12月人生

 12月に入っている。
 こないだの週末は、子どもたちを連れ出して年賀状のための写真を撮る予定としていたが、木曜日にピイガがインフルエンザを発症し、それどころでなくなった。一時期は熱が39度を超え、嘔吐などもあったそうだが、特効薬によって回復は早かったようだ。そして幸いなことに、ファルマンの献身的な看病(隔離)によって、他の者への感染は起らなかった。ピイガは土曜日にはもうケロッとして、どこかへ出掛けたいなどとのたまうほどだったが、大人だったらこうはいかないだろう。名もなき後遺症、重たく、つらく、しんどい、あの感じが、長く続くに違いないので、本当に無事に通り過ぎてくれてよかった。
 さらには日曜日には、ポルガが部屋から出てくるなり「目が腫れた」と言って、見ればたしかに右目の瞼が大きく腫れているのだった。ポルガはちょいちょい、ものもらいになる。そのため前回時に眼科でもらった薬が、まだ期限内で家にあったので、それで様子を見ることにした。中学生である本人は、眼帯を着けてご満悦のようだった。
 それにしたって、年賀状の写真を撮るつもりだったタイミングで、大いなる意思によって妨害でもされているんじゃないかというくらい、子どもふたりとものコンディションが整わなかったのだった。仕方ないので予定は翌週に後ろ倒しになった。どうせ出す枚数はきわめて少ないので、それからでも十分に間に合う。
 年末らしい行事と言えば、少し前に、職場の集まりで忘年会を行なった。世の中にありがちな「4年ぶりの開催」ということで、僕はこの職場になって初めてのこういった集いだった。いまの職場は平均年齢が本当に高いので、会はとても落ち着いたもので、はっきり言ってしまえばまったく盛り上がらず、ぜんぜん愉しくなかった。乾杯をして、ひとしきり食べて、飲んで、そろそろ終盤かな、と思って時計を見たら、40分しか経っていなかったので心底驚いた。そういう会だった。
 しかしこれがもしも同年代だらけの職場での飲み会であったら、果たしてきちんと盛り上がっただろうか、ということを思った。世代の違いという言い訳をなくして、それでも愉しくならなかったら、それはもう自分の精神の問題ということになってくるのではないか。
 数日前、こんな夢を見た。僕は東北や北陸などの、寒い地域の中学生で、バスを乗り継いで通学している。その地方のバス停は、寒さ対策として、待合所が小屋みたいになっていて、そこには炬燵まで用意されている。僕がそこに入ってバスを待っていると、クラスメイトの女子ふたりもやってきて、僕に声を掛け、炬燵に入ってきた。ひとりは小学校も同じだったからわりと話す子で、もうひとりはあまり馴染みのない子である。僕は彼女たちに特別の恋情を持っているわけではなかったが、一緒に炬燵に入っているという特別感からか、なんかやけに好もしい気持ちを抱き、昂揚するのだった。そんな夢だった。
 起きてから、いい夢だったと思うと同時に、もう僕は中学生ではないし、もしも同じ状況で、40歳の僕の入るバス停の炬燵に、女子中学生ふたりが入ってきたら、僕は戸惑ってただ俯くほかなくなるに違いない、つまり今生の僕には、中学生が抱くあの昂揚感はもう二度と訪れないのだと思い、とても寂しくなった。
 飲みの席というのも一緒で、もう若い頃のように身軽ではないので、深酒もそのあとのことを考えてあまりする気にならないし、はめを外したあとにやってくる後悔の億劫さを思えばそれも避けたいしで、もう心ゆくまで盛り上がる飲み会というものは、永遠にやってこないのではないだろうか。どうもそんな気がする。
 でも飲み会は別にいい。中学生の昂揚感に関しては、悲痛な思いを抱いている。