岡山旅行&横浜帰省記 6

 ここまでちょっとゆっくり書きすぎた。ここからペースを上げることにする(どうせそんなことになるだろうと思っていた)。

 3年ぶりの国立科学博物館は、まあ前に来たことがあるな、という感じだった。もちろんおもしろいのだが、1回目に読んでおもしろかった本を、あの本すごくおもしろかったからもう1回読もう、と思って読んだら、もう読んだことがあるのでそんなには愉しめない、みたいなそんな感じがあった。とはいえ、別に僕はいいのだ。ポルガが来たくて来たのだから。たぶん3年生で来た時よりも、知識も増えて、より愉しめたのではないかと思う。
 午後2時ごろに科博を後にし、ようやく実家へ。JR上野駅から田園都市線へのアクセスが、途中のどこかで半蔵門線に乗り換えるとか、検索すれば賢い方法もあったのだろうが、荷物が重かったこともありそんな余裕はなく、山手線で渋谷まで行くという、たぶんとても素人的な経路を採った。ホームに降りてから気付いたが、上野から渋谷って、山手線のほぼ真反対なのな。内回りでも外回りでも変わらない感じ。長いなー、とうんざりしながら、先に来たほうの電車に乗り込んだ。この際、初めて例の「高輪ゲートウェイ駅」を経験する。別に鉄道オタクではないので感慨はないのだが、それにしたってひどい名前だな、と思った。
 渋谷ではせっかくだからスクランブル交差点を歩こうかとも思ったのだが、やはりどうしたって荷物が重く、断念する。ここでも案内板だけを頼りに田園都市線乗り場に向かって歩いた。渋谷駅は、なにしろ田園都市線っ子なので、東京駅よりははるかに土地勘があるはずなのだが、僕が利用していた頃の渋谷駅と今の渋谷駅は、たぶんもう別の駅なのだと思う。乗り換えで歩いた通路の景色が、ひとつも懐かしくなかった。
 田園都市線もそれなりに長い。やはり実家と上野は遠い。そんなこと言ったらそれは岡山から上野のほうが当然遠いのだが、それでもやっぱり今回の作戦は成功だったと思う。たまプラーザに迎えに来てくれた母の車に乗り、ようやく実家に到着する。
 実家には祖母と、姪と甥がいた。甥は、去年のGWの帰省の際はサッカーチームの合宿とかで会えなかったので、科博と同じで3年前の正月以来だ。たまに送られてくる写真で見知ってはいたが、髪の毛を伸ばし、しかも茶髪にしていて、なんだかチャラかった。断っておくが、あの襟足が長いタイプの、ああいうのではない。この喩えがいいのかどうか分からないが、ヴェルディの北澤みたいな感じ。サッカーだし、小さいし、チャラいし、実際かなり共通項はある。そして相変わらずうるさい。男子って基本的に女子よりもバカでうるさいものだと思うが、甥はその中でもだいぶその度合いが強いほうに違いない。
 やがて姉も来て、叔父も来て、晩ごはんは定番の手巻きずし。ビールも含め、おいしかっただろうと思うが、味など覚えていない。とにかく子どもたち4人のやかましさに、滞在中通して、あてられ続けた。上のふたりがじきに中学生や高校生になるので、いまがこの4人組のやかましさのピークの時代ではないかと思う。
 夜は早めに寝た。なにしろ予定はギッチギチなのである。少しでも体調を崩せば計画が瓦解してしまうので、夜はせっせと体力の回復に努めなければならない。ストイックすぎて、愉しもうとしているのか、こなそうとしているのか、よく判らなくなってくる。
 明けて3日目の予定はなんなのかというと、なんと鎌倉である。鎌倉へは、だいぶ前から行きたいと思っていた。でも地方民のわれわれがこちらに来るときは、要するに大型連休期間であり、そんなときの鎌倉はどうせとてつもなく混んでいるのだろうと、いつも二の足を踏んでいた。そんなところへ、とうとう去年の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」となり、ああこれはもうダメだ、また当分鎌倉への道は遠のいた、と諦めていたのだが、今回この自前で作り出した4連休の、それも骨子の「自前」の部分、すなわち世の中的には平日であるこの日こそ、われわれが鎌倉に行くことのできる、千載一遇(この旅2度目)のチャンスだと思い、向かうことにしたのだった(それだのに、2日前の晩、岡山のホテルでたまたま眺めた「アド街ック天国」の特集が「鎌倉 長谷」だったので、やめてくれよ! と思った)。
 これにはせっかくなので母も誘った。これで母を伴わなければ、帰省したのにほとんど実家の面々と絡まなかった感じになるので、孫らとの思い出作りとしてよかったんじゃないかと思う。なんなら祖母も来るかなと思ったのだが、さすがにもうそういう遠出はしないようだ。それでも近所の散歩は日々しているそうで、94歳とは思えないほど、変わりなく元気そうだと、こちらがそう感じたい部分もあって、そう見えるのだが、しかし80代と90代というのはやはりだいぶ違うのだろう。ポルガ3歳の七五三の際、2014年のことだが、祖母は母と姪と3人で倉敷にやってきて、一緒に美観地区を回った。さらにその次の日は、広島の知人に会いにひとりで別行動さえしていた。9年前なので、あのときの祖母が85歳ということになる。85歳と94歳は、そうか、それは違うよな、と思った。
 あざみ野から鎌倉へは、1時間くらいで着いた。長年行きあぐねていたわりに、いざ行ってしまえば近いのである。鎌倉と言ったが、下車したのは北鎌倉駅。ここから、円覚寺や建長寺に立ち寄りつつ、ひたすら歩いて、鶴岡八幡宮に後ろ側からたどり着くというルート。特になにも決めずに来ていたのだが、祖母にそう提案されたので、従った次第である。やってみたら、かなり歩くルートだった。
 鶴岡八幡宮の大階段では、ファルマンが「鎌倉殿の13人」の、源仲章の死に際のモノマネを得意としており、「あたい鶴岡八幡宮に行ったら絶対に再現すんねん」と言っていたので、僕は公暁役となり、ファルマンを斬りつける演技をしてやったのだけど、ファルマンは周囲の人間の多さに委縮して結局モノマネせず、だからただ僕が急に妻を手刀で打擲した、デートDV夫みたいになった。そのあとファルマンは、なにを思ったのか、御朱印を書いてもらう列にポルガとふたりで並び、しばらくして戻ってきたら、手に自分用として鶴岡八幡宮仕様の御朱印帳を持っていた。なぜか急にここで、自分も始めることにしたらしい。まあどうせ御朱印帳を始めるなら、ポルガの出雲大社然り、やはりちょっと名のある所の御朱印帳がいい気はする。鶴岡八幡宮なら悪くないな。鎌倉はわれわれの新婚記念デートの場所だし、おみくじで「名付けに注意せよ」というありがたい言葉をいただいた場所だし(守らなかったけど)。
 そのあとは小町通りを通り、鎌倉駅へと向かう。鶴岡八幡宮もだったが、この小町通りがすごい人で、いちおう平日の今日でこうなのだから、週末やGWとなるとどうなってしまうのか、と思った。このあとの予定としては、江ノ電に乗って、長谷を目指しつつ、途中の由比ガ浜で降りて砂浜でごはんを食べようと思っていて、そのために小町通りでなんかしらの食べ物を買っておく必要があったのだが、これが大変だった。食べ物屋はどこもだいたい行列で、とてもガイドブックに載っているような、「小町通りで食べ歩き♪」なんて状況ではないのだ。それでもなんとか稲荷ずしや唐揚げを調達し、ほうほうの体で駅へと進んだ。
 つづく。