やけに花だった春

 桜、花の郷に続いて、今度はチューリップを見に行く。春だからといって、躍起になって花を見ている感がある。よほど鬱屈な冬でも過したのだろうか。
 子どもたちの春休みと、僕の休みが重なったので、どこへ行こうかと思案した結果、そういえば斐川のほうにチューリップ畑があったよな、ということを思い出した。かつての第一次島根移住の際、まだ乳児くらいのポルガと3人で行ったことがあった。ということは2013年の4月か、と推察して「USP」を確認したら、4月22日のことだった。乳児のポルガを連れていたのなんて、ちょっと前のことのような気もするのに、それがもう8年も前のことなのか。しみじみとした気持ちになりながら、8年ぶりに来訪した。
 相変わらずネット上に情報は皆無だったが、行ったらちゃんと咲いていた。しかし8年も経っているので記憶が曖昧なのだが、かつては畑がもっと大規模だったような気もした。あるいは8年で僕が成長したということだろうか。身長も30センチくらい伸びたもんな。
 チューリップは、先日の花の郷で喝破した僕の好みの花のタイプとは違うが、それでもやっぱりメジャーなだけあって、見応えのある花だなと思った。形も色も、本当に子どもがクレヨンで描いたような姿をしている。それでいて、花びらが隠すようにしている内部を覗くと、一転アダルトな雰囲気が漂う。アダルトな雰囲気というか、性器そのものだ。あまりにもおしべとめしべ。たまに動物園で、発情期なのかなんなのか、男性器が勃起している動物がいて、少し気まずい思いをしたりすることがあるが、チューリップって常時その状態というくらい、性器が目立っている。しかし子どもの手前、あまりそのことには触れないほうがいいんだろうなあと思っていたら、ファルマンが「おしべとめしべがすごい」と普通に口にしたので、ああそれはいいのか、と思った。エロの箍が基本的に外れていて、頭の中では常にエロいことを考えている(春ということもあり)のに、第三者とぜんぜん打ち解けた会話をしないでいると、一般的な場面でしゃべってもいいエロと、しゃべってはいけないエロの区別がつかなくなる。もう何年もその症例に悩まされ続けている。そのあと、さまざまな色のチューリップを眺めていて、白いチューリップの中には、本当に真っ白なものと、少し黄みがかったものもがある、ということをポルガがつぶやいたので、(それってまるで精液のようだな)と思ったが、さすがにそれはアウトのほうだろうと察して、声には出さなかった。会話ってけっこう頭を使う。
 チューリップをしばし堪能し、さて買い物でもして帰ろうかと車を少し走らせたら、今度は望外の菜の花畑に遭遇し、そこでも車から降りて少し写真を撮った。菜の花はもう終わったと思っていたので、一面に咲くそれが見られてよかった。菜の花は香りがいいな。
 帰宅後、夕方になったところで、子どもたちを連れて散歩に出る。近所の土手や野原を歩くのは久しぶりで、冬の寂しい感じからどんな変化があったろうかと興味があった。行ってみたら、土手には相変わらずの薄茶色のススキみたいなものが群生していて、あの薄茶色のやつって、枯れてるとかじゃなくて、ああいうもので、1年中ああして枯れてるような姿であの場にのさばるのかよ、と思った。春なのだから、劇的な変化が欲しかった。それでも地面からは、青々とした葉っぱが伸びてきていて、やはり冬とは違った。その中で、「これがすごくたくさん生えてる」と僕が指したものを、ポルガが「それはスギナ。つくしがそれになるんだよ」と教えてくれて、なんだこいつ植物博士かよ、と驚いた。8年前、チューリップを見て、小さな手でチューリップの形を作り、体を揺らしてチューリップの歌を唄っていた2歳児は、年頃になってあまり素直に写真を撮らせてくれなくなったが、その代わりにそんな知識を身につけ、親に教えてくれるようになったか、と感慨深い気持ちになった。
 子どもたちの春休みもとうとう終わろうとしていて、ようやく来た春は、早くも終わりの雰囲気をまとい始めた。桜が散って、GWの気配が近づいてくると、季節はすぐに春というより初夏のようになる。そうなれば、次に見頃になる花は、いよいよオオキンケイギクということになるか。忌み嫌われる特定外来生物のオオキンケイギク、島根県でも咲き乱れるさまを見ることができるだろうか。愉しみ。