さよなら2021

 仕事はなんとか28日に納まり、おとといから休みに入っている。12月はずいぶん働いた。なのでまとまった休みがとても嬉しいのだった。
 休み初日は午前中に、年末年始の食糧品の買い出しを行なった。12月の食費は、クリスマスというイベントを経ながらも(苺が高いのなんのって)、日々の弛まぬ努力によって、なんとかかんとか余裕を持って終われそうな情勢となり、それで気が大きくなって、今年最後の買い物は、これからの数日間、食べ物関係で困ることが一切ないよう、「迷ったら買う」をコンセプトとし、がしがしとカゴに物を入れていったら、結果的にあったはずの「余裕」はすべて吐き出され、非常にスリリングな数字となった。まあ本当に、これで今年の買い物は終了の予定だから、それでいいのだけど(ただし1月には2度の誕生日祝いが待ち受けている)。
 午後は、子どもたちを実家に預かってもらい、ファルマンはまだ納まらぬ仕事(在宅ワーカーというのは、出勤せずに仕事ができる分、いつまででも仕事ができてしまうのだった)に邁進し、僕は筋トレとハンドメイドをして過した。ゆとりのある時間の中で、思うままに筋トレとハンドメイドをするという過し方は、バタバタだった12月において、強く希っていたことだったので、精神がぐいんぐいんと癒されていくのを感じた。
 晩ごはんは、鮭ときのこのホイル焼きと、お買い得の甘えびの刺身。甘えびって、たまに殻付きで、舟にどっさり乗ってやけに安い、みたいなものが店頭に並ぶが、普段は工場加工品という感じの、殻が剥かれて均一な大きさのそれが平たく整然と並んでいる、しかもやけに高いのしかなくて、どういう流通経緯によってそうなっているのか、よく分からない。自分で殻を剥いて(もちろん食卓で各自が剥くのではなく、事前に僕が全て剥くのである)食べる甘えびは、ねっとりと甘く、とてもおいしかった。頭部などは、なんかうまくやるとおいしいダシとかが出るんだよな、と思いつつ、ノウハウがないので捨てた。捨てたというか、今年のごみの収集はもう終了していて、次はだいぶ先になってしまうため、えびの殻はヤバいということで、袋に入れて冷凍庫に入れた。「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の句があるが、棒の如きものとは、甘えびの頭だったのかもしれない。
 夜には、ファルマンに髪のブリーチをお願いして、やってもらった。1ヶ月半くらい前にも実はやっていて、しかしそのときはとても穏当なブリーチ剤を使ったため、光に当てると茶色いね、というくらいにしか茶色くならず、ファルマンは「そのくらいがいいよ」と諭してきたのだが、やっぱり充足がいかず、今度は激しいほうの商品を買って、(しぶしぶと)やってもらった。その結果、金とはいかなかったが、だいぶ明るい茶色になった。やっぱりなんだかんだで、髪が明るいほうが気持ちが上向くのだった。これからまた数日で色味が変わってくるので、それから判断するが、もしかするとここへ、今度は脱色ではなく色を入れるかもしれない。
 昨日は、ファルマンは引き続き仕事だったため、基本的に家で過した。こんなときにしかできないということで、かねてより「試してみたいね」と口にしていた、リビングのテーブルを座卓と入れ替える、という事業を、ひとりで行なった。これまで使っていなかった座卓は外の物置にあり、それを持って上がり、これまで使っていたダイニングテーブルを解体して、今度は外の物置に持って降りるという工程であり、けっこう大変だった。その結果、想像していたよりもいい具合になった。これまでメインテーブルと、ソファーに対するローテーブルという、ふたつがリビングにあったのが、座卓がそのふたつを兼用するようになったため、部屋が広くすっきりとした印象になった。また戻すのは大変だし、よほどの問題がない限り、しばらくはこれでいこうと思う。
 それ以外の時間は、料理をしたり、やはりハンドメイドをしたりした。のんびり、余裕である。休みが1日しかないと思って、もっと詰め込んで作業をすれば、もちろん作業はもっと進むのだが、休みがけっこうあるとなると、どうしても間延びする。でもそれでいいのだ、その余裕がいいのだ、と思う。それと、2021年、丑年が終わるということで、12月に入ったあたりから、今年でいよいよひと回りとなる干支4コマの牛編のことに、生活の端々で思いを馳せ、やらなければなあ、やらなければなあと懊悩し、オムライスにも、ピイガがクリスマスにもらったホワイトボードにも牛の絵を描くほど、12月下旬にここまで、来年ではなく今年の干支に縛られてる人間が他にいるだろうか、というくらいの状態だったが、しかし(言い訳に過ぎないが)12月は予想以上に忙しく、とうとう1話も投稿しないままここまで来てしまって、それでも29日から休みなのだから、3日あればできるな、などと考えていたのだが、まるでやる気配を見せない自分に、30日の昼過ぎあたりに、「あ、こいつもう、今年の投稿はすっぱりあきらめたな」ということを察し、そう察したら、パーッと視界が開けて、すっきりと解放された気持ちになった。やりきったら、それはもちろんすっきりしたことだろうが、やらないことにしても、それはそれですっきりするのだな、と思った。まあ牛だけに、牛歩作戦ということで、旧正月までにゆっくり投稿しようと思う。
 大みそかの今日は、子どもたちがまた実家に行くというので、それを送りついでに、僕はおろち湯ったり館に行った。送りついでといっても、実家へは車で5分ほどだが、湯ったり館へはそこから30分弱かかるので、ただやっぱりどうしても行きたかっただけの話だ。サウナに行ったらプールのことを想うし、プールに行ったらサウナのことを想ってしまうので、そうなるとどうしたって湯ったり館しかない、ということになる。起きたら雪が舞っていたので、雲南のほうはどうかな、と思ったが、まあ大丈夫だった。2021年の心残りを残さないための湯ったり館は、プールは空いていてとてもよく、たっぷり30分間、20メートル弱くらいのコースを50往復くらいして、しっかり堪能した。大みそかに泳いだのって、人生で初めてかもしれない。一方サウナはけっこう混んでいたため、外気の寒さもあって温度が低く、ちょっと微妙だった。もちろん時期的に2階も閉鎖されているし、そういう意味では残念だったが、でもまあ、行って後悔はない。やっぱり湯ったり館はいい。
 このあとは子どもが帰ってきて、紅白などを観ながら、晩ごはんや年越しそばを食べるだけだ。今年の行動も、日記も、これでおしまい。1月4日に引っ越してきた2021年の島根生活も、いやまったく自分でも信じられないくらいの紆余曲折を経ながらも、なんとかこうして、わりとゆったり、平穏な年末を家族で迎えることができていて、料理を一手に引き受け、さらにはリビングで裁断などしているので、子どもたちと一緒にいる時間も長く、しみじみと幸福を感じている。来年もいい年になりますように。

クリスマス2021

 今年のクリスマスを経る。
 24日の晩ごはんのメニューは、近所のスーパーで予約していたローストチキン以外、ファルマンが「作れる気がしない」「ひどいクリスマスになる」などとしきりに訴えるので、面倒になって、23日の仕事帰りにフランスパンや生ハムやテリーヌなどを買ったほか、夜にミネストローネとマカロニのサラダを作った。かくして迎えたクリスマスイブのディナーは、ローストチキンもおいしかったし、なかなか豪勢でよかった。1年前のクリスマスは、岡山と島根、別々の暮しの中で、非常にゴタゴタ、バタバタしていたので、隔世の感がある。俺も小さくまとまったもんだ、とも思うが、別にそうでなかった時期など若い頃を含めてなかったような気もすることとして、安定は尊いな、ということをしみじみと思った。12月ずっとリビングにあったクリスマスツリーに、今宵ばかりはコンセントを繋いで電飾を点灯させ、食事中も、無音は味気ないからということで、ネットのサービスでクリスマスソングをかけた。それでいろんな曲を聴いたが、その中で「ママがサンタにキッスした」が流れ、これまで不思議と気にしていなかったが、これってぜんぜんネタバレなんじゃないか、と衝撃を受けた。なぜあんな歌が、子どもが聴きそうな他のクリスマスソング群に紛れているのだろう。幸い、今年もピイガはもちろん、ポルガもサンタクロースの存在は信じてくれている。信じるもなにも、イメージする第三者としてのサンタクロースはたしかにいないが、12月24日の夜にサンタクロースになる親がいるのだから、「サンタクロースなんて本当はいない」なんて、逆に間違いだろうとも、毎年身銭を切ってプレゼントを購入しながら、フィンランドの老人の手柄になる不条理を味わっている親として、思う。サンタクロースはたしかにパパだ。でもパパがサンタクロースなのだから、じゃあサンタクロースはサンタクロースではないか。とはいえ今年に関しては、クリスマスだってのに仕事がぜんぜん納まる様子がない僕は、翌25日土曜日も出勤だったため、宵っ張りのポルガが深い睡眠に入るまでなどとても起きていられず、ファルマンに役目を託して早々に寝たため、厳密にはサンタクロースをしていない。ちなみにファルマンは午前1時くらいまで、仕方なく寒い中リビングで待機したらしいが、いよいよ我慢の限界を迎え、さすがに寝たもののまだ眠りが浅そうなポルガの待つ(ピイガはとっくに就寝)子ども部屋に突入し、プレゼントを置くくだりをしようとしたらしいが、そこでやはりポルガは寝ぼけながら起きる様子を見せたため、ファルマンは咄嗟に、自分はあくまで子どもたちの布団を直してやりに来ただけだが、なんかプレゼントが置いてあったよ、サンタさんもう来たんだね的なストーリーを即興で仕立て上げ、なんとかごまかすことに成功したらしい。さすがわが家の北島マヤ。かくして今年のプレゼント配送も、つつがなくはなかったものの、なんとか済んだのだった。
 朝のプレゼントの開封も、僕は見ることができなかったわけだが、見たい気がすると同時に、喜ぶだろうなとこちらが想像するリアクションと、実際の相手のリアクションの相違とか、なんかそのあたりのことを思うと、自分のいない場でやってくれたほうがいいかな、なんてことも思うのだった。もっとも子どもたちの反応はとてもよかったようで、ならばよかったと思う。内容は、ピイガがポケモンのZリングなるものと、お気に入りのポケモンのぬいぐるみと、大きなホワイトボード。ポルガが、「らんま1/2」のCDと、電子辞書。1年にいちど、起きたら枕元に、かねてから欲しいと思っていたものが置いてある朝があるって、どれだけしあわせなことだろう。うらやましいな。まあ僕も、クリスマスプレゼント&1年の慰労という名目で買ったトレーニングベンチの、毎晩すぐ脇で寝ているので、大雑把にいえば同じようなものかもしれないけれど。
 かくしてクリスマスは無事に終わったのだが、去年に引き続いてクリスマス寒波がやってきて、今朝26日の朝、窓の外を見たら雪景色になっていた。雪が心配でやっぱり帰省できない、という決断をした手前、意外とぽかぽか陽気になどなられたら若干困るので(そしたら行くまでだが)、こう完膚なきまでに、年末年始に中国山地や日本アルプスを越えようだなんてよせ、といわれているような気候になると、きっぱりあきらめがつく。年末年始は近隣でおとなしくしていよう。今日は子どもを実家に預け、ファルマンと少しだけ買い出しをして(猛吹雪という局面もあった)、その間に子どもたちは雪で大いに遊ばせてもらったようで、僕もファルマンも雪遊びになんか本当に付き合いたくないので、うまく動けた休日だったと思う。ちなみに週末から冬休みに入った子どもらは、年明け、土日と成人の日がうまい具合に組み合わさり、これから実に半月くらい冬休みなのだった。うらやま! 晩ごはんは鍋ラーメン。身に染みた。汁物を啜って冬をやり過ごそうと思う。

冬山陰

 寒波がやってきて、日本海側を中心に積雪となった週の後半。土曜日の朝、車には数センチの雪が乗っかっていた。あのぽかぽか陽気だった鳥取旅行から約1ヶ月。実に冬である。
 去年まで山陽で暮していたわが家には、子どもたちが雪の日に履く、本格的な防水のブーツがないということで、今週はそれを買いに行く。本当に給付だ。現金でもクーポンでもいい。どっちにしろ子どもにばかりお金を使うじゃないか。
 ショッピングセンターは、なにぶん子ども用品フロアだったため、クリスマス商戦で大いに賑わっていた。各人がおもちゃを抱えて並ぶレジの行列は、穿った見方をしようと思えばいくらでもできるけど、まあ幸せな風景ということで、短絡的に眺めればいいと思った。目的のブーツは、僕自身が雪国の経験がないため、あまりイメージが浮かばずに買いに行ったのだが、想像していたよりだいぶ長靴寄りの、なるほどそういうものか、というようなものだった。岡山の靴売り場ではついぞ目にしなかったな。そこでポルガは選んで買ったが、ピイガはどれを見せても拒んで、結局買わなかった。どうやらブーツという言葉に、これまで岡山で冬場に履いていたような、ムートン的なものをイメージしていたようで、質実剛健すぎるビジュアルに、納得がいかなかったらしい。次女は女子だ。ファルマンが小さい頃、父親が「城に連れてってやる」というので、ディズニーアニメを観て育った少女ファルマンは、当然シンデレラ城のようなものを想像し愉しみにしていたら、見せられたのは松江城だったのでとてもショックを受けた、という出来事があったそうだが、そのエピソードに通ずるものがあるかもしれない。現実は質実剛健なんだよ。
 買い物のあと、昼ごはんは実家が牛丼のテイクアウトをするけど一緒にどうだと誘ってくれたので、立ち寄ってご馳走になる。ありがたくはあったが、実家は犬がいたり、両親がワーワーしていたりで、少しの滞在でけっこう頭がぐわんぐわんになる。横浜に帰らないことにした年末年始について、どうするんだと問われたので、まあ年始にでも顔を出しますわ、と答えておいた。大みそかにお店の蕎麦を取るからそっちの分も取ってやる、あの店のだ、食べたいだろ、といわれ、やんわりはぐらかしたが、僕はその店の蕎麦があまり好きではないので、お断りしようと思う。おいしいといわれるお店から取ってくる蕎麦より、家で茹でた乾麺の蕎麦のほうがおいしいと思うんだよな。
 帰宅後は、ピイガの学校のジャージのズボンに、ゴムテープを縫い付ける作業をする。学校指定のジャージというのがあるのだが、これが「嘘だろ!?」というくらい高くて、ポルガのものはそれでも、ふたり着るからという理由で(忸怩たる思いで)買ったのだが、1年ないし2年の、それも冬場しか穿かないピイガのそれはどうしても、どうしても買えず、よほど特殊で手が掛かっていそうなものならともかく、紺色に両サイドに明るい色のラインが入っているだけの、なんの変哲もないジャージなので、ちょうどそれ!というものは見つけられなかったが、紺色だけのジャージを買い、それにテープを縫い付ければいいだろ、ということになったのだった。既に出来上がっているジャージの、腰から裾までに、まっすぐに細いテープを縫い付けるなんて芸当が、果してできるだろうかと若干の不安はあったが、まあさすがですよね、ちょっとの模索の末、とても上手にできましたよね。ポルガの正規のそれと較べても、ぜんぜん遜色ない出来映え。はじめにやった左側よりも、あとにやった右側のほうがさらに上手になっていて、別に儲けたいわけではなく、スキルがもったいないので、この地域の、一部の土着の業者を既得利権で儲けさすだけのあんなジャージに大金を支払わねばならない家庭の方に、500円くらいでこの作業をしてやりたいと思った。
 夕方から夜にかけては、今日はもちろんM-1グランプリですよ、と、今日の朝まで本当にそう思っていたのだが、テレビ番組表で、予約録画のためにM-1を選ぼうとしたところで、今晩のラインナップのどこにもM-1の文字がなく、あれ、今日じゃなかったっけ? と本気で5秒くらい思案したのち、気づいた。
 うち、テレ朝とテレ東、映らないんだった。
 山陰って、そうなんです。実家は、衛星だかなんだかで特別な契約をしているから観られるのだけど、そういうことをしていないと、普通に映らない、「一部の地域を除いて」の一部の地域なのだった。なんかもう民放が3局しかないのがすっかり当たり前になっていて、また一方で、「かりそめ天国」などの観たい番組はTVerで観たりするするので、テレ朝とテレ東が映らないという現実のことを、完全に忘れていた。そんなわけで、普通に観られない。M-1観られないんだ!? とちょっと衝撃を受ける。残念。

給付待ち一般家庭

 日曜日をのんびりと過す。どこにも出掛けないくらいのつもりだったが、子どもの服が小さくなっていたり、ドリルやノートなどの学用品が必要だったりという、まさにとっとと10万円くれよ的な案件があったため、ショッピングセンターに出向く。歳末ということで、まあまあ賑わっていた。思えば本当に子どものものにしか今日はお金を使わなかった。そのあと、眼鏡屋を覗いたりもした。現在着けている丸眼鏡が、記録を見たら3年前のちょうど12月に買っているのだけど、どうしたってレンズに細かい傷がついてきて、限界を迎えようとしていて、買い替えを考え始めたのだった。このあまりにもまん丸な丸眼鏡は、とても気に入り、それだから3年も着け続けたわけで、レンズだけ交換する、という手も考えなくもないのだが、どういう理屈か、レンズのみの交換も、フレーム込みの新品も、そこまで値段が変わらなかったりするため、そうなってくると、どうもレンズの交換は馬鹿らしいような気もするのだった。新しく買うとしたら、丸眼鏡は金色の細いフレームなので、せっかくならば真反対の、黒系の太くて四角いようなフレームがいいかもなあ、なんて思う。今日は見ただけ。というか全体的に高い。ああいう店は、既存の眼鏡店に対して、ファスト系というか、簡素で安いという切り口で出てきたのだろうに、地盤が固まるにつれてじわじわと値段を高めてきた感がある。嫌だな。いつか岡山へ行ったとき、またアウトレットで買おうかな。
 帰宅後はすぐにラーメンを作って昼ごはん。おいしい。冬の休日の昼に、冷蔵庫の余り物で作った肉野菜炒めを乗せたインスタントラーメンなんかを家族で食べるの、しみじみと満ち足りる。
 午後は子どもたちが手芸をしたいというので、世話をするともなくしながら、ひたすらキッチンでの作業に勤しんだ。煮卵を作ったり、カステラを焼いたり、夕飯の下ごしらえをしたり。いろいろ自分の部屋でしたいことはあるのに、休日の午後はなんだかんだで、気づけば4時間くらいキッチンにいる気がする。
 夕飯は手巻きずし。手巻きずしセットと銘打ったものではなく、ちょっとした刺身の盛り合わせが安く、さらにはアボカドが安かったので、そこから起案した。手巻きずしは、これまではそれなりに奮発して催すものとして捉えていたが、家族全員、そこまで手巻きずしに豪華な海鮮を求めていないことに気がつき、少々の刺身と、あとは納豆とか、ツナとか、卵焼きとか、たらこマヨとか、そういうものがいろいろあればそれでいいんだと喝破して、そんなわけで肩の力を抜いた感じで行なった。結果として、本当にぜんぜん物足りないことなく、十分に愉しめた。そうか、これでよかったのか。スーパーのウニとかイクラって、高いだけで結局あんまりおいしくないしな。日本酒がぐいぐい進み、多幸感があった。
 夜はようやく自分の裁縫を、あまり遅くない時刻まで、集中してやった。今日はバッグの持ち手にステッチを入れる工程だったので、なにも考えずにガーガー全速力でミシンを踏めて、気持ちがよかった。

あたらいす

 子どもたちは年の瀬、クリスマスにプレゼントをもらうのに、その子どもを養うために1年間あくせく勤労した大人にプレゼントがないなんておかしいのではないか、という大義名分のもと、要するにファルマンにも僕にも欲しいものがあったからなのだが、それぞれ欲しいものを買った。欲しいものといっても、ファルマンが買ったのは高級キーボードなので、仕事道具だし、純然たる経費案件である。ちなみに使い心地はやはりとてもいいらしい。ならばよかった。
 僕は、僕は欲しいものが常にたくさんあるので、その中で今回はどれを選ぼうかという話なのだが、自分会議の結果、トレーニングベンチを選択した。いつかは欲しいと思っていたが、これまではスペース的な問題から我慢していた。それが秋の模様替えで部屋が広くなったことで置ける算段がついたため、とうとう買うことができたのだった。置ける算段といっても、トレーニングベンチがトレーニングベンチとして常に部屋の一部に鎮座するわけではない。そこまでのスペースはない。じゃあ折り畳み式か、といえばそういうわけでもない。僕はこれを、これまで使っていた椅子の代わりとして買った。だから筋トレをするときは部屋の中央までえいこら引きずって移動して使用し、それ以外のときはミシンおよびパソコンデスクの前に、文字通りベンチのように置く、というわけである。
 イメージしていただけただろうか。写真を撮って載せようかとも思ったが、自室なのでさすがによすことにしたため、想像をしてほしい。工業用ミシンの台部分まで含めた横幅が120センチあり、かなり長く、そのため左のスペースにパソコンを置けて、こうして使っているわけだが、その僕がいま何に座っているかといえば、横幅150センチあるトレーニングベンチなのである。背もたれはインクラインからデクラインまでできるように角度が変えられ、バックエクステンション(背筋)をするための突出したシートまで装備する、吟味に吟味を重ねて選んだ本格トレーニングベンチ。全体的に黒光りして、なかなかの迫力である。世の中に、家に工業用ミシンがあって、そのテーブルのスペースにパソコンを置いて、その椅子がトレーニングベンチの人って、どれくらいいるだろう。フルーツバスケットでその条件を出したら、僕とあと何人が立ち上がってくれるだろう。
 デスクに向かう際は、ベンチを横に使っているため、背もたれがないということになる。これは果たしてどうなのかな、とも思ったが、ファルマンと違ってそこまでパソコンで長時間の作業をするわけでもないので問題ない。これまでは座り心地の良い、6980円くらいで買った、2980円くらいの最低限のああいうのより、いわゆるちょっといいデスクチェアを使っていたのだが、僕もファルマンもそんなような椅子で(ファルマンは僕のものよりひと回り大きい重役クラスのものだが)、そして部屋の角を挟んで僕は北に、ファルマンは西に、それぞれ壁に向かって座っていたため、するとどういうことが起るかといえば、互いの背もたれが干渉し合うという、プチストレス事態に陥っていたのだけど、今回のトレーニングベンチの導入によってこの問題が解消した。これ以外の解決方法もいくらでもある問題だったが、意外な解決方法が待っていたものだと思う。
 さあ、夏に向けて、冬はせっせと、筋トレして、裁縫しよう。