ラベル switch の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル switch の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。

ポルガ12歳と20年間

 過去の日記を読み返そうと思い、さかのぼっていったら、本当に最初のウェブ上の日記というものは、どうにもこうにも残っていないようだった。これからまだ精細に日記を読み返していくつもりなので、その中で不意に新事実が明らかになってくる可能性もあるが、どうも最初は「everydiary」というサービスで、「purope★papiroの日記」というタイトルで書いていたようだ。20歳の頃である。20歳。20歳って、そこまで遠くない、大人の、今の自分と地続きのもののように思っていたが、実はぜんぜんそんなことない。だって20歳当時から、もうぼちぼち20年が経つのだ。安室奈美恵のように、20歳で子どもを産んでいれば、その子どもがもう20歳なのだ。そのくらい、20歳と40歳は離れている。クレヨンしんちゃんの「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」において、大人たちがみんな洗脳されて子ども返りしてしまうシーンで、不良の高校生グループである埼玉紅さそり隊の少女たちまでがそちら側に入っていて、でもそれは5歳児から見れば自然なことなのだろうと思ったりしたが、年齢って斯様に相対的なものだと思う。40歳からすれば、高校生はもちろん、20歳だってぜんぜん子どもだ。子どもだと思いつつ、ではいったい自分は20歳の頃からどこが成長し、どこが大人になったのだろう、とも思う。この人は急になにを言い出したのか、と思われるかもしれない。ポルガが本日、12歳になったのである。ひと回りで、春から中学生で、自分たちは今年40歳になる、などの種々の要素が、なんとなく節目めいた思いを誘発させるのかもしれない。当日がちょうど日曜日という恵まれた暦だったので、スムーズにお祝いすることができた。
 午前中に買い物に出て、昨日までの買い物で準備しきれなかったものを買い揃えた。その際、コンビニにも寄って、ポルガのリクエストの誕生日プレゼント、マリオカートのコース追加パスを買った。元からたくさんのコースがあるのに、さらに新しいコースを追加するのである。現代っ子の情報への貪欲さはとどまるところを知らない。思えば自分がいちばん、あのスーパーファミコンのマリオカートをやっていた時期が、ちょうどいまのポルガくらいの頃だった。
 昼にラーメンを食べ、子どもたちが追加パスで追加されたコースを嬉々としてプレイするのを尻目に、ひとりプールへと繰り出した。平日の退勤後に行かないこともないのだが、正月以来、陽の光を感じながら泳ぐ気持ちよさに目覚めてしまい、休みの日中に行きたがる傾向がある。今日も実によかった。
 帰宅後は本腰を入れて、誕生日祝いの準備をする。すなわち、ケーキ作りとたこ焼きの下ごしらえである。ケーキは、どんなものがいいか事前に本人に訊ねたところ、「こんなの」と図で示され、色とりどりの星が散りばめられたケーキをリクエストされたため、受けて立とうじゃないかと、食用色素とゼラチンを用意し、カラフルなゼリーを作製した。薄いパットに広げて固めたそれを、クッキーの星型で抜き(だいぶ難しかった)、それをケーキの上に載せ、残った部分はフォークでぐじゃぐじゃに剥がし、ケーキの周りに散りばめた。かくしてだいぶ再現度の高い、目下「銀河鉄道の夜」にハマっているポルガの希望に沿うケーキが出来上がった。
 夕方、大相撲1月場所の千秋楽がまだやっているような時間からたこ焼きを焼きはじめ、時間をかけてゆっくりと食べる。おいしかった。時間をかけて食べたら、殊のほか食べ過ぎて、一同お腹がいっぱいになってしまい、すぐケーキに取り掛かるのは無理だということになって、腹ごなしついでに、今度は4人でマリオカートをやった。20歳の僕と今の僕は、19も年が離れているけれど、ポルガとは8しか違わない。当時の自分は、こんなようなものだったのか、と思うと、信じられない思いがする。20歳からの日々には、さまざまなことがあった。プラスも、マイナスも、いろいろ待ち受けていた。日記に書いたこともあれば、書かなかったこともたくさんあるが、本人なので、読んでいく中で自然と思い出される部分も多くあるだろう。それをこれから時間をかけて本格的に読み返していくつもりだが、しかしあの20歳の、青年という言葉もまだ似合わないような自分の約20年後が、長女の12歳のお祝いの日に、家族4人でマリオカートができているのだから、この20年分の文章を読み返す作業には、安心感がある。
 しばしのゲームののち、ケーキを食べた。スポンジは、7号のものが欲しかったのだけど、あれはクリスマスの頃にしかなかなか店には並ばないもののようで(なのでピイガのときには手に入った)、さらには6号もなく、仕方なく5号と4号を買って、スリムな2段のケーキにした。スリムと言いつつ、2段なのでどうしたってかなりのボリュームである。それぞれ8分の1を切り分け、僕はなんとか食べたが、ファルマンは残していた(子どもたちはペロリ)。
 かくしてポルガが12歳。もともと変な子だったのが、近ごろは思春期も相俟って、いよいよ混沌として来ている。自己肯定感が、弱いとか強いとか、もはやそういう次元ではなく、超然としたレベルに達していて、他人としてこの子どもを眺めたら、一体どう育てたらこういう考え方の子になるんだろう、と疑問を抱くだろうと思う。どう育てるもなにもない。自己肯定感が超然レベルの子どもは、親の育て方の方針などには左右されないのだ。左右されるような性分なら、ここまで超然とはしない。古代生物と古代文明が好きで、「らんま1/2」が好きで、藤子・F・不二雄が好きで、好きな言葉は「パラレルワールド」。春からは中学生。周りに合わせてうまくやるタイプではないので、他力本願にならざるを得ないが、いい気性の子が周囲にいてくれればいいな、と思う。

2年4ヶ月ぶり帰省

 帰省なり旅行なりの外泊を伴うイベントの際、事前にその日取りをウェブ上に晒さない、というライフハックがあり、自意識過剰だよなと思いつつ、今回もそれを実行した。今回は事前に、「3日間しかないので飛行機で帰省するはめになった」という日記を書いたが、4月29日~5月1日の前半3連休か、5月3日~5日の後半3連休か、どちらで帰省するのかはあえて書かなかった。そして今回の場合、実際に帰省をしたのは後半3連休のほうだったわけだが、だとすれば自宅でのんびり過した前半3連休に平常の日記を投稿してしまったら、すなわち僕が帰省するのは後半3連休だということが消去法で判明してしまうため、それを避けるためにこの期間の日記の投稿も自重したのだった。切なくて怖い。ほとんど誰にも読まれていないブログのくせに、この危機意識の高さが切なくて怖い。
 というわけで5月3日~5日、一家で横浜の実家に帰ってきた。一家での帰省は2020年の1月以来(単独帰省は2020年11月に行なっている)なので、実に2年4ヶ月ぶりである。帰省した1月の下旬あたりから新型コロナの災禍が始まっているので、この2年4ヶ月は、そのまま人類が新型コロナに翻弄されていた2年4ヶ月である。コロナ禍になって半年後くらい、最初の盆休みのあたり、「コロナが明けたらまた会おう」みたいなキャッチフレーズで帰省の自粛が呼びかけられたが、このたびこうして帰省できたということは、コロナというものは「明けた」といっていいのだろうか。どうも蓋を開けてみたら、これは明ける明けないという尺度のものではないようでもある。人によっては明けているし、地域によっては明けている。裏を返せば、いつまでも明けない人もいるのだと思う。ちなみに島根県から東京や横浜に行く今回の帰省について、僕は職場で誰にも伝えていないし、子どもたちにも「極力いわないように」と言い含めた。まだまだそういう情勢だったりもする。
 3日の朝の飛行機に乗る。事前視察を行なった出雲空港へはつつがなく到着し、飛行機へと乗り込んだ。後悔することが前もって分かっていた飛行機は、やっぱり動いた瞬間に大いに後悔した。あの勢い。そして飛び立ってすぐの、斜めになっている間がつらい。規定の高みまで上りきり、安定飛行しているときはまだいいが、あの斜めになっているとき、すなわちシートベルト着用のサインが点いているときというのは、たぶんだいぶ、こちらが思っているよりもはるかに、安全が保障されていないんだろうと思う。あのときなにもなかったらめっけもん、くらいの感じだと思う。そのくらいのスリルを感じる。実際、今回もそれの際にそこそこ揺れた。飛行機が揺れるたびに、揺れるってどういうことだよ、と思う。なにぶんこちらは、飛行機が飛べているのはタイトロープ的なバランスでぎりぎり実現しているものと捉えているので、揺らぎなく飛んでくれないと困るというか、揺らいだ状態で浮かんでいられるはずがないと固く信じているのだ。だから揺らいだ瞬間、鉄の重みで一気に地上に叩きつけられるに違いないと思ってしまう。そのため少し揺れるたびに、後ろの座席から背もたれの間を通して伸ばしてもらったファルマンの手を、ぐっと握りしめた。力が入りすぎて、ファルマンは痛がるし、僕も筋肉痛になった。それでもなんとか、飛行機は無事に羽田空港に到着した。時間にすると1時間15分ほど。速い。飛行機はやっぱりびっくりするくらい速かった。もっともこれだけ怖いのだから、そのくらいのメリットがないと困る。
 羽田空港からはたまプラーザ行きのリムジンバスに乗る。空港周辺の埋め立て地的なエリアを通り、川崎の工業地帯を通り、やがて北山田などの見覚えのあるエリアに入って、1時間ほどで着いた。たまプラーザには母が迎えに来てくれた。久々の再会である。
 家では祖母が待っていた。祖母はぼちぼち94歳になるらしいが、相変わらず元気のようだ。2年4ヶ月の間にポルガは祖母の身長を超えていた。
 しばらくしたら姉一家がやってきた。なにぶん2年4か月ぶりなので、今回は帰省の日取りを打ち合わせし、姉一家もキャンプなどの予定を立てずに待ち受けてくれたのだった。ちなみに僕ひとりの11月の帰省の際にも、姉一家とは顔を合わせなかったので、家族と同じ月日ぶりである。ただし甥(小4)はこの3日間、所属しているサッカークラブの合宿だそうで、今回は会えずじまいとなり、2年4ヶ月はさらに更新されるのだった。その代わり姪(中2)は2泊3日の間、がっつりと娘たちと絡んでくれた。中2になったというのに姪は相変わらず快活で、義兄の遺伝子を強く感じた。なんで中2なのに鬱屈としたものがまるでなさそうなんだろう。自信家とか傲岸不遜とも違う、あの正常さはなんなのだ。ファルマンは「陽キャ」といっていて、まあつまりその一言なんだろうな、としみじみと思った。ポルガは、たぶん年長者と話す機会があまりないこともあるのだろうが、2歳年上の従姉に相変わらずぞっこんで、横浜滞在中ずっと、既存の家族3人に対して冷たかった。そういうところだ。2歳年上の従姉に憧れながら、ポルガにあの快活さの片鱗も見出されないのは、そうやって相対的に家族の扱いがぞんざいになる、そのあたりの性根に原因があるのだと思う(そしてそれはこの両親の子である以上、どうしようもないことなんだよ)。
 それからは近所を少し散歩したり、姉一家が持ってきたモルックをしたり、スーパーに買い物に行ったり、のんびりと過した。今回は2泊3日で、2年4ヶ月ぶりで、コロナも完全に終焉したわけではない、などのもろもろの事情を鑑みて、どこかに行くような予定は一切立てなかったので、半日で早くも時間を持て余し始めたこんな過し方で、しかし合っているのだった。今回はこれでいいのだ。
 晩ごはんは定番の手巻き寿司。それなりに豪華で、実は準備が楽なので、こういうときは手巻き寿司一択だ。叔父もやってきて(もとい叔父は車を運転できないので姉が迎えに行くのだが)、にぎやかに食べた。甥が残念だったが、まあしょうがない。
 2日目は唯一の丸一日動ける日であり、予定は立てないといいつつ、さすがにずっと家でダラダラしているわけにもいかないので、出掛けることにした。目的地はこれも定番の、こどもの国。手巻きずしもこどもの国も、馬鹿のひとつ覚えのように繰り返すことだと思うが、毎回置かれる状況が一緒なので、結論が同じになるのは仕方がないことだ。いちおう、鎌倉はどうだろうということも検討したのだが、準備不足だったし、さすがにハードすぎる気もしたので却下された。こどもの国は大盛況だった。いつぞやテレビで観た、こどもの国はこんな人出です、の中継映像に出ていた、バラックのようにびっしり連なるテントの風景を目の当たりにした。ありとあらゆる設備が順番待ちで、島根の公園の尊さを思い知った。もちろん子どもはそれでも十分に愉しんだだろうが。しかし陽射しがなかなか強く、弁当も持ってきていなかったので、3時間ほどの滞在で、昼前に退園した。
 午後は姪のswitchで、子ども3人と僕の4人プレイで桃鉄をした。なにぶん時間がたっぷりあるので、5年設定でじっくりやる。3年くらいだと運の要素が大きいが、5年になると地力がものをいう。無事に子どもたちに大差をつけて優勝した。だてに大学生の頃、コンピュータとのふたりプレイで99年間やっていない。ゲーム自体はリニューアルされ、マス目も増えているとはいえ、経験値が違う。気分がよかった。
 晩ごはんは餃子。これもかなり定番だな。僕が作る餃子よりも野菜の比重が高く、軽やかに食べられた。ちなみにこの途中で、ホットプレートにつないでいた延長コードの線が焼き切れるという、あわや大惨事な出来事があった。延長コードの劣化が原因だったようで、昔の人間は物持ちがいいが、よすぎるのも考え物で、ちょうど機械類が老朽化したときに、持ち主も年を取っていて、その組み合わせはきわめて恐ろしいと思った。大ごとにならなくてよかった。
 最終日は、昼前くらいに家を出ればいいので、それまではのんびり。姪が朝からやってきたので、ファルマンと子どもたちを連れて散歩ついでに、柏餅を買いに行く。子どもの日なんだから子どもに柏餅を喰わさねば、という使命感に駆られたのだが、姪からは「なんで急に柏餅なの?」と不思議がられた。その家々で、親から子に与えられる情報、伝えられる常識は異なる。そういえば義兄はいつか、「となりのトトロ」を観たことがいちどもないと言っていた。どうもやっぱり人種がぜんぜん違うな、と思った。早めの昼ごはんの焼きそばを食べたあと、母と祖母とともに7人で柏餅を食べた。
 これで今回の帰省は終了である。玄関先で祖母と姪と別れの挨拶をする。祖母の「次はいつだ」という問いかけに、年末年始はやはり気候的に帰るのは難しそうで、だとしたら1年後とかになるかなあと頭の中では思いつつ、明確な返答は避けた。姪やポルガは、「夏休み!」と勝手に話を進めていたが、3ヶ月後は嫌だよ。それはよそうよ。
 おとといと同じく母にたまプラーザ駅まで送ってもらい、そこからバスで羽田空港へ。行きでは空港に着いてすぐに来たバスに飛び乗ったが、帰りは時間に余裕を持って空港にやってきたこともあり、空港の中でしばらく過す。ファルマンの実家へのおみやげを買ったり、行きの飛行機で耳に不調を来したピイガのために飛行機専用の耳栓を買ったりした。あと展望デッキにも出た。羽田空港の展望デッキは、出雲空港と違い、次から次へと飛行機が飛び立つのでおもしろかった。
 帰りの飛行機は、行きよりは揺れなかったが、それでもやっぱり飛んでいるのでどうしたって恐ろしかった。行きは隣がポルガだったので自重したが、帰りはピイガだったので、エロ小説を読んで気を紛らわそうと思った。しかし読んで、それなりに淫らな気持ちになっても、やはり飛行機に乗って高度何千メートルの位置にいるのだという事実が邪魔をするのか、勃起には至らず、もどかしい感触があった。パイプカットした状態ってこんな感じかな、などと思ったが、あれは精子が出ないだけで勃起はするってことだから違うかもしれない、とも思った。かくして飛行機は無事に出雲空港に着陸した。行きも帰りも飛行機は無事に離陸し、着陸した。それゆえにこうしていま日記を書けている。ありがたいことである。
 3日の朝に出発して、5日の夕方に帰ってきたのだから、自宅はたったの2日ぶりということになる。そう考えると非常に大したことないように思えるが、それでも十分に自宅への恋しさは募った。やっぱり自宅は愛しいな、と思った。
 そしてこの夜は、次の日がそれぞれ出勤と登校ということもあり、そしてなにより痛烈な疲労感により、家族全員、22時くらいに寝た。いくら飛行機が1時間ちょいといっても、移動による疲労感というのは、時間よりも距離による作用のほうが大きいように思う。深く寝た。実家の寝具は、畳に布団で、マットがないので固いのだ。あれでだいぶ腰がやられる。自宅の寝床は心地よいなあと思った。
 そんなわけで、無事に2年4ヶ月ぶりの帰省が成った。正月に帰る予定を連絡しておきながら中止した負い目などもあったので、実行できてよかった。心懸かりが取れた。これで当分は行かないでいいだろう。当分は遠出したくない。

2月旗日

 やけに雪が降ることだよ。さいわい生活圏では、そこまでのドカ雪というわけではないのだけど、それでもなんだか2月は、降らない日より、雪が舞ったり積もったりしている日のほうが多かったような気がする。そのくらいには降った。降っている。2月って冬といいつつ実質春だよな、ということを前に書いて、それは2月を生きる僕のスローガンみたいなもので、大いに希望的観測が含まれているのだけど、しかしこのような過酷な寒さに晒されながらも、それでもやはり、冬って本当は1月でほとんど終わってんだよね、と思う。先日ファルマンが、「googleの表示してくれた2年前の同日のもの」といって、笠岡の菜の花畑に行っていた写真を見せてきて、山陽と山陰の違いをまざまざと思い知らされたのだけど、それでもやっぱり、日本海側にあっても、2月の、それも下旬ともなれば、もう冬なんてその残滓もなく完全に消え去っている。窓の外では雪が舞っているけれど、春にだって雪が降ることはある。これはそういう雪だと思う。こういうことをいっていると、ファルマンから、「そうやって油断をするから風邪を引くのだ」と断罪される。
 天皇誕生日で休みだった。週の真ん中での休みはよかったが(逆にリズムが崩れてじわじわ疲れるという説もあるが)、それでもかつての天皇誕生日の日取りの良さを知っている身、これまでの半生の大部である30余年ですっかり沁みついてしまっている身からすると、この日取りは弱いと思う。もっとも前までが強すぎた。12月23日って、祝日になるにあたって、最強の日取りだったのではないだろうか。年末の、クリスマス直前の、いろいろ忙しい、いろいろ整えたい、いろいろ準備したいタイミングで、ここに1日ぽっかりと休みがあることが、どれほど有用であったか。思い返すと、30余年の平成時代の思い出が一緒によみがえり、寂寥感に襲われる。
 目下コロナ禍の令和である。島根県の蔓延防止措置は解除されたが、雪交じりの天候も相俟って、やはりまだレジャーに繰り出す気概は湧かず、家でのんびりと過した。やはりこの冬、switchは買ってよかったと思う。子どもたちは日々、宿題や明日の準備や部屋の片づけをしたら、という条件をこなし、せっせと攻略に勤しみ、先日とうとうスーパーマリオは、無事に1周目のクリアを達成し、いまはスターコインの取りこぼしや、隠し面の出現など、やり込み要素に励んでいる。買ったソフトも正解だった。やっぱりマリオのものだな。
 晩ごはんは、ファルマンのリクエストにより春巻を作った。おいしかった。皮が10枚単位で売っていて、4人で10本というわけにはいかないから20だよな、と思って買ったのだけど、いざ巻いてみたら、春巻はイメージよりもサイズが大きく、なんなら10でもよかったかもな、と思いつつ、それでも僕とポルガは4本食べた(ファルマンとピイガは2本)。まあまあ油っこかったので、胃もたれが心配だったが、なんとか事なきを得た。まだ胃の働きは大丈夫なようだ。それにしてもおいしかった。餃子にしろ焼売にしろ春巻にしろ、どうもこういった包む系の調理に、僕はやけに適性があるらしい。異様に旨い。よそでこんなにおいしいのを食べたことがない。実家で母が作ったものを、おいしいと思って食べていたが、自分で作ってみたら自分のもののほうがさらにおいしかった。才能だな。

春先3連休

 嬉しい3連休。なにが嬉しいって、済まさなければならない用件はもちろんのこと、レジャーの予定もなく、レジャーは、公園系は寒くて行けるはずがないし、蔓延防止等重点措置が発令されているため屋内施設も営業をしていなかったり、していたとしてもやっぱりこのタイミングで行かなくてもいいよな、と思ったりで詰んでおり、つまり「特になにもすることがない3連休」だったのだ。それのなんと贅沢なことか。
 初日の午前中は買い物に出た。食糧品を中心にいろいろ仕入れたあと、昼ごはんとしてマクドナルドを買って帰った。マックはいまハッピーセットがムーミンで、ぼやぼやしているうちに気づけば第2弾になってしまっていたのだが、それを大人も含めて4つ(本気でほしいおもちゃのときだけ、大人もハッピーセットを注文するのが発動する)、買って帰った。買って帰ったと簡単に言ったが、3連休初日の祝日、そして第2弾の初日、さらには正午過ぎという時刻もあり、買うまではなかなか苦労した。待ちながら、「島根でこんなに盛況しているのだから、東京ではとんでもないことになっているんじゃないか」なんてことを夫婦で話していたら(しかしよく考えたら東京は店舗数が多いから逆にこんなことにはならない気もする)、ポルガが「行列が伸びて山をふたつくらい越えるかもしれないね」と言ってきたので爆笑した。ジョークじゃない。マジである。実は練馬生まれのくせに、長年の田舎暮らしによって、とうとうそんな世界観になってしまった。リアル「俺ら東京さ行ぐだ」状態。将来は銀座に山を買うのかもしれない。ハッピーセットは、3種類がひとつずつと、ムーミンママの砂時計が被った。3種の中ではムーミンママの砂時計がいちばん当たりだと思うので、大成功だった。
 午後は縫製をしたり、筋トレをしたりという、いつもの過し方。おやつのあと、僕とファルマンでswitchをやった。子どもたちは、1日に許されたゲーム時間を、休日はいつも朝に使ってしまうため、見るだけ。わが家唯一のソフトである2次元のスーパーマリオは、ファミコンの「スーパーマリオブラザーズ3」の経験値が通用するため、子どもたちから「パパは上手」という認定をされており、気分がいい。ずっとこういう、親世代が最新技術についていけない、みたいにならないゲームだけしていたい。
 晩ごはんは肉たっぷりのつけ汁で食べるざるうどんと、厚焼き玉子とアボカドのタラマヨサラダ。後者は、1週間前に手巻きずしをした際、厚焼き玉子とタラマヨで巻いたものが、刺身よりもむしろおいしく、感動したため、じゃあもういっそその中身みたいなサラダ(サラダというか和え物?)を作ってしまえばいいんじゃないか、と思って作った。結果、まあまあおいしかったが、でもここに、海苔と、酢飯と、わさび醤油が加わったらもっとおいしいんだろうな、とも思った。こういう、組み合わさった物の中心部が好きで、その中心部だけがたくさん集合したものがあれば夢のようだと思い、しかし実際に手に入れてみたら、案外そこまで愉しめなくて、周りがあるからこそ高いレベルで成立するんだな、と思うことって、いま具体的な例はひとつも思い浮かばないけれど、人生の中で多々ある。
 翌日は、天気が良かったので、朝からひとり、ジョギングに出た。実は10日ほど前から、2、3日おきのペースでジョギングを始めた。プールの代替としての有酸素運動である。いつもは夕食後、食休みをしてから夜に走っているのだけど(8時台なのに人とまったくすれ違わない)、休日だから朝だ。朝陽の下、ジョギング。帰宅後のシャワーを含め、とても気持ちがよかった。人とまったくすれ違わなかった。山をふたつくらい越えた先にしか人はいないのかもしれない。
 この日は、この特にしなければならないことのない3連休の中で唯一と言ってもいい、やったほうがいいこと、やってしまいたいことの、知人のためのズボン作りをした。依頼を受けて3週間あまり、当初思っていたよりもかなり難儀し、あぐねていたのだけど、ようやく作り上げる見当がついたので、このまとまった休日のうちに仕上げてしまいたかった。結果、無事に完成することができた。なぜズボン作りでそんなにあぐねたのか、その模様は後日「nw」に記録しようと思う。
 昼ごはんは、納豆と卵の混ぜそば。大人はネギを、これでもかとたっぷりかけ、つるつるさっぱり、おいしく食べた。僕が料理を担当する週末は、やけにごはんを炊かない。
 午後、あまりにも天気が良くて、もったくなく感じ、しかし公園は、子どもは遊ぶので体があったまるだろうが、待機する大人はひたすら寒いのでやはり行くわけにはいかず、考えた末に海を見に行くことにした。砂浜には、同じような選択肢の中、同じような思考をしたらしき人たちが、そこそこいた。海は、1月のそれとは明らかに変わっていて、どこからどう見ても「春の海」だった。やっぱり2月は、冬だけど冬じゃなく、言わば「冬(春)」みたいな冬だな、ということを思った。子どもたちは砂でめいめいに遊び、大人はそれを眺めたり、写真に撮ったり、海を見てたそがれたり、思い思いに過ごした。来ている人たちの中には、海に足を浸している剛の者もいたが、それをする気にはならなかった。7月になったら泳ぎにこようと思った。
 晩ごはんはハンバーグ。さすがにごはんを炊いた。付け合せで、先日スーパーで買った、いかにも春先らしい、ピンポン玉よりもひと回りからふた回り小さいような、メークインを、もちろん皮のまま、丸ごと揚げた。これがとてもおいしかった。こうしてみると、とても春を感じ取った1日だったようだ。
 最終日の今日は、この3週間わりと頭を重くしていたズボンの件が落着した解放感から、ひたすらしたいことをして過した。天候は昨日から一転、山陰の冬らしい「降るともなく降り続ける雨模様」のやつで、これからはこういうせめぎ合いが延々と続くのだろう。
 昼ごはんは、昨日のハンバーグの残りで作ったハンバーガーと、午前中に作ったトマトソースをたっぷり塗ったピザトーストという、目新しい感じのメニュー。あと昨晩のそれがとてもおいしかったので、またひと口メークインを揚げた。そう考えると、初日のマック、2日目のハンバーグの付け合せ、そしてこれと、3日連続でフライドポテトを食べたのだな。だからなに、ということはないけれど。
 午後は、ファルマンと子どもたちが午前中に焼いたチョコのカップケーキを持って、実家へ。1日早いバレンタインデーである。向こうからも、ムーミンのかわいい缶箱に入ったチョコレートをもらう。缶箱が嬉しい。中身を食べきったら、こまごましたものを入れる箱にしようと思う。おやつとして、持ってきたカップケーキを一同で食べる。予想通りの、見た目通りの味。なにぶん、僕の母にいつぞや教えられたレシピで作ったものなので、本当によく知った味なのだった。実に淡々と済まされたバレンタインデーであった。
 晩ごはんは、ぶり大根とスパゲティサラダ。最近、寒さもあってビールやチューハイを飲まない代わりに、日本酒の酒量が増えていて、あまりよろしくないなあと思うのだが、ぶり大根はあまりにも日本酒向きの味で、夕飯時は飲まずに済ませたのだけど、たぶんこのあと、録画した「鎌倉殿の13人」をファルマンと観ながら、どうしたって残りのぶり大根と熱燗、ということになる。もうこれはしょうがない。人生の快楽だからしょうがない。
 というわけで3連休は、斯様にとてものんびり、いい具合に過した。観ている「THIS IS US」のシーズン5の中で、「忘れたくないのは、子どもたちが子どもだった頃の、なんでもない土曜日の記憶」みたいな台詞があって、それは本当にそうだろうな、としみじみと思ったのだった。子どもと一緒に過ごす休日は、毎日終盤になると、主にピイガのうるささなどに辟易し、うんざりしてしまうのだけど、今がとても貴重な時間だということは、その乍中にありながら、理解している。理解はしているが、やはり夜にはもうたくさん、となる。このあたりの心情と、記事序盤の厚焼き玉子とタラマヨの話は、かすかに繋がる気もする。

平日のような平日じゃないような1月末日

 変則的に、土曜日が出勤で、月曜日が休みだった。久しぶりの平日休みに心が浮足立ち、そうなるとやっぱり四季荘かなあ、と思った。常連向けの、内輪ウケのイベント情報ばかりがラインに届いて白ける、ということを前に書いたが、やっぱり稀有な平日の休みを満喫しようと思うと、パッと四季荘が思い浮かぶのだった。しかし結果的に、今回は行かなかった。したいことが多くあったのと、あとはなにより億劫さが勝った。こういう外出に関し、億劫さを勝たせてばかりいるとあまりよくない気もするので、そのうち帳尻を合わせようと思う。やはり、春が来ないことにはな。
 月曜日は1月31日ということで、今月いっぱいという期間で、オミクロン株による感染拡大を理由に休校となっていた娘たちも、その最終日として家にいた。そうなのだ。せっかくの平日休みといいつつ、子どもが家におったのである。それもまた、いくらかはサウナに繰り出す意欲を削いだかもしれない。もっともサウナに行くつもりだった午前、家にいて子どもの世話を買って出たわけでもない。「休校中は自宅で、登校したかのように、なるべく時間割に沿って学習をしてください」という、おととしから続く、両親ともが外に働きに出る家庭を憤死させる学校からの要請を、この期間ファルマンは持ち前のアレ(アレとしかいいようがないアレである)によってかなり忠実に遵守しており、この日も午前中いっぱいは子どもを机に向かわせていた。
 なので僕は心置きなく、部屋でしたいことをした。主に縫製だ。土曜の夜から月曜日まで、そこまで没頭したわけでもないが、それなりにいろいろ縫った。それはそのうち「nw」などに投稿しようと思う。
 午後は家族でNintendo switchをして遊んだ。さらっと書いたが、実は数日前に、とうとう買ったのだった。これをいちばん喜んだのは、前から欲しがっていたポルガであり、そのポルガも、「どうして?」と不思議で仕方ない様子だったが、どうしてこのタイミングで買ったかといえば、まあ休校で時間を持て余し気味というのももちろんありつつ、なんといっても岸田のおじさんからのお金に拠るところが大きい。配る前、現金だ商品券だとなんやかんや論議され、「じゃあ自治体の判断で全額現金でもいいよ」と国が折れる形になり、しかしそのあと、「子育て関連にのみ使える商品券」という謎のその券の、そもそも実体を見たことがない、もちろん我が自治体でも、年末5万(×2)、年始5万(×2)と現金で振り込まれた、例のお金である。これに関しては、前回の一律給付金とは意味合いが違うのか、「貯め込まずに消費して社会を動かせよ」みたいなことは、そこまで世間でいわれていないが、しかしまあ、望外の収入であり、望外の収入は、望外の収入でもない限りなかなか買う気にならないものを買うべきだろうという心理から、クリスマスプレゼントの電子辞書であったり、ミシンであったり、そして今回のswitchであったりを、購入したわけである。偉い。ちゃんと消費して、偉い。すごく偉いから、もう6回くらいくれないだろうかと思う。switchは、とりあえず最初のソフトとして、「スーパーマリオブラザーズ U デラックス」を買った。2次元の、とてもオーソドックスなスーパーマリオ。数日の吟味の末、結局これだろう、と選んだ。結果として、やっぱり正解だったろうと思う。ピイガの操作するキャラクターが、ピイガの動きそっくりに、無駄に動き、穴に落ちて、すぐにゲームオーバーになるので、みんなで大笑いしながら愉しんでいる。
 夕方になり、雨上がりだったため空気が澄んで、山がとてもきれいだったので、子どもを連れて散歩に出る。散歩というか、子どもたちは自転車で、僕はトレーニングウェアに着替えてジョギング。気持ちがよく、体は熱くなったが、こういうとき体が熱くなっても指先なんかは冷たいままなのだと知った。指が、かじかむのレベルを超えて、あまり動かないくらいまでに凍りついた。そういえばジョギングの人たちは手袋をしているよな、と家に帰ってから思った。
 晩ごはんは餃子。最近カステラを作るので(実はこの日も焼いた)、家に強力粉があり、久しぶりに皮を手作りしようかなー、とも思ったのだが、買い物で大判の皮を見つけ、それが本当に僕好みの、大きくて分厚い皮だったので、これでいいやとなった。包んで焼いたところ、ひとつを食べるのに3口くらいを要するような、理想的な大きさに仕上がり、満ち足りた気持ちになった。