37歳

  誕生日である。シルバーウィークの真っ只中である。去年がそうであったように、シルバーウィークといえども、肝心の20日が狭間の平日だったり土曜だったりして休みじゃない、なんてことはよくある。その点、今年はきっぱり日曜日なので、ちゃんと当日にお祝いをしてもらうことができた。もっともそんな年に限って、毎日が日曜日の身分である。
 今日でめでたく37歳になったわけだが、予想していた通り36歳と37歳の境にはなにも心を動かすものが存在しなかった。20代と30代の間には国境があり、34歳と35歳の間には県境くらいのものがあったように思うが、36歳と37歳の間は市境よりももっと弱く、町区の境くらいの感覚だ。徒歩というわけにはいかないが、自転車でもあれば簡単に行き来できる気がする。もっとも行き来する意味はない。なぜならこっちの町もあっちの町も、ほぼ同じ一帯だからだ。36歳から37歳になる感慨とは、だいたいそんなものだった。
 零時になった瞬間にお祝いメッセージが殺到したせいで誕生日当日は寝不足気味、といういつものギャグは、もう唱える気にもならなかった。この3ヶ月弱、だいぶ混じりっけなしに家族以外と絡んでいない人間が、1年前の時点でそういうやりとりをする存在がひとりもいなかったのに、なぜ今年そんなことになるというのか。なるはずがない。理屈がない。あまりにも理屈が合わないギャグはつまらない。つまらないというか、もはや悲壮感がある。
 そんなわけでちゃんと7時間ほど快眠し、37歳の誕生日の朝を迎える。気候がよくなったので公園に遊びに行きたいとか、文房具屋に子どもの必要なものを買いに行かなければ、といった用件はあったのだけど、さすがは4連休の余裕で、そういったものは明日以降にすればいいということになり、今日は純粋に僕の誕生日を祝う日として、近所のスーパーへの買出し以外はひたすら家にいて、子どもたちは飾り付けの作製、ファルマンはケーキ作りに勤しんだ。誕生日のお祝いをする日に、誕生日のお祝いの準備だけして過ごすなんて、優雅きわまりないな。僕もまた、ヒットくんのフェルト人形を作ったり、ごはんを作ったりして、37歳の誕生日をゆったりと過ごした。平穏なことだ。
 晩ごはんはエビフライ。いちばん好きな食べものは相変わらず餃子だが、今日はエビフライの気分だった。エビフライは好きな食べものランキングの、4位くらいか。食べてちょっと恍惚とするくらいには好き。たっぷりの時間で下拵えも丁寧にしたので仕上がりは上々で、ちゃんと恍惚とすることができた。
 食事のあとはケーキ。僕の誕生日ケーキは、毎年恒例のチョコケーキ。これがしみじみとおいしい。誕生日ケーキに関して、いちごコンプレックスが数年前まであったが、夏が終わってチョコレートに感激できるタイミングなのだと喝破してから、心が安らかになった。これからは板チョコを持ち歩くのもやぶさかじゃない季節だ。
 ケーキのあとはプレゼントをもらう。ファルマンからは既にひと月ほど前に、財布をもらっていた。子どもたちは、ポルガが縄跳び、ピイガがエコバッグをくれた。どちらもなかなか実用的で、成長したものだと思う。あと恒例の手紙や冊子いろいろ。この3ヶ月弱は特に絡む時間が長く(僕が家にいるからだが)、悩まされる機会も多かったが、しかしまあ素直に誕生日をお祝いしてくれる姿を見ると、問答無用で愛しい。やっぱり家族の誕生日のお祝いは、末永く、なるべく力を注いでやるべきだな、と思いを新たにした。
 そんな37歳の誕生日だった。