松江と俺

 労働の用件で松江へと繰り出した。松江行きはいつだって若干身構えるというのに、今回は平日の、普通の出勤的な時間に行かねばならなかったので、さらにハラハラした。特に県庁あたりの、車線の多い、それなのに混雑しがちなあの辺りだ。それでもなんとか目的地に着き、パーキングに車を停め、行先の建物に向かって少し歩いたところ、本当にしみじみと、俺はもうこういう、ビルとかが建ち並ぶ、飲み屋がたくさんある、活動的な街で生きるのは、すごく無理だな、ということを思った。あのお前が松江ごときでそんなことを思うのかよ、という話だが、そういう話なのだ。もう人間が変わったのだ。ああいう、情報量の多い、バリバリやっている人がたくさんいる、激しい街には、すっかり気圧されてしまう側の人間になった。普段の職場があるのは本当に田舎で、そしてそれはすごく喜ばしいことなんだな、ということを思った。用件そのものは、一日仕事ではあるものの、淡々と済まされる事務的なもので、どちらかといえば気楽なものだったが、なんとなく悔いを改められたというか、戒められたような気持ちになった。恵まれた日常を漫然と受け流すのではなく、日々きちんと感謝の思いを嚙み締めなければいけない、などと殊勝なことを思ったりした。それくらい繁華街(何度も言うが松江である)に対して拒否感があった。我ながらその感想に驚いた。
 用件は16時頃に終わり、そこでもう解放という流れだったので、滅多に来ない松江を堪能しようじゃないかと、事前にあれこれとプランを考えていた。考えていたのだが、いざ行ってみたら街に気圧されて心が弱ったため、意欲が失せていた。それでイオン松江にだけ行って、パンドラハウスでワゴンセールになっていたニット生地のはぎれを何点か買い、それでもう松江をあとにすることにした。街に怯え、はぎれを買って癒されようとするって、やっていることがもう、小鳥のようではないか。なんと僕はか弱い生き物になったのか。
 宍道湖のほとりを走り、松江から離れるにつれ、徐々に心は平穏になっていった。たぶん免許センターのあたりが境界線になっている。免許センターからあっちは、心がざわつく。広島ではこんなことにはならなかった。旅行者は気楽だ。松江は、なんなら生活圏だから、こういう思いを抱くのだろうと思う。
 帰り道の途中の平田で、久しぶりに「ゆらり」に立ち寄った。これはあらかじめ計画していた。松江で抱いた心細さから、もういっそ早く家に帰りたいという気持ちもあったが、近ごろはプールばかりでサウナにぜんぜん行っておらず、たまにはのんびりとサウナ温泉をしたいなあという思いは、日常の中にあった。それで今回の計画に入れていた。その気持ちを掻き立て、たぶん行かずに帰ったら後悔するぞと自らを叱咤し、ようやく寄ることができた。ゆらりにはスタンプカードがあり、それによると前回の来訪は去年の8月。ほぼほぼ1年も前である。結果として行ってよかったかどうかで言えば、まあよかった。入館したのは18時前で、まだかなり陽があり気温も高かったため、外気浴がままならないかなあと危ぶんだが、わりとなんとかなった。去年の6月の、これも松江に行った日の「ゆ~ゆ」の二の舞にはならずに済んだ。サウナ内のテレビでは、1回目のときだけギリギリで大相撲をやっていた。思えば夕方ってあまり来ないので、サウナで相撲を見たのは初めてかもしれない。野球もいいが、相撲も実にサウナ向きのものだなあと思った。3セットし、いい具合にすっきりし、温泉にもじっくり浸かって、堪能した。そこまで頻繁に行くものでもないと思うが、サウナもたまに行くとやっぱりいいもんだな、と思った。松江で受けたダメージが回復し、纏わりついていたものが取り払われた気がした。
 そんな今回の松江行きだった。松江に行ったときのことはきちんと書く。前から意識してそうしてきたが、松江はどうも、なにか僕の心をざわつかせるところがあるようだ。なんでだろう。倉敷市民時代、岡山に対してこんな思いはなかった。不思議。