岡山旅行&横浜帰省記 2

 土曜日の朝、最初の目的地である岡山に向けて出発した。出発できてよかった。GWではなくこのタイミングというのはすごくいいなと、計画が立った1ヶ月前あたりは思っていたのだけど、直前になって子どもたちの花粉症が強まったり、僕にもガツンとした症状が現れたりと、この時期特有のトラップに戦々恐々としたが、なんとか中止にせずに済んだのだった。
 岡山までは車である。前回の帰省の際、飛行機を避けたいがために、岡山まで車で行ってそこから新幹線に乗る、という手段を、「こんなトンデモ案もあった」という感じで書いた気がするけれど、今回はそれを実際に選択し、実行した。特急やくもに乗ることへの抵抗や、岡山や倉敷で行動することを思えば、これが今回の最適解だろうと考えた。ちなみにこの1週間前の松江行きで、ポルガがスマホを契約したことや、その夜に音楽のサブスクに加入したことは、実はどちらもこの岡山行きの伏線なのだった。
 車内音楽が新鮮で愉しかったので、3時間の道程は快適だった。これなら10時間くらいかけて全行程を車で行くのもありなんじゃないか、とさえ思ったが、ピイガが1時間過ぎたあたりでぐずり始めたので、やっぱりぜんぜん無理なのだった。
 玉島の出口で高速を降り、倉敷市へとたどり着く。懐かしき倉敷。2021年1月4日以来、実に2年2ヶ月ぶりである。まさかこれほどまでに岡山に行かないことになるとは思っていなかった。
 ポルガの心友との待ち合わせ時刻には、だいぶ余裕を持って家を出ていたが、高速道路の最後のほうで事故渋滞があってだいぶ時間を喰い、昼ごはんをどこかで食べる時間はなくなる。そこで2号線から笹沖のザ・ビッグに立ち寄り、住んでいた頃は買い物ついでによく買って食べたあのたこ焼きを買って食べようじゃないか、懐かしくてちょうどいいじゃないかと閃くが、駐車場に入ったところで、お店がなくなっているのが分かった。寂しい。これが2年2ヶ月の歳月というものか。仕方なくザ・ビッグで弁当を買い、車の中で食べた。
 そこから目的地まではすぐである。目的地は美観地区なのだ。ここでポルガは心友と遊ぶ。ファルマンとピイガ、および心友のお母さんと弟くんの4人は、そんなふたりを少し離れたところで見守りながら一緒に美観地区をブラブラする、という計画になっていた。というわけで集合場所で無事に落ち合い、ポルガと心友は2年2ヶ月ぶりの再会を果たしたのだった。キャラ次第では抱き合って喜んだりするような場面だろうが、おとなしいものだった。まあ親きょうだいの前だしな。
 かくして6人は美観地区へと進み、僕はここから別行動。さすがに僕まで一緒に美観地区を回ってもしょうがない。それよりも僕には行きたい場所があった。倉敷市が誇る50mの巨大プール、倉敷市屋内水泳センターである。居住時代、ちょいちょい行っていたこの場所だが、離れてみて、50mで、レーン数も多く、水深も深く、そしてなにより水が異様に透き通っているこのプールの価値を改めて実感し、いつか岡山に行った暁にはぜひ立ち寄りたいと思っていた。でも岡山に行くときは、1日の中で、もれなく行き3時間、帰り3時間の運転が待っているわけで、その状況下で泳ぐのは難しいかな、とも思っていた。それが今回、帰りの3時間のことは気にしなくていいという千載一遇のシチュエーションに恵まれたため、満を持して赴いたのだった。今回の3泊4日は、かなりギチギチに予定を詰めていたが、個人的にそこへプールまで組み込んだのだから、アグレッシブなことだと我ながら思う。
 美観地区から水泳センターまではすぐである。動線的にも今回は恵まれていた。かくして2年2ヶ月以上、最後がいつだったかは分からないが、とにかく久しぶりの、念願の水泳センターと相成った。相成り、どうだったかと言えば、まあよかった。プールは相変わらずのクオリティだった。でも50mプールって、25mのそれに較べて泳ぐ距離が長いからすぐ疲れるんだよな、ということはもちろん分かっていて、実際その通りで、3時間かけて来た、2年以上ぶりのプールだから、堪能するために死ぬほど泳いだかと言えば、そんなこともなく、それでも合計で1kmほどは泳いだが、35分くらいでフィニッシュした。
 はじめからプールではそれほど時間は潰れないということは判っていた。別れてからまだ1時間ほどしか経っておらず、子どもたちはまだまだ美観地区だろう。さてこのあとどうしよう、と考える。水泳センターは、せっけん類を使ってのシャワーが禁止されているため、髪や体を洗いたい気持ちはあった。実は計画段階でその流れを予想し、そう離れていない位置に「くらの湯」という入浴施設があったから、そこへ行くのはどうかと考えたのだが、検索したらなんと閉鎖していた。居住時、いちどだけ行ったことがあった。真備の水害があった際には、災害に遭った人や復旧作業にあたった人に、風呂を無料開放していたのが印象に残っている。やはりコロナだろうか。2年2ヶ月の歳月をここにも感じた。
 つづく。