それは緑生い茂る山の中、小径のようになっている先に、こじんまりとした白い塔があって、上った先にはとても見晴らしのいい景色が広がっている。僕はそこを、小さいポルガとともに訪れていた。そんな情景だった。
浮かんだそれは淡くぼやけた、とても曖昧な景色だったので、それが実際の思い出なのか、あるいは夢なのか、判断がまるでつかなかった。これはあそこだな、という場所が思い浮かばず、小径の先に白い塔、という舞台設定がやけに嘘くさく思え、どうやら夢のほうがだいぶ優勢だな、と思った。
ファルマンに相談したところ、そのふわっとした手掛かりで、さすがである、「それは一の谷公園ではないか」とすぐに突き止めてくれた。一の谷公園。第一次島根移住において、何度か行ったことがある。そう言えば第二次では行っていない。記憶の中に小さなポルガだけがいて、ピイガがいないこととも辻褄が合う。「画像があるかもしれん」とファルマンは出そうとしてくれたが、ポルガが小さい頃の写真は膨大な量なので、探し当てることはできなかった。しかし言われてみればたしかにそうだ、あれは一の谷公園だ、という思いが強まった。
というわけで、実際に行ってみることにした。夢ということで処理しかけていた場所が、実は現実に存在する場所だった、というのは、実際にその場に行くと、滅多に味わえないような精神体験ができるのではないか、などと考えたのだった。
土曜日の昼過ぎ、部活終わりのポルガを学校まで迎えに行って、そのまま向かった。ドラゴンメイズのときと同じパターンだが、別にそこまで遠いわけではない。
一の谷公園は、かなり急勾配の坂道を上った先にあった。そう言えばこんな道のりだったな、とその時点で懐かしく、駐車場の感じも見た瞬間に記憶がよみがえってきて、懐かしかった。岡山在住時代、島根に帰省した際に来たこともあったような気がしないでもないが、定かではない。なかったのだとしたら、なんともう10年ぶりくらいということになる。
入ってすぐの東屋で、持ってきた弁当を食べる。今日は食パンがたくさん家にあったので、サンドイッチならぬハンバーガー的なものを拵えた。顎が疲れたが、まあまあおいしかった。腹ごしらえをしたあとは、公園を散策する。遊具は、あるにはあるけれど、閉鎖中のものが多く、そもそもそこまで大規模ではない。園内の家族連れも、連れてきている子どもは幼児が多かった(10年前の自分たちのようだな、などと思った)。
遊具よりも、この公園の骨子はなんと言っても自然だ。山にそのまま作られた公園なので、アップダウンのスケールがすごい。さらには、いい意味でも悪い意味でもなく、わりと整備が行き届いていない感じがあって、山に作った公園という人工的な部分が、端のほうからじわじわと山に飲み込まれつつあって、その感じが独特のエモさを演出していた。
座面の木材の隙間から花が顔を出しているベンチ。
かつては切り拓かれていて、座ればなんかしらの見目好い風景が見られたのかもしれないが、今では草木に侵食されてなにも見えない、そもそも草木が座面を占領していて座ることができなくなっているベンチ。
ああ、文明って、運営され、管理されなければ、やがてこうやって自然に還るのだな、ということをしみじみ思った。
そして、途中少し道に迷ったりしながらも、なんとか目的の場所にたどり着いた。
さすがはいちど夢に違いないと思っただけあって、実際に目の当たりにしても、なんとなく夢の中にいるような気持ちにさせるスポットだった。あまりにもベタだが、ここまでの風景を含め、いよいよ抵抗することができなくなって、ここでとうとう「ラピュタは本当にあったんだ! 父さんは噓つきじゃなかった!」と口に出して言ってしまった。ここまで来れば自分たち以外に人の姿はなく、山の上からさらに高い場所に行くので、気分は完全にラピュタのそれであった。
塔の屋上からの景色は格別だった。快晴の五月の空の下、見おろす森の木々、そして出雲の街の風景は、感動的だった。急に思い出して、そして場所を突き止めて家族とふたたび来ることができて、なんだかとても貴重な体験をしたな、と思った。
塔の屋上からの景色は格別だった。快晴の五月の空の下、見おろす森の木々、そして出雲の街の風景は、感動的だった。急に思い出して、そして場所を突き止めて家族とふたたび来ることができて、なんだかとても貴重な体験をしたな、と思った。
階段を下りてから、塔の横に立てられた案内板によると、これは1970年に地元のライオンズクラブによって建てられたのだそうで、1970年と言えばもう54年前ということになる。ライオンズクラブと言えば地元の名士たちの集団なわけで、54年前の名士たちは、おそらくもう全員が鬼籍に入っていることだろう。人間の営みというものは、尊いような、虚しいような、とにかくとても切ないものだな、と思った。
この日の夕方からは、晩ごはんの準備をしたあと、僕だけおろち湯ったり館へと繰り出した。そろそろおろち湯ったり館を済ませておかないといけない、発作が起りそうな機運が高まっていたので、その処理のために行った次第である。サウナの回数を経るにつれ、だんだん暮れなずんでゆくような、そんな時間帯がいいという狙いのもと、18時過ぎから20時過ぎくらいまでの時間を過した。狙いはぴたりと嵌まり、とてもよかった。1回目の外気浴では、まだまだ夕暮れというにも早いくらいの青空で、日中の一の谷公園の塔の屋上でもそうだったが、おとといあたりににわかに激しい風雨があったことで、どうやらとても空気が澄んでいるらしく、青々とした若木の繁る山々が鮮やかで、その風景がサウナ後の軽い酩酊によって軽く揺らぐので、笑い出したくなるほど満ち足りて愉快だった。途中でプールを挟んだりしつつ、2回目の外気浴はまさにマジックアワーというタイミングで、東の空から徐々に群青色に染まりはじめ、3回目ではすっかり全体が薄暗くなった。毎回異なる空の様子が味わえて、大成功だった。今回もこちらの高すぎる期待に、見事に答えてくれたおろち湯ったり館であった。
帰宅後は、録画していた「THE SECOND」を、ファルマンと晩酌しながら、おっかけ再生で視聴する。金属バットは金属バットらしくてよかった。彼らは優勝したくなったらしたらいいんだと思う。ななまがりが、初戦のパフォーマンスを見てこれは優勝間違いなしだな、ぶっちぎりだな、これはななまがりの大会だったのだなと確信したのだが、結果が敗北だったのでとてもびっくりした。ザ・パンチはとても感動的だった。「死んで~」がご時世的に使えなくなった中で、工夫と技術でかつて以上の輝きを生み出している感じが、愛しかった。最後にいちどだけ出た「砂漠でラクダに逃げられて~」は、元新選組の永倉新八が、年老いてからヤクザに絡まれたとき、威圧感だけで退散させたというエピソードのような、そんな痛快さがあった。また博多大吉のコメントもさすがだと思った。
明けて今日は、ぐだぐだと過した。今日ぐだぐだと過すために、土曜日におろち湯ったり館の義務を済ませていたわけで、近所に買い出しに出たほかはずっと家にいた。家でなにをしていたかと言えば、ピイガがこんど学校で初めての宿泊行事に行くので、バッグに名札を縫い付けたり、また夏に向けてオリジナルTシャツを作ろうかという気持ちがじわじわと募ってきたので、久しぶりにステカを稼働させたりした(予想通り、まだ調子が整わない)。天気はずっと曇りという感じで、過しやすかったと思うと同時に、公園もおろちも、外気を堪能する系のことを昨日やっといて本当によかった、と思った。