父とお釜の3連休

 せっかくの3連休だったが、天候不順と、島根県の異様な感染拡大によって、遠方に繰り出す気概はまるで湧かず、3日とも近場の買い物だけで、あとはひたすら家族で家で過した。そういえばプールにぐらい行けばよかった気もするが、それさえしなかった。
 休日を家族でのんべんだらりと過すのは、幸福なことに違いないのだけど、それはある程度客観的に、ものの道理として、これはなにより幸せなことだよ、いつか娘たちが巣立ったあとに思い出したら、この日々はとても輝いて見えることだろうよ、と自分に言い聞かせるように思っている感も実はあって、その日その日の刹那的な、主観的な直情としては、「ああ、子ども、朝から晩までうるさいし手が掛かる……」が、心の大半を占める。ポルガとピイガ、年齢も違えば性格も違い、片方が引く場面では必ずもう片方が我を張り、その逆も然りで、ふたりの織り成すわがまま二重奏には息継ぎのための休符がまるでない。結果として、朝から晩まで絶え間なく厄介だ。
 もちろん愛しいのだ。娘たちは愛しい。それはしみじみと思う。しかし愛しく思うことと、一緒にいて愉しいということは同義ではない。これはやはり異性というのもあるだろう。ファルマンは、「子どもたちの世話、疲れる……。夏休みが怖い……」ということを口にするが、それでも見ているとわりと一緒に話したり遊んだりして、笑っている。その輪に入れない僕は、ひとりで部屋にこもり、筋トレや裁縫に没頭することとなる。家庭内での口数は、4人の中で圧倒的に少ないと思う。これはまるで、妻や娘たちとうまく喋れず家庭内で所在なさげな父親のそれだが、いざその立場になってみたら、僕は決してそういうことではないし、これまでそういうふうに、世間も僕も捉えてきたその父親の姿というのも、実はそういうことではなかったのだと気づく。うまく喋れず所在なさげというより、父親は、家族の女たちのトークに、なんの面白味も感じないのだ。だからそこに入れなくても、なにも寂しくない。いい意味で、勝手にやっていればいいと思う。女どもで勝手にやり、愉しいのであれば、父親としてはそれで万々歳だ。重ねて言うが、愛しくはあるのだ。なるべく愉しく生きてほしいともちろん思っている。ただ自分は別にそこに参加しなくてもいい。
 3連休中は、すべての食事を担当した。冷凍庫の中が、半端なもので飽和状態になっていたので、それの消化が今回のテーマだった。その目標はまあまあ達成できたんじゃないかと思う。それと、ごはんを炊かないというのも、週末はいつもなんとなく心がけていて(特別な理念があるわけではないが)、1日や2日であれば容易いものの、3日ともなるとさすがにどうだろうと思っていたが、なんとか炊かずに完走した。もちろん外食や、テイクアウトなどもしていない。うまくやった。わが家の炊飯器も3連休であった。
 縫製は、GWに母に頼まれたシャツワンピのことをやった。本番用の生地はすでに買ってあるのだが、試作として別の布でいちど作ってみようということで、作った。そのうちnwにアップするだろうが、なかなかいい具合に出来上がった(これはファルマン用)ので、本番用のそれも今日の夕方に裁った。裁って、芯を貼って、ロックを掛けるところは掛けたので、ここから先は平日の夜にもコツコツ進めやすい。もう7割くらい終わったようなもんだ。
 とまあ、3日間にしては内容が薄いが、出歩けないのだからしょうがない。なかなか贅沢に時間を使った、なによりの3連休だった。