岡山旅行&横浜帰省記 7 完結

 江ノ電はひどく混んでいた。今回乗った電車の中で、断トツだった。いったいこれがGWにはどうなってしまうのか、とまた思った。予定通り、由比ヶ浜駅で下車。由比ヶ浜駅というくらいだから、降りたらすぐに砂浜の風景が広がるのかと思っていたが、意外とそんなことはなかった。どうも人の流れ的にこちらが海らしい、という方向へ、住宅街の中をしばらく歩いて、ようやく着いた。この道の途中や、あるいは沿岸にコンビニのひとつもあるだろう、そこで食べ物の追加や、そしてノンアルコールビールを買おうと画策していたのだが、意外とひとつもなかった。仕方ないので先ほど調達したもので我慢することにした。箱を開けてみたら稲荷ずしは思っていたよりもボリュームがあったので、食べ物の分量的には問題なかった。ノンアルビールはだいぶ恨めしかった。食べていたら、上空をトンビの大群が旋回し始め、子どもが怖がる。それを憂えたファルマンが、持っていたビニール袋を頭上に突き上げ、変なステップを踏みながら振り回すという、トンビを追い払っているのか人を追い払っているのか判らない謎の動きをしたのでとてもおもしろかった。
 食べ終わったあとは、長谷の方面に向け、砂浜を歩く。わが家は、日本海や瀬戸内海には馴染みがあるけれど、太平洋とはほとんど接触がない。一応みなとみらいでも目にはしているのだが、あれはあまり海という感じがしない。歩いて分かったが、日本海と太平洋の大きな違いとして、太平洋の砂浜には、ハングル文字のプラごみがない。
 長谷駅までは歩いたらけっこうあった。そして長谷駅から、いわゆる鎌倉の大仏のある高徳院までも、けっこう距離があるのだった。しかもゆるやかな上り坂。ファルマンとふたりで来たときも同じ道を歩いたはずだが、まったく記憶にない。こんなにけっこう行くまでに苦労したんだったっけ、大仏様ちょっと奥に移動してない? などと思った。
 高徳院に着き、大仏に相対する。おー、という感想。写真とかテレビで見たことあるやつー、と思った。バカな感想だな。僕とファルマンとポルガの3人は、つい最近「ブッダ」を読んだばかりなので、特別な感慨を持てばいいだろうに、あまりそんなことはなかった。大仏の内部も入れたので入った。たぶんこれは初めてじゃないかと思う。内部が特別どうこうということはなかったが、あの鎌倉の大仏の中に入ったという事実がおもしろいと思う。
 鶴岡八幡宮、小町通り、由比ヶ浜、鎌倉の大仏という、王道ルートをこなし、これにて鎌倉観光は終了。これから長谷駅まで歩いてそこからまたあの激混みの江ノ電かー、とテンションが下がっていたら、高徳院を出てすぐの所にバス停があり、鎌倉駅まで行ってくれるというので飛び乗った。座ることもでき、とても楽だった。
 帰りの電車で母と話をしていて、由比ヶ浜の話題になり、母が「波の音って本当にうるさくて嫌」と言ったのが印象的だった。ああ、この人は息子一家と鎌倉に来て、由比ヶ浜を見て、そしてしみじみと、「波の音がうるさい」ということを思うんだな、ブレないな、と思った。母がこれからもずっとこうやって、老人的なみすぼらしさを見せないでくれたらいいと思った。
 帰りがけにスーパーに寄り、夕飯の買い出し。メニューをどうするか問われたので、焼き鳥やシュウマイや煮豚や枝豆など、おつまみっぽいものをこまごまと作ろうと提案した。帰宅すると既に甥は実家にいた。それから叔父と姪を車で迎えに行き、夕餉を始める。陽射しを浴び、よく歩いたあとの焼き鳥とビールが、どこまでもおいしかった。途中で姉と、今晩は義兄もやってきて、全員集合となる。全員が集合したので、3年ぶりに全員での写真を撮った。見較べてはないが、3年分子どもたちが大きくなっているだろう。それ以外はあんまり見た目の変化はないだろう。
 翌日は最終日。なんとこの日も予定が入っている。新幹線は午後2時新横浜発なので、午前中だけなのだが、ここが今回の帰省で唯一の、いとこで遊べるチャンスなので、姉と事前に協議した結果、つくし野のアスレチック施設に行くことにしたのだった。しかしここまで岡山・上野・鎌倉と動き回り、さらには夕方からは岡山から島根までの運転が待っている身としては、今日はもういいんじゃないか、姉の家の大きなテレビでWBCの準決勝を観る、というのでいいんじゃないかと、やんわりと提案したのだけど、アスレチックにテンションを上げる子どもたちにそんな声が届くはずもなかった。というわけで朝からアスレチックへ。姉によると、ここには自分が子どものころにも来たことがあるそうなのだが、まったく覚えがなかった。園内を巡っているうちに痛烈に思い出す瞬間があるかもしれないと期待していたが、結局最後まで一切の思い出がなかった。子どもたちは普通の公園にはないレベルの設備に、躍動していた。こいつらはもう、こどもの国じゃなくてこっちなんだな、もとい数年前から実はそうだったんだな、と見ていて思った。そして子どもたちをアスレチックで遊ばせながら、大人たちと言えば、やはり誰もが明らかにWBCの試合状況をチェックしているのだった。大抵の大人は、家でWBCを観たいに決まっているのだ。それでも子どもとアスレチックに行く約束をしてしまったから逃れることができなかったのだ。試合は敗色濃厚の様相を呈し、諦めムードの中、われわれのタイムリミットは迫り、アスレチックを後にする。その施設から出て駐車場の車まで歩いている途中で、周囲からワーッという叫び声が響き、慌てて車に飛び乗ってラジオを付けると、村上のサヨナラタイムリーで日本が勝っていた。タイミングが特徴的だったので、なかなか印象深い記憶になったと思う。
 そのあとはいったん帰宅し、少し急いで昼ごはんを食べ、1時ごろに実家をあとにする。濃厚であっという間の2日間だった。
 そのあとは新横浜で新幹線に乗り、5時半ごろに岡山に到着。岡山から再びかつての居住地の街へと移動し、3日間、見知らぬ街に置いていかれていた愛車に乗り込んだ。ここから3時間の運転である。この街に住んでいたらここで行程はおしまいなわけで、楽だなと思うが、でもやっぱり、これは前向きな発言として、ここに住んでいた頃よりも、今の島根県での暮しのほうが好きだな、3時間余計に掛かっても島根の暮しがいいな、というふうに思ったので、自分のことながら安心した。3時間は、ポルガのプレイリストを聴きながら、愉しく運転した。今回は本当にギチギチのスケジュールだったのだが、無事にすべてをやり遂げることができ、よかった。帰省して数ヶ月は、「さすがに顔を出さないとなあ」という懸念から解放されるのがいい。GWはたくさんのんびりしようと思う。

岡山旅行&横浜帰省記 6

 ここまでちょっとゆっくり書きすぎた。ここからペースを上げることにする(どうせそんなことになるだろうと思っていた)。

 3年ぶりの国立科学博物館は、まあ前に来たことがあるな、という感じだった。もちろんおもしろいのだが、1回目に読んでおもしろかった本を、あの本すごくおもしろかったからもう1回読もう、と思って読んだら、もう読んだことがあるのでそんなには愉しめない、みたいなそんな感じがあった。とはいえ、別に僕はいいのだ。ポルガが来たくて来たのだから。たぶん3年生で来た時よりも、知識も増えて、より愉しめたのではないかと思う。
 午後2時ごろに科博を後にし、ようやく実家へ。JR上野駅から田園都市線へのアクセスが、途中のどこかで半蔵門線に乗り換えるとか、検索すれば賢い方法もあったのだろうが、荷物が重かったこともありそんな余裕はなく、山手線で渋谷まで行くという、たぶんとても素人的な経路を採った。ホームに降りてから気付いたが、上野から渋谷って、山手線のほぼ真反対なのな。内回りでも外回りでも変わらない感じ。長いなー、とうんざりしながら、先に来たほうの電車に乗り込んだ。この際、初めて例の「高輪ゲートウェイ駅」を経験する。別に鉄道オタクではないので感慨はないのだが、それにしたってひどい名前だな、と思った。
 渋谷ではせっかくだからスクランブル交差点を歩こうかとも思ったのだが、やはりどうしたって荷物が重く、断念する。ここでも案内板だけを頼りに田園都市線乗り場に向かって歩いた。渋谷駅は、なにしろ田園都市線っ子なので、東京駅よりははるかに土地勘があるはずなのだが、僕が利用していた頃の渋谷駅と今の渋谷駅は、たぶんもう別の駅なのだと思う。乗り換えで歩いた通路の景色が、ひとつも懐かしくなかった。
 田園都市線もそれなりに長い。やはり実家と上野は遠い。そんなこと言ったらそれは岡山から上野のほうが当然遠いのだが、それでもやっぱり今回の作戦は成功だったと思う。たまプラーザに迎えに来てくれた母の車に乗り、ようやく実家に到着する。
 実家には祖母と、姪と甥がいた。甥は、去年のGWの帰省の際はサッカーチームの合宿とかで会えなかったので、科博と同じで3年前の正月以来だ。たまに送られてくる写真で見知ってはいたが、髪の毛を伸ばし、しかも茶髪にしていて、なんだかチャラかった。断っておくが、あの襟足が長いタイプの、ああいうのではない。この喩えがいいのかどうか分からないが、ヴェルディの北澤みたいな感じ。サッカーだし、小さいし、チャラいし、実際かなり共通項はある。そして相変わらずうるさい。男子って基本的に女子よりもバカでうるさいものだと思うが、甥はその中でもだいぶその度合いが強いほうに違いない。
 やがて姉も来て、叔父も来て、晩ごはんは定番の手巻きずし。ビールも含め、おいしかっただろうと思うが、味など覚えていない。とにかく子どもたち4人のやかましさに、滞在中通して、あてられ続けた。上のふたりがじきに中学生や高校生になるので、いまがこの4人組のやかましさのピークの時代ではないかと思う。
 夜は早めに寝た。なにしろ予定はギッチギチなのである。少しでも体調を崩せば計画が瓦解してしまうので、夜はせっせと体力の回復に努めなければならない。ストイックすぎて、愉しもうとしているのか、こなそうとしているのか、よく判らなくなってくる。
 明けて3日目の予定はなんなのかというと、なんと鎌倉である。鎌倉へは、だいぶ前から行きたいと思っていた。でも地方民のわれわれがこちらに来るときは、要するに大型連休期間であり、そんなときの鎌倉はどうせとてつもなく混んでいるのだろうと、いつも二の足を踏んでいた。そんなところへ、とうとう去年の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」となり、ああこれはもうダメだ、また当分鎌倉への道は遠のいた、と諦めていたのだが、今回この自前で作り出した4連休の、それも骨子の「自前」の部分、すなわち世の中的には平日であるこの日こそ、われわれが鎌倉に行くことのできる、千載一遇(この旅2度目)のチャンスだと思い、向かうことにしたのだった(それだのに、2日前の晩、岡山のホテルでたまたま眺めた「アド街ック天国」の特集が「鎌倉 長谷」だったので、やめてくれよ! と思った)。
 これにはせっかくなので母も誘った。これで母を伴わなければ、帰省したのにほとんど実家の面々と絡まなかった感じになるので、孫らとの思い出作りとしてよかったんじゃないかと思う。なんなら祖母も来るかなと思ったのだが、さすがにもうそういう遠出はしないようだ。それでも近所の散歩は日々しているそうで、94歳とは思えないほど、変わりなく元気そうだと、こちらがそう感じたい部分もあって、そう見えるのだが、しかし80代と90代というのはやはりだいぶ違うのだろう。ポルガ3歳の七五三の際、2014年のことだが、祖母は母と姪と3人で倉敷にやってきて、一緒に美観地区を回った。さらにその次の日は、広島の知人に会いにひとりで別行動さえしていた。9年前なので、あのときの祖母が85歳ということになる。85歳と94歳は、そうか、それは違うよな、と思った。
 あざみ野から鎌倉へは、1時間くらいで着いた。長年行きあぐねていたわりに、いざ行ってしまえば近いのである。鎌倉と言ったが、下車したのは北鎌倉駅。ここから、円覚寺や建長寺に立ち寄りつつ、ひたすら歩いて、鶴岡八幡宮に後ろ側からたどり着くというルート。特になにも決めずに来ていたのだが、祖母にそう提案されたので、従った次第である。やってみたら、かなり歩くルートだった。
 鶴岡八幡宮の大階段では、ファルマンが「鎌倉殿の13人」の、源仲章の死に際のモノマネを得意としており、「あたい鶴岡八幡宮に行ったら絶対に再現すんねん」と言っていたので、僕は公暁役となり、ファルマンを斬りつける演技をしてやったのだけど、ファルマンは周囲の人間の多さに委縮して結局モノマネせず、だからただ僕が急に妻を手刀で打擲した、デートDV夫みたいになった。そのあとファルマンは、なにを思ったのか、御朱印を書いてもらう列にポルガとふたりで並び、しばらくして戻ってきたら、手に自分用として鶴岡八幡宮仕様の御朱印帳を持っていた。なぜか急にここで、自分も始めることにしたらしい。まあどうせ御朱印帳を始めるなら、ポルガの出雲大社然り、やはりちょっと名のある所の御朱印帳がいい気はする。鶴岡八幡宮なら悪くないな。鎌倉はわれわれの新婚記念デートの場所だし、おみくじで「名付けに注意せよ」というありがたい言葉をいただいた場所だし(守らなかったけど)。
 そのあとは小町通りを通り、鎌倉駅へと向かう。鶴岡八幡宮もだったが、この小町通りがすごい人で、いちおう平日の今日でこうなのだから、週末やGWとなるとどうなってしまうのか、と思った。このあとの予定としては、江ノ電に乗って、長谷を目指しつつ、途中の由比ガ浜で降りて砂浜でごはんを食べようと思っていて、そのために小町通りでなんかしらの食べ物を買っておく必要があったのだが、これが大変だった。食べ物屋はどこもだいたい行列で、とてもガイドブックに載っているような、「小町通りで食べ歩き♪」なんて状況ではないのだ。それでもなんとか稲荷ずしや唐揚げを調達し、ほうほうの体で駅へと進んだ。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 5

 岡山から新横浜までは新幹線で3時間である。夕方に岡山に着き、なぜそこで新幹線に乗るという選択をしなかったか。乗ってしまえば車内での3時間は寝ていればいいのだし、そのあと新横浜からあざみ野までの地下鉄さえ少し耐えれば、駅までは母が迎えに来てくれる。着いて寝るだけの初日になるが、それは仕方がないだろう。でもそうはしなかった。そうは言ってもその移動は体力的にきついだろうというのもあったし、なにより翌日の予定が関係していた。旅程2日目の今日は、上野の国立科学博物館に行くのだった。実家から上野へのアクセスは悪い。アクセスが悪いというか、普通に遠い。前の晩、深夜帯に実家に着いて、翌日の午前中に上野に向けて出発するのは、かなりハードなスケジュールに違いない。それよりは岡山で(それなりに)ゆっくり休み、翌朝早くの新幹線に乗って、上野目的で東京駅まで新幹線で行く、というのが賢い選択だろう。などと偉そうに言っているが、僕が考えたのではない。これはファルマンの采配である。僕ははじめ岡山で1泊すると聞いたときは「へ? なに言ってんの?」となった。でも実際にやってみて、やはりこれは正解だったと思った。
 というわけで早朝の岡山駅である。新幹線は岡山発の、始発か、あるいはその1本あとくらいの、本当に早いものであり、余裕を持って早めに駅に行ったら、なんと新幹線乗り場の改札がまだ開いていなかった。改札の前には人がじりじりと集い、その中には明らかに、ディズニーランドに卒業遠足的なものに行くのだろう学生などもいた。岡山という場所は、新幹線という乗り物は、なるほどそういうものだったな、という感じを思い出した。この感じは、島根県ではまるで味わわないものである。
 やがて改札が開けられ、入場した。もちろん指定席を取ってあるので、乗り遅れさえしなければ、急ぐ必要はまるでないのだ。かくして無事に、やってきた新幹線に乗り込み、旅行&帰省の後半部に突入した。あるいは上野パートはまだ帰省ではなく旅行の延長と捉えるべきだろうか。別にどっちでもいいことだな。
 新横浜を通過し、品川を通過し、東京に着く。時刻はまだ9時過ぎである。永遠に全貌は把握できないのだろう東京駅を、目的の路線の案内表示だけを頼りに、溢れかえる人波の中、進む。東京から上野は、もちろん近い。すぐに着いた。着いたJR上野駅で、動物園などのエリアに近い出口を探し、改札を出たら、なるほど目の前はそのエリアだった。今年やけに早く咲き始めた桜も影響しているのか、まだ午前中だというのに人は多かった。基本的に自分たちが田舎住まいだというのもあるが、コロナ以降、久々にこのような人出を見たような気がする。かくいう我々も、この場所に来たのは2020年の1月以来であり、そういう輩がこういう所に来られるようになったからこそのこの人出なのだな、と思った。

岡山旅行&横浜帰省記 4

 引越しって一種の死みたいなもので、自分がいなくなっても変わらずに全体の営みは続いていく感じが、とても似ていると思う。だから引越した街に顔を出すのって、ちょっと霊界から舞い降りて現世を眺めているような気分だ。ワクワク感と同時に、すごい寂しさもある。かつて自分の居場所であっただけに、今はもうそうではないことに、やるせない喪失感を抱く。
 馴染みのスーパーを覗いてみた。引越しの直前、「当店はリニューアル工事のため下記の日程で休業します」という張り紙があり、それは我々が引越す数日後の日付で、だから一体どんなふうなリニューアルが行なわれたのか、2年以上気になっていた店である。入店してみたら、たしかに2年前とは微妙に違う気もしたが、2年前の記憶自体があやふやになってもいるので、なんとも言えなかった。遠いなあ、当たり前だが、この土地で我々はもはや、地に足がついていないのだなあ、ということをしみじみと思った。今晩、ホテルで食べるものを買い、店を出た。今後また倉敷に来ても、もうあえて、こうして懐かしがってこのスーパーに来ることはないかもしれないな、と思った。
 この街にわざわざ来たのは、こうして回顧するのももちろん目的のひとつだが、車を停めるためでもあった。3日後の火曜日まで、足掛け4日間車を置いておくにあたり、岡山よりもこの街のほうがいいだろうと考えたのだった。岡山市街は土地勘があまりないし、駅の近くの駐車場となれば駐車代金もかなり掛かるだろう。ここならば、岡山まで電車で行く手間は掛かるが、安心感があった。駐車場は、あたりをつけていた場所(もちろん居住時代は使ったことがなかったけれど)が無事に空いていて、停めることができた。1日500円。さすがの安さ。
 なのでここから電車で岡山駅へと移動した。車に軽い気持ちで載せてきた荷物は、持ってみるとだいぶ多く、重く、これはこのような旅程でのトラップだと思った。
 岡山駅ももちろん久しぶりである。ただしこの時点でもう18時を過ぎて暗かったし、荷物も重かったので、駅から歩いて10分ほどのホテルまで、心を無にして歩いた。自業自得だが、3時間の運転後に、僕は泳ぎさえしたのだ。3泊4日の初日から飛ばしすぎだ。
 ホテルの部屋に着いたときにはほっとした。出発前は、夜は岡山の街をブラブラするのも悪くないな、などと考えていたが、とてもそんな気力は残っていなかった。買ってきた総菜を食べ、ビールを飲み、順番にシャワーを浴びて、早めに寝る態勢を整えた。なにぶん翌日の起床もきわめて早いのである。
 22時を待たず、アド街ック天国をぼんやり眺めつつ、ピイガを寝かしつけながら、ともすればピイガよりも早く寝付いた。そこでものすごく深く寝たようで、次に目を覚ましたら、ファルマンはまだ起きていて、時計を見たら23時半くらいだったので、なんだか驚いた。だいぶしっかり寝たつもりだったのに、まだ安住アナの番組が終わった直後くらいじゃないか、と思った。ファルマンは自宅じゃないので緊張して寝付けないらしかった。僕はなんだか驚いたなあ、と思ったあと、たぶんまた秒ですぐ寝た。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 3

 というわけで風呂はすっぱり諦めたのだが、だとしたらどこへ行くのか、結局なにも決められないまま、この日を迎えてしまっていた。プールのあと、入浴施設で体を洗うということ以外、特にしたいことが浮かばなかったのだった。そんな自分に対して、ちょっとどうなんだと思う部分があった。6年半暮した倉敷である。そこへ2年ぶりに戻ってきたのである。万感の思いとともに、いろいろ再訪したい場所があって然るべきではないのか。ないのである。水で泳いだあと、お湯を求めるだけなのである。俺は一体なにをやっているんだろう、俺の生活、俺の人生って、本質は一体なんなんだろう、とまで思った。
 結局、しばらく水泳センターの駐車場で思案した挙句、イオン倉敷に行くことにした。熟考した末にイオン。なんかつらくなってきた。それでも時間を潰すために無為にイオンに行くのではさすがにない。目的はもちろんパンドラハウスである。しかし1週間前の松江のそれで、ニットが冬物ばかりであまりよくなかった、という思いをしたばかりだったので、あまり期待はしないで行こうと思った。それで、ちょっと懐かしい道を走り、イオン倉敷へとたどり着いた。2年でお店のラインナップも変わったりしているのかな、ということにも少し思いを馳せたが、馳せるだけでモール内を見て回るということはせず、ただパンドラハウスに直行した。そしてその収獲はどうだったかと言うと、これが滅法よかったのである。適度な厚みの、いい感じのボーダーのニットはぎれ(130×50くらい)が、色味で分類されて棚に何段も並べられ、しかも1巻が本来500円のところ、セールで380円になっていた。うひゃあ、と興奮しながら、両手いっぱいに抱え、購入した。1週間前の松江の雪辱が果たせて万々歳だったが、その一方で、あんなに行きたいと思っていた、おらが県の県庁所在地である松江のイオンのお店は、実はそれほどの規模ではなくて、岡山のお店のほうがよっぽど品揃えがいいんだ……、ということが明らかになってしまい、少ししこりも生まれた。倉敷在住時代は、ぜんぜんニットに興味なかったんだよな。またいつか、岡山に行った際には、来れたらいいなと思う。
 あまり期待しないで行ったイオン倉敷で望外の喜びがあったため、すっかりテンションが上がった。もう今日の倉敷での行動はこれで打ち止めでいいな、と思ったので、美観地区に向かうことにした。ここまでファルマンに状況を訊ねるメッセージを何度か送っていたが、ぜんぜん既読がつかないのだった。
 美観地区にたどり着き、適当に歩きはじめる。人はかなり多かったが、歩いていればそのうち出くわすだろうと思った。2年よりもさらに、たぶん4年とか5年ぶりの美観地区は、まあ相変わらず観光地だった。観光地なので、倉敷になじみのある人間が来ておもしろい場所ではない。そんなことを思いながらあてもなく歩いていたら、果たして見覚えのある一団を発見し、無事に家族と合流した。それからひとしきり、僕も一緒に美観地区内を巡り、やがて別れた。2年2ヶ月ぶりの心友との邂逅は、ポルガの心を満足させただろうか。そうだったらいいな、と思った。4年生の3学期に転校をさせることになったことに、親としてやはり、一抹の後ろめたさがあるのだった。そしてそれも含めて、倉敷および岡山に対する、僕の複雑な感情が形成されている気がする。
 心友一家と別れたあと、4人で再び車に乗り込み、次の目的地は岡山市街、では実はなくて、倉敷市街からそう離れていない、かつて実際に我々が6年半を暮した街である。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 2

 土曜日の朝、最初の目的地である岡山に向けて出発した。出発できてよかった。GWではなくこのタイミングというのはすごくいいなと、計画が立った1ヶ月前あたりは思っていたのだけど、直前になって子どもたちの花粉症が強まったり、僕にもガツンとした症状が現れたりと、この時期特有のトラップに戦々恐々としたが、なんとか中止にせずに済んだのだった。
 岡山までは車である。前回の帰省の際、飛行機を避けたいがために、岡山まで車で行ってそこから新幹線に乗る、という手段を、「こんなトンデモ案もあった」という感じで書いた気がするけれど、今回はそれを実際に選択し、実行した。特急やくもに乗ることへの抵抗や、岡山や倉敷で行動することを思えば、これが今回の最適解だろうと考えた。ちなみにこの1週間前の松江行きで、ポルガがスマホを契約したことや、その夜に音楽のサブスクに加入したことは、実はどちらもこの岡山行きの伏線なのだった。
 車内音楽が新鮮で愉しかったので、3時間の道程は快適だった。これなら10時間くらいかけて全行程を車で行くのもありなんじゃないか、とさえ思ったが、ピイガが1時間過ぎたあたりでぐずり始めたので、やっぱりぜんぜん無理なのだった。
 玉島の出口で高速を降り、倉敷市へとたどり着く。懐かしき倉敷。2021年1月4日以来、実に2年2ヶ月ぶりである。まさかこれほどまでに岡山に行かないことになるとは思っていなかった。
 ポルガの心友との待ち合わせ時刻には、だいぶ余裕を持って家を出ていたが、高速道路の最後のほうで事故渋滞があってだいぶ時間を喰い、昼ごはんをどこかで食べる時間はなくなる。そこで2号線から笹沖のザ・ビッグに立ち寄り、住んでいた頃は買い物ついでによく買って食べたあのたこ焼きを買って食べようじゃないか、懐かしくてちょうどいいじゃないかと閃くが、駐車場に入ったところで、お店がなくなっているのが分かった。寂しい。これが2年2ヶ月の歳月というものか。仕方なくザ・ビッグで弁当を買い、車の中で食べた。
 そこから目的地まではすぐである。目的地は美観地区なのだ。ここでポルガは心友と遊ぶ。ファルマンとピイガ、および心友のお母さんと弟くんの4人は、そんなふたりを少し離れたところで見守りながら一緒に美観地区をブラブラする、という計画になっていた。というわけで集合場所で無事に落ち合い、ポルガと心友は2年2ヶ月ぶりの再会を果たしたのだった。キャラ次第では抱き合って喜んだりするような場面だろうが、おとなしいものだった。まあ親きょうだいの前だしな。
 かくして6人は美観地区へと進み、僕はここから別行動。さすがに僕まで一緒に美観地区を回ってもしょうがない。それよりも僕には行きたい場所があった。倉敷市が誇る50mの巨大プール、倉敷市屋内水泳センターである。居住時代、ちょいちょい行っていたこの場所だが、離れてみて、50mで、レーン数も多く、水深も深く、そしてなにより水が異様に透き通っているこのプールの価値を改めて実感し、いつか岡山に行った暁にはぜひ立ち寄りたいと思っていた。でも岡山に行くときは、1日の中で、もれなく行き3時間、帰り3時間の運転が待っているわけで、その状況下で泳ぐのは難しいかな、とも思っていた。それが今回、帰りの3時間のことは気にしなくていいという千載一遇のシチュエーションに恵まれたため、満を持して赴いたのだった。今回の3泊4日は、かなりギチギチに予定を詰めていたが、個人的にそこへプールまで組み込んだのだから、アグレッシブなことだと我ながら思う。
 美観地区から水泳センターまではすぐである。動線的にも今回は恵まれていた。かくして2年2ヶ月以上、最後がいつだったかは分からないが、とにかく久しぶりの、念願の水泳センターと相成った。相成り、どうだったかと言えば、まあよかった。プールは相変わらずのクオリティだった。でも50mプールって、25mのそれに較べて泳ぐ距離が長いからすぐ疲れるんだよな、ということはもちろん分かっていて、実際その通りで、3時間かけて来た、2年以上ぶりのプールだから、堪能するために死ぬほど泳いだかと言えば、そんなこともなく、それでも合計で1kmほどは泳いだが、35分くらいでフィニッシュした。
 はじめからプールではそれほど時間は潰れないということは判っていた。別れてからまだ1時間ほどしか経っておらず、子どもたちはまだまだ美観地区だろう。さてこのあとどうしよう、と考える。水泳センターは、せっけん類を使ってのシャワーが禁止されているため、髪や体を洗いたい気持ちはあった。実は計画段階でその流れを予想し、そう離れていない位置に「くらの湯」という入浴施設があったから、そこへ行くのはどうかと考えたのだが、検索したらなんと閉鎖していた。居住時、いちどだけ行ったことがあった。真備の水害があった際には、災害に遭った人や復旧作業にあたった人に、風呂を無料開放していたのが印象に残っている。やはりコロナだろうか。2年2ヶ月の歳月をここにも感じた。
 つづく。

岡山旅行&横浜帰省記 1

 岸田首相がキーウを電撃訪問したのと同時に、わが家もひそかに横浜に帰省していた。
 先週、18日の土曜日から旅程は始まり、日曜日、そして春分の日の火曜日に挟まれた月曜日を、僕は有休、ピイガは家庭の事情による欠席(ポルガは既に卒業式を終えた)にして4連休を拵え、帰省を決行したのだった。もちろん電撃訪問と言いながら、周到に計画は練っていた。それなのに事前に一切その素振りを見せなかったのは、岸田首相とまったく同じ理由で、安全上の観点からそうした次第である。このタイミングでわが家が家を空けることが判ったら、どういう輩がどういう悪事を働くのかはまるで想像つかないが、まあ警戒するに越したことはないだろう。
 ちなみに今回ここで帰省を行なったのは、お盆だとだいぶ先になりすぎる感があり、だとすれば去年に引き続きGWということになるが、なんてったってGWは混雑するので、それを避けるためにこのタイミングが浮上した次第である。ここも岸田首相とまったく同じ行動原理かもしれない。
 交通手段だが、今回は飛行機を免れた。去年やって、飛行機はやっぱりあまりにも僕の心身にダメージが大きい(巨根の弊害)ということが明らかになったし、それ以外にも実は理由があった。今回のツアーは、実家への帰省だけが目的ではなく、実は岡山旅行も兼ねていたのだ。これまで鳥取、広島と、近隣の県への1泊旅行を行なってきたわが家だが、今回はその岡山編ということである。もっとも岡山には6年半住んでいたわけで、普通に考えれば旅行なんてするはずがない。
 それではどういう事情かと言えば、4年生まで倉敷の小学校に通っていたポルガには、僕が「ダイアナ」と呼んでいる、ポルガのことをやけに肯定してくれる心友がいて、ポルガは島根に引っ越してからのこの2年3ヶ月、ずっと彼女に恋い焦がれていたのだった。今回、コロナもとうとう(ほぼ)収束し、その子の母親と打ち合わせをして再会の算段がついたので、横浜帰省と抱き合わせ、初日に倉敷でその子と遊び、夜は岡山市のホテルに泊まり、そして翌朝、岡山から新幹線で横浜に向かう、という計画が立てられた。実に周到に練られた計画である。しつこいようだが、インド訪問からそのまま陸路でキーウ入りした岸田首相との相似を感じずにおれない。
 というわけで3泊4日の、旅行&帰省記をこれから綴ってゆく。しかし今日はその、前フリというか、まだ実際には島根県を出発する前の段階までしか書けなかった。なにぶん、火曜日の夜に島根に帰ってきて、もちろん今日から労働だったのだ。のんびり書いていこうと思う。

日曜松江父

 日曜日、家族で松江に行った。
 松江にはなにしろ、ニットはぎれのおもしろいのが売っているパンドラハウスがあるので、常日頃からチャンスがあれば行きたいと思って暮している。今回はそれを含めていろいろな目的がいい具合に集まったので、行くことに相成った。いざ行ってみれば、松江はまあ決して近くはないのだが、そこまでとんでもない遠出ということもなく、ほどほどの距離なのだった。思えば島根での暮しは、お店が立ち並ぶエリアというものが基本的に1ヶ所に凝縮されているため、買い物にそこまで移動時間を要さない。これはとても便利でありがたいことだが、岡山時代はそうではなかった。当時住んでいた場所は、岡山市と倉敷市に点在する市街の、どこにも出やすい立地だと、住んでいた当時は思っていたが、どこにも出やすいというのは、裏を返せばどこに行くにも一定の移動時間を要するということで、けっこう40分くらいザラに使って、大きい100均ならあっち、イオンならあっち、なんてことをしていた。その頃のことを思えば、今はすっかり体が鈍ってしまっているけれど、1時間かかるわけではない松江へも、そう身構えずに行けばいいのだと思った。
 家族で行くことにした目的の筆頭は、ポルガのスマホの契約である。われわれ夫婦が契約しているイオンモバイルが、松江イオンにしかないため、松江に出向く必要があった。なにぶん春から中学生なので、まあ現代の一般的な落しどころだろう、このタイミングで持たせることにしたのだった。この時期こういう層は多いだろうと思い、お店が混んでいるのではないかと危ぶんでいたが、幸いここは島根県のため、まったく問題なかった。番号札さえなかった。スマホ本体は、ネットで買ったほうが安いのかもしれなかったが、まあお店で買ったらいろいろ事がスムーズに運ぶだろうと思い、店で買うことにした。それでラインナップを見せてもらったら、僕がいま使っているものとまったく一緒の機種が、僕がネットで買ったときと同じ値段で販売されていたので、なんだか拍子抜けした。さらに言えば、これは望外の喜びだったのだが、店で本体を買って契約をした特典として、WAONを何千ポイントかくれるそうなので、なんだかとてもリーズナブルに契約をすることができた。新しくスマホを持ち、電話番号も得るということが、こんなに簡潔にできてしまうのか、と思った。って言うか中学生でいきなりスマホって、という思いも、どうしたってある。僕は高校生になったとき、やっとシティフォン(都会専用携帯電話)だった。まあそんなこと言い出したら、高校生が携帯電話を持つことがあり得なかった時代だってあるわけで、きりがないけれど。でもスマホということは、カメラも、音楽プレーヤーも、既に集約されているわけで、そうか、現代の子は我々が選択を悩まされたそれらのことには、一切煩わされないのだな、と思った。ちょうど読み返していた「おもひでぶぉろろぉぉん」で、当時使っていたPanasonicのSDプレーヤーの話をしていたので、それが余計に感慨深かった。
 契約後の待ち時間は、ポルガは本屋へ、ファルマンとピイガは施設内をブラブラ、僕は待ちに待ったパンドラハウスへと向かう。去年の7月以来の来店。もうそんなに経ったのか。それで収獲はどうだったかというと、まあちょっと期待を高め過ぎたかな、という感じだった。もっとも時期的に、起毛のような、厚めの生地が多かった。僕の目的はもちろんショーツ用の生地なので、それでは適さない。それでも何枚かは買った。本当はもっとわんさか買うつもりで、財布に多めにお金を入れてきていた。だから少し残念だ。また暖かい季節になったら買いに来ようと思う。
 スマホを受け取ったあとは、所用があったため松江駅にも少しだけ寄って、帰った。帰り道の途中で量販店に立ち寄り、食料品などもろもろ買い込む。この際にポルガのスマホ用のマイクロSDも買った。32ギガ。マイクロで、32ギガなどという。2005年当時のSDウォークマンで使用していたSDの容量が、512メガだった。いや、まあ本当に、これについて言い出したら、じゃあカセットテープしかなかった時代はどうなんだ、という話になるから意味がないのだけど、それにしても、うーむ。
 そしてこれに関連した話にもなるのだが、ちょっと久しぶりに小一時間ほどのドライブをしたことで、現状の車内音楽が非常によろしくないということが判明した(本当はだいぶ前から判明していたが、いよいよ耐えられなくなった)のだった。これまではパソコンにデータとして持っている音楽をSDにコピーして、それを車載オーディオに差し込んで流していたのだけど、ろくに増やさないので、心底飽き飽きしていた。それで僕は、ゲオに行くしかないなー、と思っていたのだけど、ファルマンが、「定額制の音楽聴き放題サービスに加入しよう。ポルガもスマホを持ったのだから、ファミリープランでお得だ」と言い出し、えっ、なにそれ、それって俺たちとは縁のない世界の話なんじゃないの、と半信半疑だったのだけど、帰宅して、ファルマンがサービスを選んで契約してくれ、使ってみたところ、僕の聴くようなポピュラーな音楽は例外なく聴けて、ダウンロードもし放題で、なんだこれ、と思った。これまで猜疑心から近付かずにいたけれど、なるほど世の中こういうことになっていたのか。CDとか、ゲオとか、もうすっかりそういう時代じゃないんだな。かつて、メインの1曲と、どうでもいいカップリング曲と、メインの曲のオリジナルカラオケの3つだけで1000円していたのに。今は月額1500円ほどでありとあらゆる曲を手に入れ放題だと。信じられない。
 子どもの、32ギガのマイクロSDを入れたスマホ、無限の夢があるような、逆に全然ないような。とにかく隔世の感があると思った。そんな日曜日の父親だった。

春先の週末

 土曜日は義父が奥出雲のダムの放流イベントに子どもたちを誘ってくれたので、3人はそちらへ出掛け、僕はひとりで過した。午前中にプールに行って泳ぎ、昼ごはんをちゃちゃっと(ひとりって身軽!)済ませたあとは、買い物に出た。
 2月の終わりだった今週前半、月ごとで設定している食費をどうしても切り詰めたくて買い物を控え、3月に入った週後半は、労働が忙しくてなかなかきちんと買い物ができず、冷蔵庫の中がだいぶ頼りない感じになっていた。その状態を解消すべく、これもひとりの身軽さから、複数のスーパーをはしごし、いろいろと買い込む。食料品の買い物、すごく癒される。物価の高まりという懸案要素はあるものの、それでも食材を買い込むのは愉しい。週後半、労働で疲弊し、さらにはそのせいで十全の買い物ができなかった期間はストレスが溜まり、amazonでタイムセールをやっていたこともあり、かねてより欲しいと思っていた大きな蒸し器なんか注文してしまった。台所関係のことばかりがやけに僕の精神に作用をもたらす。
 冷蔵庫を充実させ、精神的にも満足したあとは、まだ妻子も帰ってくる様子がなかったので、夕飯の下ごしらえをしつつ、筋トレをして過した。ちなみにインスタグラムの更新が滞っていることからも察せられると思うが、1年近くに渡って没頭していたショーツ作りは、最近になってようやく熱が治まった。熱というか、高熱が。最近は平熱になって、2月はたぶん3、4枚ほどしか新しくショーツを作らなかったと思う。もっとも大抵の人は月に3、4枚のオリジナルショーツを作らないに違いない。
 夕方になって家族が帰ってきたので、そのまますぐに夕飯に。メニューはちらし寿司。もちろん前日のひな祭りを意識してのことである。海老やサーモンなども乗せた豪華版で、とてもおいしかった。
 明けて日曜日は、一日を家族で過す。子どもたちも昨日のお出掛けで疲れたのか、全員が9時過ぎまで寝ていた。起きてぐだぐだとごはんを食べ、洗濯を干し、出掛ける。大した外出ではない。給油と、図書館と、あとスーパー。給油はガソリンと同時に、灯油も入れた。灯油缶は家にふたつあって、いま1缶は空になり、もう一方も残りが半分くらいという状態であり、かなり悩んだ。もしかしてもうこの半分ほどの残りで乗り切れるんじゃないのか、ここで1缶分の補充をしたら持て余すことになるんじゃないのか、と。しかしファルマンと協議した結果、まあ朝晩は寒いし買っておくか、という結論に至った。買ってしまえばやはり心強い。もしこのままどんどん暖かくなり、持て余したとしても、この時点での安心を買ったのだと思えば損はないと思った。
 午後はゲームをした。今週、僕とファルマンで「桃太郎電鉄」を始めていて(実は去年に買っていた)、それがもう15年目に突入しているのだった。僕とファルマンとコンピュータの3人プレイなのだが、夜にやっているとポルガも観客として参加するし、今日は日中だったのでピイガも画面を眺めていた。家族4人で4人プレイをやろうとすると、都合が合わなかったり、進行のテンポが悪かったり、ピイガがキレたりするので、こういうスタイルがいいのかもしれない。ちなみに現在は僕がだいぶ勝っている。短い年数だと運の要素が強いが、長くやればファルマンに負ける気はしない。
 夕方になり、お好み焼きを焼き始める。本日の晩ごはんは久しぶりのお好み焼き。お好み焼きをするにあたり、粉を余らせて、袋を輪ゴムで留め、ずっと冷蔵庫の奥に眠らせて、でも数ヶ月後の次のお好み焼きの機会にそれを使うのは怖くて、結局捨ててしまう、ということをよくするので、今回はもう、約10枚分焼けるという粉を、全て溶いた。そして昨日のお礼もかねて、焼いたものを実家に持っていってやることにした。実家分を焼いたあと、自分たちで食べる分を焼かなければならなかったので、僕はそちらに専念し、ファルマンに持っていってもらったのだが、たいへん喜ばれたそうだ(もちろん断りなくいきなり持っていったわけではない)。それはそう言うしかないだろうという話だが、しかし日曜日の夜に、お好み焼きが届いたら、たしかに嬉しいだろうと思う。ましてや僕の焼いた、おいしいおいしいモダン焼きだ。僕ならすごく嬉しい。僕が焼いたやつなら、だけど。
 だいたいそんな感じで、ひとりの時間もありつつ、家族でもたっぷり過せた、いい具合の週末だった。ちょっとのんびりしすぎで、筋トレや創作が足りないんじゃないか、という気がしないでもないが、リラックスに全振りした。その必要があったからそうしたのだろうと思う。ならそれでいいと思う。