上手休日

 散髪に行く。行ったのだ。ファルマンが教習所通いで忙しそうなので、カットを頼みづらく、しょうがないので店に行ってやってもらうことにした。プロによる散髪は、いつ以来か。去年の就活中も、なんだかんだでずっとファルマンに切ってもらっていたので、前がいつだったか思い出せない。とにかくとても久しぶりだ。
 行ったら行ったで、僕の人見知りや人嫌いというのは、ファルマンのようなガチ勢を見ているとしみじみと思うこととして、あくまで自称であって、その証拠に、美容師ともとても気さくにしゃべった。ぜんぜんどもったりしなかった。思えば島根に来てから、職場以外の人間と一定以上の会話をしたことが初めてだったので、なんだか新鮮だった。美容師の娘5歳は偏食がひどく、白米をあまり食べてくれないが、貝類だけはやけに食べるそうだ。貝類かー。
 施術中はもちろんずっとマスクをしていて、耳の周りの産毛をバリカンで刈るときも、「外したほうがいいですか」と訊ねても、「そのままで大丈夫です」とのことで、向こうもすっかり慣れているのだった。マスクはそのとき、minneに出品している、不織布マスクみたいな布マスクを着けていたので、その耳周りの作業のときになって、「え、このマスク、布なんですね」と、こちらが期待している反応をしてくれて、別に意図していたわけではなかったが、嬉しかった。ただし「奥さんが作ったんですか?」という問いかけに対して、謙遜なのか、面倒から回避しようと思ったのか、「そうです」と答えてしまい、我ながら少し複雑な気持ちになった。もう終わりかけだったし、「自分で作ったんです」と答えると、向こうとしても話を展開しなければならなくなって億劫だろう、とも思った。「プリーツの感じとか、すごくお上手ですね」と褒められ、「まあなんか、去年からたくさん作ってましたからねえ」と白々しく応じた。ファルマンはファルマンで、岡山時代、マスクや手提げ袋を褒められたとき、「夫が作ったんです」と即答していたという。僕の言葉は嘘で、ファルマンの言葉は真実だが、そこには共通の、「深く触れてくれるな」という牽制がある夫婦である。
 散髪が終わったあとは、今日もサウナに行った。今日は「おろち湯ったり館」ではなく、平田にある「ゆらり」という施設。ファルマンからは「よう行くわ」と少し呆れられた。たしかに我ながら、柄にもなくアクティブなことだな、と思う。
 湯ったり館と違い、こちらにはプールはないが、露天風呂が広く、悪くなかった。天気がとてもよく、まだそこまで激しくない陽射しが降り注ぐ中、外気浴として、湯に浸かるとも浸からないともなく、岩辺に腰掛けたり横たわったりしていると、仙人にでもなったような優雅な気持ちになり、心地よかった。なんとなく思い描く天国の情景にも、ちょうどいい陽射しと、ちょうどいいぬるさのお湯はあるので、そういう意味でここは天国にだいぶ近いな、ということを思った。
 サウナ室にはテレビが設置されていて、これは島根の施設では初めて目にした。僕はテレビに関して一家言あるようなサウナ―ではなくて、っていうかそのとき映ってる番組によるよね、というスタンスなのだが、今日はBSのNHKで、大谷翔平が先発で投げている試合が流れていたので、それもとてもよかった。野球の1イニングとサウナの滞在時間はとても親和性が高いのだと知った。おっさんたちは大谷の投球を眺めながら、やけに球種の話をしていた。おっさんが球を見て球種を口にするのは、あれは一種のマウントなのかな、と思った。俺は分かるぞ、という。僕にはまるで分からない。
 サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、を大谷が投げた回数と同じ4回繰り返し、僕のサウナも終わった。失点はなかったものの4回までで降板となったため大谷に勝利はつかなかったが、僕の今日のサウナは大勝利だった。
 サウナを出たあとは、今年初のTシャツ姿となって、車の窓を全開にして帰った。
 帰宅後は、晩ごはんの春巻きの下ごしらえをして過し、子どもが帰ってきたところで一緒に買い物に出た。ポルガの服が少ないということで、買わなければならないと話していて、僕が休みの日にこうして出掛けることにしたのだった。しかしながらポルガの、140センチあたりの服というのは、いま本当につまらないことになっていて、どの店に行っても、うすむらさきとかライトグリーンとかの、すなわちニジューみたいなものばかりで、ぜんぜんポルガ向きのものがなく、大いに困った。というより、店に行っても買える服がないので服が少なくなり、困っていたのだった。結局、男の子向けの棚から、これならまあいいだろうと思うシンプルなシャツなどを選び、数点買った。女子向けの服、本当にひどい。こうなってくると、もう自分の手で作るしかないのではないかと思えてくる。
 帰宅後はすぐに夕飯。春巻きはもう揚げるだけの状態だったので、楽だった。この食卓で、このたびコンビニ以外のスーパーでも販売されるようになった、アサヒスーパードライの、開けると泡が出る例のやつを初めて試してみた。みんな大騒ぎしているけど、結局あれって缶のまま飲んでいた人が感動しているだけであって、常にコップに注いで泡立たせている人には関係ない話でしょ、と斜に構えていたのだが、やって飲んでみて、思わず感動した。もう久しく味わっていない、居酒屋のジョッキのビールの感覚がそこにあって、純粋においしいということに加えて、その体験に歓喜した。ファルマンにも飲ませたら、ファルマンもまた目を瞠って打ち震えていた。僕だって、コロナに関係なく居酒屋飲みなんて久しいけれど、ファルマンに至ってはポルガの妊娠以来、そういう酒の席にはいちども行けていないので、これを飲んでファルマンは、「練馬の居酒屋を思い出した」という。古い。遠い。そんな太古の記憶さえをも掘り起すなんて、なんとすさまじい商品だろうか。それは大売れするはずだ、と思った。
 そんな感じで、一日を通してなかなか心地よいことの多い、いい休日だった。

サウナとタケノコ

 休みの日、またもやおろち湯ったり館へと馳せ参じる。プールに行こうか、それともサウナに行こうか、ということで迷うと、いろいろと思いを巡らせた末に、結局おろち湯ったり館ということになる。少し距離はあっても、わざわざ行く価値がある。それに少し距離があるといったって、かつての倉敷から恋焦がれていた頃に較べれば、ぜんぜん近いのだ。先日、倉敷時代の日記を読んでいたら、「おろち湯ったり館が近所にあれば、ものすごく頻繁に通うだろうなあ」と書いてあって、僕はこの頃の僕の思いに報いなければいけない、ということも思った。実際に島根に暮しはじめたら案外そこまで行かないよ、では寂しいではないか。
 というわけで、桜並木もすっかり葉桜となった木次駅前を通ってたどり着いた、平日日中のおろち湯ったり館は、やはり心地よい人口密度で、のびのびと思う存分に堪能した。泳ぐことと、サウナと、外気浴という、僕が外の世界でしたいことなんて、たぶんこの3つを含めた7つか8つくらいしか項目がないので、それだからいつもこうして純度の高い満足感が得られるのだと思う。前回は陽射しが眩しいほどだったが、今回は雲があって、4月の暑くも寒くもない気温も相俟って、外気浴が一段とよかった。最後の外気浴が終わったあと、脱衣所では、髪はさすがに水が残っていたのでドライヤーをかけたが、体はさらさらに乾いていて、タオルをまったく必要としなかった。裸で自然乾燥されるということは、僕はそのとき、木や岩と同じ無生物状態で、すなわち自然の一部になっていた。風化とはよくいったもので、死んだあとの体は朽ちて、なるほど風になるのだな、ということを思った。サウナは人を若干スピリチュアルにさせて、それがサウナを嗜まない人にとっては気持ち悪いのだと思う。
 その日の晩ごはんは、タケノコご飯にした。実家の近くに住んでるあるあるで、春なのでタケノコが回ってきた。お中元とかお歳暮とかビール券とか、そういうもののやりとりをする一定年齢以上の輩は、春にはタケノコ、夏にはトマト、秋にはイモ、冬にはミカンを送り合う習性を持っている。そのおこぼれが、実家の近くに住んでいるとやってくる。ありがたい。タケノコは、タケノコご飯がいちばん好き。この世のすべてのタケノコ料理を食べたわけではないけど、タケノコご飯がいちばんいい食べ方だと思う。ニンジンも油揚げもいらない。純然たるタケノコご飯。お腹いっぱい食べてしあわせだった。
 本日の記事は、ブログタイトル通りのおこめとおふろの話となった。

やけに花だった春

 桜、花の郷に続いて、今度はチューリップを見に行く。春だからといって、躍起になって花を見ている感がある。よほど鬱屈な冬でも過したのだろうか。
 子どもたちの春休みと、僕の休みが重なったので、どこへ行こうかと思案した結果、そういえば斐川のほうにチューリップ畑があったよな、ということを思い出した。かつての第一次島根移住の際、まだ乳児くらいのポルガと3人で行ったことがあった。ということは2013年の4月か、と推察して「USP」を確認したら、4月22日のことだった。乳児のポルガを連れていたのなんて、ちょっと前のことのような気もするのに、それがもう8年も前のことなのか。しみじみとした気持ちになりながら、8年ぶりに来訪した。
 相変わらずネット上に情報は皆無だったが、行ったらちゃんと咲いていた。しかし8年も経っているので記憶が曖昧なのだが、かつては畑がもっと大規模だったような気もした。あるいは8年で僕が成長したということだろうか。身長も30センチくらい伸びたもんな。
 チューリップは、先日の花の郷で喝破した僕の好みの花のタイプとは違うが、それでもやっぱりメジャーなだけあって、見応えのある花だなと思った。形も色も、本当に子どもがクレヨンで描いたような姿をしている。それでいて、花びらが隠すようにしている内部を覗くと、一転アダルトな雰囲気が漂う。アダルトな雰囲気というか、性器そのものだ。あまりにもおしべとめしべ。たまに動物園で、発情期なのかなんなのか、男性器が勃起している動物がいて、少し気まずい思いをしたりすることがあるが、チューリップって常時その状態というくらい、性器が目立っている。しかし子どもの手前、あまりそのことには触れないほうがいいんだろうなあと思っていたら、ファルマンが「おしべとめしべがすごい」と普通に口にしたので、ああそれはいいのか、と思った。エロの箍が基本的に外れていて、頭の中では常にエロいことを考えている(春ということもあり)のに、第三者とぜんぜん打ち解けた会話をしないでいると、一般的な場面でしゃべってもいいエロと、しゃべってはいけないエロの区別がつかなくなる。もう何年もその症例に悩まされ続けている。そのあと、さまざまな色のチューリップを眺めていて、白いチューリップの中には、本当に真っ白なものと、少し黄みがかったものもがある、ということをポルガがつぶやいたので、(それってまるで精液のようだな)と思ったが、さすがにそれはアウトのほうだろうと察して、声には出さなかった。会話ってけっこう頭を使う。
 チューリップをしばし堪能し、さて買い物でもして帰ろうかと車を少し走らせたら、今度は望外の菜の花畑に遭遇し、そこでも車から降りて少し写真を撮った。菜の花はもう終わったと思っていたので、一面に咲くそれが見られてよかった。菜の花は香りがいいな。
 帰宅後、夕方になったところで、子どもたちを連れて散歩に出る。近所の土手や野原を歩くのは久しぶりで、冬の寂しい感じからどんな変化があったろうかと興味があった。行ってみたら、土手には相変わらずの薄茶色のススキみたいなものが群生していて、あの薄茶色のやつって、枯れてるとかじゃなくて、ああいうもので、1年中ああして枯れてるような姿であの場にのさばるのかよ、と思った。春なのだから、劇的な変化が欲しかった。それでも地面からは、青々とした葉っぱが伸びてきていて、やはり冬とは違った。その中で、「これがすごくたくさん生えてる」と僕が指したものを、ポルガが「それはスギナ。つくしがそれになるんだよ」と教えてくれて、なんだこいつ植物博士かよ、と驚いた。8年前、チューリップを見て、小さな手でチューリップの形を作り、体を揺らしてチューリップの歌を唄っていた2歳児は、年頃になってあまり素直に写真を撮らせてくれなくなったが、その代わりにそんな知識を身につけ、親に教えてくれるようになったか、と感慨深い気持ちになった。
 子どもたちの春休みもとうとう終わろうとしていて、ようやく来た春は、早くも終わりの雰囲気をまとい始めた。桜が散って、GWの気配が近づいてくると、季節はすぐに春というより初夏のようになる。そうなれば、次に見頃になる花は、いよいよオオキンケイギクということになるか。忌み嫌われる特定外来生物のオオキンケイギク、島根県でも咲き乱れるさまを見ることができるだろうか。愉しみ。

プールと感傷

 一家でプールに行った。1月にこちらへ越してきて、初めてのことである。もっとも泳ぐことがまあまあ好きな性分の人間が家族内にいない限り、一般的には1月から4月の間に人はなかなかプールには行かないものだと思う。わが家ではファルマンが唯一、一般的なその観念を持っていて、そのためこのプール行きもさんざん阻まれた。生活が落ち着いたからやっとプールに行けた、ということではなく、本当はもっと早い段階で行こうと思えば行けたのだが、ファルマンの繰り出すさまざまな「行けない要因」によってたどり着けずにいたのだった。「風邪気味だから」「生理だから」というのはもちろん仕方ないが、今日こそはなんの問題もなく行けるだろうと提案したあるときなど、とうとう「今日は風が強いから」という理由で拒まれた。車で行く屋内プールに、風がいったいなんの関係があるというのか。そんな長きに渡る格闘の末に、ようやく大ボスも陥落し、到達したプールなのであった。
 日記にも書いたが、先日おろち湯ったり館にて、僕はいちおうの久しぶり水泳を済ませていた。とはいえあれは温泉施設に併設された15メートルプールである。きちんとしたプールらしいプールは秋以来のことで、やっぱり15メートルと25メートルではぜんぜん違うな、と思った。やっぱりプールはいいな。いちど壁が壊れたら、あとはもう気軽に行ける。僕ひとりなら、これまでもいつでも行けたのだが、結局のところ僕も、初見の所(正確には過去にも行ったことがあるので初見ではないのだが、とてもご無沙汰だった)へひとりで行くのは心細くて、最初は家族と一緒に来たかったのだ。それでこんなに時間がかかった。これからはドバドバ行きたい。
 プールといえば、出雲には50メートルのプールはないようで、それは少し残念だ。思えば倉敷にはやけに50メートルプールがあった。けっこう盛んな土地柄なのだろうか。松江には夏季限定で屋外のものがあるようだが、こちらもそこまでして50メートルプールで泳ぎたいわけではないのだ。実際そこまでの泳力があるわけでもない。50メートルプールってでかくてテンション上がるよね、というくらいの話なのだ。児島の夜の屋外プールは愉しかったな。今後、倉敷になんかしらの用件で行くことはあっても、かの地の市民プールに行くなんてことはまずないだろう。三井アウトレットとか、美観地区とか、県外の人間も行くような場所には、当地にいた頃とぜんぜん変わらない感覚が今もあるけれど、市民プールであるとか、図書館であるとか、火曜日は安売りをするのでよく行っていたスーパーであるとか、そういう生活に根差した施設は、かつてあった繋がりがもう途切れてしまった場所として、思い返すと若干の寂寥感が湧く。もっとも現在のわれわれは、現在のわれわれに見合った、生活に根差した施設を獲得しているのだから、無理にその寂寥感に浸る意味はないのだけど。ただ、引っ越しをするとは、移住をするとは、つまりそういうことなのだ、ということを、こういう寂寥感のような感情が伴うときに、しばしば感じてしまう。人生も、体も、ひとつしかないのだから、これをいい出したらきりがないくせに。

ファルマン38

 ファルマンの誕生日祝いをする。
 プレゼントはもう事前にあげていた。アマゾンで売ってる、アマゾンプライムなどのウェブ上の映像ソフトを、テレビで観られるようにするやつ。それとminneに出品していた、グラニーバッグ風トートバッグも、欲しいというのであげた。うちの妻は誕生日に、ブランド物のバッグではなく、僕のハンドメイドのバッグを欲しがるのか。
 晩ごはんに希望のメニューはあるかと訊ね、いつもなら「カレー」ということになるのだが、カレーはほんの数日前に食べてしまったのと、あと明確に口に出していうわけではないが、ファルマンはきっと、前ほどはカレーが好きではなくなっていて、それはカレーというより、油物全般ということになるが、そのためまったく答えが浮かばなかったようで、絞り出した末に、「次の日にお弁当のおかずになるもの」という、俺はいま誕生日祝いの晩ごはんのメニューを訊いたのだけども? という答えが返ってきたので、仕方なく僕の独断で、その前日に豚のひき肉が安く手に入っていたこともあり、シュウマイにした。「だってほら、誕生日ってなるとシュウマイ食べたくなる人だもんね?」と確認したら、「うん、そうそう」と、食べたいものを考えるという難事業から解放された喜びで、ファルマンは激しくうなずいた。もともと食べものに執着のない人だったが、加齢によって食べたいと思うものの範囲が狭まってきて、いよいよファルマンは食の愉しみから解脱しかかっていると思う。
 ケーキは、いつもの感じで作るつもりだったが、なぜかここにきっぱりと希望を表明してきて、「アイスケーキが食べたい」ということだったので、今回は初めてそういうものを作った。いま思えばこれもまた、ホイップクリームが重たいからという理由だったのかもしれない。ファルマンの家ではたまに供されたらしいが、僕はアイスケーキというものにまるで縁を持たずに生きてきたため、ぼんやりとしたイメージしかなかったが、まあ溶かし気味にしたアイスを型に流して、間にイチゴを挟んだり、皿に出したとき底になる部分にスポンジを敷いたりして凍らせればそれっぽくなるだろう、と思って作り、見事にそれっぽい感じになった。アイスとスポンジの組み合わせは、普通においしかった。ただし間に入れたイチゴは、凍ったら味がせず、ただ氷のようになったので、無駄だった。次回もしも作ることがあれば、イチゴ抜きで作ろう。しかしだとすれば、アイスケーキなんて毎年フルーツで困る僕の誕生日にやればよかった。イチゴのシーズン真っ盛りのこの時期に、イチゴのかいのない食べ方をした。
 子どもたちからのプレゼントは、ポルガは夏用のスリッパを、ピイガはファルマンが仕事中につまむためのおやつを入れるポッドだった。これらは3人で買いに行ったのだが、ポッドを選ぶ際、「お母さんはお仕事になると食べ物を食べないから……」とか、「お母さんは蓋があると外すのが面倒でおやつを食べないから……」とか、娘たちもさんざん、ファルマンの食べ物への関心の低さ、そして面倒臭がりさについて糾弾していた。もちろん僕による扇動があった面も否めない。
 誕生日祝いの際などにはいつもいうが、今年もこうやって家族4人、無事にお祝いができてよかった。なによりである。それでもってファルマンは、これで何歳になったのかといえば、いわゆるひとつの、38歳である。38歳! すごい! 7と8では大違いだ。37歳の僕からすると、38歳という数字ははるか高みにあり、もはや霞がかっている。これから約半年間は、配偶者のことを仰ぎ見て暮そうと思う。