ラベル サウナ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル サウナ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年夏の自家用車横浜帰省 5日目


 前にも書いたが、実家の布団は硬い。どういう作用によるものか、年々硬くなっているような気がする。3日目ともなると、今晩もあの布団で寝るのかと思うだけで憂鬱になる。それくらい硬い。しかし1年で3日しか寝ない身分でマットレスを所望することもできず、耐え忍ぶしかないとあきらめていた。だが今回、これはさすがに体への負担が大きすぎるとなって、次に帰省する際は、車に自前のマットレスを積んでこようと決心した。子どもたちはさすがなもので平気らしいので、僕とファルマンのふたり分でいい。たぶんキャンプ用品とかで、コンパクトに収納できるいい感じのものが世の中にはあるはずだと検索したら、安い値段でいくらでも出てきた。安くていい。そこまでのクオリティなど求めない。現状の、畳に硬い布団だけのつらさに較べたら、どんなものでもあるだけマシだろうと思う。次は忘れず、必ず。
 この日は実家を立つ日で、しかし例のごとくホテルまで移動するだけなので、急がない。午前中はのんびり過し、早めの昼ごはんをお腹に入れて出発という算段だった。この午前に、僕はプールに行くことにした。横浜でプールに行くチャンスがあるかもしれないと思い、用品は車に載せてきていたのだ。子どもの頃によく行った北部(都筑)プール、中学生の頃よく行った中川(山崎公園)プール、そして横浜国際プールと、行きたいプールはいくつかあったが、実は高校時代から住むいまの実家からいちばん近いプールは、住所は川崎市となるヨネッティー王禅寺というプールであると母に教えられ、じゃあそこに行ってみるか、ということで行った。もちろんひとりである。この世でいちばん狭い駐車場なんじゃないかと思うくらい狭い駐車スペースにヒヤヒヤしながら車を停め、たどり着いたプールは、採光はまあまあ良かったが、水深が浅く、うーん、という感じだった。あとシャワー室や更衣室がだいぶ粗雑な印象で、なんだか遠い島根のホームプールのことが恋しくなった。
 プールの帰りに給油を済ませ、出発する。結局、昨日おとといとがっつり外出したので、なんだかあっという間の帰省だった。本日の目的地はどこかと言うと、これがなんとキャッスルイン豊川なのである。さすがにはじめからそうするつもりではなかったのだが、実は今年もポルガの部活に振り回され、1ヶ月ほど前に帰省の日程が1日後ろ倒しになったことで、帰りに泊まるはずだった三重県のホテルはキャンセルし、行きも帰りもキャッスルイン豊川ということになったのだった。好きすぎるだろ、キャッスルイン豊川。
 この日は途中まで新東名を走ったのだが、御殿場を過ぎたあたりで、たぶんあれは富士山の中腹なのだろう、という姿を目にした。上半分は雲が掛かっていたが、いちおうは見えた。あと2025年に新東名を走る以上、どうしたって参らないわけにはいかないスポット、浜松サービスエリアにももちろん立ち寄った。もっとも本来は上り方面でなければならないのだが、そこはしょうがない。広末涼子は奈良県での撮影のあと、ここで同乗男性と運転を交代し、そして掛川PA付近で事故を起したのだ。そしてこの浜松サービスエリアでは、通行人に「広末でーす」と大声で名乗るなどの奇行が目撃されていたという。この一件が報じられて以来、今年も帰省をするなら絶対に浜松サービスエリアに行かなければいけない、行ったら俺も「広末でーす」と叫ぼう、もしかしたら当地には「広末でーす」を記念した撮影スポットができているかもしれない、などと考えていた。残念ながらそんなものはなかったが(上りにはあるのかもしれない)、ああ自分はいまあの現場にいるのだと感激し、聖地巡礼をするファンの心理が初めて解った気がした。ちなみにだが、広末涼子はあの日、車の運転で140キロを出していたと言われるけれど、このあたりの道は制限速度が120キロだったりするので、140キロというのもそこまで素っ頓狂な数字ではない、ということをここに記しておく。これで世間の広末涼子に対する印象が少しでも改善されればそれ以上の望みはない。
 テレビっ子としての欲求も無事に満たし、4日ぶり3度目のキャッスルイン豊川へ。数日前に泊まったホテルにまた泊まるという経験は初めてで、なんだか不思議な感覚だった。この日も思う存分、漫画やサウナを堪能する。前回の月曜日(11日)がけっこう混雑していたので、金曜日なんてもっと混んでいるだろうと思いきや、この日はそれほどでもなかった。前回のサウナでは、テレビで「ラーゲリより愛を込めて」をやっていて微妙な気持ちになったが、この日の金曜ロードショーでは「火垂るの墓」をやっていたはずで、避けていたわけではなく、ちょうどその時間帯にはサウナに入らなかったのだが、さすがにチャンネルがそこに回されてはなかったろうな、などと思った。
 3日実家の布団で寝たあとのキャッスルイン豊川のベッドは、まるでベッドのようだと思った。雲のよう、などと大袈裟なことを言うつもりはない。ベッドがベッドだった。それでいいのだ。実家の布団は、なんかもう布団としての要件を満たしていないように思う。実家の布団への恨み節がしつこい。でも本当に実家の印象がそれだけになるくらいのインパクトだったんだもの。

2025年夏の自家用車横浜帰省 2日目


 旅程2日目は、ただ豊川から横浜に移動するだけ、かと思いきや実はそうではない。そうではないのだが、かと言ってそこまで急ぐ必要もないため、本当に10時のチェックアウトギリギリくらいまで、のんびりと居座った。朝サウナも少しやり、すっきりした。
 車に乗り込んで移動を始めたら、すぐに静岡県である。そして静岡となると、どうしたって富士山への期待が高まるのだが、この日も曇天は続いていて、望みは持てそうもなかった。ちなみにルートは新東名ではなくあえての東名で、それはなぜかと言えば、清水ICで降りるからなのであった。そしてその目的は、エスパルスドリームプラザという複合商業施設内にある、ちびまる子ちゃんランドである。ピイガのさくらももこへの傾倒は未だ続いており、GWの米子の展覧会に続き、とうとう本場の清水にある正統なるミュージアムへも参ったという次第である。清水がほぼ通り道であったため、このようなことが可能となった。これぞ自家用車移動の醍醐味というものだろう。
 豊川にはもうだいぶ愛着が湧いているが、清水という街は今回が完全に初めてで、去年の津のような新鮮さがあった。エスパルスドリームプラザは、埋め立て地なのだろう、海のすぐそばにあった。清水エスパルスというサッカーチームは昔から知っているが、そうか、その本拠地にはこういう地域活動があるのだな、などと感慨深い気持ちになったりした。いろんな土地に行くのって、もしかしたらとても愉しいのかもしれない。
 施設は要するにショッピングモールで、その3階に目的のちびまる子ちゃんランドはあった。グッズショップの奥に有料のミュージアムがあって、まずそこに入った。しかし入る前から若干の嫌な予感はあったのだが、これは入らなくてよかった。せっかくはるばる清水に来た以上、入らない選択肢はなかったのだが、結果論として、入らなくてよかった。4人で4000円以上した。これはだいぶもったいなかった。その分グッズを買えばよかった。グッズショップはさすがの品揃えで、ピイガは、ちびまる子ちゃんのアニメも観るけれど、趣味としてはだいぶコジコジに寄っているので、名称の通りちびまる子ちゃんばっかりだったらちょっと困るなあと思っていたら、もはやちびまる子ちゃんよりもコジコジのほうがスペースが広いんじゃないかというくらいに置いてあった。どうもコジコジは今後、ムーミン的なことになっていくようだぞ、という気配というか熱意のようなものが垣間見えた気がした。ただしピイガはここで大喜びでコジコジグッズを選んだかと言えばそんなことはなく、今回の旅行ではっきりしたのだが、ピイガはいわゆる同担拒否のスタンスの人であるらしく、大賑わいのちびまる子ちゃんランドでイライラを募らせ、どんどん不機嫌になっていったのだった。わかるよ、その気持ち、わかるけど、しかしお前のために清水に立ち寄ったっていうのに、とも大いに思った。結局頭に血を上らせながら、何点か忸怩たる感じで買っていた。どないやねん。
 そのあと併設されている簡易遊園地みたいな所で、子どもだけジェットコースターと観覧車に乗った。ちなみにこの前日、三重県の長島スパーランドの横を通って、とんでもないジェットコースターを目にしていた。長島スパーランド、それこそ通り道なので、プールも含めて気にはなるのだが、間違いなくとんでもない混雑だろうと思うと、なかなか実際に行くハードルは高い。そもそも両親とも絶叫系に乗れないので、なおさら意欲が湧かない。まあ簡易なものでもやらせてやれてよかった。
 そんな感じで清水を後にし、いよいよ横浜へと向かう。ここまで渋滞はほぼなかったと言ってよかったが、いつものパターンで、綾瀬のあたりで捕まった。いつも神奈川県だけが足を引っ張る。そして青葉ICで降りたあとは、やはり街のギュウギュウ加減と、そして坂道加減に閉口した。坂道が多いということを、住んでいるときはそこまで意識していなかったが、本当に多い。出雲平野で育つ娘たちは、目まぐるしく上ったり下ったりする道に、車酔いしていた。なんてか弱く愛しい生きものだろう。
 そしてようやく実家へとたどり着いた。実家には母と祖母と、いとこたちが既にいた。やがて姉とその夫、そして叔父も現れた。去年も同じことを書いたが、全員が全員、それぞれらしい発言をしていて、不変だった。もしかしたら僕は、実家に不変を実感しに行っているのかもしれないと思った。

2025年夏の自家用車横浜帰省 1日目


 今年も決行した自家用車での横浜帰省から、無事に戻ってきた。今年は2回目だし、去年と違って南海トラフ地震注意が出ているわけでもなかったので、そのぶん余裕があったと思う。さらに言えば、伊勢神宮に行くはずが急に午後からの出発を余儀なくされて計画を見直す、などということもなかった。こうして考えると去年はなかなかハードモードだったのだな。
 出発は去年と同じ8月11日。そして同じく5泊6日の旅程なので、日付的には去年と丸々同じだということになる。初日はひたすら泊まるホテルに向かうだけなので、出発時間はいつでもよかったのだが、なにぶん泊まるホテルと言ったらあの、1年前わが家を骨抜きにし、2024年のパピロウヌーボの会場にまでなったキャッスルイン豊川なのであるからして、過す時間をなるべく長くするため、朝の8時半に家を出たのだった。
 今年のお盆シーズンの前半は大気が不安定で、この日も山陰から近畿、東海に至るまで、ずっと曇り時々雨という感じで、ピーカンよりはいいのかなあと思いつつ、雨が激しくなる場面も間々あって、そのときは大変だった。しかし渋滞らしい渋滞はなく、計画通りに15時半くらいには豊川の街にたどり着くことができた。ホテルに入る前に、酒など、こまごましたものを買うため、スーパーに立ち寄る。行ったのはサンヨネという地元密着型のスーパーで、豊橋ナンバーしか停まっていない駐車場に車を停めて、ぜんぜん馴染みのない土地の地元民に混じって買い物をしたら、なんだか人生の厚みが増したような、じんわりとした多幸感があった。
 1年ぶりのキャッスルイン豊川は、相変わらずの心地よさで、これから明日の10時まで、ここで気のすむまでのんべんだらりと過せるのだと思うと、これこそが帰省の主目的なのではないか、とさえ思った。ちなみに同施設には映画館も併設されているのだが、ここでポルガが急に、「ああ、ちょうどいいや、ここで『鬼滅の刃』観るわ。観に行く暇がないと思ってたからよかった」と言い出し、早めに晩ごはんを済ませて、ポルガだけ夜の回を観賞するという流れになった。旅先で映画を観るなんて、ずいぶん上級旅行者みたいなことをする奴だな、と思った。晩ごはんは去年と同じく、施設内のレストランで食べた。去年は南海トラフを警戒して自重したホテルでのアルコールを、今年は気兼ねなく取ることにしたので、ウェルカムドリンクのサービスで生ビールを頼んだ。キャッスルイン豊川で、生ビール飲みはじめたら、そんなのもういよいよ最強じゃん、と思った。
 いい気分になって、映画を観に行くポルガと別れたあとは、もちろんコロナの湯へと向かう。宿泊者以外も利用できる温浴サウナ施設であり、去年も書いたが、ホテル宿泊者はその一般客が入浴料とかを払うゾーンの内側にエレベータで直行できるというシステムが、優越感をかき立て、満足感をいや高めるのだった。施設内はわりと混んでいた。ちょうど帰省で若者が帰ってきているということなのかもしれないが、平均年齢が低く、島根のサウナとの違いを感じた。もしかしてだけど、島根ってやっぱり超高齢化なのか。あとここのサウナで、僕は初めてアウフグースというものを体験した。狙っていたわけではないが、入っていたらちょうど始まったのだ。しかもそのとき、このサウナの目玉であるらしい「玉座」という席にいたので、なんだかとても気分がよかった。ちなみにこのときサウナ室内のテレビでやっていたのは、映画「ラーゲリより愛を込めて」で、そこはちょっと複雑な気持ちにさせられた。サウナを堪能したあとは、岩盤浴コーナーで漫画を読み、部屋に戻ってまた少しビールを飲んだりして、思う存分キャッスルイン豊川を堪能したのだった。

GW2025の記録

  GWの4日間を、まあまあ満足のいく出来で終えようとしている。その記録をしてゆく。
 初日、5月3日は、このGWで唯一と言っていい、予定していた計画として、米子へと繰り出す。米子市美術館で開催中の、さくらももこ展が目当てである。わが家では現在、主にピイガが、「ちびまる子ちゃん」から入り、「コジコジ」にドハマりして、さくらももこワールドにどっぷりと浸っているのだった。また米子というのが、普段よりちょっとだけ大掛かりなGWの外出先として、非常に適当な位置関係であり、実に都合がよかった。しかも、次女一家の長女(ピイガと1学年違い)も同じく「ちびまる子ちゃん」が好きなので、それではこの日に、兵庫からまたこちらに帰省してくる次女一家と、あちらとしては通り道である米子で落ち合って一緒に観賞しようという、見事な計画を春休みの際に立てていたのだった。
 というわけで、昼まで部活だったポルガを学校で拾い、昼過ぎから米子に向けて出発する。ちなみに計画を話したところ三女も行くということになり、同乗していた。さくらももこはすごい。女子は35年前くらいからずっとさくらももこが好きだな。車内音楽は、この日専用のプレイリストを作り、子どもやファルマンがめいめい好きな曲を入れる中、僕だけは律儀に、アニメ「ちびまる子ちゃん」の歴代主題歌などを入れていたのだが、残念ながら行きではほとんど掛からなかった。ちなみに「ちびまる子ちゃん」だけでは、ひとりの持ち数である10曲に達しなかったため、「ドラゴンボール」の主題歌も入れた。これはなぜかと言えば、同じく米子にある天満屋というデパートで、ちょうどドラゴンボールのポップアップストアが開催されていたからだ。僕が熱烈な「ドラゴンボール」ファンであれば、女どもがさくらももこ展に行っている間、俺は「ドラゴンボール」のほうへ、という、まるで30年前の男子と女子のような図式になっておもしろかったろう。もちろん天満屋へは行かなかったし、さらに言えば「ドラゴンボール」の曲も行きではほとんど掛からなかった。僕の入れた曲は、行きでは「MajiでKoiする5秒前」しか掛からなかったんじゃなかったか。
 目的地には13時半くらいに着いた。次女一家は兵庫からなので、正確な時刻での待ち合わせなどはもちろん不可能で、先に着いたほうが美術館の中で鑑賞しながら待ってればいいよね、という感じだったのだが、運の悪いことにこの日の高速道路は事故が重なり、通行止めになる区間などもあって、この時点で次女一家はまだ岡山県という有様だった。これはだいぶ待つことになりそうだねえ、などと話しながら、家族と三女を美術館前で降ろした。降ろして、僕はひとりで次の目的地へと向かった。もちろんドラゴンボールショップではない。どこかと言えば、僕の日記をきちんと読んでいる人はすぐピンと来ると思う。
 そう、ラピスパだ。3月の鳥取遠征の際、少しだけ色気を出したけど、疲労から行くのを断念した、サウナ温浴施設。「ラピスパは長い人生、いつか行く機会がある気がする」と3月の際に書いたが、意外と早くその機会は巡ってきた。もっとも同市内と言っても、米子市美術館からラピスパは片道で20分ほど掛かるので、往復で40分かー、という気持ちも多少あったが、今度こそ行かないとまた後悔が尾を引きそうだな、と思い決行した。
 というわけで、ようやくのラピスパ初来訪となった。ちょうど、どちらかと言えばこっちがいいなあと思っていたガーデン風呂が男風呂の周期だったのもよかった。GWということで大混雑だったら嫌だなあと思っていたが、さすがは山陰、ほどほどの混み具合で、なんら問題なかった。名物のバレルサウナは、熱の感じがどうこうというより、室内がかなり暗くて、そのことに驚いた。言われてみればサウナってあんまり明るい意味ないよな、と思った。外気浴は、やや冷たい風が気持ちよかった。コールマンのインフィニティチェアが、とてもいい座り心地で感動した。ちなみにラピスパにはプールもあり、もちろん水着も持参していたので入ったのだけど、直線ではなく、円の中を歩いてジェットを体に当てたりする、健康増進目的みたいなプールで、さらにはファミリーもそれなりにいたので、プールとしての喜びはまるで得られず、早々に退散した。幸い、この2日前からプールには困っていないので、ガツガツしていないのだった。
 満足いくまでサウナを堪能し、それまでもちょくちょく連絡がないか確認はしていたのだが、ぼちぼちそちらへ戻ろうと思うよとファルマンに連絡したところ、向こうも美術館観賞を終わろうとしているが、次女一家は未だ来ていないということだった。そのあと4人を再び美術館前で拾ったあと、待機ついでに天満屋のドラゴンボールショップならぬ、高島屋で開催中の「うまいもの博」なんかを覗いたりもしたのだけど(島根にはもはや存在しない「百貨店」というものの雰囲気を本当に久しぶりに味わった)、この日の高速道路は本当に厄日だったようで、次女一家のさくらももこ展行きは断念され、米子での合流は成らぬまま、それぞれ実家を目指すこととなった。なんだかんだで、実家にはほぼ同じくらいのタイミングでたどり着いた。次女一家は、米子に13時台に着けるよう午前中に出発しての、夕方のゴールである。おつかれさま、としか言いようがない。さくらももこ展のグッズショップで買ったおみやげだけ渡し、この日はほぼ挨拶だけして、われわれは自宅に帰った。
 翌日は、GW中の唯一のイベントが終わったので、いとこと遊びたがる子どもたちを実家にうっちゃって、これからの3日間は家でのんびり、やりたいと思っていたことをひたすらやろうと目論んでいたのだが、サービス精神なのか責任感なのか、我ながらよく分からない心の運びなのだが、気がついたら午前中に買い出しに出て、昼には実家のホットプレートでパンケーキを焼いていた。ほのかにしか甘みのついていない粉を使用し、パニーニのような感じで、キャベツとソーセージを乗せて包んで食う感じにしたものをまず全員分作って昼ごはんとし、残った粉を長方形のプレートのように焼いて、熱を取ったところで、チョコペンで、つい先日3歳になった次女の次女への祝いの言葉を記し、さらにはホイップクリームやカラフルなチョコスプレーでデコレーションしたものを作った。冷静に考えると、なんで義理の伯父が急にそんなことをするんだろうという話だが、もはや性分としか言いようがないのだった。ちなみに僕とファルマンはそのケーキ的なものは食べず、昼ごはんを済ませたあとは早々に帰った。帰ったあとは、とても静かな自宅で、裁縫をして過した。母の日に、また手作りのものを送ろうとしていて、その作業である。まあまあ進む。夕方に娘たちを迎えに行った。
 翌日こそはのんびりしようとも思ったのだが、空がとても晴れ渡っていて、このまま子どもたちをただ実家に連れていったら、昨日の午後のように、ひたすら室内でグダグダワアワアと過すのだなと思うと、せっかくのGWの、それも子どもの日だというのに、あまりにも不憫であろうと、またひとりで勝手に気を揉んで、海に行くことを企画してしまう。なんかひとり、やけにジタバタしているような気がする。誘ったら誘ったで実家の面々も応じ、義父の車と2台に分かれて、キララの海岸へと向かった。GWの海は、泳ぐにはさすがにまだ温度が低いけれど(海開きももちろんまだ先だ)、足を浸すのには十分なあたたかさで、僕は(実は持っている)バミューダパンツ型の水着をハーフパンツとして穿いてここまで来ていたので、わりとぐんぐん海の中を突き進み、腰くらいまで入水し、海の感じを堪能した。海は波があってやっぱり愉しいな。子どもたちも着替えを持ってきていたので、ハーフパンツが水浸しになるまで海に入っていた。そして他の大人たちは砂浜からわれわれのことを眺めていた。どうも昨日、いやおとといから、GWを思う存分に堪能しようと、ひとりで躍起になっている。生き急いでいるのだろうか。海での遊びを終え、昼ごはんは義父母の奢りでマック。海で遊んでマックだなんて、なかなかいいこどもの日になったじゃないか、と満足した。
 そのあとはまた子どもだけ実家に残し、夕方まで自宅で過すパターン。この日は、これもGWにやりたいと思っていた、部屋の模様替えをした。模様替え、一時期は趣味なのかな、というくらい頻繁に行なっていたが、今回はだいぶ間が空いた。やったのは僕とファルマンの部屋の、タンスと工業用ミシンの入れ替えがメイン。これまで、パソコンが置いてあるテーブルの、すぐ背面にタンスがあり、僕のイスのせいでタンスが開けづらいというストレスがあったのだが、ならばタンスと工業用ミシンの場所を入れ替えれば、タンスは開けやすくなるし、僕は前を向けばパソコン、後ろを向けばミシンという、逆にどうしてこれまでその形にしていなかったのか、というくらいいい形になるのではないかと、少し前から構想していて、今回GWに一念発起してその作業を行なったのだった。ついでに生地の整理などもして、結果的にとてもいい形を作れた。本当にやってよかった。これまでパソコン用のイスとミシン用のイスという、僕のためにふたつのイスが部屋にあったのだが、これがひとつでよくなった。ファルマンのお下がりで使っていた、図体のやたらでかいオフィスチェアは、粗大ごみで棄てることにした。というわけでいま座っているのは折りたたみの簡素なイスなのだが、簡素は簡素で別にいいのだけど、これを360度回転するスツールにしたら、本当にくるっと身を翻すだけでパソコンとミシンが行き来できるようになって最高だな、などと考えている。やって達成感はあったが、午前中の海遊びもあり、いかんせん疲れた一日だった。
 翌日、最終日の今日は、次女一家は兵庫へと帰還するわけだが、これを見送ろうと考えると、予定していた時刻がどんどんずれ込んで、結局半日以上を棒に振るという事態になるので(春休みの際それをやってしまったのだった)、午前中はショッピングセンターに行ったり図書館に行ったりという用件をこなし、その帰り、昼前くらいに実家に顔を出し、見送れるなら見送るし、まだ出発しないようなら昼ごはんの前に退散しようという作戦を立てた。大きなダイソーにも行って、昨日の模様替えで必要性が出てきたケースなど、多数調達する。以前500円だったはずのケースが700円になっていて、どうしても必要だったので4つ買ったが、だいぶテンションが下がった。朝に聞いた出発予定時刻は11時とのことで、しかし次女一家のことだから11時に出発ということはあるまいと見込み、われわれの実家への到着が11時ちょうどになったのだが、そのとき次女たちはどんな状況だったかと言えば、なんかまだショッピングモールに買い物に行っている最中とのことで、じゃあ逆になんでいっつも実現できるはずのない出発予定時刻を伝えるんだよ、と軽く憤りを覚えた。子どもたちは家で留守番をしていたので、子どもたちはいとこらと最後の交流ができ、正午になっても帰ってこなかったので、当初の予定通りわれわれはそこで自宅に帰った。あとから聞いた話によると、それから数十分後に帰ってきた次女たちは、そのあと実家の面々と近所のファミレスに昼ごはんを食べに行き、それから出発したという。なんで! なんでショッピングモールで! 車の中で食べられるような! 適当なものを! 買って帰らないのか! 返す返すも、意地でも見送るために待とうだなどと考えなくてよかった。次に来るのは夏休み。まあまあ間が空くな、と思ったが、それってもう2ヶ月半後くらいのことなのだな。
 午後からは、GW最終日を、こうして日記など書いたりしつつ、それなりにのんびりと過した。母の日の手作り品は、まあまあ進んではいるけれど、もう今週の日曜日である母の日に、配達日数も含めて間に合うか、と言われれば難しそうだ。まあ当日にこだわりはないので別にいい。夕方、「買い物に行ってくるわ」と家族に伝え、こそっとプールへと繰り出す。昨日やおとといは混んだのかもしれないが、最終日の夕方ともなれば穏やかなものであった。明日からは日常。GWが終わると、しばらく真っ当な暦となる。泳いでストレスを解消しながら、なるべく心地よく暮していこうと思う。

2024年夏の自家用車横浜帰省 5日目

 昨日はヘトヘトになったが、この日は今回の旅程のスケジュール的に最も楽な日で、というのも、往路の「島根→津:津→横浜」というのが、比率として「5.5:4.5」だとすれば、この日の宿泊場所は愛知県の豊川市であり、「横浜→豊川:豊川→島根」は、「3.5:6.5」という感じだからだ。今日はただ、横浜から愛知の、それもやや西側まで行けばいいだけの日。
 だから出発も悠々で、なにしろ公共交通機関ではないので自由なのだが、15時からのチェックインよりも早く着いてもしょうがないので、まあ11時半くらいに出ようかね、という感じだった。テレビでは台風7号のことが盛んに報じられていて、関東に最接近する明日は新幹線が計画運休する、などと言っていた。世が世なら、である。わが家の場合、この日のうちに愛知県に移動するので、ギリギリで台風の影響は受けずに済みそうだった。それにしたって、南海トラフ地震注意に始まり、台風まで発生して、帰省というのはこんなにもアドベンチャーなものであったろうか、と思った帰省だった。
 祖母と母、いとこふたりに見送られながら、出発する。出発してわりとすぐ、やっぱり綾瀬のあたりで渋滞に捕まる。行きも帰りもということは、常態として渋滞しやすいスポットなのだろう。これがなければ小一時間くらい、所要時間が短くなるのにな。そこを抜けたあとは快調だった。途中、駿河湾沼津サービスエリアで休憩。ちなみにだが、行きも帰りも富士山は見えなかった。天候的に見えなかったのか、新東名を走ったところで決して見えるものではないのかは判らない。
 豊川へは15時半くらいに着いた。愛知県に、通過するだけでなく足を踏み入れたのはこれが初めてだと思う。豊川はバイパス沿いにあらゆるチェーン店が並ぶ、典型的な地方都市という感じだったが、やはり三大都市の近くで人口規模が大きいのか、チェーン店の層の厚みを感じた。ありとあらゆる店が揃っていた。その一方でごみごみしている感じもなく、田んぼなんかも普通にあったりして、ずいぶん暮しやすそうな場所だな、と思った。
 往路の津は伊勢神宮という事情があったからだが、復路のここにはどういう目的があったかと言えば、土地そのものには関係がない。近隣の観光スポットを検索したところ豊川稲荷があったけれど、行くつもりはなかった。じゃあなにかと言えば、それはひとえに宿泊施設だ。その名もコロナワールドという、温浴施設にゲームセンター、映画館、ファミレス、ボーリング場、そして(わが家には関係ないけど)パチスロが1ヶ所に集まった施設に、キャッスルイン豊川というビジネスホテルも併設されていて、宿泊客は風呂もサウナも入り放題ということで、そんなのもう桃源郷じゃん、と思って、あんまり横浜と島根の中間地ではないなとは思いつつ、ここっきゃないと思って予約を入れたのだった。そんなわけで、施設そのものをレジャーとして堪能するため、ほぼチェックイン時刻めがけてやってきたというわけである。
 期待がだいぶ大きかったので、実際どうなるか不安だったのだが、行きのホテルの名前は出さないのに対し、こちらは明確に書いているということが示すように、ものすごくよかった。本当に桃源郷だった。部屋はトリプルルームで広く、エレベータで降りればそこはゲームセンターで、ひとしきり遊んだらサウナ。宿泊客は専用のエレベータで、一般客がお金を払う入り口の奥から入ることができる、というシステムがよかった。なんかもう、どうしてこんなに甘やかしてくれるの、われわれ一家は庇護対象なの、というくらい心地がよかった。さらには岩盤浴コーナーでは漫画が読み放題と来て、子どもたちも大喜びの様子だった。10時のチェックアウトまで目一杯いよう、この夜が40時間くらいあればいいのに、と思った。晩ごはんは施設内のレストランで食べる。ウェルカムドリンク一杯無料のチケットがもらえ、選択肢の中には生ビールもあり、心が千々に乱れたけれど、ホテルでは酒を飲まないという当初の誓いを守り、なんとか耐えた。生ビールの選択肢があるのにウーロン茶! もはや聖人の所業ではなかろうか。ちなみにこの食事の際、大社高校の2試合目がもう終盤で、やはりスマホでスコア速報を更新しながら確認していたのだが、タイブレークの末に勝利ということで、さらに多幸感のある夜となった。寝てしまうのが惜しかったけれど、翌日の運転は長いので、そうも言っていられず、寝た。

きちんと堪能した3連休

 金曜日の夜は昨年12月の忘年会以来の、職場の集まりでの飲み会だった。忘年会だけかと思ったら、納涼もやるのか。意外とやる職場だな。しかし意外とやる職場なのに、不可思議なほどに素地はなくて、前回に引き続き今回もまるで盛り上がらなかった。いったい、誰の意欲によって開催されている行事なのだろう。謎である。
 会は2時間でパッと終わり、帰宅もスムーズだったが、いかんせんただでさえ疲弊している1週間の仕事後の飲みの席ということもあり、シャワーを浴びて、ファルマンたちが食べた親子丼が少し残っていたので、そうめんを茹でて上からかけ、親子にゅうめんにして啜っていたら、もう途中から舟を漕ぐほどに眠くなったため、3連休の幕開け前夜だというのに、普段と変わらないくらいの時間に寝就いた。
 目が覚めたら、アラームもないのに起床時間もいつもと一緒だったので驚いた。体内時計アプリが完全に体にインストールされている、と思った。休みの日はいつも躍起になって夜更かしし、親の仇のように生活のリズムを崩そうとしてしまうが、もちろんそんなことはしないほうが断然いいのだ。休日なのに普段通りの時間に起きたら、午前中が長かったので得した気持ちになった。そして長い午前中は、いつものようにスーパーを巡って過した。ただしあまり収穫は芳しくなかった。じわり、じわりと物の値段が高くなり、それに呼応してじわり、じわりとこちらの購買意欲は下がっているのを感じる。
 それとこの午前中に、部活のなかったポルガが「カラオケに行きたい。ひとりで」と言ってきたので、買い物のついででカラオケに連れていって、会員になるなどの受付まで立ち会ってやった。そしてポルガは人生初のひとりカラオケを堪能したようである。こんど友達と行くそうで、その予備練習ということらしい。そうか。まあ中学生ともなれば、もう家族とは行かないわな。寂しいけれど、それはそうだな、とも思う。行きの車で、「もしも中学生ひとりはダメだってお店で言われたら一緒に歌ってあげようか?」と訊ねたら、「その場合は帰る」という答えだった。なんかもう、すっかり中学生の娘だな。
 午後になり、カラオケを終えたポルガの迎えは全員で出た。そのまま墓参りを行なった。こちらのお盆は8月ではなく7月なのである。3月に亡くなった義祖母にとっては新盆となり、ファルマンだけが明日、実家での催しに参加する予定がある。墓はこの午前に実家の面々が来たとのことで、花も真新しかった。一家で線香だけ上げ、辞する。
 その帰宅後は慌ただしく歯を磨き、歯医者へ。実は1ヶ月ほど前から歯医者通いが始まっている。ふいに平日の休みがあった際に、その数日前に奥歯に痛みがあったため、せっかくだから診てもらいなよとファルマンに薦められ、しぶしぶ行ったところ、そのとき痛んだ奥歯は、大方の予想通り、取ろうと思ったら大学病院での手術レベルの処置になるタチの悪い生え方をしている親知らずが原因で、でもそれはもうそのときは痛みが引いていて、今後も適当にごまかしながら生きていくほかあるまい、という結論になったのだが、それ以外の箇所で複数の虫歯を指摘されたので、その治療をしていくことになったのである。今日はその3回目。毎回、2本ずつ虫歯を治されていて、虫歯というのはずいぶんライトに生まれ、そしてライトに除去されるものなのだな、と思った。時代か、僕か、なんかしらのフェーズが代わったのかもしれない。代わったのだろうな。子どもたちは、最初からフッ素を塗ってもらっていて、虫歯などほとんどないし、銀歯なんかもちろんない。ずるい。
 そのあとは、晩ごはんの準備。実はこのあと、おろち湯ったり館へとひとり繰り出す予定を立てていたため、晩ごはんを作っておく必要があったのだ。それで、冷蔵庫から出すだけの、作り置きができるおかずはなんだろうと、午前中の買い物でずっと思案していたが、途中で「南蛮漬けだ!」と閃き、けれど豆アジが手に入らなかったので、豚肉で作ることにした。南蛮漬けはすばらしいアイディアだ、作り置きができるし、なにより気候にとても合っている。いま、とても食べたいじゃないか、南蛮漬け。おろち湯ったり館から帰ったあと、家で豚肉の南蛮漬けとビールだなんて、そんなのもう罰が当たるほどの幸福ではないか、とテンションがいや上がった。
 というわけで夕方から、おろち湯ったり館へ。いつもの週末も、おろち湯ったり館への色気は常にあるのだが、もう1日休みがあれば絶対に行くんだけどなあ、と思いつつあきらめているので、待望の3連休に行かなければ、それはふだんの自分への裏切りだ。今回も男風呂はサウナが広いほうの木風呂だった。1週間ごとに男女で交代しているはずなのだが、最近やけに連続でこちらだ。もちろん広いに越したことはない。まだまだ日が長いので、はじめのうちは明るかった。雲が多く、暑くはなかったが、外気浴でベンチに横たわって眺めるその雲がまったく動いているように見えないほど、風がほとんどなく、外気浴の情趣は少し乏しかった。小雨でも降れば、それはそれで愉快なのだけど、それもなかったので、間の抜けた感じだった。あと習い事の集団なのか、小学生が大勢いたのも閉口した。閉口したけれど、閉口した素振りなどもちろんおくびにも出さない。小学生が集団でいたら、それはそれなりに騒がしくなるだろう。それは仕方ない。それは仕方ないけれど、それでもやっぱり、サウナは「中学生以下は使用禁止」とドアに書いてあるので侵入してこなかったが、水風呂に浸かって「冷てー!」と騒ぎ、水を掛け合ったりして遊ぶのは、さすがに引率の大人が一喝すべきではないかとは思った。しかしまあ、子どもなのでそう長くはおるまい、と思って耐えた。果たして子どもたちはやがていなくなった。そのあとは日も暮れ、なかなかいい時間を過せた。プールへももちろん行き、貸し切りでしばし泳いだ。結果として、おろち湯ったり館としては少しだけ得点が伸びなかった感があるけれど、しかしそれでも別の施設と較べれば十分すぎるほどの高得点である、という感じだった。また行こう。今後は日が短くなる。18時台に暮れなずむくらいのほうが、外気浴としては都合がいい。
 家に帰って、待望の南蛮漬けでビールをやり、幸福に浸る。そしたらそのまま眠くなり、2日連続で舟を漕いでしまう。サウナのあとは殊に眠くなる。まあ起きていなければならない理由もないので、この日も平日のような時刻で眠りに就いた。健康的と言えば健康的であろう。
 翌朝もだらけることなく早めに起きた。ポルガは午前中が部活だったので、その間にピイガと食料品の買い出しへ。済ませて帰ったあとは、ファルマンが実家での法事へと出かけていき、昼ごはんはそちらでの会食なので、われわれ3人は家で、買ってきた総菜パンやインスタントラーメンをもそもそと食べた。食べたあとポルガは学校の友達と遊ぶと言って近所の公園へ行き、やがてファルマンが帰ってきた。坊さんの話が長かった、という感想だった。まあお盆なんて坊さんの話を聞くだけの会みたいなものだから、そうなるわな。用意だけして、手を付けられなかった和菓子なんかがわが家に流れてくるかな、と期待していたが、残念ながらなかった。しばらくしたらポルガが帰ってくる。蚊にとても刺されたそうだ。雨上がりの公園で話していたそうなので、それは刺されるに決まっている。出発前に気にしてやればよかったが、思いが至らなかった。ただ、中学生なのだから自分でやれよ、という気もする。
 午後はずっと家にいて、僕はなにをしていたかと言えば、ファルマンの服を作っていた。いよいよ最後の大詰めとして、ワンピースに取り掛かっているのだが、1枚だけワンピースであるのに加え、生地もかなり特殊なものを選んでしまったので、なかなか難儀していた。それでもなんとか形になったのだが、まだボタンのことなどをする前のものをファルマンに羽織らせてみたところ、これはなかなか着るハードルが高いかもな、という仕上がりで、うーむ、となる。ワンピースって、ちょっと賑やかな柄で作ると、途端にムームーっぽいというか、ソーラン節の法被みたいになるな。ちゃんと完成したら「nw」で報告しようと思う。
 晩ごはんは手巻きずし。3連休の中日ということで、今日は早い時間からダラダラと、手巻きずしをしながら家族で桃鉄をやるという、とても優雅で満ち足りた時間を過そうではないかと画策していたのだった。期待通り、手巻きずしは美味しかったし、桃鉄はおもしろかった。家族とのこういう時間は本当に尊いと思う。
 夜は、晩酌で2週間ぶりの「光る君へ」を観たあとも、ようやく舟を漕がず、起きていようと思えば起きていられるような感じだったが、無駄に夜更かしをしてもつらくなるだけだということは判っていたので、それなりの時刻に寝た。理性的な大人だ。
 明けて3連休最終日の今日は、なんの予定も計画もなく、ポルガが午前の部活から帰ってきたあとで、ちょっとゲームセンターやショッピングセンターに出向いた。ゲームセンターでは、子どもたちはリズムゲームをやっていて、愉しそうだった。もしかしたら、と言うか、もしかしなくても、もう娘たちは、公園の遊具よりもこっちのほうが愉しいのかもしれないな、と思った。
 帰宅後、買って帰ったブリーチ剤を、ファルマンにやってもらう。脱色はいつ以来かと検索したところ、去年の9月にその記述があり、そのあとにもう一度くらいやったのではないかという気もするが、近ごろはもうほとんど黒髪に戻っていた。それで、どうしようかなあ、また髪色を変えようかなあ、いや別にこのままでもいいかなあ、とこのところ大いに迷っていたのだが、今日ようやく決意し、やっぱり脱色することにした。というわけで、とりあえず金髪になる。ここから色を入れるかどうかは、まだ未定。
 晩ごはんは、煮豚やフライドポテト、昨日の残りのアボカドでアボカド納豆や、同じく昨日の残りのたらこで餃子の皮のピザなど、得意のつまみいろいろ居酒屋献立。湿った重たい空気もあり、3日ともビールがとてもおいしい3連休だった。やっぱり3連休はいいな。GWの4連休のあとは、なんか精神のバランスを崩してしまったので、3連休くらいがいちばんいいのかもしれないな、と思った。

幻の塔とおろちとザ・セカンド

 先日ふとした瞬間に、ある風景が脳裏に浮かんだ。
 それは緑生い茂る山の中、小径のようになっている先に、こじんまりとした白い塔があって、上った先にはとても見晴らしのいい景色が広がっている。僕はそこを、小さいポルガとともに訪れていた。そんな情景だった。
 浮かんだそれは淡くぼやけた、とても曖昧な景色だったので、それが実際の思い出なのか、あるいは夢なのか、判断がまるでつかなかった。これはあそこだな、という場所が思い浮かばず、小径の先に白い塔、という舞台設定がやけに嘘くさく思え、どうやら夢のほうがだいぶ優勢だな、と思った。
 ファルマンに相談したところ、そのふわっとした手掛かりで、さすがである、「それは一の谷公園ではないか」とすぐに突き止めてくれた。一の谷公園。第一次島根移住において、何度か行ったことがある。そう言えば第二次では行っていない。記憶の中に小さなポルガだけがいて、ピイガがいないこととも辻褄が合う。「画像があるかもしれん」とファルマンは出そうとしてくれたが、ポルガが小さい頃の写真は膨大な量なので、探し当てることはできなかった。しかし言われてみればたしかにそうだ、あれは一の谷公園だ、という思いが強まった。
 というわけで、実際に行ってみることにした。夢ということで処理しかけていた場所が、実は現実に存在する場所だった、というのは、実際にその場に行くと、滅多に味わえないような精神体験ができるのではないか、などと考えたのだった。
 土曜日の昼過ぎ、部活終わりのポルガを学校まで迎えに行って、そのまま向かった。ドラゴンメイズのときと同じパターンだが、別にそこまで遠いわけではない。
 一の谷公園は、かなり急勾配の坂道を上った先にあった。そう言えばこんな道のりだったな、とその時点で懐かしく、駐車場の感じも見た瞬間に記憶がよみがえってきて、懐かしかった。岡山在住時代、島根に帰省した際に来たこともあったような気がしないでもないが、定かではない。なかったのだとしたら、なんともう10年ぶりくらいということになる。
 入ってすぐの東屋で、持ってきた弁当を食べる。今日は食パンがたくさん家にあったので、サンドイッチならぬハンバーガー的なものを拵えた。顎が疲れたが、まあまあおいしかった。腹ごしらえをしたあとは、公園を散策する。遊具は、あるにはあるけれど、閉鎖中のものが多く、そもそもそこまで大規模ではない。園内の家族連れも、連れてきている子どもは幼児が多かった(10年前の自分たちのようだな、などと思った)。
 遊具よりも、この公園の骨子はなんと言っても自然だ。山にそのまま作られた公園なので、アップダウンのスケールがすごい。さらには、いい意味でも悪い意味でもなく、わりと整備が行き届いていない感じがあって、山に作った公園という人工的な部分が、端のほうからじわじわと山に飲み込まれつつあって、その感じが独特のエモさを演出していた。


 座面の木材の隙間から花が顔を出しているベンチ。
 

 かつては切り拓かれていて、座ればなんかしらの見目好い風景が見られたのかもしれないが、今では草木に侵食されてなにも見えない、そもそも草木が座面を占領していて座ることができなくなっているベンチ。
 ああ、文明って、運営され、管理されなければ、やがてこうやって自然に還るのだな、ということをしみじみ思った。
 そして、途中少し道に迷ったりしながらも、なんとか目的の場所にたどり着いた。


 さすがはいちど夢に違いないと思っただけあって、実際に目の当たりにしても、なんとなく夢の中にいるような気持ちにさせるスポットだった。あまりにもベタだが、ここまでの風景を含め、いよいよ抵抗することができなくなって、ここでとうとう「ラピュタは本当にあったんだ! 父さんは噓つきじゃなかった!」と口に出して言ってしまった。ここまで来れば自分たち以外に人の姿はなく、山の上からさらに高い場所に行くので、気分は完全にラピュタのそれであった。
 塔の屋上からの景色は格別だった。快晴の五月の空の下、見おろす森の木々、そして出雲の街の風景は、感動的だった。急に思い出して、そして場所を突き止めて家族とふたたび来ることができて、なんだかとても貴重な体験をしたな、と思った。
 階段を下りてから、塔の横に立てられた案内板によると、これは1970年に地元のライオンズクラブによって建てられたのだそうで、1970年と言えばもう54年前ということになる。ライオンズクラブと言えば地元の名士たちの集団なわけで、54年前の名士たちは、おそらくもう全員が鬼籍に入っていることだろう。人間の営みというものは、尊いような、虚しいような、とにかくとても切ないものだな、と思った。

 この日の夕方からは、晩ごはんの準備をしたあと、僕だけおろち湯ったり館へと繰り出した。そろそろおろち湯ったり館を済ませておかないといけない、発作が起りそうな機運が高まっていたので、その処理のために行った次第である。サウナの回数を経るにつれ、だんだん暮れなずんでゆくような、そんな時間帯がいいという狙いのもと、18時過ぎから20時過ぎくらいまでの時間を過した。狙いはぴたりと嵌まり、とてもよかった。1回目の外気浴では、まだまだ夕暮れというにも早いくらいの青空で、日中の一の谷公園の塔の屋上でもそうだったが、おとといあたりににわかに激しい風雨があったことで、どうやらとても空気が澄んでいるらしく、青々とした若木の繁る山々が鮮やかで、その風景がサウナ後の軽い酩酊によって軽く揺らぐので、笑い出したくなるほど満ち足りて愉快だった。途中でプールを挟んだりしつつ、2回目の外気浴はまさにマジックアワーというタイミングで、東の空から徐々に群青色に染まりはじめ、3回目ではすっかり全体が薄暗くなった。毎回異なる空の様子が味わえて、大成功だった。今回もこちらの高すぎる期待に、見事に答えてくれたおろち湯ったり館であった。
 帰宅後は、録画していた「THE SECOND」を、ファルマンと晩酌しながら、おっかけ再生で視聴する。金属バットは金属バットらしくてよかった。彼らは優勝したくなったらしたらいいんだと思う。ななまがりが、初戦のパフォーマンスを見てこれは優勝間違いなしだな、ぶっちぎりだな、これはななまがりの大会だったのだなと確信したのだが、結果が敗北だったのでとてもびっくりした。ザ・パンチはとても感動的だった。「死んで~」がご時世的に使えなくなった中で、工夫と技術でかつて以上の輝きを生み出している感じが、愛しかった。最後にいちどだけ出た「砂漠でラクダに逃げられて~」は、元新選組の永倉新八が、年老いてからヤクザに絡まれたとき、威圧感だけで退散させたというエピソードのような、そんな痛快さがあった。また博多大吉のコメントもさすがだと思った。

 明けて今日は、ぐだぐだと過した。今日ぐだぐだと過すために、土曜日におろち湯ったり館の義務を済ませていたわけで、近所に買い出しに出たほかはずっと家にいた。家でなにをしていたかと言えば、ピイガがこんど学校で初めての宿泊行事に行くので、バッグに名札を縫い付けたり、また夏に向けてオリジナルTシャツを作ろうかという気持ちがじわじわと募ってきたので、久しぶりにステカを稼働させたりした(予想通り、まだ調子が整わない)。天気はずっと曇りという感じで、過しやすかったと思うと同時に、公園もおろちも、外気を堪能する系のことを昨日やっといて本当によかった、と思った。

2023年の瀬の瀬の瀬

 28日で労働が納まり、29日から休みに入っている。めでたい。めでたーてしゃーない。
 無為に過してしまわぬよう、やるべきこと、やりたいと思っていることを、28日の夜に箇条書きした。なるべくならここに書いた全てをこなしたいものだが、これがなかなか難しいのだ。時間的には十分あるはずなのだが、そう単純な話ではないのである。
 まず29日の午前は、予約していた病院に行った。先日、12月の頭に受けた健康診断の結果が返ってきて、γ-GTPも含めて概ね問題なかったのだが、肺のレントゲンで引っ掛かり、「要精密検査」の診断が出ていた。とは言え自分ひとりでは、ちょっと嫌だなあと思いつつも、わざわざ専門医に検査を申し込むことはしなかったに違いないが、そこは配偶者が有無を言わさずやってくれ、労働が終わりつつ病院がまだ開いているという、唯一のこの日に予約を入れてくれたのだった。ありがたい話である。
 その待合室で書いた問診票の欄に、喫煙歴についての問いがあり、「これまでタバコを吸った経験がありますか」に対して、「一度もない」「今も吸っている」「かつて吸っていたがやめた」という項目があって、僕がタバコを吸っていたのはもう20年も前の、20歳前後に1年くらいだけなので、もはやほとんど事実としてないようなものだと思われたが、わざわざ肺を診てもらいに来たのに、「一度もない」に〇をするのもそれはそれで違うような気がして、仕方なく3番目に〇をつけ、「20歳の頃、1日平均5本ほど」という、やっぱりどう考えても今の僕の肺に影響が残っているとは思えない情報を記した。なんとなく間が抜けているような気がして、恥ずかしかった。結果として、CTというものを生まれて初めて受けて、「問題なし」の診断をもらう。よかった。
 午後は、兵庫在住の次女一家がこちらに到着したというので、ファルマンと子どもたちは実家へ行った。呼吸器内科ではずいぶん待ち時間があり、暇だったので、その間に僕は1年前の年末年始の自分の日記を読んでいたのだが、そこにも、28日で労働が納まり、29日の午後に次女一家がやってきた、ということが書かれていたので、なんとなくおもしろかった。年間行事というものはルーティンでオートメーションなもので、それはなんとなく空恐ろしい、虚無的な感じもありつつ、しかし世界に目を向ければ、その当たり前が崩壊してしまっている人々も多くいるわけで、なによりもありがたいことだとも思う。来年も同じ日程が繰り返されればいい(もっとも来年は28日が土曜日なので、年末の休みが1日前倒しで多くなる可能性がある)。ちなみに1年前は、僕も赤ん坊を見るため、そこに参加した様子だが、今年はそうはせず(どうせ正月には集うので)、この日が年内最終の営業日であった、いつものプールへとひとり繰り出した。そして最後ということで、1km泳いだ。いつもは次の日のことを考え、泳いでも500mくらいなのだ。1kmは、久しぶりに泳いでみれば、まあこんなもんかという感じで、特別に疲労が大きかった印象もなく、実は普段でもやれるかもしれないと思った。と言うか、400mから500mあたりで、なんか今日はもういいかな、というしんどさが襲ってくるのだけど、それに克って700mとか800mまで行くと、逆にすいすい行ける感じになる。今後の参考にしようと思う。ちなみに今年最後のプールだったということで、1年間の水泳回数を集計した。この記録は去年の途中から付け始めたので、1年間を通しての数字というのはこれが初めてである。結果は、94回。ほぼ4日に1回ということになり、そう考えるとまあ年間通してだいぶきちんと行ったものだな、と思う。94回泳いだ僕は、1回も泳がなかった僕に較べ、だいぶ健やかであるに違いないので、今後もこの習慣は続けていこうと思う。一時期作りすぎて食傷気味になった水着作りも、もうその気持ちは薄れ、新しいものが欲しくなってきている。来年も生地を手に入れ、作ろうと思う。ちなみに水泳とともに記録している射精に関しても、(まだ最終が済んだかどうか不明ながらも)このとき一緒に集計をしたのだが、それについてはできれば「BUNS SEIN!」に書きたいと思ったので、いまここに結果は記さない。なぜわざわざ「BUNS SEIN!」に書こうと思ったかと言えば、集計結果がなかなかおもしろいものであったからだ。年内に記事が書けたらいいのだけど。
 晩ごはんはホイコーローをメインに、中華風の卵焼きや水餃子のスープなど、中華にした。これから休みの間は、もちろん料理をすべて僕が担当する。ファルマンは休みの日は料理をしなくていいということが、心底嬉しいそうで、喜ばれるのはもちろん嬉しいのだが、あまりにもそこを喜ばれるというのも、普段そんなにつらくてしょうがないのかよ、と言いたくなるわけで、少し複雑な感じがある。
 夜、ファルマンにブリーチ剤の塗布をしてもらう。正月を前に、もはやプリンでもなく、髪の3分の1くらいが黒いという状態を是正しておくことにしたのだった。髪の長さ自体が、またしっかりと結べるくらい長くなっているので、こういう長さでド金髪にすると、さすがに激しすぎて変だったりするんだよなあ、もしもそうなったら散髪もしてもらおう、と思っていたのだが、仕上がりは問題ない感じだったので、無事に金髪の長髪に移行した。嬉しい。今回はどこまで続けるんだろうな。まあそのうち急に自分の中で終わりが来て、「なが! うざ!」となって切ることになるだろう。
 明けて今日は、午前中は家族で桃鉄をして過した。その桃鉄とは、実は「WORLD」である。年末年始を前に、あったら家族で愉しめるよなあ、という思いに抗えず、買ってしまったのだった。ちなみに1年前のこの日は、わが家は湖遊館にスケートに行っていて、あれが実は一家4人で、桃鉄のソフト代と同じくらいの金額が掛かっているので、今年はそれが桃鉄になったという解釈でよいのだと思う。今回は世界全体が舞台ということで、基本的な桃鉄の仕組みは一緒なのだが、とにかくマップの全容が把握できず、その戸惑いも含めて、やはり愉しい。午前中を使って、4年を終える。ポルガが初期設定でしれっとプレイ年数を100年にしていたが、まさかそこまでやるつもりはない。
 午後は、妻子は今日も実家に遊びに行くというので、ここが今回のおろち湯ったりチャンスであろうと、雲南市へと足を運ぶことにした。また1年前の日記になるが、1年前の休みのときは、「湯ったり館に行きたいなあと思いつつも踏ん切りがつかなかったが、かと言って家で有益に過せたかと言えばそんなこともなかったので、やっぱり行けばよかった」と言っていて、今年もこのままだと同じことになるなあと思い、行ったほうがいいと判断したのだ。今年は暖かい年末年始となり、雲南市への道のりも何の懸念もなく行ける。しかし曜日的には土曜日の、12月30日の昼下りと来れば、そこまで人がいないということもないだろうなあと覚悟はしていて、行ってみたら、まあ果たしてほどほどに人がいた。そしてプールには子どもがいたし、今週は男湯が狭いほうの風呂だったし、そもそも2階は閉鎖されているし、サウナも人の出入りであまり熱くなかったしで、総合的に見て、実にあまりよくなかった。しかしあまりよくなかったが、なんと言うか、まあこういうものだと、なにもマイナスに感じていない自分がいて、もう僕にとっておろち湯ったり館は、即物的な満足を得るだけの場所ではなくなってきているのだな、と思った。先日、ラーメン二郎に関する記事を読んで、ラーメン二郎を愛する人々というのは、ラーメン二郎のラーメンを、実はいつでも十全においしいと思って食べているわけではなく(もちろん基本的にはおいしく感じているのだろうが)、しかしあまりおいしく仕上がっていないときに当たってしまっても、別に不満や怒りが生じるわけでもなく、ラーメンの味どうこうという次元ではなく、もはやラーメン二郎のラーメンを食べるという、行為をしに行っているのだ、みたいな話があり、僕のおろち湯ったり館も、要するにこういうことだな、と思ったのだった。だから今日も、この年末年始の休み中に、おろち湯ったり館に行くという行為ができて、よかった。そう思った。あとちなみに、温泉のひとつに、壁からジェット水流の出るものがあって、普通に座ると、それが背中や腰に当たって気持ちがいい、というものなのだが、これに対しどうしたって、なかなか強い勢いで放出されているこのジェット水流を、ちんこに当てたい、当てて快楽を得たいという思いを禁じ得ないのだけど、しかしそれは公共の温泉施設において、ちょっとルール違反であるような気がして、これまで自重していた。しかし今回、先日まで脇腹を痛めていて、今でも朝起き上がるときとかにちょっと違和感がある、というストーリーが自分の中にあったため、そんなの周囲の人間からすればなんの関係もないことだが、その大義名分のもと、堂々と普段とは逆、ジェットの出どころのほうを向いて座り、脇腹に水流を当て、筋肉をほぐすということをし、そしてそうなると自ずと、普段は腰に当たるジェットが下腹部に当たることになるわけで、そこからは淡い倦怠感を伴う、なんとも言えない快楽がもたらされたのだった。でもこれは温泉の正当な使用法である湯治の、その派生によるものなので、ルール違反には当たらない、と自分の中で判断した。判断しつつ、途中からは脇腹よりもそちらに意識が強く行って、よりよいポジションを探っていた感があったということも、僕は正直者(近所でも評判)なのでここに記しておこう。
 湯ったり館を出たあとは、近くの店で晩ごはんの買い出しをして、そのついでにジャイアントコーンを買って、それを齧りながら帰った。温泉に入ったとはいえ、本当に暖かい年末である。湯上りのジャイアントコーンがとてもおいしかった。結果的に大満足である。
 帰宅後は、家族らはまだ実家から帰ってきていなかったので、ひとり静かにこの日記を書きはじめる。これが今月の10記事目。まだ明日もあるので、もう少しなにか書ければいいなとも思うが、とりあえず2桁に届かせることができてよかった。これにより年間毎月2桁投稿が無事に成った。
 晩ごはんはたらこ入りのポテトサラダと、ほうれん草ときのこのグラタン、そして焼き鳥。もう完全におつまみモード。明日大みそかの晩ごはんはどうしようかな。最後にそばを食べなければいけないから、あまり腹に溜まるものは食べられない。明日はたぶん家族で買い出しに出るので、そこでなにかよさそうなものを見繕おうと思う。

11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。

自覚を持ってレジャー

 土曜日はポルガの部活がなかったので、レジャーに繰り出した。部活という要素を除いても、そろそろ、休日に一家でお出掛けというのが、それを当たり前のようにする時代というものが、終焉に近づいてきているのを感じ(子どもが嫌がり始めているわけではないのだけど)、チャンスがある限りはなるべくやっておこうと思うのだった。
 今回の目的地は大田市方面。大田市ってこれまであまり攻略してこなかった。前にも書いたかもしれないが、大田市って、岡山県で言えば総社市みたいな存在だな、と思う(ちなみに松江市が岡山市で、出雲市が倉敷市、雲南市が玉野市にそれぞれ対応する。これは僕の中でだいぶうまいこと言ってる感があるのだけど、いかんせん共感できる人間の数が限られるのが残念なところだ)。総社市、たしかに6年間でほとんど行かなかったもんな。
 大田市と言えば世界遺産である石見銀山なのだけど、石見銀山は家族連れが行ってもあまり愉しくないらしいので、それよりはもうちょっとエンターテインメント性がありそうな、仁摩サンドミュージアムに行った。少女漫画「砂時計」でおなじみの、砂の博物館である。漫画はあんまりちゃんと読んだことはないが、連載が2003年から06年ということで、大学時代、書店でバイトをしていた時期であり、当時わりと売れていたので、印象に残っている(この時期、「僕等がいた」もあって、ベツコミは盛り上がっていた)。1年にいちど引っ繰り返すという1年計の砂時計が世界最大のものとして有名で、ギネスの証明書も展示されていた。ちなみに3人は初めての来訪だったが、ファルマンは子どもの頃に来たことがあるという。そして職場でもここの話になったことがあるのだが、ファルマンも含め、行った人間は押し並べて、「そこまでつまらなくもないけど、まあ1回行けばいいかな」という感想を口にする。実際に行った結果、僕もまったく同じ感想を持った。万人に均一の感想を抱かせるって、ある意味すごいことのような気がする。
 入場券を購入すると、イラストに合わせて剥離紙が細かくカットされたシール用紙が渡され、それを持って所定のコーナーに行くと、さまざまな色の付けられた砂が用意されており、剥離紙を適宜剥がし、そこへ砂を振りかけて接着し、彩色していく、という企画があり、われわれ一家もそれぞれ作成した。
 

 左上から時計回りに、ファルマン、ピイガ、僕、ポルガである。わりと個性というかセンスが出る。ファルマンの素朴さ、ピイガの健気さ、僕の洗練、そしてポルガの混沌。これも含め、まあ予期していたよりはいくらか愉しめた。
 ちなみに博物館のすぐそば、同じ敷地内と言ってもいいような場所には公園があり、例のごとくわが家以外だれもいなかったのだが、ここにあるローラー滑り台は全長121mあり、地味に島根県で最も長いらしい。ポルガは3回、ピイガは2回、僕は1回、ファルマンは0回滑った。長いだけあり、登るのが大変だった。
 レジャーはこれでおしまいかと思いきや、そうではない。実はサンドミュージアムは今回のレジャーのメインではない。ついでなのである。車は大田市をさらに進み、突き抜け、美郷町へと突入する。目的地は、「ゴールデンユートピアおおち」という施設。ここは、昔ながらの保養地的なものなのか、宿泊施設に、テニスコートやレストラン、そしてプールにサウナに大浴場(温泉ではない)が備わっているという場所で、宿泊客でなくてもプールや浴場を利用できるというので、前々からなんとも気になっていたのだった。しかし存在はしているようだが、評判などの情報はあまり得られず、果たしてわざわざかなり長い運転をして行く価値があるのか、不安でなかなか行く決意ができずにいた。今回行くことにしたのは、まあ一家のお出かけの骨子というのは、要するに車での移動なんだよな、ということを思ったからで、目的地がいまひとつでも、一家でのドライブと思えばそれでいいじゃないかと、そう考えるようになり、ようやく決心がついたのだった。それで行った。
 行った結果、これが大成功だった。プールもサウナもほぼ貸し切りで、ウォータースライダーもあるのだが、子どもは完全にうちの子しかいなかったため、これも待ち時間0でやりたい放題と来ては、もはや上質なリゾート空間であった。普通はこの空間を得ようと思ったら、相当に高い金額を払わなければならないだろう。つまり島根県の山奥まで行くということは、相当に高い金額を払うことと同等の負荷である、と言えるかもしれない。僕と子どもたちは、それぞれ思う存分にプールを堪能した。去年の夏、とうとういちどもプールに行かず、1年以上ぶりのプールとなったファルマンは、ひたすら水の中に立ち、ピイガの世話をしていた。途中でさすがに申し訳ないような気がして、「ピイガの世話を代わろうか」と提案したら、「代わったところで私にはプールですることがない」との返事だった。でも1日の終わりに「愉しかった」とは言っていたので、嫌でしょうがなかったわけではないだろうと思う。
 そんなわけでとてもいいレジャーとなった1日だった。ゴールデンユートピアおおち、すごく良かったが、なにぶん遠いので、再び行く日があるかどうかは分からない。田舎の山の中の、ちょっと施設全体に異空間味のある、貸し切りのリゾートのようなプール体験、まだ行った翌日だというのに、早くも遠い日の思い出めいていて、まるで幼少期の記憶のようだ。なんだか不思議な体験だったな。これだからレジャーはいいな。

年度末と、はじまり

 山陰も桜が満開である。この週末に花見をしない手はないということで、実家の面々も誘い、土曜日に木次に行くことにした。ちなみに春休みに入り、実家には次女とその娘たち(下の子は間もなく1歳となる)も帰省してきているのだった。
 しかし木次に行くにあたり、ひとつ問題があった。木次に行ったら、僕はおろち湯ったり館に行きたくてしょうがなくなる、という問題である。去年の11月、2階露天が冬季閉鎖する直前に行き、そして3月中旬に再開した湯ったり館に、行きたい欲は俄然高まっていた。湯ったり館はいつだっていいけれど、春はまた格別なのである。しかし職場とおろち湯ったり館は、ほぼ自宅を挟んで正反対のような位置にあるため、夕方まで仕事をしたあと、さすがに行く気にならない。ならば週末に、ということになるわけだが、こうして自ら実家を巻き込んでの花見を計画してしまったものだから、その機会も奪ってしまった。春のおろち湯ったり館に行きたい気持ちと、親類で花見をしたい気持ちは、僕の中のそれぞれ違う部門で、それぞれの最優先事項として立案されたものなので、これは仕方ないことだった。
 ならばなんとかして、親類で花見に行きながら、僕だけがおろち湯ったり館に行くという方法はないものか、必死に探った。しかしどう考えても、車は義父と、僕のフリードという2台で行かねばならず、僕だけが途中でドロンすることはどう考えても不可能だった。木次に行きながらおろち湯ったり館には行けないという事態を前に、僕の心は千々に乱れた。最終的に、花見を終えて、家族らを実家まで送り届けたあと、僕だけがおろち湯ったり館のためだけに木次にとんぼ返りする、という方法しかないだろうと結論付けた。
 そんな折、急転直下の出来事が起る。仕事が、もろもろの事情により、金曜日は半日で終わることになったのである。なんたる僥倖。願いが強いとこんな奇蹟が起るのか、と思った。
 もちろん移動距離が変わるわけではないが、夕方からやるのと、昼からやるのでは、ぜんぜん気持ちが違う。意気揚々と長いドライブをして、4ヶ月ぶりのおろち湯ったり館へとたどり着いた。週末に行くつもりが、平日の午後になったのだから、混雑度的にも万々歳である。もとより労働に費やされるための時間だったと考えれば、せせこましく時間を惜しむ気持ちも湧かず、じっくりと、それはもうじっくりと湯ったり館を堪能した。
 まずプールで泳ぎ、それからサウナ。サウナでは1回目の外気浴で早くも、いわゆる「ととのう」状態になったので驚いた。湯ったり館との相性があまりに良すぎる。あとこれまでのベンチでも十分に満ち足りていたのに、このたびそのベンチに改良がなされていて、座面の半分が背もたれのように稼働するようになっており、これもよかった。湯ったり館はまだ高みを目指すのか、と慄いた。それでも2回目の外気浴では、これまでのフラットなベンチに横たわった。青空以外、視覚的にも聴覚的にもほとんどなにもない空間で、素っ裸で横になっていると、サウナ後の軽い朦朧もあり、日常では決して味わうことのない境地へと至ることができる。たまらなかった。さらに今回は、そのあとで2度目のプールという、新しい展開も試してみた。これもかなりよかった。サウナ後のスッキリ感を伴いながらの水泳は、また別種の快感があった。そして再びサウナへ舞い戻り、骨の髄まで堪能した。
 これで翌日の親類との花見で、おろち湯ったり館に行きたくて終始そわそわする、という事態を避けることに成功した。大成功であった。花見は、本当に見頃の桜を、抜群の気候の中、思ったような食べ物を調達し、ノンアルコールビールを飲んで、朗らかに行なうことができたので、とてもよかった。花見はいいな。春に、桜を、大事な人たちと、愉しむことができるという、そのことにしみじみとした幸福を感じる。
 とてもいい、年度末と、始まりであった。

春近週末

 天候に恵まれた週末だった。
 陽がよく出て、それなりに暖かい。とは言え外遊びができるほどではさすがにない。思案の結果、家からはそこそこ離れた位置にある、一畑薬師という寺に行くことにした。なぜそこかと言えば、ここは別名「目の薬師」ということで、眼病関係にご利益がある(とされる)寺だからである。実は先週あたり、ファルマンが眼科に掛かっていた。そこまで大したことではなかったのだが、ファルマンのことなので、症状や、もらった薬について、さんざん語られたのだった。騒ぎ立てられた、と言ってもいい。それは本当にそう大した病状ではなく、もらった薬をやっとけばそのうち治らあな、というものなのだが、自分の中の、ちょっとした遠出なんかしたい心持ちと、妻の眼病を心配して目の薬師に連れていってやる、という外聞きの良さなどを勘案し、じゃあ一畑薬師に行こうじゃないか、と計画したのだった。素晴らしいプランニングであると言える。
 一畑薬師は地図上では山の上にあり、これまで山の上に位置する神社仏閣や公園などに行こうとして、何度か大変な思いをしてきたので、だいぶ警戒する気持ちがあったのだが、ストリートビューを見るとそこまでではなさそうだった。実際、本当に寺のすぐ近くまでは道にセンターラインもあり、また擦れ違う車もなかったので、平穏にたどり着けた。
 高い場所にある宗教施設というものは、やっぱり独特の清廉な空気感があった。隣にコンビニとかがある環境とは、それは違って当然だろう。ただし周囲にそういった商業施設がない代わりというわけでもないだろうが、寺はそれなりに商魂が逞しい感じがあった。賽銭はペイペイに対応し、これだけ払えばこれが提供されます的な特典も境内のあちこちに案内されていた。
 寺の名物のひとつとして、千段を超えるという階段があり、車でずいぶん登ってきたのに、ここからそんな階段がさらにあるのかと思いきや、さすがにそんなことはなく、階段は徒歩で本堂に行こうとしたら登る必要があるものらしかった。こちらとしてはそれをするつもりで来ていたので、階段の下に駐車場があればそこに停めたのだが、ナビや道路標識に従って車を走らせれば、山の上に着いてしまう仕組みのようだった。仕方なく、お参りを済ませたのち、わざわざ無駄に降り、そして登るということをした。階段の最後のほうは、あまりにも住宅街の感じになり、気まずかったので、本当に最後(最初)までは行けていないが、それでもかなりの距離、かなりの段数を降り、そして降りた以上は、なにしろ車は上に停めているわけで、登る必要があり、登った。


 鳥取砂丘と同じで、子どもたちはすいすいと先へ進んだが、親はそういうわけにはいかず、ファルマンは「目が、良くなる、代わりに、膝が、死ぬ」と息も絶え絶えに唱えていた。来週は膝にご利益のある施設に行く必要があるかもしれない。
 境内に戻ったあとは、ポルガの御朱印帳に記帳をしてもらったり、せっかくなのでと実家へのおみやげを買ったりした。この際、出雲市のプレミアム入浴券がもらえて、テンションがぶち上がる。企画の存在は知っていて、市内の入浴施設の利用料が500円引きになるというこの券が、欲しいなあと思いつつ、道の駅やそば店、レンタカーなどを利用するともらえるということで、そんなところになかなか行かないもんなあと諦めかけていたところへ、まったく予期していなかった買い物での進呈だったので、本当に嬉しかった。思わずレジ担当の、社務所の職員さんに向かって、「僕はこれがとても欲しかったのでとても嬉しいです」と伝えてしまった。「あ、はあ、そうですか」と少し戸惑われた。
 そのあと実家に立ち寄り、おみやげを渡す。なにぶん眼科に掛かった妻を案じて一畑薬師に行った、という外聞きの良さが、行くにあたっての大きなモチベーションになっているので、こうして実家にわざわざアピールするのは必須である。さらにはそのおかげでプレミアム入浴券が手に入ったのだから、さすがは仏教、因果応報と言うか、効果覿面である。
 帰宅して、夜はプレミアム入浴券をどこで使うかを思案した。おろち湯ったり館は雲南市なので使えない。ならば「ゆらり」がお気に入りだが、今日の一畑薬師が「ゆらり」のもう少し先くらいの場所で、2日連続そこまでの遠出をするのもさすがに億劫だ(ひとりだったら確実に帰りに立ち寄っていた)。うーむ、とせせこましく平和な思案に暮れた。
 明けて今日、午前中にひとりで、出雲市駅すぐの「らんぷの湯」へと繰り出す。プレミアム入浴券は、有効期限が3月末までと言いつつ、利用可能施設全体で利用者が1万人に達した時点でキャンペーン終了、そしてホームページを見たら現時点で6000人を突破ということだったので、うかうかしてたら無駄になってしまうと危機感を抱き、早々に使うことにしたのだった。「らんぷの湯」は、行きやすい場所にありながら、これまでいちども行ったことがなかった。駅前にあるので、あまり伸び伸びした作りの施設ではどうせないだろう、島根でわざわざそんな入浴施設に行かんでもいいだろう、と敬遠していた。でもそんな期待できない施設だからこそ、こういう券を利用でもしないといつまでも行かないだろうと考え、この選択となった。行った結果、印象はどうだったかと言うと、まあ想像通りだった。500円引きであれば文句を言う筋合いでもないな、という感じ。でもだからこそ、本当にいい券の利用法だったと思う。
 帰宅したら、ファルマンとピイガが作っていたチョコクッキーが、黒焦げになり、ピイガがキレていた。ファルマンは「別にこれでいいじゃん」と、適当に選り分け、僕の分を皿に、義父の分をタッパーに入れて、この件を終わらせようとしていたが、ピイガはどうしても納得がいかないらしく、午後になって改めて材料などを買いに出ることになった。そもそも、僕の分はまだいいが、義父に贈るのがタッパーというのはさすがにひどいのではないかと思う。タッパーに入った黒焦げのチョコクッキー。それで済まそうとする娘。人の心がないのだろうか。というわけで、100円ショップでギフトボックスや焼き型を、スーパーで板チョコやココアパウダーなどを買い、帰宅後に今度はガトーショコラを作っていた。こちらはなんとか形になり、やれやれとなった。ちなみに人の心がないと言えば、ポルガはこの間、見事なまでにノータッチである。それでいて、食べるほうにはしっかり参加した。直径12センチほどの型で作ったガトーショコラ、半分は僕で、半分は義父に行くわけだが、僕のそれは4等分され4人で食べたので、僕がもらったのはガトーショコラ3口分くらいのものだ。うん、まあ、そういうものだよな。別にいいんだけどさ。
 晩ごはんは、土曜日がチャーシューメンと餃子、日曜日がチキンステーキとポテトとブロッコリーのミートソースグラタン。どちらもおいしくできた。まあまあ暖かく、なにより天気が良かったため、いい気分で過せた週末だった。春は近い。

堪能中

 11月に入っている。それで10月について少し振り返ってみると、わりと充実して過せたように感じる。ここで言う充実とはなにかと言えば、それは結局のところ、射精の回数になってくると思う。射精の回数が多いということは、意欲が漲っているということで、生きているのが愉しく、日々が充実しているということを意味する。意味し過ぎてしまって、前にも書いたが、じゃあ老いて勃起という武器が失われたら、老病死の哀しみからどうやって自分を守ればいいのか見当もつかないほどなのだが、とりあえず現時点では喫緊の事態とはなっていないので、それについては対策を先送りにしている状況だ。政府と同じですね(切れ味の鋭い政治批判)。
 気温のアップダウンが激しく、なかなか油断できない気候が続く中、わが家の季節の変わり目のいつものパターンで、まずポルガが微妙に体調を崩し、それを他の人間がもらう流れが、この数日ふんわりと巻き起っている。ふんわりと表現したのは、どうもそれが決定的ではないからで、喉であったり洟であったり、それぞれうっすらと不具合はあるのだが、寝込むほどではぜんぜんなく、学校も行っているが、しかし本調子かと言われたら決してそうではない、みたいな状態なのだ。それが僕以外の3人に蔓延している。僕はやけになんともない。下半身も全身も元気だな。
 3日(木)は文化の日で祝日で、本日金曜日が平日、そして土日、というのが今週の世間一般の流れなのだが、なんか僕は会社の方針で金曜日もお休みということになり、ぽっかりと4連休を得ている。4連休! 今年のGWは3連休が2回だったので、単独ではGWにも打ち勝つほどの連休である。なんてったって平日の休みというのがポイントが高い。思わずはしゃいでしまって、やりたいと思っていてなかなかできずにいたことを、3日からいろいろやり出して、その結果10月からずっと続いていたインスタグラムの投稿が、途絶えてしまったほどだ。時間がたっぷりあると、逆に日々のルーティンが崩れてしまったりする。
 今朝は、子どもたちはもちろん学校なので、僕は布団の中で、子どもたちが準備して出発するのを聞いていた。子どもたちが登校なのに自分は出勤しないというのが、かなり久しぶりで、ちょっと無職時代や、不規則な出勤体制だった時期などのことを思い出してしまい、ぬくぬくと幸福感に浸るどころか、ほろ苦い気持ちになった。犬ドッグはトラウマだらけなのだ。午前中は昨晩からの作業の続きをし、昼にファルマンとふたりでうどんの昼ごはんを食べたあと、平日の休みとあらばそれをするしかあるまいよとばかりに、四季荘へと繰り出した。四季荘は、土日は熱波師が来てイベントが催されたりするようで、人も多いだろうし、なによりそういうフェスっぽい感じが好きではないので、行く気にならないが、平日ならば平穏に愉しめるだろうと考えた。行ってみて、実際どうだったかと言えば、思ったより人がいた。平日の日中でこれなのだから、週末はどうなるというのか、と思った。サウナ的には、まあこんなもんかな、という感じだった。最初に行ったときは設備に感動したが、そのインパクトが薄れてしまうと、やはりどうしたって週末のイベントであるとか、ヘビーユーザーたちの内輪受け感などが鼻について、居心地の悪さを覚えてしまう。それと、どうもやっぱり僕は、サウナそのものにそこまでの価値を見出せていないのだとも思った。
 夕方に帰宅して、晩ごはんを作ったり、作業をしたり。やりたいことがやれていて、愉しい。

松江と俺

 労働の用件で松江へと繰り出した。松江行きはいつだって若干身構えるというのに、今回は平日の、普通の出勤的な時間に行かねばならなかったので、さらにハラハラした。特に県庁あたりの、車線の多い、それなのに混雑しがちなあの辺りだ。それでもなんとか目的地に着き、パーキングに車を停め、行先の建物に向かって少し歩いたところ、本当にしみじみと、俺はもうこういう、ビルとかが建ち並ぶ、飲み屋がたくさんある、活動的な街で生きるのは、すごく無理だな、ということを思った。あのお前が松江ごときでそんなことを思うのかよ、という話だが、そういう話なのだ。もう人間が変わったのだ。ああいう、情報量の多い、バリバリやっている人がたくさんいる、激しい街には、すっかり気圧されてしまう側の人間になった。普段の職場があるのは本当に田舎で、そしてそれはすごく喜ばしいことなんだな、ということを思った。用件そのものは、一日仕事ではあるものの、淡々と済まされる事務的なもので、どちらかといえば気楽なものだったが、なんとなく悔いを改められたというか、戒められたような気持ちになった。恵まれた日常を漫然と受け流すのではなく、日々きちんと感謝の思いを嚙み締めなければいけない、などと殊勝なことを思ったりした。それくらい繁華街(何度も言うが松江である)に対して拒否感があった。我ながらその感想に驚いた。
 用件は16時頃に終わり、そこでもう解放という流れだったので、滅多に来ない松江を堪能しようじゃないかと、事前にあれこれとプランを考えていた。考えていたのだが、いざ行ってみたら街に気圧されて心が弱ったため、意欲が失せていた。それでイオン松江にだけ行って、パンドラハウスでワゴンセールになっていたニット生地のはぎれを何点か買い、それでもう松江をあとにすることにした。街に怯え、はぎれを買って癒されようとするって、やっていることがもう、小鳥のようではないか。なんと僕はか弱い生き物になったのか。
 宍道湖のほとりを走り、松江から離れるにつれ、徐々に心は平穏になっていった。たぶん免許センターのあたりが境界線になっている。免許センターからあっちは、心がざわつく。広島ではこんなことにはならなかった。旅行者は気楽だ。松江は、なんなら生活圏だから、こういう思いを抱くのだろうと思う。
 帰り道の途中の平田で、久しぶりに「ゆらり」に立ち寄った。これはあらかじめ計画していた。松江で抱いた心細さから、もういっそ早く家に帰りたいという気持ちもあったが、近ごろはプールばかりでサウナにぜんぜん行っておらず、たまにはのんびりとサウナ温泉をしたいなあという思いは、日常の中にあった。それで今回の計画に入れていた。その気持ちを掻き立て、たぶん行かずに帰ったら後悔するぞと自らを叱咤し、ようやく寄ることができた。ゆらりにはスタンプカードがあり、それによると前回の来訪は去年の8月。ほぼほぼ1年も前である。結果として行ってよかったかどうかで言えば、まあよかった。入館したのは18時前で、まだかなり陽があり気温も高かったため、外気浴がままならないかなあと危ぶんだが、わりとなんとかなった。去年の6月の、これも松江に行った日の「ゆ~ゆ」の二の舞にはならずに済んだ。サウナ内のテレビでは、1回目のときだけギリギリで大相撲をやっていた。思えば夕方ってあまり来ないので、サウナで相撲を見たのは初めてかもしれない。野球もいいが、相撲も実にサウナ向きのものだなあと思った。3セットし、いい具合にすっきりし、温泉にもじっくり浸かって、堪能した。そこまで頻繁に行くものでもないと思うが、サウナもたまに行くとやっぱりいいもんだな、と思った。松江で受けたダメージが回復し、纏わりついていたものが取り払われた気がした。
 そんな今回の松江行きだった。松江に行ったときのことはきちんと書く。前から意識してそうしてきたが、松江はどうも、なにか僕の心をざわつかせるところがあるようだ。なんでだろう。倉敷市民時代、岡山に対してこんな思いはなかった。不思議。

広島旅行2022浅春 ~39歳の目覚め~

 日付が変わってファルマンの誕生日になった、その1時間後あたり、ファルマンは物音で目を覚ましたという。それは隣室から聞こえてきているようで、はじめはなんなのか判らなかったが、繰り返される一定のリズムの正体に、ファルマンはやがて思い至ったという。そしてリズムは次第にペースを上げ、やがてフィニッシュを迎えたそうだ。ファルマン、39歳になって最初に起った出来事がこれ。これからの1年間を暗示しているのだろうか。
 そのめっちゃおもしろい事態の間、ぐっすり眠っていた僕は、いつものように6時過ぎに目を覚まし、家族を起こさぬよう準備をして、朝風呂に向かった。気持ちがよかった。とてもいい目覚めだった。ドーミーインを心ゆくまで堪能した。
 チェックアウト後は、ビル街の中を車で進み、広島城へとやってきた。そっち方面は本当に詳しくないので、広島に城があるなんてこれまで知らなかった。ならばなぜ来たかと言えば、ポルガが、今年の初詣から御朱印帳を始めたことで神社や城に興味を持ち始めたため、広島城で御城印をもらう(買う)というイベントが旅行に組み込まれたのだった。ちなみにもちろん昨日の厳島神社でも御朱印を書いてもらっていた。
 案内された少し遠い市営駐車場に車を停め、歩いていくと、広島城のお膝元には、広島護国神社という神社があり、桜がちょうど満開の晴れた大安の日曜日ということもあって、お宮参りやら祈祷やらの人々でとても賑わっていた。なんならあとでこちらでも御朱印をもらおうと話しながら、まずは広島城へと入城する。中は5階建てくらいで、当時の文化や道具などが紹介される、博物館のようになっていた。最上階の天守閣では、建物の外側に設置された通路で360度を見渡すことができ、なかなかいい景色だった(もっと高い建物が周りにあったけど)。昨日行った宮島も見えた。城を出たあとで、やはり護国神社にも立ち寄り、参拝したり、御朱印をもらったりした。つまり今回の広島旅行で、ポルガは新たに3枚分をゲットしたのだった。御朱印帳、なるほどコレクター心というか、スタンプラリー心というか、そういったところを刺激されてなかなか愉しそうだ。ただ旅行するより、旅行先のそういうのを目的にすると、より面白みが増すだろうと思う。
 広島城からは、歩いて次の目的地、原爆ドームや平和記念公園のエリアへと向かう。幸いなことに、このあたりは徒歩圏内なのである。ちょっと歩いて、大きな道を渡ると、すぐ目の前に原爆ドームがあった。たぶん子どもの頃も見て、修学旅行では確実に見て、そのためおそらく3回目になると思うが、やはり迫力があり、そこだけ空気の質が違っているような気がした。世界遺産であり、有名スポットだが、観光地と無邪気に言うわけにもいかず、子どもらを前に立たせて写真というのもどこか違う気がして、ふむー、と粛々とした気持ちでしばし眺め、先に進んだ。先には平和記念公園があって、花見客でとても賑わっている様子だった。平和記念公園って8月15日の式典でしか見ないので、いつもあんなふうな、かしこまった空間なのかと思っていたが、街の中にある公園として、明るく利用されているようで、なんだかホッとした。なにしろ平和を記念する公園である。平和ならば平和に使えばいいのだ。いま世の中が平和なのかと言えば、あまりそんなこともないけれども。
 園内では大勢の人が、ベンチに座ったり芝生に腰を下ろしたりして、酒を飲んだり食事をしたりしていたので、わが家もここで昼ごはんを食べることにした。公園からの脇道にセブンイレブンが見えたので、お弁当でも買おうかと歩みを進めたところ、松屋の袋を提げている人とすれ違い、松屋があるのか! と色めき立ち、松屋に方針転換した。広島まで来てなぜ松屋、という話だが、実は島根県どころの話ではなく、山陰地方には松屋がないのだ。そのため松屋は十分に、旅先でしか味わえないグルメの要件を満たすのだった。セブンイレブンの向かいには、広島風お好み焼きの店が行列を作っていたが、そんなものには目もくれず、松屋を探し求めて歩く。セブンイレブンの奥には、予想外の商店街が続いていた。阿佐ヶ谷パールセンターを連想するような、この商店街の感じが、やっぱり都会なのだと思った。いろいろな店があり、歩いているだけでおもしろかった。そしてしばらく進んだところで無事に松屋を発見し、牛めし弁当などを買い込む。嬉しい。ほくほくした気持ちで平和記念公園へと戻り、花壇の前のブロックに場所を確保して、食べた。おいしかった。松屋は、一時期(書店員時代だ)あまりにも食べ過ぎて食べられなくなった時期があったが、たぶん僕は牛丼3大チェーンの中で、本当は松屋がいちばん好きなのだ。数年ぶりに食べて、そのことを再認識した。でも山陰にはないのだ。もしかするとそれもまた美味しさの一助になっているのかもしれないとも思う。松屋はおいしく、春の陽気がぽかぽかと暖かく(昨日は実はわりと寒かった)、桜は満開で、とても心地よい時間だった。4月3日はいつもわりと桜が満開で、ファルマンは柄にもなく溌溂として朗らかな、とてもいい時期に生まれたものだと、毎年思う。印象深い39歳の誕生日になったのではないかと思う。
 腹ごしらえをしたあとで、平和記念公園の平和記念公園たる部分を見て回る。原爆ドームほどのピリピリした感じはないにせよ、やはりここもまた、それなりに粛々と受け止めた。原爆資料館へは、入らなかった。修学旅行の代替として来ているので、行くべきなのかもしれなかったが、しかしながらここは、家族と離れ離れの状況で見るべきものなんじゃないかという気もした。原爆資料館を見て、家に帰ったら、原爆資料館を一緒に見たわけではない家族がいるから救われるという、ここはそういう場所だと思った。だから一家で入るわけにはいかなかった。ピイガが修学旅行をする頃には、さすがに県外に行けるだろうから、ピイガはその時に見ることになるのではないかと思う。
 広島旅行の行程はこれでおしまい。宮島、広島城、原爆ドーム、平和記念公園と、とてもオーソドックスに広島の要所を拾った1泊2日であった。大成功と言っていいのではないかと思う。家族旅行はやっぱり愉しいな。しかし鳥取と広島をやってしまったので、次の目的地の当てがない。車で行けて、1泊2日の範囲がいいなと思うが、岡山に行ってもしょうがないし、山口はどうも食指が動かない。いっそ移動を少しがんばって福岡か? いよいよ九州バージン喪失か? とも思うが、福岡はやろうと思うといろいろ大変そうだとも思う。まあどちらにせよしばらく先だ。11月の鳥取は、秋からのレジャーの集大成だったが、今回の広島は、いわばレジャー時期の幕開けを告げる鐘だ。これからは公園やプールや海など、近隣の大自然を堪能しようと思う。

広島旅行2022浅春 ~日本シリーズとたけしと開幕と三谷幸喜~

 広島市街は都会だった。さすがは中国地方最大だと思った。ビル街のような風景を、とても久しぶりに見た気がした。島根でいちばん栄えているのはどうしたって松江ということになるが、松江にビル街はない。おらの県にはビル街がないのだ。そして中心部のビル街から少し抜けると、島根ではとても見かけないような大規模のマンション群もあり、人口の多さ、すなわち力強さを痛感した。横浜市の中学生時代、広島に来てもそんなことはまるで感じなかった。ビルに気圧されたりなんて全然しなかった。それはそうだろう。逆に、20代前半に初めて島根に来たとき、その田舎っぷりに大きなショックを受けたものだ。隔世の感があるな。
 ホテルはドーミーインの、去年の11月にできたという、新しいほう。泊まる場所は、前回の鳥取もだったが、「サウナイキタイ」から探すスタイルで、オーシャンのような愉しそうな場所はなかったけれど、ドーミーインならまず間違いなかった。なんてったってコスパだ。おとなひとりの宿泊料が安い上に、子どもの添い寝は無料とのことで、とても安く上がった。半月前でこのプランが取れたのは、この週末に広島でカープの試合がなかったことも関係しているんだろうと思う。建物も部屋も新しくきれいで、とてもよかった。
 晩ごはんを食べる前に、お風呂を済ませることにする。お風呂は14階にある。14階のお風呂で、露天もあるというので、どんな光景だろうと期待していたが、大都会広島には14階よりも高い建物がたくさんあるため、そこまで開放的な作りであるはずもなかった。オーシャンの、2階のテラスから無人の海に向かって外気浴、というほうが異常なのだ。18時になったばかりくらいの大浴場は人が少なく、快適だった。女風呂のファルマンたちに至っては貸し切りだったそうで、なにぶん子どもたちはちょこまかと動いていつもハラハラさせられるので、他者に気兼ねしなくてよかったのはとてもよかったという。オーシャンでは、入浴後ファルマンは不機嫌になっていたため、それがなかったのはありがたかった。サウナにも少しだけ入り、コンパクトに1セットこなしたが、空腹もあり、家族との兼ね合いもあり、本格的に入るのはまた夜にすることとして、素早く上がる。打ち合わせをしたわけではなかったが、ちょうど同じようなタイミングで出てきたので、みんなでサービスのアイスをもらって部屋に戻った。
 部屋で夕飯のスシローを食べる。一応ビジネスホテルなので大きいテーブルがあるわけではなく、少々食べづらかったが、鮨なのでなんとかなった。おいしかった。冷蔵庫で冷やしておいたアサヒのジョッキ生が、涙が出るほどにおいしかった。お風呂に入って、鮨を喰って、ビールを飲んで、家族がいて、すぐ横にはベッドがあって、くっつけたふたつのベッドで今晩は旅先で4人で寝るのだと思うと、寝不足と疲労によってすぐに襲ってきた酩酊感と眠気もあり、ふわふわと夢心地のような幸福感があった。
 鮨だけでだいぶお腹がいっぱいになったが、ドーミーインと言えば夜鳴きそばということで、時間になるのを待って、食べにいく。もちろん人数分はもらわない。そんなに喰えない。だけどおいしかった。話には聞いていたが、ドーミーインは本当に至れり尽くせりだな、と思った。
 それから子どもたちは就寝するので、僕はひとりで大浴場に向かった。ここで本格的にサウナを堪能するつもりだったが、いかんせん満腹感やら疲労感やら眠気やらで、もたなかった。行くだけ行ったが、今回もさっきと同じくらいの小上がりで終えた。人は、夕方よりは多少増えていたが、それでもそんなに多くなかった。オーシャンは大賑わいだったな、とあの日のことを思い出した。あの晩は、日本シリーズ、ヤクルト対オリックスの初戦で、狭くないサウナに、詰めるように大勢で入り、試合を眺めたのだった。懐かしい。愉しかった。あれからちょうど1週間後の土曜日に、ヤクルトが4勝目を挙げ、シリーズは終了した。そしてその試合が長引いたことで、「ニュース7Days」の放送開始が大幅に遅れ、それがきっかけとなってビートたけしが体力の減退を理由に番組を降りることとなり、そして今年のペナントレースが始まって1週間後のこの日の夜が、たけしに代わって三谷幸喜が新キャスターとなった新体制の放送初日なのだった。そのあたりのことが妙に印象深かったので、こうしてここに書き残しておいた。三谷幸喜は、思っていたよりも当たり障りなくやっていた。生のニュース番組でボケたりジョークを言ったりするのは難しいだろうな。
 風呂から出て、部屋に戻ったあとは、すぐに寝た。日付が変わればファルマンの誕生日だが、そこまで起きていられるはずもなかった。子どもたちもわりとすぐに寝た。シングルサイズのベッドふたつだが、合体させたら4人で寝てもそう狭く感じなかった。全体的に、細目で小さ目な4人なのだ。深く寝た。
 つづく。

さよなら2021

 仕事はなんとか28日に納まり、おとといから休みに入っている。12月はずいぶん働いた。なのでまとまった休みがとても嬉しいのだった。
 休み初日は午前中に、年末年始の食糧品の買い出しを行なった。12月の食費は、クリスマスというイベントを経ながらも(苺が高いのなんのって)、日々の弛まぬ努力によって、なんとかかんとか余裕を持って終われそうな情勢となり、それで気が大きくなって、今年最後の買い物は、これからの数日間、食べ物関係で困ることが一切ないよう、「迷ったら買う」をコンセプトとし、がしがしとカゴに物を入れていったら、結果的にあったはずの「余裕」はすべて吐き出され、非常にスリリングな数字となった。まあ本当に、これで今年の買い物は終了の予定だから、それでいいのだけど(ただし1月には2度の誕生日祝いが待ち受けている)。
 午後は、子どもたちを実家に預かってもらい、ファルマンはまだ納まらぬ仕事(在宅ワーカーというのは、出勤せずに仕事ができる分、いつまででも仕事ができてしまうのだった)に邁進し、僕は筋トレとハンドメイドをして過した。ゆとりのある時間の中で、思うままに筋トレとハンドメイドをするという過し方は、バタバタだった12月において、強く希っていたことだったので、精神がぐいんぐいんと癒されていくのを感じた。
 晩ごはんは、鮭ときのこのホイル焼きと、お買い得の甘えびの刺身。甘えびって、たまに殻付きで、舟にどっさり乗ってやけに安い、みたいなものが店頭に並ぶが、普段は工場加工品という感じの、殻が剥かれて均一な大きさのそれが平たく整然と並んでいる、しかもやけに高いのしかなくて、どういう流通経緯によってそうなっているのか、よく分からない。自分で殻を剥いて(もちろん食卓で各自が剥くのではなく、事前に僕が全て剥くのである)食べる甘えびは、ねっとりと甘く、とてもおいしかった。頭部などは、なんかうまくやるとおいしいダシとかが出るんだよな、と思いつつ、ノウハウがないので捨てた。捨てたというか、今年のごみの収集はもう終了していて、次はだいぶ先になってしまうため、えびの殻はヤバいということで、袋に入れて冷凍庫に入れた。「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の句があるが、棒の如きものとは、甘えびの頭だったのかもしれない。
 夜には、ファルマンに髪のブリーチをお願いして、やってもらった。1ヶ月半くらい前にも実はやっていて、しかしそのときはとても穏当なブリーチ剤を使ったため、光に当てると茶色いね、というくらいにしか茶色くならず、ファルマンは「そのくらいがいいよ」と諭してきたのだが、やっぱり充足がいかず、今度は激しいほうの商品を買って、(しぶしぶと)やってもらった。その結果、金とはいかなかったが、だいぶ明るい茶色になった。やっぱりなんだかんだで、髪が明るいほうが気持ちが上向くのだった。これからまた数日で色味が変わってくるので、それから判断するが、もしかするとここへ、今度は脱色ではなく色を入れるかもしれない。
 昨日は、ファルマンは引き続き仕事だったため、基本的に家で過した。こんなときにしかできないということで、かねてより「試してみたいね」と口にしていた、リビングのテーブルを座卓と入れ替える、という事業を、ひとりで行なった。これまで使っていなかった座卓は外の物置にあり、それを持って上がり、これまで使っていたダイニングテーブルを解体して、今度は外の物置に持って降りるという工程であり、けっこう大変だった。その結果、想像していたよりもいい具合になった。これまでメインテーブルと、ソファーに対するローテーブルという、ふたつがリビングにあったのが、座卓がそのふたつを兼用するようになったため、部屋が広くすっきりとした印象になった。また戻すのは大変だし、よほどの問題がない限り、しばらくはこれでいこうと思う。
 それ以外の時間は、料理をしたり、やはりハンドメイドをしたりした。のんびり、余裕である。休みが1日しかないと思って、もっと詰め込んで作業をすれば、もちろん作業はもっと進むのだが、休みがけっこうあるとなると、どうしても間延びする。でもそれでいいのだ、その余裕がいいのだ、と思う。それと、2021年、丑年が終わるということで、12月に入ったあたりから、今年でいよいよひと回りとなる干支4コマの牛編のことに、生活の端々で思いを馳せ、やらなければなあ、やらなければなあと懊悩し、オムライスにも、ピイガがクリスマスにもらったホワイトボードにも牛の絵を描くほど、12月下旬にここまで、来年ではなく今年の干支に縛られてる人間が他にいるだろうか、というくらいの状態だったが、しかし(言い訳に過ぎないが)12月は予想以上に忙しく、とうとう1話も投稿しないままここまで来てしまって、それでも29日から休みなのだから、3日あればできるな、などと考えていたのだが、まるでやる気配を見せない自分に、30日の昼過ぎあたりに、「あ、こいつもう、今年の投稿はすっぱりあきらめたな」ということを察し、そう察したら、パーッと視界が開けて、すっきりと解放された気持ちになった。やりきったら、それはもちろんすっきりしたことだろうが、やらないことにしても、それはそれですっきりするのだな、と思った。まあ牛だけに、牛歩作戦ということで、旧正月までにゆっくり投稿しようと思う。
 大みそかの今日は、子どもたちがまた実家に行くというので、それを送りついでに、僕はおろち湯ったり館に行った。送りついでといっても、実家へは車で5分ほどだが、湯ったり館へはそこから30分弱かかるので、ただやっぱりどうしても行きたかっただけの話だ。サウナに行ったらプールのことを想うし、プールに行ったらサウナのことを想ってしまうので、そうなるとどうしたって湯ったり館しかない、ということになる。起きたら雪が舞っていたので、雲南のほうはどうかな、と思ったが、まあ大丈夫だった。2021年の心残りを残さないための湯ったり館は、プールは空いていてとてもよく、たっぷり30分間、20メートル弱くらいのコースを50往復くらいして、しっかり堪能した。大みそかに泳いだのって、人生で初めてかもしれない。一方サウナはけっこう混んでいたため、外気の寒さもあって温度が低く、ちょっと微妙だった。もちろん時期的に2階も閉鎖されているし、そういう意味では残念だったが、でもまあ、行って後悔はない。やっぱり湯ったり館はいい。
 このあとは子どもが帰ってきて、紅白などを観ながら、晩ごはんや年越しそばを食べるだけだ。今年の行動も、日記も、これでおしまい。1月4日に引っ越してきた2021年の島根生活も、いやまったく自分でも信じられないくらいの紆余曲折を経ながらも、なんとかこうして、わりとゆったり、平穏な年末を家族で迎えることができていて、料理を一手に引き受け、さらにはリビングで裁断などしているので、子どもたちと一緒にいる時間も長く、しみじみと幸福を感じている。来年もいい年になりますように。

鳥取旅行2021晩秋 ~おすしとおふろ~

 鳥取砂丘こどもの国で遊び終えたあとは、本日の宿泊先に向かう。米子である。無理すれば日帰りできないこともない鳥取砂丘を、あえて1泊2日の旅行にして、宿泊先をどこにするかといえば、もうだいぶ自宅に近い、米子なのだった。グーグルマップで検索すると、自宅から米子までは1時間ちょいである。思っていたより近い。帰ろうと思えばぜんぜん帰れる。でもそういうことじゃない。なぜなら旅行なのだから。
 そもそも白状するならば、僕にとって今回の旅行は、鳥取砂丘はサブ目的であって、メインは宿泊、それも温泉およびサウナなのだった。泊まったのはオーシャンというビジネスホテルで、ビジネスホテルといっても今どきの、家族や仲間で泊まれる部屋もある、そういうホテルである。そしてこの同じ敷地内に日帰り温泉オーシャンという、スパ施設として普通に一般向けに営業している、もちろん同系列の施設があり、宿泊客はそこの入浴チケットがもらえる。すなわち風呂に入って、サウナに入って、ビール飲んで、飯を食べて、寝る。そういうことができる。それがしたいというのが起点となり、今回の旅行計画が始まったのだ。
 ホテルには16時半ごろに到着した。案内された部屋は、ホテルにふたつある特別室のひとつで、ビジネスホテルという感じはまるでなかった。しかも旅行日記の冒頭で後述すると書いたキャンペーン、その名もWeLove山陰キャンペーンにより、宿泊料金は通常の半額となり、ふたりは子ども料金とはいえ、4人で11000円というのは、あまりにも破格なのだった。
 このあとすぐに温泉に行ければよかったのだが、晩ごはんとして用意周到に数日前からweb予約しておいたスシローを受け取りに行ったり、スーパーでビールや朝ごはんを買い込んだり、僕だけそんな用事を済ます。知らない街の、知らないチェーンのスーパーが、旅情を掻き立て、おもしろかった。見たことのないプリンを見つけ、思わず買ったりした。
 部屋に戻ったあと、ようやく温泉へ。日が短いので、17時半くらいでもうすっかり暗くなってしまった。外気浴的に、これはかなり残念だった。さいきんサウナについてこのブログで告白したとおり、僕はサウナに、外で裸になる快感を求めている部分が大いにあるので、あたりが暗くなってしまったらあんまり意味がない。温泉は翌日にも入る権利があるのだが、温泉がオープンするのは10時なので、それを待つつもりはなかった。つまり明るいオーシャンには入り損ねた。せっかく男湯が2階の海風呂で、テラスから目の前の海に向かって裸でデッキチェアに座って休憩できるという、貴重な経験ができる機会だったのに。
 そこだけは残念だったが、まあ温泉もサウナも愉しめた。土曜日の夜なので、まあまあ混んでいた。とはいえ数年前の横浜のスーパー銭湯ほどのことはない。あれはいま思えば、「ギャグマンガ日和」のあの話くらいの人口密度だった気がする。月明りしかなかった(温泉に入る前、家族で赤い月を見た)ものの、目的のデッキチェアは堪能できたし。ちなみにサウナ内のテレビでは、今日開幕の日本シリーズ、ヤクルト対オリックスが放映されていて、それもまた特別な夜の印象を強くさせた。
 約束していた時間に部屋に戻ると、はしゃぐ子どもたちの世話が大変だったことと空腹で、ファルマンの機嫌が悪くなっていたため、すぐに鮨にする。砂丘で遊んで、温泉に入って、家族で鮨を囲み、ビールを飲みながら日本シリーズを眺める。なんだこれ、しあわせかよ、と思う。これ以上があまり浮かばない。
 だらだらと鮨を喰い、子どもたちが寝る時間となり、しかし興奮してあまり寝そうになく、「部屋を暗くして寝かしつけるからお風呂行きなよ」とファルマンがいってくれ、2度目の温泉に入りにいく。駐車場を突っ切り、徒歩1分半。いいなあ。22時前だが、まだまだ人は多い。むしろ夕方よりも多かったかもしれない。日本シリーズはまだ続いていた。9回裏、ここを抑えたらヤクルトの勝ち、というところで、サウナ室の座った位置が、あまりにも熱の高い場所だったため、どうせこのまま決まりだろうと、見届けずにたまらず出る。そして水風呂と外気浴をして、十数分後にふたたびサウナ室に戻ったら、オリックスが逆転サヨナラ勝利していた。そのときサウナ室は盛り上がったろうかな。
 2回目の入浴を堪能し、部屋に戻る。子どもたちは寝ていた。大人だってクタクタだ。鮨の残りを食べきり、眠りに就いた。
 つづく。

サウナについて思う ~仮面の告白~

 思えば21歳くらいの頃、タバコに関しても、なんとなく惰性で吸っていたのを、あるとき急に、俺は他の人たちほどは、タバコの美味さを享受していない気がする、と気が付いて、それから一気に吸う気がなくなり、やめた。やめたらやめたで、ぜんぜんタバコが恋しくなくなって、ああ本当に、別に正式に必要としていたわけではなかったんだな、と少し驚いた。
 いまサウナに関しても、それと同じムードを感じている。
 「ととのう」というのがあるだろう。今年の新語・流行語大賞にもノミネートされた、サウナブームのきっかけとなったといってもいい言葉。サウナ、水風呂、外気浴を繰り返すことで、血流がよくなって、頭が覚醒し、パーッと蒙が啓かれたような状態になることを指すが、実をいうと僕は、本当にきちんと「ととのう」を実感したことはない。ああこれかな、と思う瞬間はあったが、それというのは意識が飛ぶような、地上にありながら少し浮遊するような、そういう感触であって、これをさらに高めれば「ととのう」ということなのかもしれないとも思ったが、だとすればそれって、クスリであったり、首を絞めて意識を失う直前であったり、なんかそういう、少し危険な状態なのではないかとも思った。本当の「ととのう」は違うかもしれないが、どちらにしろ僕はどうやらそこには到達できないようだ、と諦観している。
 そして意識が飛びそうになる、その気配にある種の快感を覚えるという意味なら、僕の場合サウナよりもプールのほうが、手っ取り早く到達できる。トレーニングって結局マゾヒズムなので、もう既にかなり苦しい状態で、なんとか端まで泳ぎ着いたあと、立ち止まって呼吸を整えるかと思いきや、止まらずタッチターンをしてさらに25メートルの旅に出るとき、体は「マジかよ!」と嘆くと同時に、意気を感じるのか、普段の生活では決して引き出されない、なんかしらのものがみなぎるのを感じる。それが僕にとっての「ととのい」なのではないか、というようなことを思う。だからプールはいい。
 それで、前の記事の終わりに引っ張ったが、それだのになぜ僕はこれからもサウナに行かないこともない所存なのか、である。サウナそのものでは、もちろんそれなりの気持ちよさはあるものの、そこまで特別な快感を得られないのに、なぜわざわざサウナに行くというのか。
 それはずばり、裸になるためだ。
 僕はととのえない、ということを喝破する前から、僕はもともと、サウナにおいていちばん大事なのは外気浴だと感じていた。サウナ室の香りであるとか、湿度であるとか、水風呂の温度であるとか、そういうのはそこまで重要ではなく、とにかく外気浴がどれだけ開放的かという、いいサウナの基準は主にそこにあった。そうなのだ、僕はサウナにかこつけて、外で裸になりたかったのだ。
 つづく。

サウナについて思う ~永すぎた春~

 労働の帰りにプールに寄る日々を復活させた。幸いなことに、ここ島根でも、通勤のルート上にプールがあるのだった。ありがたいことである。
 プール通いはもちろん運動不足の解消が主たる理由だが、久しぶりにがっつりひとりで泳ぐということをして、運動以前に、気分転換とか、リフレッシュとか、そういう精神作用も含め、要するに僕は泳ぐのが好きなんだな、ということをしみじみと思った。それが同時に運動不足の解消および筋トレになるのだから、いいことづくめである。
 そんないいことづくめのプールを再発見して、ふと思う。
 サウナってどうなのかと。
 ちょっと前からうっすらと、サウナに対する不信感というか、疑いが生じている。どうも自分は、実はそこまでサウナの快楽を享受していないんじゃないかと思うようになった。先日、サウナに関する書籍を図書館で借りて読んで、それで余計に白けた気持ちなってしまった、というのもあるかもしれない。借りて読んでおいていうのも何だが、そういえば僕は、人の好きなもの、人が愛を語るものが、好きじゃないのだ。もっともサウナに関しては、「俺はひっそり好きだったのにブームでにわかが増えてうんざり」ということでは決してなく、思いっきり、おととしあたりからのブームに乗っかってサウナに傾倒した口なので、それでいて「サウナ好きが多すぎてウザい」もなにもあったもんじゃない。
 しかし、これはブームの時期的にもジャンルの雰囲気的にも、大いに共通するところがあるが、キャンプブームというのもあるだろう。これに関して、夏にTwitterにアップしていたヒットくん漫画の中で、「キャンプはもはやオシャレでもなんでもなく、ゴルフの様相を呈し始めている」ということを主張したが、サウナもまた、だいぶそのムードがある。というか、そもそもサウナは、ゴルフとおっさんとワンセットのものだったはずで、それが昨今、北欧にかこつけて、ちょっとシャレオツなものであるかのような扱われ方をし、そしてブームになったわけだが、自分自身それに乗っかってひとしきりサウナを味わった結果、まあ結局サウナというのは、おっさん趣味のものであり、そんないいもんじゃない、という結論に至った。
 こんなことをいうと、それは本当にサウナの良さに気づけていないだけ、入り方が間違ってる、あるいはいいサウナを知らないのだ、なんてことをいわれそうだが、別にそれに対して反論をする気持ちもない。サウナを偏愛する人のことは、それはそれでいいと思うし、その人たちはサウナで僕よりもはるかに大きな快楽を得るのだろうと思う。僕はそうではなかった。そんな結論がこのたび出た。それじゃあプール通いも始まり、僕はもうサウナには行かないのか、といえば、実はそんなこともない気がする。なぜか。なにを求めて僕はサウナに行くのか。それは。
 つづく。