松江に行った日はやけに丁寧に日記を書く癖がある

 東京時代に作ったみずほ銀行の口座がずっとあって、でも地方住まいにとってはみずほ銀行の口座を持っているメリットなんてまるでなくて、それでも別に口座を持っているというだけのことなら、わずかな額面の預金に利子がつかないのは当然のこととしても、特に支障もないので放置していてよかったのだが、大学生時代に口座を作った際(江古田支店!)に、悪い大人に騙されたようで、クレジットがらみの「国際ナントカカントカ」みたいなサービスに加入させられていて、これは海外でクレジットカードを使う際になんかしらのメリットがあるとか、なにぶん使ったことがないので(国内でさえクレジットカードなんてほぼ使わない)名称を含めなんにもよく知らないのだが、そのサービス使用料が年間2000円だか3000円だか、毎年無意味に預金から引き落とされていて、それが長年すごく嫌だった。なんとかしたいと思うのだが、電話ではやけに埒が明かず、実店舗に行くしかないと思うものの、地方なのでみずほ銀行が身近になくて、にっちもさっちもいかず、そしてやはり1年にいちど、まったく無意味に、本当に上納金のように預金からお金を持っていかれる、というのがここ何年も続いていた。
 それをこのたび、松江にみずほ銀行の支店があるということを知って、折よく平日の休みがあったので、赴いて口座を閉じることにした。問題なのはあのサービスだけであり、本当はそれだけ解除すればいいのだが、口座を閉じるという強硬姿勢に出たのにはわけがあった。実は以前、岡山時代に、同じ懸念を抱えて、倉敷支店に赴いたことがあった。その際は、まだいろいろみずほ銀行から引き落とされるようにしていた契約などもあったため、口座を閉じるという発想はなく、とにかくそのサービスの解除だけを目的としていた。それで受付に行って、かくかくしかじかでこのサービスをやめたいのだと相談したところ、そんなことがあっていいのかと思うが、行員はぜんぜんピンと来ない様子で、おたくがなにを言っているのかさっぱり分からない、クレジット関係のサービスならば銀行ではなくクレジット会社のほうの話ではないだろうか、いきなり得体の知れないことを言われて困惑している、なんなら警備員を呼ぶぞ、くらいの、後半はもちろん僕が勝手に銀行という空間に対してビビッたために抱いた引け目なのだが、それで仕方なくほうほうの体で逃げ帰るという、とにかくそんな出来事が過去にあったため、もはや今回はサービスの解除は諦め、このために口座引き落としの変更手続きは全てファルマンにしてもらっていたので(実際、地方にいる限りみずほ銀行じゃないほうが圧倒的に便利なのだ)、満を持してみずほ銀行とはすっぱり縁を切ることにしたのだ。
 というわけで、真夏のファルマンの免許試験に続き、珍しくあまり間を空けずの松江来訪となった。そして今回は、本当に稀有なことだが、なんと電車で行くことにした。もっとも松江は微妙に遠く、そして微妙に都会のため、ひとりならば電車という選択肢も、まあまあなきにしもあらずらしい。三女もいつぞや電車で行っていた。そのときは「なんで電車で」と思ったが、自分の立場になって分かった。松江に車で行くの、わりと億劫だ。というわけでの電車。島根に来てから10ヶ月ほどになるが、このたび初めて電車に乗った。岡山時代も、それこそ江古田支店で口座を作ったような時代からは考えられないほどに電車に乗る機会は少なかったが、それでもマリンライナーの存在感はそれなりにあった。島根はその比ではない。それはファルマンも必要に迫られて免許を取るわけだ。
 電車はのんびり走り、のんびり停車し、のんびり松江までたどり着いた。もちろん半端な時間だということもあったろうが、2両編成の車内はスカスカで、4人席をひとりで使い、本を読んだり、田んぼを見たり、うつらうつらしたりしながら過した。
 降り立った松江駅は、やはり微妙に都会なのだった。前に書いたかどうか忘れたが、松江の駅周辺は、岡山ほどではないが、倉敷とどっこいどっこいくらいの規模かな、と思う。岡山と倉敷の関係性は、そのまま松江と出雲のそれに対応すると前から思っているのだが、岡山県の劣勢のほうが、島根県の優勢のほうと同じというのが、まあどうしたって岡山県と島根県のパワーの差だろうと思う。
 みずほ銀行は、事前になんとなく場所は見ておいたのだが、現地に着いたら意外と分からず、グーグルマップもふだん車の設定になっているためかうまく作動せず、困ったなあと思いつつ、だいたいの方角に進んでいたら、幸い交番を見つけたので行き方を聞くことができた。聞きながら、いまどき交番で道を聞くかー、と我ながら思った。
 道のりは15分ほどで、初めて歩く街なので新鮮だし、そこまでの距離ではないのだが、いかんせん暑かった。時刻は昼前で、この日の最高気温は28℃くらいまで上がっていた。汗だくになってしまった。そして言われたとおりに進んで、目的地が近づいたとき、急に見覚えのある風景になったので驚いた。ここはもしかして、と思って見てみたら、ピイガの七五三(2017年11月)の際に、ファルマンが着付けをしてもらった、義母の御用達の呉服屋が銀行の向かいにあった。まったく見知らぬはずだった松江の街でこんな現象が起ったことに、とても驚いた。
 銀行での用事はつつがなく完了した。倉敷のそれのように特殊な申し出ではなく、「口座を閉じたい」なのだから向こうの対応も明瞭だ。ただし「届出印を」といわれ、「実は候補が3つあるんです」と、家から持ってきた3本のハンコを差し出し、「それじゃあ重ならないよう3つともここに捺してください。どれが正しいか確認します」となって、しばらく待っていたら、戻ってきた行員が「3つとも違いました」と伝えてきたので、ぎゃふんとなった。学生時代の俺、適当に口座を作りすぎ! そのツケがぜんぶ未来の俺に! と思った。それで、じゃあなんだ口座は閉じれないのか、今日の松江は無駄足なのか、っていうかもう家に候補となるようなハンコはないぞ、もしかして詰んだのか、と暗澹たる気持ちになったが、行員が続けて「なのでこの場で届出印の変更をして、それから閉じる手続きをします」と案内をしてくれ、事なきを得た。ああよかった。というわけで無事に、みずほ銀行と縁を切ることができた。重ねて言うが、別にみずほ銀行そのものに恨みがあったわけではない。すべてはあの毎年じわじわ引き落とされる謎のサービスのせいだ。口座を作ったのが学生時代ということは、ともすれば20年ほど、無意味に引かれ続けたということとなる。2000円×20年と考えれば4万円。ああもったいない。ああくだらない。
 そうして主目的を済ませたあとは、イオン松江に行って手芸屋を覗いたりしようかなあ、などと考えていたが、暑さでわりと体力が奪われたこともあり、イオン松江はみずほ銀行からだと駅を挟んでまた駅から十数分歩くような位置にあるようで、それって池袋駅からサンシャインシティまで普通に歩く都会の人間には普通のことだろうが、田舎住みにとってはなかなかつらいものがあり、手芸屋でどうしても欲しいものがあるわけじゃなし、もういいやとなって、そのまま駅で電車に乗って帰ることにした。つまりわざわざ松江に来ておいて、本当にストイックに銀行の用事だけして帰ったのだった。まあ、そんなもんだよね、と思う。
 それとこの体験を通して、このたび初めて、妻に駅までの送迎をしてもらう、という経験をした。この事実はなかなか感慨深いものがあったので、ここに記しておく。さらに感慨深いといえば、約20年前に江古田で開かれた口座が、紆余曲折あって松江で閉じられるというのもまた、数奇で感慨深い。人生って不思議。

38歳

 誕生日である。38歳である。
 37歳から38歳なので、感想は何もない。37歳から38歳への移行について、なんかしらでも感傷を抱く者がこの世にいるだろうか。親が37歳で死んだ人くらいのものではないか。思えば僕と母とピイガは、それぞれ30歳差で、両親が離婚したのが、僕が今のピイガと同じ小2の頃だったから、母は38歳の頃に離婚したということになるのかもしれない。無理やりにでもそんなことを思うと、少し感傷的な気持ちになる。なっても得は一切ない。
 誕生日が敬老の日とあまりにも近くて、今はまだ別に困らないけれど、遠い将来、誕生日がクリスマスの人とまったく同じ困惑を周囲に与えるのだろうなあということを思っていたが、今年はとうとうまさに今日が敬老の日となったことで、若干の弊害があった。今日に届くように横浜の祖母にちょっとしたものを贈り、無事に届いて、「ありがとうね」という連絡が来て少し話したのだが、感謝の気持ちの表現と、自分がどれだけ年寄りかというアピールに余念がない93歳との会話において、「今日という日は敬老の日であると同時に、実は孫の誕生日なのだよ」「なんなら贈り物はこちらからの一方的なものではなく、そちらからもなんかしらの物品があってもなんら差し支えはないのだよ」という主張はどう考えても情報量オーバーで、すっぱりあきらめた。もっとも93歳の祖母が、孫の38歳の誕生日を祝うというのは、あまり健全な図式ではないような気もするので、すっかり忘れ去られているくらいでちょうどいいのかもしれない。
 家族からはもちろん祝ってもらった。晩ごはんは鶏の唐揚げで、ケーキはこの時期の、僕の誕生日特有のチョコレートの、カステラのような、シフォンケーキのような、決してガトーショコラではない、チョコレートと小麦粉と砂糖が混ざった感じの、素朴なケーキで、とても素朴な味わいだった。子どもたちもそれぞれプレゼントをくれ、ポルガは卵と一緒にお湯に入れるとゆで卵の黄身の仕上がりが窺えるようになるあの道具(わざわざ買うほどではないがわりと欲しいと思っていたので普通に嬉しい)、ピイガはプラスチックの水筒(こんなんいくつあってもいいですからね)だった。ファルマンからは、サプライズ的な趣向で僕に物を与えてもいいことはひとつもないことをよく知っているので、ファルマンの口座から下りるように楽天で僕が注文したズボン(パンツといいたいところだが、楽天で「パンツ」で検索すると下着とズボンが本当に半々くらいで出てきて、ややこしいので、仕方なくズボンという)をもらった(ただしまだ届いていない)。
 37から38という数字に感慨はないが、それでも年齢をひとつ重ね、それを平穏に家族で祝えたことはもちろん喜ばしい。今がコロナ禍でなければ、かつてのように大勢でパーティーを催すところだけど、そんなこといってもしょうがないし、こうして不自由な時代になったからこそ、本当に大事なものがなんなのかに気づけたような気もする。
 あとこれは誕生日とは別に関係のないことなのだが、たぶん38歳の僕は37歳の僕よりも、ブログが多く書けるようになるのではないかな、と思っている。右手に希望、左手に余裕を持って生きてゆきたい。


 ピイガ作ポスター。
 6月の父の日、輪郭や髪形を四角く描かれて驚愕したが、今回はあごひげで再び驚かされた。ピイガってあんまり僕の顔を見ていないんじゃないかな。あるいは、やっぱり僕がいない時間帯、この家には別のパパが訪れているのではないかと思った。


 ポルガ作ポスター。書いていることのひとりよがりさが、ポルガの話そのもので、こいつは本当に相手にどう思われたいとかなくて、いつ何時も自分のしたいようにするのだな、ということをしみじみと思った。僕の似顔絵は悪くないが、ファルマンのそれには若干の悪意があるし、ピイガに至っては緑色のゴリラとして描かれている。おそろしい。