春先週末日記

 土曜日はファルマンが人間ドックへ行ったため、午前を子どもたちと過す。どう過すかここ何日か考えていたが、とても無難に、自転車で近所の公園に繰り出した。自転車は子どもたちがそれぞれのものに乗り、そして僕はピイガの世話のために徒歩である。ピイガは補助輪を付けているくせに、公園に着くまでに3度も横転した。下手なのではない。どんなに下手でも補助輪付きの自転車で横転はしない。無謀なのである。スピードが欲しいのか、すごくハンドルを揺すったりする。それであえなく倒れる。ピイガが補助輪なしの自転車に乗ったり、将来的に自動車を運転したりする姿を想像するとぞっとする。公園では菜の花が咲いていた。これまでたまたまその時期に行くことがなかったのか、近所のその公園が、そんなに菜の花の咲き誇る公園だとは知らなくて、得をした気持ちになった。菜の花って春先に本当にいい色合いで咲く。そのあと園内で遊んでいたら、「ピイガちゃん」と名前を呼ぶ声があり、振り向いたら小さな男の子だった。ピイガの幼稚園のクラスの子だという。彼は母親と来ていて、挨拶を交わした。今回の公園に僕はバトンを持ってくるのを忘れて悔しく思っていたのだが、回していなくてよかった。せめて父親のほうはまともであることを示しておかなければピイガがかわいそうだ。
 帰宅後、昼ごはんとしてうどんを作り始めたタイミングで、ファルマンから「終わった」という連絡が来る。行きはバスで行き、帰りは車で迎えに行くという算段になっているのだった。ファルマンもそれから受診の特典であるランチに行くというので、そこまで急がない。うどんを食べてから3人で出発する。そしてファルマンを無事にピックアップした。病院の正面玄関から出てきた、外の世界で客観的に眺めるファルマンは、こういうときいつも感じることとして、やっぱりなんか変な生き物で、笑えた。ファルマンは胃のレントゲン検査の際、「右を向いて」と言われて左を向き、「左を向いて」と言われて右を向くということを繰り返した結果、最終的には技師が「コップを持ってるほうを向いて」と言ってくれるようになったと言っていた。
 この帰りにケーキ屋に寄って、ホワイトデーのお返しとして3人にケーキを買ってやる。僕はあまりケーキの気分じゃなかったので、和菓子を買った。そのあとは、帰宅しておやつにそれを食べたほかは、午後はゆるゆると過した。
 晩ごはんは皿うどんとおにぎり。皿うどんに最近ハマっている。皿うどんを食べるたびに、醤油さしならぬお酢差しが我が家には必要だ、と思う。皿うどんのとき以外に使う場面は浮かばないのだが(餃子は長い旅路の果てに、酢醤油よりも結局ポン酢で食べるのが美味しいという結論に至った)、あっても邪魔じゃないので、こんど100均の店内で思い出せたらボトルを買うことにしよう、と思った。
 明けて今日は、午前中にプールに出向いた。僕だけではなく、一家でである。会員になってから一家で行くのは初めて。僕だけ券売機で券を買う必要がなく、ちょっと優越感を覚える。ちなみに会員になって約半月、ここまで週3回ほどのペースで通えている。どうやら月会費の元は余裕で取れそうだ。そして普段にしっかり泳げているので、こうして子どもと来たときに、俺も自分の泳ぎをしたいんじゃい、というがつがつした気持ちを抱くことなく、子どもの世話をきちんとすることができた。ポルガは相変わらず人の話をろくすっぽ聞かないのだが、それでも十を注いでやっと出口から一が出てくるみたいな、ドモホルンリンクルのような悠々としたペースで、なんとかこじ開けるようにちょっとずつ形になってきた。1年余りのスイミングスクールを経て、クロールどころか息継ぎもできるようになっていないのだが、それでもまあ、とてもうっすらとした、素地と呼ぶには材質が心許なさ過ぎる素地が、この子には一応ないこともないのかな……? と思った。そのくらい、まるでウスバカゲロウのようにはかない、ポルガのスイミングの心得なのだった。
 帰宅して昼ごはん。家にあったものでいろいろ並べる。出掛ける前に仕込んであったゆで玉子も献立のひとつとして出す。休日、一家でプールに行ったあと、昼ごはんにゆで玉子を食べる家庭。ストイックか。
 今日も午後は特に何もなく、だらだらと過す。週末はいつも日曜日の夕方には子どもに対してうんざりするモードに入るのだが、今週は昨日の午前のひとりきりでの対応が響いたのか、昼ごはんのあと早くも無理になった。娘たちはなぜああも延々とうるさいのだろうか。声、動作、操作するおもちゃ、その全てがうるさい。そんなにパーフェクトでうるささを発生させなくてもいいだろうと思う。
 晩ごはんは手羽先の竜田揚げ。自分の好きなように片栗粉をたっぷりまぶし、カリカリならぬゴリゴリに仕上げる。仕揚げる。あと新じゃがでフライドポテトもした。そうなってくると、さすがにビールなんじゃないかとなり、ファルマンとふたりで1本だけ開けた。実に半月ぶりのビール。さぞや、さぞや最高に美味しいことだろうと思いきや、(まあこんなもんかな)という感想だった。これならレモンの炭酸水でも別にいいんじゃない、とも思った。これはビールに限ったことではないが、ビールは日々飲み続けていたほうが、美味しさを享受しやすいのだと思う。それはそうだと思う。継続は力なり。日々通いつめる常連客にこそ、店だってとっておきの美味しい部分を出してやりたくなるだろう。たまに都合のいいときだけやってきた人に、そこまで胸襟は開かない。それでいい。休肝日もなく、肝臓に負担をかけてまで飲み続ける人にこそ、本当の美味しさは与えられるべきだ。「家では飲まない。飲み会のときしか飲まない」などホザく人間に、ビールの十全の美味しさがもたらされてたまるものか。僕はまだ意識の上では常連客なので、そんなことを思うが、しかし立場的には既に一見の括りに入れられている。半月の別離によって、僕とビールはもうずるずるべったんの関係ではなくなったらしい。一抹の寂しさがあるが、所詮は一抹ほどだ、とも思う。僕の心の冷たい部分。