前にも書いたが、実家の布団は硬い。どういう作用によるものか、年々硬くなっているような気がする。3日目ともなると、今晩もあの布団で寝るのかと思うだけで憂鬱になる。それくらい硬い。しかし1年で3日しか寝ない身分でマットレスを所望することもできず、耐え忍ぶしかないとあきらめていた。だが今回、これはさすがに体への負担が大きすぎるとなって、次に帰省する際は、車に自前のマットレスを積んでこようと決心した。子どもたちはさすがなもので平気らしいので、僕とファルマンのふたり分でいい。たぶんキャンプ用品とかで、コンパクトに収納できるいい感じのものが世の中にはあるはずだと検索したら、安い値段でいくらでも出てきた。安くていい。そこまでのクオリティなど求めない。現状の、畳に硬い布団だけのつらさに較べたら、どんなものでもあるだけマシだろうと思う。次は忘れず、必ず。
この日は実家を立つ日で、しかし例のごとくホテルまで移動するだけなので、急がない。午前中はのんびり過し、早めの昼ごはんをお腹に入れて出発という算段だった。この午前に、僕はプールに行くことにした。横浜でプールに行くチャンスがあるかもしれないと思い、用品は車に載せてきていたのだ。子どもの頃によく行った北部(都筑)プール、中学生の頃よく行った中川(山崎公園)プール、そして横浜国際プールと、行きたいプールはいくつかあったが、実は高校時代から住むいまの実家からいちばん近いプールは、住所は川崎市となるヨネッティー王禅寺というプールであると母に教えられ、じゃあそこに行ってみるか、ということで行った。もちろんひとりである。この世でいちばん狭い駐車場なんじゃないかと思うくらい狭い駐車スペースにヒヤヒヤしながら車を停め、たどり着いたプールは、採光はまあまあ良かったが、水深が浅く、うーん、という感じだった。あとシャワー室や更衣室がだいぶ粗雑な印象で、なんだか遠い島根のホームプールのことが恋しくなった。
プールの帰りに給油を済ませ、出発する。結局、昨日おとといとがっつり外出したので、なんだかあっという間の帰省だった。本日の目的地はどこかと言うと、これがなんとキャッスルイン豊川なのである。さすがにはじめからそうするつもりではなかったのだが、実は今年もポルガの部活に振り回され、1ヶ月ほど前に帰省の日程が1日後ろ倒しになったことで、帰りに泊まるはずだった三重県のホテルはキャンセルし、行きも帰りもキャッスルイン豊川ということになったのだった。好きすぎるだろ、キャッスルイン豊川。
この日は途中まで新東名を走ったのだが、御殿場を過ぎたあたりで、たぶんあれは富士山の中腹なのだろう、という姿を目にした。上半分は雲が掛かっていたが、いちおうは見えた。あと2025年に新東名を走る以上、どうしたって参らないわけにはいかないスポット、浜松サービスエリアにももちろん立ち寄った。もっとも本来は上り方面でなければならないのだが、そこはしょうがない。広末涼子は奈良県での撮影のあと、ここで同乗男性と運転を交代し、そして掛川PA付近で事故を起したのだ。そしてこの浜松サービスエリアでは、通行人に「広末でーす」と大声で名乗るなどの奇行が目撃されていたという。この一件が報じられて以来、今年も帰省をするなら絶対に浜松サービスエリアに行かなければいけない、行ったら俺も「広末でーす」と叫ぼう、もしかしたら当地には「広末でーす」を記念した撮影スポットができているかもしれない、などと考えていた。残念ながらそんなものはなかったが(上りにはあるのかもしれない)、ああ自分はいまあの現場にいるのだと感激し、聖地巡礼をするファンの心理が初めて解った気がした。ちなみにだが、広末涼子はあの日、車の運転で140キロを出していたと言われるけれど、このあたりの道は制限速度が120キロだったりするので、140キロというのもそこまで素っ頓狂な数字ではない、ということをここに記しておく。これで世間の広末涼子に対する印象が少しでも改善されればそれ以上の望みはない。
テレビっ子としての欲求も無事に満たし、4日ぶり3度目のキャッスルイン豊川へ。数日前に泊まったホテルにまた泊まるという経験は初めてで、なんだか不思議な感覚だった。この日も思う存分、漫画やサウナを堪能する。前回の月曜日(11日)がけっこう混雑していたので、金曜日なんてもっと混んでいるだろうと思いきや、この日はそれほどでもなかった。前回のサウナでは、テレビで「ラーゲリより愛を込めて」をやっていて微妙な気持ちになったが、この日の金曜ロードショーでは「火垂るの墓」をやっていたはずで、避けていたわけではなく、ちょうどその時間帯にはサウナに入らなかったのだが、さすがにチャンネルがそこに回されてはなかったろうな、などと思った。
3日実家の布団で寝たあとのキャッスルイン豊川のベッドは、まるでベッドのようだと思った。雲のよう、などと大袈裟なことを言うつもりはない。ベッドがベッドだった。それでいいのだ。実家の布団は、なんかもう布団としての要件を満たしていないように思う。実家の布団への恨み節がしつこい。でも本当に実家の印象がそれだけになるくらいのインパクトだったんだもの。