Mr.サマータイム

 言ってもぜんぜんしょうがないのだけど、暑い。ありとあらゆることのやる気を亡失させる暑さ。いや、この表現では、意志の問題のように捉えられてしまうかもしれない。そうではない。もはや物理的である。物理的に、人がなにもできなくなる暑さだ。
 それでも人にはこなさなければならない用件というものがある。仕事以外にも。
 というわけで土曜日には、松江に行って、サーカスを観てきた。いま松江公演を行なっている、ポップサーカスである。ちなみに話は微妙にややこしいのだが、前日である金曜日の夜まで、僕はこのサーカスを観る予定にはなっていなかった。今回のサーカス行きは義母が企画し、ファルマンとうちの子ふたり、そして夏休みで実家に帰ってきている次女とその娘ふたり(もっとも1歳の次女はチケットの数に入らない)というメンバーで観るはずだった。それを、サーカスを観賞しない僕と義父が車で送迎し、公演中は僕は松江イオンで買い物、買い物の習慣がない義父は松江城に行く(熱中症になるよ!)、という算段になっていた。しかし木曜日あたりから、次女の持病の腰痛が悪化し、1歳児を連れて松江まで行ってサーカスを観賞するという予定がどうにもこうにも困難だということになり、そうなると大人分のチケットが1枚余ることになるので、仕方なく義父が観るか、それとも三女が代わりに参加するか……、などと、ファルマン家名物の、紛糾するだけで一切結論が出ない議論が繰り広げられたのだが、僕が閃いて金曜日の夜に提案した、「俺のフリード(6人乗り)1台で、わが家4人と、義母と、次女の長女という6人で行って、その6人でサーカスも観ればいい」という意見が急転直下で(飛びつくように)受け入れられ、そういう運びとなったのだった。かくして僕は、急にサーカスを観ることになった。
 午前の部だったので、朝実家にふたりを迎えに行くと、そもそも今回のことを非常に億劫に思っていたらしい義父が、とても軽やかな顔で笑っていた。「まあホームページで見たら駐車場は用意されてるらしいから大丈夫だと思うぞ」などと声をかけてきたので、うるせえ、と思った。次女の長女は、母親と別行動をあまりしない子なので、そこが心配だったが、8ヶ月差の1学年差であるピイガにはそれなりに心を開いていることもあり、なんとかなった。道はもちろん高速道路を使い、つつがなく、いい時刻に松江に到着した。ちなみに車中では、前の晩に、今回のために新たに作成したプレイリストで音楽をかけた。義母も乗るので、ポルガのボーカロイドの曲は数を制限し、僕の選んだ昭和歌謡多めのラインナップにした。ランダム再生にしたのだが、行きでサーカスの「Mr.サマータイム」が掛かったので、僕は(よかった)と思ったのだが、義母もファルマンも大したリアクションはなかった。真夏にサーカスを観に行く際にそれを流すのって、すごく気が利いてるだろうと思ったのだけどな。
 案内に従って車を進めると、いかにもサーカスらしい、派手な色の巨大テントが現れ、テンションが上がった。当初は送迎だけをするつもりで、別に観たいとは思っていなかったサーカスだったのに、俺の車1台で行って俺も観る、という提案をした時点から、やはり生来の気丈さや健気さ、なにより気質の良さと言うほかない人間的な好もしさによって、わりときちんと気持ちは盛り上がっていたのだった。サーカスの観賞は、あまり記憶が定かではないのだけど、たぶん子どもの頃に、ボリショイサーカスを観たのではないかなー、という気がする。それ以来だ。ちなみに倉敷在住時代、本拠である岡山に、木下大サーカスが来た年があったが、その頃はまだ子どもたちが小さすぎて行く気にならなかった。そのため今回、子どもたちにとってちょうどいいくらいの年齢でサーカスがやってきたことは僥倖だった。
 テントの中は薄暗く、頭上には空中ブランコの足場のようなものがあったりして、非日常の空間に入ったのだという実感が湧いた。開演15分前になると、時折ピエロが舞台袖から現れ、客いじりなどをして会場を温めていた。わりと至近距離にいたお父さんのひとりがピエロに捕まり、ステージに上げられて芸に参加させられたりしていたので、内心戦々恐々とした。そのお父さんは、はしゃぎ過ぎず、ノリが悪すぎもしない、ちょうどいい塩梅の人で、たぶんピエロは長年の経験によりそういう人の選別能力が養われているのだろうと思った(だから間違っても僕なんかは選ばないのだ)。
 ショーは、非常に見応えがあり、おもしろかった。思えばライブのエンターテインメントショーというものを、ずいぶん目の当たりにしていなかったけれど、それはこんなにもドキドキワクワクするものだったか、と蒙が啓かれた気がした。そして、なんだよ、人間ってこんなにすごいことができるんじゃん、ということも思った。もう人間のやってきたほとんどのことが、AIによってその役割を奪われるのだと、そんなふうに思っている部分があった。実はそんなことぜんぜんないのだ。メディアの情報ばかりを摂取していたせいで、そんな当たり前のことを忘れていたということに気付かされた。そんな感動を与えられた、39歳でのサーカス観賞体験だった。観るつもりがなかったくせに、もしかすると誰よりも愉しんだかもしれない。もちろん子どもも愉しんでいたようだった。
 ショーは正午に終わり、このまま帰ってもよかったのだが、そうなると昼ごはんがだいぶ遅くなってしまうし、せっかくだから食べて帰ろうよ、そんでそれじゃあ松江イオンに行くっていうのがいいんじゃないかな、と話を誘導し、サーカス観賞かつ松江イオンの手芸屋にも行くという、目的の両獲りを成功させる。我ながらすばらしい手腕ではなかろうか。他者に負担をかけていない、という点がなにしろ素晴らしいと思う。というわけで松江イオン内のファミリーレストランで昼ごはんを食べ、そのあとスタタタッと単独行動で手芸屋に行き、何点かニット生地を買った(やはり倉敷に較べると寂しい品揃えではあった)。そして帰った。
 義母と次女の長女を降ろしに実家に寄ると、さすがにその頃にはぐったりした。なにしろ陽射しがすごいので、冷房をどんなに効かせてもだいぶ体に来る。なにより松江と言えばまあまあの遠出だ。そんな我々を見て、冷房の効いた部屋で野球を観ていたらしい義父が、「おいおい、サーカスから帰ったあとは、もっと明るい顔をしとらんと」と言ってきたので、うるせえ、と思った。義父は短時間の絡みで、すっと差し出すように、うるせえ、と思わせることを言ってくる。あれは一種の才能かもしれない。
 帰宅したあとはのんびりと過し、体を休めた。本を読んだり、松江で買ってきた生地で早速ショーツを1枚作ったりした。ちなみに松江はこの土日、水郷祭という大規模な夏祭りが開催されるのだそうで、我々はその狂騒に巻き込まれないように退散したのだが、世の中には午後の部のサーカスを観賞し、そのまま水郷祭へとなだれ込むという人々もいるだろう。すごいと思う。活動的な人のバイタリティというのは、本当にすごい。
 晩ごはんは、茹でた豚肉と、とろろや納豆や温泉卵を和えた、見た目が本当に嘔吐物のようになったものを、冷たいそばに掛けたものを食べた。おいしかった。もう、食べたいものと言うより、食べられるものが、そういうものに限られている。とろろにすがって夏を乗り切りたい。とろろほど物理的にすがれないものもそうそうない。
 明けて今日は、2日連続で実家の人たちとの絡みになるのだけど、昼ごはんに、みんなで近所の中華料理屋に食べに行った。みんなで、というのは、昨日のメンバーに加えて、義父も、次女と三女、そしてもちろん1歳になる次女の次女も、ということだ。今回、次女の夫はお盆に夏休みらしい夏休みがないそうで、来週末くらいに回収に来て、兵庫に戻ってしまうということで、じゃあその前にみんなで会食でも、ということになったらしい。中華料理は、まあ普通だった。特別ものすごく、クックドゥとか冷食とかより格段においしい、ということもないくらいの味わいだった。それにしても実家の面々は、駐車場から店までが暑いとか、店内でも空調の冷気の届き方が悪いとか、本当に逐一口に出す。ファルマンと過していると、この人はものすごく不満を隠さない人だな、ということをたびたび感じるのだけれど、そんなファルマンが霞むほどのレベルだ。一緒にいると、あれ? もしかして僕はすごく社会性のある、善良な人間なのでは? と思えてくる。
 食べ終えたあとは、実家に子どもたちを置いて、僕とファルマンだけで買い出しに出る。日用品と、百均と、食料品と、3軒回る必要があったので、子どもたちなしで買い回ることができてよかった。最後のスーパーで、アイスを買って帰り、実家の面々とおやつにした。こういう状況でアイスを買って帰る人間は尊い。
 帰宅後はやはりぐったりした。もう、本当に、必要最低限の用事をするだけで、そのあとはしばらく家で回復する時間が必要になるほどの熱射である。この暑さは一体いつまで続くのか。三女にお盆の予定を訊ねたら、「なにもない。まずいと思うが、なにも浮かばない」という答えが返ってきて、みんな一緒なのだなと思った。
 晩ごはんは、サーモンの刺身や、炒飯、フライドポテトに枝豆という、気の抜けた、ただもうビールのための夏の夕餉、という感じのメニュー。昼ごはんに中華でいろいろ食べたので、まあ今日はこんなもんでいいだろ、ということで。
 そんな週末だった。サーカスは本当に良かった。それ以外は、とにかく暑かった。以上。という感じ。