血とスピード


 文化の日の3連休を利用して、兵庫で暮すファルマンの上の妹一家が、下の子の七五三のためにやってきていた。中日の日曜日に、写真館での撮影と、そのあと出雲大社で祈祷というスケジュールとのことだったので、タイミングを合わせて一家で出雲大社へと繰り出した。もちろん祈祷に参加するわけではなく、境内で3歳児の着物姿を、親戚として愛でるだけのことである。
 ちなみに出雲大社は目下、出雲地方が最も出雲地方らしさを発揮する月間、すなわち神在月であり、何年か前にこの時期の出雲大社に近付こうとして、だいぶまだ遠い段階での車の詰まり具合に、ほうほうの体で引き返したことがあったので、果たしてどうなんだろうと不安だったが、もう夕方といってもいい時間帯だったこともあってか、そこまでのことにはならず、それでもさすがに直前では駐車場に入るための渋滞に巻き込まれたが、なんとか停めることができ、無事に一同と落ち合うことができた。一同とは、下の妹一家、ファルマンの両親、そして妹の夫の両親という面々である。
 本日の主役である義理の姪は、写真館からここまでの移動中に昼寝をしたとのことで、ぐずることもなく、かわいらしかった。
 着ている着物は、うちのふたりの娘はもちろんのこと、なんとファルマン三姉妹の時代からずっと受け継がれているもので、つまり今回で実に7人目ということになるのだった。最初がどういう状況での購入だったのか、もはや太古の昔の話なので遡りようがないが、それにしたって7人も着れば十分に元は取れたに違いないと思う。
 せっかくなので出雲大社の境内で写真を撮ろうということになり、だとすればそれは当然、この場にいる人間の中で、唯一今日の主役と血の繋がりのない僕が、ひたすらカメラマンに徹して血族の姿を撮影するべきだろうと思っていたのだが、義父が仕切りたがったり、向こうの母親が「修正が利かないので私は入りたくない」などとのたまって写りたがらなかったりして、あまりスムーズにいかなかった。結果、義理の伯父が入っている一方で、母方の祖父と父方の祖母がいない、みたいな謎のメンバー構成の写真も生まれた。そんなもん、どうせ撮ったってハードディスクの肥やしになるだけだろ、と思った。
 このあと一同はお祝いの会食ということで、別れた。わが家は本当に、この日の七五三スケジュールの、出雲大社の場面にちょっと顔を出しただけなのだった。まあ、まったく関与しないのも微妙に変な気もするので、ちょうどいい絡みだったんじゃないかと思う。
 それにしても間がまあまあ空いて誕生した義理の姪は、見るたびにその幼さに驚かされる。ふだん自分の娘たちしか見ないので、特にピイガなんかは、どうしても「幼いもの」のカテゴリに入れがちなのだけど、3歳児を目の当たりにすると、その親としての一種のモラトリアムにも似た意識が、完膚なきまでに粉砕されるのだった。そうだ、うちの娘たちは、来年それぞれ高校生と中学生なのだ。それはもちろんいろんな部分で、まだまだ幼い生きものなのだけど、でも絶対的な幼さを目にすると、やっぱり明確に違う。なにが違うって、要するにフェーズが違う。いつの間にか自分は次のフェーズに進んでいたのだな、ということに気付かされる。今生、僕が再び血族の幼児を愛でることがあるとすれば、それは孫の代ということになる。びっくりする。人生って想像以上にスピーディーだ。おもひでぶぉろろぉぉんでは、17年前の、25歳当時の日記を読んでいるのだ。17年後、ポルガは31歳である。そうなのか。人生って、こんなスピード感なのか。