3回目接種の春週末

 金曜日、職場の一斉のやつで、新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を受ける。1回目2回目とそこまで症状が出なかったので気楽に捉えていたのだが、先週のファルマンが「3回目がいちばんタチが悪かった」などというものだから、そこから少し身構えた。それで結果はどうだったかというと、なるほど僕も3回目がいちばんよくなかった。ファルマンのような熱や頭痛こそなかったものの、倦怠感と、注射を打ったほうの左半身に、筋肉痛という言葉の範疇からはちょっと逸脱するような痺れが出た。そしてこの痺れは、日曜日の夜になった今でも、それなりに残っている。もちろん日常生活や仕事に支障を来すほどのものではないのだけど、ストレスを感じる。まったく嫌なものだ。
 そんなわけで土曜日は、家でグダグダと過した。ちょうど天気も大荒れで、出掛けようのない日だった。午後には昼寝もした。昼寝、思えば数年前まで、休みの日は昼ごはん時にビールを飲んだりして、そしてしばし昼寝、というのをわりとよくしていたが、最近はめっきりやらなくなったな、と久しぶりに昼寝の態勢に入りながら思った。昼にビールを飲んで寝るのって、自堕落といえば自堕落だけど、しかしその一方で、逆に体力があるからそんなことができていたんじゃないか、とも思った。昼寝から目覚めると、その前に解熱鎮痛剤を服んだこともあり、寝る前よりもだいぶすっきりしていた。
 晩ごはんはお好み焼きにした。この時点で、冷蔵庫の上に置いてあるホットプレートを取り出すことができるほど、ワクチンの副反応は遠のいていた。もちろんヘラでお好み焼きをひっくり返すのも無事に行なうことができた。お好み焼きはおいしかった。
 翌日の今日は、春の嵐のあと、台風一過のように空気が澄んで、陽射しがまぶしいほどに好天だったので、これは出掛けなければダメだろうと思い、公園に繰り出した。初めて行った公園で、遊具の規模はそこまでではなかったが、散歩に適していて、この時期に訪れるのにぴったりだと思った。梅やこぶしがよく咲き、桜のつぼみがだいぶ膨らんでいた。陽射しを浴びながらアップダウンの道を往ったため、冬季でどうしたって萎えた体に、きっぱりとした気持ちのよい疲労感が現れた。あまりにも春なのだった。
 午後は家で家族でのんびりした。子どもたちは春休みに入っていて、明日からもこんなような日々である。うらやましい。しかし金曜日の一斉接種には大いに意義があって、あの接種翌日の感じで出勤だったらすごく嫌だったけど、もう体はだいたい平常に戻ったので、まあ僕は明日からの平日をちゃんとこなそうと思う。晩ごはんは、鶏むね肉と錦糸卵の丼と、ブロッコリーとゆで卵のサラダ。ボディービルダーのような献立。もっともこの週末は、いうまでもなく筋トレを行なえていない。今晩、このあとちょっとくらいしようかな。ともかく3回目接種もなんとか無事に終わったので、大手を振って活動的に、これからのいい時期を愉しんでいこうと思う。

まとまりのない3連休

 3連休だった。
 正月に帰れなかった代わりに、実はこの3連休で横浜に帰省する、という計画があった。しかし事前に母に打診したところ、ここは都合が悪いということで実現しなかった。しなくてよかった。年度末に近いこの時期、子どもたちの学校もあと1週間だけあって、ちょっと体力的に横浜帰省は厳しかったろうと思う。
 帰省しなくなったので、ファルマンは3連休前日の金曜日に、3度目のコロナワクチンを受けた。ちなみに僕は今回は職場の一斉ので受けることにしたため、別々となった。1回目も2回目も、ファルマンはまあまあの熱を出したので、今回も覚悟はしていたが、やはり翌日の3連休初日はつらそうだった。今回は高熱よりも頭痛が強かったとのこと。聞いただけでつらそう。「でも、ワクチンでこんなにつらいのだから、実際に罹ったらもっとつらいんだろう」とファルマンは言っていて、しかし一方でオミクロンは概して無症状や軽症とも言うし、つくづく人間と新型コロナの関係性というのは、丸2年が経過してもぜんぜん確定しないな、と思った。
 ファルマンが臥せっていたこの日、義父母が子どもたちを連れ出してくれるというので、すわ、おろち湯ったり館チャンスではないかと一瞬色めき立つが、「そうすれば世話をしやすいでしょう」と義母に牽制され、どうもこれはファルマンをひとり置いて湯ったり館に行ったら顰蹙を買うやつだな、と思って自重した。ワクチンの副反応でのダウンって、病気ではないので、看病というわけではないし、寄り添ってやる必要があるのかどうか、すごく微妙なところだと思う。
 結局ファルマンは丸一日つらそうにしていた。次の日になると、さすがにだいぶ波は過ぎ去ったようで、どうしたって体調を崩したダメージは残っている様子だったが、それでも普通に起き上がって過した。
 この日の午後は、義母が通っているパッチワーク教室の発表会があり、義母も主催側として雑務をしているというので、そこへわが家と、あと相乗りを希望してきた三女も連れ、顔を出した。普段の話を聞くに、マダムたちの憩いの場であるらしいパッチワーク教室の、その発表会は、教室生マダムの、知人の非教室生マダムが、ネズミ算式に結集する、純度の高い濃厚なマダム空間だった。われわれ5人はだいぶ異質で、場の平均年齢を下げていた。パッチワーク作品は、大きかった。大きいなあ、という感想以外、センスや技術みたいなものは、門外漢なので判断しようがなかった。
 会場をあとにして、実家に三女と子どもたちを置いたあと、僕とファルマンだけで買い出しに出直す。この際にパソコンを買う。さらりと書いた。これまで使っていたパソコンが、どうにもこうにも重たくなり、また1年半前くらいにそれを買った際は、「もう俺、パソコンで創作ってんでもねーし!」と、いま思えばなんとなくやさぐれていたのか、ワードも入っていない安物を買ったのだけど、それが真綿で首を絞めるように、じわじわと不自由さから来るストレスをもたらすので、それを長年、壊れるまでいやいや使い続けるよりも、早い段階で見切りをつけ、やっぱりそれなりにちゃんとしたパソコンを買おうということになったのだった。これまで使っていたものは、壊れていないので、中身をまっさらにしてリビングパソコンとして余生を送らせることとした。新しいパソコンは、どういうものにするかいろいろ悩んだが、結局生まれて初めてのノートパソコンになった。ノートパソコンってみなさん知ってますか。パソコンなのに、持ち運べるんですよ。そんなのめっちゃ便利じゃないですか。ちなみにいまどきはノートパソコンとタブレットのあいのこのような、シュッとしたものもたくさん出ていて、むしろそちらのほうが主流のような感じもあったのだが、たぶんその簡略さ、その便利さは、僕よりも若い世代の人にとっての快適さなのであって、きっと僕はあくまでパソコンの、その持ち運びができるものとしてのノートパソコンという形が、便利さの頂点だろうなあと考え、選んだ。嬉しい。新しいパソコンそのものも嬉しいし、これまでは工業用ミシンの左のテーブルスペースに、デスクトップパソコンとキーボードが設置されていて、どちらの作業をするときにも滞りがあったものが、いまもノートパソコンは基本的に同じ位置にあるにはあるが、やっぱりこれまでに較べてぜんぜんすっきりしている。ましてや、よほど本格的にミシンをするときには、ノートパソコンは動かせばいいわけだし。だからつまり、とてもいい環境になった。
 3日目は概ね家で過した。この3連休は、全般的に天候がよくなく、肌寒かった。ファルマンが本調子でなかったので、ちょうどよかったけれども。午後になり、僕と子どもだけで、近所を僕はジョギング、子どもたちはサイクリングをする。ジョギング習慣はそれなりに板についたが、ぼちぼちプールも再開できるので、これから頻度は減るだろう。プール、前回が大みそかの湯ったり館なので、もう80日も泳いでいないことになる。渇望している。ジョギングのあとは、趣味のビキニショーツ作りに励んだ。近頃はすっかりインナーの自作が趣味の人になっている。いろいろな柄の生地で作るのが愉しい。
 そんな感じの、わりと茫洋とした、まとまりのない3連休だった。

春車

 髪がようやく、そこまで無理やりな感じではなく、結べるようになってきた。さらには気温もこのところぐんぐん上がっているので、ぼちぼち対外的にも「結んでいるほうが自然」みたいな空気が出てくると思う。そうやって伸ばし、結んで、ゴールは一体どこなのか。特に決めているわけでもないが、イメージとしては、女子弓道部の主将のようなポニーテールができるくらいまで伸ばせたらいいなと思っている。
 気温が上昇し、灯油は買い置きした分が果たして使いきれるだろうかと危ぶむほどで、そして今日は冬用タイヤからノーマルタイヤへの交換作業をした。春である。これはすなわち車の衣替えなので、あまりに明確な季節の移行行事である。そもそも冬用タイヤにしたのがいつのことだったか、と思い過去の日記を振り返ったが、どうも書いていないようだった。11月20日の鳥取旅行の際はまだノーマルだったろうと思うので、11月の終わりか12月のはじめくらいのことだったろう。だとすれば冬用タイヤ期間というのは3ヶ月半くらいか。まあそんなもんだろうな、と思う。季節って、春や秋が、夏と冬に押されて、なんとなく短いような先入観があるが(異常気象が前のめりに取り沙汰され過ぎるせいもある)、冷静にカウントしてみると、けっこうなんだかんだで12ヶ月を平等に分け合っているものだ。
 タイヤの交換は、実家で行なう。なにしろタイヤそのものが、実家の倉庫に置かせてもらっているのだ。MRワゴンは自前でやり、FREEDは、義父が自車も含めて依頼し来てもらう業者に頼む。軽自動車のタイヤ交換は、去年から年に2回のペースで行なっているため、僕もファルマンも、まあまあ会得してきた。しかし工程が把握できていても、倉庫からタイヤを出し、車まで運び、交換をして、再びタイヤを倉庫に戻すという作業は、やっぱり普通に疲れた。併せて義母の軽自動車のタイヤも、こちらは義父が中心となって交換し、さらには義父と僕のタイヤも業者の作業のために外に出しておいたりと、とにかくタイヤ三昧だった。思えば倉庫には、上記の4台分に加えて、三女のそれもあるので、常に20本ものタイヤが置かれているのだ。そして着用しているタイヤと、保管しているタイヤで、5人で合計40本のタイヤを所持しているのだと考えると、やけに多いことにように思う。タイヤ40本!
 実家ではイタリア料理店のテイクアウトのピザを、昼ごはんにいただく。おいしかったが、チェーンのデリバリーピザの、たぶんものすごく邪道な、あれやこれやを乗せたものに慣れている身(というほど頼んだこともないが、人生中で本格ピザよりはよほど多く食べている)からすると、端正だな……、という印象だった。食べやすく、おいしく、正しいが、はっきりいって物足りなかった。それでいて、正しいからか、わりといい値段を取るのだ(払ってないが)。餃子と一緒で、ピザは自分で作るものだな、と思った。あと、ピザを食べるにあたり、義父が冷蔵庫の奥から取り出してきたタバスコは、男子小学生の絵具を洗うバケツの水みたいな色をしていたので、「いるだろ?」と促されたが断った。あれはいったいいつから冷蔵庫にあるのだろう。どうもだいぶ前にも、なんの料理のときだったかはもう覚えていないが、タバスコを掛けるようなものを実家でいただいた際、同じやりとりをしたような気がする。あのときのタバスコと、今日のタバスコは、たぶん同一タバスコだろう。もしかしたら義父は、もうタバスコの正しい色を忘れてしまっているのかもしれない。
 タイヤ交換のあとは洗車もした。黄砂の時期に入っていることや、明日から雨だということは理解した上で、それでもこのタイヤ交換のタイミングで、冬の間の汚れを洗い流しておこう、今日という日はもう、車の世話に終始した日ということでいいじゃないか、という気概で行なう。するまではいつもあまりにも億劫なのだが、やったらやったでまあまあ気持ちがいい。ファルマンが車内に掃除機もかけてくれたので、車内環境もよくなったろう。嬉しい。
 2月は28日間なので、2月と3月の、日付と曜日の組み合わせは一緒になる。2月13日、バレンタインデーとして、ファルマンと子どもたちの手によるチョコレートのカップケーキを持っていき、ムーミンのチョコレートをもらったので、今日は僕の作ったカステラを持っていった。このために木曜日の夜に焼いて、冷蔵庫で寝かせていたのだ。最近の僕のカステラは、ふわふわ感も甘みも削ぎ落し、本当にただの、たんぱく質と糖質を取るための携行食めいてきていて、ホワイトデーの意味合いを込めつつのお持たせとしてはあまりにも無骨なのだが、そんなことは気にしない。8切れ持っていき、他の人は1切れ、僕だけ2切れ食べた。