冬の暮し

 寒さのピークを越えたのではないか、ということをここ数日で思うのだが、2月はもっと寒い、というのも真実で、でも2月って、数字上は気温が低くても、日が長くなったり、梅が咲いたり、なによりこちら側が、ものすごく前のめりに、寒さのピークはもう越えた、春がやってくるのだ、と自分自身に向かって言い聞かせるので、日数が少ないこともあり、あまり真冬の悲壮感がないと思う。暖かくなるのは嬉しい。夏、この世はもうずっと暑いままなのではないか、冬はやってこないのではないかと本気で危ぶんだものだが、12月になればしっかりやってきたように、今は猛暑日だの熱帯夜だのという言葉がファンタジックに感じられるような気候だが、それもまたうんざりするほどにやってくるのだろうと思う。あんなに着たかったネルシャツとセーターカーディガンに今はもう飽き飽きし、Tシャツの暮しに焦がれている。去年はぜんぜん作らなかったが、今年はまたオリTを作りたいと考えている。
 岸田のおじさんと横浜の祖母が、年末年始にかけてまとまったお金をくれたので、ミシンを買った。娘たちが裁縫に親しんでくれるよう、ほどよい家庭用コンピュータミシンを選んだ。僕はオーバーロックミシンも持っているので、家庭用ミシンに求めるとするなら、ボタンホールがきれいに縫えることくらいなのだが、そういう部分を満たそうとすると、途端に価格が跳ね上がるので、2万円ほどのもので手を打った。それでも多様な飾り縫いや、もちろん一応のボタンホールも縫える。メーカーはジャガーで、ボビンが水平ではなく、ボビンケースにセットしての垂直式なのがいいと思った。プラスチックの、水平のあれって、壊れた前のミシンがそうだったのだが、どうもおもちゃ感があって好きじゃなかった。糸掛けも、もちろん糸カセットなどではなく、きちんと糸道にしたがって通す必要があるもの。やっぱりミシンはこうでなくっちゃいけない。意外だったのは、前のミシンに搭載されていた自動糸切り機能が、あれから10年以上経って、ミシンの標準装備になっているのだろうと思っていたら、2万円台くらいまでのミシンにはついていなかったことだ。その機能を求めると、やはり価格が跳ね上がる。どうもこれは、ミシン業界が共謀して、差別化としてそういうことにしているようだな、と思ったのだが実際はどうなのだろう。まあなければないで、そういうものかと思うようで、娘たちも縫い終わったあとは少し引っ張って手で糸を切っている。リビングの一角にテーブルとミシンを常設しているので、こちらの願った通り、かなりフットワーク軽くミシンを踏んでいるようで、嬉しい。いろいろ作り、思ったものが作れるようになればいいと思う。
 姉の夫、義兄がコロナ陽性だそうだ。とうとう身近な人間に出た。オミクロンの感染状況からすれば不思議じゃないし、なにより義兄ならばもっと早く罹っていてもおかしくなかった。実際にどういう仕事で、どういう働き方をしているのかは知らないが、たぶんいろんな人と会うのが仕事みたいな仕事だと思うし、なによりかにより、日々横浜市営地下鉄に乗ったり、田園都市線に乗ったりしているのだ。遅かれ早かれ感染するに決まっている。田舎の人のほうが感染に過敏で、県内に十数人ほどの感染者が出ると、あそこの店だとか、あの会社の人だとか、どこからともなく情報が伝わってくるという、リアル村八分的な、そういう感じなのだが、車通勤のこの人たちが、朝の田園都市線を見たら、発狂するのではないかと思う。かくいう僕やファルマンも、だいぶこちらの暮しに毒され、公共の乗り物に乗りたくないという理由から、帰省の踏ん切りがつかないでいるのだけど。幸い義兄は軽症で、姉と姪と甥は自宅待機らしいが、母や祖母との接触は該当する期間になかったそうで、老婆たちは免れたらしい。よかった。

三が日記

 年が明け、お正月を過す。まとまった連休で、帰省もせず、さらには無職というわけでもなかったので、心平穏に、家族とべったりのんびり過すことができた。
 元旦は雑煮を食べた。家のお決まりのダシ、具、みたいなものは一切ない(いちおう食べてはいたと思うが、特にこだわりがあるような代物ではなかったと思う)、ふわっとしたイメージの雑煮を仕上げた。昨晩の年越しそばの天ぷら用のえびが残っていたため(うちの家族は天ぷらもそばもあまり食べない)、鶏肉とともにそれもぶっ込む。天ぷら用に下ごしらえをしていたため、えびは椀の中で丸まることなく、まっすぐに伸びていたのがおもしろかった。ちなみにポルガは、餅に対して「喉に詰まるもの」という強迫観念を持っているため、食べない。そのためポルガには汁だけを与え、わざわざごはんを炊くはめになる。いかにもポルガらしい神経質さだな、と正月から思うが、新型コロナ騒動を経て、こういう、受け入れられるもの、受け入れられないもの、の人それぞれの考え方って、確固たるものだし、いい加減なものだし、もう他人がとやかくいうもんじゃないよな、なんてことを思うようになった。もしも餅が、毎年死者が出るという理由でもっと危険視されるようになり、マスコミが煽り、医師が危惧を表明したりしたら、世間はコロッと、今度は伝統に則って餅を食べる人のことを、コロナ禍に飲み会に行く人のような扱いをし出すのだろうと思う。だからまあ、人に迷惑をかけない限りは、なるべく多くのことは、勝手にしたまえよ、と思う。もっともポルガは餅に関し、ピイガが食べることも良しとせず、食べるさまを眉間にしわを寄せて監視したりするので、わりと迷惑だ。雑煮のほかは、横浜から送られてきた煮豆と、2日前くらいに作った煮豚をなんとなく並べる。おせちに対して本当になんの思い入れもないのだが、ここに紅白かまぼこくらいあってもよかったような、別になくてもよかったような、そんな元旦だった。午後から実家に行く予定があるが、それまでは特になにもなかったため、子どもはいつも通りに遊び、ファルマンはいつも通りに洗濯物を干し、僕はいつも通りにミシンをして過した。正月ってどんな身の振り方をするのが正解なんだろう。昼ごはんはレトルトカレー。「おせちに飽きたらカレーもね」を、おせちを経ずに元日の昼から決行するストロングスタイル。
 食べて少しして、実家に向かう。実家には次女一家も帰省してきていて、みんなで晩ごはんを食べるのだった。しかし晩まではだいぶ時間があるため、家族を置いて、ひとり元日からやっているショッピングモールに赴いた。ここで眼鏡を買うつもりで、事前にネットでフレームの見当をつけ、在庫も確認し、店ではすぐに「これください」とする算段だったのが、実際に試着してみたところ、思ったよりもしっくりこなくて、結局よすことにした。本当に、いま掛けているもの以上の眼鏡に出会えず、ここから抜け出せない。どうしたものか。そんなわけで買い物は不発に終わり、そのまま実家に戻り、しかしまだ晩までには時間があり、家に戻ってミシンをしていようかな、とか、この家の風呂に入らせてもらおうかな、とか、いろいろ思いを巡らせるも(とにかく時間を無為にしたくない)、どうも放っておくと19時開始とかになりそうな、実家の面々がなかなか手を付けようとしない、晩ごはんの調理をすることにした。ファルマンも平日、ロールキャベツなどの煮込み料理を、僕が労働を終えて掛ける帰るコールで、「これから作るね」などと言い放ち、嫌な予感がしながら数十分後に帰ったら、果してキャベツがシャキシャキのロールキャベツが出てきたりするのだが、なるほどこれは家風なのだな、としみじみと思った。ギリギリまで作らずにいたら、災害などが起って食事どころではなくなり、そうしたら調理の労力が1回浮く、とでも考えているのだろうか。もっとも調理といっても、晩ごはんのメニューはすき焼きと、刺身と、えびの鬼殻焼きで、そこまでの工程もない。口だけやいのやいの挟んでくる義両親や、匂いに反応してガツガツ飛びついてくる犬に辟易しながら、準備をした。そして18時過ぎに食事を始めることができた。食卓は、まあ実家の正月の、いわゆるそういう感じで、別に僕自身がそこまで愉しいはずもないが、義父なんかは気分がよさそうだったので、まあそれでいいんだと思う。ファルマンが免許を取ったおかげで、こういう状況で酒が飲めるのは、もちろんよかった。そんな元日だった。
 その晩に見た初夢は、わが家の部屋の内壁を、古代文明の人々を召喚して修繕させていたら、その古代文明の祀っている神が怒り、家を破壊されてしまう、というストーリーだった。意味が分からない。
 2日は一家で午前中に買い物に出て、日用品を買い、その帰りに家の近所の神社で初詣をした。ファルマンが昔から行っている、実家のほうの神社でもよかったのだが、せっかくだから住まいの近くの神社のほうに行ってみようと、ネットで検索して見つけた所で、なかなかのディープスポットだった。驚くべきことに本当に家の近所なのだが、まるで熊野古道のような景色で、もはや笑えた。普段はどうだか知らないけれど、正月くらい、おみくじや物販なんかもしているだろうとあたりをつけていたのだが、境内には運営者も参拝客もひとりもいなく、ソーシャルディスタンスなどという言葉をはるかに超越した、ゴッドディスタンスとでもいうべき静謐な時空が広がっていた。というわけでストイックにお詣りだけした。まあ住まいの地の神様だ。挨拶しておいて損はないだろう。
 午後は、次女とその娘、そして三女がわが家にやってきた。昨日の食事の際、「年末に、折りたためない、本気なトレーニングベンチを買ったのだ」という話をしたこともあり、「それを見せてくれ」という名目だったが、要するに暇だったんだろうと思う。ベンチは、見て「おー」といっていた。まあ「見せてくれ」といって見せてもらったら、それは「おー」というだろう。普段僕が使っているダンベルを持ち上げ、「重ーい」ともいい、なんとなく気分がよくなったが、これってまんまジムのおっさんと女子の構図だな、と思ってその気分には身を浸すまいと思った。そのあと夕方に迎えに現れた次女の夫もベンチを見ていって、次女が「ほら、このダンベル、すごく重いんだよ」と指し示したそれを持ち上げると、「本当だ」といいながら、僕よりもはるかに軽々とした動作で上げ下げしてみせたので、ああやっぱりさっき、運動不足の女どもが「重ーい」「こんなの持てなーい」というのに対し、得意な気持ちになったりしなくてよかった、としみじみと思った。
 義妹たちが帰ったあと、晩ごはんの前に、母と映像通話をした。祖母、叔父、姉一家と、向こうも揃っていた。このたびの年末年始によって、家族としては丸2年、横浜に帰れていないことになる。祖母も相変わらず元気そうで、大人たちにそう変化はないだろうが、なんてったって子どもたちだ。写真や、こうして映像通話をして、姪や甥について、大きくなったなあと思うが、たぶん実際に見てみたら、それは想像を超えた成長なのだろうと思う。生身を見ないと、どうしたって2年前の状態から、そこまで情報は刷新されない。サイズ感そのものが、たぶん違っていて、どうしたって驚くんだろうと思う。GWか、夏だな。
 晩ごはんは、今日はあっさり、塩系のスープを使っての寄せ鍋。おいしかった。
 3日も午前中に買い物。おもちゃ屋で、ピイガの誕生日プレゼントを買う。ポケモンのぬいぐるみ。もしも誕生日が5月とか6月とかであれば、プレゼントはもっと吟味された、凝ったものになる気がするが、クリスマスと年末年始の怒濤によって、毎年のことながら、ピイガの誕生日祝いは、本人にしろ周囲にしろ、どうしたって扱いが軽くなる感がある。三が日も終わり、胃も疲れ、精神的にも肉体的にも食傷気味で、七草がゆなどといっているときに、ケーキなのである。因果な誕生日だな、と思う。その帰り、昨日の初詣があのような高次すぎるレベルだったため、下賤な民としては、吉だの中吉だのという、分かりやすい指標のおみくじがやはりしたくて、結局実家のほうの定番の神社へも行くことにした。思えば8年前、ファルマンはこの神社の階段を昇降したことによって、陣痛が誘発され、予定日よりも早い出産になったのだよな(ということに我々の中でなっている)、ということを思い出した。こちらは昨日のそれに較べて、ちゃんとひと気があり、巫女さんが甘酒の振る舞いや物販も行なっていた。そして満を持しておみくじを引いた。結果は、唯一ピイガが末吉で、それ以外の3人は大吉だった(ピイガ激怒)。僕の文面がよかった。「思う事 思うがまゝに なしとげて 思う事なき 家の内哉」というもので、引く直前の祈祷において、やりたいことをたくさんやって、そして家族仲良く暮らせますように、みたいなことを願っていたので、それに対して満額回答されたような内容に、とてもいい気分になった。ただしそのあと「色を慎み身を正しく見上の人を敬って目下の人を慈しめばいよいよ運開きます」ともあって、「色を慎む」と「目上の人を敬う」は、僕にとって「2大痛い所」なので、ここの神様マジやべえな、と思った。
 午後は家でのんびりだなあと思っていたら、義父母から出雲大社に行こうという誘いが来て、たぶんこれも昨日の義妹たちと一緒で、三が日の出雲大社なんて混雑するので地元民は行かんわね、みたいなことを事前にはいっていたが、しかしいざ三が日に身を置いてみると、あまりにもやることがなくて暇なので、渋滞もまた暇つぶしだな、みたいに考えが転化して、いっそ行ってしまうか、ということになったんだろうと思う。僕は断り、僕がいなければ義父母の車に3人乗れるので、ファルマンと子どもたちだけ連れて行ってもらった。その間、だいぶ久しぶり、本当に前が思い出せないくらい久しぶりに、家で数時間にわたってひとりきり、という状態になり、なにをしたかといえば、裁縫と筋トレをした。やりたいことがいろいろあり、多趣味のような気でいるが、時間を無駄にしたくないので脇目を振らずにそればかりするので、行動に遊びがなく、逆に無趣味のような状態になってきたな、と自分のことを客観的に眺めて思う。
 帰宅した家族と晩ごはん。正月でうどんや鍋など、和風のメニューが続いたので、思い切ってスパゲティーにする。シーフードとブロッコリーのパスタ。それとミネストローネと、ソーセージ。ビールがおいしかった。秋以降、ほとんどビールを飲まずに暮していたが、年末年始はきちんとビールを飲んだ。「ビール飲まないマイレージ」が溜っていたようで、だいぶおいしく感じた。翌日のピイガの誕生日祝いをしたら、5日からは出勤なので(なので4日までの休みがことさらに嬉しいのだった)、翌日を気にせず夜更かしができるのは、今晩までとなる。心置きなくお酒を飲もう、と思って飲んだ。
 連休の最終日は、精神的にはもう連休からは逸脱しているので、完全な連休はこの日までとなる。短い、と思うことはさすがにない。たっぷりと堪能した。まとまった連休は大事だな、ということを、(わけあって)身につまされて思った。せっせとミシンとアイロンに向かったおかげで、作りたいものも作ることができ、充実した、いい正月だったと思う。今年がよい年になり、そして来年もまた、いい正月を迎えたいと切に思う。色を慎もう。