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血とスピード


 文化の日の3連休を利用して、兵庫で暮すファルマンの上の妹一家が、下の子の七五三のためにやってきていた。中日の日曜日に、写真館での撮影と、そのあと出雲大社で祈祷というスケジュールとのことだったので、タイミングを合わせて一家で出雲大社へと繰り出した。もちろん祈祷に参加するわけではなく、境内で3歳児の着物姿を、親戚として愛でるだけのことである。
 ちなみに出雲大社は目下、出雲地方が最も出雲地方らしさを発揮する月間、すなわち神在月であり、何年か前にこの時期の出雲大社に近付こうとして、だいぶまだ遠い段階での車の詰まり具合に、ほうほうの体で引き返したことがあったので、果たしてどうなんだろうと不安だったが、もう夕方といってもいい時間帯だったこともあってか、そこまでのことにはならず、それでもさすがに直前では駐車場に入るための渋滞に巻き込まれたが、なんとか停めることができ、無事に一同と落ち合うことができた。一同とは、下の妹一家、ファルマンの両親、そして妹の夫の両親という面々である。
 本日の主役である義理の姪は、写真館からここまでの移動中に昼寝をしたとのことで、ぐずることもなく、かわいらしかった。
 着ている着物は、うちのふたりの娘はもちろんのこと、なんとファルマン三姉妹の時代からずっと受け継がれているもので、つまり今回で実に7人目ということになるのだった。最初がどういう状況での購入だったのか、もはや太古の昔の話なので遡りようがないが、それにしたって7人も着れば十分に元は取れたに違いないと思う。
 せっかくなので出雲大社の境内で写真を撮ろうということになり、だとすればそれは当然、この場にいる人間の中で、唯一今日の主役と血の繋がりのない僕が、ひたすらカメラマンに徹して血族の姿を撮影するべきだろうと思っていたのだが、義父が仕切りたがったり、向こうの母親が「修正が利かないので私は入りたくない」などとのたまって写りたがらなかったりして、あまりスムーズにいかなかった。結果、義理の伯父が入っている一方で、母方の祖父と父方の祖母がいない、みたいな謎のメンバー構成の写真も生まれた。そんなもん、どうせ撮ったってハードディスクの肥やしになるだけだろ、と思った。
 このあと一同はお祝いの会食ということで、別れた。わが家は本当に、この日の七五三スケジュールの、出雲大社の場面にちょっと顔を出しただけなのだった。まあ、まったく関与しないのも微妙に変な気もするので、ちょうどいい絡みだったんじゃないかと思う。
 それにしても間がまあまあ空いて誕生した義理の姪は、見るたびにその幼さに驚かされる。ふだん自分の娘たちしか見ないので、特にピイガなんかは、どうしても「幼いもの」のカテゴリに入れがちなのだけど、3歳児を目の当たりにすると、その親としての一種のモラトリアムにも似た意識が、完膚なきまでに粉砕されるのだった。そうだ、うちの娘たちは、来年それぞれ高校生と中学生なのだ。それはもちろんいろんな部分で、まだまだ幼い生きものなのだけど、でも絶対的な幼さを目にすると、やっぱり明確に違う。なにが違うって、要するにフェーズが違う。いつの間にか自分は次のフェーズに進んでいたのだな、ということに気付かされる。今生、僕が再び血族の幼児を愛でることがあるとすれば、それは孫の代ということになる。びっくりする。人生って想像以上にスピーディーだ。おもひでぶぉろろぉぉんでは、17年前の、25歳当時の日記を読んでいるのだ。17年後、ポルガは31歳である。そうなのか。人生って、こんなスピード感なのか。

秋の3連休

 体育の日ならぬスポーツの日による3連休であった。
 初日の土曜日は、午前中に恒例の買い出しを行なったあとは、部屋でダラダラと過した。筋トレなど、あまり精力的にはやらなかった3日間だったように思う。晩ごはんは、フライドポテトや煮豚、餃子の皮のピザなど、酒が進みそうなものを細々と並べるラインナップにした。あと野菜としてミネストローネ的なスープも作った。こういう欲張りな献立を組み立てるようになったのだから、夏の食欲減退からは完全に脱却したのだな、ということを実感した。まあわりと暑い3連休ではあったのだけど。
 この夜に、髪を黒くする処置をファルマンにやってもらう。夏を経て、さらには実は半月ほど前に職場でコロナが流行ったのだけど、その際に週末に合わせて僕も体調を崩し、週明けにはまあまあ回復したものだから結局タイミングを逸して病院には行かなかったのだけど、振り返ってみればやはりあれはコロナだったんじゃないか、という症状があって、それも関係しているのか、髪がだいぶ傷んだ感じになっていたこともあり、金髪もずいぶん続いて飽きてきていたので、このあたりでひとつ仕切り直しとして黒に戻すか、となったのだった。結果、まあ実に黒い。僕は地毛がまあまあ茶色いので、こんなにも黒い状態というのは自然じゃなく、だいぶ違和感がある。黒髪戻しといっても、茶髪的なテイストのやつも売っていたのだが、今回はなんとなくしっかり黒くなるものを選んだのだった。仕上がりとして満足しているかどうかで言えば、ちょっとだけ後悔している。何日かすれば、もうちょっと穏当な色味になるだろうか。あるいはここから少しだけ髪が伸びたくらいのタイミングで、年内には再び脱色するかもしれない。42歳のくせに落ち着かないことだな。
 翌日の日曜日には、久々にカラオケに繰り出した。本当はこれも半月ほど前の予定だったのだが、行くはずだった週末というのが、ちょうどその「十中八九コロナ」の週末であったため、予約をキャンセルするはめになっていた。その雪辱としてようやく行けた次第である。ちなみに今回もポルガだけ別室で、あとの3人で一室というスタイル。3時間唄う。僕の唄った曲は順番に以下の通りである。「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ)、「ファイティングポーズはダテじゃない!」(Berryz工房)、「大スキ!」(広末涼子)、「わたしの一番かわいいところ」(FRUITS ZIPPER)、「だれかが風の中で」(上條恒彦)、「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)、「押忍!こぶし魂」(こぶしファクトリー)、「付き合ってるのに片思い」(Berryz工房)、「それもいいね」(Wakeys・こっちのけんと)、「かわいいだけじゃだめですか?」(CUTIE STREET)、「倍倍FIGHT!」(CANDY TUNE)、「人として」(海援隊)、「チョット愚直に! 猪突猛進」(こぶしファクトリー)、「宙船」(TOKIO)、「笑ったり転んだり」(ハンバートハンバート)。数えてみれば全15曲で、だいぶ唄ったものだ。皆川おさむ、上條恒彦、橋幸夫は追悼歌唱。広末涼子は言わずもがなだろう。前回は「Majiで恋する5秒前」を唄ったが、歌詞を見ると「大スキ!」はダーリンとのドライブ中の話なので、こちらのほうが適しているのだった。適しているってなんだろうね。あと今回はアイドルソングを多く唄った。平成のハロプロと、令和の最近のやつ。我ながら趣味が分かりやすいなと思う。愉しかった。急な「宙船」は、その前にピイガが「ブラザービート」や「カリスマックス」などsnowmanを唄い、映像がプロモーションビデオだったりしてとても愉しかったので、彼らが決してこんなことになりませんように、という祈りを込めて唄った。前回の「チキンライス」や「世界にひとつだけの花」とほぼ同じ趣向である。最後のハンバートハンバートは、言うまでもなく「ばけばけ」の主題歌。はじめから唄う心積もりで来ていたのだが、実は序盤にファルマンに唄われてしまい、残念だなあと思っていた。でもファルマンが唄ってから2時間くらい経ってるから別にいいだろ、と思ってやっぱり最後に唄った。夫婦デュオの曲なんだから夫婦で唄えばいいじゃないかという話だが、決してそうはせず、それぞれがひとりで唄うというところがわれわれらしいな、と思った。ともかく愉しいカラオケだった。カラオケ、行くたびにもっと頻繁に行って喉を鍛えたいと思うのだが、なかなかそうはならないのだった。
 晩ごはんは今年初の煮込みラーメン。ちゃんぽん味。煮込みラーメンのちゃんぽん味なんて珍しくていいな、と思って選んだのだが、いざやってみたら、ちゃんぽんが野菜たっぷりの具沢山なのは普通のことなので、鍋とラーメンが合体した愉しさという、この商品の魅力が、いまいち発揮できていないんじゃないかな、ということを思った。もちろんおいしかったけど、これは各自のちゃんぽんをひとつの鍋で供しただけのことだな、と思った。
 明けて最終日の今日は、家でのんびりと過した。サブスクでアニメなどを流しながらミシンを踏むという、なんだかんだでこういう時間がいちばん大事だな、としみじみ感じるような過し方をした。さすがは3連休。心にゆとりがある。
 昼ごはんを少し遅めにして、13時過ぎにスタートの出雲駅伝の中継を眺める。毎年のことながら、コースがあまりにも身近でおもしろい。事前に知らされていなかったのでもちろん気付かなかったが、あとから送られてきた映像によると、沿道に立って応援していた義父母も一瞬映ったらしい。イオンのあたり。なんと身近な話であろう。
 晩ごはんは鶏肉のすき焼き。軽めに炊いた新米とすき焼きの組み合わせが、酩酊するほど美味しかった。近ごろ、ごはんが本当においしく思えるようになってきた。スーパーでの買い物も愉しい。ようやく人間としての暮しが戻ってきたな、と思う。いい季節だ。

24年~25年の年末年始記録 後期編

 7日目。1月3日。昨晩あたりからうっすらとその気配を感じていたが、喉に違和感があり、ゆるやかに体調が下り坂にあるようだった。加えて、しゃがむときなどに下半身に強張りを感じる。前日のランニングによる筋肉痛なのだった。全長3kmくらいの、途中で息が続かなくてだいぶ歩いた、あのランニングで筋肉痛になるのかよ、と驚いた。
 午前中は朝ごはんのあと、そのまま家族全員でのゲーム大会となった。おとといのブックオフで子どもたちが「スーパーマリオパーティー ジャンボリー」を買っていて、「パパもやるか」という誘いをこれまでは断っていたのだけど、この日は気が向いたので応じ、ファルマンも含めて4人でやることになった。前作「スーパーマリオパーティー」も子どもたちは持っており、こういうゲームが好きなんだなあ、と少し意外に思う。僕は美少年の頃、この手の、ミニゲームたくさん系のゲームは、ぜんぜん視界に入らなかった。もしかするとそれは家族の仲の良さとかが影響するのかな、などと思った。正月らしい愉しいひと時だった。
 11時くらいになって実家から連絡が来る。昼にマクドナルドを買うことにしたのでそちらも一緒にどうかという誘いだったので、喜んで受ける。次女夫妻が取りに行ってくれるというので、わが家のオーダーを伝えた。というわけで昼ごはんは実家でマクドナルド。助かった。
 食べ終わったあとファルマンと娘たちはそのまま実家で遊ぶというので、僕だけ帰る。帰って、しばし裁縫したのち、プールへと繰り出す。この日が今年の初開館日なのである。12月29日に行って、1月3日なので、4日あいただけのことか。よくあることだな。29日もわりとそうだったが、この日も家族連れが多かった。案外、真冬でも家族でプールに行くのだな。この時期、僕はプールに行くと言うたびに、妻から奇異な目で見られるのだけど。
 初プールをたっぷりと堪能し、その足で実家に寄り、家族を回収する。もう空は暗かった。遅く起きて、ゲームして、マック喰って、裁縫して、泳いで、そして終わった日だった。薄いと言えば薄い、ハッピーと言えばハッピー、なんかそんな日だった。
 8日目の1月4日は、わりと盛りだくさんだった。まず次女一家が午前中に出発するというので、その見送りに行く。いつものことながら、濃密に絡んだ日々だった。次に会うのは、順当にいけば春休みだろう。
 次女一家の車を見届けたあとで、われわれ一家もすぐに車に乗り込む。今日はこれから出雲大社にお参りに行くのだ。せっかくだからということで実家の3人もこのタイミングで行くことになり、現地で落ち合おうという話になった。三が日はそもそも近付かないのでよく知らないが、4日の出雲大社は、大いに賑わいつつも、近隣の駐車場に車がとても停められないということもなく、なかなかいい具合であった。元日の初詣とは別で、やはり新年、地元民として、出雲大社に行っておかないと、ずっと頭の片隅で気になったりするので、連休中に行くのが得策なのだった。また5日までは、ふだん開放されていないエリアが開放されている、という特典もあるわけだが、今回ももちろん入りはしたのだけれど、毎年のことながら、入ったところで別に感動するような場所ではないのだった。子どもや三女はここでもおみくじを引いていた。僕はもう引かなかった。三女の縁談の項が気になったが、あまり覗き込んだりするのもな、と思って自重した。噂によると、婚活に本腰を入れる決意をしたとのことである。いいご縁がありますように。
 大社のあと図書館へも行って、ずいぶん遅くなった。途中、ご縁横丁の店で焼き菓子を買い食いしたものの、昼を大幅に回ってしまった。帰りにスーパーに寄り、弁当を買って帰った。帰宅してそれを食べたあとは、いよいよピイガの誕生日祝いの準備である。ポルガがポスターを描き、ファルマンが部屋のセッティング、僕は食べ物担当。まずケーキに取り掛かる。イチゴはまったくもって法外な値段であったが、ここでケチったらクリスマスの二の舞だな、と思って十分な量を買い揃えた。そしてクリスマスのケーキが小ぶりだった雪辱を果たすため、高さにこだわり、生クリームのパックを2つ用いる、4段構成の立派なものを作り上げた。これでようやく溜飲が下がった。晩ごはんのメニューは、ピイガのリクエストである、たらこマヨネーズを塗った餃子の皮のピザと、それとメインをどうしようかと悩んでいたが、ピイガの好物であるうどんの入った寄せ鍋にした。出雲大社で、空腹で寒い思いをしたので、もうこれは鍋にするしかない、と思ったのだった。
 というわけでピイガ11歳の誕生日祝いの宴を執り行なう。鍋はもちろんおいしかったし、ケーキは8等分してもひとりひとりのケーキ皿にデデンとすさまじい存在感の塊として鎮座し、その表面や断面にはふんだんにイチゴがあしらわれていると来て、心がとても満ち足りた。なにより味がおいしかった。今年はクリスマスケーキも手製にしようかな、と思った。ちなみに、子どもが誕生日を今年も無事に迎えられたことはもちろんめでたいが、10歳から11歳という数字の変化は、特になんの感想ももたらさないな、と思う。11歳もすくすくと成長してほしいものですね。
 そして最終日、1月5日。この日はもう、体調もじわじわ悪くなっている感があったし、なにより気持ちがダウナーだった。サザエさん症候群の、特大版。だって9連休だったんだもの。自分がフルタイムで勤めに出ている人間であることを、ちょうど体がすっかり忘れかけたくらいのタイミングで、翌日からそれが再開するのである。ひどい! 人の営みっていったいなんだろう。勤めがあるから、尊い尊い9連休があるわけで、書店員時代の自分が9連休なんて得たら半狂乱だったろう、みたいなことを初日に書いたけれど、それで言えば、つい5年前くらいに、9連休どころではない、長い長い休みがあった。じゃああれは夢のようにしあわせな日々であったかと言えば、もちろんそんなことはなかったわけで、休み明けの憂鬱さに苛まれつつ、休みが終わるということに感謝をしなければならない、とも思う。とも思うが、やはり気持ちはダウナーなのだった。この日はもうどこにも出掛けない、と決意をしていたのだが、おやつの時間のあとで、いろいろ憂わずにおれないのだから、せめて冷蔵庫の中が充実していない憂いくらい解決させて明日を迎えようと思い、スーパーに繰り出した。そしてそれなりにいろいろ、明日からの食材を買い込んだ。明日からはファルマンが調理担当に戻る。ファルマンのなんとも言えない料理が恋しい(気がしないでもない)。そんな感傷的な、連休最終日であった。
 最後はどうしたって切なくなるけど、今年で言えば9分の8、つまり正月休み全体の約89%はひたすらに愉しいわけで、早くも1年後のそれを待ち遠しく思っている。それまでせっせと生きてゆこうと思う。

24年~25年の年末年始記録 中期編

 4日目、31日の大みそかは、日中は相変わらず裁縫をしたり、スーパーに買い出しに出たりして、地味に過した。おろち湯ったり館への思いが、この日々の端々で何度も募るのだけど、もちろん実際に行くことはない。行ったところで、在りし日の姿を期待している僕が満足するはずがないことは判っている。切ない。昼ごはんはカレーうどん。
 午後はファルマンと子どもたちが実家へ行ったので、自由に過す。もちろん裁縫や筋トレもしたが、この3時間あまりの中で行なったある行為が、最終日にして、結果として1年間の印象をガラリと変える、劇的な効果をもたらすこととなった。内容は「BUNS SEIN!」に詳しいのでそちらをご覧ください。
 夕方になって家族が帰ってきたので、大みそかの宴の準備をする。紅白歌合戦を眺めながら、5時間あまり過すための、お酒と食べ物。メニューについては数日前からいろいろ思案していたが、午前中のスーパーで、オードブルセットとして、円形の容器に盛られた、スモークサーモンであるとか、鴨肉のソテーであるとか、海老とアボカドのサラダであるとか、もうこれさえあればほぼ他になにもいらないじゃん、みたいなものを見つけ、それを買って帰ったので、とても楽だった。あとポテトを揚げたり、鶏肉を焼いたり。それともちろんポルガ以外の3人は蕎麦を食べ、ポルガは横浜の実家から送られてきた中華ちまきを食べた。
 今年の紅白歌合戦の印象は、言うまでもなく、B'zに尽きた。ファルマンは当然ながら大興奮だったが、ファルマンでなくたってあれは興奮するというものだ。圧倒的なパワーを見せつけられた。紅白はなんだかんだで、数年前のユーミンと桑田佳祐であったり、去年のYOASOBIの「アイドル」であったり、そして今年のB'zであったり、わりときちんと多幸感のあるエンターテインメントを見せてくれるな、と思う。1年の最後に感動があると、それは年間全体にいい作用をもたらすような気がする。すばらしいことだ。
 年が明けて、「2355-0655」恒例の、新春たなくじを行なう。画面でパッパッと高速で切り替わるおみくじの文面を、スマホのカメラで撮影し、捉えた1枚が今年の運勢という、現代的なスタイルのおみくじ。こちらが今年、「大大大大大吉」であったため、とても気分のいいスタートとなった。田中裕二の顔もこれ以上ないほどのドヤ顔であった。
 明けて5日目の元日。ポルガ以外の3人はお雑煮を食べ、ポルガはトーストにジャムを塗って食べた。もはや14年近くも育てていると、食べようとしないものを無理に食べさせようとするような、無駄な労力は使わないのだった。あと横浜から送られてきた黒豆と、スーパーでなんとなくそれだけ買った、紅白かまぼこと伊達巻の3本セットのものを切って並べた。伊達巻が、口に入れた瞬間に時空が歪むくらい甘くてびっくりした。
 そのあと昼前くらいに、毎年なんだかんだで元日に行っている神社へと向かう。地元民なので少なくとも三が日は出雲大社に近付かないのだ。参拝ののち、ここでもおみくじ。これがなんと、大吉なのであった。今年はやけに運勢を褒めそやされることだ。「願望(ねがいごと)」の項目では、「思うまゝです」とまで持ち上げられた。マジかよ。ただしそのあとで「しかし油断すれば叶わず」とあったり、他の項目でも「色に溺れ酒に狂えば凶なり」という注意喚起がなされていたり、多少の懸念はある。色に溺れ、酒に狂えば凶なのか。そうか。しかしそれらの、溺れたり、狂ったりというのは、いったいどのような度合を指すのだろう。ある程度は溺れ、狂うわけで、そのあたりを詳細に教えてほしいと思った。
 初詣のあとは、新春セールのブックオフへと元日から繰り出す。子どもたちは、このあと受け取るだろうお年玉のことを見越して、かなり買い込んでいた。やばい生き様だな。僕は僕で、どういう風の吹き回しか、110円のコーナーに並んでいた、社会契約論であったり純粋理性批判であったりの二次元エロ小説を、とても久しぶりに何冊か(子どもに隠れて)買った。買いはしたが、決して色目的ではないので、これはセーフだろうと思う。
 帰宅して昼ごはんのあとは、この日は夕餉を実家で、カラオケのときと同じメンバーで行なうので、ファルマンと子どもたちは先行してもう移動した。僕は家に残り、やはり裁縫であったり、筋トレであったり、そして「BUNS SEIN!」を書いたりして過した。元日も浮ついたところが一切ない。これはもう願望は思うまゝだな、と我ながら思う。
 夕方になってファルマンが迎えに来てくれ、ふたりで車に乗り込み、そのまま鮨屋に鮨を取りに行く。これももはや毎年定番のパターンだな。そして鮨を持って実家へ。鮨を食べ、酒を飲み、愉しく過す。プールで知らないじいさんに「腹、割れとったな」と言われたエピソードなどを開陳し、それなりに場を盛り上げたと思う。
 そこまでたくさん飲んだ気もしなかったが、帰宅後はなんとなく気怠くなり、運転役だったファルマンの晩酌には付き合えず、飲まずに寝た。なんだかこうして書くと本当に、おみくじを引いた初日から、わりと果敢にギリギリのラインを攻めていることだな。
 6日目、1月2日。のんびり起きてテレビを点けたら、箱根駅伝をやっている。年齢を重ねて、若いときには興味が湧かなかった事柄について、だんだん面白味を感じてきたりする部分もあるが、箱根駅伝はどうも、今年もまだらしい。ピイガと餅を食べている間だけ漫然と眺めたが、食べ終わったところで消した。
 午前中にひとり買い出しに出る。この3日間ほど、ごはんを炊きさえしない食生活だったので、さすがに地に足のついたものが食べたくなって、そういうものを買う。あとピイガの誕生日祝いのケーキ材料として、スポンジと生クリームを仕入れた。あとはイチゴだけだが、これがもう、今年の大河ドラマかよ、と言いたくなるくらい、べらぼうに高いのだった。三が日が終わった4日、少しでも値段が下がればいいのだけども。
 というわけで昼ごはんは、炊き立てのごはんでおにぎりと、キャベツの千切り、ベーコンエッグ、そして味噌汁という、本当に実直なメニューにする。白菜の浅漬けなんかも添えちゃって、しみじみとおいしかった。
 午後は今日もファルマンと子どもたちは実家行き。もはやオートメーションのような次元で行くことだ。帰省してきている従姉妹らは、実家で特にすることがないので、まあうちの子たちが行けば、それは喜ばれるわけである。娘たちも、家にいると「どっか連れてけ」だの「宿題したくない」だのとうるさいので、まあ行ってくれるのに越したことはない。
 ただし今日は、次女一家は今晩は夫側の実家で会食ということで、16時くらいにはそっちへ移動するという話だったので、だったら俺、15時過ぎくらいに実家にランニングで行って、おやつをみんなと一緒に食べて、そんでファルマンたちが乗っていった車に一緒に乗って帰るという、前にもいちどやったパターンのやつをやろうと思い、ひそかにファルマンたちが出発する前に、車に着替えや入浴グッズなどを載せておく。そして14時45分くらいまではいつも通り、裁縫や筋トレをして過したあと、ランニングウェアに着替え、家を出た。こうして走るのはずいぶん久しぶり、たぶん前の冬以来のため、自分の走れなさにびっくりした。水泳とは使う能力がぜんぜん違うらしい。3kmほどの道のりを、たびたび息が持たず歩きながら、なんとか辿り着いた。
 到着は15時15分頃だったので、さあちょうどおやつの時間だろうな、と思ったら、実家には義父とファルマンと子どもたちしかいない。義母と義妹らは、初売りセールへと繰り出したのだそうだ。16時に移動するんじゃなかったのかとファルマンに問い質したら、「その予定で、私もそのつもりで子守りを買って出たけど、なかなか帰ってこないのだ」とのことだった。仕方なくシャワーを浴びたりして過すが、それ以降もなかなか帰ってこない。結局3人が帰ってきたのは16時半を過ぎてからだった。そのあとせわしなくおやつを食べ、われわれ一家は帰った。予定時刻を聞きつけ、呼ばれてもないのに勝手に現れたわけで、文句が言える筋合いではないが、2歳児の相手などしながら、これならもっと遅くなってから来ればよかったなあ、と思った。
 晩ごはんは、こちらも日常を求め、豚肉と舞茸とネギの卵とじに、鯖、そして納豆という、どこまでも優しい献立。白米がひたすらにおいしいのだった。
 そんな中期3日間であった。休みはこれで残りあと3日。まだ3日もあるとも思うし、もうあと3日なのか、とも思う。普通ならダレそうなラスト3日間だが、わが家の場合、4日に誕生日の人がいる関係で、その心配はない。せいぜい愉しく過そうと思う。

24年~25年の年末年始記録 前期編

 28日から無事に年末年始の休暇に入っている。今年は暦の巡りがよくて、「奇跡の9連休」と言われている。僕もそうである。もちろん嬉しい。しかしその一方で、9連休にそこまで大興奮していない自分を感じ取っていて、そのことに気を悪くしている。「おもひでぶぉろろぉぉん」当時の、書店員時代の僕は、テレビで「奇跡の9連休」などという話題が出たら、その瞬間にチャンネルを変えていただろうと思う。それが今は享受できているのだから、本当はもっと、過呼吸になるくらい喜ぶべきだろうと思う。
 27日は大掃除のあと労働が早めに終わったので、プールへと繰り出した。まだ日が沈む前だったので嬉しかった。これが今年最後になるかもなあと思いつつ、たぶんやっぱりもういちど来るだろうな、と考えていた。実際もういちど行くことになった。
 28日は土曜日ということで、ルーティンとして買い出しに繰り出す。しかしなにぶん年末のことなのでいつものようにはいかないだろうと、これはもう行く前から覚悟していた。結果としては、野菜や魚はたしかにそうだったが、肉は思いのほかよくて、豚のひき肉がとても安く手に入ったので、これはもう餃子だな、と思い立った。実家にはこの日から次女一家が帰ってくることになっていて、いつもごはんのことで大騒ぎしているので、大量に作って向こうにも餃子を提供してやろうと考えたのだった。
 帰宅後は昼ごはん。焼きそば。ポルガは友達とショッピングモールに遊びに行ったので、3人である。3人なのでいつもは買いづらい3玉入りのものがちょうどよかった。
 食後は餃子の餡を仕立てたあと、部屋での作業。溜め込んでいた布を総ざらえして、この連休中に使うかもしれないものを、とりあえず外に出した。そうしたら部屋の床が布で埋まり、ファルマンからブーイングを受けた。9連休でも別にそこまで心が躍っていないみたいなことを言いながら、その一方でひそかに青い炎が燃えたぎってもいるのだった。
 16時くらいになって次女一家が実家に到着したというので、実家用の餃子を包み、ピイガを連れて参上する。夏以来の対面となる次女の次女は、2歳4ヶ月だったのが2歳8ヶ月になっているわけで、だいぶ成長を遂げていた。この時期の4ヶ月はでかいな。それに引き換え41歳にとっての4ヶ月と来たらどうだよ、と思う。
 ピイガはいとこと遊ぶというので、晩ごはんまで置いておくことに。自宅に戻ったら間もなくポルガが帰ってきて、ピイガは実家に行っていると伝えたら、自分も行くと言って自転車で行ってしまった。中学生は身軽だな。
 自宅用の餃子を包み終えたところで、子どもたちを迎えに行く。ポルガの自転車も車に乗せて帰った。どうせこれから連日、いとこと絡み続けるのだろう。
 餃子はもちろん美味しく、実家からも甚く感謝された。それはそうだと思う。こんなに気の利く娘の夫はこの世にそうそういないだろうと思う。
 夜は裁縫。ピイガのためのキャスケット帽を作っていた。近日中に「nw」にアップするだろうが、実は半月ほど前からピイガ用にコートを作っていて、その余った生地でキャスケットも作ることにし、年末年始に間に合わせたいと思っていたのだが、この日になんとか完成したのだった。とてもいい出来になったので満足している。9連休、なるべく1日も無駄にしたくないので、とりあえず初日に成果があってよかった。
 2日目の29日は、次女一家が午後は夫のほうの実家に行くが午前中はいるというので、また子どもたちを連れていく。連れていくと言うか、置いていく。
 その間に僕は買い物。ドラッグストアや100円ショップなど、食料品以外のこまごまとしたものを買い出す。その中に蛍光灯があった。僕とファルマンの部屋の蛍光灯が、どう考えてもこれはさすがに暗いだろうという話になり、新年を迎えるこのタイミングで新しくすることにしたのだった。それで帰宅後、付け替える。しかしこの作業をしていた際、僕が椅子に乗り、これまでのものをふたつとも外し、まず大きいほうの環を嵌め、さて次に小さいほうの環を、と思って腕を下げた瞬間に、気を利かせて小さい環を僕に向かって差し出していたファルマンの腕にぶつかり、新しい小さい環は床へと落下し、無残にも粉々になったのだった。大ショックである。部屋を明るくするために買った新しい蛍光灯がダメになってしまった哀しみと、これでもかというくらい細かく粉々になったガラスの後処理の大変さ(しかも床には僕がぶちまけた生地が散乱していて、それならそれで蛍光灯は救われろよと思うが、巧みにそれを避けて硬い床に落ちて割れつつ、破片は布へも散るという最悪のパターンであった)で、年末にとてもつらい気持ちになった。ファルマンなど「今年でいちばん哀しかった」とさえ言った。言ったあとで僕に、「お前は今年、島根のおばあさんと岡山のおじいさんを亡くしただろう」とツッコまれる始末であった。仕方なく小さい環は、これまで使用していた、だいぶくすんだものを再び付けることにした。それでも外側の大きい環が新しくなったことで、これまでよりはだいぶ明るくなったので、当面はこれでいくことにした。ファルマンがガラス片の処理をしてくれるというので、僕は子どもたちを迎えにいって、そして昼ごはんを作った。客観的な記録も証言もないので、この一件については、僕とファルマンのどちらが悪かったのか、もはや究明のしようがない。ファルマンはもちろん僕が悪いと言う。僕は口に出しては言わない。言わないけどここには書く。上を向いて作業をしていた人の、あんな至近距離に、声も掛けず物を差し出しているというのは、よろしくないのではないかと僕は思う。
 昼ごはんのあと、午後はひとりプールへと繰り出す。この日がホームプールの今年最後の営業で、僕も今年の締めとしてたっぷりと泳いだ。具体的に言うと、1250m泳いだ。こういうときよく1000mを泳ぐので、今日はそこにもう少し色を付けようと思い、この数字になった。気持ちよかった。これまでなら、このあとおろち湯ったり館へ行く可能性が残るので、そうなるとまだ泳ぐ余地があるということになるが、今年に関してはそれがないため、今年の水泳はここできっぱりとおしまいである。おろち湯ったり館とは後腐れなく別れたつもりだが、こんなときはやっぱり一抹の寂しさを感じる。ちなみにだが、サウナに行きたい気持ちはあるのだ。しかしおろちは嫌だし、ゆらりもなあ、とあぐねている。
 晩ごはんはカレーライス。大みそかまで微妙にあるこの日程において、鍋いっぱいのカレーを拵えておけば、夜にも昼にも食べられて便利だろうという算段から作った。
 韓国で起った飛行機事故のニュースを見て、いたましいと思うと同時に、飛行機に対する恐怖がまた増大した。去年あんなことがあり、今年は飛行機のメカニズムを学ぼうなどとは目論んでいなかった。それでももちろんそんなこととは一切関係なく、事故は起るときには起るのだ。車だって鉄道だって船だって、不可避で死亡に至るような事故はいくらでも起るけど、不可避の不可避さ加減が、飛行機はそれらとは段違いであるように思え、そこがおそろしくてしょうがないと改めて思った。
 3日目の30日、すなわち今日だが、この日の午後から例の、初めての親類カラオケの試みということで、午前は家で粛々と過した。僕は前の晩から、ひたすらに裁断作業に取り掛かっていた。年末年始用に新しく買った生地に加え、これまでに買って自分用のものだけ作り販売用は作っていなかった生地など、所有しているほとんどのスイムウェア用の生地を、もういっそすべて裁ってしまえと、とにかく裁った。なかなかすごい量になった。なんだかんだで書店員だった時代の癖が抜けず、9連休というものを過信しているのかもしれない。そこまで作れんだろう。他にやりたいこともあるのだし。でも裁っておくと気が向いたときに少しずつ進められるから、やっぱりまとめてやれてよかったと思う。
 昼ごはんは早速カレーライスを使って、実家へと向かう。そして車2台でカラオケへと繰り出した。大人7人、中学生以下4人、総勢11人の大所帯である。部屋の半分がマット敷きになっているキッズルームだったので、なかなか快適に愉しめた3時間であった。岡山時代に購入したマイクスタンドを、今回久しぶりに発掘して、持っていった。マイクスタンドって、あまり個人で所有しないし、ましてやカラオケに持っていったりしないものらしいので、袋から取り出して組み立てただけでけっこうウケた。こういう会は初めてということで、ならば1曲目はこれであろうとあらかじめ決めていた、「生まれてはじめて」(神田沙也加)で僕が口火を切った。そのあと各人いろいろ唄い、僕は「ALIVE」(SPEED)、「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)、「あなたの好きなところ」(西野カナ)、「君は薔薇より美しい」(布施明)などを唄ったあと、最後に「さよならの向う側」(山口百恵)で床にマイクを置いた。JOYSOUNDじゃなくてDAMだったので若干の唄いにくさはあったが、まあまあ気は済んだ。この1ヶ月、車内で準備した果以があったというものだ。前回のカラオケの数日後の訃報であった中山美穂の追悼もできてよかった。
 実家に戻って人を降ろしたあとは、今日のところは長引かせず退散する。どうせ明日も日中、子どもたちは実家に入り浸るのだろう。帰宅後はまた裁断の続きをして過す。晩ごはんはあんかけラーメンと餃子。とろみのあるラーメンが、熱々でおいしかった。
 ここまでが9日間の、前期3日間の記録。中期が年越しと、元日の実家の集いと、初詣などで、そして後期はピイガの誕生日のお祝いとかの話題になってくることだろう。

7月の暑さとパリ五輪と実家と泳ぎたさ

 とんでもなく暑い。真夏である。7月って、最近は夏というよりむしろ梅雨みたいな感じだよね、などと半月前くらいまでは感じていたけれど、最終的にはきちんと夏を仕上げてくる。さすがである。7月のスター性。異常気象という新世代の台頭には、決して屈しない。背負っている看板の重みが違う。
 そして夏というのは、こんなにもとてつもないものなのだな、としみじみと感じている。なぜか毎年きちんとそのことを忘れる。体感というのはわりと刹那的なものだ。それとも僕が特別、忘れっぽいのだろうか。5月終わりくらいの、よく晴れ、気温が30℃近くくらいまでなった日、30℃がこれくらいならば、真夏の猛暑日なんかも、まあ暑いは暑いだろうけど、でもそこまで騒ぎ立てするものでもないな、などと思っていた。とても40年生きてきた人間の発想と思えない。鳥なのか。人生の蓄積というものがなにもないのか。でもそのおかげでくじけずに生き続けられているのだとも思う。
 パリ五輪が、金曜日の夜中、土曜日の早朝に、開会していた。時差は8時間ということで、現地の夕方から始まった開会式は、週末とは言え、とても生で視聴しようとは思えないような時間帯なのであった。そして開会式を観ることができなかったオリンピックの、よそよそしさったらない。そもそもスポーツにそこまで興味がないわけで、オリンピックという大会でいちばん興味があるポイントはどこかと言えば、開会式とかなのである。だからもう、パリ五輪の情趣の8割くらいは、掻き消えたと言ってもいい。


 なんとなく、2021年にアップしていた干支4コマ(最終話)を再掲しておく。日本は貧乏くじを引いた、というのは疑いようのない事実で、実行委員会とか、演出家とか、出演者とかが、あんなにもゴタゴタしたのも、みんな新型コロナのストレスで気持ちがクサクサしていたからで、今ならみんなほがらかに、過去の少々の瑕疵など許容して、とにかくいま、より良いものを作り上げることだけを考えて動けたに違いないと思う。それはそれとして気になるのは、果たしてレディー・ガガやセリーヌ・ディオンは、障害のある同級生をいじめたりしていなかったのか、ということだ。
 土曜日の午前中はいつもの買い出し。しかし肉や魚を買うと、氷はもちろんもらうものの、なるべく早く帰らねばならず、あまり何軒も見て回れない。ササっと済ます。
 買い出しの最後に、ニトリに寄って椅子を受け取る。2週間前にファルマンが購入手続きをした、オフィスチェアである。これまで3年くらい、仕事用の椅子に対する不満を唱え続けてきたファルマンが、先日とうとうカタストロフィーが起ったことで、「いつか絶対に買ったるねん」と言い続けていた数万円のそれを、いよいよ買ったのであった。日々あまりに椅子の文句を垂れるものだから、どうせ買うんだから早く買えよ、とこちらもさんざん言い続けてきたわけだが、3年かかった。3年のうちに、世の中の物価は上がり、たぶん今回買った椅子も3年前のほうが定価が安かっただろうと思う。
 帰宅後に組み立て作業をし、ファルマンは座り心地に感動していた。もちろん店頭でさんざん検討しての購入なので、その良さは保証されていたのだけれども。ただし、しばし仕事をしたあと、「すごくいい。すごく快適。でも快適すぎて眠くなっちゃう」などとも言っている。それは知らん。ちなみにこれまで使用していた椅子は、僕に払い下げになった。ファルマンのように家で椅子に座って何時間も作業をするわけではない僕は、これまで適当な折りたたみ椅子を使っていたのだけど、ファルマンには見限られたこの椅子も、それよりは上等なものなので、じゃあ俺が使うよ、棄てるのも面倒な話だし、ということで受け取った。末永く使っていければと思う。
 午後は歯医者へ。今回の虫歯の治療で、とりあえずこのたびの治療計画は終わり。嬉しい。最後に先生から、「まあこの親知らず、やっぱり大学病院に行って抜いといたほうがいい気もしますけども……」と言われるが、やんわりとお断りした。
 それから夕方になり、ファルマンと注文していた鮨を店に取りに行き、そのまま実家へ。実家には次女とその娘たちが、早くも今週から帰省してきていて、じゃあ土曜の夜にみんなで鮨でも喰うか、ということになったのだった。今年はやけにハイペースで顔を合わせていた次女一家だったが、6月が初めて空いて、たぶん2ヶ月ぶりくらいの対面。それにしたって間が短いけれど。2歳児は寝起きでぐずり気味だったが、やはりかわいらしかった。2歳や3歳あたりまでのかわいさらしさというのは、フォルムの小ささはもちろんだが、魂胆や屈託みたいなものがない純粋さなのだな、などと思った。鮨はもちろんおいしかった。盆や正月じゃないので、セットメニューではなくお好みで頼めたので、選ぶのが愉しかった(こういうときの注文はいつからか一任されるようになっている)。
 夜は、帰ってきたら眠気が襲ってきて、舟を漕いでしまい、眠そうにしている人間が嫌いなファルマンにキレられながら、早々に寝就いた。
 明けて今日も暑い。子どもたちが科学館のイベントに行きたいというので、小4のいとこも実家で拾い、連れて行く。ファルマンが引率し、僕は送迎のみ。帰りにスーパーで買い物をして、晩ごはんを焼売にしよう、昨日の礼として実家に持っていけるし、と閃いたので、食材を買い集め、帰宅後は洗濯物を干したり、その下ごしらえなどをして過した。
 子どもたちを回収して昼ごはんを済ませ、午後からは家にいたのだが、果たして家にいていいのか、悩ましい時間を過した。すなわち、泳いだりしたいよ! という悩ましさである。実はいま、ホームプールの会員期間が切れてしまっていて、もちろん改めて会員になるつもりはあるのだが、なにぶん平日は暑さと労働で疲弊気味、そして休日は休日で大混雑でなかなか近付けないとなると、いまいち申し込みをするタイミングが見出せず、今日なんかもわざわざ大行列の中、新規会員申し込みだなんて、俺も嫌だし運営側も嫌だろうと思うと、とても行けやしないのだった。となれば、もういっそのこと海で泳ぐのはどうか、子どもも連れていくとなると大ごとになるので、俺ひとりでパッと行ってパッと帰るというのはどうか、と考えた。でもいかんせん暑すぎる。陽射しが強すぎる。海水浴とはそういうものだ、と言われればそれまでだけど、やはり慣れない身としては尻込みした。というわけで、泳ぎたさに身を焦がし、悶々としつつ、結局は泳ぐことのない週末だった。
 晩ごはんは焼売。実家にも30個分持っていった。干し椎茸、メンマも入れた本格味。もちろんおいしかった。子どもの送迎以外、特に何をしたということもない1日だったけど、とにかく暑かったので、ビールが無上においしかった。

ゆる週

 ピイガが今週、初めての宿泊行事、すなわち人生で初めて家族と離れて眠るというイベントに行って、無事に帰ってきた。なのでピイガのいない晩、わが家は夫婦と思春期真っ盛りの娘という3人で、まるで火が消えたようだった。ファルマンが、ピイガへの恋しさを訴える独白ばかりが、残りのふたりに完全に無視され、むなしく唱えられ続けた夜だった。
 行事でどんなことをしたのかは知らないが、疲労感もあり、さらには筋肉痛だとも言うので、この週末は天気こそよかったものの、ポルガもまた土日両日ともに部活だということもあり、特に大きな外出はせずのんびりと過すことにした。
 なにより車検という用件もあった。このたびフリードが初めての車検を迎え、この週末に1泊2日で作業してもらう算段になっていた。土曜日の午前中に車を店へ持っていき、代車で帰宅する。ちなみに代車はフィットだった。
 午後は夕方近くになって、ひとりプールへと繰り出す。今週はなんとなく気が乗らず、平日にいちども行かなかったのだった。行ったら行ったで気分はいいのだが、どうも今年の5月というのは総じてテンションの上がらない月間であった。来月からはすぱっと切り替えたいものだと思う。
 晩ごはんは、ミートドリアと、手羽先を揚げたもの。土曜恒例の朝市で、新鮮そうなアジが売られていたが、どうも魚の気分ではなかった。そして思案の末に繰り出した洋風のメニューは、なかなかよかった。やっぱり週末はパーティーメニューっぽいものがいいよな。
 ちなみにこの週末から、ファルマンの両親は青森に旅行に行っているらしい。ファルマンは、青森に行くなら斜陽館に行くべきだとおすすめをし、両親は娘の提案を受け入れたそうなのだが、今になってファルマンは、「両親は別に太宰ファンでもないのに、果たして行って愉しめるだろうか」と不安を抱いていた。しかし、まああの人たち(主に母)のことだから、行ったら行ったで自分がこれまでも熱心なファンだったかのように愉しめるに違いない、と自分で自分を安心させていた。たしかにそうだろうと僕も思う。若い頃は、浅くミーハーなそういった性分のことを、軽く見るところがあったけれど、実はその能力は、人生を愉しむ上で、とてもすばらしいものなのではないかと感じるようになってきた。この話の流れでファルマンと、いつか行きたい場所、食べたいものはあるかという話になって、僕はしばらく思案したのだけど、特に何も挙げることができなかった。結局、いわゆる「推し」というものがなにもないので、外の世界に強い魅力を感じることがないのだ。でもそれって、とても生きづらい生き方なんじゃないのか。回復アイテムを拒むモードでゲームをクリアしようとしているんじゃないのか、無意味に。特にこうやって、テンションの上がらない5月を過したりしていると、ことさらにそんなことを思う。
 翌日、車検が終わったフリードを回収する。車検代はやはりデデーン、という金額。もっとも今回はドライブレコーダーの取り付けを依頼したことで(品物はネットで買った)、その工賃も含まれているので余計に高いのである。ドライブレコーダーは、車を買ったときも、特に必要ないかな、と思って取り付けをしなかったのだけど、最近になって、別にヒヤリハットがあったというわけではないが、やっぱりあったほうが安心か、ということになって設置することにした。ネットでそれなりの商品を選び、取り付け作業をどうしたものかと考え、ネットで情報を見ると「がんばれば自分でできる」などと書いてあるが、決してできない(特にリアカメラは無理だ)ことを僕は知っているので、どこかしらのプロに頼むしかないなあと思っていたのだが、折よく車検というタイミングだったので、じゃあもうあちらさんに一緒にお願いしてしまうか、ということになったのだった。というわけで帰ってきたフリードには、ドライブレコーダーのモニターが設置されていた。プロの手によるので、もちろん配線なんかもすっきりしてなんの問題もない。いろんな意味で安心だ。
 それから午後は、本当に外出することなく、僕はいったいなにをして過しただろう、特になにをしたということもなく、ゆるゆるしてしまった。よろしくないな。でもよろしくないという自覚が持てているので、まあ良しとするか。どうだ、この力業の前向きさは。
 晩ごはんはハンバーグにし、付け合わせも彩りよく作ることができて、わりと満足感が強かった。明日からは天候が荒れるらしい。ぼちぼち風も強くなってきた。眠りが浅くなったら嫌だなと思いつつ、これから寝るまで愉しく過そうと思う。

要点を押さえたGW後半

 GWの後半が終わろうとしている。つまり今年のGWが終わろうとしている。寂寞である。
 初日の5月3日は、次女一家がこの前日の晩に移動して、既に実家に来ていたので、午前中から出向いた。春休み以来なので、1ヶ月ぶりでしかない。とは言え次女の第二子は、この間に1歳児から2歳児へという、年齢が2倍になるという大いなる躍進を遂げたのだった。すごいなあ、生まれたばかりの頃というのは。
 人が多かったので、昼ごはんの準備は買って出ることにした。材料はもちろん、ホットプレートまで持ち込んで、ソース焼きそばを作る。4玉を3回やった。
 食べたあとは、なぜだか出雲大社に行こうという話になって、僕の車と次女の夫の車の2台に分かれて出発した。地元民がGWに出雲大社に行くなんてものすごく馬鹿げた話だが、山陰では滅多にないような晴天だったので、出掛けないというのも阿呆らしく、出雲大社はともかく稲佐の浜を歩いたらさぞ気持ちがいいだろうと思った。なるべく混まない道から行こうと考え、大鳥居をくぐってご縁横丁を進む正面ルートではなく、裏側の稲佐の浜のほうから入るコースを選んだのだが、熟慮の果以むなしく、ひどく混んでいて、駐車場に入るまでだいぶ時間が掛かった。いざ駐車場に入る直前まで来たら、交差点の向こう側の、正面ルートから来る車はそこまででもないように見え、もしかしたら最近急に言われ始めた、「稲佐の浜の砂を持って出雲大社の砂と交換するのが正式な参拝法」という、これまで地元民は聞いたことのなかった言い伝えのせいで、今はむしろこっちの道のほうが混むのかもしれない、と思った。ちなみに道々の車は、全国津々浦々のナンバーで、島根や出雲はむしろ少数派だった。それはそうだ。散歩なのか参拝なのか、というような感じで境内を巡り、帰った。渋滞で時間と体力を喰ったこともあり、もう稲佐の浜はいいか、となった。僕的にはむしろそっちがメインだったのだけどな。
 実家に帰還後は、僕とファルマンだけがいったん自宅に戻り、夕方になってまた出発する。晩ごはんは鮨ということになり、ネットで注文したそれを店で受け取ったあと、実家へ再び赴いた。そして一同で食べた。1日、きちんと一族で過したな、県外に住む娘一家も帰省してきたのだし、GWに1日くらいこういう日はあるべきだな、というような日だった。
 翌日、5月4日は、次女一家は向こうの両親とともに泊りがけで広島にプロ野球を観に行く(これはこの一家の恒例行事のようだ)ということで、実家の面々とは絡まず、ゆるゆると過す。ポルガが午前中部活だったので、午後から道の駅キララ多伎へと出向き、昨日の稲佐の浜の雪辱で、海に足を浸したりして遊んだ。3月下旬に来た際は、春先の、まだ冷たい日本海であったが、今回は気候がよかったこともあり、裸足では砂浜が熱いほどだった。海開きはもちろん先で、まだシャワーも稼働していないのに、がっつり海に入って遊んでいる家族なんかもいて、こういう輩って毎年いるよな、と思った。気持ちは分かったけれど。
 晩ごはんは豆アジの唐揚げと、ミネストローネ。前晩の鮨しかり、自分が食事を担当する大型連休期間は、みそ汁が登場しないことが多く、気付けば野菜不足になっていたりするので、2日にわたって使えるような分量でミネストローネを作る。おいしかった。
 食後、せっかくGWだし、ということで久しぶりにトランプを持ち出し、大貧民をした。ちなみにだが、このGWを通し、わが家はとうとういちども誰もswitchを起動させなかったのだった。なんだかすっかりわが家のゲーム熱は下がったな。要するに、あまりゲーマー気質の人間たちではないのかもしれない。各自他にやりたいことがあるのなら、それに越したことはない。
 僕は合間の時間などはどう過していたかと言えば、そこまでバリバリやっていたわけではないが、今年も母の日にリクエストを受けたエプロンを作ったりなどしていた。プールは、会員が4月末で切れてしまい、なにも混んでいるであろうGWに行かなくてもなあという思いから、次の申し込みを先延ばしにしているため、行けていない。サウナもまた、いちどくらい行くかなとも思っていたのだが、結局行かなかった。
 それでは家でひたすら暇を持て余すGWだったかと言えば別にそんなこともなく、なんだかんだでちょこまかと動いた。3日目となる5日は、ポルガの部活もなかったので、午前中から松江へと繰り出した。目的は、ひとえに扱いの悪さによるものだろう、ポルガのスマホの不調を直してもらうためで、せっかく松江に行くのだからということで、なんかしらのイベントはやっていないものかと調べたのだが、意外とめぼしいものは見つからず、わりと純粋に、イオン松江にだけ行って帰った。スマホは店員さんが操作したら、わりとすぐによくなった。これはどうも、ちょっとした設定操作でなんとかなる、「わざわざ来なくてもよかった案件」のようだな、と感じたが、店員さんがやけに感じのいい人で、横溢する「わざわざ来なくてよかった案件」の香りを、ふわっと煙に巻くような感じの説明で、「そんなことなかったですよ案件」にしようとしてくれている様子だったので、こちらもそれに乗っかり、「来てよかった案件」として処理することにした。すばらしい大人たちの処世術だな、と思った。
 そのあと、せっかくだからということで、松江のブックオフに立ち寄る。初めて入った店。しかし近ごろブックオフって、本当に買いたいと思えるものがなく、そしてそれはブックオフではなく、100%僕のほうに原因があるので、かつて愉しめた場所が愉しめなくなったという種類の、いかにも中年的なアンニュイさに襲われるのだった。そしてこの精神の流れは、いつも入店してから思い出すのだ。入店する前は、過去のイメージから、いつもわりと意気揚々としている。ちなみに買わなかったけれど、二次元ドリーム文庫や美少女文庫が、110円の棚にずらーっと並んでいたので驚いた。この現象こそが、僕のブックオフとの距離を象徴しているな、と思った。かつてこれらのレーベルの文庫は、需要によるものだろう、よほど汚れているとかでない限り、滅多なことでは110円の棚には行かなかったのだ。400円とかしたのだ。それが今ではほとんどが110円になってしまった。そして在庫処分のように110円の棚に多く並ぶのは最後の輝きで、そのあとはもはやブックオフというフィールドからいなくなってゆくんだろう。哀しい。並んでいるものには、人生の途中で泣く泣く手離したようなものがわりとあって、ここでまた手元に置いておこうかな、ラストチャンスかもしれないな、などとも思ったのだが、娘たちに隠れてレジを通すのが、不可能ではないだろうが億劫だな、と考えてよした。自分も、ラノベ系文庫エロ小説も、すっかりフェーズが変わってしまったのだな、と切なくなった。娘たちは、漫画や児童書を何冊か買っていた。それでいい。それでいいんだ。
 帰宅した午後は、おやつに買って帰った柏餅を食べ、あとの時間は各自やりたいことをして過した。晩ごはんは、ミネストローネと、スーパーで買った味付きの焼くだけの豚肉だったのだけど、こちらがあまりおいしくなくて残念だった。
 夜は、この前の晩から2日がかりで、金曜ロードショーで放送した「すずめの戸締まり」をファルマンと観終えた。作品の世界観を理解してもらうための説明なんて、いつの間にかもう一切しなくていいことになったのか、と思った。そうだったのか。いつからだよ。
 かくして今日、6日がGWの最終日。ファルマンと子どもたちは午前、兵庫に戻る次女一家の見送りのため実家へ。広島みやげとして、もみじまんじゅうをもらって帰ってきた。僕はエプロンをとりあえず完成させた。今日はもうどこへも行かず、明日からの平日に向けて体制を整えようと思う。
 今年のGWは、遠出こそしなかったが、「渋滞」(出雲大社)、「親戚の集い」、「海遊び」、「高速道路移動」(松江)と、要点だけはやけに押さえた日々だった。というわけで、まあ悪くなかったんじゃないかと思う。ひどい疲労感とかもないし。さあ、ここから夏までは、わりとストイックな日々だな。次女一家もさすがに夏休みまでは現れまい。せいぜい気丈に暮そうと思う。

今年度が終わる

 季節の変わり目のためか、この1週間は疲労感が強かった。土曜日というゴールに、ふらふらになりながらたどり着いたようなイメージ。そのため土曜日は、僕以外の3人は終日実家だったこともあり、思う存分にのびのびと過した。
 午前中はいつものスーパー巡り。3月分の食費は底をついてしまっているので、4月分からの拠出となる。本当はそうならないようにしたいのだが、でも仕方ない。買い物をせずに冷蔵庫の備蓄で週末を乗り切ることは可能だが、土曜日の安売りにケチケチして買い控えをしたら、結果的に損だと自分を説得し、存分に買う。たぶん僕の場合、これがストレス解消にもなっているので、いろんな意味でお得になっていると思う。
 帰宅後は裁縫と筋トレといういつものパターン。かなりストイックにそのふたつを行なった。筋トレはなるべく薄着、できれば上半身などは裸でしたいという思いがあり、筋トレで体が温まっている間は、冬でもわりとそれが可能なのだけど、縫ったり、腕立てしたり、縫ったり、腕立てしたり、というふうにやろうとすると、裁縫のときはさすがに寒いので服を着る必要があり、その脱ぎ着が面倒でしょうがないのだが、いよいよ春も本格的になり、日中の気温も15度を超えるようになってきたため、上半身裸のまま裁縫ができるようになって、嬉しい。腕立てをした直後の、パンプアップした大胸筋で、スイムウェアを作る。この時間が、やけに愛しく、愉しい。
 昼ごはんは、ひとりなのでざるそばで済ます。午前中、プロテインと鈴カステラをダラダラと摂取していたので、ちょうどいいだろうと思った。
 午後は少しドラクエを進め、夕方になってファルマンが、仕事が来たと言ってひとりで帰ってきて仕事を始めたので、その少しあと、僕が子どもたちを迎えに行った。ちなみに3人がなぜ実家に行っていたのかと言えば、義両親は春休みの帰省でやってくる次女とその娘たちを、蒜山あたりで向こうの車と落ち合う感じで迎えに行っていたため、その間の犬の面倒を見る必要があったからで、その報酬としてなのかなんなのか、夕食としてテイクアウトの鮨をもらい受ける。やったぜ。昼がざるそば、夜がもらった鮨で、なんだかとても楽で健やかな1日だった。休日かくあるべし、という感じで癒された。
 明けて今日は、タイヤ交換のために昨日に引き続いて朝から実家へ。タイヤ交換は、この日取りを聞いたときは、ちょっと遅いような気がしたが、何日か前に雪がちらついたりもしたので、結果的にはよかったんじゃないかと思う。それにしても今年の冬はやはり性根が悪く、桜の開花予想も大きく外れ、グダグダだった。雲南をはじめとしていろんな場所で、この週末が桜まつりということになっていたが、今週はたぶん1、2分咲きだろう。かと言って来週ということなると、もう盛りは過ぎているのではないかという感じもある。ちなみに来週は予定があることもあり、去年のような実家の面々との花見は実現しなさそうである。
 タイヤ交換のあと、せっかくだからやろうと予定していた洗車も行なう。数日前から黄砂のことが言われているので、タイミングとしてどうなのかという思いはあったが、黄砂に限らず、「いま洗車のし時でない理由」を言い出したらキリがないので、思い切ってやることにした。2台とも。やったらやったで、まあすっきりした気持ちになった。
 そのあとは昼ごはんとして牛丼をテイクアウトしてきて、一同で食べる。久しぶりでおいしかった。もうすぐ2歳になる、次女の次女は、引き続き人見知り期により、接触がままならない。ファルマンには抱かれるというのに。切ない。ただ2歳の姪と触れ合えないことが切ないのではなく、男という生きものの孤独さを改めて感じ、切ない。
 車のことが終わり、昼ごはんを食べたら、もう僕は実家に用はない。2台で来ていることもあり、僕だけ自宅に戻ることにした。今日はファルマンの誕生日祝いをする予定となっていて、ケーキを作ったりしなければならないのである。また晩ごはんのメニューはなにがいいかと事前に本人に訊ねたところ、お好み焼きというちょっと意外な答えが返ってきて、そうする計画を立てていたので、昨晩と昼をおごってもらった礼として、実家にお好み焼きを焼いて届けてやろうと考えたのだった。というわけで、帰宅後はひとりでお好み焼きを焼き、ケーキを仕立てた。男という生きものは、孤独なのである。あるいは僕がとりわけそうなのかもしれない。
 お好み焼きを届けたら喜ばれた。それはそうだろうと思う。義母はかなり料理をするのが嫌いな人なので(本人に言ったら否定されるだろうが)、餃子やお好み焼きをたまにこうして持っていくと、とても喜ばれる。「ごはんと山芋しかなかったから助かったわー」と言っていたので少し驚いた。「タッチ」で、南が上杉家にイチゴをお裾分けしに行ったら、双子の母が「晩ごはんのおかずに困ってたから嬉しい」と言って南をおののかせるシーンがあったが、それを思い出した。
 夕方になってようやく家族が戻ってきたので、わが家もお好み焼きで夕食とする。キャベツが、春キャベツと銘打っていたわけではないが、ちょっとふんわり気味のもので、そのためか仕上がりも軽やかで、とてもおいしかった。実家の面々も喜んだことだろう。
 そのあと冷蔵庫からケーキを取り出して、ファルマンの41歳の誕生日祝いを行なう。今年は誕生日が水曜日なので、年度を挟むこともあって気持ち的にとても早い感じがあるけれど、こういう形になった。お祝いは今日行なったが、ファルマンが41歳になったということへの感慨は、正式に誕生日を迎えてから書こうと思う。まあ40から41って、本当に特になんの感慨もないけれども。
 そんな感じで、日曜日はわりとバタバタしたけれど、土曜日は本当に伸びやかに過せて、結果としてとてもいい週末だった。そして今年度が終わる。しかし新卒の新入社員がいるわけでもないので、明日から劇的な変化があるわけでもない。子どもの春休みももうしばし続く。タイヤがノーマルに戻り、燃費がよくなるのが嬉しい。平和に暮そう。

17年

 これは本当にまぐれなのだけど、ちょうど先ごろ「おもひでぶぉろろぉぉん」で読み返した、「ファルマンの父方の祖母が餅を喉に詰まらせて植物状態になる」という、2007年の1月下旬に起った出来事が、このほどようやく終結したのだった。
 丸17年である。上の義妹が成人式をした年であった。下の義妹はまだ高校生であった。つまり当時彼女は17歳だったので、彼女の人生の半分、祖母は眠り続けていたということになる。長い。あまりにも長い。かつて麻生太郎がボヤいたように、もはや魂があるのかないのか分からない祖母に、その年月注ぎ込まれた保険料のことを思うと、日々せっせと働くことって一体なんなんだろう……、と虚無的な気持ちになったりもした。でも17年前のあの日、「とりあえず生かすことは可能」という診断結果に対し、親族が処置を断るという選択肢もなかったわけで、これは本当に難しい話だ。なにより誰もそれが17年も続くとは考えていなかったし。とりあえず親族にも、ご本人にも、おつかれさまでした、という言葉をかけるよりほかない。
 僕は故人にいちどだけお会いしている。在学中に島根に行ったのは1回だけだったと思うので、そのときだ。これぞまさに一期一会というものだな、と思う。もちろんそこまでしっかり絡んだわけではないので、印象というのは特にない。でも会ってはいるんだよな、という感慨はあった。俺もなかなかこの一族の中で古参になってきたものだな、と。
 木曜日の朝に亡くなり、金曜日が通夜だった。仕事を少し早上がりして、僕もホールへと向かった。ほぼ身内だけの式なので、集まっていたのはほとんどが知った顔だった。義父の妹の娘、すなわちファルマンの従妹と久々にお会いした。いつぶりかと言えば、祖父の葬式以来だろう。親戚あるあるの定番、「喪服でしか会わない」のやつだな。関西に住む上の義妹一家はまだ到着しておらず、翌日の葬式からの参加ということだった。また従妹の下には従弟もいるのだが、そちらはいま関東に住んでいるため、明朝の早い飛行機で来るらしい。通夜の儀式はつつがなく終わった。純度の高いメンツなので、僕はどうしたってわりと部外者的な感じで、それでいて通夜というのは、ご遺体とかなり接する場面があるため、なかなか戸惑った。下の義妹や従妹は肩を震わせたりしていたが、ファルマンは一切そんな様子がなく、前日に初めて祖母の遺体と対面したときも、ファルマンは開口一番に「鼻毛」と口に出して言ってしまい、顰蹙を買ったそうだ。ドンマイドンマイ、僕は好きだよ。
 翌日は午前に火葬、午後から葬儀というスケジュールで、午前中のそれにはわが家からはファルマンだけが参加することとなり、午前は子どもとのんびりと過した。ちなみにこのタイミングで鳥山明の訃報が届いており、追悼の気持ちを込めてドラクエ11を進めた。
 昼ごはんを食べてから再びホールへ。上の義妹一家と、従弟が参上していた。上の義妹一家は、日記にも書いたとおり、2月下旬に会ったばかりで、別れるとき、どうせまた1ヶ月後の春休みになったら会うのだなー、などと思っていたら、それよりさらに短いスパンで顔を合わせた形だ。こっちが移動しているわけではないので、居住地が関西であるという距離を感じさせない遭遇ぶりである。それに対して従弟は本当に久しぶり。当然こちらも祖父の葬式以来である。その頃が20代半ばから後半くらいで、いまが34歳。前回のときの記憶が残っているわけでもないが、彼にとっての母と姉が通夜の際に「老けたよ」と評していた通り、なかなか貫禄が出ているように感じた。太ったというわけではなく、なんというか、トーンが落ちたというか、渋くなったというか、若々しさがなくなったというか、くすんだというか、とにかくこれがリアル加齢というものだな、と思った。向こうもこちらを見てそう思ったろうか。彼の数年間がたまたまそれが顕著に出る時期だったのであり、こちらも一律にあの変化が起っていて、身近な人間では気づきにくいが、数年ぶりに対面したら僕も劇的に変わっているように見えているのだ、とは思いたくない。おそろしくてしょうがない。いや、人は老い、そして死ぬものだけども。それを痛感させる最たる行事にまさに参加している身の上なのだけれども、それだから余計にかもしれない、数年ぶりに会う親戚に「老けたなー」って思われるのきっつ、と思った。
 葬式は、ご遺体が遺骨になった以外は、通夜とあまりやることに違いはなかった。お坊さんが戒名の説明をする際、脇の台に置かれた位牌を取ろうとして、水平チョップのようになってしまい、位牌を思いきり倒したのがおもしろかった。ファルマンとは席が離れていたのだが、いまあいつは絶対に笑いをこらえているのだろうな、と思った。ファルマンは昔から、葬式のときはずっと頭の中で志村けんが躍動するのだそうだ。そのあとはひたすらお経。今日は鳴り物要員もいて、やかましかった。どうも一丁前に、音の強弱や鳴らす所作などにこだわりがありそうで、なんじゃそりゃ、と思った。死後の世界のことは生きている人は誰も分かってない、分かりようがない、ということを、みんなもう知っているのに、なんでお坊さんって、あんなふうに「こういうものですよ」という感じで振る舞えるのだろう。あれって一体どういう精神構造なのだろう。嘘を自分で信じ込み過ぎて、嘘と現実の区別がつかなくなっているのだろうか。あるいはもう完全にビジネスライクなのだろうか。それならそのほうがよほど健全だと思う。そして僕はそのビジネスにはお金は払いたくないな、ということを今回改めて思った。もしもいま僕が突然に死んだら、何宗なのかも知らないが、家のなんかしらの宗派の寺の取り仕切りで葬式がなされることになるが、それは事前にきちんと、決してやってくれるな、ということを意思表明しておかなければならないと思った。僕の葬式は和民かサイゼリヤでやってほしい。そこでみんなリーズナブルに、食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲んでほしい。そして願わくば、最後に死体でフィッシュパニック(胴上げ)してほしい。そうすれば、僕は文字通り浮かばれると思う。
 とまあそんなことを思った、久々の葬式だった。式はこれでおしまい。ファルマンのいとこたちと、別れの挨拶を交わす。「また長いお別れだね」と口からついて出たのだが、もうファルマンとこのいとこたちの共通の祖父母は、これにていなくなったわけで、滅多なことを言うものではないが、次の葬儀は次の世代の番ということになり、そう考えれば彼等との再会は本当にだいぶ先のことになりそうだ。その頃にはもうどうしたって、お互いに「老けたなあ」と思わずにはいられないに違いない。
 そのあと納骨などもあったが、火葬と同じくそちらはパスし、義妹の娘を含めて子どもたちを連れて僕だけ先に実家に帰った。ちなみに子どもたちは、通夜も葬式も、ホール内のホテルのような控室で遊んで待機し、式には参加していない。なにしろ故人とはいちども触れ合っていないので、その距離感は仕方がないと思う。17年間というのは本当に長かった。僕は「おもひでぶぉろろぉぉん」をやっているので、強い実感とともにそう思う。ただそのおかげで、ということもないが、今回の一連の葬儀に悲愴感はほぼなかったと言ってよく、この、親戚一同が喪服を着て式に参加しているのに、故人に対しての喪失感がない感じって、あれだな、これはもはや法事だったのだな、とも思った。葬式と、17回忌を、足して2で割ったような、今回はそんな儀式だったような気がする。不思議な感触で、なんだか早くも白昼夢のような記憶になりそうな気配がしている。

冬の家族週末

 なんとなく慌ただしい週末だった。
 土曜日は午前中にピイガの小学校の学習発表会があり、当初はファルマンだけが観覧する予定だったのだが、とてつもない冬型の気候が襲来していて、ひと晩中風雨の音はすさまじく、もはや発表会は中止ではないかとさえ思ったのだが、そうはならず、しかし本来の計画であったファルマンの徒歩での移動はままらなくなったので(ファルマンは保護者の車で混み合うイベント事の日、学校への運転と駐車をしない賢明なスタンスを取っている)、送迎の必要が出て、そもそも朝に、まだ風が強かったのでピイガも学校へ送り届け、そのあとファルマンとともにピイガの演目を観るために学校へ行き、そしてピイガの出る演目というのは、数時間の間隔を挟んでふたつあったので、いちど家に帰り、後半のそれに合わせてまた赴いたので、午前中だけで僕は3回も家から小学校までを往復したのだった。というわけであっという間の午前だった。
 発表会のピイガの様子はどうだったかと言えば、運動会と同じで、小さい、という印象を抱いた。本人の成長や能力については、家で十分に目にしているので、学校で見る子どもの感想は、どうしたって他の子との比較となり、そうなると「ちっさ!」という反応になる。そしてファルマンはすぐに「成長曲線が……」などと不安を嘆くことになる。これに関しては僕はとても旧時代的な考えで、女の子だからという、このご時世あまり堂々と言ってはいけない理由から、小さくてもいいじゃない、むしろかわいいじゃない、などとホザくのだけど、それに対して「あまり小さいと将来の出産が大変なのだ」とファルマンは言い、それを言われるともうこの問題について僕がコメントできることはなくなるのだった。
 昼過ぎにピイガは帰宅し、昼ごはんはピイガの好物であるうどんにした。本当に、雪が舞うほど寒い日だったので、うどんのあたたかさが身に沁みた。
 午後はポルガが期末試験の勉強のために図書館に行くというので、送ってやる。本当に妻子の送迎をやけにした日なのだった。それから帰ったあとは、部屋のクローゼットの整理を行なった。衣替えはもちろん既にファルマンによってなされていたが、布団が、奥にあった羽毛布団を、急に寒くなった夜に無理やり取り出し、整然と積み上げていたものがぐちゃぐちゃ、みたいな状態になっていたので、それを整えたり、あと扇風機を仕舞って、代わりにストーブを取り出し、さらにはついでにクリスマスツリー関連のグッズも取り出した。すなわちすっかり冬の仕様に切り替えたのだった。
 おやつには3人でぜんざいを食べた。ポルガは餅を食べないので、ポルガがいないタイミングに食べるにふさわしいおやつなのであった。
 夕方になり、ファルマンがポルガを迎えに行って、その間に僕は夕飯の調理をしていた。夕飯は餃子。先週が焼売で、今週は餃子。焼売もたまに食べたくなって作るけれど、作って食べたら食べたで、餃子が食べたいな、という思いを抱きがちなのだった。というわけでの餃子である。今回もいい出来だった。
 そのあと、夜になってこたつの設営をする。この3、4年、わが家にこたつは登場していなかったのだけど、なんとなく今年は出したくなって、出すことにした。3、4年というのは、コロナとはもちろん関係なくて、ファルマンおよびポルガのあたりが、こたつがあると人として終了する傾向があるので、それでやめていたのだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、言うてもそこまでやないやろ、と思ったのだった。しかし出して丸一日が経つが、やっぱりダメかもしれない気配が漂いつつあり、ハラハラしている。
 夜は異様に眠くなり、目が開けられなくなって、ファルマンにさんざんなじられながら、日が変わらないくらいの時間に寝ついた。やっぱり昨晩が強風で眠りが浅かったのだろう。土曜の晩に残念なことだったが、そうは言ってもしょうがない。
 起きたら8時半で、まあたっぷり寝たことになる。本当はまだまどろんでいたいくらいだったが、今日は今日でポルガが参加している科学教室の遠足ということで、やはり送る必要があるのだった。それを送って帰ると、今度はすぐに実家へ向けて出発となる。実家の人の車とともに、業者の人に来てもらってわが家の2台も冬用タイヤへの交換をしてもらうのである。10日ほど前にこの日程が決まった時は、ちょっと早いなあと思っていたが、ぜんぜんそんなことなかった。とてもちょうどよかった。ちなみに義父母は昨日、岡山のおじいさんの所へ顔を出しに行ったそうで、義父の車だけはおとといくらいに既にタイヤを交換してもらったそうだ。そして庄原や高野のあたりは実際に雪景色だったらしい。今年もまた、山陰が中国山地によって表日本から断絶される時期になったのだな。
 昼ごはんは実家御用達のお好み焼き屋のテイクアウトを馳走になる。広島風で、義父母はやけにこの店のものを愛好しており、よく出てくる。広島風のお好み焼きって、食べるたびに不思議な食べ物だなあと思う。
 帰宅後は、ポルガの制服のスカートの丈詰めをした。時代も違うしキャラも違うしで、脚をもっと出したいとか、そういう要望があったわけではないのだが、しかしそれにしたって、春先にお店で採寸して仕立ててもらったスカートの丈は、クラスメイトらと較べてポルガのものだけがやけに長いのだそうで、穿いている姿を見ると、まあたしかに長い。スケバンというほどではないが、やけに長いなあという印象を受ける。というわけでまあ少しくらい詰めるか、ということになった。ポルガは7センチと言い、ファルマンは5センチと言ったので、中道派の僕は両方の顔を立て、6センチにすることにした。制服のプリーツスカートの丈詰めは、お直しの店に勤めていた頃にもやっていて、女子高生のスカートに鋏を入れてお金をもらえる人生なのだなあ、と感激したことがあったが、そんな僕がとうとう娘のそれの作業をするようになったか、という感慨があった。距離が長いのでまつるのに時間が掛かったが、作業自体は簡単である。明日は夏服のそれで行ってもらおうかと思っていたが、仕上げることができた。
 そのあとポルガを迎えに行きついてに、買い出しもする。この際、丈詰めの作業代として、愛飲している第3のビールの6缶パックをふたつ、ファルマンに買ってもらう。破格ではあるけれど、いい報酬だとも思う。
 晩ごはんはそぼろ丼。これは昨日のうちに作っていて、ポルガの弁当にはこれを持たせていた。その代わり、ポルガは晩ごはんにお好み焼きを食べた。
 そんな感じで、なんか家族の世話や、家のことを多くした週末だった。慌ただしかったが、悪くはなかった。それにしてもおろち湯ったり館に行かない。もうそろそろ2階は閉鎖だろう。その前に行きたいものだ。ずっとおろち湯ったり館のこと言ってるな。

11月とパピロウと

 一気に冬になった。今週の半ばくらいまでは11月なのに夏日だ、などと言っていたのに、日曜日からあまりにも冬じゃないか。過酷だ。厳しい部活動のようだ。われわれは7月頃からずっと、なんかしらの厳しい部活動に在籍しているのかもしれない。おかしいな。体験入部だけのはずだったんだけどな。
 しかも折悪しく、少し久々の11月パピロウ発動中と来ている。ただでさえ落ち込みがちの心に、体がまだぜんぜん対応できていない寒さまでが加わり、気持ちはいまとても低調だ。
 こんなとき、やっぱりそれというのは、傷口を狙って入り込む病原菌のようなものなんだな、ということを再認識するけれど、友達がいたらなあ、なんてことを思ってしまう。落ち込んだ心が友達によって救われた経験が、お前は人生中にいちどでもあるのかと問われれば、途方に暮れてしまうのだけど、家族だって趣味だってあって、そして疾病があるわけでもない僕が、それでも心が整わないということは、いま僕が完全に獲得できずにいるものにその原因があるのではないか、というふうに考えてしまう。それが友達だ。
 寒さもあって、温泉やサウナに行きたい欲求が日々高まっているが、しかしおろち湯ったり館になかなか行けずにいる。さらには米子の、ラピスパやオーシャンなんかに行けたらもっといいなあと夢想したりするが、ひとりで車を運転して米子まで行くのはあまりもコスパが悪いし、僕以外全員女性の、さらには温泉・サウナに興味のない家族と連れ立って行ってもぜんぜん愉しめないだろうと思う。こんなとき、友達がいたらいいんだろうなあと思う。サウナ仲間。サウナの中で会話をする輩が、普段はひたすら忌々しく感じるけれど、自分がそっち側だったら話は別だ。サウナは静かに入るもの、なんていうのは孤独な人間が言い張り始めた勝手なルールで、白状してしまうけど、サウナに入っている間って実はただ退屈なので、友達とおしゃべりをして過せたらどんなにいいだろうかと思う。「マジきちー」「やべえやべえ」とか言い合いたい(友達関係というものが大学生のあたりからまったくアップデートされていないので、友達感性が若いままである)。
 しかし僕の暮しに友達ができる気配はまるでない。今日も家族で過す。今日は午後からゆめタウン出雲に繰り出した。おととい、こちらに山陰初出店となる紀伊国屋書店がオープンしたのだ。せっかくだからそこを見にいってやろうじゃないか、という感じで出掛けた。店は賑わっていた。というよりゆめタウン全体が賑わっていた。みんな寒くなって、屋外イベントの季節も終わり、休日の外出の選択肢の筆頭にショッピングモールが来るようになったんだろう。書店の中をほうほうと窺っていたら、見知った顔があった。義父母と義妹なのだった。ゆめタウンでたまたま義母らと鉢合わせするのはこれで2度目だ。地方のショッピングセンターとはそういう場所である。書店ではなにも買わなかった。
 ニトリにも行った。クリスマスのコーナーが展開されていて、そうか、と思う。2023年もそろそろ終盤なのだな。やはり11月パピロウで、ツリー飾りを目にしてもなにも心は盛り上がらないのだけど、徐々にこの寒さにも慣れて、いまとてもか細い心の灯は、安心感のある暖炉の炎のようになってくれたらいいと思う。
 晩ごはんは、寒さに対して素直に鍋やクリームシチューにでもすればよかったのかもしれないが、なぜか焼売。しかしIHクッキングヒーターを食卓に持ち出し、食卓で蒸し上げるという演出をした。とは言え汁物じゃないと、あんまり部屋全体がほっこりあったまるようなことにはならないのだった。まあおいしかったけれど。
 11月パピロウはどうすれば克服できるか。昔の人はよく考えていたもので、そのためにcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボがある。せいぜいそっちの活動に情熱を傾け、自分で自分を盛り上げていこうと思う。

Mr.サマータイム

 言ってもぜんぜんしょうがないのだけど、暑い。ありとあらゆることのやる気を亡失させる暑さ。いや、この表現では、意志の問題のように捉えられてしまうかもしれない。そうではない。もはや物理的である。物理的に、人がなにもできなくなる暑さだ。
 それでも人にはこなさなければならない用件というものがある。仕事以外にも。
 というわけで土曜日には、松江に行って、サーカスを観てきた。いま松江公演を行なっている、ポップサーカスである。ちなみに話は微妙にややこしいのだが、前日である金曜日の夜まで、僕はこのサーカスを観る予定にはなっていなかった。今回のサーカス行きは義母が企画し、ファルマンとうちの子ふたり、そして夏休みで実家に帰ってきている次女とその娘ふたり(もっとも1歳の次女はチケットの数に入らない)というメンバーで観るはずだった。それを、サーカスを観賞しない僕と義父が車で送迎し、公演中は僕は松江イオンで買い物、買い物の習慣がない義父は松江城に行く(熱中症になるよ!)、という算段になっていた。しかし木曜日あたりから、次女の持病の腰痛が悪化し、1歳児を連れて松江まで行ってサーカスを観賞するという予定がどうにもこうにも困難だということになり、そうなると大人分のチケットが1枚余ることになるので、仕方なく義父が観るか、それとも三女が代わりに参加するか……、などと、ファルマン家名物の、紛糾するだけで一切結論が出ない議論が繰り広げられたのだが、僕が閃いて金曜日の夜に提案した、「俺のフリード(6人乗り)1台で、わが家4人と、義母と、次女の長女という6人で行って、その6人でサーカスも観ればいい」という意見が急転直下で(飛びつくように)受け入れられ、そういう運びとなったのだった。かくして僕は、急にサーカスを観ることになった。
 午前の部だったので、朝実家にふたりを迎えに行くと、そもそも今回のことを非常に億劫に思っていたらしい義父が、とても軽やかな顔で笑っていた。「まあホームページで見たら駐車場は用意されてるらしいから大丈夫だと思うぞ」などと声をかけてきたので、うるせえ、と思った。次女の長女は、母親と別行動をあまりしない子なので、そこが心配だったが、8ヶ月差の1学年差であるピイガにはそれなりに心を開いていることもあり、なんとかなった。道はもちろん高速道路を使い、つつがなく、いい時刻に松江に到着した。ちなみに車中では、前の晩に、今回のために新たに作成したプレイリストで音楽をかけた。義母も乗るので、ポルガのボーカロイドの曲は数を制限し、僕の選んだ昭和歌謡多めのラインナップにした。ランダム再生にしたのだが、行きでサーカスの「Mr.サマータイム」が掛かったので、僕は(よかった)と思ったのだが、義母もファルマンも大したリアクションはなかった。真夏にサーカスを観に行く際にそれを流すのって、すごく気が利いてるだろうと思ったのだけどな。
 案内に従って車を進めると、いかにもサーカスらしい、派手な色の巨大テントが現れ、テンションが上がった。当初は送迎だけをするつもりで、別に観たいとは思っていなかったサーカスだったのに、俺の車1台で行って俺も観る、という提案をした時点から、やはり生来の気丈さや健気さ、なにより気質の良さと言うほかない人間的な好もしさによって、わりときちんと気持ちは盛り上がっていたのだった。サーカスの観賞は、あまり記憶が定かではないのだけど、たぶん子どもの頃に、ボリショイサーカスを観たのではないかなー、という気がする。それ以来だ。ちなみに倉敷在住時代、本拠である岡山に、木下大サーカスが来た年があったが、その頃はまだ子どもたちが小さすぎて行く気にならなかった。そのため今回、子どもたちにとってちょうどいいくらいの年齢でサーカスがやってきたことは僥倖だった。
 テントの中は薄暗く、頭上には空中ブランコの足場のようなものがあったりして、非日常の空間に入ったのだという実感が湧いた。開演15分前になると、時折ピエロが舞台袖から現れ、客いじりなどをして会場を温めていた。わりと至近距離にいたお父さんのひとりがピエロに捕まり、ステージに上げられて芸に参加させられたりしていたので、内心戦々恐々とした。そのお父さんは、はしゃぎ過ぎず、ノリが悪すぎもしない、ちょうどいい塩梅の人で、たぶんピエロは長年の経験によりそういう人の選別能力が養われているのだろうと思った(だから間違っても僕なんかは選ばないのだ)。
 ショーは、非常に見応えがあり、おもしろかった。思えばライブのエンターテインメントショーというものを、ずいぶん目の当たりにしていなかったけれど、それはこんなにもドキドキワクワクするものだったか、と蒙が啓かれた気がした。そして、なんだよ、人間ってこんなにすごいことができるんじゃん、ということも思った。もう人間のやってきたほとんどのことが、AIによってその役割を奪われるのだと、そんなふうに思っている部分があった。実はそんなことぜんぜんないのだ。メディアの情報ばかりを摂取していたせいで、そんな当たり前のことを忘れていたということに気付かされた。そんな感動を与えられた、39歳でのサーカス観賞体験だった。観るつもりがなかったくせに、もしかすると誰よりも愉しんだかもしれない。もちろん子どもも愉しんでいたようだった。
 ショーは正午に終わり、このまま帰ってもよかったのだが、そうなると昼ごはんがだいぶ遅くなってしまうし、せっかくだから食べて帰ろうよ、そんでそれじゃあ松江イオンに行くっていうのがいいんじゃないかな、と話を誘導し、サーカス観賞かつ松江イオンの手芸屋にも行くという、目的の両獲りを成功させる。我ながらすばらしい手腕ではなかろうか。他者に負担をかけていない、という点がなにしろ素晴らしいと思う。というわけで松江イオン内のファミリーレストランで昼ごはんを食べ、そのあとスタタタッと単独行動で手芸屋に行き、何点かニット生地を買った(やはり倉敷に較べると寂しい品揃えではあった)。そして帰った。
 義母と次女の長女を降ろしに実家に寄ると、さすがにその頃にはぐったりした。なにしろ陽射しがすごいので、冷房をどんなに効かせてもだいぶ体に来る。なにより松江と言えばまあまあの遠出だ。そんな我々を見て、冷房の効いた部屋で野球を観ていたらしい義父が、「おいおい、サーカスから帰ったあとは、もっと明るい顔をしとらんと」と言ってきたので、うるせえ、と思った。義父は短時間の絡みで、すっと差し出すように、うるせえ、と思わせることを言ってくる。あれは一種の才能かもしれない。
 帰宅したあとはのんびりと過し、体を休めた。本を読んだり、松江で買ってきた生地で早速ショーツを1枚作ったりした。ちなみに松江はこの土日、水郷祭という大規模な夏祭りが開催されるのだそうで、我々はその狂騒に巻き込まれないように退散したのだが、世の中には午後の部のサーカスを観賞し、そのまま水郷祭へとなだれ込むという人々もいるだろう。すごいと思う。活動的な人のバイタリティというのは、本当にすごい。
 晩ごはんは、茹でた豚肉と、とろろや納豆や温泉卵を和えた、見た目が本当に嘔吐物のようになったものを、冷たいそばに掛けたものを食べた。おいしかった。もう、食べたいものと言うより、食べられるものが、そういうものに限られている。とろろにすがって夏を乗り切りたい。とろろほど物理的にすがれないものもそうそうない。
 明けて今日は、2日連続で実家の人たちとの絡みになるのだけど、昼ごはんに、みんなで近所の中華料理屋に食べに行った。みんなで、というのは、昨日のメンバーに加えて、義父も、次女と三女、そしてもちろん1歳になる次女の次女も、ということだ。今回、次女の夫はお盆に夏休みらしい夏休みがないそうで、来週末くらいに回収に来て、兵庫に戻ってしまうということで、じゃあその前にみんなで会食でも、ということになったらしい。中華料理は、まあ普通だった。特別ものすごく、クックドゥとか冷食とかより格段においしい、ということもないくらいの味わいだった。それにしても実家の面々は、駐車場から店までが暑いとか、店内でも空調の冷気の届き方が悪いとか、本当に逐一口に出す。ファルマンと過していると、この人はものすごく不満を隠さない人だな、ということをたびたび感じるのだけれど、そんなファルマンが霞むほどのレベルだ。一緒にいると、あれ? もしかして僕はすごく社会性のある、善良な人間なのでは? と思えてくる。
 食べ終えたあとは、実家に子どもたちを置いて、僕とファルマンだけで買い出しに出る。日用品と、百均と、食料品と、3軒回る必要があったので、子どもたちなしで買い回ることができてよかった。最後のスーパーで、アイスを買って帰り、実家の面々とおやつにした。こういう状況でアイスを買って帰る人間は尊い。
 帰宅後はやはりぐったりした。もう、本当に、必要最低限の用事をするだけで、そのあとはしばらく家で回復する時間が必要になるほどの熱射である。この暑さは一体いつまで続くのか。三女にお盆の予定を訊ねたら、「なにもない。まずいと思うが、なにも浮かばない」という答えが返ってきて、みんな一緒なのだなと思った。
 晩ごはんは、サーモンの刺身や、炒飯、フライドポテトに枝豆という、気の抜けた、ただもうビールのための夏の夕餉、という感じのメニュー。昼ごはんに中華でいろいろ食べたので、まあ今日はこんなもんでいいだろ、ということで。
 そんな週末だった。サーカスは本当に良かった。それ以外は、とにかく暑かった。以上。という感じ。

真夏のシンデレラ

 暑さがすごい。今年の暑さと来たら、すごいじゃないか。1週間のうちの日中の大部を過している職場は、日当たりこそ必要以上にいいものの、ありがたいことに冷房は適温で効いているため、暑さによる体力的なダメージは、わりと免れていると思う。それでも夕方には、これまでの時期とは較べ物にならないような疲労感がある。
 思えば7月というのは実は毎年そうで、体調が崩れないようタイトロープをそろそろと渡るような危なっかしさがあり、今年のように思いっきり足を踏み外し、落下するパターンもある。6月末に切れたプールの会員を、7月上旬に更新したのは本当に失敗だった。7月は、混んでいるし、日々の体力が持たないしで、実はろくにプールに行く気にならないのだ。去年、そのことはしっかり学習していたはずなのに、7月もまだ上旬というのは、逆にいちばん、「これから暑くなってプールが気持ちいい夏がやってくるぜ」というテンションになっているせいで、なんの思慮もなく間髪入れずに申し込んでしまった。
 プールに行く気が起らないくらいだから、日々の筋トレの意欲ももちろん減退している。蓋を開けてみれば、プールに足が向かないくらい、むしろ普段の月よりも披露する機会がないのだが、なんとなく筋トレというのは、露出が増える夏に向けて、それ以外の期間せっせと雪の下で筋力を蓄える、という図式ではないかと思う。それだのにこの半月ほどのサボりのせいで、6月下旬あたりだいぶ仕上がっていた僕の体は、ここへ来て少し迫力がなくなったように思う。夏というのは本当に過酷だな。
 あと先日の、一家を襲った体調不良なのだが、あれってもしかするとコロナだったんじゃないかという疑惑が、にわかに高まっている。あのプールと餃子の日のあとから、各人が体調を崩しはじめたわけだが、実は3女も同じタイミングで発熱し、あの週は仕事をだいぶ休んだという。しかしコロナの検査をしたところ陰性だったそうで、僕はそれを聞いて、ああよかったと安心したのだった。というのも、倦怠感や、ごはんの味が少しおかしく感じられるなどの症状があったため、当然(もしや……?)という恐怖を抱いていたのである。しかしタイミング的に同じウイルスにやられたのだろう3女が陰性だったということは、これはコロナではなく、たちの悪い夏風邪なのだな、と解釈することができた。ところがである。この数日後、すなわち次の週末あたりに、今度は実家の義両親がふたり揃ってダウンし、こちらはなんと陽性だったのである(今はもう回復した模様である)。これで話が分からなくなった。感染したにしては少し発症のタイミングがズレ過ぎている気もするのだが、ただの風邪にしては、我々の症状はだいぶヘビーだったような気がしないでもない。今となっては確かめようがないが、しかし僕もファルマンも、40代ってこんなに風邪がしんどいのか……、と今回ことさらに加齢を哀しく思ったのだけど、それがコロナであったとするならば、あのしんどさは加齢が原因ではないということになってくるので、そっちを採用しようと思っている。
 ちなみにコロナで心配される後遺症についてだが、幸いなことにちんこが小さくなった様子は見受けられない。もっとも少々小さくなったところでびくともしないとも言えるし、そもそもスケール感が規格外すぎて大小などという概念を超越しているとも言える。まあとりあえず言えることとしては、安心してください、ということだ。

もう梅雨が明けたと言っていいのではないか3連休

 3連休であった。
 きちんと堪能しなければ、という思いが先走り、強迫観念となり、焦燥するという、いつものパターンを踏襲しつつ、しかし実際そこまで「やらなければならないこと」を抱えているわけでもなかったので、基本的にのんびりと過した。そんな感じの3日間だった。
 びっくりするくらい対外的な予定のない両親に対し、子どもたちは地域のクラブ活動や部活など、わりといろいろあった。そのため大掛かりなお出掛けをする機運が高まらなかったというのもある。なによりひどく暑かったため、レジャーの予定なんてないくらいでちょうどよかった。生きているだけで精一杯だった。
 それでも初日、土曜日の午後に、4人で海へと繰り出した。多伎のきららビーチである。人がとんでもないことになっているかな、と思いきや、それなりに人はいたが、そこまでではなかった。きちんと泳ぐつもりはなかったが、レジャーシートやタオル、体を流すための水を詰めたペットボトルなどは念のため持って行っていて、格好も僕は、ズボンの下に、下着ではなく、筋トレをする際に穿く、トランクスよりもともすれば丈が短いような短パンを穿いて、足元を波に浸して遊ぶ、よりは少し本格的に、膝より上くらいまで海の中に入る感じでしばし子ども(言うまでもなくファルマンは靴を脱ぎさえしない)とともに戯れたのだけど、こんな半端なことをするくらいなら、下は水着にしてきて、自分だけでも急に泳ぎ出すということをすればよかったな、と少し後悔した。レジャー的に、海がプールに勝っている部分なんてあまりないよな、と思っていたけれど、いざ夏になり、脚で波を感じてみてれば、やっぱり海には海の良さがあるな、と思った。今度行ったときは本当に泳ごうと思う。
 

 ちなみに消しゴムマジックは使っていない。島根県的に、「それなりに人はいた」。
 晩ごはんは、手羽先のフライドチキンと、マカロニサラダ。そしてもちろんビール。海で陽を浴びたあとのそれは、格別だった。泳いでいたらもっとよかっただろう。
 翌日は、午前中に買い物。買い物から帰り、買ってきたものを冷蔵庫に詰め、昨日の晩ごはんの残りやおにぎりなどで昼ごはんにしたあと、アイスコーヒーでも飲もうと思い冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の照明が切れていた。なんか照明が切れているな、と思い、ファルマンにそのことを伝えたら、電源は入っているのかと訊ねてきたので、前面のタッチパネルを確認したところ、うんともすんとも言わないのだった。たった数十分前、買ってきたものを詰めていた際は異常を感じなかったので、この間に、静かに冷蔵庫は斃れたらしかった。当然ながら、困る。冬ならばまだしも、目下、気温35度の世界である。大慌てで業者に電話をしたり、実家に冷蔵品を避難させてもらいにいく連絡を入れた。
 この午後からは、ポルガと付き添いのファルマンは催し物に参加する予定があり、その間僕とピイガでプールに行く予定があった。そのためとりあえず冷蔵庫の、牛乳など、すぐに避難させなければならないものを抱え、実家へ行き、それを冷蔵庫に入れたあと、僕とピイガはプールへと向かった。ところがプールは超満員で、駐車場から車が溢れ、待つことさえ許されないという。島根県でもこんなことはあるのだ。仕方なく、涙をこぼして喚くピイガを、夕方にまた行くからと約束して宥め、しかし家でふたりで過すのもなかなか厳しいので、また実家に行くことにした。その際、さらに追加の冷蔵庫の物品と、本日の晩ごはんとして作るつもりだった餃子の材料も一緒に持ってゆく。プールが夕方にずれ込んだこともあり、このタイミングで実家で餃子を作ろうと算段したのである。すばらしい判断力。
 というわけで実家で餃子を作った。なんだか自分の実家のような言い分だ。のびのび利用させてもらっている。包む段になって、ファルマンとポルガが催し物を終えて、こちらにやってきた。そんなわけで包む作業には、ファルマンと義母も参加してきた。ファルマンは普段ならば参加しないのだが(僕が僕以外の人間の包んだ餃子を好まないため)、キッチンを使わせてもらった手前、もちろん実家の面々の分もありまっせ的なことを僕が伝えたことで(追加の材料を途中で買っていた)、義母が「包むのくらいは手伝わなければ」というモードになったので、ファルマンも流れでやらざるを得なくなったのだった。別に本当にひとりでやってもよかったのだけど。
 かくして90個の餃子を包み終え、いちど家に帰ることに。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、プールのあとにまた取りに来ることにした。そうして戻ったら、なんか冷蔵庫が稼働していた。なんじゃそら、と思ったが、どうも稼働はしつつも、一方で不調を知らせるマークは点灯しているので、やはり予断は許さなそうで、予定通り業者には見てもらわなければならないし、実家に持っていったものはまだ引き上げられない。
 そのあとすぐにプールへ。当初の予定が変更となったため、ポルガも参加することに。夕方になり、さすがに車が停められないということはなかった。しかしそれでも混んでいた。混み慣れしていない子どもたちはすっかりテンションを下げ、あまり愉しめなかった。まあ3連休のプールになんか行くもんじゃないな。今後、子どもたちは夏休みに入るわけで、平日の夜、気が向いたら子どもたちを誘ってやろうと思った。
 そのあと実家に寄り、餃子を回収する。実家の面々は既に焼いて食べていた。「すごくおいしい」と言うので、「僕の作る餃子は世界一おいしいんですよ」と伝えておいた。
 帰宅後、我々も餃子を焼いて晩ごはん。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、持って帰って焼けばいいだけの話だが、問題はビールだ、と悩ましく思っていたが、なんとか息を吹き返した冷蔵庫がきちんと冷やしておいてくれて、熱々の、世界一おいしい餃子と、よく冷えたビールという至福を味わう。冷蔵庫のせいで慌ただしい1日だったが、最後にいい感じにまとまった。
 3日目、最終日の今日は、ポルガは部活、さらにピイガに若干の風邪の症状が出たので、もとより家でのんびり過すつもりだったが、リビングで過すファルマンとピイガとは極力接触しないよう、ほぼ1日、部屋でひとりで過した。これほど優雅な休日があろうか。昨晩に放映された日曜劇場「VIVANT」の初回をTverで観ながら、裁縫や筋トレをする。「VIVANT」はなんかすごかった。やあすごかったなあ、と思いながらエンドロールを眺めていたら、撮影協力の所に島根県松江市とあったので少し驚いた。
 裁縫はもちろんショーツである。ショーツ、よくもそんなに作るものがあるものだという話だが、やっていると、こんな作り方はどうかとか、細くしたらどうか、逆に太くしたらどうかとか、わりと次から次へと試行する事柄が出てきて、いつまでもどこまでも愉しい。これが趣味というものなのだな、と思う。
 今日は本当にそんなことだけをした1日だった。なによりだ。
 というわけで3連休は、暑さにやられつつも、それなりに愉しく、おいしく暮せた。もうすぐ子どもたちは、3連休など霞むような壮大なスケールの休みに突入する。うらやましい気もするし、無職の古傷を刺激したばかりの身には、ぜんぜんうらやましくなかったりもする。せいぜい健やかに生きようと思う。ピイガの風邪がうつりませんように。

父の日週末

 先週がレジャーだったので、今週末はのんびりと過した。
 ちなみに先週のプール施設に、ピイガが水泳帽とゴーグルを忘れ、しかもその水泳帽は学校指定の、授業で用いるものだったので微妙に困った、という後日談が実はある。学校指定のそれは、微妙に手に入りづらく、かつ水泳帽にしては微妙に高価なものなのだけど、じゃあ取りに行くかと言われると、やはりあの施設は微妙に遠く、まつわる要素のすべてが微妙なこの事態は、僕の心を千々に乱した、というほどの破壊力は微妙になくて、やはり微妙に面倒なのだった。結局、プール授業は今週から始まったので、なんとかファルマンが売っているのを見つけたネットショップで注文し、間に合わせた。いつか機会があれば取りに行くかもしれないし、あるいは行かないかもしれない。微妙な情勢である。
 土曜日はファルマンが実家に、1日早い父の日のプレゼントを贈呈しに行っていた。贈ったのは、少し前から努力義務化された、自転車用ヘルメット。義父はたまに自転車を利用するらしいが、今日までヘルメットは所持していなかったとのことで、毎年どうしたって悩ましいプレゼントの品目に、時勢的にもピッタリなのだった。僕は現場にいなかったので、どういうリアクションだったのかは知らない。
 そのとき僕はひとり家でなにをしていたかと言えば、裁縫をしていた。今日に限った話ではない。今月ここまでブログの投稿件数がやけに少ないのは、かなり裁縫にかまけていたからだ。製作していたのは母の日の品目で、詳しくは完成品報告を後日「nw」にすることになるが、なんだかんだでだいぶ時間を取られた。でもまあ久しぶりにショーツ以外の衣類をきちんと作ったので、なかなか愉しかった。この週末でめでたく完成し、ようやく解放されたので、いまとても清々しい気持ちである。
 土曜日の晩ごはんは、お好み焼きにした。たいへん美味しかった。お好み焼きと言えば、ファルマンの下の妹は今週末、友達とUSJなどに行っているそうだ。島根からだと、特急やくもののち、新幹線である。ようやるな、と感心する。とてもいいことだと思う。ポルガも、ハリーポッターやマリオのこともあり、USJには色気があるらしい(ディズニーランドのことはそこまで言わない。時代だろうか)。しかし親が連れていく目は正直言ってあまりないと思う。ある程度大きくなってから、友達と行けばいいと思う。岡山くらいまでなら送ってやってもいい。
 日曜日は、午前中に図書館や買い物を済ませ、午後はやはりのんびりと過した。おやつの前に件のワンピースの目途がついたため、それ以降はステカのことをした。夏の到来に合わせ、今年も素材Tシャツを調達し、オリジナルTシャツ作りに半月ほど前から取り掛かっていたのだが、使うたびに数ヶ月の眠りから覚ます必要のあるステカは、はじめやはり不調で、なかなかうまい具合にいかず、何枚もシートを無駄にしていた。それが今日、腰を据えて作業にあたり、調整のコツのページなどを参考にして、なんとか復調させることに成功したのだった。というわけでTシャツを何枚か作る。自分の分も作った。こちらも近々「nw」に投稿しようと思う。
 というわけで、ワンピースとTシャツが仕上がったので、なかなか達成感のある週末だった。そんな健気な僕に夕方、ファルマンが主導したに違いなかったが、娘たち(というよりピイガ)から、ビールとビールグラスのプレゼントがあった。嬉しい。ちょうど晩ごはんは、自分で父たる自分を労わろうと、数日前から画策していた手巻きずしだったので、新しいビールグラスで美味しくビールを飲んだ。父の日だからという免罪符で、かなり豪華にネタを買い揃えた手巻きずしは、多幸感があった。たとえ、結局たらこマヨと玉子焼きとアボカドとかで巻いたやつがいっちゃん美味しい……、と感じたとしても、そうは言ってもやはり、豪華な刺身があるとテンションが上がるというものだ。
 結局、家族でそっちのほうばかり食べるので、刺身がかなり余った。多めに用意した酢飯も残ったので、これはもう晩酌は海鮮丼一択ですな。39歳の父の日を、幸せに過した。さあこの1ヶ月ほどの懸案事項だったワンピース作りが終わったので、明日からは「おもひでぶぉろろぉぉん」に本格的に戻ろう。目下、2006年、無職時代だ。人生って濃厚だな。

GW後半の後半

 大義のない今年のGWの、どうしてもしなければならないこととして、前にも書いた、流しの上と下の収納の整理のほかに、実はもうひとつ、裏テーマとも言えるものがあった。
 連続ドラマ「昼顔」のDVD鑑賞である。
 なぜ急に「昼顔」か。それはいまフジテレビで「あなたがしてくれなくても」という、「昼顔」と同じチームで作るドラマが放送されており、それに関連して「昼顔」の再放送が(関東地方では)なされ、そこから微妙に「昼顔」が、その界隈ではひそかに盛り上がりを見せたそうで、それに触発されたファルマンが、FODで冒頭の数話を観たあと、これはきちんと観なければならないとなって、先々週、レンタルビデオ店に走らされたのだった。なぜ主婦の不倫ドラマを妻が観るために、夫がレンタルビデオ店に連れて行かなければならないのかと思った。それで、ファルマンは残りの8話ほどを、それはもう3日くらいで観終えたのだけど、僕にも「おもしろいからぜひ観るべきだ」と薦めてきて、だからなんで主婦の不倫ドラマを、妻が夫に薦めるのか、という話なのだが、とりあえず最初の1話を観たところ、なるほどたしかにおもしろく、旧作で2週間レンタルにつきGWいっぱい借りていられるということだったので、GWで観ることにしたのだった。
 しかし内容が内容なので、子どもの前で観ることは憚られ、それだのにポルガは、連休をいいことに零時近くまで起きていたりするので、なかなか鑑賞がままならなかった。仕方なくリビングのテレビは諦め、ファルマンのパソコンで再生し、部屋でひっそり観た。部屋では筋トレや裁縫をしながら観られるので、逆に良かったような気もする。
 GW後半3日目、5月5日までに、7話までを観終えた。そしてこの日は、これもGWの特別行事の一環として、ポルガが実家にお泊りをするというので、夕方から我が家にはおらず、ピイガを21時半に寝かせたあとは、堂々とリビングで観ることができ、つい最近に怒涛の勢いで観たはずのファルマンもなぜか一緒に、残りの3話を一気に観たのだった。2014年なので、気付くのがあまりに遅いが、なるほどおもしろい作品だった。GWを利用してまとめて観ることができてよかった。
 4日目は、お泊りしたポルガと、泊りはしなかったピイガを連れて、義父母がランチや博物館などに行ってくれるというので、とても珍しく、ファルマンと夫婦ふたりで行動した。午前中は、ここまで先延ばししたが、いよいよ一念発起し、流し周りの収納の整理を行なった。あまりにも多い弁当箱、あまりにも多い水筒、あまりにも多いタッパーなどを処分することにし、今後なるべく使いやすくなるよう整備した。まあこんなものだろう、という程度には片付く。そして、それらだったり、他にもいろいろある、微妙に普段のゴミ回収では捨てづらいものを、持ち込みの処分場に持っていく、これは滅多にないチャンスなのではないかという話が急遽持ち上がる。というのも、処理場は平日と、土曜日の午前中にしか開いていないので、行けるとしたら土曜日しかなく、しかも子どもがいないだから、やはりここで行っておくべきだという結論になり、11時になんなんとするような時刻に、慌てて廃棄物を車に乗せ、処理場に向かった。処理場は、誰もが考えることは同じようで、ひどく混んでいた。今年のGWで、いちばん渋滞および行列に巻き込まれたのは、この処分場だった。子どもがいなくて本当によかったね、とふたりで頷き合った。
 ゴミを捨てたあとは、観終えた「昼顔」を返却し、昼ごはんを牛丼屋で済ませ、買い物をして帰った。子どもがいないと本当に身軽に事が済むのだった。
 おやつのあとに子どもたちは帰ってきて、そのあと僕は、今晩のメニューとして、ピザ作りに取り掛かる。ピザも実はGW中にしようと思っていたことのひとつで、トマトソースは1週間ほど前に既に作り、冷凍してあったのだった。パン焼き機で捏ねた生地を分けたら、7枚分になったので、2枚焼いたところで、子守りの礼として実家に持っていった。残りは自分たちで食べた。フライドチキンも揚げて、今年のGW、最後の自由な夜を堪能した。
 明けて今日は、いよいよ最終日である。最終日は、夜はもう明朝に向けて堅実な時間に寝なければならないので、実質的にもう休みが終わっているような印象がある。寂しいけどその分、連休の前日の火曜日から休みが始まっているような高揚感を抱いていたのだから、トントンと捉えるべきだろう。なるべく外出もしたくないので、家でのんびりと過す。子どもたちは宿題を片付け、ゲームをしていた。3時のおやつのあと、僕とファルマンも少しだけ桃鉄をやる。桃鉄は、GWでドバっと進むかと思っていたが、そんなこともなかった。どうしても2年もやると目も頭も疲れてくるので、時間があってもそれ以上続ける気にはならないのだった。ゲームなんて昔はいくらでもできたのになあ。
 夕方、缶やペットボトルを捨てに行ってくると告げて、ひとりプールに行く。もちろんファルマンには事前にその旨は伝えておいた。休日にひとりでプールに行こうとするとピイガがうるさいので、こうしてさりげなく行くほかない。ピイガは微妙に風邪気味なのだった。GWでプールに行ったのは、意外にもこの1回のみだった。おろち湯ったり館も行かず終いだったな。まあ混んでいただろうしな。
 そのあと、晩ごはんを食べ、今に至る。明日からは平日。曜日の感覚がすっかり薄れ、今晩「まつもtoなかい」があるということにびっくりする(特に観るつもりはないが)。先週の香取慎吾のそれが、まだ1週間前でしかないのか。なんかもっとずっと前の出来事のような気がする。ということは、GWをたっぷりと優雅に堪能したということかもしれない。ならばよかった。したいと思っていたことはとりあえずできたし、悪くないGWだったと思う。

年度末と、はじまり

 山陰も桜が満開である。この週末に花見をしない手はないということで、実家の面々も誘い、土曜日に木次に行くことにした。ちなみに春休みに入り、実家には次女とその娘たち(下の子は間もなく1歳となる)も帰省してきているのだった。
 しかし木次に行くにあたり、ひとつ問題があった。木次に行ったら、僕はおろち湯ったり館に行きたくてしょうがなくなる、という問題である。去年の11月、2階露天が冬季閉鎖する直前に行き、そして3月中旬に再開した湯ったり館に、行きたい欲は俄然高まっていた。湯ったり館はいつだっていいけれど、春はまた格別なのである。しかし職場とおろち湯ったり館は、ほぼ自宅を挟んで正反対のような位置にあるため、夕方まで仕事をしたあと、さすがに行く気にならない。ならば週末に、ということになるわけだが、こうして自ら実家を巻き込んでの花見を計画してしまったものだから、その機会も奪ってしまった。春のおろち湯ったり館に行きたい気持ちと、親類で花見をしたい気持ちは、僕の中のそれぞれ違う部門で、それぞれの最優先事項として立案されたものなので、これは仕方ないことだった。
 ならばなんとかして、親類で花見に行きながら、僕だけがおろち湯ったり館に行くという方法はないものか、必死に探った。しかしどう考えても、車は義父と、僕のフリードという2台で行かねばならず、僕だけが途中でドロンすることはどう考えても不可能だった。木次に行きながらおろち湯ったり館には行けないという事態を前に、僕の心は千々に乱れた。最終的に、花見を終えて、家族らを実家まで送り届けたあと、僕だけがおろち湯ったり館のためだけに木次にとんぼ返りする、という方法しかないだろうと結論付けた。
 そんな折、急転直下の出来事が起る。仕事が、もろもろの事情により、金曜日は半日で終わることになったのである。なんたる僥倖。願いが強いとこんな奇蹟が起るのか、と思った。
 もちろん移動距離が変わるわけではないが、夕方からやるのと、昼からやるのでは、ぜんぜん気持ちが違う。意気揚々と長いドライブをして、4ヶ月ぶりのおろち湯ったり館へとたどり着いた。週末に行くつもりが、平日の午後になったのだから、混雑度的にも万々歳である。もとより労働に費やされるための時間だったと考えれば、せせこましく時間を惜しむ気持ちも湧かず、じっくりと、それはもうじっくりと湯ったり館を堪能した。
 まずプールで泳ぎ、それからサウナ。サウナでは1回目の外気浴で早くも、いわゆる「ととのう」状態になったので驚いた。湯ったり館との相性があまりに良すぎる。あとこれまでのベンチでも十分に満ち足りていたのに、このたびそのベンチに改良がなされていて、座面の半分が背もたれのように稼働するようになっており、これもよかった。湯ったり館はまだ高みを目指すのか、と慄いた。それでも2回目の外気浴では、これまでのフラットなベンチに横たわった。青空以外、視覚的にも聴覚的にもほとんどなにもない空間で、素っ裸で横になっていると、サウナ後の軽い朦朧もあり、日常では決して味わうことのない境地へと至ることができる。たまらなかった。さらに今回は、そのあとで2度目のプールという、新しい展開も試してみた。これもかなりよかった。サウナ後のスッキリ感を伴いながらの水泳は、また別種の快感があった。そして再びサウナへ舞い戻り、骨の髄まで堪能した。
 これで翌日の親類との花見で、おろち湯ったり館に行きたくて終始そわそわする、という事態を避けることに成功した。大成功であった。花見は、本当に見頃の桜を、抜群の気候の中、思ったような食べ物を調達し、ノンアルコールビールを飲んで、朗らかに行なうことができたので、とてもよかった。花見はいいな。春に、桜を、大事な人たちと、愉しむことができるという、そのことにしみじみとした幸福を感じる。
 とてもいい、年度末と、始まりであった。

春近週末

 天候に恵まれた週末だった。
 陽がよく出て、それなりに暖かい。とは言え外遊びができるほどではさすがにない。思案の結果、家からはそこそこ離れた位置にある、一畑薬師という寺に行くことにした。なぜそこかと言えば、ここは別名「目の薬師」ということで、眼病関係にご利益がある(とされる)寺だからである。実は先週あたり、ファルマンが眼科に掛かっていた。そこまで大したことではなかったのだが、ファルマンのことなので、症状や、もらった薬について、さんざん語られたのだった。騒ぎ立てられた、と言ってもいい。それは本当にそう大した病状ではなく、もらった薬をやっとけばそのうち治らあな、というものなのだが、自分の中の、ちょっとした遠出なんかしたい心持ちと、妻の眼病を心配して目の薬師に連れていってやる、という外聞きの良さなどを勘案し、じゃあ一畑薬師に行こうじゃないか、と計画したのだった。素晴らしいプランニングであると言える。
 一畑薬師は地図上では山の上にあり、これまで山の上に位置する神社仏閣や公園などに行こうとして、何度か大変な思いをしてきたので、だいぶ警戒する気持ちがあったのだが、ストリートビューを見るとそこまでではなさそうだった。実際、本当に寺のすぐ近くまでは道にセンターラインもあり、また擦れ違う車もなかったので、平穏にたどり着けた。
 高い場所にある宗教施設というものは、やっぱり独特の清廉な空気感があった。隣にコンビニとかがある環境とは、それは違って当然だろう。ただし周囲にそういった商業施設がない代わりというわけでもないだろうが、寺はそれなりに商魂が逞しい感じがあった。賽銭はペイペイに対応し、これだけ払えばこれが提供されます的な特典も境内のあちこちに案内されていた。
 寺の名物のひとつとして、千段を超えるという階段があり、車でずいぶん登ってきたのに、ここからそんな階段がさらにあるのかと思いきや、さすがにそんなことはなく、階段は徒歩で本堂に行こうとしたら登る必要があるものらしかった。こちらとしてはそれをするつもりで来ていたので、階段の下に駐車場があればそこに停めたのだが、ナビや道路標識に従って車を走らせれば、山の上に着いてしまう仕組みのようだった。仕方なく、お参りを済ませたのち、わざわざ無駄に降り、そして登るということをした。階段の最後のほうは、あまりにも住宅街の感じになり、気まずかったので、本当に最後(最初)までは行けていないが、それでもかなりの距離、かなりの段数を降り、そして降りた以上は、なにしろ車は上に停めているわけで、登る必要があり、登った。


 鳥取砂丘と同じで、子どもたちはすいすいと先へ進んだが、親はそういうわけにはいかず、ファルマンは「目が、良くなる、代わりに、膝が、死ぬ」と息も絶え絶えに唱えていた。来週は膝にご利益のある施設に行く必要があるかもしれない。
 境内に戻ったあとは、ポルガの御朱印帳に記帳をしてもらったり、せっかくなのでと実家へのおみやげを買ったりした。この際、出雲市のプレミアム入浴券がもらえて、テンションがぶち上がる。企画の存在は知っていて、市内の入浴施設の利用料が500円引きになるというこの券が、欲しいなあと思いつつ、道の駅やそば店、レンタカーなどを利用するともらえるということで、そんなところになかなか行かないもんなあと諦めかけていたところへ、まったく予期していなかった買い物での進呈だったので、本当に嬉しかった。思わずレジ担当の、社務所の職員さんに向かって、「僕はこれがとても欲しかったのでとても嬉しいです」と伝えてしまった。「あ、はあ、そうですか」と少し戸惑われた。
 そのあと実家に立ち寄り、おみやげを渡す。なにぶん眼科に掛かった妻を案じて一畑薬師に行った、という外聞きの良さが、行くにあたっての大きなモチベーションになっているので、こうして実家にわざわざアピールするのは必須である。さらにはそのおかげでプレミアム入浴券が手に入ったのだから、さすがは仏教、因果応報と言うか、効果覿面である。
 帰宅して、夜はプレミアム入浴券をどこで使うかを思案した。おろち湯ったり館は雲南市なので使えない。ならば「ゆらり」がお気に入りだが、今日の一畑薬師が「ゆらり」のもう少し先くらいの場所で、2日連続そこまでの遠出をするのもさすがに億劫だ(ひとりだったら確実に帰りに立ち寄っていた)。うーむ、とせせこましく平和な思案に暮れた。
 明けて今日、午前中にひとりで、出雲市駅すぐの「らんぷの湯」へと繰り出す。プレミアム入浴券は、有効期限が3月末までと言いつつ、利用可能施設全体で利用者が1万人に達した時点でキャンペーン終了、そしてホームページを見たら現時点で6000人を突破ということだったので、うかうかしてたら無駄になってしまうと危機感を抱き、早々に使うことにしたのだった。「らんぷの湯」は、行きやすい場所にありながら、これまでいちども行ったことがなかった。駅前にあるので、あまり伸び伸びした作りの施設ではどうせないだろう、島根でわざわざそんな入浴施設に行かんでもいいだろう、と敬遠していた。でもそんな期待できない施設だからこそ、こういう券を利用でもしないといつまでも行かないだろうと考え、この選択となった。行った結果、印象はどうだったかと言うと、まあ想像通りだった。500円引きであれば文句を言う筋合いでもないな、という感じ。でもだからこそ、本当にいい券の利用法だったと思う。
 帰宅したら、ファルマンとピイガが作っていたチョコクッキーが、黒焦げになり、ピイガがキレていた。ファルマンは「別にこれでいいじゃん」と、適当に選り分け、僕の分を皿に、義父の分をタッパーに入れて、この件を終わらせようとしていたが、ピイガはどうしても納得がいかないらしく、午後になって改めて材料などを買いに出ることになった。そもそも、僕の分はまだいいが、義父に贈るのがタッパーというのはさすがにひどいのではないかと思う。タッパーに入った黒焦げのチョコクッキー。それで済まそうとする娘。人の心がないのだろうか。というわけで、100円ショップでギフトボックスや焼き型を、スーパーで板チョコやココアパウダーなどを買い、帰宅後に今度はガトーショコラを作っていた。こちらはなんとか形になり、やれやれとなった。ちなみに人の心がないと言えば、ポルガはこの間、見事なまでにノータッチである。それでいて、食べるほうにはしっかり参加した。直径12センチほどの型で作ったガトーショコラ、半分は僕で、半分は義父に行くわけだが、僕のそれは4等分され4人で食べたので、僕がもらったのはガトーショコラ3口分くらいのものだ。うん、まあ、そういうものだよな。別にいいんだけどさ。
 晩ごはんは、土曜日がチャーシューメンと餃子、日曜日がチキンステーキとポテトとブロッコリーのミートソースグラタン。どちらもおいしくできた。まあまあ暖かく、なにより天気が良かったため、いい気分で過せた週末だった。春は近い。

焼肉の夜

 義父母が、1月に揃って誕生日を迎える孫ら、すなわちポルガとピイガを祝う名目で、焼肉に連れて行ってくれる。なぜ急に外食かと言えば、島根県の飲食店で使えるクーポン券の使用期限が1月末日までという事情があったようだ。どちらにせよありがたい話である。
 はじめファルマンから、「誕生日のお祝いで焼肉に連れてってくれるって」と伝えられた際、僕は本当にナチュラルに、「よかったじゃん。たくさんご馳走してもらいなね」と反応をしたのだけど、「違うよ、あんたも一緒にだよ」と言われ、「えっ……」となった。焼肉屋に、行くの? 俺が? と、すんなりとは受け入れられなかった。焼肉屋という空間に身を置くことに、どうも抵抗感があるのだった。そもそも肉肉とした肉がそこまで好きではない(脂の多い肉を食べるとお腹を壊しがち)というのと、あとなにより、「肉ー!」とか、「焼肉ー!」みたいな感じでテンションを上げる輩が嫌いなので、そういう人々が集う場所にあまり身を置きたくないのだった。
 そんなわけでファルマンに、できれば俺は除外してくれればいいと思うし、あるいは焼き肉屋以外のお店という選択肢はないだろうか、みたいなことを提案する。したところ、ものすごく面倒くさそうな顔をされた。それはそうだと思う。親と夫に挟まれ、面倒な立場だ。本当に申し訳ないと思う。それでファルマンが親と少しやり取りした結果、前者の要望は却下されたが、お店に関してはなんならそっちで選んでくれても構わない、みたいなことを言われる。それでクーポン券が使用できる店一覧のページを眺めたのだが、どうもしっくり来ない。結局のところ、僕は外食があまり好きではないのだと思った。奢ってもらえるなら、スシローか、かつやの、テイクアウトがいい。いや、かつやなんてもう何年も食べてない。もう重くて食べられないかもしれない。ほら、こんな奴を会食に招待するなよ。しようとするから話が面倒になる。僕は辞退しようとしたのだ。その日はひとり家でラ王のとんこつ醤油ラーメンとビールでいい。それがなによりいい。それが許されなかったからこんなことになった。
 それで結局、焼き肉屋になった。とてもとても久しぶりの焼き肉屋だった。練馬でファルマンとふたりで牛角に行って以来じゃないか、すなわち前の卯年以来くらいなんじゃないかと思ったが、よく考えたら第一次島根移住の際、やはり義両親に連れられて、1歳か2歳かというポルガと5人で、焼き肉屋に行ったことがあった(日記を探したが記録していないようだった)。ぜんぜん覚えていない。なにしろそれだって10年だ。それにしても義両親はよく焼肉屋に行くことだ。昨秋、三女の誕生日祝いでも行っていた。あの世代の陽キャって本当によく焼き肉屋に行く。次女の夫の親もよく行くそうだ。モーレツだとしみじみと思う。
 それで久々の焼き肉屋はどうだったかと言うと、やっぱりまあ、良さがよく分からないものだな、という感想を抱いた。皿にちまちまと乗ってやってくる肉片を、ちまちまと焼き、その焼き加減も、いいのだか悪いのだかさっぱり分からず、火は熱く、うるさく、焼いた肉を味の濃いたれにつけて口に入れ、白米を食べるのは、それはもちろん美味しいのだけど、でもその美味しさは、わざわざこんなことをしなくても容易に手に入るものだろう、という気がした。どうにもこうにも、向いていないのだと思った。
 祝われる対象である子どもたちは、ポルガが幼少期のそれ以来、ピイガに至っては初めての焼き肉屋で、終始きょとんとしていた。肉を焼き、白米を食べ、そして味のまぶされたキャベツを食んでいた。キャベツをやけに食んでいたのがおもしろかった。なんかよく分からない外食体験となったことだろう。
 義両親は相変わらずだった。義父は「最初はタン塩」という、ルールなのかマナーなのかさっぱり分からないそれを遵守しようとし、義理の息子はそういう儀式めいたことを頑なに受け入れず、義母はそんな義理の息子にあきれた様子を見せながら、タン塩を思いきりたれにつけて義父に窘められていた。いつも通りだった。
 そんな焼き肉の夜だった。