36歳

 誕生日だった。誕生日のお祝いメッセージは、母と姉から届いた。人からお祝いメッセージが届かないことは、「hophophop」に書いたように、ぜんぜん哀しくないつもりだったのに、母と姉から届くものだから、さすがに哀しくなった。誰からも届かない、なら受け入れやすいのに、母と姉から届いたせいで、母と姉からしか届かなかった、という状況になってしまい、母と姉だけに誕生日を祝ってもらうのは、普通それは子どもの頃の話で、じゃあ22歳で家を出てから今日までの約15年間で俺はいったいなにを……? と、とてつもなく重くて暗い部分に気持ちをやってしまい、落ち込むはめになった。しかもその二者のメッセージというのが、毎年一様にそうなのだが、「あんたももうずいぶんな歳だね」という内容で、届くだけで気持ちが塞がるのに、なおも文面で嫌な気持ちにさせるのかよ、と毎年思う。他になんか言葉はないのか、と訊ねたくなるが、肉親なので訊かずとも分かる。ないのだ。あいつ誕生日や、いくつや、36か、いい歳やなー、と、本当にそれしか思わないのだ。僕もきゃつらのそれについて同じことしか思わないので、ただ単にそれだけのメッセージを送ることになると思う。それに対してファルマン家の人々はきっと、「いい1年になりますように!」とか、「しわわせに過ごしてね!」なんてことを言い合う。さすが中国山地の向こう側にあるというラテンの国の一家だと思う。
 誕生日当日はそんな感じで、本当に静かに過ぎた。家族によるお祝いは、出勤だった本日土曜日の夜にやってもらった。帰宅すると、日中からケーキ作りや部屋の飾りつけにいそしんでいたという子どもたちはテンションがきわめて高く、うるさかった、けどかわいらしかった、けどうるさかった、けど幸福感があった(けどうるさかった)。将来、我々はどっち側の気風の家族になるのだろう。ファルマン家側かな。少なくともファルマンと子どもたちはそうだろうな。僕もそのときまでに、大人になった子どもたちの誕生日について、「あいつもいい歳だな」以外の感想が浮かぶ人間になっていようと思う。
 ファルマン特製のミートソースがたっぷり掛かったスパゲティと、野菜たっぷりのスープ、チキンナゲットというメニューのあと、リクエストしたガトーショコラを食べた。全体的においしく食べたのだが、食べたあとで胃がもたれる感じがあった。いい歳……。子どもたちから、手作りのプレゼントをいろいろもらう。去年は「ずかん」という名目の冊子だったが、今年はさらに進化し、巻き物のようになっていた。ファルマンによると、この1週間ほどはずっとその制作に励んでいたという。嬉しい。嬉しいと同時に、父親は今後の思春期に思いを馳せずにいられない。いつまで快く祝ってくれるのだろうな。ちなみにファルマンからのプレゼントは、もうだいぶ前に先取りで手に入れたダンベルセットである。ファルマンからの誕生日プレゼントをろくに使わないことで有名な僕だが、これは初めてくらいに、今のところ日々せっせと使っている。そのあとはみんなで少しドンジャラをして、パーティーは終わった。なにはともあれ、こうして無事に年齢を重ねられたことはめでたい。家族以外だれも僕の誕生日を祝わないけれど、僕は僕の誕生日に際して、この世のありとあらゆるものへ感謝の気持ちを捧げる。受け取るばかりのそなたらは自らの浅ましさを思い知り、存分に恥じ入るがいい。