17年

 これは本当にまぐれなのだけど、ちょうど先ごろ「おもひでぶぉろろぉぉん」で読み返した、「ファルマンの父方の祖母が餅を喉に詰まらせて植物状態になる」という、2007年の1月下旬に起った出来事が、このほどようやく終結したのだった。
 丸17年である。上の義妹が成人式をした年であった。下の義妹はまだ高校生であった。つまり当時彼女は17歳だったので、彼女の人生の半分、祖母は眠り続けていたということになる。長い。あまりにも長い。かつて麻生太郎がボヤいたように、もはや魂があるのかないのか分からない祖母に、その年月注ぎ込まれた保険料のことを思うと、日々せっせと働くことって一体なんなんだろう……、と虚無的な気持ちになったりもした。でも17年前のあの日、「とりあえず生かすことは可能」という診断結果に対し、親族が処置を断るという選択肢もなかったわけで、これは本当に難しい話だ。なにより誰もそれが17年も続くとは考えていなかったし。とりあえず親族にも、ご本人にも、おつかれさまでした、という言葉をかけるよりほかない。
 僕は故人にいちどだけお会いしている。在学中に島根に行ったのは1回だけだったと思うので、そのときだ。これぞまさに一期一会というものだな、と思う。もちろんそこまでしっかり絡んだわけではないので、印象というのは特にない。でも会ってはいるんだよな、という感慨はあった。俺もなかなかこの一族の中で古参になってきたものだな、と。
 木曜日の朝に亡くなり、金曜日が通夜だった。仕事を少し早上がりして、僕もホールへと向かった。ほぼ身内だけの式なので、集まっていたのはほとんどが知った顔だった。義父の妹の娘、すなわちファルマンの従妹と久々にお会いした。いつぶりかと言えば、祖父の葬式以来だろう。親戚あるあるの定番、「喪服でしか会わない」のやつだな。関西に住む上の義妹一家はまだ到着しておらず、翌日の葬式からの参加ということだった。また従妹の下には従弟もいるのだが、そちらはいま関東に住んでいるため、明朝の早い飛行機で来るらしい。通夜の儀式はつつがなく終わった。純度の高いメンツなので、僕はどうしたってわりと部外者的な感じで、それでいて通夜というのは、ご遺体とかなり接する場面があるため、なかなか戸惑った。下の義妹や従妹は肩を震わせたりしていたが、ファルマンは一切そんな様子がなく、前日に初めて祖母の遺体と対面したときも、ファルマンは開口一番に「鼻毛」と口に出して言ってしまい、顰蹙を買ったそうだ。ドンマイドンマイ、僕は好きだよ。
 翌日は午前に火葬、午後から葬儀というスケジュールで、午前中のそれにはわが家からはファルマンだけが参加することとなり、午前は子どもとのんびりと過した。ちなみにこのタイミングで鳥山明の訃報が届いており、追悼の気持ちを込めてドラクエ11を進めた。
 昼ごはんを食べてから再びホールへ。上の義妹一家と、従弟が参上していた。上の義妹一家は、日記にも書いたとおり、2月下旬に会ったばかりで、別れるとき、どうせまた1ヶ月後の春休みになったら会うのだなー、などと思っていたら、それよりさらに短いスパンで顔を合わせた形だ。こっちが移動しているわけではないので、居住地が関西であるという距離を感じさせない遭遇ぶりである。それに対して従弟は本当に久しぶり。当然こちらも祖父の葬式以来である。その頃が20代半ばから後半くらいで、いまが34歳。前回のときの記憶が残っているわけでもないが、彼にとっての母と姉が通夜の際に「老けたよ」と評していた通り、なかなか貫禄が出ているように感じた。太ったというわけではなく、なんというか、トーンが落ちたというか、渋くなったというか、若々しさがなくなったというか、くすんだというか、とにかくこれがリアル加齢というものだな、と思った。向こうもこちらを見てそう思ったろうか。彼の数年間がたまたまそれが顕著に出る時期だったのであり、こちらも一律にあの変化が起っていて、身近な人間では気づきにくいが、数年ぶりに対面したら僕も劇的に変わっているように見えているのだ、とは思いたくない。おそろしくてしょうがない。いや、人は老い、そして死ぬものだけども。それを痛感させる最たる行事にまさに参加している身の上なのだけれども、それだから余計にかもしれない、数年ぶりに会う親戚に「老けたなー」って思われるのきっつ、と思った。
 葬式は、ご遺体が遺骨になった以外は、通夜とあまりやることに違いはなかった。お坊さんが戒名の説明をする際、脇の台に置かれた位牌を取ろうとして、水平チョップのようになってしまい、位牌を思いきり倒したのがおもしろかった。ファルマンとは席が離れていたのだが、いまあいつは絶対に笑いをこらえているのだろうな、と思った。ファルマンは昔から、葬式のときはずっと頭の中で志村けんが躍動するのだそうだ。そのあとはひたすらお経。今日は鳴り物要員もいて、やかましかった。どうも一丁前に、音の強弱や鳴らす所作などにこだわりがありそうで、なんじゃそりゃ、と思った。死後の世界のことは生きている人は誰も分かってない、分かりようがない、ということを、みんなもう知っているのに、なんでお坊さんって、あんなふうに「こういうものですよ」という感じで振る舞えるのだろう。あれって一体どういう精神構造なのだろう。嘘を自分で信じ込み過ぎて、嘘と現実の区別がつかなくなっているのだろうか。あるいはもう完全にビジネスライクなのだろうか。それならそのほうがよほど健全だと思う。そして僕はそのビジネスにはお金は払いたくないな、ということを今回改めて思った。もしもいま僕が突然に死んだら、何宗なのかも知らないが、家のなんかしらの宗派の寺の取り仕切りで葬式がなされることになるが、それは事前にきちんと、決してやってくれるな、ということを意思表明しておかなければならないと思った。僕の葬式は和民かサイゼリヤでやってほしい。そこでみんなリーズナブルに、食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲んでほしい。そして願わくば、最後に死体でフィッシュパニック(胴上げ)してほしい。そうすれば、僕は文字通り浮かばれると思う。
 とまあそんなことを思った、久々の葬式だった。式はこれでおしまい。ファルマンのいとこたちと、別れの挨拶を交わす。「また長いお別れだね」と口からついて出たのだが、もうファルマンとこのいとこたちの共通の祖父母は、これにていなくなったわけで、滅多なことを言うものではないが、次の葬儀は次の世代の番ということになり、そう考えれば彼等との再会は本当にだいぶ先のことになりそうだ。その頃にはもうどうしたって、お互いに「老けたなあ」と思わずにはいられないに違いない。
 そのあと納骨などもあったが、火葬と同じくそちらはパスし、義妹の娘を含めて子どもたちを連れて僕だけ先に実家に帰った。ちなみに子どもたちは、通夜も葬式も、ホール内のホテルのような控室で遊んで待機し、式には参加していない。なにしろ故人とはいちども触れ合っていないので、その距離感は仕方がないと思う。17年間というのは本当に長かった。僕は「おもひでぶぉろろぉぉん」をやっているので、強い実感とともにそう思う。ただそのおかげで、ということもないが、今回の一連の葬儀に悲愴感はほぼなかったと言ってよく、この、親戚一同が喪服を着て式に参加しているのに、故人に対しての喪失感がない感じって、あれだな、これはもはや法事だったのだな、とも思った。葬式と、17回忌を、足して2で割ったような、今回はそんな儀式だったような気がする。不思議な感触で、なんだか早くも白昼夢のような記憶になりそうな気配がしている。