プールと感傷

 一家でプールに行った。1月にこちらへ越してきて、初めてのことである。もっとも泳ぐことがまあまあ好きな性分の人間が家族内にいない限り、一般的には1月から4月の間に人はなかなかプールには行かないものだと思う。わが家ではファルマンが唯一、一般的なその観念を持っていて、そのためこのプール行きもさんざん阻まれた。生活が落ち着いたからやっとプールに行けた、ということではなく、本当はもっと早い段階で行こうと思えば行けたのだが、ファルマンの繰り出すさまざまな「行けない要因」によってたどり着けずにいたのだった。「風邪気味だから」「生理だから」というのはもちろん仕方ないが、今日こそはなんの問題もなく行けるだろうと提案したあるときなど、とうとう「今日は風が強いから」という理由で拒まれた。車で行く屋内プールに、風がいったいなんの関係があるというのか。そんな長きに渡る格闘の末に、ようやく大ボスも陥落し、到達したプールなのであった。
 日記にも書いたが、先日おろち湯ったり館にて、僕はいちおうの久しぶり水泳を済ませていた。とはいえあれは温泉施設に併設された15メートルプールである。きちんとしたプールらしいプールは秋以来のことで、やっぱり15メートルと25メートルではぜんぜん違うな、と思った。やっぱりプールはいいな。いちど壁が壊れたら、あとはもう気軽に行ける。僕ひとりなら、これまでもいつでも行けたのだが、結局のところ僕も、初見の所(正確には過去にも行ったことがあるので初見ではないのだが、とてもご無沙汰だった)へひとりで行くのは心細くて、最初は家族と一緒に来たかったのだ。それでこんなに時間がかかった。これからはドバドバ行きたい。
 プールといえば、出雲には50メートルのプールはないようで、それは少し残念だ。思えば倉敷にはやけに50メートルプールがあった。けっこう盛んな土地柄なのだろうか。松江には夏季限定で屋外のものがあるようだが、こちらもそこまでして50メートルプールで泳ぎたいわけではないのだ。実際そこまでの泳力があるわけでもない。50メートルプールってでかくてテンション上がるよね、というくらいの話なのだ。児島の夜の屋外プールは愉しかったな。今後、倉敷になんかしらの用件で行くことはあっても、かの地の市民プールに行くなんてことはまずないだろう。三井アウトレットとか、美観地区とか、県外の人間も行くような場所には、当地にいた頃とぜんぜん変わらない感覚が今もあるけれど、市民プールであるとか、図書館であるとか、火曜日は安売りをするのでよく行っていたスーパーであるとか、そういう生活に根差した施設は、かつてあった繋がりがもう途切れてしまった場所として、思い返すと若干の寂寥感が湧く。もっとも現在のわれわれは、現在のわれわれに見合った、生活に根差した施設を獲得しているのだから、無理にその寂寥感に浸る意味はないのだけど。ただ、引っ越しをするとは、移住をするとは、つまりそういうことなのだ、ということを、こういう寂寥感のような感情が伴うときに、しばしば感じてしまう。人生も、体も、ひとつしかないのだから、これをいい出したらきりがないくせに。