2023年の瀬の瀬の瀬

 28日で労働が納まり、29日から休みに入っている。めでたい。めでたーてしゃーない。
 無為に過してしまわぬよう、やるべきこと、やりたいと思っていることを、28日の夜に箇条書きした。なるべくならここに書いた全てをこなしたいものだが、これがなかなか難しいのだ。時間的には十分あるはずなのだが、そう単純な話ではないのである。
 まず29日の午前は、予約していた病院に行った。先日、12月の頭に受けた健康診断の結果が返ってきて、γ-GTPも含めて概ね問題なかったのだが、肺のレントゲンで引っ掛かり、「要精密検査」の診断が出ていた。とは言え自分ひとりでは、ちょっと嫌だなあと思いつつも、わざわざ専門医に検査を申し込むことはしなかったに違いないが、そこは配偶者が有無を言わさずやってくれ、労働が終わりつつ病院がまだ開いているという、唯一のこの日に予約を入れてくれたのだった。ありがたい話である。
 その待合室で書いた問診票の欄に、喫煙歴についての問いがあり、「これまでタバコを吸った経験がありますか」に対して、「一度もない」「今も吸っている」「かつて吸っていたがやめた」という項目があって、僕がタバコを吸っていたのはもう20年も前の、20歳前後に1年くらいだけなので、もはやほとんど事実としてないようなものだと思われたが、わざわざ肺を診てもらいに来たのに、「一度もない」に〇をするのもそれはそれで違うような気がして、仕方なく3番目に〇をつけ、「20歳の頃、1日平均5本ほど」という、やっぱりどう考えても今の僕の肺に影響が残っているとは思えない情報を記した。なんとなく間が抜けているような気がして、恥ずかしかった。結果として、CTというものを生まれて初めて受けて、「問題なし」の診断をもらう。よかった。
 午後は、兵庫在住の次女一家がこちらに到着したというので、ファルマンと子どもたちは実家へ行った。呼吸器内科ではずいぶん待ち時間があり、暇だったので、その間に僕は1年前の年末年始の自分の日記を読んでいたのだが、そこにも、28日で労働が納まり、29日の午後に次女一家がやってきた、ということが書かれていたので、なんとなくおもしろかった。年間行事というものはルーティンでオートメーションなもので、それはなんとなく空恐ろしい、虚無的な感じもありつつ、しかし世界に目を向ければ、その当たり前が崩壊してしまっている人々も多くいるわけで、なによりもありがたいことだとも思う。来年も同じ日程が繰り返されればいい(もっとも来年は28日が土曜日なので、年末の休みが1日前倒しで多くなる可能性がある)。ちなみに1年前は、僕も赤ん坊を見るため、そこに参加した様子だが、今年はそうはせず(どうせ正月には集うので)、この日が年内最終の営業日であった、いつものプールへとひとり繰り出した。そして最後ということで、1km泳いだ。いつもは次の日のことを考え、泳いでも500mくらいなのだ。1kmは、久しぶりに泳いでみれば、まあこんなもんかという感じで、特別に疲労が大きかった印象もなく、実は普段でもやれるかもしれないと思った。と言うか、400mから500mあたりで、なんか今日はもういいかな、というしんどさが襲ってくるのだけど、それに克って700mとか800mまで行くと、逆にすいすい行ける感じになる。今後の参考にしようと思う。ちなみに今年最後のプールだったということで、1年間の水泳回数を集計した。この記録は去年の途中から付け始めたので、1年間を通しての数字というのはこれが初めてである。結果は、94回。ほぼ4日に1回ということになり、そう考えるとまあ年間通してだいぶきちんと行ったものだな、と思う。94回泳いだ僕は、1回も泳がなかった僕に較べ、だいぶ健やかであるに違いないので、今後もこの習慣は続けていこうと思う。一時期作りすぎて食傷気味になった水着作りも、もうその気持ちは薄れ、新しいものが欲しくなってきている。来年も生地を手に入れ、作ろうと思う。ちなみに水泳とともに記録している射精に関しても、(まだ最終が済んだかどうか不明ながらも)このとき一緒に集計をしたのだが、それについてはできれば「BUNS SEIN!」に書きたいと思ったので、いまここに結果は記さない。なぜわざわざ「BUNS SEIN!」に書こうと思ったかと言えば、集計結果がなかなかおもしろいものであったからだ。年内に記事が書けたらいいのだけど。
 晩ごはんはホイコーローをメインに、中華風の卵焼きや水餃子のスープなど、中華にした。これから休みの間は、もちろん料理をすべて僕が担当する。ファルマンは休みの日は料理をしなくていいということが、心底嬉しいそうで、喜ばれるのはもちろん嬉しいのだが、あまりにもそこを喜ばれるというのも、普段そんなにつらくてしょうがないのかよ、と言いたくなるわけで、少し複雑な感じがある。
 夜、ファルマンにブリーチ剤の塗布をしてもらう。正月を前に、もはやプリンでもなく、髪の3分の1くらいが黒いという状態を是正しておくことにしたのだった。髪の長さ自体が、またしっかりと結べるくらい長くなっているので、こういう長さでド金髪にすると、さすがに激しすぎて変だったりするんだよなあ、もしもそうなったら散髪もしてもらおう、と思っていたのだが、仕上がりは問題ない感じだったので、無事に金髪の長髪に移行した。嬉しい。今回はどこまで続けるんだろうな。まあそのうち急に自分の中で終わりが来て、「なが! うざ!」となって切ることになるだろう。
 明けて今日は、午前中は家族で桃鉄をして過した。その桃鉄とは、実は「WORLD」である。年末年始を前に、あったら家族で愉しめるよなあ、という思いに抗えず、買ってしまったのだった。ちなみに1年前のこの日は、わが家は湖遊館にスケートに行っていて、あれが実は一家4人で、桃鉄のソフト代と同じくらいの金額が掛かっているので、今年はそれが桃鉄になったという解釈でよいのだと思う。今回は世界全体が舞台ということで、基本的な桃鉄の仕組みは一緒なのだが、とにかくマップの全容が把握できず、その戸惑いも含めて、やはり愉しい。午前中を使って、4年を終える。ポルガが初期設定でしれっとプレイ年数を100年にしていたが、まさかそこまでやるつもりはない。
 午後は、妻子は今日も実家に遊びに行くというので、ここが今回のおろち湯ったりチャンスであろうと、雲南市へと足を運ぶことにした。また1年前の日記になるが、1年前の休みのときは、「湯ったり館に行きたいなあと思いつつも踏ん切りがつかなかったが、かと言って家で有益に過せたかと言えばそんなこともなかったので、やっぱり行けばよかった」と言っていて、今年もこのままだと同じことになるなあと思い、行ったほうがいいと判断したのだ。今年は暖かい年末年始となり、雲南市への道のりも何の懸念もなく行ける。しかし曜日的には土曜日の、12月30日の昼下りと来れば、そこまで人がいないということもないだろうなあと覚悟はしていて、行ってみたら、まあ果たしてほどほどに人がいた。そしてプールには子どもがいたし、今週は男湯が狭いほうの風呂だったし、そもそも2階は閉鎖されているし、サウナも人の出入りであまり熱くなかったしで、総合的に見て、実にあまりよくなかった。しかしあまりよくなかったが、なんと言うか、まあこういうものだと、なにもマイナスに感じていない自分がいて、もう僕にとっておろち湯ったり館は、即物的な満足を得るだけの場所ではなくなってきているのだな、と思った。先日、ラーメン二郎に関する記事を読んで、ラーメン二郎を愛する人々というのは、ラーメン二郎のラーメンを、実はいつでも十全においしいと思って食べているわけではなく(もちろん基本的にはおいしく感じているのだろうが)、しかしあまりおいしく仕上がっていないときに当たってしまっても、別に不満や怒りが生じるわけでもなく、ラーメンの味どうこうという次元ではなく、もはやラーメン二郎のラーメンを食べるという、行為をしに行っているのだ、みたいな話があり、僕のおろち湯ったり館も、要するにこういうことだな、と思ったのだった。だから今日も、この年末年始の休み中に、おろち湯ったり館に行くという行為ができて、よかった。そう思った。あとちなみに、温泉のひとつに、壁からジェット水流の出るものがあって、普通に座ると、それが背中や腰に当たって気持ちがいい、というものなのだが、これに対しどうしたって、なかなか強い勢いで放出されているこのジェット水流を、ちんこに当てたい、当てて快楽を得たいという思いを禁じ得ないのだけど、しかしそれは公共の温泉施設において、ちょっとルール違反であるような気がして、これまで自重していた。しかし今回、先日まで脇腹を痛めていて、今でも朝起き上がるときとかにちょっと違和感がある、というストーリーが自分の中にあったため、そんなの周囲の人間からすればなんの関係もないことだが、その大義名分のもと、堂々と普段とは逆、ジェットの出どころのほうを向いて座り、脇腹に水流を当て、筋肉をほぐすということをし、そしてそうなると自ずと、普段は腰に当たるジェットが下腹部に当たることになるわけで、そこからは淡い倦怠感を伴う、なんとも言えない快楽がもたらされたのだった。でもこれは温泉の正当な使用法である湯治の、その派生によるものなので、ルール違反には当たらない、と自分の中で判断した。判断しつつ、途中からは脇腹よりもそちらに意識が強く行って、よりよいポジションを探っていた感があったということも、僕は正直者(近所でも評判)なのでここに記しておこう。
 湯ったり館を出たあとは、近くの店で晩ごはんの買い出しをして、そのついでにジャイアントコーンを買って、それを齧りながら帰った。温泉に入ったとはいえ、本当に暖かい年末である。湯上りのジャイアントコーンがとてもおいしかった。結果的に大満足である。
 帰宅後は、家族らはまだ実家から帰ってきていなかったので、ひとり静かにこの日記を書きはじめる。これが今月の10記事目。まだ明日もあるので、もう少しなにか書ければいいなとも思うが、とりあえず2桁に届かせることができてよかった。これにより年間毎月2桁投稿が無事に成った。
 晩ごはんはたらこ入りのポテトサラダと、ほうれん草ときのこのグラタン、そして焼き鳥。もう完全におつまみモード。明日大みそかの晩ごはんはどうしようかな。最後にそばを食べなければいけないから、あまり腹に溜まるものは食べられない。明日はたぶん家族で買い出しに出るので、そこでなにかよさそうなものを見繕おうと思う。

クリスマス2023

 なんだかんだでクリスマス寒波というものは、毎年几帳面にやってくる気がする。
 木曜日あたりからどぎついのがやってきて、金曜日の出勤はなかなかハードだった。などと言いつつ、その日の退勤後、プールに寄って帰った。ファルマンに電話で、泳いでくることを告げると、驚嘆された。電話だから分からないが、たぶんのけぞられたのだろうと思う。雪が降ってるような日に、逆にプールに行くというのもオツなもんさ、と思ったのだが、あまりそう考える人はいなかったようで、なんと25mプールのすべてのレーンを含めて、貸し切りだった。また僕の島根の貸し切り伝説に新しい1ページが刻まれた、と思った。ちなみに監視員はいつも通りふたりいたので、泳者よりも監視員のほうが多いのだった。視線を感じながらひとしきり泳ぎ、満足した。
 土曜日は午前中、食料品の買い物に邁進した。土曜日の午前はスーパーが安売りをするので、とてもテンションが上がる。土曜日に出勤がある週は、複合的な要因でテンションが下がるけれど、この土曜午前のスーパー巡りがままならないというのが、かなり大部を占めている気がする。今週もクリスマスと年末年始に向けて、まあまあいい買い物をすることができた。
 午後は家族でゆめタウンに繰り出した。どうしてもこれ、という用件があったわけではないのだけど、子どもたちがどこかに行きたいというので、なんとなくのショッピングモールである。年末らしい活気があった。ちなみに子どもたちは金曜日が終業式で、もう冬休みに入ったのだった。ああいよいよ1年が終わるのだな。
 晩ごはんは鍋ラーメン。ちゃんと寒い日に、満を持して鍋ラーメンができて嬉しい。鍋ラーメンだけだと寂しいかなと思っておにぎりも出したら、おにぎりで腹が膨れたのか鍋ラーメンのほうがだいぶ余ってしまった。夜になってファルマンと、日本酒とともに後半戦を行なったけれど、それでも余った。おかしいな。子どもたちが小さくて、まだ今ほど食べなかった頃に、鍋ラーメンだけでは物足りず、残った汁にごはんと卵を入れて雑炊をしていた記憶があるのに、今ではこんなありさまだ。子どもたちの食べる量ばかりを気にして、これまであまり意識してこなかった部分だけど、もしかすると自分たち夫婦の食べる量が、10年ほど前よりもだいぶ少なくなっているのかもしれない。
 翌日すなわち本日クリスマスイブの日曜日は、午前中に買い物ついでに、予約していたクリスマスケーキを受け取りに行く。ここから我が家はひと月で3回という、ケーキラッシュ期間に入る。そのこけら落としとなるクリスマスケーキは、普通に店で買うことにしたのだった。去年はブッシュドノエルだったが、今年は普通のホールケーキ、それも8個がそれぞれ別(オーソドックスなショートケーキなどは2つだったりする)のケーキになっているタイプのやつにした。こんなのって、手作りではもちろん、街のケーキ屋さんでもあり得ない(並んでいるケーキを8つ買えばいいのかもしれないが、わざわざしようとは思わない)ので、これぞ、こういう工場生産の大手メーカーによるケーキの醍醐味かもしれないな、と思って初めて選んだ。
 昼ごはんはあっさりとしたうどん。備蓄してある鶏のささみと、細かく切ったちくわ、そして卵をかき玉にして、優しく仕上げる。昨晩がにんにくやらしょうがやらを入れた豚バラ肉の鍋ラーメンで、今晩がクリスマスディナーなので、穏和なものを心掛けた。
 午後はファルマンと子どもたちはクリスマスの飾りつけをしたり、ポスターを描いたりを、金曜日の夜にやっていた「ホームアローン」を観ながら行なっていた。日記にこう書くと、まるでとても心地のよい平和なクリスマスイブのようだが、実際はみんなわがままで、ポルガは反抗期だし、ピイガは張り切りすぎて暴走していたしで、リビングからはわりと終始キーキーした声がしていた。僕はその間、4年ぶりとなった「仲間内10大ニュース」の記事の作成に勤しんでいて、無事に投稿することができた。とても嬉しい。
 晩ごはんのクリスマスディナーは、ローストレッグと、えびとブロッコリーとゆで卵のサラダ、買ってきたテリーヌと、パスタ3種というメニュー。今年は手羽元でフライドチキンなどに逃げず、きちんと前日から味を浸して、オーブンでじっくりと焼いてローストレッグを仕立てた。味はほとんど思うがままに冷蔵庫の調味料をジップロックの中に投入したのだが、食べたら絶品で、家族からも好評だったので気分がよかった。酒は、最初の1杯だけビールで、そのあとは珍しく白ワインを飲んだ。赤ワインは絶対に無理なのだけど、白ワインは昔ちょっと飲んでいた時期があった。せっかくクリスマスなので、チューハイではなく白ワインにでもしようかと思い、買っておいたのだった。とても久しぶりの白ワインは、悪くなかった。もしかするとこれからけっこう僕の飲酒ラインナップに躍り出てくるかもしれない。
 ちなみにテレビ朝日系が映らないでおなじみの「M-1グランプリ」だが、去年はTverでのライブ配信をひとり自室で眺めたけれど、今年はさすがにクリスマスディナーなのでそれは自粛し、まあ結果が出てから(結果も普通にヤフーとかで気にせず見るつもり)、合間合間でゆっくり観ればいいかな、と思っている。
 そんでもって、クリスマスのイベントであと残すところは、子どもたちが寝たあとの例の行為だけだ。しかしポルガはもう我々よりも遅く寝たりするので、寝静まった夜半に部屋に忍び込むのはすっぱりと諦め、明朝にそっと置く予定である。というかもうサンタの存在は、ふたりともさすがに信じていないような雰囲気があるのだが、特にピイガに関しては、藪蛇になる可能性があるので改めて確認をするわけにもいかないしで、まだこの形式は続けざるを得ない。続けざるを得ないというか、「もうそういうのいいから」などと言われたら哀しいので、やっぱりなるべくなら続けたいかな、とも思う。複雑な親心である。
 それでは皆様、メリークリスマス。

師走半ば

 師走の半ばの週末である。来週末はクリスマスで、来々週末は大みそかであるという、なんかそういう週末だ。慌ただしいような、特段するべきこともないような。帰省をしないことにしたのでその準備もなく、むしろ半月後にはまとまった休暇があるのだと思うと、わりと心に余裕があるとも言える。
 先週、子どもたちの体調不良によってままならなかった年賀状用の写真撮影というミッションがあって、今週は子どもたちのコンディションに関しては問題なかったのだけれど、今度は天候があまりにも悪く、急にやってきた寒波によって激しい風雪となり(金曜日は20℃越えだったのに!)、とても外に行って、年賀状にふさわしいような明るい写真が撮れるような条件ではなかった。やはり大いなる意思の介在を感じずにはおれない。とは言えさすがに今週末がタイムリミットだろうということで、仕方なく室内で撮影を行ない、背景を透過処理して嵌め込みでなんとかすることにした。まあこんな年もある。
 斯様にとても寒くなったというのに、ポルガがきちんと暖かい恰好をしないので、両親でやきもきしている。中学生らしく、ノートにいろいろ書いたり描いたりしているようで、そしてそれは家族には見られたくないようで、だからリビングのこたつではなく、寒々しい自室のデスクでやるわけだが、そうなるともっと厚着をしろとか、電気ひざ掛けを持っていけとか、こちらとしてはどうしたっていろいろ言わざるを得ないのに、なんにも言うことを聞かない。「寒くない」と言う。ティーンというのは血流が漲っているので、たしかに中年よりは寒くないのかもしれないが、それにしたってやっぱり寒いものは寒いだろうと思い、せめて靴下くらい履けと言ったところ、「靴下は血が止まるからむしろ寒くなる」などと言って拒まれた。締め付けで血流が悪くなるって、お前それ、俺の裸で寝る健康法のことは白い目で見るくせに、言ってることとやってることが違うじゃねえか、と思った。思春期めんどくさ!
 白い目で見られると言えば父がひたすら自分のために作るオリジナルショーツだが、その整理を、大掃除というわけではないが、行なった。これまで、作ったものは基本的に、洗濯に出していない限りはいつでも穿けるような状態にしていたが、さすがに枚数が増え、飽和し、部屋にショーツが散乱するようになっていたので(なにぶん女子用としか思えないようなショーツなので、その情景はそれはそれでよかったのだが)、ちょっとシビアな話になってしまうけれど、レギュラーから外れてもらうものを選び、それらは大ぶりのエコバッグに詰め込んで、クローゼットの奥に押し込んだのだった。ショーツをひとつひとつ手に取り、これまで通りのショーツボックスか、はたまたエコバッグ行きかという、その選定の基準は、なるほど「ときめくかときめかないか」だったので、こんまりの言うことはたしかにそうなのだな、とショーツの選別において初めて実感をした。おかげで部屋はだいぶすっきりしたし、明日からセレクトするショーツはときめくものばかりになったので、万々歳だ。
 土曜日の晩ごはんは鍋にした。鍋用の骨付きのぶつ切り鶏肉というものが売っていたので、おいしそうだと思って買った。もちろん美味しかった。実はちゃんと鍋をしたのはこれが今年初めてだったのではないか。夜には雑炊を仕立て、ファルマンとともに深酒をした。なかなかに高いクオリティの幸福感があった。

12月人生

 12月に入っている。
 こないだの週末は、子どもたちを連れ出して年賀状のための写真を撮る予定としていたが、木曜日にピイガがインフルエンザを発症し、それどころでなくなった。一時期は熱が39度を超え、嘔吐などもあったそうだが、特効薬によって回復は早かったようだ。そして幸いなことに、ファルマンの献身的な看病(隔離)によって、他の者への感染は起らなかった。ピイガは土曜日にはもうケロッとして、どこかへ出掛けたいなどとのたまうほどだったが、大人だったらこうはいかないだろう。名もなき後遺症、重たく、つらく、しんどい、あの感じが、長く続くに違いないので、本当に無事に通り過ぎてくれてよかった。
 さらには日曜日には、ポルガが部屋から出てくるなり「目が腫れた」と言って、見ればたしかに右目の瞼が大きく腫れているのだった。ポルガはちょいちょい、ものもらいになる。そのため前回時に眼科でもらった薬が、まだ期限内で家にあったので、それで様子を見ることにした。中学生である本人は、眼帯を着けてご満悦のようだった。
 それにしたって、年賀状の写真を撮るつもりだったタイミングで、大いなる意思によって妨害でもされているんじゃないかというくらい、子どもふたりとものコンディションが整わなかったのだった。仕方ないので予定は翌週に後ろ倒しになった。どうせ出す枚数はきわめて少ないので、それからでも十分に間に合う。
 年末らしい行事と言えば、少し前に、職場の集まりで忘年会を行なった。世の中にありがちな「4年ぶりの開催」ということで、僕はこの職場になって初めてのこういった集いだった。いまの職場は平均年齢が本当に高いので、会はとても落ち着いたもので、はっきり言ってしまえばまったく盛り上がらず、ぜんぜん愉しくなかった。乾杯をして、ひとしきり食べて、飲んで、そろそろ終盤かな、と思って時計を見たら、40分しか経っていなかったので心底驚いた。そういう会だった。
 しかしこれがもしも同年代だらけの職場での飲み会であったら、果たしてきちんと盛り上がっただろうか、ということを思った。世代の違いという言い訳をなくして、それでも愉しくならなかったら、それはもう自分の精神の問題ということになってくるのではないか。
 数日前、こんな夢を見た。僕は東北や北陸などの、寒い地域の中学生で、バスを乗り継いで通学している。その地方のバス停は、寒さ対策として、待合所が小屋みたいになっていて、そこには炬燵まで用意されている。僕がそこに入ってバスを待っていると、クラスメイトの女子ふたりもやってきて、僕に声を掛け、炬燵に入ってきた。ひとりは小学校も同じだったからわりと話す子で、もうひとりはあまり馴染みのない子である。僕は彼女たちに特別の恋情を持っているわけではなかったが、一緒に炬燵に入っているという特別感からか、なんかやけに好もしい気持ちを抱き、昂揚するのだった。そんな夢だった。
 起きてから、いい夢だったと思うと同時に、もう僕は中学生ではないし、もしも同じ状況で、40歳の僕の入るバス停の炬燵に、女子中学生ふたりが入ってきたら、僕は戸惑ってただ俯くほかなくなるに違いない、つまり今生の僕には、中学生が抱くあの昂揚感はもう二度と訪れないのだと思い、とても寂しくなった。
 飲みの席というのも一緒で、もう若い頃のように身軽ではないので、深酒もそのあとのことを考えてあまりする気にならないし、はめを外したあとにやってくる後悔の億劫さを思えばそれも避けたいしで、もう心ゆくまで盛り上がる飲み会というものは、永遠にやってこないのではないだろうか。どうもそんな気がする。
 でも飲み会は別にいい。中学生の昂揚感に関しては、悲痛な思いを抱いている。