38歳

 誕生日である。38歳である。
 37歳から38歳なので、感想は何もない。37歳から38歳への移行について、なんかしらでも感傷を抱く者がこの世にいるだろうか。親が37歳で死んだ人くらいのものではないか。思えば僕と母とピイガは、それぞれ30歳差で、両親が離婚したのが、僕が今のピイガと同じ小2の頃だったから、母は38歳の頃に離婚したということになるのかもしれない。無理やりにでもそんなことを思うと、少し感傷的な気持ちになる。なっても得は一切ない。
 誕生日が敬老の日とあまりにも近くて、今はまだ別に困らないけれど、遠い将来、誕生日がクリスマスの人とまったく同じ困惑を周囲に与えるのだろうなあということを思っていたが、今年はとうとうまさに今日が敬老の日となったことで、若干の弊害があった。今日に届くように横浜の祖母にちょっとしたものを贈り、無事に届いて、「ありがとうね」という連絡が来て少し話したのだが、感謝の気持ちの表現と、自分がどれだけ年寄りかというアピールに余念がない93歳との会話において、「今日という日は敬老の日であると同時に、実は孫の誕生日なのだよ」「なんなら贈り物はこちらからの一方的なものではなく、そちらからもなんかしらの物品があってもなんら差し支えはないのだよ」という主張はどう考えても情報量オーバーで、すっぱりあきらめた。もっとも93歳の祖母が、孫の38歳の誕生日を祝うというのは、あまり健全な図式ではないような気もするので、すっかり忘れ去られているくらいでちょうどいいのかもしれない。
 家族からはもちろん祝ってもらった。晩ごはんは鶏の唐揚げで、ケーキはこの時期の、僕の誕生日特有のチョコレートの、カステラのような、シフォンケーキのような、決してガトーショコラではない、チョコレートと小麦粉と砂糖が混ざった感じの、素朴なケーキで、とても素朴な味わいだった。子どもたちもそれぞれプレゼントをくれ、ポルガは卵と一緒にお湯に入れるとゆで卵の黄身の仕上がりが窺えるようになるあの道具(わざわざ買うほどではないがわりと欲しいと思っていたので普通に嬉しい)、ピイガはプラスチックの水筒(こんなんいくつあってもいいですからね)だった。ファルマンからは、サプライズ的な趣向で僕に物を与えてもいいことはひとつもないことをよく知っているので、ファルマンの口座から下りるように楽天で僕が注文したズボン(パンツといいたいところだが、楽天で「パンツ」で検索すると下着とズボンが本当に半々くらいで出てきて、ややこしいので、仕方なくズボンという)をもらった(ただしまだ届いていない)。
 37から38という数字に感慨はないが、それでも年齢をひとつ重ね、それを平穏に家族で祝えたことはもちろん喜ばしい。今がコロナ禍でなければ、かつてのように大勢でパーティーを催すところだけど、そんなこといってもしょうがないし、こうして不自由な時代になったからこそ、本当に大事なものがなんなのかに気づけたような気もする。
 あとこれは誕生日とは別に関係のないことなのだが、たぶん38歳の僕は37歳の僕よりも、ブログが多く書けるようになるのではないかな、と思っている。右手に希望、左手に余裕を持って生きてゆきたい。


 ピイガ作ポスター。
 6月の父の日、輪郭や髪形を四角く描かれて驚愕したが、今回はあごひげで再び驚かされた。ピイガってあんまり僕の顔を見ていないんじゃないかな。あるいは、やっぱり僕がいない時間帯、この家には別のパパが訪れているのではないかと思った。


 ポルガ作ポスター。書いていることのひとりよがりさが、ポルガの話そのもので、こいつは本当に相手にどう思われたいとかなくて、いつ何時も自分のしたいようにするのだな、ということをしみじみと思った。僕の似顔絵は悪くないが、ファルマンのそれには若干の悪意があるし、ピイガに至っては緑色のゴリラとして描かれている。おそろしい。