行けない冴えない数日だったが、体の具合も気候も週末に一気に帳尻を合わせてきた。昨日からの暖かさで、桜も満開とまではいかないが、言う人によっては「これくらいがいちばんいいんだよ」と言いそうな程度には咲き揃った。1年でこの日がいちばん花見に適した日であることはまず間違いなく、だとしたら場所のセレクトはとても大事だと考え、思案の挙句に山のほうにある公園を選んだ。これまで2度ほど行ったことのある公園だが、桜の時期に行くのは初めて。桜の時期に行っていないので認識していなかったが、ウェブで情報を見たら実は桜の木が多く、いい花見スポットなのらしい。またわが家の場合、花より団子ならぬ花より公園の要素も大きいので、そういう意味でもちょうどいいと思った。しかし行ったところ、普段は休日でもガラガラの駐車場が満杯で、特別に停めてもいいらしい園内の道にも縦列駐車で隙間なく車が連なっていた。自分がまだ子供だった頃、横浜でこういう類の経験をしたことはあるが、大人になり、地方に住むようになってからは初めてで、なんだか驚いた。でも車を停めることができない状況で横目に眺める園内は、それはもう桜がダイナミックに咲いていて、まあこれは誰もが今日ここに来るよなあと思った。そうしてしばらく園内をさまよい、だいぶ山からも降りる形になったところで、ようやく空きのある駐車場にたどり着いた。たぶん1年でこの時期にしか使われない駐車場。車窓からの桜があまりにも見事だったので、降りられずにそのまま下山ということにならなくて本当によかったと思った。そして待望の花見にありつく。駐車場は大変な有様だったが、園内は面積が広大なため、そこまで人に溢れ返っているということはなかった。シートを敷き、お弁当を食べる。山肌に幾重にも咲き連なる桜はすごくよかった。食後は子どもたち待望のアスレチックエリアへ。これがなにしろ山肌に作られているので、わざわざアスレチックになど挑まずとも、大人にとっては子どもについていくだけで十分にアスレチックだった。登りの斜面は、ただの坂の部分と、階段になっている部分があり、親切にもどちらも味わうことができ、その結果、どちらにもそれぞれのつらさがある、と思った。ファルマンにそう話したら、「坂は腰、階段は膝」と、さすがはつらさの大家だな、という含蓄のある言葉が返ってきた。挙句の果てには、広めの間隔の階段の、段と段の間が坂になっているというハイブリット型まで現れ、この容赦ない苦しませっぷりは、ここはもしかしてプチサイズの地獄なのではないかと思った。それでも大人の花見欲と子どもの公園欲が十全に満たされたので、場所の選択は正解だったろうと思った。弁当からアスレチックまで、園内で撮った写真の全てに桜の木が写り込んでいた。そのくらいに咲いていた。花見はこうでないと。
 帰宅するとファルマンはよほど疲弊したのか、少し寝ていた。僕は寝なかった。これまでと逆である。体力減退の構図が、この1ヶ月半で完全に逆転したのを感じる。3月の僕はやけに健康で、プールに行って、たんぱく質を意識的に摂って、そして酒を飲まなかった。それがこの1週間の体調不良で少しトーンダウンしてしまったが、週明けからまたプール通いの日々は再開する予定だ。やっぱり30代半ばともなると、意識的にその地点にとどまろうと励まないと、取り返しのつかないことになるような気がする。
 そんな流れで言うのも何だが、この日は3日(水曜日)に祝えなかったファルマンの36歳の誕生日祝いなのだった。ケーキは、ショートケーキはさすがに飽きたということで、リクエストによりレアチーズケーキを作った。初めてだったが、焼くわけでもないのでとても簡単だった。クリームチーズやら生クリームやらサワークリームやら、レシピの通りに買ってきたものを、レシピの通りに混ぜ合わせて、型に入れて冷やしただけなので、これは果たして僕による調理なのだろうか、とさえ思った。晩ごはんのリクエストは「炊き込みごはん」で、スーパーで見たらレトルトの筍のやつが美味しそうだったのでそれでいいやとなり、すさまじく楽だった。あとは鶏肉を焼いたりお吸い物を作ったりした。ファルマンは炊き込みご飯を3杯食べた。ちなみに先日の人間ドックの結果が数日前に届き、概ね異常なしだったらしいが、体重があまりにも少なすぎることはやはり指摘されたそうだ。しかしご飯を3杯食べたところでこの人は、出すばっかりでぜんぜん蓄えないのだよな。食事のあとはケーキ。レアチーズケーキは、白一色の平らな表面で、あまりにも飾り気がなかった。そこへ「3」と「6」のろうそくだけ立てた。味はよかった。チーズやらサワークリームやらでできているので、けっこう重たいのかしら、と思いきや、意外と軽く食べられた。そんなお祝いだった。
 夜はビールとチューハイを飲んだ。実は金曜日の夜も飲んだ。飲んだらやっぱり美味しいし愉しいのだった。休みの前夜くらい心置きなく飲むってことにしよう、と思った。毎晩だと洒落にならないけれど、このくらいなら背徳感さえも美味しさの一助になるのではないかと思う。この晩は作り置きの煮豚と煮卵があったので、インスタントのとんこつラーメンなんか作ってしまう。夜中のとんこつチャーシュー麺とビール。なかなかに背徳感が暴れ馬だったが、なんとかかんとか乗りこなし、快楽方面へ持っていった。週末だけやから。
 明けて今日は、ポルガが小学校の友達(の一家)から花見にお呼ばれして出掛けたので、僕とピイガのふたりでプールに行った。子どもに定期的にプールをさせたい気持ちはあって、しかし一家全員で行くとファルマン(しかもこの人は別に泳ぎたくない)への負担が大きく、かと言って更衣室やプールでの目配りなどの都合から僕がひとりで娘ふたりを見るのは難しいので、行く際はどちらかひとりと行って、交互に連れていけばいいのではないかと考えた。そのことを子どもたちに話したら、「じゃあポルガから先!」「ピイガから!」と喧嘩したので、話がそこから先に進まずにいた。だから今日はとてもいい機会だった。次にポルガと行く際はポルガはひとりで女子更衣室に行ってもらうが、ピイガは男子更衣室に一緒に入る。更衣室はほとんど貸し切りなのでなんの問題もなかった。僕も今週は月曜日に無理して行って(喉が少し痛いだけでそこまで体調不良だと認識していなかった)以来だったので、ちょっと久しぶりで嬉しかった。もちろんピイガを付きっきりで見ている必要があるため、ほとんど自分の泳ぎはできない。ピイガの脚を後ろから掴んで押し進めるように泳ぐ、という感じで、なんとか泳いでる感を得た。ピイガはポルガよりは人の話を聞かないということはなく、浮き方ひとつ取っても姉よりは筋がいいように感じる。水泳は自分の泳いでいる姿は目に見えないので、意識の上で自分を客観視できないと上手くならないのだが、ポルガはそれが壊滅的にできない。ピイガは周りの目を気にする性格なので、それが上手なのではないかと思う。数十分そうして過すが、そこまで体を動かしているわけではないので、体が温まらず、温水プールでもさすがに体が冷えてきたので切り上げた。休日の子どもとのプールはこんな感じか。まあ自分の泳ぎは平日にするからいいのだけど。
 午後はポルガも花見から帰ってきて、ちょっと買い物に出るかという話もあったが、そこまで緊急性のある用件でもなく、なにぶん日曜日の午後だったので、よすか、となって家でのんびり過した。おやつに昨日のチーズケーキの残りを食べる。晩ごはんは塩焼きそばと焼売。なんとなくあっさり系中華献立。焼売には2日連続の摂取となる筍を入れた。ホタルイカ、菜の花、筍、カツオ。春の美味しいものはどこか、のほほんとしている気がする。美味しかった。
 先週が1日だけの休みで、しかも4時半とかに起きて、さらにはそのあと体調不良に陥ったので、今週は思う存分に夜更かしと寝坊ができ、いい週末だった。

3月31日

 日曜日の朝、島根に妻子を迎えに行く。先週が4連休で、しかしそのときはまだ子どもたちは終業式前で、そして今週は土曜日まで出勤だったのだった。まったくうまいこといかない日程だな。土曜日の退勤後に出発しようかとも考えたが、夜半に向こうに着いても利点はほとんどなくて、パジャマとか洗顔とか荷物が増えるだけなんだよな、と思ってよした。寝る前にファルマンから、「こっちは雷雨だから今夜に来ないで正解」とメッセージが届いた。前日に移動する唯一の利点は、行きと帰りの運転の間が空くということなのだけど、1日の中でなるべくその点を希求しようとすると、早朝に行く、という結論になる。というわけで4時半に起きて、5時前に出発した。ひとりだと行動が身軽だ。はじめは日の出の前で、走っている途中から明るくなった。天候はあまりよくなく、それどころか途中で吹雪に遭った。なんか前にもこんなことがあったなと思い出した。山地では3月下旬、と言うかほぼ4月でも普通に雪が降るのだ。山はおそろしい。あれは人が易々と越えてはいけないものだ。向うへの到着は8時前。ファルマンに「早い」と驚かれた。ポルガは僕の顔を見るなり、「もう来ちゃったのー。まだ遊びたかったのに」とホザいた。ポルガのこれは憎まれ口とかなにかの裏返しとか、そういうのではまるでなくて、本当に感じたことをそのまま口にしたのである。そのあとも祖父母や犬と絡んでばかりで、ほとんど僕とは接しなかった。実家でのポルガの通常運行だ。なので僕のことが「見える」ピイガと、ふたりで「スター☆トゥインクルプリキュア」を一緒に観て、そのあと少し散歩に出た。しかし本当に少し。山陰の風はあまりにも強く、そして冷たかった。山陽住まいにはあまりに過酷で、すぐに逃げ帰った。思えば10年前の3月の結婚式の際、出雲空港に到着するはずの飛行機は、生命の危機を感じさせるほどに乱高下した挙句、引き返して大阪に着陸したのだった。春先の山陰というのはそういうものなのだ。10時半くらいになり、義父母が孫ふたりを見てくれるというので、ファルマンとふたりで出掛ける。実家在住の際によく買い物に出ていたエリアに行って、店の変遷を眺めたり、買い物をしたりした。昼食のマクドナルドを買って帰宅。ハッピーセットでドラえもんのおもちゃ第2弾をもらう。また家族4人分注文したが、被ったものもあり、全種は揃わなかった。まあこれは仕方ない。そのあと少しのんびりして、2時半くらいに出発した。帰りの道ではまた山地で雪交じりの雨の強襲を受けた。ひとりの早朝の体験談だと「吹雪いたんだよ」と伝えても「それはまあ」くらいの反応だったので、味わわせることができてよかった。長いトンネルを抜けて山陽に出たらスカッと晴れた。山陰山陽ってずいぶんなネーミングだよな、という話なのだが、しかしどうしたって明白に陰と陽だ。もうこれは仕方ない。家の近くのスーパーに立ち寄り、出来合いの夕ごはんを買って帰宅。6時前の明るいうちに帰れてよかった。日帰りでこういうことをすると、日中に現地にいた自分と、朝と夜に自宅にいる自分が、日なのか人なのか分からないが、なにか同一のものとは思えないような気がして、不思議な気持ちになる。休日を過した気もあまりしないし、しかも明日からは新年度という大きな区切りということで、なんだか本当にゆらゆらとしている。
 そうなのだ、新年度で、そして新元号発表なのだ。
 「hophophop」において、元号をもりもり予想する、数打ちゃ当たる、と言っておきながら、3月は泳いでばかりいて、ろくに予想をしないまま、もう明日には発表なのである。思えば僕は昭和58年の9月に生まれて、だから5歳3ヶ月くらいのときに平成になったのである(ちなみにこれは偶然にも今回の改元のピイガの年齢とほぼ合致する)。そして5歳の頃の記憶なんてもちろんないので、つまり僕の人生はまるまる平成だと言っていい。人から年齢を訊ねられた際は1990年、平成2年生まれの28歳と答えることにしているので、そういう意味でもがっつり僕は平成の人間である。
 それの次が決まるのだ。
 上記の通り、元号が替わるのはほぼ初体験なので、ドキドキしている。これはお札が替わったときの気持ちに少し似ている。夏目漱石から野口英世へ、新渡戸稲造から樋口一葉へ、それぞれ替わる(そしてなぜか福沢諭吉は替わらない)というニュースを聞いたとき、うっすらとパラレルワールド感を味わったことを覚えている。当たり前と思っていた世の中の仕組みが変化するとき、少しだけ異世界に迷い込んだような気がする。これまでの世界とよく似ているけど、でもちょっと違う世界だぞ、と思う。元号はお札よりもさらにその感触が強い。新元号がなんであっても、明治大正昭和平成より、違和感がある。それは当然なのだけど、やはり少し不気味だ。でも愉しみ。要するに、ぞわぞわしている。

ずっ友4連休

 木曜日の春分の日と、土日に挟まれた、平日の金曜日。実は僕、休みだった。去年の繁忙期に返上して出勤した休業日がここに移動し、しれっと4連休が爆誕していたのだった。4連休。かつての書店員時代ならば考えられなかった4連休。しかも世間は平日の日を含む4連休である。子どもたちはまだ春休みではないし、ファルマンもこの日に限って午前にPTAの会合があるという。なので完全なひとりフリー。とてつもなくレアな1日。なのでそれはもうジタバタした。なんかしなきゃ、なんかしなきゃ、と。それで真っ先に浮かんだのはやっぱりラウワン、ROUND1である。見果てぬシャングリラ、ラウワン。行くあてなどないまま、僕はよくそのホームページを眺めているのだけど、そのコースプランに、MEGAパックというのがあるのである。ボーリングにカラオケ、スポッチャ(+数百円がかかる)などすべての施設が、フリータイムでなんでもできるという、夢のようなプラン。たぶん行くときが人生で唯一のラウワンだろう僕は、せっかくならこのプランで、全部をいっぺんに堪能したいと考えていた。しかしこれは客が少ない平日だけのサービスなのである。つまり今回の平日休みこそが、僕の夢を実現する千載一遇のチャンスなのだった。しかしこれまでそうやって夢想していただけの事柄が、いざ具体的に実行可能になってみたら、その次の問題が眼前に立ち塞がった。これこそが真の問題と言っていい。誘う相手がいない、という問題である。なにぶん平日なので、世間の勤め人は働いているために誘えない。もっともそれは僕にとってはなんの障害にもならない。「世間の勤め人」に友達はひとりもいないからである。なので誘うとしたら同じく休みである職場の人間ということになる。しかしこれもまずい。なぜまずいか。僕には職場に友達はひとりもいないからである。そうなのだ。平日休みだろうが、MEGAパックだろうが、関係ないのだ。僕にはすべての時空において友達がひとりもいないので、ラウワンに行けるはずがないのである。これまでも「ラウワンに行けなさ」というのは感じていたけれど、今回は行こうと思えば行ける状況を与えられたために、今までよりも踏み込んだ境地で、「ラウワンに行けなさ」を感じることになった。僕は、たとえ平日の休みが与えられても、ラウワンに行けないのだ。ラウンドワングリラには結局、徳を積んだ偉いお坊さんしか行けないのだ。そのことを痛感し、とてもつらい気持ちになった。親鸞聖人に救いを求めたい。そうか。僕はひとりでラウンドワングリラに行けばよかったのか。たとえひとりで行っても、僕は親鸞とふたりで行ったことになるのだから。ああ、親鸞とバブルサッカーしたかったな。
 ラウワンに行くことのかなわなかった僕は結局、午前中をどう過したかと言えば、大方の予想通り、プールに出向いた。せめて水泳という趣味が出来ていてよかったと思った。しかし平日の午前中のプールは、普段の平日の夕方でもそれなりにそうなのだが、そこへ輪をかけてお年寄りの坩堝で、さすがの密度の高さになんとなく辟易した。水泳をすることで、エクササイズと同時にリフレッシュと言うか、そういうものを求めているのに、ちょっとどうにもそういう清廉さからはかけ離れすぎた環境だった。たっぷり時間はあったのに、ともすれば平日のときよりも短く切り上げた。
 少しスーパーで買い物をして帰ったら昼前で、じきにファルマンとピイガも帰ってきたので、温かいそばを作って食べた。3時ごろになり、下校してくるポルガを、ピイガと家の前の道まで出迎えに行った。この日に行なったことは以上である。こうして稀有な平日休みが終了した。こんな機会がなければ痛感しなくて済んだなにかを痛感するだけの休日だった。晩ごはんはサバの味噌煮。肉は嫌で、魚がいいけど、塩焼きの脂っこささえも避けたくての選択。美味しくいただけた。
 金曜はこんな結果に終わったが、4連休(なのは僕だけだが)のイベントとして、土曜日は出雲の義父母や明石の義妹一家が岡山にやってきて、1月に亡くなった祖母の墓参りをする、というのがあるのだった。それ自体は別に心が躍るものではないが、その際に昼ごはんでレストランに行こうという話になっていて、わーいレストランだ、と僕はそれをとても愉しみにしていた。お店のホームページを眺めて、なにを頼むか数日前から考えていたほどだった。
 ところがこの日の夜中になって、ポルガの体調がとうとう崩壊し、ひと晩中、上からも下からも出る、みたいなことになる。腹具合に関して兆候はあったが、よりにもよってこのタイミングでかよ、と思う。僕は寝かせてもらったが(初めて2段ベッドの上段で寝た)、ファルマンは付きっきりで看病し、ヘロヘロになる。朝になって病院に行くが、そのときにはもう、出すものは出しきって、体力はなくなって元気がないけれど、かと言って病院でどうこうできるもんじゃない、あとはもう安静にして回復を待つしかない、という状態になっていた。もちろん墓参りや、ましてやレストランになど連れ出せようはずがない。仕方なく我が家の不参加が決定する。なんてこったよ。せっかくの4連休。せっかくのレストラン。なんてこったよ。さえないな、まったく。ポルガはだんだん元気になっていったが、出掛けるわけにもいかないので、昼はうどんを啜り、ダラダラと過した。晩ごはんは鶏そぼろと玉子の2色丼を作る。ポルガは引き続きうどんの予定だったが、そぼろ丼を寄越せと言うので与えてやった。とても順調な回復ぶりで、こいつは本当に、今日の前半だけがピンポイントで駄目だったんだな、と思った。従妹と遊びそびれたことなど、本人はポロポロと涙をこぼして悔しがっていたけれど、泣きたいのは周りの大人たちだ。
 明けて今日、4連休の最終日である。午前中に、注文していたドライブレコーダーが届いた。ずっと前から買おうと話していて、来週に出雲に行くので、その前に設置しておこうと、とうとう注文したのだった。いろいろ見た結果、バックミラー一体型のものを選んだ。取り付けた後、試運転も兼ねて一家で買い物に出る。100均やスーパーなど。ドラレコはなかなか鮮明な映像が撮れていた。ファルマンに「ドライブレコーダー稼働中」のステッカーは貼るのかと訊かれるが、さすがにあれって客観的に見て気分がよくないので貼らない。それにしてもドライブレコーダーに限らず、昨今の隠し撮り、隠し録音のニュースを見るにつけ、世の中から性善説は完全に駆逐されたのだな、と思う。
 午後はファルマンが仕事をしていて、子どもたちは遊びに盛り上がっていたので、ファルマンにだけ断って、そーっとプールに出向いた。おとといのあの失敗に対し、この時間帯は非常によかった。人が少ないし、ちょっと西に傾いた自然光が窓から降り注いで水の底までをも輝かせ、とても気分よく泳ぐことができた。週末に来るとしたらこの時間なのだな、と学習した。
 晩ごはんはほうれん草と豚肉のオイスター炒めと、手羽先と野菜の中華スープ。ひと泳ぎして、ビールも飲まず、野菜たっぷりのメニュー。何を隠そう健康診断はいよいよ明日なのだ。果たしてどんな結果が出るか。これだけ健康に留意して数値を愉しみにしていたら、それどころじゃない大病が発覚した、なんてオチの、ひと月かけた壮大なネタフリにならないといい。
 そんな4連休だった。なんとも茫洋とした4連休だった。書店員時代の僕が見たら血の涙を流してもったいながりそうだと思う。しかし、じゃあお前ならどんな4連休を過したかね、という話だ。お前だって友達はひとりもいないじゃないか。東京に住んでいて、子どももいなかったくせに、別にどこへもアグレッシブに繰り出さなかったじゃないか。休日があるかどうかは関係ない。お前はずっとそうなんだよ。お前は、ずっと、そうなんだよ。

カラオケと雑炊

 春分の日。桜はまだ。天気もよくない。カラオケに繰り出す。最近はプールに行くようになり、カラオケからちょっと足が遠のいていた。親が「今日はカラオケだぜ」と盛り上がっていたら、子どもたちは「プールがいい」と文句を垂れていた。健全なことでなによりだが、しかしながら今日はカラオケの気分(僕はプールにいつだって行けるし、ファルマンはいつだってプールにそんなに行きたくない)だったので親の強権でカラオケを断行した。
 唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、「真赤な太陽」(美空ひばり)。初めての美空ひばり。唄いやすかった。
 2曲目、「ロマンスの神様」(広瀬香美)。有線で流れるのを聴いていて、このあっけらかんと明るい感じにやけに感動した瞬間というのががちょっと前にあって、唄おうと思った。しかしやってみたらすごく難しかった。ほとんどメロディがないところへ、アカペラのように歌を乗せていかなければならないのだった。
 3曲目、「アイノカタチ」(MISIA)。美空ひばり、広瀬香美と来て、MISIAである。お前はいったい自分の歌唱力をどれほどのものだと思っているのか。強気すぎるだろう。でもこれはわりと気持ちよく唄えた。MISIAを。気持ちよく。マジか。
 4曲目、「ドスコイ! ケンキョにダイタン」(こぶしファクトリー)。この流れで突然のこぶしファクトリー。どんなフェスだ。
 5曲目、「ペリーヌものがたり」(大杉久美子)。いよいよの混沌。「ドキドキプリキュア」の連日放送が終了したあと、急に始まった「ペリーヌ物語」のオープニングテーマ。「ルンルン」という表現のはしりだと言われているが、真偽のほどは判らない。
 6曲目、「ハピネスチャージプリキュア! WOW!」(仲谷明香)。「スマイル」「ドキドキ」と来て、次はこれかと身構えていたら「ペリーヌ」だった「ハピネスチャージプリキュア」のオープニングテーマ。ペリーヌと連続させたことで、なんか意趣返しのようになってしまったが、そんな意図はない。シリーズオープニングテーマコンプリートCDを聴いていて、前回の「魔法つかいプリキュア」に続いて、これもいいと思ったので唄った。曲中にセリフみたいな部分が入るのも愉しい。
 7曲目、「青いイナズマ」(SMAP)。まさかのSMAP。なんとなくピンと来たような気がしたのでセレクトしたが、しかし気のせいだった。やっぱり男性の曲は苦手だ。喉が痛くなった。
 8曲目、「ジンギスカン」(Berryz工房)。なぜか今日ふたつ目のハロプロ。そしてこのセレクト。今回のカラオケで僕は、モーニング娘。以外のハロプロを唄うと、家族(ファルマン)はとても白けた顔になる、ということを学習した。
 個人として唄ったのは以上だが、目下プリキュアブームの娘たちが次々にプリキュアソングをセレクトしたため、それもかなり一緒に唄うことになった。最新作「スター☆トゥインクルプリキュア!」のエンディングテーマ、「パペピプ☆ロマンチック」がとてもよかった。なにを隠そうハンドルネームのプロペ★パピロウは、女の子がパ行を言うのってちょっとエッチでかわいいよね、という意図で考えたものなので、この曲は本当に僕の趣味にドンピシャリなのだった。しかも☆(白)と★(黒)の違いはあれど、星も共通している。キュアミルキーもかわいいし、今年のプリキュアとの相性は本当にどうかしている。
 カラオケのあとは図書館とスーパーに寄って帰った。
 午後は家でのんびりと過す。ポルガと将棋、ピイガとオセロをする。ポルガとの将棋は、今のところ飛車や角行や金将をくれてやっても勝てるのだが、最近ポルガはたまにタブレットのアプリでコンピュータ相手に将棋をするようになっていて、それで鍛錬しはじめたら、僕は普通に負けるようになるのだろうと思う。僕はそういうコンピュータの将棋では、「やさしい」モードにも勝つことができない。実はそんな棋力なのである。
 晩ごはんは買ってきたカツオのたたきと、鶏雑炊。どうも近ごろ僕やポルガの腹の調子がよくなくて、季節の変わり目ということもあるが、言われてみればこってり系のメニューが続いたのではないかという話になり、今日はとことんお腹にやさしいメニューにしようとなったのだった。ネギ、しめじ、豆腐、鶏むね肉、卵と、とにかく温和なメンツばかりを揃え、しみじみと美味しい雑炊に仕上げる。「ああうまい……」と心の底から湧き上がるように唱えながら食べた。いよいよ健康診断も間近になってきて、ここからはラストスパートでさらに清らかな体を作っていきたいと思う。

春先週末日記

 土曜日はファルマンが人間ドックへ行ったため、午前を子どもたちと過す。どう過すかここ何日か考えていたが、とても無難に、自転車で近所の公園に繰り出した。自転車は子どもたちがそれぞれのものに乗り、そして僕はピイガの世話のために徒歩である。ピイガは補助輪を付けているくせに、公園に着くまでに3度も横転した。下手なのではない。どんなに下手でも補助輪付きの自転車で横転はしない。無謀なのである。スピードが欲しいのか、すごくハンドルを揺すったりする。それであえなく倒れる。ピイガが補助輪なしの自転車に乗ったり、将来的に自動車を運転したりする姿を想像するとぞっとする。公園では菜の花が咲いていた。これまでたまたまその時期に行くことがなかったのか、近所のその公園が、そんなに菜の花の咲き誇る公園だとは知らなくて、得をした気持ちになった。菜の花って春先に本当にいい色合いで咲く。そのあと園内で遊んでいたら、「ピイガちゃん」と名前を呼ぶ声があり、振り向いたら小さな男の子だった。ピイガの幼稚園のクラスの子だという。彼は母親と来ていて、挨拶を交わした。今回の公園に僕はバトンを持ってくるのを忘れて悔しく思っていたのだが、回していなくてよかった。せめて父親のほうはまともであることを示しておかなければピイガがかわいそうだ。
 帰宅後、昼ごはんとしてうどんを作り始めたタイミングで、ファルマンから「終わった」という連絡が来る。行きはバスで行き、帰りは車で迎えに行くという算段になっているのだった。ファルマンもそれから受診の特典であるランチに行くというので、そこまで急がない。うどんを食べてから3人で出発する。そしてファルマンを無事にピックアップした。病院の正面玄関から出てきた、外の世界で客観的に眺めるファルマンは、こういうときいつも感じることとして、やっぱりなんか変な生き物で、笑えた。ファルマンは胃のレントゲン検査の際、「右を向いて」と言われて左を向き、「左を向いて」と言われて右を向くということを繰り返した結果、最終的には技師が「コップを持ってるほうを向いて」と言ってくれるようになったと言っていた。
 この帰りにケーキ屋に寄って、ホワイトデーのお返しとして3人にケーキを買ってやる。僕はあまりケーキの気分じゃなかったので、和菓子を買った。そのあとは、帰宅しておやつにそれを食べたほかは、午後はゆるゆると過した。
 晩ごはんは皿うどんとおにぎり。皿うどんに最近ハマっている。皿うどんを食べるたびに、醤油さしならぬお酢差しが我が家には必要だ、と思う。皿うどんのとき以外に使う場面は浮かばないのだが(餃子は長い旅路の果てに、酢醤油よりも結局ポン酢で食べるのが美味しいという結論に至った)、あっても邪魔じゃないので、こんど100均の店内で思い出せたらボトルを買うことにしよう、と思った。
 明けて今日は、午前中にプールに出向いた。僕だけではなく、一家でである。会員になってから一家で行くのは初めて。僕だけ券売機で券を買う必要がなく、ちょっと優越感を覚える。ちなみに会員になって約半月、ここまで週3回ほどのペースで通えている。どうやら月会費の元は余裕で取れそうだ。そして普段にしっかり泳げているので、こうして子どもと来たときに、俺も自分の泳ぎをしたいんじゃい、というがつがつした気持ちを抱くことなく、子どもの世話をきちんとすることができた。ポルガは相変わらず人の話をろくすっぽ聞かないのだが、それでも十を注いでやっと出口から一が出てくるみたいな、ドモホルンリンクルのような悠々としたペースで、なんとかこじ開けるようにちょっとずつ形になってきた。1年余りのスイミングスクールを経て、クロールどころか息継ぎもできるようになっていないのだが、それでもまあ、とてもうっすらとした、素地と呼ぶには材質が心許なさ過ぎる素地が、この子には一応ないこともないのかな……? と思った。そのくらい、まるでウスバカゲロウのようにはかない、ポルガのスイミングの心得なのだった。
 帰宅して昼ごはん。家にあったものでいろいろ並べる。出掛ける前に仕込んであったゆで玉子も献立のひとつとして出す。休日、一家でプールに行ったあと、昼ごはんにゆで玉子を食べる家庭。ストイックか。
 今日も午後は特に何もなく、だらだらと過す。週末はいつも日曜日の夕方には子どもに対してうんざりするモードに入るのだが、今週は昨日の午前のひとりきりでの対応が響いたのか、昼ごはんのあと早くも無理になった。娘たちはなぜああも延々とうるさいのだろうか。声、動作、操作するおもちゃ、その全てがうるさい。そんなにパーフェクトでうるささを発生させなくてもいいだろうと思う。
 晩ごはんは手羽先の竜田揚げ。自分の好きなように片栗粉をたっぷりまぶし、カリカリならぬゴリゴリに仕上げる。仕揚げる。あと新じゃがでフライドポテトもした。そうなってくると、さすがにビールなんじゃないかとなり、ファルマンとふたりで1本だけ開けた。実に半月ぶりのビール。さぞや、さぞや最高に美味しいことだろうと思いきや、(まあこんなもんかな)という感想だった。これならレモンの炭酸水でも別にいいんじゃない、とも思った。これはビールに限ったことではないが、ビールは日々飲み続けていたほうが、美味しさを享受しやすいのだと思う。それはそうだと思う。継続は力なり。日々通いつめる常連客にこそ、店だってとっておきの美味しい部分を出してやりたくなるだろう。たまに都合のいいときだけやってきた人に、そこまで胸襟は開かない。それでいい。休肝日もなく、肝臓に負担をかけてまで飲み続ける人にこそ、本当の美味しさは与えられるべきだ。「家では飲まない。飲み会のときしか飲まない」などホザく人間に、ビールの十全の美味しさがもたらされてたまるものか。僕はまだ意識の上では常連客なので、そんなことを思うが、しかし立場的には既に一見の括りに入れられている。半月の別離によって、僕とビールはもうずるずるべったんの関係ではなくなったらしい。一抹の寂しさがあるが、所詮は一抹ほどだ、とも思う。僕の心の冷たい部分。

晴れと雨の土日

 土曜日は晴れで、日曜日は天気が崩れるっぽかったので、今日のうちにと公園に繰り出す。ポルガが冬の間、行きたい行きたいと言い募っていた大規模公園。日中の最高気温も15度を超えるようになり、ようやく公園シーズンが到来した。おにぎりは作っていかず、途中でマクドナルドに寄る。ハッピーセットのおもちゃがドラえもんの映画のものになったので、今日はそれを買って公園で食べるという算段なのだった。おもちゃは4種類ということで、大人もハッピーセットにして、4つ注文した。おもちゃは選べないということだったが、袋の手触りで判別は簡単にできそうで、オペレーターの人が気を利かせてくれたのか、4種ちがうものが付いていた。この世は優しさに満ちているな。公園には桃の花がたくさん咲いていた。おととしだったか、花見の時期にこの公園に、規模はどうあれちょっとくらい桜咲いてるやろ、咲いてないってことはないやろ、と当て込んで行ったところ、ほぼ咲いてないくらいの桜の木しかなかったということがあったが、そうか、ここの公園は桃の花だったのか、と思った。公園はそれなりに賑わっていた。「春の陽気に誘われて」という慣用表現を使うほかない、3月の週末なのだった。園内に入るなり駆け出して消え去ったポルガ(妹の面倒を見るという発想は一切ない)をひとしきり遊ばせている間に、広場の片隅にレジャーシートを敷き、簡易テーブルを設置する。テントって重くて、しまうのも大変で、心の底から買ってよかったと思ったことがこれまでいちどもないのだが、簡易テーブルは買ってよかった。公園での食事がすごく快適になる。準備を整えたところで、大型遊具の中に溶けているポルガを見つけ出し、回収する。そしてハッピーセットを食べた。春先の公園でのハッピーセットは、文字どおりなかなかのハッピー感があった。そのあとボール遊びなどもして、公園を堪能した。いい季節になったことだ。
 帰りにショッピングセンターに立ち寄って、こまごましたものを買う。子どもの肌着を買うために入店した衣料品店で、とてもいい具合のバッグを見つけ、買ってしまう。これまで会社へはリュックサックで行っていて、その前はベジバッグと言われるトートバッグを使っていた。思い返せば僕はリュックとトートを1年周期くらいで「やっぱりこっちのほうがいいな」と思い直して替えるということを繰り返しているのだった。というわけで今回はトート。形はベジバッグだが、これまで持っていたものよりも大きい。これまでのはちゃんとした値段の、正規のベジバッグと言うか、白の硬い帆布生地のものだったのだけど、新しく買ったのは帆布というほどではない厚手の綿で、色はモスグリーン。これまでのものにはなかった、ショルダーとしても使える紐も付いていて(トートよりも肩掛けが好きなのでこれはとても嬉しい)、そして異様に安かった。とてもいい出会いをした。帰宅してリュックから中身を移し替えたら、とてもスペースに余裕があった。と言うか本当にでかい。これまでのリュックも、「1泊旅行にも十分な容量」という触れ込みだったのに、そこへそれなりにぎっしりと入れていた荷物が悠々と入った。こうなるとまた内容物が増えていくのだろう。まるでヤドカリのようだ。毎日の10時間程度の外出で、いったいなにがそんなに必要なのか、自分でもよく分からないが、まあ世の中には荷物が極端に少ない人と極端に多い人がいて、僕は後者だということである。
 3時のおやつを食べたあと、アグレッシブにプールへと繰り出す。「午前中に公園で陽を浴びたのにプールに行くの? 行けるの?」とファルマンに驚かれる。これまでの僕なら、公園行って帰ってビール飲んで昼寝というのがお決まりのパターンだったろう。それを今はそこからさらにプールだ。参ったかこの野郎。
 晩ごはんは、ホットプレートを出して焼肉というわけではないが、焼き肉用のカルビ肉をフライパンで焼いて野菜とともに皿に持って出した。たしかにこういう肉らしい肉が食べたい気分だった、とファルマンに同調された。
 日曜日の今日は予報どおりの雨だったので遠出はせず、「スタートゥインクルプリキュア」を観たあとは、午前中に近所のスーパーへ必要なものだけを買いに出た。ピイガが昨日からくしゃみを連発するようになり、公園では「まさか花粉症かねえ」などと話していたのだが、帰宅後も続き、雨の今日も続くので、これはどうやら風邪らしいとなり、やわらかいティッシュを買った。やわらかいティッシュは、あえて選んだわけではなかったが、「ピンクローションティッシュ」という商品で、抜き出してみたら紙もピンク色をしていた。中学生ならこのティッシュだけでオナニーできるんじゃないか、というティッシュなのだった。それで僕の娘は鼻をかんでいる。いや、正しいんだけど。
 それからは家でのんびりと過した。晩ごはんは、昨日から一転で気温も下がったので、ここは鍋ラーメンだな、とおそらく今シーズン最後の鍋ラーメンをした。体を暖めるための味噌味。おいしく食べた。そして酒は飲まない。3月に入ってから一滴も飲んでない、と言えれば話が簡潔なのだけど、1日のとんかつの際にちょっと飲んでしまっていて、しかしそれ以降は本当に飲んでいない。鍋ラーメンの今晩においてさえもだ。自分でもびっくりする。なににびっくりするって、飲まなければ飲まないで別に大丈夫な自分にだ。思えば20歳のときのタバコも、やめることにしようと思い立ったら、それ以降は別にぜんぜん苦しむことなくやめられた。もしかしたら僕は、本当になにかを心の底から欲してなんかいない、心の底がとても冷めきった人間なのかもしれない。かもしれないと言うか、実際そうなんだと思う。プライドは高いので、なにか一言では言い表せられない巨大なものに執着している感じはするのだが、対外的なものへの依存心は、いい意味でも悪い意味でもなく、とにかく著しく持っていないな、と思う。休肝月を実際に始める前から予感していたが、たぶんこの経験を通して、休肝月終了後も、僕とアルコールにはだいぶ距離が生まれるだろうと思っている。あるいはこの一文はネタフリかもしれないとも思う。